ツレヅレグサ・ツー
            ッテナニ?

十一 十二 十三 十四


竹の子の皮
キャラメル
ナット・キング・コール
上野毛の細道
加工
落書き
バルトーク
釈迦三尊像と工作
スパムコメント
雑感
雑感2
阿佐ヶ谷
スパム
あれこれ
ラーメン屋のおばちゃん
無職期間が終わった
奇妙な感覚
仕事
ミートホープ
寒山拾得
鈴ヶ森
国家の品格
富貴蘭
チップ

 

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竹の子の皮

昔、小さかったころ、裏の竹林に生えている竹の子の皮を一枚はいできて、これに味噌をちょっと乗せてから折りたたみ、それをちゅーちゅー吸っていたことがあったが、あれは子どものおやつみたいなものだったんだろうか。皮の内側の薄黄色したつるっとした面の青臭い感じと、茶色の表側を覆う産毛のようなものが唇に当たる感触を、なぜだか鮮明に覚えている。昔の楽しみは、実にささやかなものだったなあ。でも、今、この現代これを思い起こすと、けっこう贅沢なものだ。なにせ、自生の竹の子が家の近くにあるなんて、そうそうは無いことだ。


キャラメル

キャラメルは、小さなロウ紙で包んであるけど、あれは一定の折り方が決まっているのだ。子供のころ、この包み方を展開図で説明しているものをどこかで手に入れて、それがとても魅力的だったので、子供ながらに、キャラメルと同じ形で同じ大きさの小さな木片を探してきて、これをその辺の紙を四角く切って、図の通りに一生懸命包んだことを、よく覚えている。今の世の中、キャラメルなんていう古風なお菓子を食べることはほとんど無いのだが、ふと見つけたりすると、この経験を必ず思い出す。子供のころというのは、どんなちっぽけなネタの知れたことであっても、未知のものとして与えられていたのだな、と思い、感慨が深い。気の持ち方さえ変えれば、世界はあらゆる秘密と神秘に満ち溢れて見えることだろうね。


ナット・キング・コール

ツタヤへ行ったので、ついでにCDを借りてきた。いま調整中の真空管オーディオにかける、ふっくらとした甘いボーカル音源が欲しかったので、ナット・キング・コールを思い出し、借りてみた。自分は、のっぽで原住民みたいな顔をしたナット・キング・コールが、ピアノとギターとドラムのシンプルなトリオの演奏に乗って歌うのが好きだったので、うってつけかな、と思ったのである

それで、家に帰って、かけてみたら、どうやらこのアルバムはベスト盤で、トリオの演奏ものはほとんど無く、大半が、甘ったるくてゴージャスなストリングアレンジものと、軽薄で騒々しいブラスアレンジものだった。自分が期待していたトリオの隙間のある演奏を甘く包み込むようなあの声の魅力の代わりに、空疎な金満ステージが浮かんできてしまいどうにもならない

どうも、自分は、大人数でやる演奏というものが好きになれない。ビッグバンドやオーケストラ、合唱など、けっこうダメだ。カウント・ベイシーやデューク・エリントンのオーケストレーション、モーツァルトのオペラ、果てはグレゴリオ聖歌などなど、どれも偉大なのは頭では分かっているけれど、生理的に受け付けないのである。なぜだろうね

というわけで、またしばらくはアニタ・オデイのトリオものか

そうそう、あと、自分はジャズの女性シンガーも好きになれない。ビリー・ホリデイの、あの音域の狭い搾り出すような歌声も残念ながら敬遠ぎみで、ましてやその後から現代に至る彼女の大勢の弟子たちの、あの女性ジャズシンガーに共通したカッコつけたしっとり感に閉口したりする。あるいは女性が主流のゴスペルであっても、マヘリア・ジャクソンの、あの、筋骨隆々な聖母マリアみたいな迫力にも閉口する。まさに偏見の塊。

そんな中で、アニタ・オデイだけ、なぜだか嫌わずにいられるのは、彼女の歌が軽々しくて、イージーリスニングで、可愛らしいからなのか? 我ながら、昔のステレオタイプな女性観の持ち主なのだろうか、と思うと、これまた閉口する。しかし、ジャニスを聞いて涙することもあるんだから、まあ、大丈夫だろう、たぶん


上野毛の細道

朝、本棚にあった岩波文庫「奥の細道」をつかんで家を出た。家から上野毛の駅までは歩いて5分ちょっと。五島美術館の前を抜けてゆくおかげで、幸いに、都会では珍しい森のように茂る木々に囲まれた細道を歩いて駅へ出る。道すがら、文庫本片手に、奥の細道の序章を読む。月日は百代の過客にして行きかう年もまた旅人なり、という教科書にも載っている有名な文句から始まり、ほんの十数行の文であり、一気に最後まで持って行かれる、不思議なリズムに乗って読み進み、やがて、草の戸も住み替わる代ぞ雛の家、という句が出たところで、ぱったりと終わる。それにしても、この短い文を読み終えたら、涙が出てきたよ。真っ白な漂白の思いが漢文調の硬い文に織り込まれ、色とりどりの旅先の希望が雛の家の和式の句に織り込まれ、そのむなしさと希望という相反するものが、日本人だからこそ分かるすばらしい文の調子で、みごとに重なり合ってひとつの文になっている。さて、これら自分には、ほとんど本能的に脳みそに浮かんでくる真面目な分析を通して、いつものように、ああ日本人に生まれてよかったな、と感慨すると同時に、それにしても、通勤途中に、奥の細道の序文を読んで涙するとは、オレもジジイになったものだ(笑)


加工

会社の人が、日本で海外に誇れるものはアニメぐらいじゃないか、と言うので、それは反対しないけど、自分はアニメに近寄るのはいやだな、勘弁して、と答えた。

アニメもそうだけれど食文化も同じ感じだね。寿司ブーム以来のような気がするのだか、あれこれの日本食もずいぶん海外進出して、けっこう受けているそうだね。日本人はやっぱり加工が得意なのかな、料理についても、たとえば外来の新しい食を輸入して、いったんそれに取り掛かったら、徹底的にあれこれと工夫してバリエーションを広げて新しいモノに作りかえる、みたいなところがあるね。

もっとも、自分にとって、日本人は、はっきり言って「やりすぎ」で、食にしてもサービスにしても、オリジナルなものにある素朴さ、率直な味わい、ワイルドな感じ、などなどがどんどん薄れていって、出てくるものは何でもかんでも「きれいにこしらえた人工物」みたいに見えてくるようで敬遠したくなる。東京暮らしが長すぎて、いい加減、鼻についてきた、というのがその理由だと思う。

でも、海外では、これはけっこう通用するだろうし、同じ日本人の海外進出としてかなり有望に見える。ちょうど、そのむかし、雛形技術と原料を輸入して、工夫に工夫を重ねてトランジスターラジオを輸出していたころの日本とかぶって見えたりする。


落書き

モナリザの顔に黒い口髭を落書きしたのはマルセル・デュシャンだっけ? イタリアの大聖堂に日本人が落書きしたとかで騒ぎになっているが、いまさら馬鹿げた話だ。人間のするあらゆる行為は、何にでもなりうる。要はすべて、それを行う人間の質いかん、そして、それを見て判断する人間の質いかんによるのさ


バルトーク

YouTubeにバルトーク・アット・ザ・ピアノというピアノの独奏がアップされていて、それを奥さんに教えてもらって聞いた。曲はルーマニアン・フォーク・ダンスという、ルーマニアの民族音楽から想を得て作曲したものだそうだ。6曲の短い曲をつなげたもので、その最初の曲を聞いて、あまりに独特な間の取り方にびっくりして聞いていたのだが、何度か聞くうちに、特にその最初の曲が耳から離れなくなった。日常の僕らの生活の、秩序に従わない、身体の不正確な動きが、組織もされずに、そのままリズムになっている。そして一方、それとはまったく逆に、民族の底に流れる続ける、永久に変わることのない悲しみの形のようなものがメロディになって、その短命なものと、不死なものとが、同時に心の聞こえてくる、そんな演奏だ。バルトークは当然ながら近代音楽の巨匠だけれど、少なくとも今聞いているこの演奏は、孤独で、寂しくて、ゆらめく蝋燭の炎のように、はかなくて、その場限りだけれど、だからこそ永遠に不正確なまま残る音に感じられる。


釈迦三尊像と工作

どうもさいきんは、これと言って書くことが見当たらないので、まず、こうやって書き始めてから思いつくことを書き並べる、という感じになった。しかし、そうやって書くと、結局、内容は割りと単一で、いつも同じように悲観していたりする風になる、というのも何とやら。週末の土日は、なーんにもせずに過ぎていったが、別の言い方をすれば、おだやかに過ぎていった。感動とは何かなんていう文を作って提出したり、ギターの練習したり、ちょっと料理作ったり、次の十年の研究テーマを構想してみたり、雑文も書き、ゴッドファーザー2を見て、少しのビールを飲み、すこぶるまったりと2日間を過ごしたわけだ。なんの文句があろうか(笑)

この前、奈良へ行って、興福寺の阿修羅像など乾漆像に再会した話をしたが、あとで調べてみると、実は、あの日は法隆寺に行くべきであった。ずいぶんと何十年も前から、いたずら書きみたいなアルカイックスマイルとプロペラの羽みたいにくるくる回りそうな手をした釈迦三尊像をずっと見たかったのを、実は、奈良へ行ったときも思い出したのだ。しかし、何を勘違いしたか、薬師寺の薬師三尊像と混同し、薬師寺へ行ってしまった。もちろん、あそこの東塔は何度見てもすばらしいし、再建された西塔には脱帽するし、薬師三尊像だってそうなのだが、行ってみて、しまった、と思ってしまったよ。

あの、自分の頭の中に焼きついているみたいな釈迦三尊像を、一体、どこで自分は見たのか。奈良から帰って調べてみると、あれは法隆寺にあることが分かったのだが、確かな記憶はないのだが、自分は法隆寺には行ったことがないか、あるいは行ったとしてもずいぶんと子供の時だったはず。それで何となく思い出すのだが、図鑑を見るのが好きだった子供時代、たしか「美術」という題名の図鑑が家にあり、あれが子供ながらに大好きでヒマさえあれば広げていた。あの図鑑の中に日本の美術を年代順に紹介した年表のようなものがあり、そこに、この、法隆寺の釈迦三尊像の写真が載っていたのではなかったか。

この、美術という図鑑には、たくさんの工作記事が載っていて、薄いプラスチックの板で作る自動車、粘土と新聞紙で作るお面、昔ながらの竹とんぼや、コマや、回り灯籠などなど、たしか夢中になって見ていたっけ。さっき、法隆寺の釈迦三尊像を、いたずら書きみたいな顔にプロペラみたいな手なんて、罰当たりなことを書いたけど(笑)、きっと、この美術の本の中の子供らしい工作の様子と、あの三尊像がオーバーラップしているのだろうな。そうか、こんな風に思い出すと、あの釈迦三尊像を、いま、薄いプラスチックの板や、新聞紙や、竹ひごや、タコ糸や、和紙と蝋燭なんかで、いろんな風に工作して作ってみたいな。

そういえば、ウォーホールの作品に、マリリンモンローなどいろんな写真にべたべたと無造作に色を塗りたくった有名なシリーズがあるけど、意外と同じような理由だったりしてね。ウォーホールが子供のころ、それらポスターにクレヨンでべたべたと色を塗りたくってたかもよ。なーんて、まあ、いいんだけど、そんな作品でも趣味で作ってみようかな。でも、その前に、やっぱり一回ほんものを見ておきたいな。法隆寺へ行けば見られるはず、近いうちに行くことにしよう。


スパムコメント

なんだか、久しぶりにブログに記事をアップすると、ヘンなコメントがパラパラと付くね。むかしは、読めば一目でわかるエロ系とかだけだったのだが、さいきんは、まともなコメントなんだかスパムなんだか一瞬判断に迷うのが増えてきた。もっとも自分のブログに飛んできて欲しい、という趣旨のものがほとんどなのですぐに分かる、といえば分かるのだが、どうしても一応アクセスはしてしまうね。

それで、アクセスしてみると、時々、オレと同じようにコメントされて見に来た人たちがご丁寧にまんまとだまされて、「私のブログにコメしてくれてサンキュー♪」とかなんとかアホくさい文でコメント入れたりしてるのを見たりする。まあ、あんたたち、だましだまされ勝手にしなさい、って感じで、脱力しますな〜(笑)

また、場違いなことを言うが、メールやブログの氾濫で現代人は文章がやたらに書けるようになったように見えているが、オレは信用しない。しゃべり飛ばすように書く人は激増したけど、単にそれだけのこと。文章力は確実に落ちてるよ。

あー、かくのごとく、オレのブログの内容って説教じじー臭い! こんな超地味なブログにアホコメントするなー(笑)


雑感

4月に転職してからまだ何となく不安定な感じが続いている。まあ、気の持ちようひとつなのだが、どうも落ち着かないのである。いま、適当な気分に着地するのを待っているところ。単に待っているだけなんだけど、要は通常生活を漫然と送っている。それで思うのだが、うちにはテレビがないので、ヤフーのトピックスのニュースで世の中を見ているに等しいのだけど、悲惨なニュースばかりが目に付くのは、これは気のせいなのだろうか。もうニュースなんか見るの止めようか、と思うほどである。

思ってみると、例えば、殺人だとか、自殺だとか、災害だとか、はたまた、誰それ芸能人が結婚しただとか、離婚しただとか、誰それが誰それを訴えた、とか、それらもろもろの情報を自分が知ったところで何の意味と価値があるのだか、けっこう分からなかったりする。もっとも、いい歳をして日本国民として生活しているので、最低限の社会的責務は果たさないといけない、とかろうじて思っているせいで、自国の状態をチェックして、社会の中で自分の位置を見つけて、その中で自国の向上みたいなものに微力ながらも貢献するものだよな、と思っているわけで、それで、まあ、仕方なしにニュースにも目を通すわけだ。

以上の理由をかろうじて保っている、というのが現在の自分で、ときどき、もういいかな、と思うことがある。冒頭に書いたように、自分の位置が定まらない、というのはこういう状態を指すのだろうな。

思えば10年前ほどの自分は、テレビ、新聞なしの上に、インターネットもなしだったので、会社での仕事以外ではほぼ社会と絶縁して生活していた。それで、何か支障があったかというと、ほとんど無かった。会社の仕事は研究職なので社会情勢なんか知らなくても十分仕事はできたし、自分を人に売り込むのには社会常識なんかなくても、個性だけでなんとかなった。結局、自分という人間はそのほうが向いているのかな。いたずらに社会に目を向けようなんて気を起こすと、どうも、ふらふら落ち着かず、挙句の果てに日本が最低な国に見えてきて、愛情が薄れて行く。

やっぱり、元に戻そっかな、なーんてね

そうこうしている日々の生活であるが、この前、京都奈良へ行って色んなものを見てくると、本当に元気になる。やはり、人間というのは、「いいもの」に囲まれて生活しないとだめだ、とつくづく思ったりする。40代のいい歳の大人の自分でさえ、こうなのだ。まだ若い子供たちを取り巻くものが本人に与える影響というのは絶大だろうな、と想像する。その子供たちに、僕ら大人が注ぎ込んでいる情報の大半は惨憺たるモノではないだろうか、と思うといたたまれなくなる。大半が「落ちる」方向に向いていて、「希望」や「楽観」を与えていなければ、その結果は知れているじゃないか。

なーんて、子供もいないオレのセリフじゃないか(笑) それに、また、悲観路線だ、ヤレヤレ

奈良の乾漆像については既に書いたけど、それだけじゃない、たくさんの「いいもの」に触れてきた。なにものにも代えがたいもののオンパレードだ。こういう、真面目で、いいものに、路線を移そうかな、と思ったりもする。うん、それもいいかもしれないな。これまでの自分の仕事は、「新しい、今までに無い情報社会の形」を作ることだったのだが、実際のはなし、この目的は別の人にきれいさっぱり譲って、違う視点から自分は見てみるとするかな。ホントのはなし

などということを書いている自分は、ちょっと真面目過ぎるかな(笑) ま、根が真面目だから仕方ない。ま、とりあえず、一呼吸おくことにしましょう。


雑感2

さいきんは、どうでもいい感じの日記をミクシィの方に書いてしまうせいもあって、こっちの「真面目ブログ」がどうも更新できない。マジメなことを書くところ、と決めちゃうからいけないんだけどね。あるいは、真面目にものを考える、ということと、日々の生活を送る、ということがだんだん分かれて分離してきてしまっているのかもしれない。そうだとすると、それはよくないね。

昨日、上野毛の自分の家のすぐ近くにある五島美術館へようやく寄ってみた。歩いて2分ぐらいで着いてしまう至近距離にあるんだけど、いつでも行けると思っているせいかずっと行ってなかったのである。展示物はともかく、敷地の大半を占める森がすばらしいね。あの一等地に、これだけ広大な自然が、あれだけ自由奔放な形で残っていて、とてもいい空気だ。ほとんど木々に覆われている、と言っていい感じのうっそうとしたところ。

自分が子供のころは、こういう、うっそうとした森がまだ至るところにあった。今の東京は、日々のコンクリートの生活と、自然のある場所が分離しているよね。むかしは確かにこれらは溶け合っていた、ほんの30年ほど前はまだそうだった。ずいぶん変わったもんだ。そして日々流れるニュースは悲惨なものばかり、と来ると、やっぱり、この日本は一体どこへ行こうとしているのか、という気にもなる。さいきん、街中や電車の中で、小さな子供がわがまま一杯にぎゃあぎゃあ泣いてはた迷惑な光景に出くわしても、うるさくて腹が立つより先に、逆に子供たちが哀れに見えてしまう。終わることのない欲望の街の中で育てておいて、わがままになるな、という大人の方がおかしくみえる

オレたち日本人は、むかしの日本人が旨とした簡素な生活というものをどこに置いてきてしまったのか

仏教の六道で言えば、ここ東京は餓鬼道が一番幅を利かせているように見える今日このごろ。いや、しかし、実際に見ると六道すべてあるけどね。地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天、とは本当によく言ったものだ。自分の周りの狭い世界だけを見回しても、これら6つすべてが目の前に見えている。しかしその比率は世につれ変わっているようなのだが、ここさいきんは餓鬼道がますます目に付く

文化放送で、死刑の瞬間の録音をおよそ十分間流したってね。こういう、あまりに重い話題というものを放送波に乗せたということは、自分はよいことだと思うが、実はあまりに唐突で、たいした話題を引き起こさなかった、というのが、放送した結果だったと思う。いま自分が書いているこのページは、ただの自分のブログだけれど、この件について赤裸々に書こう、という気はあまりしない

なので、ただの感想を少しだけ書く。死刑制度については、自分はむかし、ずいぶん色んな人とやりあったけど、端的に聞かれれば反対、と答える。それで、いつも但し書きつきで言うのが常だった。すなわち、完全公開なら賛成、とね。しかし、ここさいきん、こういう重い話題を扱うのが辛くてね、死刑については口を閉ざしっぱなしだ。そうすると、今度は人々の顔が見えてくる。「死に値することをしたやつはそれを償うために死ぬべきだ」という言葉をここそこで聞くが、そういう言葉を発する時の自分の顔を鏡に写して、一度落ち着いて観察してみるといい。これは「書く」ときでも同じだ。その自分の文体を一度しっかり「姿」として見直してみるといい

オレはとてもそんな言葉を発する勇気がない、それが自分が死刑制度に反対する根拠のすべてだ

今まで、完全公開であったら賛成してもいい、と言っていたのは、自分と同じような一般人で、死刑を完全な公開にしてその状況に耐えられるような性質の庶民などいないだろう、と踏んだからでもある。でも、今思うと、これは当て外れなような気がする。断罪をする、ということがこれほど苦労のいらないことになった今、断罪の後に罰を加えることについても同様に触覚が働かなくなる道理だろう。数年前の世論調査では賛成は8割を超えたとのこと、この数字も改めて驚きだ

おそらく大半の人は、遺族感情を自分の出来事に置き換えて思い、その苦しみに見合うのが「死をもって」しか無いのなら、死を持ってするのが人としてのけじめというものだ、と考えるものと想像する。もっともな話で、自分だってそう思う。しかし、この当たり前に見える言葉の裏に、「自分は人を殺さない」「私は悪くない」「悪いことをしていないのに悪い人間の犠牲になることがある」「これは不公平だ」「だから悪いことをする人間は消えるべきだ」「そうすれば世の中は自分のように悪くない人しかいない平和な世の中になる」という論理がどうしても見えるのは、これは自分が病気なのか?

自分はそういう善人しかいない世の中に暮らすのは辛いし、このありきたりの論理を感じるたびに息が詰まりそうになる。上記「悪いことをしない人」は悪いことを本当にしないのか? そんなことはなかろう。そうそう、さいきん夏目漱石の「こころ」の中の一節を再読した。主人公の「私」は「先生」に、「親戚のものは善い人たちですか」と聞かれ、「別に悪い人間というほどのものもいないようです。たいてい田舎者ですから」と答える。それに対する先生の言葉。

「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中に、これといって、悪い人間はいないようだといいましたね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型に入れたような悪人は世の中にあるはずがありませんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油断ができないんです」

漱石が創作したこんな疑り深い言葉に、なぜだかこれを読んでほっとする自分は、やはり病気か?(笑)

まあ、この辺で止めておこう、これ以上言うと友達も減るし(笑) なんにせよ、日本に暮らしてこういう最大公約数的な平和を自分も享受しているわけだからね。文句を言うなら外国へ行け、ということになりそうだ

久しぶりに書いたブログ、ちょっと全体があまりに厭世的で悲観的なのは困りものであるが、こうやってあれこれと頭を働かせているということは、健全な証拠だ。まあ、心配はいらない、ということだ。そうそう、構造主義をかじった時に読んだのだが、構造主義の下地を作った哲学者の一人にニーチェがいて、構造主義の重要人物たちは、多かれ少なかれ、ニーチェの特徴のひとつである大衆嫌悪をしっかりと引き継いでいるそうだ。自分はニーチェ好きなのだ、だから8割超えの意見が気に入らなくても、仕方ないのだ(笑)


阿佐ヶ谷

今日は、久しぶりに休みの日の昼に外出した。このところずっと引きこもりだったから。それで、マニア系の映画を見に阿佐ヶ谷の小さな古い邦画専門の映画館へ行った。阿佐ヶ谷を始め、中央線沿線はずいぶん昔からブルースがさかんで、昔はよく出かけたし、スタジオで練習したり、ライブやったり見たりしたものだ。もっとも、自分としては、あのへんの街の、あのやけに日本的にディープな感じが、実はあまり好きではなかった。当時の自分のブルースのイメージは、乾いて殺伐としたイメージだったのだけど、中央線沿線にはなんだか演歌的に湿ったイメージを勝手に持って、毛嫌いしていたのだ。 その後、阿佐ヶ谷の駅前通りが整備され、なんだか今風にオシャレになり、街路樹のあるふつうの街になったなあ、とまったく顧みなかったのだけど、今日、駅の左側の映画館のあるエリアを歩いたら、これが、ずいぶんとディープな景観で、昔のまんまなんだね。ちょっとびっくりした。昭和33年3月31日を描いた悲しくて暗い映画を見た後、ふたたびに街に出たら、細い道の両側にちょっと変わった店やボロボロの看板を掛けた店などがぎっしりと並び、建物のサイズがなんとなく一回り小さくて、見上げると電柱に電線が絡み合って、映画の中の町並みとほとんど変わらない。なかなかいいところだね、阿佐ヶ谷。見直した。

陸沈という中国の言葉を聞いたことがある。文字通り、陸に沈没するのである。山奥へ引きこもって人里離れて隠居するのではなく、町中に住んで町に馴染んでまったく目立たない存在として隠居するということだそうだが、陸沈するならば、こんなとこかな、と思った。


スパム

ずっと前、とある学会で、もう定年を過ぎた先生の話があって、そのあとの質疑でなんとなく座が雑談めいてきて、さいきんのメールってスパムが多くてかないませんよね、みたいな話になった。ひとしきりそんな話をしたあと、最後に、その先生がこう言ったのである

でもね、みなさん、僕にも毎日何十通も迷惑メールが来ますけどね、そのほとんどは下らないものです。でも、ほんのわずかだけど、老人の切実な性の悩みを考えさせられる内容のものもあるんですよ。歳をとってね、独りになって、それでも性的欲求はあって、その処理に困っている、そういう老人もいるんです

この言葉に僕は心を打たれたな。そりゃあ、そんなメールの大半は「釣り」だ、と言うこともできるけど、ツリでもいいじゃないか、とにかく馬鹿げて迷惑なスパムの文章の中でさえ、その先に広がる社会を想像して、洞察する、ということはすばらしいことだ。ウソでもツリでもいいのだ、そんなところにも「言葉」は溢れていて、社会があるのだ、ということ


あれこれ

いかんいかん、仕事は4月から始まったけど、これが最後の勝負、とばかりに厄介なことをやっているせいで心に余裕がない。苦労するのを止めて、私的生活を優先してこれからの仕事ライフを考えた方がいいかな、と思うこともけっこうあるのだが、乗りかかった船なのでやっている。と、言っても、なにしてるか書かないと何のことだか分からないよね。まあ、そのうちおいおい・・

ところで、そうだ、原稿も書かないといけないのにまったく手につかない。人は美をどのように感じるか、だったっけ、もらったお題もロクに覚えてない。締め切りはとうに過ぎているんだけど、最終デッドが4月末だという原稿依頼人の言葉を信じて放ってある。さすがに何を書くかぐらい考えないとな、こちらもヤバイ

そういえば、少し前、Youtubeで知り合いになったイタリアのサルディニアっていう島に住んでるブルース野郎からメールが来て、サルディニアには Soka Gakkaiのメンバーが回りにたくさんいて、日本ではGakkaiには悪印象があるとインターネットで見たのだけどホントか? などという、イタリアの美しい島に住んでるブルースマンというだけでヘンなのに、さらにヘンな質問がきた。

日本人は無宗教の人間がふつうで、そのせいで宗教を持っている同じ日本人を敬遠する傾向にありますよ、とか、わりと当たりさわりのないことを書いて返事を送っておいた。そしたらさっき返事が来て、自分はGakkaiの友人に諭されると「自分は題目の代わりにブルースを歌うブルース教だ」と言うのだ、などと書いていた、いいヤツだ。サルディニアに会いに行きたいね

まあ、ブログというのは公の場なので、Gakkaiについてあれこれ書くことは控えるが、やはり自分は宗教というものを考える時、「名前のついた」宗教というのを毛嫌いして、無視してしまう傾向にあるね。権威というものを敬遠してしまう傾向があるせいで、何となく「大きいこと」が成就しない道を選ぶ傾向がある。

結局のところ「名も無い」ものばかりに惹かれてしまうので、何だかスケールが小さいのである。

むかし、自分が大学生ぐらいのころ、死んだ親父となにやら人生のことかなんかを話していて、その中で親父が、社会での自己実現と社会の変革を手がけることが男の仕事だ、とか何とか言うので、それなら、結局、男の仕事で一番誇れるのは政治家になるってことなの?と聞いたら、うん、そういうことになるな、なんて答えたので、ずいぶん不満だったことがあった。自分はそれを聞いてちぇっ、とか舌打ちして黙ってたけど

それで、それから30年ほどたった今、結局、自分は政治家的にはまるでならなかったな。これからもなることはなさそうだ。分からないのだけど、大学一年のときに、まさに、言葉どおり「ハマッた」黒人ブルースの影響は絶大だったような気がする。自分が一番惹かれたのは、活躍していた当時はまさに「名も無い」戦前ブルースマンたちの演奏だったのだ。

戦前当時のアメリカのひどい底辺社会に住む黒人の、その、一介のしょうもないブルース歌いの奏でる音楽は、そりゃあ、なんの実質的な力もなく、権威が横行する世の中の底辺でただぶつぶつと愚痴を言っていただけに過ぎない、そんな程度のものだったのに、結局は、その後のポピュラーミュージックの中に浸透して行き、今ではブルースは万遍なく世界のみなのものになるに至った。これは、すごいよね

自分も、権威で天下を取って変革するんじゃなくて、ブルースのように逆の道を辿って世の中に出て行きたいな、と思う


ラーメン屋のおばちゃん

気取ったレストランが多い職場の高層ビルのレストラン街に、ただのラーメン屋が一軒だけある。営業立ち寄りの人や、工事の人なんかがメイン客の店である。今日、昼飯どきにそこでラーメンを食っていたら、お客さんの一人が帰りしなに、食券売りのおばちゃんに声をかけた「ここ何時までやってんの」「十時半ですー」「また来るよ」と言ってにっこり笑って店を出た。そしたら、このおばちゃん、これがよほど嬉しかったらしく、これ以上嬉しそうな顔はできないだろう、というほど満面の笑みでもう一人の給仕のねえちゃんを振り返った。自分は、というとラーメン食いながらこのいかにも水商売が長い風のドラ声で不細工なおばちゃんの笑顔を見ていて、ああ、生きているってことも捨てたもんじゃないな、と思った。今日は久しぶりに二日酔いで仕事をしていて、それで疲れてラーメン食ってたんだけど、こんな風に体が弱っているときって、ときどき、なぜかむやみやたらに生きていることへの感謝心を感じることがある。ああ、たまには二日酔いもいいもんだ、と思った。


無職期間が終わった

さて、今日で3月が終わり、とうとう僕の無職期間も終わる。明日から新しい会社でお仕事である。3月まるまるいっぱい休み、さらに後半の2週間は、本当にどこの会社にも属していない無職の日をすごしたのだけど、あまり特別な感慨もなかったなあ。実は、結局、一ヶ月間ずっと自宅で仕事をしていたので、そのせいで無職って感じがしなかったのだろうな。さらに、自宅仕事は、土日であろうと祭日であろうと一日も休んでいないせいで、逆に社会人になって以来、いちばん熱心に仕事した期間だったかもしれない(笑) それでわかったけど、週末でもバカンスでもなんでも、やっぱり「休み」というのは必要なんだね。休みなく働いていると、こう、なんというか、心が寄り道することができなくなってきて、例えば文学的な感慨とか、閃きとかいうものが日に日に減って行くのが分かる。このブログも3月はなんと4回しか書いていない、というのは、そういう心の切り替えができていないせいで、書くヒマがいくらあっても書くことがなかったからである

明日からまた普通の勤め人になるわけだけど、そうなると、日中仕事をして終わったら通勤電車に乗って帰るときには心が自動的に仕事から離れて自由になるし、週末はやっぱり仕事から離れて自分のことをやることがほとんどだし、そんな生活が始まって、ふたたび元の調子に戻るだろうね

それにしても、学生を卒業して25年たって初めて経験する無職の時間を、もっと違うことに使った方がよかったのかな、と思わぬでもない。思いっきり遊んだり、旅行したり、文学的にすごしたり、といったやり方もあったんだけどね。でも、結局のところ、自分はなんだかんだで忙しくしているときの方が、文学的気分に切り替わるタイミングが自動的にやってくるみたいだ。ふとした隙みたいなところから入り込んで来る感じ。

いずれにせよ、明日から社会復帰である


奇妙な感覚

これまで何度か書いているのだけど、ごくごくたまに、ごくごく短い時間のあいだに、かなり妙な感覚が現れることがある。特に変哲のない、とある「過去の瞬間」が、その過去そのままの形で再現され、体験される瞬間が現れるのである。時計の上でほんの1秒ていどで、それはふと消えてしまう。今日も、そんなことが2,3回あった。これについて以前書いたとき、それはひょっとすると脳の病気の一前兆なので気をつけた方がいい、と心配してくれる人がいたが、たぶんそんなこともないと思う。

それにしても、この感覚が実に実に奇妙なので、現れるたびに驚くのである。それでさっき、ネットで「白昼夢」と「フラッシュバック」という現象をちょっとだけ調べてみたのだけど、白昼夢は一種の空想であり、フラッシュバックは主に過去の強烈な体験がよみがえる現象のようで、どちらも経験されるものが、どちらかというと鮮烈で、変哲ないものとは違っているようである。

それに対して、僕の指している体験は、ごくごく変哲ない過去の再現なのである。たとえば、自分が若いころに住んでいた所のどこか近所に別に理由もなくいつものように立っていてそのとき自分の視界にあった生け垣の葉っぱを眺めていたその体験、みたいな感じのものなのである。それで、その何年前だか分からない、ある時ある所でした体験が、まったくそのままの形でよみがえるのである。視覚でも聴覚でも嗅覚でもない、五感から入力された現実体験とは異なる、「過去そのもの」が現れている、としか形容のしようがない感覚で、驚くのである。

そして、それがごくごく短い間で消え去ってしまう、というのも謎のひとつである。絶対に長く続かない。あまりに奇妙なので、1秒以上長く続くと危険だ、という強い感覚も伴っている。現実との接点を見失ってしまう気がするのである。そりゃそうだろう、過去がそのままよみがえるのだから、その1秒間、自分はまさに正真正銘、真の意味で「過去を生きている」わけだ。その間、「現在」は不在になっているはずだ。そんなことを現実主義の「脳」が許しておくはずがない。

いつからだか自分は、過去というものが過ぎ去って無くなってゆくものだと思わなくなっている。「過去」というものは細大漏らさず、まったくそのままの全体として、そっくりそのままどこかに残っている、と考えるようになった。ただ、その「過去」にアクセスする方法はかなり限られていて、むしろ念入りに隠されているように見える。こうした、あらゆる「制限」をつかさどっているのが「脳」なのだと思う。脳は制限する器官だ、ということを、いろいろな体験を通して納得させられていったような感じである。

もちろん、この考え方は、哲学者のベルグソンの考え方だ。ただし、彼は、この「脳の働き」を膨大な研究の果てに結論付けているわけで、怠け者の僕とは違う。ただ、ベルグソンその人も、きっといろいろな私的体験を経て、まず始めにこの説を確信し、その後に地道な研究を重ねて論証して行ったのだろうと思う。

もし、脳による制限が外れたらどうなるか。きっと自分は過去の海の中にどっぷり浸ってしまい、そのまま過去の中に拡散して、決して現在に戻って来なくなると思う。いや、現在に戻ってこない、というのはヘンだな。「未来」を関知しなくなる、という方が正確だ。なぜって「現在」というのは一種の幻想で、現在は過去と同義に思えるから。しかし、これは、まさに「死ぬ」ということだよね。未来を関知しなくなると、自分は「過去そのもの」に変質するわけだ。それで、未来を関知している人、つまり「生きている人」は、そっくりどこかに残った「過去」を狭い狭い道を通して手に入れて、それを使って「未来」を作ってゆくわけだ。それで、死んで過去そのものになった人は、まさに未来のための肥料になることになる。

ここで、あくまでも、現在生きている人間から見たとき、死んだ人間は「肥料」としてしか残れない、ということが、何らかの摂理なんだろうな。肥料は、それ自体では何の未来も作れない。実に回りくどい化学過程を経て、ようやく植物として未来を形にすることにあずかるわけだ。この回りくどい化学過程をすっ飛ばすことができてしまったら、きっと「生きる」という意味自体が変質してしまうはずだ。

死んだら肥料として残る、ということは、「現在生きている人間」から事を見た場合だが、すでに死んだ人間から見た時は、きっと様相が全然違っていて、先に言ったように最大漏らさずそのまま残った過去と同化するのだろうな。それにしても、ここまで来ると、ごくごくありふれた常識的な生死観とふつうに一致するのだな。別に奇妙な説でもなんでもなく当たり前の話だ。へんなの

などなど、あれこれ考えてみるが、ワケが分からないね。


仕事

昨日、口座の住所変更のため銀行へ行った。待合室のソファに座ってその辺の雑誌をながめていたのだが、その中に、とあるインタビューがあり、その中に、吉田松陰の名前が出ていた。そういえば、死んだ親父の蔵書のほんの一部を自分は持っているのだが、その中に「吉田松陰」という本があったことを思い出した。あれは河上徹太郎のものだ。河上徹太郎は、僕の文学趣味の師匠といってもいい小林秀雄の親友である。家に帰って、さっそく探し出して、ぱらぱらと読んでみた。読みやすい本ではなかったけど、なかなか面白い。さて、この本には吉田松陰を始め、ずいぶんといろいろな人が出てくるが、みなが「国のため」という大義と心持を持って行動しているさまには驚くべきものがある。

それにしても、ひるがえって、たとえば今の政治家を見る自分の眼を思ってみると、「政治家は国のために働いている」という気持ちは実にみじんも湧かない。それでは政治家は金と権力のために働いている、と思うかというと、そういうわけでもない。「政治家は仕事だから働いている」というのが一番近い気がするそれで、その「仕事」が政治だから、政治の世界で「金」と「権力」は避けて通れない、したがって、彼らは金と権力のために動いている、という風に感じる。

ああ、仕事、というのはつまらないな。いや、仕事、という言葉がつまらなくなってしまった。人は仕事をするものだ〜それで何の仕事をするか選ぶ〜選んだ仕事を一生懸命やる〜その仕事人間になる、という道順は逆にならないものか? これは、仕事だけじゃなくて、勉強や結婚や、独立や家庭や、なにやら人生全般について当てはまりそうな手順だ。いろんなことをたまには逆に考えたいよな。

なんだかオレはこれを来る日も来る日もやってるぞ〜まさに一生懸命に働いているではないか〜これって何らかの仕事になってるよな〜オレって人並みに仕事してるじゃん、ってね


ミートホープ

さっき昼飯で、何ヶ月か冷凍になってた肉でマーボードウフ作って食っているとき、味が濃ければミートホープの肉でも全然平気だね、なんていう話をふとしたせいで、ああ、そういえばミートホープって会社あったっけなあ、と思い出し、でも、あの会社はもうつぶれたんじゃなかったっけ、と思ったら、とても哀れになった。

相次いだ日付の付け替え問題の、たしか最初のころに挙げられた会社じゃなかったっけ。もっともこの会社は期限切れの肉だけじゃなくて、牛肉100%に豚肉や鶏肉を入れたり、腐りかけた肉を発色剤をきかせて使っていたり、と、まあ、思いつく限りのひどいことをやっていたことが発覚しており、お奉行様が知ったら「何たる不埒なやつ」と一喝して制裁の一つも加えることも間違いない。

さらに、この会社は典型的な同族会社で、そのやりたい放題の会社運営も容易に想像がつく。同族の幹部たちが、不正をしながら利益は取り放題で、それで私服肥やし放題で、そのしわよせを同族外の幹部たちや従業員におしつけて、おそらくは一族の人々同士もときどきはいがみ合いなどをしながらも、贅沢三昧なんかもしていただろうなあ、と想像できる。

それにもかかわらず、なんだか哀れに感じるんだな。うーん、彼らが哀れ、というより、なんというか「世の中がわびしい」というか、なんだか「倒産に追い込まれて実際に倒産する」その一連の全体の風景に納得の行かないものが残っているように感じるのである。

そりゃあ、悪いことをしたことは悪い。それで私腹を肥やすのも悪い。でも、この会社、仮に心を入れかえて心機一転して続けようとしたって、もう再生は無理だよね。だって食い物は特に信用の問題が大きくて、われわれ消費者の方が断罪してしまうでしょう。信用を取り戻すのに必要以上に長い時間がかかりそうだし、その回復期に、きっとマスコミがさらに毒を仕込んで、結局廃業へ向かわせそうな気がしてしまう。

自分は安くておいしいミートホープのハンバーグをたぶんよろこんでむしゃむしゃ食っていたことがあるはずで、古かろうが、豚鶏だろうが、半分腐ってようが、そうそう大事とも思えず、安くて食えれば別にそれでいいじゃないか、と思う。そういう人は、たぶん、世間に思ったよりたくさんいるんじゃないかな。しかし、「衛生管理に厳格な消費者」という、実は存在しないツクリモノの「消費者」というのが現れて、結局は、その厳格さに従わないものを断罪し続けている。

なんだか僕には、どうしても、その断罪の仕方が気に入らないのである。なぜ、というと、断罪している僕ら消費者が、ほんのかけらほども手を汚していないからである。まったくクリーンなお部屋かなんかにいて、そこで新聞を広げて「衛生管理強化」とか「不正追及」とかいうキーワードを口にするだけで、自分は何一つ傷もつかなければ努力もしないけれど、いわば勝手に、自動的に世の中の衛生管理が進歩する。

苦労をまったくせずに世の中が進歩して暮らしやすくなるんなら、こんないいことはないじゃないか、と言ったっていいが、本当にそうか? 虚業のIT会社が手を汚さずに金儲けしているのと変わるところはあるのか? といいたくなる。世の中を進歩させるのは、本当は世の中を構成している僕らめいめいのはずで、めいめいの人間が手を汚してせっせと作り上げるもので、そんなことは当たり前のはずなのだけど、昨今はなんだか実体のない「概念」がかってに流通して、それで世の中がその概念の通りに変わってゆく、という風に見えることがある

手を汚して作り上げたものには、まさに作っている当の僕らに血が流れているように、作ったものにも血が流れているものだ。しかし、概念だけで作り上げるものは、人体が関与しないので物理法則もやすやすと無視して、ときにものすごく巨大になったりするが、血の通わないがらんどうの建物を思い起こさせる。この、概念でできた大小の建物が、また、やけに僕らの視界をさえぎり、視界を狭くしているような気がして仕方ない、とときどき思うのである。

ミートホープっていうワル会社には、血が通っている(ワルの血かな)。いかにも血の通ったヤツらが手造りした複雑な有機体みたいな代物だったろう。しかし、ミートホープをつぶした「消費者」には血が通っているように思えないのだが、言い過ぎだろうか。

それで、例えばその「消費者」という「概念」は、一体だれが作っているか、ということもはっきりしない。マスコミと政治家がその中核であろうが、それらを祀っているのは我々人民なのだから、結局は国の全体の総意である、と言ってもよさそうだ。それで、まさに、その「総意」が、その「言葉」が、わびしいのである。

さいきんは、血の通ったあたたかい「国」というものが感じられなくてね。この国はつねに欲求不満で、ときに冷酷にも見えたりする。老舗のワル会社ミートホープが倒産した、なんてことをふと思い出すとね、そう思うんだわ。

以上、ちょっと厭世観が入っているが(笑)、なんとか手を汚して世の中をよくしてゆく仕事をしたいもんだ


寒山拾得

半年ぐらい前、雑誌の取材を受けたことがあって、写真も載せるからといってプロが使う連続でやたらとシャッターが切れるカメラで、バシバシ撮られた。それで、雑誌が発刊されて見てみたら、あんなにたくさん撮った中で、たぶん一番アブナイ顔と思われる、笑い顔のヤツが載っていた。その雑誌をたまたま見た知り合いの人にも「ちょっとアブナイ顔してた」って言われたので、きっと本当にそうだったのであろう。

中国の昔の逸話に、とある寺に住み付いている寒山と拾得という名の変な二人の男のお話があり、それを描いた絵を昔どこかで見たことがある。それこそ、アブナイ顔をして笑っている得体の知れない白痴そのものみたいな小男の二人組みの絵である。実は、雑誌に載った自分の写真を見て、ああ、まるで寒山拾得みたいだな、と思ったのだが、はて、なぜ寒山拾得なんていうのを思い出したのだろう、とちょっと不思議に思った。ずいぶんと記憶のかなた向こうにあったものなのに。

それでむかし自分の見た寒山拾得の絵をネットで探してみたのだけど、どうも見つからない。でも、あの、不気味な笑い顔を描いた絵はいくつか見つかった。そうこうしてるうちに、そもそも寒山拾得って何なんだ、と思い調べてみた。自分は絵を知っているだけで、何者なのだかまるで知らなかったのである。そこで、さらに調べてみると、森鴎外の短編にこの寒山拾得があり、ありがたいことに著作権切れのおかげで青空文庫に収録されていて、ネットで全文がすぐに読める。短い文なのでさらさらと読んでいったのだけど、とたんにひどく気に入った。

寒山と拾特は、天台の国清寺というところにいる二人なのだが、ひとりは元は捨て子で今は寺の僧たちの飯係をやっており、もうひとりはその飯のおこぼれをもらいにくるヤツで、なんともロクなやつらじゃないっぽいのだが、この二人が実は文殊と普賢という菩薩なのだ、などと言われているのである。豊干という托鉢僧からたまたまこの寒山と拾得のことを聞いたある地位の高い官吏が、是非、ひと目会ってみたいと思い立ち、その寺へ向うのである。

さて、客は寺に着き、案内の僧に言われるまま、僧たちが飯を食いに来る暗くて空気の悪い飯場へ入る。すると、はたして、暗くてもうもうとした煙の向こうに、竈の火に当たっている小男二人が見える。その風貌は痩せてみすぼらしく、僧が呼びかけると、拾得と思われる男が振り向いてニヤリと笑い、もう一人の寒山とおぼしき方は身動きもしない。そこでこの客が、前へと進み出て、名を名乗り挨拶をしてみると、二人は顔を見合わせてこみ上げるような笑い声を立てたかと思うと、一緒に駆け出してその場を逃げてゆく。逃げしなに寒山が「豊干がしゃべったな」と言うのが聞こえる。その後に、客と案内層が呆然と立っている。それで、話しは終わりである。

どうも、この最後の、暗い洞穴みたいな飯場に火が燃えて寒山拾得が笑う、このシーンが、スペインのゴヤの描いたカプリチョスという戯画シリーズそのものの世界に思えて、とってもいいのだ。この物語には、実際、簡単で分かりやすい教訓を読むこともできるのだけど、そんなのは、まず、つまらない。この短編は、何というか、圧倒的に視覚的なしろものに感じられる。

この「笑い」はカプリチョスの「笑い」とまったく同じで、およそ「言葉」など出る幕はなくて、純粋で手の付けようのない「笑い」そのものな感じがする。意味なんか探そうとしたって、結局はその当の笑いそのものに行き着けない。ただ、何の意味も根拠も無く笑って駆け出すこの寒山と十得が、まるで僕らのいる世界と一切かかわりの無い、どこかまったく違う世界に住んでいる生き物みたいだ。

それにしても、このお話、ずいぶんと気に入ったのである。しかし、それが自分のアブナイ顔を見てよみがえってきたのだからヘンな話で、別にナルシストなはずもなく、だいたいが、あんな得体の知れないのに似てるなんて褒められた話じゃないし。でも、きっと、自分もあんな世界に触れてみたい、と思うことは思うわけで、なんだか分からないが、寒山拾得はこれで改めて自分のお気に入りになった、というお話。


鈴ヶ森

大田区の鈴ヶ森にある刑場は、江戸時代の処刑場の跡として今でも残っている旧跡である。

今から三十年以上前、自分がたしかまだ小学生だったときに親父と自転車でこの鈴ヶ森へ行ったときの光景を、今でも断片的に覚えている。たしか、旧東海道をずっと走って行くと、その外れにものすごく広くて交通量の多い国道があり、そこを突っ切ったところにこんもりとした森があり、その中に鈴ヶ森の刑場があったはずだ。記憶の中では、うっそうとした森に入り、くねくねと道を歩いて分け入ってゆくと、森の真ん中に粗末で無骨な石でできた土台が二つ並んでいて、ひとつには角穴が、そしてもうひとつには丸穴が開いているのである。そばに立っている説明書きによれば、角穴は角材を立てて罪人を縛りつけ槍で突いて処刑するのに使われ、丸穴の方は鉄の丸棒を差込んで罪人を縛りつけ火刑に処するのに使われた、とある。槍で突くだけならば角材でいい、しかし火炙りの場合は角材では燃えてしまうので鉄の棒にしなくてはならずそれで丸穴が使われた、という単純極まりない、ごく当たり前な理屈でこの処刑場には丸穴と角穴が開いた石が二つ並んでいる。しかし、なんだか、これが自分にはとても神秘的に感じられて、うっそうとした森の中心にある四角と丸というイメージが心のどこかに染み付いたように思う。説明書きにはさらに、男恋しさに江戸の町に火を放った、かの江戸屋お七はここで火刑に処せられた、とある。だれのものか知らないが、業火に包まれる江戸の町を背景に火事を知らせる鐘を打ち鳴らす悲壮な表情の江戸屋お七を描いた浮世絵をどこかで見たことがある。恋心と火と惨劇と、そして火炙りと死があって、しかしこんな激情も、最後の最後には何百年も続いた森の中の、変哲のない角穴と丸穴に形を変えて、それが今ひっそりと自分の目の前に並んでいる。たしか、昔、鈴ヶ森へ行ったときは晴れたよい天気で、この刑場にもおだやかな光が差し込んで、あたりは妙に静かだったのである。激情と静寂と、そして鬱蒼とした森の中の四角と丸と、この対照の中に、強烈なもののあはれが漂っているのを感じられないか。当時子供だった自分には、もののあはれなどという言葉は無かったのだけど、ひょっとすると今よりもそれを強く感じていたのかもしれない。

ところで、これは日本のどこにでもある成り行きだが、鈴ヶ森の刑場跡は、道路と地域再開発で周りの森をぎりぎりまで削られ、今ではほんの狭い三角形の土地が残り、中央の刑場だけが残っている。木もまばらになり、刑場の二つの石も外から素通しで、土地すれすれまで来た拡幅された国道を走る車の騒音がごうごうとうるさい丸裸なところになってしまった。


国家の品格

世間で話題になっている本というものを読むことはほとんどなく、むしろ意識的に敬遠する傾向があり、まず、たいていが読まないままである。あるいは、みなが忘れた頃になって偶然手にする、ということもあるが、それも自分から買って読むのではなく、借りて読んだり、たまたまどこかに転がっていたから手に取ったり、といった風で、つくづくひねくれている。なんだか、流行の本を読む、というのが恥ずかしくてね、イヤなのである。

それで、この有名な「国家の品格」だけれど、もちろん敬遠していたのだが、たまたまうちの社長と昼飯食いに行ったとき藤原正彦の話が出て、それで、ならば自分も読んでみようかな、と言ったのがきっかけで読むことにした。とはいえ、相変わらず買いはせず、図書館で借りてきた。ちなみに、かの「バカの壁」だって、結局は読んだのである。こちらは会社の人に借りて読んだ。いけませんね、買わなくちゃ(笑)

非常に読みやすい本で、さすが数学者である。すこぶる論理的で明快な文章で、難しい部分がまったく無い。もっとも、この人、親が作家だったそうで、文才は親譲りなのかもしれない。たしかにこれを読むと、一時的に、日本礼賛な、右翼な人間になりそうだね。内容については、ほとんど一箇所たりと自分として反対するところが無く、ほとんどすべての見解に賛成である。

と、まあ、そういうことであっという間に読み終わってしまい、すべての意見に賛成で、結局引っかかる部分がまったくなく、読む前の自分と読んだあとの自分に、なんら変化がない結果となった。まるで、軽い運動の後で、甘さ控えめのアイソトニックドリンクをごくごくっと飲んだみたいな読後感である。どうにもこうにも感想の書きようもない。こんなに軽い読み物でいいんだろうか、と思わなくも無い。

やっぱり自分は、恋人と口げんかしてさんざん悩んだ末にくたびれ果てて、そんなときに飲む一杯の酒、みたいな読後感を求めたいもんだ(笑) 結局は、悩んで苦しんで途方に暮れて、というノリを求める性情は変わりようがないのかね。ときどき自分でうんざりすることもあるが、もう仕方がない。そういう性質の人間から見ると、この本は悩みが無さすぎて、その部分に賛同できないような気がしてくる。ただこれは言われている内容とはほとんど関係の無い部分で、むしろ、藤原正彦を作家として見たときファンにはなれない、と言っているだけなのであって、彼の本職は数学なのだから、別に支障もないはず。

内容については、武士道を礼賛していて、自分はその意味的な部分は賛成だけれど、実はあの武士道と呼ばれている典型的な日本的感覚にどうもなじめない。そう考えると、先に言ったように、この本の内容には賛成だが軽すぎる感覚が合わない、というのと同じく、日本礼賛についても、内容は賛成だけれど好きになれず、敬遠したくなる、ということ。それで、自分の嫌いな日本感覚は、軽いのとは逆で、たとえば武士道が重くてシリアス過ぎるように感じられるところから来ている。日本には元来、楽天的で南国的なもうひとつの姿があるはずで、それを極度に嫌って封じ込めている精神に感じられるのがイヤなのだ。

でも、それにしても、こういう有名な先生が、「役に立たないことをたくさんやらなければダメだ」と言ってくれると自分としては本当に助かる(笑)


富貴蘭

園芸のお店や、ちょっとしたイベントの出店などで、富貴蘭というランを売っていることがあるのだけど、あれは素人からみると、不思議な、渋い、変わった趣味だね。むかし、よくちょっと風流な感じの人の自宅に遊びに行くと、玄関なんかに地味な葉っぱだけが生えた植物が、たいそうな焼き物に入って置いてあったりするのをよく見かけた。今になって思うと、あれは富貴蘭、またはそれ系の植物で、実はえらく高級な代物だったんだな。富貴蘭の売り場を好奇心で見て回ると、暗い緑色をした厚手のニラみたいな形の地味な葉っぱが数枚しょぼしょぼと生えただけに見えるやつに、10万円、20万円という値段がついているのを見かけるから、かなり贅沢な趣味であることは間違いない。調べてみると、富貴蘭にも、もちろん花は咲き、花とその香りもポイントのようである。しかし、花はけっこう地味だし、やはり一番よく見る、あの地味な「葉っぱ」が重要のようである。しかし、ごく俗っぽい意味での「きれい」という感覚からいうと、あの葉っぱは「きれい」とは形容しがたいものがある。にも、かかわらず、これをいろんな角度から鑑賞して、こういう趣味の世界を作っているのだから、実際たいしたものだ。もうひとつは、歴史が古い、というのもあるんだろうね。ほとんど唯一残った「古典園芸」だそうだから。それからあと、富貴蘭について調べていて面白かったのが、富貴蘭の良し悪しはその個体が持っている「芸」で判断したいものです、なんて書いてある。やっぱり、単にきれいだなんだなどというだけでない、深い深い世界が広がっているようだね。ちょっと骨董品趣味に近いものがありそうだ、もうちょっと調べてみることにしよう。


チップ

シンガポールのチャイナタウンを一人でうろうろしてくたびれたので、道端沿いのお店のテーブルに座ってビールを注文した。南国の暑い中で、冷たいビールにはホントにほっとする。何もすることがないので、ビールを飲みながら漫然と人ごみを見ていたのだけど、いろんな人がたくさん観察できてなかなか楽しい。一瓶飲み終わって、お勘定して、気分がよかったので一ドルコインを置いて席を立って、また人ごみの中を歩いていった。立ち去りながら、これまでチップというのはホントに面倒なものだなあ、と思うことが多かったし、ここ最近は外国でもチップを置かないことに決めたりしていたけれど、こんな風に見返りも要求せずに、純粋に「お礼」という意味だけでお金を置いて行く習慣というのも、実は、けっこう感心したものだなあ、と思った。お店と自分に、無言のなごやかな信頼関係ができたみたいに感じて、それが気持ちよかった。