目次
はじめに
西側の間違い
ロシアとエネルギー問題
3つの仮説、そして4つ目の理由
ドストエフスキーとソルジェニーツィン
プーチンとロシア正教、西側の堕落
アメリカにおける劣化
無矛盾の原則
欧米人は完全に気が狂っている
結末としての悲観的予測
ロシアは負ける気はない
おわりに

はじめに

皆さん、こんにちは。

今日は、私が約一ヶ月にわたって外交政策の多くの専門家と慎重に評価しながら、最近書いた文章を読んでみたいと思います。

その文の題名は、「ロシア対ウクライナ、あるいは西側諸国の内戦?」です。

私たちは今、ロシアとの紛争に数ヶ月を費やしています。

いま私は「私たち」と言いました。というのも、私たちは西側にいて、本当の戦争はロシアとウクライナの間で起こっている、と装っているからです。しかし、いやいや、そんなはずはない。「もし西側がある意味密かにウクライナを全面的に支援すれば、おそらくロシア人は愚かで後進的で気づかないだろうし、同時に、長く困難で想像を絶する破壊的な戦争の見通しをちらつかせないことを、装うことができる」というのです。

最初に言っておきますが、プーチンのやったことは非良心的だと思います。

それは神のみぞ知る、です。黙示録の4頭の騎兵が再び行進している、これが、どのような影響を及ぼすか。また、ロシア正教会の指導者がこれに共謀したことは、さらに許しがたいことだと思います。

それはともかく、私はこの戦争の動機を深く理解する試みが必要だと考えています。なぜなら、そのような理解がない限り、将来の同様の惨事を避けることはおろか、この紛争の拡大を止めることも、事態を正すことも非常に難しいからです。

私は、アメリカの外交政策専門家であるフレデリック・ケーガンとYouTubeチャンネルやポッドキャストで公開対談を行いました。ケーガンは、政治経験が豊富で外交政策についても同時に知識を持つアメリカの保守派の仲間たちから推薦された人物です。

ケーガンはどちらかというとタカ派的な考え方と評判で、私が彼を呼んだことについて、私のYouTubeチャンネルに付いているソーシャルメディアのコメント欄で批判されました。

ところで、私たちのこのYouTubeの共同エピソードは、少なくとも300万人が見たり聞いたりしているのです。これは、この私たちの議論が、公共の場で何らかのインパクトを及ぼしたという証拠を示すために言っていることです。

ケーガン博士は、ウラジミール・プーチンは典型的な権威主義者であるという説を発表しました。ロシアがウクライナに進出したのは、ソビエト連邦を特徴づける帝国的な拡張主義の表現と見るのが適切だろうというものです。つまり、これは冷戦の第2ラウンドだといいます。この見方に加えて、プーチンを、ロシアの愛国心とそれに付随するポピュリズムに乗じて、帝王を気取り、個人の権力の無制限の拡大への欲求を求める、自己陶酔した、ヒットラー型の悪党だ、と解釈しています。

ロシアの侵略に対して、西側の愛国的反応と呼ばれるものを特徴づけているように見えるこの視点には、非常に現実的な正当性があります。

それは、ロシアという敵に対抗するために、西側が団結するための論理の一部であり、戦争状態にあるかどうか、白か黒かを決定することを正当化する論理の一部であるように思われます。

もしこれが戦争であるなら、「敵は悪者なのか?」という疑問が生じます。そして、もし敵が悪者でないのなら、「戦争は許されない」という理由で、我々は戦意を喪失した状態で戦いに突入し、それで勝利の可能性が損なわれてしまうことになります。

しかし、戦争を正当化する主な理由の1つは、おそらくそこに何か得るものがあるから、ということです。ところが、私は、現在の状況で私たちが得るものはほとんどなく、失うものがとても大きいと見ています。

ロシアは核保有国です。私たちは、そのロシアを窮地に追いやるという、非常に現実的なリスクを負っています。

そして、そのリスクは、現在私たちが直面している災害の選択肢の一つに過ぎないのです。

西側の間違い

ケーガン博士と私のやりとりを見ていた多くの人が、シカゴ大学のジョン・ミアシャイマー博士が提唱する別の解釈を知ることで、この件についての私の理解を深めるよう勧めてくれました。

彼は、西側の間違いを、より具体的に強調しています。

ミアシャイマー博士の極めて先見性のある、2015年に行われたシカゴ大学での講義「なぜウクライナ戦争は西側のせいなのか」は、YouTubeで見ることができて、学術講義としては前例のない3千万人が視聴しています。

最初、私は、ミアシャイマー氏が、比較的単純な方法でロシアの擁護者になっているのではないかと懸念しましたが、そうではないようです。

ミアシャイマー氏は、1時間の講演で、NATOとEUのウクライナへの拡張主義、ウクライナへのEU加盟の誘い、NATOのウクライナへの拡張が望ましいという公式声明は、すでに、そしてこれからも、ウクライナをより広いロシアの利益圏の不可欠な一部とみなすロシア国民にとって耐え難い脅威となる、と説明しています。そしてウクライナは1812年と1941年にロシアを侵略してひどい影響を及ぼしたヨーロッパとの間で必要な緩衝材であり、そしてヨーロッパはウクライナがロシア化することを前より信頼することができません。

ミアシャイマー氏は、この見解の前者を、例えばソ連のミサイルがキューバに移動することに関して、西半球を神聖視するアメリカのモンロー主義と比較し、後者を、ロシアにとってのウクライナの重要性が極めて高く、西欧にとってのウクライナは、ロシアの天然ガスの輸送のためと、浅ましい道徳的な目的のためのウクライナの利用ということ以外は、無関係である、という厳しい現実を語っています。

ミアシャイマー氏は、プーチンの潜在的な動機のかなりの部分を説明するために、はっきりとこう述べています ─ 「ロシアは、ウクライナが西側の勢力圏に安住するよりも、むしろウクライナの破壊を望んでいる」ミアシャイマー氏は、これを先月や先週のウクライナ侵攻についてではなく、すでに7年前の2015年にこのような発言をしているのです。

ミアシャイマー氏はまた、2014年に広範な親EUデモの余波で退陣したウクライナ大統領ヤヌコビッチは、国の南東部を圧倒的に占めているロシア語を話すウクライナ人の明確な志向と選択であると主張しています。そして、西側のすべてを支持する現大統領のゼレンスキーは、北東部に住むウクライナ語を話す人々に支持されています。

さらに、ウクライナ語を話す政府が北西部に住むロシア語を話す人々の言語使用権に対してますます強硬な制限を加えているという事実も、自国における複数の言語の複雑さのバランスを取るすべての西洋人が特に敏感に理解すべき事実です。

こうして結局、プーチンとロシア国民は、ウクライナ情勢を懸念する理由があると言うことです。

ロシアとエネルギー問題

この2つの紛争の理論に、エネルギー問題についての考察を加えることはできると思います。

ロシアは、世界の石油と天然ガスの供給の約15パーセントを供給する石油の巨人であり、その収入が国家予算の約50パーセント、GDPの約30パーセントを占めていて、この単一の資源に極度に依存しています。

ロシアが輸出する化石燃料のほぼ半分は、ヨーロッパに運ばれています。ヨーロッパは、特に環境問題に対する間違った道徳的スタンスのために、主要な必需品の一つをこうした外部資源に危険なほど依存することを許してしまったのです。

ロシアが石油やガスを市場に出すのはそれほど簡単ではありません。それは、この国が現実的にはかなり内陸に位置しているからです。そのため、大規模なパイプラインを建設する必要があります。

そのため、ロシア経済が基本的に依存しているヨーロッパ市場に供給するパイプラインのうち2つは、現在では他の国々を経由しています。

このことは、少なくともロシアにとっては都合が悪い。ロシアとウクライナの間には紛争が絶えないし、より大きなパートナーの傀儡国家であるベラルーシにロシアが常に干渉するようになったのは確かです。

ソビエト帝国が崩壊すると、カスピ海周辺の巨大な油田は、カザフスタン、アゼルバイジャン、ウズベキスタン、トルクメニスタンという新しい国々の手に突然渡りました。1989年以降、これらの資源は西側のエネルギー企業から大きな注目を集め、新興国の自由な生産は、ロシアのヨーロッパ・エネルギー市場の支配に対する脅威となりました。

特にアゼルバイジャンは、偶然にも、2008年にロシアが侵攻したジョージアを経由して、石油を渇望する西側市場へ供給する独自のパイプラインが走っていたため、この地域は終わりのない緊張状態に陥っています。

そんなわけで、トルコとアルバニアは、石油輸出におけるロシアの支配を部分的に回避しています。

この相対的な独立の出現により、アゼルバイジャンはモスクワを中心とする勢力圏からさらに離れ、この地域の他のポストソビエト発展途上国に対して、ロシアから見て心配ごとの見本となっています。

さらに、ロシアの石油とガスの輸出のうち80%はウクライナを経由しなければならなかったのですが、この問題は多少改善されたものの、問題の舞台は昔も今も変わっていないのです。

2005年、オレンジ革命が起こり、親欧米を標榜するヴィクトル・ユシェンコ政権が誕生したことで、この問題は特に顕著になりました。その直後、ロシアはウクライナに対し、同国を縦断するパイプラインシステムの所有権を譲り渡すよう要求しました。

この要求を拒否されたロシアは、冬の間、ウクライナに石油資源を供給する蛇口を一時的に閉じましたが、ウクライナのこの石油資源への依存度も実際、非常に高かったのです。

また、ウクライナには2010年頃に発見された膨大な石油資源があり、特にカスピ海周辺や北東部には十分な天然ガスがあるので、ヨーロッパへの資源の主要供給国になる可能性もあり、ヨーロッパのロシア資源への依存を脅かす存在になりえます。

また、ウクライナは、現在の戦争が終わってからかもしれませんが、膨大な石油資源の貯蔵能力を有しており、突然の供給制限に対する緩衝剤として、ロシアが欧州の顧客に及ぼす影響力を制限することができます。

この10年間、ウクライナはエクソンモービル・シェルとシェブロンとの間で、新しい資源の開発と輸出に関する協定を積極的に進めてきました。

2014年にウクライナで親欧米革命が起こり、当時の親ロシア政権が倒されましたが、新しい政権はロシアを安心させることをほとんどしませんでした。その結果、クリミア侵攻により、ウクライナの新しい石油埋蔵量のかなりの部分がロシアの手に渡ることになりました。その後、親ロシア派の分離主義者を支援するために、前述の北東部のドンバス地方に懲罰的に侵攻したのも、おそらく同様の理由からでしょう。

3つの仮説、そして4つ目の理由

というわけで、ここまでのところ、次がロシアとウクライナ戦争の理由に関する3つの仮説です。

第一に、プーチンは帝国主義的なソビエト時代のヒットラー的な悪党である。

第二に、ロシアは、不用意で挑発的な西側の拡張主義に脅かされ、ウクライナへ侵攻した。ウクライナは、我々西側にとって得難い道徳的美徳が問われるとき以外は、実際にはどうでもいいと思っている国であるが、ロシアのアイデンティティと安全保障にとっては重要な国である。

第三に、ロシアは主にガソリンでまかなわれる経済を、特にヨーロッパ市場との関係で維持することを懸念している。

しかし、この戦争とその勃発の事実を説明するには、3つの理由だけでは十分ではありません。そして今、この文を「西側の内戦」と題したのは、まさに4つ目の理由があるからなのです。

ドストエフスキーとソルジェニーツィン

数週間前、私の視聴者、読者、あるいはリスナーの一人が、偉大なロシアの小説家ドストエフスキーの「作家の日記」を送ってきました。

ドストエフスキーは、彼の長編小説の2倍の長さの「作家の日記」を、彼の優れた業績とみなしていました。

この作品は、彼が「市民」という保守的な週刊誌に連載コラムとして掲載したハイブリッド作品です。この作品は熟練したジャーナリストとしての仕事であり、そこで、偉大なロシアの作家である彼が、知的で、より政治的な論点を補強するために自身の小説の作品を用い、それらを大胆に組み合わせたものです。

その中でドストエフスキーは、祖国の運命について、キリスト教におけるロシアの役割と決定的に不可分であると考え、その古風な概念について概説しています。

ロシアはカトリックでもプロテスタントでもなく、宗教的には正統教義(ロシア正教)です。

この事実は、ロシアを含む西側諸国が現在置かれている恐ろしい状況を正しく理解する上で、依然として重要な意味を持つと私は考えています。

ドストエフスキーは、哲学的な、あるいはもっと深い神学的な問題に取り組んでいました。

西洋における意味崩壊の危機は、今日再び重要な心理的、社会的重要性を帯びてきている問題なのです。

彼の『罪と罰』は、真実と偽り、あるいは善と悪の問題に焦点を当てた心理学的な追求でした。宗教的な前提を排除してしまった人間は、今や完全に自由に選択することができるのだろうか、たとえそれが殺人の問題であってさえも、というのがこの小説の主題でした。

また、ドストエフスキーは「カラマーゾフの兄弟」の中で、神が死んだ今、すべてが許されるだろうか、と問いかけています。

彼は、信仰がどのような形をとるかを問うているのです。そして、伝統的な信仰が崩壊したとき、どのような恐ろしい悪魔が、いなくなった神の代わりを取るのか、ということをです。

ドストエフスキーは、正教の教義である神化の中心となる、より心理的な意味でのキリスト教の復活の必要性を熱烈に信じていました。それは、神との一体化を目指す個人の変容の過程なのです。

そして彼は、ロシア人がその復活の中心的な役割を果たすと信じていました。

これを聞いたり、見たり、読んだりしている人は、そんな古風で難解なことが、現在のこの戦争の現実と何の関係があるのだろうと思うかもしれません。

しかし、それは西側に住む私たちの表面的理解と無知を示すもので、このようなことが世界情勢と関連していない、というわけではないのです。

アレクサンドル・ソルジェニーツィンが、冷戦時代の世界の根幹を揺るがした「収容所群島」という本を書いたとき、彼は、ドストエフスキーのように、共産主義の破局による革命的混乱より前の時代にあった、漸進的な有機的発展の道にロシア人が戻ることが必要であると言っています。それは、正教信仰への回帰を意味していました。

プーチンとロシア正教、西側の堕落

ロシアでは、教会や聖堂の建設が盛んに行われ、キリスト教が復活する兆しがあります。

プーチン自身は基本的にクリスチャンです。そして、そのような思想に強く影響を受けているようです。

プーチンの持つ世界観と、自らが信者であると公言するキリスト教によって、彼の行動がどのぐらい形成されるに至っているか、ということは、議論の対象としてふさわしい話題でしょう。

しかし、同じことが、ある信仰を採用したり主張したりするすべての人の見解と行動についても言えているのです。

私は、プーチンが自分自身を、たとえ不確定であっても、自分自身を超えた何かに従っている、と考えていることを知っていれば、確かにいくらか安心できます。そうでないとしたときの代替案は、彼の信念の深さや真偽にかかわらず、スターリンのような人物の持つずうずうしくも絶対的な道徳であると考えることになり、それは恐ろしいことです。

しかし、このロシアの指導者が、西側の道徳的退廃に対する防波堤として自国の役割をしばしば語っていることには議論の余地はありません。

彼は西側の指導者では考えられないような哲学的、神学的な言葉で語るのです。一方、西側のリーダーたちはそのような言葉を見下す傾向があって、それは、カナダのジャスティン・トルドー、ニュージーランドのジャシンダ・アーダーン、アメリカのカマラ・ハリス副大統領などにその典型を見ることができます。

そしてプーチンはまた、本物の哲学者アレクサンドル・ドゥーギンと共同で思考しています。

哲学者としてのドゥーギンをどう評価するかは自由ですが、こうした考え方がプーチンとロシアに深い影響を及ぼしていることは事実です。

プーチンは、現在の西側諸国を、特に文化的、宗教的な面において、金輪際信頼できないほど退廃的であるとみなしているのです。

プーチンは、経済的・政治的な必要性から、ロシアが必要とする西側の通貨を得るために、化石燃料をヨーロッパに供給し、我々と貿易することを求めています。

しかし、プーチンは、我々西側があまりにある思想に深く支配されている、と常に自らの国民に語っているのです。その思想は、かつてロシアにおいて共産主義運動の革命的熱狂を生み出したものと非常によく似ていて、それは、ドストエフスキーが小説「悪霊」の中で先見の明をもって詳細を語り、ソルジェニーツィンがその破滅的な結果を注意深く分析したところのものです。

プーチンがこれを信じるかどうかは別として、私は彼が信じていると思います。

彼は、国民にわれわれ西側を警戒させ、自分のリーダーシップの必要性を納得させ、ウクライナでの彼の行動を支持させるために、我々西側の退廃の物語を利用することができ、喜んでいることは確かでしょう。

ハンガリーのオルバン首相がハンガリー人を惹きつけ、ポーランドのルペン大統領がフランスで同様の訴えをするのも、これと似たようなことが言えるのではないでしょうか。

アメリカにおける劣化

では、私たちは深い脅威を感じるほど、堕落しているのでしょうか。

私は、その答えは「イエス」であろうか、と思います。

私たちが文化戦争に陥っているという考え方は、一般的に言われていることです。では、その戦争はどの程度深刻なのでしょうか?

その戦争はどれほど深刻なのか、それは、ロシアが、歴史的にロシアの勢力圏の重要な部分であるウクライナから、病的な状態に陥った西側を排除するためだけに、ウクライナに侵攻して無力化させる可能性を高めるほど深刻なのでしょうか。

この疑問に答えるために、西側の政治思想の発展に広く影響を及ぼす、最近の米国における一連の重要な出来事の分析に目を向けることにしましょう。

バイデン政権が新しい最高裁判事の指名プロセスを開始したとき、最初に次のひとつのメッセージが喧伝されました、「今こそ黒人女性が最高裁判所の判事を務めるべき時だ」と。

民主党が正気であるよりも妄想的であることを目撃したいような人として、これは、私は、ひどい戦略上の間違いだと思いました。

彼らはなぜ、まず、最も信頼できる候補者を探す、ということを発表し、次に倫理的に、幸運な性別と遺伝子構造を持つ候補者を発見したことを報告する、という道を取らなかったのでしょう? その順序は、民主党の込み入った内部の中でも、最も理にかなっているのではないでしょうか。資格という事実がまず第一であって、第二の考え方として、その資格を持った人が同時に、努力する少数派や恵まれない人々の道標になるような人物であると。性別や人種が第一ではなくて。

ここで疑問が生じます。資格はむしろ本当に重要だったのか?

技術的に言えば、女性と黒人の候補者を優先的に制限するということは、候補者の潜在的なプールを50%制限することを意味しますよね、それは女性対男性のおおよその分布の通りです。それで、アメリカの黒人市民が人口の13%を構成しているので、その半分の女性の中の13%です。

つまり、最も有能な候補者を選ぶそもそもの確率は、100 マイナス 0.5×0.13=93.5%という先験的な制約があるわけです。これはとてつもない制限です。

つまり、黒人女性を選ぶことが非常に重要であり(これは私の言葉じゃないですよ)、そうすると、20人中18人の有能な候補者が門前払いされるということです。

このような制限は、その職責の重要性に鑑みれば、よほどの理由がない限り正当化されないものであり、そもそも本末転倒です。特に、能力と業績の関係は非線形なので、それは正しいはずなのです。

ある仕事の優秀な候補者は、非常に優秀な候補者よりもわずかに優れているだけでなく、多くの場合、比較にならないほど優れています。能力の点で99%台の人と99.9%台の人の違いは、100人のうちの最高の人と1000人のうちの最高の人の違いで、これは非常に大きな違いなので、その結果は世界を変え得るし、変えてきました。この違いは、問題のポジションが極めて重要である場合に特に重要です。

この点について私がツイートしたところ、私の、知的で、有能で、賞賛すべき民主党員の友人たちから、すぐに評価を受けました。

彼らは、「あなたは技術的な意味では正しいが、このような人事が政治的な理由でなされる度合いを根本的に見くびっている」、と言いました。 「かつても、そのように最初から、これと等しい程度に候補者群を減少させる理由もあった」、と。「もっとも、それは人種や性別とそれほど明白に関連するものではありませんでしたが。あなたのように異論を唱えることは人種間の緊張を高めることになり、何の役にも立ちません」、などなど。さらに、「問題の候補者は純粋な資格という理由で受け入れ可能な閾値を満たしているか、超えているし、マイノリティであるという利点は、歴史的な内容を考慮すると、彼女に有利な本物の擁護できる性質と言える」、と。

このように言ってくれた人たちの言葉を真摯に受け止め、私はある意味それで引き下がったのですが、「わかった、もうあんたらに任せる」と思いました。

私は、黒人女性の必要性を最初に発表したことは、まったく愚かで、最悪で許しがたい種類の迎合だったと今でも思っていますが、これまでの人事に対する彼らの批判は的を射ているかもしれませんね。

また、彼女が最も有能な候補者である可能性は限りなくゼロに近いと思いますが、これまでの指名の信頼性の低さを考えると、彼女は間違いなく受け入れられるほど信頼できるように思えます。

そして、私のような考えの持ち主で、彼女の最終的な資格取得につながった公聴会に直接関わった人たちのほとんどが、同じように感じたと思うのです。

また、共和党の前指名者であるカバノーの公聴会でのような、ゆっくり炙り焼かれるようなことはありませんでした。とはいえ、性別や人種が資格に優先することは事実であることに変わりはなく、その決定についてそのような道義的な理由が作られたわけです。

そして、それ自体は西洋の錯乱の兆候を示すものではありません。

しかし、しかしですよ。同じ候補者が確認プロセス中のインタビューで、ひどくダイレクトな「女性とは何ですか」という引っ掛け質問をされたとき、それは、現在の私たちの錯乱のレベルの深刻さを示すに過ぎず、だから、引っ掛けである以上、答えられなかったことの言い訳は最初からなかったんです。

彼女は、「私は生物学者ではありません」と答えました.

それは良い答えとは言えません。しかし、彼女はその質問が仕組まれたものであることをよく知っていました。質問を提起したインタビューワーもそうです。 彼女は、インタビュワーもそうであるように、どのように答えても自分は責め立てられるだろう、ということを知っていたのです。結果、彼女は問題を完全に回避しましたが、それは、恐ろしい過激派左翼に敵対しないように特別に考えられた方法でそれを行ったというわけです。

そして、私は、彼女がそのようにした道徳的権利を認めてもよいと思っています。なぜなら、誰も責め立てられたくはないし、誰もいじめられたくはない、単に、正気と誠実さのかけらもない人なら誰でもわかるような質問に答えたからといって、です。

しかし、それを踏まえてもなお、私はそこにいたくないのです。

それは、承認プロセスが終了した時のことで、バイデン政権とその盟友たちから、恥ずかしげもなく、絶え間なく、希望する候補者が、性別と人種に基づいた当初の募集によって就任したことを祝うように命じられたのです。そして、まさにその時、私たちは同時にこれについて半信半疑なままでいるように命じられたのです(道徳的な理由で、です)、決定プロセスに性別というカテゴリーが有効に存在したのかどうかということをです。

無矛盾の原則

ここに原則があります。それは無矛盾の原則です。原則的としてこれを受け入れることが、言説の実践そのものの基礎の一つとなるものです。

その原則とは、「Aと、Aでないものが同一である、と主張することは、根本的に不合理であり、救いようがないほど非合理である」という主張です。

なぜかって? だって、あるものが、何かであり、何かでない、と同時に主張できるのであれば、あなたは何でも主張することができ、何でも真実と主張できるのであれば、あなたと話すことは不可能になるからです。それは理性と合理的な言説の領域から逸脱しているのです。

あなたは理性の領域から逸脱している。これは、あなたが錯乱していることを意味します。そして、このことはあなたが劣化したことを意味します。

このことは、そのあなたが錯乱であり劣化であると指摘することができない人すべては、同じ運命の船の漕ぎ手になっていることを意味します。これは、あなたと、そのあなたを指摘しないすべての人が、正気でなくなったことを意味します。

この原理は、私たちの社会で常に言われる、矛盾を受け入れなければならないという主張に対抗するものです。性的傾向や欲望は、どんなに危険で社会的に破壊的であっても、単に許容されるだけではなく、賞賛されなければならず、プライド月間であり、公然とであり、快楽追求として望ましく、絶対に無害とみなされる、そのような主張です。

しかし、セックスはいま同時に非常に危険なものになっています。ひとつ例を取りましょう。大学のキャンパスに若い男女が一緒にいるだけで、それは、その本質的な性質が深く家父長的な搾取に根差しているとみなされるのです、アンドレア・ドワキンやキャサリン・マッキノンが主張したように、たとえ任意であってもレイプと等しいとされます。したがって、男女の間では、裁判でも通用するような正確さで交わされた明確な同意が、必ず先行しなければならないということになるのです。

さらに、今の私たちの社会では、男女の違いは、生理学的なレベルにおいてさえ、純粋に文化的なものであると考えられています。そこには何の目印もなく、生殖器ですらなく、乳児の男の子と女の子を確実に区別できるようなものは存在しないとされています。

それでも違いはまだ残っているかもしれませんが、その人の運命へのそれらの存在の影響においてそれは生物学的には無視できるほど取るに足らないもので、それは、簡単に、適切に、そして必然的に、文化的に修正することが可能だとされています。しかし、性別の決定は、命にかかわるほどで、単独になされねばならず、極めて重要なことで、それはメンタルヘルス的にも同じであって、したがって、誤った性別判断行為は犯罪なのです。

そして、未成年への性転換などの外科的介入は、子供の性同一性障害というますます一般的になっているケースへの介入として、法律で罰せられることのない、積極的な善なる行為であるとされているのです。

このような矛盾が急進派を悩ますことはありません。実際、彼らは自分たちが思っているよりもずっと急進的なのです。彼らは、我々の社会を不安定にし、資本主義を終わらせ、自由市場を破壊し、啓蒙主義の抑圧を崩壊させ、我々の文化の根底にあるユダヤ教やアブラハムの公理を弱めて破壊し、そのようなことを実行しながら、その結果が生む炎の中で狂喜して踊り狂って熱狂しているのです。

そして、もしあなたがこれらの考え方が何らかの深刻な方法で攻撃を受けていると思わないのであれば、あなたは盲目であり、故意にそうしているのであり、そして落とし穴に向かっているのです。本当です。

欧米人は完全に気が狂っている

そして、それこそ、ロシア人、ハンガリー人、ポーランド人、インド人、といった人たちは多分に、その彼らを見て、彼らは気が狂っている、と思ってはいないでしょうか?

西側の文化戦争は現実であり、文化は失われつつあり、ロシアは西側の一部であり、文化戦争は今や私たちが戦争を起こす理由の一部であり、それは本当の戦争である、ということをもう一度はっきりと言わなければなりません。

そして、だから私たちは道徳的に高い見地にあるわけではなく、それはミアシャイマー氏が詳しく説明した理由の一部や、狂気という理由によって、明白なことなのです。実際、ここにどれだけのものがあるのかは、最も深刻な議論の対象となるべきもので、私はフレデリック・ケーガンのような人の助言も真剣に受け止めている人間としてこれを言っているのです。

こうして、ロシア国民は、その帝国主義的野心、民族主義的ポピュリズム、指導者の潜在的な凶悪性などを考慮した上で、彼らにとって都合の良いことと、我々西側に対する正確な関係を、組み合わせた上で考えているのです。

たとえば、「欧米人は、完全に気が狂っていて、私たちロシアを一世紀にわたって破滅させたまさにその思想に取り憑かれていて、私たちは彼らを信用することはできない」、「欧米人は、完全に気が狂っていて、荒廃しているが中立のウクライナの方が、アメリカやヨーロッパと同盟を結んでいる機能的な国境国家であるより望ましいと考えている」、「欧米人は、完全に気が狂っていて、核戦争の瀬戸際まで世界を押しやり、それを超える可能性もある。私たちが以前にそこにいて、戻ってこないので、彼らを私たちの玄関口から遠ざけるために」といったようにです。

これらはまさにプーチンがロシア国民に対して言っていることです。

そして、彼らはそれを信じています。

ある意味では、プーチン自身がそれを信じているかどうかは、問題ではないのです(私は彼がそれを信じていると思いますが)それは、彼の個人的な野心と自己拡大との関係、攻撃への意欲、復活したロシア帝国への切望など、彼が信じる可能性のある他のすべてのものとともに、ロシア国民には自分たちには最高の道徳的義務があり、欧米の退廃した哲学や神学に反対する責務があると信じているのです。

そういう何かがあるのです。

そして、それは間違ってはいないのです。

だから、ロシアのウクライナへの侵攻は、本当の意味で「西側の内戦」なのです。

また、指摘しておかなければならないことがあります。

西側諸国をますます支配している情け深い権威主義の悪夢に反対しているのは、ロシア人だけではありません。

かつてスターリン主義の重荷に下に喘いでいたすべての東欧諸国は、かつての賢明な同盟国の間で、こうした頭の悪い思想が復活しているのを唖然としながら見守っています。

ルーマニア人、エストニア人、ハンガリー人、アルバニア人、これらトラウマとしての知恵を特徴とするすべての国々は非常に不満を抱いています。それらの人々はもっと知る必要がありますが、機会均等を促進するものの、強制された平等または結果の平等を非難するアイデアに基づいて経済力を構築し、自由を築いた彼らは、いまは、怒りに満ちた完全な道徳的日和見主義的無政府状態のナルシストである過激な左翼らの前に、卑屈に屈服し頭を下げた状態です。

もしG7の指導者たちに少しでも分別があるなら、今すぐ何をおいても、プーチンをヒットラーやスターリンと同一視するような都合の良すぎることを止めて、ロシアが和平のための最低条件として何を受け入れるかを正確に判断することに集中しているはずです。

プーチンの部下が英国について何を言っているかに注意を払ったことがありますか? 例をひとつあげましょうか? 最近、ロシアのテレビ司会者が、一発のサルマット・ミサイルで、イギリスを完全に破壊できると自慢していたのですよ?

ロシアへ提出する条件は、おそらく、ウクライナは最低20年間は中立国であると宣言することでしょう。おそらく、ウクライナの新しい選挙は、ロシアと西側の共同オブザーバーによる批准を条件とすることでしょう。おそらく、西側は、ウクライナにNATOやEUへの加盟を申し出ないことを約束することでしょう。これは、ロシアに同時に申し出ないか、ロシアが受け入れる条件で進めるかのいずれかでしょう。

もし、これらの提案のいずれでもなければ、そして、私がそのような事柄について知らないためにひどく単純で、したがって上の私の具体的な提案も間違っているかもしれないが、それなら平和をもたらす他の何かを提供すべきです、それも早ければ早いほどよいのです。

ロシアは核保有国です。ロシアはすでに影響圏を持っています。ロシアはすでに世界経済に統合されています、世界規模での壊滅的な影響なしに妥協することは不可能なのです。

我々は実はウクライナのことなどはどうでもよくて、それどころか、その反対についてどんな抗議もしないのです、一切です。ホロドモールを思い出してください。でも、あなたはそれがいったい何だったか知っていますか? (ホロドモール:スターリンの政策でウクライナで起きた大規模飢饉のこと。数百万人が死んだ)

ロシア人にとってウクライナは、ある重要な意味でロシアと同族なのです。それは、むしろ、モンロー主義の西半球がアメリカであるよりさらにそうなのです。

私は、ウクライナがロシアの一部だと言っているわけではありません。あるいは、ウクライナ人がロシアに同意している、というのでもない。ただしかし、現在の我々西側のこの事情に対する関心は非常に自己満足的で信頼性に欠けているということです。

そして、ロシアに対抗する西側諸国は、この戦いで失うものが非常に多いことを考えると、これは特に真実でしょう。我々は、その損失がどのようなものかについての理解につき、まだ完全に目覚めてはいないのです。

結末としての悲観的予測

そこで、悲観的かつ現実的な予測をさせていただきたいと思います。私は、以下の結末はすべてすでに避けられないと信じています。

第一に、エネルギー価格の高騰です。

私は、今後1、2年のうちに原油価格が1バレル300ドルかそれ以上になると確信しています。

このような予測は間違っているかもしれませんが、ロシアはまだいくつかの非常に重要な蛇口をコントロールしており、ウクライナと世界舞台での地位が必然的に悪化するにつれ、その戦略的優位性を利用しないわけにはいかなくなるはずです。

エネルギー価格の上昇は、世界の貧しい国々や発展途上国だけでなく、西側諸国の低賃金や固定収入に頼らざるを得ない人々にも、もちろん大きな打撃を与えます。

特に機能不全に陥りつつあるジャスティン・トルドーのカナダで主張されている馬鹿げた環境政策は、この問題を許しがたいほど悪化させていて、イギリスやドイツなどの国々でもそれは明白です。

架空の哀れみ深い労働者階級のポジティブなグリーンタイプとその同類は、彼らの想像上の未来のユートピアにおける貧しい人々を繁栄させるために、今日、本当に貧しい人々を完全に犠牲にすることを厭いません。

第二に、深刻な食糧不足、あるいは飢饉です。少なくとも1億5000万人の人々が影響を受けるでしょう。

現在、先進国ですら基本的な必需品の価格にかなりの圧力がかかっています。たとえば、ウクライナだけで世界の高品質な小麦の20%が生産されていますが、まもなくそれを出荷したり、保管したりすることができなくなります。 それは今年において大幅に減少した作物ということになるでしょう。

このような不足と悪化は、早ければ2022年の秋に深刻な打撃を与えるでしょう。

この問題に加え、ウクライナとロシアがその30%を生産する肥料の不足が迫っており、世界中の収穫量と価格に影響を与えるでしょう。

1960年代以降には経験したことのない規模の人道的災害が起こる可能性があるのです。

第三に、大規模な移民

前述した食糧不足の影響を最も受けるのは、まさに北アフリカや中東の国々であり、その大移動は前回ヨーロッパに大きなストレスを与えました。もちろん、移民自身のストレスは言うに及ばずです。2022年の11月までに、絶望した人々が大規模に移動し、突然で制御不能な人々の流入に伴う、宗教・民族主義の緊張と、政治的な分岐線に沿った国内の分極化が予想されます。

第四、そしてこれはもっともただちにですが、NATO軍の増強が続き、実際に戦闘体制に移行した場合、その脅威に対処するためにロシア側で戦術核兵器が使用される可能性があることです。

現在、即応態勢にある4万人に対し、ごく最近、30万人が即応態勢に入りました。しかしこれらはすべて、ロシア側が引き下がるという前提のもとに行われているようです。かつての二次大戦のザ・ブリッツの時代、ドイツに対する十分な脅威があれば、ドイツ軍のイギリスに対するロンドン大空襲はうまくいかなかったでしょう。

ロシアは負ける気はない

なぜ、ロシア人の決意を過小評価するのでしょうか? 彼らは、我々幸運な西側諸国民が想像すらできないような苦難を経験してきたのです。彼らは負ける気はないのです。だから、私たちは彼らを服従させることはできないのです。

そして、経済制裁が功を奏しているわけでもなく、まだ規模の大きな巻き添え被害が起こっているようにも見えません。

ルーブルは好調で、原油価格は上昇を続けています。このため、プーチンは西側の勢力圏の外で貴重な商品の取引相手を確保することができています。

そして、他のオペックのパートナーは、すでにフルボリュームで供給している蛇口をさらにひねるわけではないのです。

西側諸国は、イデオロギーが麻痺している現状では、国内のエネルギー生産の規模を拡大する意志も能力もないでしょう。西側諸国では、ロシアを味方につけないとやっていけないのです。

中国の共産主義者たちも迫ってきています。覚えてますよね? この問題の側面について議論していませんでした。

西側諸国の指導者の中で最も近視眼的な人たちがこのシステムに賞賛の意を表しているにもかかわらず、中国共産党のシステムはあらゆる点で我々と相反するものです。それに賛同しているのは、また彼です、カナダのジャスティン・トルドー首相です。

そして、中国人は私たちがもはや理解できないほど繊細で忍耐強く、対して私たちは、浅はかで、愚かで、近視眼的で、自己愛が強く、恩知らずなのです。

私たち西側の富、つまり生まれながらの権利のせいで、私たちは自分たちの能力と道徳的な優越を信じ込んでしまうのです。しかし、裕福に生まれたからと言って、その人が誠実で責任感のある人間であるということにはなりません。

私は、本当の意味でロシアに勝てるとは思えません。

なぜなら、彼らは自分たちが負けることを許さないからです。

我が方が軍事的に圧倒的に勝利しても、その結果は国際的に悲惨なものになるからです。

そして最後に、この戦争の底辺の一角にある争いは、ロシアがどうにかして負けたとしても、まったくなくなることはなく、むしろ悪化する可能性があるからです。

この最後の点に関して、現在の現実の戦争を引き起こした思想の戦争は、たとえロシアが降伏して侵攻前の境界線の再確立に同意したとしても、その破壊的で虚無的な進行を続けるでしょう。

ロシアが、西側諸国とより緊密に連携して繁栄するウクライナを国境で受け入れるとは、その思想戦が続く限り考えられません。

そして、この戦争がプーチンの不名誉な退陣で終わると想像するのは、希望的観測に過ぎません。

彼は人気があるだけでなく、ロシアで1世紀にわたって彼に先行したほとんどすべての指導者よりも、間違いなくより有能で恐ろしい存在です。このことは、甘っちょろい馬鹿げた楽観主義が広まっていることにつき、理解しておく必要があるものです。

これは、最も根本的な意味で、単にロシアを敗北させるだけでは済まされない戦争です。

西側の内戦は、知的な面、あるいは精神的な面でしか勝つことができません。その勝利は、ロシアやウクライナを含む我々の社会を現在不安定にしているマルクス主義を継承した過激な思想を打ち負かすことでしょう。それは古典的なリベラルそして原理的保守主義者の仕事です。もっと重要なのは、アブラハムの伝統を遵守することが、真の戦いが最も激しさを増す思想の領域でその打倒をもたらすのです。

その一方で、私たちは西側で些細な争いをし、特権を楽しみながら、多様性と包括性と公平性に覚醒した三位一体に執着し、自己中心的なアイデンティティ論争で未熟なナルシズムに浸りながら、時間をつぶすのというわけです。

このままでは、本当に恐ろしいことが起こるかもしれません。

私たちは、この素晴らしい相互依存の世界繁栄を不安定にする大きなリスクにさらされています。その繁栄は、実際、達成が非常に困難な、ありそうもなかったもので、我々はわずか数十年の間それを享受できただけだったのでしょうか。そして、我々は、盲目的に、故意に、愚かに、幼稚にも、高いプライドを持って、そのリスクを取っている最中なのです。

何百万人もの飢餓が間もなく私たちの前に現れるでしょう。

正しい優先順位を取ることはできないのでしょうか? 適切なビジョンを持って断崖絶壁から一歩下がれば、必要なものはすべて手に入るし、おそらく望むことすらすべて手に入るかもしれないのです。

その代わりに、私たちは地獄を見ることになるかもしれません。

以前われわれが経験した地獄です。私たちはそこへ本当にまた行く必要があるんですか?

ここでもう一つのことを指摘すべきかもしれません。この戦争は、本当の意味で、愚かで、侵略的で、権威主義的な、COVIDロックダウンがもたらした無数の予期せぬ結果の一つである可能性があるのではないでしょうか。

西側の指導者がプーチンと顔を合わせて時間を過ごしたのはいつ以来でしょうか。Zoomでもなく、Skypeでもなく、同じ部屋で、同じ空気を吸いながら、言葉や、そして重要な非言語的なチャンネルを完全に機能させて直接コミュニケーションをとり、食事や、エピソードや、飲みものを共有し、個人レベルでは避けられない不信を克服して関係を確立するために、言葉以外での複雑さを伴うあらゆる社交の振る舞いが関係しているはずですよね?

本当の意味で数年ぶりなのでしょう。単に長すぎただけでしょうか? これは、現実を仮想化しても予期せぬ損失はないと思い込んだ私たちの、性急な結果の一つなのでしょうか?

おわりに

さて、この警告と災いの羅列を、誰かの気分を良くするような話ではなく、ある程度広く知られるようになった話で締めくくろうと思います。それは、プーチンが若いころ、怒って自暴自棄になったネズミに遭遇した話です。以下に引用します。

「そのとき私は、その階段の踊り場で、追い詰められる、という言葉の意味を、即座に忘れ得ぬ教訓として学ぶことができた。正面玄関にネズミの群れがいた。私の友達と私は棒で彼らを追いかけていた。一度、私は巨大なネズミを見つけて、それを廊下で追いかけ、隅に追いやり、ネズミは逃げ場がなくなった。そうしたら、逃げ場を失ったネズミは、突如として私に襲いかかり、その身をこちらへ投げ出してきた。私はびっくりし、恐ろしくなった。ネズミは私を追いかけ、踊り場を飛び越え、階段を下りて来た。幸運にも私の方が少し速かったので、ネズミの鼻先でドアをバタンと閉めることができた」

プーチンはネズミではないし、私たちは棒でネズミをいじめる子供でもないし、少なくともそうあるべきではないでしょう。

最近、元アルバニア外務大臣と話したのですが、西側の指導者には、ロシアの大統領に恥をかかせて教訓を学んでもらう必要がある、という見解を持つ者がいるとのことでした。

第一次世界大戦の残虐行為の後、ドイツ人に屈辱を与えるために作られた愚かな復讐心に満ちたベルサイユ条約からの教訓がここにあります。

次の戦争に花開く種を植えてはならないのです。

プーチンは10年か、あるいはそれ以上先には存在しないでしょう。

しかし、ロシアは残るのです。だからこれはプーチン一個人の個人的なことではありませんし、そうすべきではないのです。もちろん、平和をもたらすであろう関係性は必要ですが。

そして、ロシアといういつ爆発するかもしれない熊を追い詰めないことです。単なる卑劣な追い詰められたネズミ扱いしたり、そのリーダーそしてその国民を、高校生じみた屈辱に晒すような真似はすべきではないのです。

いくら彼らが現在見当違いなことをしている、と我々が信じていても、この恐ろしい、からむほど悪化するタール人形が我々を飲み込んでしまう前に、私たちはこのひどい混乱から抜け出す方法を見つけなければならないのです。

そしてそれは、ここ西側で我々を導き、導くと主張する人たちにとって、最優先事項でなければならないのです。