人間の一生は麦のようなものだ、とゴッホは繰り返し言っている。大地に種が蒔かれ、芽を出し、育ち、そして黄金色に熟れて豊かに実った麦は、刈り取られるのを待つ  再び時が巡り、種が蒔かれ、実り、刈り取られる。それは何度も何度も黙々と繰り返される、生と死の連綿たる実相として、彼の耳には聞こえるのであった。目前に果てしなく広がる黄金色の麦が風に吹かれてざわめいている  麦畑は何も語ることができない。茫漠たる麦畑の光景に言葉を奪われた人間は、言葉を失って相対して戦慄する。麦畑は人間に対して巨大な沈黙で語りかけている。一体何を語っているのか  人間である以前の奥深く隠された古い古い感情をかき立てる、それは我とともにあれという沈黙の誘惑なのだ。自然が時折見せるあの壮大な無言劇は、ゴッホのような人間にあってはひとつの強い誘惑であり、危険であった。それは生の全き完成としての死の姿であり、死によって存在の歯車は一周するのだ。

 


ノート

刈り取る人のいる麦畑 1889年 サンレミ アムステルダム・ヴァンゴッホ美術館