この揺籠を揺する女こそは、彼がかつて執拗に追い求めた農民画の辿り着いた終着点ではなかっただろうか。その後の彼の絵画を見ると、彼はこれ以上、昔と同様の意味での農民画を描けなくなってしまったように思う。サンレミとオーヴェールで彼が描いた農民の姿は、途方もない自然の紛糾のただなかに翻弄されているように見える。確かに、彼は変わることなく常に自然の中から題材を選んで描き続けた。しかし、それはかつてのように、揺るぎない信頼感にもとづいたものではなく、むしろ、自然に対する激しい愛情と一体感の表現であった。できあがった画布は、現実と幻想の徹底した総合のごときものになる。いまだ幸福な信仰、それはここで終わる。サンレミで彼を待ち受けていた運命は、苦しみに満ちて苛酷なものであった。宗教と狂気は、分かち難い姿となって彼の心を襲い、遂に彼は、自然と絵画だけを救いとして生きて行かなければならなくなる。

 


ノート

揺り籠をゆする女 1889年 アルル ボストン美術館

ゴッホは同じ絵を五点も描いており、これは写しの方のようである。顔つきや色合いが少しずつ違っている。