この前、夜、森の横の道を、秋の虫の音を聞きながら歩いていた

あれこれ考え事をしていたら、突然、キューブリックを思い出し、スタンリー・キューブリックと発音してみると、なんだか、この名前ってとてもカッコいいね。シャープで、クールで、なんだかシルバーな感じ

とはいえ、キューブリックの映画ってあんまり見てないな。2001年と、時計仕掛けのオレンジと、シャイニング、っていうお決まりの3つだけだ

ずいぶんとむかーし、2001年宇宙の旅を見たときは、感心したなあ。一般に難解などといわれているが、自分にはとてもよく分かったなあ。あのころは、自分は、知的隠居生活状態で、映画はホラー映画しか見なかったっけ。当時の自分の及びがたい傑作はTexas Chainsawmassacreだった。オレはこの2001年を高級なホラー映画として鑑賞したのだった

何度見てもぞっとするシーンがあってね、それは、船員がハルに、「なんだかこの任務はおかしい気がするんだが」みたいに、ハルとあれこれ話し込んでいると、最後の方で、唐突に、ハルが

Wait a minute.

と言う。そして間をおいて、また

Wait a minute.

と言うのである。

この2つのセリフは音をコピーして作ったものに違いなく、それまでのハルはコンピュータといえども、普通に人間言葉を人間イントネーションでしゃべっていて、別に普通なのだが、この場面だけ、完全に機械的にまったく同じ音を繰り返すのである。これを聞くと、いつも、反射的に、ぞっとする

この、ハルの、「ちょっと待ってください」のセリフをきっかけに、物語はがらりと転回するわけだ

その後は、ディスカバリー号とジュピターのセックスシーンに入るが、音楽を止めてひたすら宇宙服の中の息使いを延々と流すいわゆる前戯のシーン、挿入とオルガスムス、そして、生殖シーンを経て、新しい生命の誕生、となり、物語は終わる。ディスカバリー号の形状が精子の形で、木星が卵子の形なのも、見ていて自然に感覚に入ってくる

生殖シーンは、恐らく物語で一番不可解とされるところだと思うけど、あの、音のない、極端に明るい部屋に、ロココ調の絵画がかかり、紳士が一人でナイフとフォークの音をかちゃかちゃいわせて食事するシーンの、耐えられなさと、無意味さ。生殖は、おそらく、人間の感覚から深く深く隠された、およそ非人間的な、無意味な、場所で行われている、という感覚

いやー、すごい、やっぱり、すごい

当時の自分にとっては、あの映画は「ヒューマニズムの否定」であった。そして、当時自分が見ていたホラー映画(ただし良質なものに限り)も、やはり、ヒューマニズムの否定だった

モノリスと名づけられた黒い一枚の板は、人間達を、そのヒューマニズムとは金輪際関係ない生命流転と生成の真実を人間たちに告げるべく現れるわけだけど、「そこは、危険だから、行ってはいけない! 見てはいけない!」と、その人間たちを必死で止めようとしたのは、皮肉なことにコンピュータのハルだった

だから、あの映画で、もっともヒューマニズムに則って行動したのはハルだったのだ。だから、あいつは、いいヤツなんだ。「人間を殺した機械」と評されるのを聞くが、そうじゃなーい、あいつこそ人間だったのだ、人間を助けようと衷心から思った行動だったのだ。「人間的な、あまりに人間的な」機械だったのだ

なーんて、当時、言いたくなったっけ

それにしても、当時30歳ぐらいだったオレは、なんで、あそこまでヒューマニズムの否定を標榜していたんだろうな? まあ、ヨーロッパ古典絵画、幻想文学、シュールレアリスムなどなどに没頭していた時期だったからな、そういう、知的雰囲気があったんだろうな

今は、ずいぶん、違ったりするが、それにしても、最後の最後では、自分は、こういった高山の冷気を求めるのかもな

2001年はいい映画だ

そういえば、宇宙船の最初のシーンでは、アメリカ人とソ連人の科学者が一緒に快適に談笑していて、2001年の未来では、みんなが仲良くなった、ってことだが、現実はぜーんぜん、そうなってないね

表面上は、うーん、外交の交渉上だけ見ると、友好的に見えているけど、人間の欲望はみじんも増減せず、相変わらずだ。表面上を飾る技術は、ずいぶんと急速に進歩した

これぞヒューマニズムだ

でも、それが欺瞞的であることは、今では常識に属していて、皆がそれにコンセンサスを与えており、欺瞞が悪だなんて反省をすることもない。これ、すべて、「快適」を手にするためだ。ヒューマニズムの否定を、今この世の中で言ったところで仕方の無いことだが、ただ、そういう、一種の「感覚」は忘れたくないもんだ

しかし、オレの独り言は何でこんなにマジメなんだーー!!!

(笑)