課題の番組を見るのを忘れた。新聞の書評で文章をでっちあげても、どうせロクなものにならないだろうから、日頃思っている事を書いて、提出するという責だけ果たすことにする。それに月並みなモニター文がひとつ減ったところでどうという事はあるまい。

民主主義を民主的に勝ち取ることはできない。民主主義を手に入れようとする時に国家に民主主義は無いのだから、これは自明な事だ。従って、民主主義樹立の際には、非民主国家と民衆との間に必ず戦いがある。そして民主主義はそれを手に入れる時だけ美しい。名もない民衆は、その瞬間だけ、思想のために命を差し出す、あの悲壮ではあるが、単純な勇敢さをもって輝くのだ。ここ数年の間に幾度あったろう。

民主主義は手に入れた次の瞬間から衰退の一途を辿る。

僕は、知り合いの中国人が、つたない日本語で、民衆に発砲する軍に怒り、祖国を嘆いた、あの時の彼の顔を忘れる事ができない。それと、それを聞いていた僕らのまぬけ顔も。

民主主義を民主的な方法で完成させて行くのがジャーナリズムの使命だ。

例えば、戦地の報道をする時、ジャーナリストはジャーナリズムという思想のために命をかける。しかし、幾千万人の人間がその報道を受け取る時に伴う危険は、それを手に入れる危険を幾千万分の一にした量に過ぎない。命がけで手に入れた映像をまぬけ面で眺めるという図式ができあがる。手に入れる時の美しさと、手に入れた後の衰退 ── ジャーナリズムは民主主義そのものという道理だ。

ベルリンの壁を崩したのは情報の力であった。ジャーナリズムはこの時、民主主義を手に入れる瞬間に初めて参入した事に得意であった。しかし、ジャーナリズムが動かしたのは、未だ、ジャーナリズムによって鈍感になっていない人々の心であった。

正確な情報と冷静な判断 ── 一見いかにもまっとうなジャーナリズムの原理に映るが、この両者が明かす事のできる物事の真相などたかが知れている。

生身の人間がある物事に衝突する ── その時だけ、事は、その人間だけに真相を明かすのだ。戦争体験者の語る言葉に嘘はない。しかし、その真の意味を掴んでいるのは当人だけだ。だから実は、体験者の数だけ異なった戦争観があるはずなのに、ジャーナリズムはこれを選択し、ある観念のもとに要約し、総合してしまう。情報として提供される戦争というアメを切ってみれば出てくる表情はいつも同じ金太郎さんというわけ。そして金太郎の顔をした平和家達が大量生産され、口を揃えて「戦争の悲惨さ」と言う。

僕は、祖父が僕に何度も話してくれる次の言葉をどれだけ理解できるだろうといつも疑う ── 人間の命は地球より重いなど嘘っぱちだ。平和の中で育った僕は、また別の体験でこれを掴む他あるまい。他人と同じ表情をせず、疑わしいもの一切を疑ってみよ……

言うまでもなくジャーナリズムは、西洋伝来の論理思考を前提にしている。この方法論は、自分を棚上げにする事により成立する。これ程僕らにとって難しい事があろうか。真面目な日本人達は、他を批判しようとして、それらが全て自らの反省になって戻って来る事態にぶつかり、途方に暮れる。

威勢のいい人達は、自分の事など忘れ果てて夢中になってしゃべっている。しかし自分の棚上げは人まかせだ。新聞の上に書かれた言葉の範囲内で議論していれば、人々は新聞そのものに棚上げをまかせ切って、呑気にしゃべり続ける。そういう時、人は皆同じ顔をしている。

他を徹底的に疑い、批判し、一向に自分を省みない ── そうすれば痛切に感じる、自分を棚上げする自分だけの何物かが必要だという事を。自分を棚に上げる自分だけの方法論 ── それが個性というものさ。

日々新しく生産され捨てられる、おびただしい量の言葉。言論の自由は、前代未聞の奔放な想像力を産み出したかに見えるが、何故こうも皆同じ顔をしているのか。理由は簡単だ。自分の棚上げを人まかせにしたからだ。では誰がそれを一手に引き受けたか。知れたこと ── ジャーナリズムだ。

引き受けたジャーナリズムの責任は重い。それがジャーナリストの誇りであろうが、知らぬ間に見捨てられて馬鹿を見る。連日の報道に白けた人々に、すでにその兆候は現われている。




解題

この短文は1992年のときのものである。当時自分はNHKの研究所で働いていた。今から15年以上前の会社には、ほとんど全員参加に近い労働組合というものがあり、組合活動も仕事の一部のような風であった。入社してから何年かたち、ある年齢になると持ち回り的に組合の委員をやらされることになっていた。

それで、自分の番になったとき、知り合いに適当に工作して一番楽なのをやらせてもらった。それが放送運動部という係で、仕事は年に2回しかない。一つは任期の最後に開かれる全体委員会で、先人たちが書いて伝承されてきたおざなりの活動報告文のコピーを読み上げること、もう一つが、この「放送モニター」という文を書いて機関紙へ投稿することである。

放送モニターとは、組合中央が選定した複数のNHK番組リストから好きな番組を一つ選び、それを視聴し、その感想文を書くというものである。番組は主に政治や人権などに関わる報道特集やドキュメンタリーから選ばれていた。ジャーナリストの一員として自らを批判点検し、自浄作用が適正に働く正しいジャーナリズムを確立する、という目的のもとに行われていた活動である。

さて、そのころの自分は、NHKというジャーナリズムの親玉のようなところで働いているにもかかわらず、ジャーナリズムというものを忌み嫌っており、この世で一番嫌いなものの一つとみなしていた。このあからさまな矛盾はまずは置いておくが、特に、この労働組合がジャーナリズムの正義を標榜し活動すればするほど、それに対する嫌悪は強くなる一方であった。

そんなわけなので、この放送モニターなるものを真面目にやろうはずがない。案の上、渡された課題の番組リストなどほったらかし、番組は見なかった。ある日の集会で当時の委員長に、見るのを忘れた、と言うと、彼はとても真面目で誠実な人間で、僕に課題番組について書かれた新聞の寸評の切り抜きを渡してくれた。これを読んで、なんでもいいのでモニター文を作りなさい、と、こういうわけである。当時の僕は、実はけっこう食えない奴で、そのような彼の親切もあっさり無視して、もらった切抜きをこれまた読みもせず、ほったらかしておいた。

そのうちにモニター文の締め切りがやってきた。さて、と、この辺が、自分のきわめて調子がいい、一面、世渡り上手なところなのだが、ここで、「愚劣なモニター文など俺は書くことを拒否する」などという、不毛な全面対決などはせず、ま、いっかと文章をでっち上げた。それがここに載せている放送モニター文である。

この文章はそれからしばらくして機関紙に載った。それからさらにしばらくして、先の委員長が自分に言ったのだが、この人を小ばかにしたような放送モニター文が、組合の中央部でちょっとした話題になり、かなりの注目を集めた、ということを聞いた。研究所には、なんだか、変わった奴がいる、という噂になったらしいのである。ということで、自分としては、「自分が目立つ」という自分にとってもっとも大切な目標を達成することができたわけで、まず上出来といったところであろう。

さて、今、この文章を読んでみると、まあまあうまく書けているが、あからさまに小林秀雄の影響を受けているのが分かる。あれから長い年月がたった今、自分はおそらくこのような形で文章を書くことはないだろう。しかしながら、あれ以来15年以上が経ち、この自分も世の中でさまざまな経験をし、ある部分では世慣れてしまい、社会との妥協を余儀なくされたわけであるが、よくよく思ってみると、ここに書かれた基本姿勢は、今でも少しも変わっていない。結局、俺はこういう人間なのだ、他の人間にはなれなかったし、なりたくもなかった、といったところか。

そういう意味では、なんとなく若かった自分の所信表明のようにも思え、それで、この雑文集の中に入れておいた。