ブルースバー寄贈の真空管アンプ

2A3シングルステレオアンプ

きっかけ

渋谷の百軒店の外れにあるブルースバー「テラプレーン」はずいぶん前からの行きつけのお店である。ある日、マスターからテラプレーンの音響設備をアップグレードしたいんだけど、と相談を受けた。それで、ライブ演奏用のPAやギターアンプなどなどはやっぱりオーバーホールするか最新のものを入れた方がいいと思うけど、日ごろ音楽を流すオーディオ設備はやっぱり真空管アンプがいいんじゃないの、と答えた。なんと言ってもブルースといえば、やはりアナログきわまれりという音楽でもあるし、真空管アンプのルックスはたぶんお店にぴったりだろう。

そこでいつものように軽い気持ちで「オレ、作ろっか」と言ったのが運のつきで、あっという間に本当になり、さらにせっかくだから寄贈するよ、ということでブルースバー寄贈アンププロジェクトが始まったのであった。

さて、寄贈する、と大きく出たのには理由があり、これまでいろんなアンプを作っては壊ししていたので部品が中途半端にそのへんにごろごろ転がっていて、そいつらを組み合わせれば一台ぐらいできるだろう、と踏んだのである。とはいえ、仮にもお客さんがたくさん来るお店に置くわけだから、音も見栄えもよくないと恥ずかしいので、あまりしょぼいものは作れない。廃物利用とはいえ、気持ち的にはけっこう真面目に作ることになった。

 

どんなアンプにする?

 

手元にあった出力管といえば、ギターアンプ用にジャンクで仕入れた6V6、それとこれまたギター用と思って昔買った6BQ5、あとは4本の足がひん曲がった2A3が一本あった。この最後の2A3は、もう使えないだろうなあ、と放っておいたのだけど、ためしにペンチで注意しながら足を元に戻してみたら、けっこうあっさりと元に戻り、なんか使えそうである。そこで、2A3でちょっと仮組みしてみた。

それにしても、出力管はいいとして出力トランスであるが、さすがに自分は貧乏アンプビルダーなので、大きくて重くて高価なトランスなどというものはいっさい残っていない。手元にあったのは、むかし超3アンプに使っていた東栄の廉価版トランスのみである。2A3と並べてみると、あきらかに役不足である。この高価なでかい直熱管に、この小さな廉価版トランスを組み合わせるのは問題だ。音だって怪しいものだ。2A3をシングルで使うとけっこうな直流電流が流れるので、この東栄のやつはさすがに悲鳴を上げるんじゃないか、と思った。

でもまあ、とにかくやってみよう。さて、ドライバであるが、なんとなく五極管でゲインをかせいであっさりと2A3をドライブしてみようと考えた。実は、ずいぶん前に、たった15000円でなんと真空管100本がまとめてオークションに出されていて、うまいこと落としたのをほとんどそっくり持っていたのである。すべて国産のMT管で、そのほとんどがテレビ管、あといくらかのラジオ管が入ったもので、実はいわゆるオーディオ用の球はないが、中間周波増幅用の5極管はいくらでもある。したがってドライバはよりどりみどりなのである。というわけで、特に根拠も無く6EH7という高周波管を使ってみることにした。

回路は例によってオーソドックスである。なんと言ってもオーセンティックなブルースバーには、オーソドックスな古典回路だろう、ということで、自己バイアスの直熱管シングル、負帰還はもちろんなし、ドライバとの結合はふつうにCR結合、そして電源には手持ちの整流管5AR4を使って、チョークはやめておいて、緑色のでかいホーロー抵抗を使ってみることにした。電源トランスは、2A3シングルステレオだと電流容量がぎりぎりなのだが、ジャンク箱に転がっていた傷だらけのやつを使った。2.5Vのヒーター電圧は無いので、これだけはネットで探して通販で購入した。一応、設計段階の手書きの回路図をここに載せておく。

 

作る

さて、仮組みで音を出してみると、これがけっこういいのである。あんまりよく分からないのだが、真空管アンプって不思議なもので、最高の部品をそろえれば音がどんどんよくなるわけでもなく、ひょっとするとその組み合わせに秘密があるのかもしれない。それよりなにより、真空管アンプをこうやって仮組みしてみると、たいていいい音に聞こえてしまうのである。ひいき目というかなんと言うか、まあ、趣味で遊んでいるだけなので、いい音に感じればそれでいいだろう。

実は、手持ちの足の曲がった2A3は一本だけしか余っておらず、仮組みのときは自宅現用の2A3アンプのを一本引き抜いて使ったのである。本番用には一本買い足さないといけない。若干の不足部品も含めて秋葉原に行ったとき、アムトランスで、JJ製のばかでかい2A3が一本だけ安売りしているのを見つけた。おっちゃんに聞くと、ソケットに対して本体が少し曲がっていて、それで一本だけ安売りなんですよ、とのこと。一本15000円の品が5000円である。そこで迷わず購入。なんといっても、Sovtekの2A3の1.5倍はある、その巨大さが気に入った

さて、ここまでできれば後はデザインである。何かのときに使うつもりだったちょっと大きめのアルミ弁当箱シャーシーがあったので、それを使う。トランスも軽いのばかりなので、まあ十分なはず。例の巨大な2A3はシャーシーのど真ん中と決めていた。いかにもブルースバーにぴったりの屹立する巨大なDickといったところ(笑) それで、その周りにそのほかの部品をいろいろ並べてみたのだけど、どうも、やはり、小さな、役不足っぽい東栄の出力トランスにカッコいいポジションが見つからない。そこで、出力トランスはシャーシーの中に取り付け、その部分の上は空き地にして、そこに置物でも置くスペースにしよう、ということで落ち着いた。

全面パネルであるが、ブルースバーらしく硬派に、無骨な音量ツマミ、絶縁ゴムつきのでかい電源スイッチ、ヘビーデューティーのギターアンプっぽい赤いパイロットランプを、すべて色を黒で統一して並べた。しかし、ちょっとこのアルミの全面パネルはこれだけだとどことなく淋しい。そこで、小林健二の「ぼくらの鉱石ラジオ」に作り方が載っていた銅版をエッチングして作る銘板はどうか、と思い、うちの奥さんに製作依頼した。なかなかカッコいいやつを作ってくれ、真ん中にネジ止めして、全面パネルはいい感じに仕上がった。

ところで、前述の置物スペースだが、ここには、実は、ロバート・ジョンソンのアルバムのジャケットに描かれている情景の3次元模型を製作して、それを設置する、という案を考えていたのである。かの、古風なホテルの一室で、マイクを一本立ててその前でロバート・ジョンソンが歌っている、あの配置である。それで、このモデルを四方から豆電球で照明して、その照明の明るさが音に合わせて明滅する、そんな企画を立てたのである。これも奥さんに依頼したのだが、さすがに大変で、いつになっても上がってこない。仕方ないのであきらめて、古道具屋で買ったいぶした黒い板を台座のようにネジ止めして、スペースの間を持たせた。まあ、好きなものをここに置いてください、とでもいったところ。

あと、真空管は、ばかでかいJJの2A3、一回り小さいSovtekの2A3、もう一回り小さいGT管の5AR4、もうちょっと小さい9ピンMT管の6EH7、といった風なので、すべての大きさの真空管を並べてみたくて、最後には7ピンMT管でミニミニなやつが欲しく、これは手持ちの6AL5にしてみた。この球は小さな二極間が2個入ったものである。飾りだけじゃ寂しいので、LED照明用の整流用に使おうか、と漠然と考えてていたものの、結局、飾りだけのダミー管になってしまった。あと、それから、マスターからLPレコードも聞きたい、と言われていたので、イコライザーアンプが必要なのだが、これは手持ちのプレーヤーに内蔵されていたICイコライザー基盤を外して、それを使った。参考までに裏の配線の様子はこちら

 

工学って

ところで、ここまで書いてきたけど、考えてみるとアンプの回路をどういう根拠で、どうやって設計しているかについてまるで書いていない。ネットでいろいろな真空管アンプ記事を読んでいるが、やはり工学的理論に則ってあれこれと回路を設計する知識に関する記述が大半を占めている。もちろん、それで正しいのであるが、工学者として長年仕事をしてきた身として、ちょっと思いついたので書いておくが、工学の大きな特徴のひとつに「再現性」というのがある。この再現性のおかげで、工学的知見は万人のものになり、そしてそれゆえに経済性と結びつき、産業となり、社会を繁栄させて来たわけだろう。

でも、なんだか、さいきん自分は、その工学を基礎とした社会発展に付き合うことにずいぶんとくたびれてきた。数十年前、技術の発展が人間性を疎外する、とずいぶんと言われていたことがあった。おそらく、当時の大問題であった「公害」のせいもあったのかもしれない。現在に至り公害もずいぶんと改善され、技術が人間をだめにするなんてあまり言わなくなり、社会は進歩したかに見えている。しかし、その代わり、やはり「何か」を代償として支払っているような気がしてならない。今、市場に次から次へと大量に現れては大量に捨てられて行く製品のたぐいに囲まれて生活していると、なんだか経済をともなった巨大な再現性の嵐の中に単に無力にさらされているだけではないか、と感じることがあるのである。

そんな中で、こうやって、友人の集まるブルースバーに寄贈するたった一台の真空管アンプを作るって、とてもとても小さな贅沢である。大げさに言えば、再現性を武器に、ひたすら消費者の機嫌を取ったり、だましだまされあいをしたりしている巨大市場のアンチテーゼにも思えることがある。なので、自分が設計製作するときも、工学に従いながらも、ところどころで工学を無視することも楽みのひとつかな、と思う。再現性の縛りから自由になる、というのはいいことだ、そして、それは、アンプを通り抜けて行く音楽においても言えていることを、自分はブルースを演奏する人間としても分かっている。いや、いちプレイヤーとして言うと、ブルースがアンプを通り抜けてスピーカーから出てくるのでは決して無い。ブルースはアンプとスピーカーと一緒に音を奏でるのである。

さて、いきなり理屈を並べたけど、こういうわけで、アンプの回路設計は自分は適当なので、あまり語ることもないので書いてないのです。という、言い訳でした(笑)

さあ、そんなこんなでアンプは一応、完成した。スピーカーはいつものJBLでもいい音がしたが、それとは別に、少し前に、フルレンジ一発のスピーカーというものをやってみたくて用意したスピーカーがあった。Fostexの16cmフルレンジを買って、オークションで落とした山水の古風なボックスに入れたものである。これをつないで鳴らしてみると、なんだか実に清楚な、それでいて空気感もいい感じで、けっこう気に入った。そこで、バーのマスターに連絡して、真空管アンプはやっぱりスピーカーもそれなりのものが必要なので、自分の持ってるお勧めスピーカーがあるからそちらを実費でどうですか、と言ったらOKが出た。と、いうことで、このセット、フルレンジ一発のスピーカーを直熱3極管の負帰還無しで鳴らす、という実にシンプルなものに仕上がった。

 

ブルースバーへ

さて、それからなんだかんだで半年以上がたってしまい、どうも、なかなか現場導入のタイミングが来ない。まあ、自分も先方もけっこうルーズというだけなのだが、ついさいきん、ようやく現場持ち込みの日が決まり、夕方にマスターに車で迎えに来てもらった。まだ日が落ちる前に到着し、さて、いつものラブホの地下のお店に入ると、中は真っ暗。電源をぱちぱち入れても、音もなく、酒も飲まずにいる、営業前の地下のブルースバーは暗くてほんとうに穴倉な感じ。その日の夕方は、自分の元職場の先輩も早めにお店に来ていた。さて、アンプとスピーカーの置き場所を決めて配線し、真空管をさして、電源を入れた。

持参していった音源は、まずライ・クーダーのCDである。これを初めてお店で鳴らしたら、まあ、なんとも素直で清楚すぎる鳴り方で、かなりびっくりする。くだんの先輩も、音が出たとたん「うえー、生っぽい!」と叫んでいたが、この、何年ものあいだ黒人音楽と酒と煙草とむさくるしい人間たちの空気を堆積して来たような百戦錬磨の怪しい中年男みたいなこのブルースバーに、いきなり現れた清楚で純朴なお嬢さんみたいな音は、かなりヤバイ感じで、ちょっと、こんなんでいいのか? と、一瞬、しまった、と思わぬでもなかった。

でも、まあ、しばらくしてお客さんも集まり、さらに、自分自身も酒を飲み始めて酔っ払ってきて、それで、この音を聞き続けているうちに、なんだかだんだんお店に馴染んで行くように感じられるようになった。9時を回って、ソニー・ロリンズのサキソフォン・コロッサスをかけたころには、すっかりいい感じになっていて、ロリンズのテナーの音がすばらしくお店に鳴り響くようになり、どうやら心配無用な気がしてきた。マスターにも、お客さんにも、みなにいい音だ、と喜んでもらって、ほっとした。と、いうわけで、めでたく一件落着と相成った。よかった、よかった。

 


GO HOME