北京へ初めて行ったのは、もうずいぶん昔のことでたぶん10年以上は前だったと思う。観光で行ったので、あらかじめあれこれと調べて、北京の有名どころの料理店をいくつか回った覚えがある。そのときに撮った写真を発掘してきたので、ここにいくつか紹介する。ただ、なにせ10年以上のことなので記憶が定かでないのは仕方ない。

さて、まず最初は街中を歩いているとよく出くわす「老北京」とうたったお店のひとつである。老北京とは、どうやら古い北京の味を出すお店、という意味のようである。このとき入ったのはあらかじめ調べた有名店ではなく、歩いてたまたま見つけた「柴氏風味斎」という名前の店である。北京のどこかも忘れてしまったし、今でもあるのかどうかも分からないが、このとき僕は初めて「古い北京料理」を食べ、けっこう新鮮な驚きがあった。

はじめはこれ。豚肉をショウユ味でトロトロに煮たもの。写真では大きく写っているが、片手で持てるほどの小椀である。これは、もう、ちょうど日本でいうところのよくあるモツ煮みたいな、なんということのない素朴な味だった。

そして昆布の細切りのあえもの。こちらも単に塩味の薄味に味つけただけの、日本にもよくありそうなものだった。

そして湯葉のあえもの。中国産のあの馬鹿でかい乾燥湯葉を戻して切って、薄い塩味であえてある。見てのとおり、まったく変哲のない料理なのだけど、歯ごたえのある大陸の湯葉を噛んでいるとけっこう楽しい。以上、味付けなどもそっけなく、ほとんど素材の味のみといった感じである。

これはピータン豆腐。実は、ここに至って、これら老北京のそっけない料理きわまれりという感じがして、だんだんノリが分かってきた感があった。日本の絹ごし豆腐に相当する柔らかい豆腐を5ミリ幅ぐらいに切って、ピータン、干し蝦、ネギを乗せて、そこにトウガラシの香りを移した油がかかっていて、最後に香菜がたっぷりと乗っている。ウェイターのあんちゃんは中国らしいノリでお皿をテーブルにダンッと置いたせいで豆腐がグニャっとかたよって雑なもんだが、これは、本当に旨かった。味付は塩と油だけだけど、目からうろこのおいしさ。

お次は北京ではきわめてポピュラーな醤肉(ジャン・ロウ)。お店の一画にはガラスごしの小部屋があって、そこでは巨大な寸胴の中にこの牛のすね肉がぐつぐつ煮えている。客は店員にグラム数を言って注文するらしく、料理人はその場で切り分けて出す。これも牛すね肉の香辛料入りショウユ煮そのもので、特になんということのないものだけど、日常の味な感じがいい。

この他にもいくつか頼んだけど、どれも、とにかく「そっけない」味なのである。たとえば香港の大衆料理屋のメニューを埋め尽くすあの手この手の料理に比べると、あんまりに工夫のない、気のないような料理ばかりである。でも、逆にそういう調理ならではの、粗削りな素材の味や、大陸的な鷹揚な感じが感じられ、けっこう気に入ってしまった。日本に帰っても、皮蛋豆腐はこのときの味を再現して、何度も作って食べた、うまいのである。

さて、お次は、超老舗の砂鍋居である。中国政府編纂の北方料理の本にも最初の方にここの料理が紹介されている。それによれば、元の名は和順居といい、250年以上の歴史を持つお店で、創業以来、直径1.2メートルの土鍋で豚肉を煮続けてきたそうである。

はじめは豚の薄切りを白菜や干しシイタケと一緒に土鍋で煮込んだもの。柔らかくて、当然ながら豚の味がふんだんにして、旨い。スープもおいしいが、中の具を一緒に出てくる次のようなタレにつけて食う。

写真では太極図みたいな形をしていて面白い。どんな味のタレだったか覚えていないが、たしか見た目ほどアクの強くない優しい味だったような気がする。

お次は、このお店のハイライトかもしれない、沙鍋下水(シャ・グオ・シャ・シュイ)である。本によると、豚の心臓、肝臓、肺、胃、腸、膵臓の6つの内臓を大なべで水煮して作ったものだそうである。内臓が嫌いな人には地獄のような光景だが、いろんな内臓それぞれの独特の味と、香りと、歯触りが楽しめてすばらしい。もっとも、ここまで内臓だらけだと、さすがにばくばく食ってると気持ち悪くなってきたのは確か。でも内臓が平気な人にはぜひ、お勧めする。

こちらは打って変わってやけに優しい味。豆腐に蝦ペーストと鶏ペーストをそれぞれ詰めて煮上げたもの。ふつうにあっさりしたお味である。

最後はこれも有名な北京の古い料理で、焼餅(シャオ・ピン)と炒肉末(チャオ・ロウ・モウ)である。まんべんなく白ゴマをまぶして焼き上げた焼餅に、豚肉をショウユ味で炒めたそぼろをはさんで食べる。

このように焼餅を割ると、中に空洞があって、そこに肉を挟むのである。

焼餅はとうぜん焼きたてで、香ばしくて、とてもおいしい。それで豚肉の方だが、炒め方に特徴があり、油を一滴も加えず豚肉だけで炒め、途中で染み出した脂も全部すくい捨て、カラカラに炒め上げたものだそうだ。味つけは、北京で一般的な黄醤(ホア・ジャン)とショウユ、砂糖、ゴマ油などで、素朴なものである。しかし、これもまた、そっけない味つけのせいで素材の味がよく感じられ、小麦粉の香りとゴマの香り、そして豚肉とミソの香りの楽しめるいい料理だ。一皿で山のように出てくるので、たしか僕らは食べきれない残りに豚肉をはさんで包んで持ち帰って、翌日歩きながら食った覚えがある。

さて、以上、10年前の北京の古い味を訪ねたレポートでした。結局、古い北京の味は、そっけなく、すっきりしていて、味は薄くて、あまりコクのない最低限の味つけだけど、それゆえに大陸的な素材の味がじゅうぶんに味わえる独特の世界だった。実際、この味、僕はとても好きになった。