火口の湖へ注ぎ込む小川。
川底が赤茶色に色づき 血の川を思わせる

 

恐山

 

イタコの口寄せで有名な恐山の名前は、今までにもときどき聞くことがあったが、何となく恐ろしげな、殺伐とした所、といったばくぜんとした印象を持っていた。ところが先日、なぜかこの恐山界隈を旅行するという話しになり、八月のお盆を過ぎたころに実際に恐山へ行ってきた。

結論から先に言うと、恐山は、びっくりするほど美しいところであった。僕がいままで日本で行った中で、もっとも美しい場所だったと言ってもいい。これは別に、奇をてらって言っているわけではなく、おそらく誰が見ても美しい風景だと思うはずである。

それにしても、これはとても意外なことで、行く前は、恐山というところ、荒涼として、うらびれたような、下等霊があちこちに隠れ、さまよっているような、そんなところを想像していたのである。実際に行ってみて、印象の落差に少なからず驚いた。

そんなことで、この風変わりな場所をここで紹介してみる気になった。思えば、旅行へ出発する前、友人たちに、恐山へ行くんだ、と言うと、ほとんどみなに、物好きなやつだ、と言われた。僕を含め、それが恐山と聞いたときの日本人の普通の反応だと思う。この恐山報告が、恐山のまた別の一面を知ってもらうきっかけになれば嬉しい限りである。

岩場の至る所から蒸気が噴き出し湯がわき出ている
あたりには硫黄の臭いが漂っている

 

はじめに、そして霊的なこと

 

ここに来る前は、こんな旅行記を書くことになるなど、思いもよらなかったので、詳しい記録、情報もずいぶん欠けていて、また、写真を撮った場所も偏っているのだが、僕が、実際に見た恐山の姿が、なるべく正確に伝わるように紹介して行こうと思う。

これは行く前に聞いたことだが、恐山というところは、高等霊と下等霊が同居しているところだそうである。普通、お寺というのは、下等霊のたぐいは寄りつかないところなのだが恐山は例外だと言うのだ。そんなことで、恐山で下等霊に取り憑かれ、持ち帰り、それ以降身体の調子が悪くなったり、そんなようなことが起こる人がいるという。恐山は二度行け、というのもあるらしく、一度目で取り憑かれた霊を、二度目に落としに行くのだそうだ。

さて、霊的なものに対する僕の態度についてだが、深入りもせず、離れすぎてもいない、ごくごく常識的な距離の取り方である、とだけ言っておこう。人知の及ばない霊的な現象について、その存在そのものを疑わしいと思ったことはない。そうした意味では、興味本位でそういったものに近づくといった趣味は僕にはない。友人の一人は僕に、ぜひとも敬虔な気持ちで行ってきて下さい、と忠告してくれたが、その点はだいじょうぶであった。

それにしても、やはり下手をすれば厄介な霊をしょいこんでしまうのかもしれないな、とか、何となくバチが当たるんじゃないかとか根拠のない不安もあることはあった。まあ、せいぜい敬虔に接して、素通りすることとしよう、などと思っていたのだが、実際に行ってみて、その異様な美しさに心が惹かれ、あれこれの不安はすっかり忘れてしまった。

恐山菩提寺の総門前の広場。広々としている

 

入山

 

むつ市内からバスで延々と山を登って行く、およそ四十分ぐらいは乗っただろうか。恐山は宇曾利山の頂上にある。うっそうとした森を抜けるとそこは山の頂上で、急に視界が開け、火口の湖が眼前に広がり、その回りを遠巻きに山々が囲んでいる。季節は夏、たまたま晴天の日でもあり、実におだやかな明るい風景であった。

バスのアナウンスが、湖のほとりの川にかかった小さな橋について説明するに、この橋が私たちの生活する現世から、恐山霊場に広がる来世的場所に通じる唯一の道だと言い伝えられています、と言っているが、目の前の風景はどうもそんな恐ろしげな話しとは無関係に見える。バスを降りると、そこが恐山霊場の正門前の広場である。広々としていて、明るくて、静かで、天候のせいもおおいにあったのだが、すがすがしい雰囲気であった。

お寺の山門。変哲無い境内の風景である

 

お寺

 

入り口を入ると、そこはふつうのお寺の境内である。ただ、境内を走る溝にはすでに温泉の湯が流れていて、全体に硫黄の臭いが漂っている。右手にわりとおおきな宿坊、左手にいくつかの平屋が並ぶ。正面の山門をくぐると、左手に塔婆が並び、正面に地蔵殿がある、広すぎも狭すぎもない、ごく普通のお寺の風景である。普通でない点といえば、境内に温泉小屋が並んでいて湯気を立てているところぐらいか。ここ恐山は、至る所で温泉が噴出しているのである。

地蔵殿の左に小さな門があり、そこをくぐるとごつごつした岩場が現れる。お寺の左側に広がる一帯が、かの有名な恐山の地獄巡りの場所なのである。遊歩道になっていて、かなり広い丘陵であり、のんびり歩いていると一、二時間はすぐにたってしまう。そして道は最後には火口の湖のほとりへ続き、そこで折り返している。

 

せり出した花崗岩に小石が積み上げられ、
いくつもの塊になっている

 

硫黄ガスのせいでここら一帯は草木も生えず、
荒涼とした風景が広がる

 

地獄巡り

 

門を出て、しばらく石段を登ってゆくと、その先が地獄巡りの岩場である。もっとも石段を登っているときにすでに岩場の中で、しばらくは草ひとつ生えていないようなごつごつした土地の中を歩くことになる。至る所に、溶岩がせり出してできた塊が突き出ていて、ところによってはそこにさらに小石が積み上げられ奇妙な塊になっている。ところどころに木の立て札が立てられ、金掘地獄だとか、無限地獄だとか書かれている。

回りを見回すと、いくつかの地蔵が広い岩場に点在しているのが見える。さらにその外は岩場が終わったところから草が生え始め、低い緑色の山が取り囲んでいる。何となく奇妙に人工的な庭に連れてこられたようでもある。突き出た岩の塊はいずれも人間の背丈より小さく、歩いている僕らは地獄に落とされた罪人というよりは、罪人たちが攻められている地獄を見渡しているような感じである。

ただ、積み上げられた小石の上に、周囲の風景とまったく違和感そのもののぬいぐるみやらおもちゃやらその他日常品が至るところに放置されているのは奇妙な光景である。どうやらこれらは、ここを訪れる人が、捨てようのない物品を供養を兼ねてここに捨てにきた結果のようなのである。そう考えると、子供の品々など、死んだ子供の遺品であろうわけで、少し気味が悪い。

あたりはかなりきつい硫黄の臭いが漂っている。いくつかの岩の塊からは蒸気が噴き出していて、吹き出し口の回りには白や黄色の硫黄が付着している。至る所に禁煙と書かれた札が立っているのも環境美化のためではなく、引火の危険があるからである。たしかに、なかなかすさまじい場所である。

地獄巡りの道中にさまざまなお堂や、
地蔵が立っている。ここは納骨堂

 

岩場を越えると、ここからはなだらかな下り坂。
行き先に向こうに湖が見える

 

岩場を越えて賽の河原へ

 

地獄巡りの岩場を越えると、あとは湖に至るまで、なだらかな下り道になっている。この辺になると、草木の生えた小さな丘があったり、かと思えば蒸気とともに温泉の熱湯があふれ出しているところがあったり、という感じになってくる。遊歩道の小道は未だ岩場だが、前方の視界が開け、遠くに大きな宇曾利山湖、そしてその向こうにひとつだけとんがった山が見えてくる。しばし立ち止まって、後ろを振り返ると、今し方まで歩いてきた地獄巡りの岩場が見える。この辺で僕は、恐山の異様な美しさを感じた。ここは、居ながらにして、地獄から始まって、浄土へ至る道を巡ることのできるところなのだ。

日本の大乗仏教では、六道(地獄、餓鬼、畜生、阿修羅、人間、天)と呼ばれる、地獄から天に至る世界は、すべて現に我々が生きているこの現世に偏在している、と考えたものらしい。そして、念仏を唱えることで、これら現世から解放されて安らかな浄土へ至るのである。

責め立てられて苦しみもがく人たち(地獄)、決して満たされることのない欲望の充足に日々を送る人たち(餓鬼)、殺さなければ殺される恐怖に常にさらされながら生きる人たち(畜生)、志のために戦うことを運命づけられた人たち(阿修羅)、人として定められた道を歩き日を送る人たち(人間)、そして栄耀栄華を手に入れた人たち(天)。どうだろう、例えば現代の東京を見回してみると、六道そのものではないか。生きることは苦である、というのは仏教の根本思想だが、この考え方、特に末世に説得力を持つ。してみると、二十一世紀に入ってますます混乱している世界にあって、恐山を期せずして訪れるというのも不思議な偶然かもしれない。

ところで、僕にとって東京は六道の町であり、一般にアジアの町のどこにいってもそんな感じを受ける、何もかもがひとところに一緒くたなのである。キリスト教の国ではそうはなっておらず、おおざっぱに言って、いいものと悪いものは分離されている。地獄と天国は正真正銘あの世に属していて、現世が地獄そのものだ、という考え方はないと思う、同じく天国も。ただ、現世を天国へと持ち上げようとする死にものぐるいの努力があって、それがキリスト教の根本になっていると思う。ひところひたすらヨーロッパにあこがれたことのある身として、いま、こうして恐山やらなにやらに戻ってくると、つくづく自分は骨の髄まで日本人だなあ、と思う。

さて、恐山である。地獄巡りの最後の見せ場は、もうすでに岩場を抜けたところにある血の池地獄である。思わずすごい光景を期待してしまうような響きである。立て札の小道を抜けると、石で囲まれた小さな池の真ん中におだやかな顔をした地蔵が立っていて、池はきれいな水で満たされている。面白いことに、これが血の池地獄なのである。自分も含め、たいがいの人がきょとんとしているのが面白い。

カルデラ湖の宇曾利山湖の水は澄んでいて、静かである

 

湖のほとりは極楽ヶ浜と呼ばれる真っ白の砂浜である。 実に清浄な感じがする

 

湖と山と浄土

 

血の池地獄から出てくると、そこからはもう湖へと続くなだらかな平地が広がる、ここは賽の河原と名付けられたところである。この河原には、うねうねとくねって最後には湖に注ぎ込む小川があちこちに流れている。それらは、土地に含まれる硫黄やその他の鉱物の成分によって、あるものは赤銅色、あるものは黄色、そして白、といった風に、川底がきれいに色づいている。

特に赤銅色の小川は、いま通ってきた地獄で攻められている罪人達の流す血が集まって川になり、それが湖へと流れてゆく光景を彷彿とさせる。すべての苦しみは、さいごはちょろちょろと流れる小川となって静かな湖へ流れつき、癒される、という風に見えるのである。そうしてみると、湖の向こうでこちらを見守るように立っている山が仏様のようにも見えて来る。この辺の風景は実に美しく、まさにここは浄土だ、という感じがする。

湖のほとりは、まるでビーチのようにきれいな砂浜になっていて、水はきれいでおだやかであった。ここは極楽ヶ浜と名付けられている。夏の晴れた日に行ったので、特にそう感じたのだろう。別の天候のときには、また別の顔を見せるのかもしれない。とにかく、ここで恐山の遊歩道はひとまず終わり、別ルートから折り返すかたちになっている。

参拝客のお供え物に群がるカラスたち。
人間を怖がらず、逃げも、悪びれもしない

 

恐山のカラス

 

恐山は実に静かなところで、聞こえる音はカラスの鳴き声のみである。とはいえ、相当数のカラスが寺に住みついていて、カラスが嫌いな人にとっては、けっこう耳障りかもしれない。さらに、やつらは、そこらじゅうを歩き回り、飛び回り、人間をあまり恐れないので、けっこう至近距離で顔を合わせることがある。

しばらく歩いていて分かったのだが、このカラスたち、参拝にくる人たちが置いてゆくお供え物のお菓子やら果物やらをひたすらむさぼり食って生活しているのである。お寺自体はそう大きくないが、そのとなりの丘陵一帯はかなり広く、点々とお地蔵さんが立っていて、それぞれにお供えがされるせいで、食い物はかなりの量なのである。

一番の高台にあるお地蔵さんでの事。どうやらあちこちの霊場を行脚して回っていると思われる、じいさんばあさんの一団が大勢でやってきて、お地蔵さんにひとしきりお祈りしたかと思うと、しょっている袋からお菓子やら、果物やら、にぎり飯やら取り出したかと思うとむしゃむしゃと食い始めた。ひとしきり食べると、残りをお供えのつもりなのか、お地蔵さんの下に並べて、去っていった。とたんに大量のカラスがやってきて、食い物に群がり、袋入りの菓子を突き破り食い散らし、果物をつつき回し、あたりは大変なことになった。

破られた菓子の袋やらなにやらのゴミはとたんに風に舞い、高台から四方八方にむかってゴミをまき散らした状態になった。たしかに、ここを歩いていると、けっこうゴミが散らかっていて、初めは、こんな場所でよくゴミを捨てるものだなあ、などと思っていたのだが、これは違っていた。お供えとカラスのせいだったのだ。

それにしても、あのじいさんばあさんの集団、自分たちのお供えをカラスが食い散らしているのを見ても、気にも止めない。うーん、さすが年の功である。行脚の一行とカラスたちが何となく同じに見えた、これすべて生きるためである。

 

 

極楽ヶ浜から折り返す途中に広がるパノラマ

 

宿坊に泊まる

 

その日の夜は、お寺の宿坊に泊まった。一泊二食付きで五千円である。あくまでも宿坊なので、部屋といってもただの六畳一間のたたみ部屋で、他に何にもないので、お茶を飲んで、煙草でも吸って、ぼんやりするぐらいしかする事はない。でも、静かで、なかなか気持ちがいい。

お風呂は境内に、四カ所の温泉部屋があり、そこまで外を歩いてゆく。小さな古びた木の小屋で、風呂も、洗い場も何もかも木でできていて、独特の風情である。お寺で働く人も、坊さんも、皆この風呂場へ風呂を浴びに来るので、夕飯前に行ったときはなかなかにぎやかであった。温泉は湯冷めしにくい、と言われているが、ここはまさにそうであった。かなりきつい硫黄泉のはずで、そのせいかもしれない。風呂から上がった後も、ずっとしばらく体がぽかぽかしていた。

夕飯は、大部屋でみな揃って、坊さんに合わせてお祈りの文句を唱えたあと頂く。とうぜんながら精進料理で肉魚のたぐいはないが、寺の料理としてはかなりのボリュームで、腹一杯になる。夕飯が終わってほどなくすると、もう九時には消灯である。他にすることもないので、僕たちは、夜遅く、もう一回温泉に行ってみた。

さすがに誰もいないが、温泉小屋には明かりがついている。一人で野外の温泉につかるというのは気持ちがいいが、場所が場所なだけにちょっと怖い感じもする。案の定というか、何というか、ここで、僕は変なものを見た。温泉につかりながら、何気なく入り口の脱衣場の上の天井の隅っこを見たら、そこになにやら白いものがぐるぐると渦巻いているのが見えたのである。あれっ、と思って目をそらして再び見ると、もう無かった。時間にして一、二秒の事であった。さすがにちょっと薄気味悪くなり、早々に出てしまった。単なる錯覚だろうか、下等霊のたぐいだろうか、分からない。

朝は六時に起床である。朝飯の前に、朝の勤行を済ませなければならない。宿坊の客は、みな揃って、坊さんについて二つのお堂でお祈りする。朝っぱらからお焼香したのはこれが初めてだった。そして朝飯、そして解散である。どこのお寺にも宿坊というものはあるようだが、ここまできちんとしきたりをさせるお寺も珍しいようである。

ここではカラスと地蔵はセットになっている

 

イタコ、そしておわりに

 

そういえば、恐山といえば有名なイタコのことを忘れていた。宿坊の反対側に、いくつか平屋があり、そこでイタコの口寄せをやっているようである。恐山のイタコについては、その後、青森を回る中で、土地の人たちにあれこれと聞いた。イタコは今では、後を継ぐ人がほとんどいないせいで、数は多くなく、二、三十人ほどで、ふだんは恐山にはおらず、青森の町に住み、そこで口寄せ、祈祷、占いなどの商売で生計を立てているそうである。そして、恐山大祭の時期に恐山に集結し、参拝者の希望に応じて口寄せをするのだそうだ。

ただ、大祭以外のときでもいく人かは恐山にいるようで、僕たちが行ったときも、平屋の玄関には五、六足の靴が脱ぎ置かれていて、たぶん中ではイタコの口寄せが行われていたのだろう。あと、これも土地のタクシーの運ちゃんに聞いたが、古いイタコは完全な津軽弁でやるものだから、外の人は口寄せをしてもらっても、ほとんど何を言ってるか分からないそうである。しかし、なかには口寄せのときは標準語でやってくれるイタコもいて、人気があるそうだ。ちなみに、実際に土地で聞いてみると分かるが、本物の津軽弁は聞いてもほとんど分からない。

さて、恐山紀行を、これで終わる。恐山は、高野山、比叡山と並ぶ日本三大霊場のひとつである。慈覚大師円仁が開山したのが九世紀のこと、すでに千年以上の歴史が流れていることになる。タクシーの運ちゃんは、恐山なんぞもうすっかりただの観光地で、昔の風情なんかもう残っとらんよ、と冷淡だったが、ただ、たまたま嵐のときとか、天候の悪いときなどに行くと、たしかにまだ昔の恐山の不気味さが漂うそうである。

何にしても、恐山は、不思議な、美しい場所である。東北旅行などすることがあったら、行ってみることをお勧めする。

 

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