とうとう見付けたアンカラのカバブの味


去年、仕事でパリに二週間ほど滞在していたとき、僕のいつもの夕御飯はまるで質素だった。仕事場から帰ると、ホテルのちかくのチャイニーズのお総菜屋で中華総菜と缶ハイネケンを買い込み、惣菜を部屋の電子レンジで温めて、ビールを飲みつつ食べるのが日課だった。ちなみにホテルはレジデントタイプで、調理器具などはすべて揃っていた。朝飯などはコーヒーを煎れて、パンを焼き、近所で買ったパテやサラミハムをソテーして食って満足していた。

せっかくフランス料理のお国に来たのに、と思わないでもなかったが、何かおっくうで、仕事場のフランス人と昼に食事に行く他は、ほとんど料理店には入らなかった。そして最後の夜、まあ、せっかくだからと思い、界隈を散歩して料理屋を物色して入ることにした。日本でもフランス料理屋に入ることはほとんどないが、やはりここでもフランス料理屋は敬遠してしまい、結局腰を落ち着けたのはギリシア料理店だった。

ここで僕は、前菜の盛り合わせと、メインのバーベキュープレートを注文し、結局ひとりで赤ワインをカラフェで二杯も飲み、二時間近く食事していたが、このとき食った料理が、僕はとても気に入ってしまった。前菜盛り合わせは、二人前はあっただろう、金属の平皿に、ギリシャの前菜十種類ほどが無造作に並んでいた。魚の酢漬け、米をぶどうの葉でくるんで酢で漬けたもの、玉葱やその他野菜の酢漬け、パテが二種類ほど、フェタチーズの切り身、といったおせじにもきれいとは言えない料理の数々に、素気ないヨーグルトソースが付いている。どれを食っても、美味しいという感じはないのだが、何だかわからないがとても満足して、全部平らげてしまった。

そしてメインの、金串に刺した、牛肉、羊肉、鳥肉のあぶり焼きが、これまた特段に柔らかくも、ジューシーでもないのに、炭焼きの味がして、くちゃくちゃといつまでも噛んでいると、肉の味がいつまでも味わえて、これまた楽しいのである。なにせ肉は、固いとまではいかぬとも、柔らかくないので、たくさん噛まないと飲み込めない。でもこれも大満足で、最後まで楽しんで食事をした。

日本に帰ってきても、あの料理が忘れられず、どこかであんな料理が食えぬものかと思っていた。ここ東京の、かなりたくさんある一般向きの料理店で、僕がパリで食べたあんなとんでもなく素気ない料理を出せる勇気のある店はあるのかしら、とまで考えてしまうほど、東京のレストランは味についてサービス過剰に感じられる。昔、グルメブームのころ、「まったりして、コクがある」という言葉が流行ったことがあったが、その悪影響なのか、味はコクがあり過ぎ、材料は柔らかすぎ、のど越しは滑らかすぎ、香りは飾りすぎ、といった料理がやたらと目立つように感じられるがいかがだろう。東京のレストランの主要な儲け客は若者なので、そのせいもあるのか、あんなに美味しすぎる料理じゃ、消化不良を起こしそうな気になる。

もちろん、普段はこんなことは意識はしない、何も考えずにビールで流し込んでしまう。それにしても、パリで食ったあの料理からは、その生まれ故郷のギリシアの土地の、空気の香りや、草原の匂い、そして町中の雑踏の臭いが漂って来るように感じられる。まさに生活の味の染み着いた代物で、そういう食い物を思うと、本当にそういうものがなつかしくなるのである。

さて、当然はじめに僕はギリシア料理屋を探してみたのだが、東京にはギリシャ料理の店がとても少ないことが分かった。ギリシアへは、数年前に2週間近く旅行したことがあったので、ギリシャ料理の何たるかは一応心得ていた。観光客が入る中級以上のレストランにも、土地の人が入る大衆料理屋にも入ってみて、ギリシャ料理はとても気に入っていた。イタリア料理をずっとずっと素朴にしたような感じだが、イタリアと決定的に違うのが、全体に中東の香りが漂っているところだ。

アテネの町にしてもそうだった。町の高台にあるアクアポリスの石の神殿、石彫のたぐいが醸し出すイタリアルネッサンスのルーツとしての威風と、町中に降りてきたときに、そのごちゃごちゃした雑踏に見える中東的街並み、臭い、人々の顔の醸し出す一種東洋的混乱と言えそうな空気は、非常に対照的に見えた。

さて、ギリシャの旅の印象は別項で紹介するとして、ここでは食い物だ。ホワイトソース、挽き肉、チーズなどを重ねて焼いたムサカや、詰め物をしたピーマンのドルネ、など有名ないくつかの前菜系の料理に、メインはやはり直火焼きが主流のようで、牛肉や羊肉を、あぶり焼きにする肉料理がある。

鉄串に肉を刺してあぶり焼きする料理はカバブと呼ばれるが、これはインドから中東圏、トルコ、そしてここギリシア一帯でとても一般的な料理である。とにかく「肉を喰っている」という、何というか肉食獣的欲求を満足させてくれる料理である。これに比べると、松坂牛をレアで焼いたステーキを食ったり、柔らかくマリネした牛肉をソテーして美味なソースをかけたフランス料理を食ったり、果ては、妙に人口肉っぽい薄いピンク色をしたワニ肉のようなふかふかのアメリカンステーキを食ったりしているときの、文明人的気分と何か対極である。

ギリシャでは、このあぶり焼きの肉の付け合わせとして、トマトとキュウリの盛り合わせをもっぱら注文していた。こちらは、トマトのスライスとキュウリのスライス、どちらも厚めに切ったものを皿に並べただけのものである。食卓に用意された岩塩、コショウ、ビネガー、オリーブオイルを適当にかけて食べる。このトマトとキュウリが、どこで注文しても最高に旨かった。先の肉に対して、こちらは草食獣的欲求を満足させてくれる料理と言えそうである。ギリシャは土地が痩せていて、オリーブぐらいしか育たない、などと聞いていたが、かえってそのせいで野菜の味と香りが凝縮されるのだろうか、分からないが、最近の東京で売っている甘くて水っぽい野菜とは比較にならないおいしさであった。

以上は、中級以上のレストランでの食事だが、土地の人が集まる大衆食堂にも入ってみた。作り置きしたお総菜がガラスケースの中に幾つも並んでいる。こちらでは、大ぶりで厚手のピーマンに米を詰めて煮込んだドルネ、なにやら魚を煮込んだもの、など何品か指差し注文したが、どれもたっぷりのオリーブオイルに浸かったような感じである。材料を煮込むときに、スープなど水気を使わずに、オリーブオイルをどぼどぼと入れ、材料の水気を引き出して煮た、という感じである。それだけにその材料の味は濃厚にしみ出ていて、それとワイルドなオリーブオイルの香り、そして加える香辛料はおそらくオレガノが主流のようで、全体にオレガノのちょっとさわやかな香り、こういった代物がごっちゃに混じったものが皿に乗る。これも旨かった。もっとも大量のオリーブオイルのせいでいくらか胃にもたれたが、慣れてしまえば何と言うことはなくなるだろう。

それにしても、やっぱりこの「あくどい」という形容がぴったりのような大衆料理は、アテネの町中の少し怪しいような空気と、うまくつり合っているように感じられ、食べていて実に満足だった。

さて、ギリシャで食べた料理へ話しがそれてしまったが、東京のギリシャ料理である。結局、ギリシア料理屋の適当なのは見つからなかった。いや、一軒だけ渋谷に見付けたが、長期休暇中とやらで店を閉めていた。しかし、考えてみると、そもそもの発端はパリで食ったあのギリシャ料理なわけで、実際にギリシャで食べた本場のギリシャ料理に飢えていたわけではないのである。つまり、そのとき僕は、ギリシャ料理を求めていたというよりは、先に書いたように、素朴で率直な料理を探していたわけである。そして、その感覚は、よくよく思ってみれば、鉄串に肉を刺して炭であぶり焼きしたあのカバブの中にあった。

中東のカバブが食いたい、と言い続けていたある日、銀座の本屋のパンフレット棚に置いてあるTokyo Classifiedという小冊子をぱらぱらめくっていると、東京のレストラン紹介の欄にあったあった、カバブの大写し。ちなみにTokyo Classifiedは東京で暮らす外人のための生活情報交換誌で、日本のガイジンが何を考えているか分かって面白いので、ときどき見ていた。

さて、カバブの大写しは、実際はドネルカバブというこれまたあちら一帯で超ポピュラーな代物であった。そう、ギリシャでの料理のところで書き忘れたが、町中のいわゆるファーストフードの扱いとして、このドネルカバブは至る所で食べられ、これも抜群に気に入っていた。

牛肉を厚めの大きな薄切りにし、これを長い鉄串に刺して積み重ねて行くと、ちょうど大きな肉の塊を串に刺したような形になる。これを特殊な機械にセットする。串が立つ方向にセットし、これがゆっくり回転する仕掛けになっていて、肉塊にかなり接近した位置に赤熱した電熱器があって、ゆっくりと目の前を通過して行く肉の表面をあぶり焼く、というものである。この肉塊を長いナイフで縦にそぎ切りにすると、太い紐状の肉がぽろぽろと受け皿に落ちる。これがドネルカバブである。

この肉を野菜とヨーグルトソースと共にピタパンに挟んだものをギリシャではギロといい、ちょうどアメリカのハンバーガーに相当するファーストフードになる。このギロは、またこれが旨くて、ギリシャから帰った後ではギロはどこかにないか、と探したものである。最近では、東京でもこのギロを売っている移動店舗のようなものをいくらか見かけるようになった。

さて、Tokyo Classifiedに載ったこのドネルカバブのかたまりの大写しの広告は、渋谷にあるアンカラという名前のトルコ料理店であった。さっそく行ってみた。東急プラザの横を入ってしばらく行くと結構急な坂になり、そこをかなり登って、さて、もうすぐ住宅街に入ってしまう、というところに店があった、結構へんぴな場所である。

店内は二十席ほどの狭さで、こぎれいな良い雰囲気である。案の定というか、あのガイジン向け情報誌に広告を出しているだけあり、店員は外国人、客も外国人が多いようだった。そこでさっそく、トリ肉とキュウリの角切りの辛みサラダ、挽き肉を乗せて焼いた小さなトルコ風ピザ、そして当然焼き物は、ドネルカバブ、そしてミックスカバブを注文した。一言で言って、これは大満足であった。本当に、パリから帰ってきて以来想い続けていた料理をとうとう見付けた、と思った。

鳥肉とキュウリのサラダは、柔らかくゆでたトリ肉、キュウリを小さめの角切りに切って、タマネギも加えて、トウガラシの粉、そして白ゴマをたっぷり加えたあっさりしたドレッシングで全体をあえたもの。ビネガーもオリーブオイルもかなり控えめのようで、余計な味はいっさい付いていない。このサラダはいくら食べても食べ飽きない、際限なくあるだけ食べてしまいそうである。トルコ風ピザは、香辛料で味付けした挽き肉を、十センチほどに伸ばした小さなピザ生地の上に塗って焼いたものが2、3個皿の乗っている。これも抜群に旨い。

そして、ドネルカバブは大皿にたっぷり乗っていて、軽いサラダとオニオンライスと共に出てくる。しかし、これは何というか、もう絶品としか言いようがない。香ばしく焦げてかりっとしたところと、脂が乗ってとろけるようなところが適当に混ざっていて、実に旨い。そして、牛肉、羊肉、トリ肉、ソーセージのカバブの盛り合わせは、実に、肉を食っている、という感じが十二分に味わえて大満足である。これに冷たく冷えたトルコビール、そして赤ワインがあって、もう何も言うことはない。とにかく、舌ももちろん満足するが、何というか気分に満足感がいっぱいで、店を出たときはすべてが満足状態だった。

しかしこの店、いつ行ってもがらがらにすいていて、ちゃんとやって行けているのか、いくらか心配である。本当に気に入っている店は人に教えない、などということを僕はしない、良い店なので皆ぜひ行ってみて欲しい。なにせ、つぶれてしまったら僕が困るのである。