ニュー鳥ぎんの変わらぬ素朴な焼き鳥


焼き鳥屋の「鳥ぎん」は、これはもうむやみやたらに支店があり、焼き鳥界のファミリーレストランのような状態であるが、味の管理などはどうやらあまりしていないようで、各店でずいぶん味が違う。近年のこぎれいな、旨いものを出すチェーン店などは、現代風経営方針が徹底していて、店内の雰囲気、店員の教育、そしてもちろん味の管理もやたらとしっかり行き届いていて、どこの支店に入っても変わらぬ満足が得られるところ、逆に「ここにあるこの店じゃなくちゃだめ」と言う楽しみがなく、つまらないような気がするがいかがだろう。

この鳥ぎんはその点、昔ながらの支店の増やしかたのようで、一度、とある駅前の鳥ぎんに入ったが、この店の料理が結構ひどかった。じゃあ鳥ぎんならどこがいいかというと、僕にとっては、これはもう圧倒的に銀座の「ニュー鳥ぎん」に限る。実際、銀座には、本館、ニュー、別館、云々店、と鳥ぎんが四店舗ほどあり、全て入ってみたが、やっぱりニュー鳥ぎんが一番であった。この店には、もうかなり前から定期的に通っては飲んで喰ってしているが、味は昔のままである。

元来、焼き鳥というもの、これほど大衆的な酒のさかなはないようなもので、僕には、焼き鳥を喰って酒を飲むというのは、もの凄く大衆的な楽しみ方で、これは場末の雰囲気をいくらか連想する。場末の飲み屋で、妙に無口なおっちゃん達が、黙って酒を飲んでいる中に交じって、そこに身を置いて、なつかしいような、淋しいような、あの気分に浸る気持ちの良さと、何となく結びついた食い物である。

だから旨い焼き鳥、というのにも限度があって、それより焼き鳥は素朴じゃなきゃ、と思うのである。ときどき見知らぬ安酒場で焼き鳥を注文すると、とんでもなく臭くて身の痩せた焼き鳥が出てきて、ありゃ、これはくえたもんじゃねえな、と言いつつもビールを飲みながらむしっては喰っていると、別にこれでいいや、という気にもなる。何の文句があるか、今日も酒が飲めてこうやって生きているんだからさ、と、まるで日雇い労働者の気分である。僕はその手の労働者ではないが、平民の僕の体にもそんな日雇いのおっちゃん達の血も流れているはず。僕にとって焼き鳥という食い物はそんな連想までさせるような代物なので、旨さより、変わらぬ素朴さが重要なわけである。

昔、焼き鳥が好きなある奴に連れていってもらった焼き鳥専門店で喰った焼き鳥は確かに美味であったが、旨すぎるのだ。あとで聞いてみると、バターを塗って焼いているとのこと。彼は、これがプロの味だよ、と無邪気にも言っていたもので、僕は生返事をしただけであったが、あんな焼き鳥は勘弁して欲しいと思うのである。

ここニュー鳥ぎんの焼き鳥は、もちろんそんな妙なしかけはなく、飾らず、変わらず、いいものである。ニュー鳥ぎんの焼き鳥はどれも旨いが、特に「アスパラと皮のはさみ」が絶品だ。あの皮はニワトリのどこの部所を使っているのだろう、とろけるような鳥の脂と柔らかい皮の出す、味、香り、歯触り、すべて申し分なし。それと大ぶりに切った脂の乗った鴨も好きだ。つくねも旨い。がりがりとした歯触りは、たぶん常道通り、首肉を骨ごと擦って作っているのだろう。僕はやっぱり塩で焼いて喰うのが好きだから、そうしている。タレものの味は知らない。

ここに通い始めたのは、もうずいぶん昔で、十年以上前のことだろうか。数年前に、店内が改装され、今に至っている。昔は、三階建ての木造家屋といった感じで、粗末なデコラのテーブルと丸イスを並べた、ひと昔前の大衆酒場の雰囲気であった。壁の上の方には電車の網棚をそのまま取り付けてあり、荷物類はすべてその上に乗せられるから、イスの上や床に荷物を置いたりする必要がない。それで客は相席でどんどん詰めて座ってもらう、なにしろ、この店は時間になるとすぐにいっぱいになってしまうのだ。今では、店内はきれいになり、普通の割烹のようになっている、昔の雰囲気が好きだっただけに、いくらか残念である。

それから、ここが好きになった理由のひとつに、瓶ビールがうまい、というのがある。ここは昔からサッポロ黒ラベルの大瓶である。僕は実は日本のビールが好きではなく、アメリカの水のようなビールを好む方なのだが、ここのビールだけは例外だった。日本のビールで適温とされている温度よりいくらか低く冷やしてあって、そのせいだろうか、出てくる黒ラベル大瓶が、またやけにうまいのである。氷で冷やしているようなので、そのせいだろうか、それとも仕入れルートのせいで鮮度がいいのだろうか、分からない。しかし、最近、このビールもいくらか普通になってしまった、これも少し残念。

最後に、釜飯を紹介しなければいけない。ここは焼き鳥と釜飯の店と銘打っているのだ。ここの釜飯は、これはまた絶品である。色々な種類があるが、ここはやはり、もっとも基本の「鳥釜飯」に限ると思う。味付けした鳥肉のそぼろを乗せて、うっすらと醤油色に炊きあげてある。御飯の一粒一粒に、鳥の脂がうっすらとまわっているせいで、粒が立っているような、ふっくらとした御飯は、これはもうめちゃめちゃに旨い、としか言いようがない。

普段この店に入ると、焼き鳥とビールをしこたま喰って飲んでしてしまうので、釜飯でしめるときはおなかがいっぱいで、鳥釜飯だけしか注文しないが、余裕があるときは、これに「鮭釜飯」を追加する。こちらは、さらにシンプルな代物で、白飯の上に、鮭の切り身を四つ乗っけて炊きあげ、仕上げに、上から黒ゴマをぱらぱら振りかけたものである。何の飾りもない、味と見た目、いいものだね、おなかよりも何よりも、気分が満足する。