1998年5月にあったことと考えたこと

5月2日


ヘイルメリーブルースバンドのハープのヒトシくんに誘われて、Postという地元バーでやってるフリーライブへ行って演奏してきた。雰囲気は、地元商店街の一角にあるスナックに集まる地元民といった風で、おせじにもレベルが高いとは言えないが、ま、フリーライブなんてどこもそんなもんだけどね。平沢という弾き語り屋がいて、彼は天然ボケを売りにした、冗談とも本気とも付かぬ滑稽な変な曲を書いて歌う。ヘイルメリーのジンちゃんらは彼にとてもはまってるらしいが、僕にはまったくつまらない。一言で言えば小市民的。小市民と言ってもこの場合、日本の、都会の、中央から外れた駅から、バスで15分の、小さな町の商店街の、豆腐屋3軒隣り洋品店前の、小カラオケスナックの常連老若男女のバカ騒ぎ、といったところ。僕の演奏はうけたけど(あたりまえ)、多分もう行かない

5月5日


ゴールデンウィークはずっと部屋の模様変えをやっていた。出来上がってなかなか快適である。


5月11日


天声人語に、XJapanのHideの葬式で、大量のへんちくりんな格好した若者が整然とゴミの始末までして去って行ったのを感心していてるのを読んでバカバカしかった。

まず、僕はかなりむかし、ビジュアル系ヘビメタの連中が常連にしてる渋谷の練習スタジオで練習していたことがあったが、連中は基本的に、ものすごくきれい好きで、礼儀正しく、小心で、平和を好み、よって社会的ルールを頭から守る奴等だ、ということをそこでよく知った。店の入り口から、エレベータ、店内、スタジオ内まで、やれ「ジュースを飲むな」「大声でしゃべるな」「きれいに使わないと罰金」だなんだとうるさいほど張り紙がしてある(スタジオを運営してるのはビジュアル系の人々)。その中には「あなたのその自分勝手な行動のせいで我々ロッカー全体が白い目で見られるのです」などというのまである、まるで小学校である。だから葬式が大人達と同じになるのは当然なのだ、かっこが変なだけなのだ。

それとあれを書いてる人のあまりの世間知らずの画一的感覚に驚く。あれら若者は「変なかっこした分からん奴等」と頭から区別している。人間を細かく自分勝手に類型分けしておいて、それらに似たところがあるのに自分だけで驚いている。同じ人間だという前提から出発せずに、カテゴリーに分けたあとに同じ人間だと思いたがっている、なぜなら差別はいけないことだから。呆れるよ、まったくジャーナリスト臭い。天声人語は誰が書いてるか知らないが、あれは日本的ジャーナリズムの典型だ。

地元大森の信濃路っていう古い24時間定食屋で、ときどき出稼ぎ中国人などが働いてるのを見かけるが、あそこのおっちゃん達はごく自然に、彼らを同じ人間だ、とした後に区別してるよ、決して逆じゃない。天声人語のおじさんもそういうところで一日じっくり観察するといい。

5月15日


集中機器管理室へものを借りに行ったときのこと。あそこで昔からずっと働いているあのもの静かなおばさんに「すみませんが・・」と声をかけられ、僕の借りているストップウォッチに備品シールを貼って欲しい、とのことで、小さなシールの入った小さな袋を受け取った。それはプリンタの打ち出し用紙を切って、糊で張り合わせて作った3、4cm角の小さな手作りの袋で、表に鉛筆で宛名書きがしてある。受け取った僕はこれを見て妙になつかしくなった。

今そんな袋をわざわざ作る人はまあいないだろうな、その辺の茶封筒に入れて終わりだ。昔の事務所っていうのは、今考えると実にほんとに魅力的だったなあ。分類用に使う子ひきだしがたくさん付いた整理箱、大小様々な受け皿、壁一面に並んだ掛けふだ、黒板とチョーク、ひもで綴じた分厚い帳簿、とにかく細々したものがものすごくたくさんあって、それらが整然と整理されていた。

事務の仕事ってのは情報を整理して管理することだが、それら膨大な情報が、前に書いた大小様々な道具によって物理的な形を与えられて事務所の空間を埋め尽くしていた、という感じがする。事務所の眺めと、その中に蓄えられた情報に意味上のつながりはないが、僕にはその眺めが、事務という心を容れた身体、という風な気がする。この辺の事情、カフカの「審判」はもとより、ゴーゴリの「外套」を読むとよく分かるなあ。

今では情報が1と0の組み合わせで表記できることが分かったせいで、1と0を蓄積できる機械、コンピュータが一手に引き受けて、あの色とりどりに着飾っていた込み入った事務所の外観が、ただの箱一個にしぼんでしまった。実に貧弱な身体である。そんな中で、いきなりああいう小さな紙の袋などを渡されると、ちょっとびっくりする。家に持って帰ってとってある。


5月16日


土曜にはBBBの練習、去年末にライブをやってから実に半年近くぶりである。みんなうまいから、ちょっと合わせるだけですぐに曲が完成する、楽だなあ。ヘイルメリーでこじんまりしたライブやろうと盛り上がる、これは楽しそう


5月17日


日曜の夜はゆうすけくんの送別会。その一幕で、僕がギターのバックをやって、ジャズボーカルを長年習っているおばちゃんが歌った。曲はKansas City。しかし日本のジャズボーカルスクールで教える女性ジャズシンガーの唄法というのは、なぜああまで皆同じなのかなあ。ほとんど区別が付かない。よくよく注意して聞いてみると、どうも皆ブルースの感覚が欠如しているようである。これはほとんどちょっとした語尾の音程、リズムなどに現れるのだが、彼女らにはそれが聞き取れないらしい。例えばダイナ・ワシントンがバラードAll of meを歌うのを聞くと、強烈なブルース臭がする。ブルースを取り去ったジャズは、なにかもっとクールなものじゃないといけないのだが、ブルースがないのにブルースの曲を歌うのが良くない、限りなく聞き流しエレベータミュージックにしか聞こえない。日本の女性ジャズシンガーちょっと考え直した方がいいんだけど、ま、スクールということで、めくじら立てるほどではないか。

ところでそのおばちゃん、英語で英語の唄を歌うことに限界を感じて、最近日本語の日本の曲を練習しているとのこと、賢明である。ただ一曲歌ったが、こんどは日本語のシャンソンみたいだったが・・

5月21日


ボロ木造アパートの2階のわが家のベランダの前にビワの木がある。今年もたくさん付けた実が黄色く色づいてきて、そろそろ食べ頃である。この木はもともと向かいの一軒家の裏庭に生えているのだが、年々、背が高くなり、葉を広げ、今年は家のベランダに葉っぱがかかるほどになった。すぐ目の前にたくさん実がなっている、取り放題である。2、3年前は身を乗り出してようやく取れる距離だったのが、どうやらうちのベランダに向かって葉を広げているらしい。持ち主の家はビワには興味ないようで、取って食べるでもない、そこでこっちに向かって来るのだろう。面白いなあ、ビワとしては当然食ってもらう必要があるわけで、だから毎年楽しみにしている僕らの何かを感知してこちらへ寄ってくる。それが証拠に、去年食べた実の種をプランターに植えて、芽が出て葉を付けたんで、プランターごと福井さんにあげて、今はあそこの庭のどこかに植わっているはずで、つまり子孫を増やしたことになる訳である。つまり十分理由があることなのだ。

ベランダのすぐ右には2階建てを軽く越す巨大な松の木が立っている。こちらはカラスたちの憩いの場である。正面にビワの木、そして左にはまだ背のあまり高くない柿の木がある、これも年々葉をこちらに広げている感じである。そんな木々の間を猫達が徘徊している、いい眺めである。


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