約束の時間が七時というのは錯覚だよ 会えれば何時でもいい


いまから二十年近く前、就職したばかりのこと、とあるディレクターと一緒に仕事をする機会があった。仕事といっても気楽なもので、ローカルのラジオ番組を、ディレクター、アナウンサー、技術(これが僕)、レコード回しのおねえさん(皿回し、と言っていた)の4人で週1回ナマ放送する、というものである。そんなラクな仕事なので、よく空き時間に雑談して過ごしたものである。さて、そのディレクターは、実によくしゃべる、ちょっと変わった感じの人で、かのユングに傾倒しており、その手の話をよくしていた。当時の僕は、今と違い、心理学など興味もなく、ずっとエモーショナルな人間だったので、ふーん、と聞き流していたのだが、あるとき、超能力の話が出た。その人、ひとしきりあれこれしゃべったあと、突然、「・・だから、自分がそう思って入れば、そうなるものなんだよ。たとえばこのスプーン(と言って打ち合わせ用に注文したコーヒーのスプーンを取り上げ)、僕は指で曲がると思ってるから、ほら」といって指先であっさりと曲げてしまったのである。僕と皿回しのおねえさんはかなり驚いたが、本人あっさりしたもので、曲がったスプーンを手渡して、まだしゃべり続けている。スプーンを手に取ってみると、やはりどう考えても指先で簡単に曲がる堅さじゃない。僕は、目の前でスプーン曲げを見たのは、あれが最初で最後であった。「だからね、実は、みんながこうだ、と思いこんでいることも一種の錯覚なんだよ、でも思いこんでいるから、そのようになるんだよ。たとえば君たちは朝の9時に出勤するでしょ、タイムカードがあって。あれも錯覚だよ。だってだれが9時までに会社のタイムレコーダー前に到着しなくちゃいけない、と決めてるわけ?よく考えると、だれもそんなことを本当に命令していないでしょ・・」云々、と彼のしゃべりは延々と続く。たぶん、そのとき彼は、いわゆる共同幻想の話をしていたのだと思うのだが、当時は言っている意味がよく分からなかった。しかし、その中で、「朝の9時に出勤するのは錯覚だ」という言葉だけ、やけに印象に残って、実は今に至るまで、ずっと覚えていて、ことあるごとに思い出し、それから十数年間の僕は、時計上の時間というものに縛られて行動することはなるべく避ける、というやり方で生活するようにしてきた。もちろん、当時彼が言った趣旨とは違うのだが、まあ、言葉というのはそうやって一人歩きするものだろう。この言葉、仕事をさぼるのにちょうどいい口実になる言葉だが、それだけじゃない、いったい自分は何のために生活しているのか、という問いかけをする、いい気付け薬になると思うよ。