電子工作に夢中になり始めたのは、小学5年生あたりからだったと思う。まさに来る日も来る日も、当時持っていた数少ない電子工作本に見入り、わかりもしない回路図を紙に写したり、手持ちの部品をいじったりしていたものだった。そうこうして中学生になり、今度は少し科学的な志向になり、たしかトランジスタ回路の設計本を買い込み、自ら回路設計をやろうと試み始めたのだが、これが当時の僕には歯が立たず、いくら読んでも意味がよく分からない。そうこうしているうちに興味は別へと移り、いつしか電子工作からは遠ざかっていった。思うに、もっとも夢中になっていたころに僕を惹きつけてやまなかったのは、あの電子部品たちのあれこれの個性的な姿かたちと、その独特の臭い、そして回路図の記号の簡素な美しさだったように思う。集積回路、すなわちICやLSIがポピュラーになる前のトランジスタ全盛の時代だったのだが、そのころの電子部品は、すべて単機能であった。ひとつの部品は、ひとつの機能しか持っていない。機能がひとつに決まっているから、その機能を最大限に発揮するようにデザインされるわけで、そのためか、形にあいまいなところがない。加えて、ひとつの機能を果たすために、さまざまなアプローチを取るせいで、次から次へと、ありとあらゆるバリエーションが生まれ、形状の豊富さは現在のデザイナーがデザインしたあれこれの製品に勝っているのではないかと思う。昔の電子部品の設計の場にもデザイナーのような人はいたとは思うが、今現在のデザイナーとはずいぶん異なっていただろう。おそらく、機能と性能の実現が優先で、まずはそれによって部品の形状が決まって行ったはずで、残されたいくばくかの余地にデザインセンスをつぎ込んだのだと思う。だから、これら電子部品は、人間の美的センスによって作られたというよりは、機能が作っていった姿かたち、ということになっているのだと思う。秋葉原の部品売り場へ行って、これら電子部品がぎっしりと並んでいる風景を見て連想するのが、森の中の昆虫たちである。昆虫もやはり、ある達成したい本能としての単機能があって、それによって姿かたちが選択され作られていったように見えるからである。僕がそのむかし、小学校の高学年から電子部品に夢中になったのも、低学年のころ虫取りに夢中だった、その延長だったのかもしれない。
創るより作るの方が高級だ(新)
いつごろだったか、企業のイメージチェンジが盛んに行われたときがあった。まずは、社名、そしてロゴデザインを各社次々と変えて行き、それに伴い、企業方針のようなものを謳った、いわゆるキャッチコピーも氾濫していた。社名はたいてい横文字になり、ロゴはポップアート調、そしてキャッチはやけに高邁な雰囲気になっていて、おもわず笑ってしまうものもずいぶんあった気がする。そんなキャッチのなかでよく使われた言葉が、この「創る」である。「何とかかんとかを、私たち何とかは創り出します」、といううたい文句がとても多かったように思うが、実にキザっぽくて、照れくさい。当然ながら「創る」というのは、新たに作り出すこと、「作る」は一般的な用字で、主に形をこしらえることに使うわけだが、さて、「創る」などという漢字の「つくる」が、それより前にあったのかどうか。ひょっとして、キャッチ作りのために流行らせただけじゃなかったか。新しくものを作り出すということが、まるで安易な簡単なことになったのは、現代以降のはなしで、こんな現代に聞く「創る」という言葉ほど安直な響きはないように思う。それに対して、その昔から綿々と作られてきた伝統的なある形を、着実に受け継ぎながら、ほんのわずかずつ、ほとんど目に見えないほどの遅い速度で変化させて行く、昔ながらの「作る」という行為の方がどれだけ高級か、と思う。だって、どんなにつまらないものでも、これまでに無いものを作れば一応新たに創造したことになるが、歴史を経て洗練されてきたある形を作ることには技術の習得と鍛錬がいる。現代では、創造の行為を、それがどんなに稚拙であっても認めてやって、ある力を持たせることができる流通機構ができあがっているせいで、創造行為がいとも簡単なことになった。すなわち、創造のための創造というものが現れたが、昔はそんなものは単純に相手にされなかったはずだ。もっとも、今では、広告のキャッチの「創る」はすでに古くなっていて、もう使われることはほとんどなくなった。結局のところ、ひととき多用されてあっという間に捨てられた「創る」という言葉のこの運命そのものが、「創る」という言葉のやくざな意味そのものを現わしている、ということか。
秋葉原って臭いねー
小中学生のとき以来、ふたたび秋葉原に通い始めたのは、真空管に凝りだしたからだが、通いはじめの初日は夏の終わりで、まだじゅうぶんに暑い頃だった。日曜の秋葉原は広い目抜き通りが歩行者天国で、かなりの人手である。通りに立ち、回りを見回したこのときの印象は、とにかく男ばかりだ、ということ、それも服装に共通した特徴があり、皆なんとなく黒ネズミ色なのである。ひところサラリーマンたちの服装がどぶねずみスーツなどと悪く言われたことがあったが、こちらはもっと黒いのである。やっぱりなんとなくアンダーグラウンドの雰囲気がただよっている。で、小さな路地や、何やの店舗街へ入って行くと、夏ということもあり、男の臭いふんぷんたるものがある。お店の人も、客も、皆ひとくせありそうな人ばかりで、かなり濃厚である。ところ狭しとならんでいる、あれこれの電気部品、工作機械や工具の数え切れないバリエーションと、むさ苦しい男たちのバリエーションとが、競い合っているようで、これぞ秋葉原、という風で、なかなか飽きさせない。とにかく、秋葉原というところ、臭いも臭いし、集まっている人の性質も臭いし、街作りも電気街臭いし、何もかも秋葉原臭いところだよね。しかし、その後、何度も通うようになって、とくに臭いとも思わなくなってしまったところは、つまり慣れてしまったか、この僕も臭い一員になってしまったか、といったところである。もっとも、最近は息が詰まる気がして長居しなくなり、用事が済むと即、街を出てしまうのだが。
ばあさんがクーラーにあたってすました顔してるというのは 人生が連続してる証拠だよ
なにもばあさんまで極端にしなくとも、自分について考えてみてもいい。たとえば僕は四十過ぎだが、三十年前の東京の生活はどんなだったか。クーラーなどなく、電車もバスも汗だくになって乗っていて、駅について歩いて汗だく、で、建物に入っても汗だく、と真夏の生活には逃げ場がなかった。道ばたには必ずどぶの溝があり、みみずがうねうねと泳いでいて臭かった、便所はくみ取りでバキュームカーが糞尿の滴らせながら道路を走り、ハエやカの量は今よりはるかに多くて、台所につるされたハエ取り紙にきたならしくくっついていたりしていた、とまあ、今現在では考えられない衛生状況の悪さである。これがばあさんともなると、あともう三十年だか遡るのである、一体どんな惨状だったのか、と思う。それでは、当時の人たちが今より不幸で大変だったか、というとそんなことはない、別にふつうに生活していた、あたりまえである。昔の環境とその中で生活していた自分と、今の環境とその中で生活している自分を、とつぜん取り出して並べてみると、あまりの理不尽な対照にびっくりする。もちろん、昔から今に至るまでの間に、このようになるに至った、一番大きそうな要因やトピックというものはある。クーラーが安くなったとか、日本の経済が上向きだった、とかなんとか。しかし、どうも、ひとつやふたつの事件が原動力になって、このようになった、という感じがしない。何というか、あらゆる事柄が連続して、オーバーラップして、互いに影響を及ぼし合い、大きい事件から小さい事件までのすべての事件が、ある方向性に向かって絡み合って総体として進んでいった、という風に見える。つまりすべてが連続して、すべてが一斉に今の方向に向かって連続的に変化しているように見える。どうもうまく言えないが、もし連続していなくて、ある突出した事件の結果こうなったと説明できるなら、昔の自分を思いだして、簡単にその自分に戻れる気がするが、実際にはどうもできそうにない。
坊主の言うことは聞くもんだねー
生活上のごたごたでずいぶんと悩ましい日を送っていたときのこと、NHK教育テレビの音をラジオで聴いた、そのときに出ていたのが、あの瀬戸内寂聴だった。これを聴いて、ああ坊主ってのは、実生活上のあれこれについて、まったく率直に言い切って、単純に同情したり、怒ったり、すっきりとやってのけるものだなあ、と思った。そのせいでなのか、結局、番組の最後まで聞いてしまった。この時やっていたのは、視聴者からの手紙に答えたいわゆる人生相談だった。実生活のただ中にいて悩んでいる僕らは、そんな風に割り切って考えたいが、しがらみにがんじがらめの状態で、それは無理なことだとか何とか、やっぱり、自分のいる状況を率直に見ることを恐れているんだね。坊主には実生活はないから、だからあいまいにする理由もない、赤裸々に状況を分析して、それをそのまま言葉にする。そして、それを聞かされた当事者の気持ちを、情けを持って見守ってやる、という感じになるのだな。僕はそれまで瀬戸内寂聴に興味はなく、まあ、坊主などいい身分だなあと思ったり、いや、というか、坊主だったら坊主らしく仏法にのみ精進して、形而上的世界を個人的に追求していればいいものを、なぜ、こう俗世に関わろうとするのか、といぶかしく思ったりしていたものだった。しかし、坊主の役割ってのは、それだけではないんだな。情け、ってのは、まだ僕にはぴんと来ないが、きっと何か鍵になるものなのだろう。ある仏教の本で、日本の大乗仏教の変遷を読む機会があったが、そこには当時の民衆に仏教を教えた、偉い日本人たちがいく人も出てきた。その物語を読んだときに僕が感じたのは、一面、偉大な思想家でもある坊主の、あの庶民に対する情の大きさだった、西洋的に言い換えれば、愛の大きさだった。一般庶民の不幸を背負って、俗世を憂えながらも、なおかつ輝く太陽か、星のような存在になっているように見えるのだ。何か、ここに秘密があるんだろうなあ、はっきりは分からないが。それにしても、先のNHK、映像を見なかったのも良かったんだろうね。
秋の虫が息つぎもなく休まず鳴いているのは なぜだかわかっていてもいつも不思議に思う
秋になると、いつからともなく鳴きはじめる虫の音ほど印象的なものはないね。あの尋常じゃないもの悲しさは、僕が日本人だから感じるものなのかなんなのか。いや、悲しいというか、遠くへ行ってしまうような、昇天したあとの世界の何かが漂っているように感じられるのだね、やはり不思議な音色だよ。そしてあの虫たちは、音をとぎれさせることもなく、ずっと同じ調子で鳴き続けている。息つぎをしないのだ、つまり歌い切るということをしない。だからつまりあれは歌じゃないんだよ。もうちょっと言うと、音楽や、主張じゃないんだよ。何か知性的な営みがあるのなら、それは歌いきらなけりゃね。すなわち、始まりがあって、展開があって、結論がある、というようにね。秋の虫たちは、そんなことは言っていない。始まりも、終わりもない。ただただ、ずっと命がある限り鳴き続けているように見える。風が吹いたり、雨が降ったり、月夜の光が降り注いだり、そんなたぐいのものと同列に感じられる。うん、しかしそれもそのはず、彼らは口で鳴いてるのじゃないからな。同じことが夏の蝉にも言えている。蝉の中でひとつだけ例外なのはツクツクボーシだね。彼だけは、始まりと終わりのある、何かまとまりのある意味を伝えている。これもいつも思うことだが、ツクツクボーシは、夏の終わりを告げているんだね、言っていることにちゃんと意味があるんだよ。そしてほどなく、秋の虫たちが音色を奏で始め、そして長くて短い秋が始まる。
どんなことでもできる代物ほどかっこわるいものはないよ コンピュータの見てくれが悪い訳
どんなことでもできる代物などというものが現れたのはつい最近のことで、そもそもがそんなものは、まず無かったし、本当は誰も必要としていなかったのではなかったか。パソコンが今のようになると皆があまり考えていなかった頃、未来を象徴する代物は「どんなことでもできるロボット」だったような気がする。ところが、こちらの方は予想を見事に外れて、今に至ってもたかだか二足歩行しただけで驚嘆しているレベルである。代わりをとったのがコンピュータ、というわけである。それにしても、どんなことでもできる代物の最たるものは「人間」だろうね。人間もコンピュータも、機能と、それを実現するのに必要な形態が、正しく一対一対応しないせいで、機能から生まれた形態美というものに欠けるんだね。ただし、人間は、もともとはずっとプリミティブな生物から進化したので、その昔の形態美を今でも保っている。あらゆる地上の生物が持っている最も原始的な事柄は、戦いと、生殖、であろう。今でも人間は、このふたつの機能を最大限に発揮するための形態美というものを持っている、そして、洋服に身を包んで、現代的なクリーンな生活をしている現代人の我々だって、この特別な形態美にはとりわけ敏感ではないか。その点、コンピュータにはそれがないんだね、それで、結局、決定的にかっこわるいというわけ。
コツというのは一種類じゃない、人の数だけあるのだ
これは、長年、中華料理の趣味を続けてきたことで分かったことである。特に料理というのは、ちょっとしたコツが至るところで出てくる分野でもある。例えば、今、自分が作れる一皿の料理の作り方を、そのちょっとしたコツも含めて説明しようとすると、かなり厄介なほど長々と説明することになってしまい、だいたい聞いている方がうんざりしてしまうのが常である。そこで、コツの部分をはしょってみると、今度はその辺のレシピーブックに書いてあることとほとんど同じになってしまう。ということで、ならば、自分が行っているコツを科学的に根拠付けして、体系化して説明すればいいのではないか、ということになる。実際、僕は、いままで習得してきた中国料理について、そのようなことを試みて、詳細な解説書を作ってみたことがある。さて、最近のように料理解説書がさかんに出版される世の中になると、同じことを考える人達がいて、他の人のものを読んでみると、その、コツに相当する部分がめいめいではなはだしく異なっていたりする。では、誰かが正しくて、誰かが間違っているか、というとそんなことはなく、みな、自分のやり方で作った料理は旨いのである。ということで、結局、何か一種類の目的を達成しようとするときでも、それに伴うコツというものは人の数だけある、ということになる。したがってどういうことになるかというと、本をいくら漁っても料理はうまくできるようにはならないわけで、自分で納得が行くように自分だけのコツを習得しなければならない、ということになるのである。そうやって身につけたコツというのは、たとえオリジナルは別の人のものであっても、結局独自性を持つものなのである。前記たくさんの料理人達も、別にまったく独力でそれを身につけたわけではない。しかし料理書が書けるほどになった人のものには必ず個性が感じられる。これは、およそ、ほとんどのものに当てはまる、単純明快な事柄だと思う。
やってもやらなくてもよさそうなことはやらないほうがいい
これは、かの兼好法師の徒然草からの抜粋である。そして、徒然草の中でこのフレーズを言っているのは兼好ではなく、どこかの偉い坊主である。つまり、引用の引用というわけ。徒然草は、僕の最大の愛読書のひとつである。これほど、いわゆるダンディな読みものはないと思う。啓蒙書、とか教養書、という読み方をするにはあまりにもったいないほど、洒落がきいた、おかしさが随所に漂っている。この兼好という人、三十台後半に出家して、そしてこの書物を書いたらしいが、俗世にいたときはさぞかし女性にもてたことだろう、色男じゃなきゃ書き得ない調子が随所に現れている。徒然草で言われていることは、ときに矛盾している、と言われることもあるらしいが、そんなことは何ほどのことでもない。あるところで、酒はだめだ、といったこと思えば、酒はいいものだ、といい、子供を持つのはばかばかしい、と言ったかと思えば、子供を持たねば情けはわからぬ、という、そして、俗世の色香に浮かれて日々を送ることを徹底的に軽蔑してみたかと思うと、女の色香について実に深い語り口を見せたりする。しかし、これすべて、自然なことで、あるひとつの事柄について矛盾していることを言っているのではなく、その事柄そのものが相矛盾するものを内包して、その事柄たらしめている、という様子を率直に述べているにすぎない。最近の現代では、我々にも余裕ができてきて、洒脱な味、というものを大切に感じ取ることも多くなったが、そんなときこの兼好は、洒落者として現れて来るであろう。しかし、兼好には、それに加えて、厳しい理論家の相があるところが偉いところだ。まあ、これをダンディと言うんだね
人からバカだと思われていることを 自慢してるうちにバカになっちゃうよ
人からバカだと思われて自慢するやつがいるもんか、と思うと、そんなことはない、けっこうたくさんいると思う。もっとも自慢する、といっても密かにである。とうぜんながら、その裏には、自分は決してバカではなく、むしろその逆で、周りのやつらより賢い、という自信のようなものがあるのだが。そうなると、これは、バカを演じることはなかなか快感になるはずなのである。おまえらはみなオレをバカにしてるけど、オレは実はおまえらより賢いのだ、おまえらは中途半端に利口だからあくせくと賢く見せようとしているが、オレは違うよ、といった感じである。これは最初のしばらくは正しく功を奏すると思う。実際、周りの人間もバカじゃないから、あいつはあんな風だが実はバカじゃない、と気づいたりしているものなのである。ところが、この状態がしばらく続くとどうなるか、というと、だんだん周りの人間が、そいつのバカに慣れてしまい、自然と、そいつが実は賢い、ということを忘れるようになってしまう。周りの人間にはこのような内的変化が起こっているのだが、彼らの接し方の外面は特に変化がないので、当人はその内的変化に気づかずに、まだ内心の優越感を保っている。それで、これをさらに続けているとどうなるかというと、もう周りはすっかりそいつをバカなやつと認知するようになってしまう。このころになると本人少し焦り始め、ときどき自分がバカでないことを思い出させてやろうと、賢いことをなにげに言ってみたりする。周りは一瞬、その意外さゆえに気に止めるが、あっというまにふだんの評価に戻ってしまう。本人はちょっとだけ溜飲を下げるが、全面的にスタイルを変えて賢い人間路線になるわけでもないので、周りはもうすっかり安定してしまい、だんだんそいつの賢こそうな言動を気に止めなくなってくる。さて、これがもっと続くとどうなるかというと、そいつはますます不安になり、何とか賢いことを言ってみようとする。しかし、もう遅い、なぜならそいつはもう賢いことが思いつかなくなっているのである。どんなにがんばっても気の利いたせりふは出てこない。すなわち、とうとう、本当のバカになってしまったのだ。スタイルは、実は中身より重要だ、というお話。
眠れなければ寝なきゃいい
これは、あるときどこかで聞いたタモリのせりふ。よく朝方に顔を合わせると、げっそりしたような顔して、昨晩は眠れなかった、と、いかにも重病人のように言うやつがよくいるけど、眠れなきゃ寝なけりゃいいじゃないか、と言いたくなりますよね、とまあ、こんな感じ。ときどき眠れない夜があると、この文句を思い出して、眠る努力を止めて、起きあがり、ごそごそと本をあさったり、何かやり始めたり、するのだが、なんか得した感じがする。そのせいで、あまりストレスもたまらないんだろうね、寝不足のはずなのに、別に翌日にも支障がない。眠り、ってのは、要は休息なのだから、別に眠っていなくても休息できていればそれでいいということなのかな。
悪いことがあまりに続いたときは墓参りが効くそうだよ
これはある人から聞いたのだが、何か悪いことが続いたり、身内の誰かが閉じこもるようになってしまったとか、精神病になったり、ということが起こったときは、たいてい先祖の墓が、荒れていたり、苔がついたり、汚れていたりするのだそうだ。だから、このようなときは、嘘だと思っても、一度お墓参りをして、お墓をきれいに洗ってきた方が良い、と言うのだ。これを聞いたとき、何というか、とても生々しく、いかにもありそうな感じがして、ひどく印象に残った。結局、僕は墓参りに行くことはほとんどなく、何々回忌といった節目に呼ばれて行く程度なのであるが、実際に行ってみると実に落ち着いた気分になることは確かで、すがすがしい感じさえするのは不思議である。まあ、だからといって、それで事がうまく進むということでもないのだが、気持ちのよいものである。もっとも、上記の彼の言葉の印象は、そんなふつうの生活レベルの話しではなく、墓石に苔が生えている、というイメージと、精神が病んでいる、というイメージが妙に結びついている感じがした、ということなのだが。
約束の時間が七時というのは錯覚だよ 会えれば何時でもいい
いまから二十年近く前、就職したばかりのこと、とあるディレクターと一緒に仕事をする機会があった。仕事といっても気楽なもので、ローカルのラジオ番組を、ディレクター、アナウンサー、技術(これが僕)、レコード回しのおねえさん(皿回し、と言っていた)の4人で週1回ナマ放送する、というものである。そんなラクな仕事なので、よく空き時間に雑談して過ごしたものである。さて、そのディレクターは、実によくしゃべる、ちょっと変わった感じの人で、かのユングに傾倒しており、その手の話をよくしていた。当時の僕は、今と違い、心理学など興味もなく、ずっとエモーショナルな人間だったので、ふーん、と聞き流していたのだが、あるとき、超能力の話が出た。その人、ひとしきりあれこれしゃべったあと、突然、「・・だから、自分がそう思って入れば、そうなるものなんだよ。たとえばこのスプーン(と言って打ち合わせ用に注文したコーヒーのスプーンを取り上げ)、僕は指で曲がると思ってるから、ほら」といって指先であっさりと曲げてしまったのである。僕と皿回しのおねえさんはかなり驚いたが、本人あっさりしたもので、曲がったスプーンを手渡して、まだしゃべり続けている。スプーンを手に取ってみると、やはりどう考えても指先で簡単に曲がる堅さじゃない。僕は、目の前でスプーン曲げを見たのは、あれが最初で最後であった。「だからね、実は、みんながこうだ、と思いこんでいることも一種の錯覚なんだよ、でも思いこんでいるから、そのようになるんだよ。たとえば君たちは朝の9時に出勤するでしょ、タイムカードがあって。あれも錯覚だよ。だってだれが9時までに会社のタイムレコーダー前に到着しなくちゃいけない、と決めてるわけ?よく考えると、だれもそんなことを本当に命令していないでしょ・・」云々、と彼のしゃべりは延々と続く。たぶん、そのとき彼は、いわゆる共同幻想の話をしていたのだと思うのだが、当時は言っている意味がよく分からなかった。しかし、その中で、「朝の9時に出勤するのは錯覚だ」という言葉だけ、やけに印象に残って、実は今に至るまで、ずっと覚えていて、ことあるごとに思い出し、それから十数年間の僕は、時計上の時間というものに縛られて行動することはなるべく避ける、というやり方で生活するようにしてきた。もちろん、当時彼が言った趣旨とは違うのだが、まあ、言葉というのはそうやって一人歩きするものだろう。この言葉、仕事をさぼるのにちょうどいい口実になる言葉だが、それだけじゃない、いったい自分は何のために生活しているのか、という問いかけをする、いい気付け薬になると思うよ。
時間を単位としてでなく、できごとを単位にして生活しよう
太陽系に大巨人が現れて月をスコンとたたき出したら日食の予言は外れる
時間というものはなかなか冷酷なもので、線を一本ひっぱって、そこに区切りを入れて時刻を記入し、区切りと区切りの間にやらなくてはいけないことを記入し、そうやって記入が終わったとたん、なぜなのだか自分の生活がこの一本の線に拘束されるようになる。しかし、実は、大切なのは、区切りではなくて、そこでやることであることは誰でも知っている。しかし、時間を決めないと、いつになったらできるか分からず、それで時間を決めるわけである。しかし、なぜ、ある時刻までにあることがらが完成していないといけないかというと、これはもちろん、自分以外の他人も、同じように時間を単位とした線表で行動しているからである。しかし、もし、誰も時間を気にしなければ、ある事柄がいつ終わろうが一向に構わないか、というとそんなことはない。自分に関わる他人は、自分の仕事の完成を待たないと、次の行動に移れないからである。だから、実は、ことがらは、時間の連鎖によって起きているのではなく、できごとの連鎖によって起きている、と考えた方が自然なのである。事実、たとえば昔の(今はさすがに違うらしい)東南アジアの国へ行けば、できごとは決まっているが、時間についてはほとんど決まっていないに等しく、昼過ぎ会いましょう、とは言うが、1時に会いましょう、とは言わず、仮に言ったとしても1、2時間は遅れたり、あるいはその日には来なかったり、まずはいい加減である。なまけものだ、というよりは、常に、ごく自然にできごとを単位にして生活しているからだ、とも言えるだろう。できごとの連鎖というのは、とてもフレキシブルで、いろいろな異なる結末に人を導いて行く。節目節目のできごとは、そのときの状況によってずいぶんと左右され、偶然がいくらでも入り込むので、ときにはあらぬ方向へ逸れて行く。その結果、ときには思いもよらぬ良いものを手に入れ、ときには失敗をして悪い目にも遭うだろうが、少なくとも生活は充実するのではないだろうか。つまり時間は一本の線だが、できごとは、ツリー状にどんどん広がって行く。また、時間は「必然」を語るが、できごとの連鎖は「偶然」を味方につける。一本の線の上を逸れずに歩いて行くよりは、次々と広がって行く連鎖の波に乗って生活するように心がけたいね。
当然ながら、ニュートンの法則やら何やらの物理法則を使えば、日食の時間は、何年何月何日何時何分何秒まで正確に計算することができる。その昔はこれはまさに「予言」だっただろうね、しかし、たぶん今では「予告」とでも言うのではないか。人知の及ばないことを予告してみせればそれを予言と呼ぶのだろうが、しかし、日食の予告は果たして今ではすっかり人知の及ぶことになっただろうか。いや、そんなことはない。物理法則は、法則という要約によって、できごとを空間的に、時間的に無制限に延長するが、実際は、無制限に応用することはできないことを、程度の差はあれ、皆知っている。すなわち、自分が、予告された出来事が起こるのを待つ間に、実際には「何が起こるか分からない」からである。日食の予言だって、それこそこの「大巨人」が突然現れて予告を外してしまうかも知れない。それがあまりに荒唐無稽だと言うなら、日食の予告までの間に、人間が核爆弾を使って月の軌道を変えてしまうかもしれない、そうすればやはり予告は外れる。昔、ある人と酔っぱらってしゃべったとき、その人は、我々の発見した何種類かの元素で、この無限とも思える宇宙のすみずみまで構成されているというのはすごいことだ、と言ったので、当時の僕はまた偏狭でもあったので、それは宇宙のひとつの見方の過ぎず、だからそれは一種の信仰なのであって、ロマンチシズムに過ぎないのだ、と決めつけ、言い合いになったことがあった。僕が思うに、その人は、自分がどう頑張っても手が届かないところに存在するものに対して、科学という人知を使って手を伸ばすことができる、ということについてロマンを感じるのだろう、と思う。そうなのだ、知性というのは、自分にとって物理的に手が届かないものを手に入れるための道具なのだから。そのために、知性がねらい通り働くには、自分のいる場所と、手に入れたい物がある場所の間に広がっている空間が、法則に従う「心のない」物体で満たされていることを仮定することがどうしても必要になる。これは空間についてだが、時間についても同じだ。この仮定は、多かれ少なかれ正しく成り立つので、人は知性の力によって広大な世界へ踏み出して行くことができる。しかし、仮定は、仮定に過ぎないので、外れることだってあるのだ。だから、自分の手の届かない世界へ一歩を踏み出すというのは、程度の差はあるが、本当の本当は、賭のようなものなのだ、冒険なのだ。いくら科学が進んで、ほとんど予言が可能なほどになったとしたところで、この事情は変わらず、ただ、最大限の収穫を得るためには、冒険が必要だ、ということになるのだ。しかし、さきほどの人との話だが、今だったら、この「太陽系に現れた大巨人」の話をするだろうな。僕は物理法則をそのようなものとして考えていて、物理法則に従わない何物かが、この物理世界の至る所に潜んでいて、訳も分からず突然姿を現し、人を驚かせる。まあ、そっちの方が物理科学より、面白くなっちゃったんだね。