そして僕は、西洋美術館の最上階の最後の間に立っていた。天窓を通して、柔らかい太陽の光が降り注いでいた。そこには、ゴッホが、彼の最後の土地、オーヴェールで描いた数枚の絵画が掛けられていた。崩れかけた藁葺の家屋も、昼下がりの田舎道も、荒寥とした麦畑も、木々と草花に閉ざされた裏庭も、すべて清らかな光に包まれて、驚くべき純粋さに輝いていた。僕はもう、ほとんど信じ難い思いであった。僕の聞き知っている、彼のごった返った生活の一体何処からこのような絶対的に沈黙した光が現れるのだろうか。画肌を見れば、変わらぬ荒い筆使い、大胆な色使い、安定感を欠いたデッサンが、如何にして安らかな光の中にひとつに溶け入ってしまうのか。ゴッホという人間の動的に高揚した精神と、画布を支配する静的な輝きは、一体何処でつながっているのだろう………

 


ノート

藁ぶき屋根の家々 1890年 オーヴェール エルミタージュ美術館

文中の、オーヴェールで描かれた四枚の絵は上掲のものと、次の三つである。1985年に上野で開催されたゴッホ展で僕は初めてゴッホの実物を見て、途轍もなく強い印象を受け、誇張ではなく、その後の僕の人生の方向を変えるほどであった。そのとき、西洋美術館の最上階の最後の間に掛けられていたのがこの四枚の絵である。僕は、これらの絵の前で、そのあまりの美しさに呆然と立ち尽くしていたのを覚えている。ここに載せた写真では残念ながら実物のトーンは望むべくも無いが、それは仕方ない。

    

左: オーヴェールの家々 1890年 オーヴェール トレド美術館
中: 麦畑 1890年 オーヴェール スイス・個人蔵
右: ドービニーの庭 1890年 オーヴェール ひろしま美術館