このゴッホに関する文章は、思えば五年前、入院して一か月間、ベッドから一歩も出られなかったときに書き始めたものだ。それがこういう形で一冊の本になり感無量である。寝たきりで考えることがいいのか悪いのか。ニーチェは「立ち止まって考えることは精霊に対する罪である」と言っているが、この忠告は素直に聞いておこう。ゴッホに重ね合わせた僕のイメージがあまりに静的なのはあるいはそのせいかもしれないから。

僕が最も愛する作家ドストエフスキーはその長編群の中で入り組んだ人間心理を極限まで持って行ったが、その果てに突然太陽の光が差し込み、清浄な純粋なものが現れる瞬間をいくつか描いている。副題の「崩れ去った修道院と太陽と讃歌」は、これをゴッホの絵画に重ね合わせた文句である。あるいは、オーヴェールのくだりで、イエス・キリストとキリスト教を別個のものとして描き出すところはニーチェに依っているし、また、アルルの描写はモーパッサンの香りを参照している。これら僕の文学趣味は、文章の中でゴッホと視覚的に合い交じっている。ただ、文中には意識的にその旨を記さなかった。

この文は批評にもエッセイにもなっていない中途半端な形式で書いた。今まで、ゴッホについて書かれた文章をいくつも読んできたが、自分を満足させるものはすべてこの、批評ほど客観的でなくエッセイほど手前勝手でない、まさにこの形式だったのである。つまり自分がゴッホに関するものとして一番読みたい文になるように書いた訳である。まだ書いてみたい主題がいくつか残っている。機会があれば是非書いてみたいものである。


1995年10月
 林 正樹