僕はある時、ゴッホの『糸杉のある麦畑』という画布が、ジョットの描いた『キリストの死への悲しみ』に酷似しているのを発見した。この二枚の絵は、何のことはなしに購入したオムニバスのポケット画集に収録されていた。この時代も画題も異なる絵が、僕には何故だか同じ絵なのだと思われてならず、頁の離れた二枚の絵を代わるがわる飽かずに眺めていた。ルネサンス初期の画家ジョットの存在は、ゴッホの書簡集を読んで知り、画集を買い込み、すっかり心酔していた。特に、彼の最盛期の作品である、スクロヴェーニ礼拝堂の内壁にフレスコで描かれたキリスト受難劇は、真実で偉大な宗教感情の表現として心の内奥に深く根ざした宗教画となった。中でも、この十字架から降ろされた死せるキリストとそれを取り囲む人々を描いた絵は、これ程力強く、深い悲しみの表現はあり得まいと思っていたものである。

ゴッホに紹介されたジョットを、僕もまた同じように愛するようになったからだろうか、いつしか僕はゴッホとジョットは違う時代に生きて同じ仕事をしたのだと信じるようになっていた。その理由の詮索は一切しようとしなかったのだが、そういった僕の考え、というより僕の感触が、ゴッホの糸杉のある麦畑とジョットのキリストの死への悲しみを同一視させるのだろうと、ずっと思っていた。二枚の絵が同じ場面を描いているかのように似通っている事に気付いたのはかなり後になってからの事だ。

ジョット

サンレミでの彼の作品には、彼の無意識に横たわるある形象が絵になったとしか考えようのない、いくつかの奇妙な作品がある。その中でも最も有名なのは、明るすぎる月と多数の星を配した夜空にゆらゆらと吹き上がる糸杉を描いた絵──星月夜であり、多くの研究家が様々な解釈を試みている。しかし、この糸杉のある麦畑は、その平凡さ故か、その奇妙さが追求されていない画布のひとつのようだ。この作品では、彼がサンレミで取り上げた重要なモチーフの三つが一枚の絵の中に構成されている。すなわち、糸杉、麦畑、オリーブである。恐らくこの画布は、星月夜と同じく、彼の数少ない、想像で構成した作品であると思われるが、真偽のほどは今となっては検証困難であろう。この作品を彼が重要なものと見なしていたことは、彼の書簡から窺い知れるが、それは少し奇妙な調子で語られる。

「母と妹のためにこれから描こうというのはいい思い付きだと思う。それは次の三点になるはず。すなわち「草を刈る人」と「寝室」と「オリーブ畑」と「麦畑と糸杉」と、いややっぱり四点になる。だとするとそのうち一点をやる人をもう一人別に見つけなければばらないが」

当の糸杉のある麦畑は最初は勘定に入れられていないようだが、数え上げると結局その中に入っている。それに一点をやる人を別に見つけなければならないというのも妙な話だ。この作品の内容に関する具体的な言及は書簡の中には見つからない。しかし彼はこの作品を一枚のデッサンを含めて四点描いており、このモチーフに随分と執着していたであろうことが想像できる。前掲の書簡の最初の三点については色々と語った個所があり、何も語っていないのは、彼のようにまめに自らの作品を語った人にとっては珍しいことだ。いずれにせよこの作品は、想像でものを描くことを嫌った彼の、数少ない想像による絵であると思われ、それは彼がサンレミの地で執心したモチーフ達の総合だったのだ。


ジョットの手になるキリストの死への悲しみと、糸杉のある麦畑を並べて見てみよう。この二枚の全く画題の異なった絵には、驚くほど類似した点がある。画布の上を左斜めに横切る丘陵の線と、右上に樹木を配置した構図は、両者ともまったく同じである。ジョットの絵ではキリストの死を象徴する枯れ木が配置され、ゴッホの絵ではこれが糸杉に姿を変える。長々と横たわる死せるキリストを大勢の人々が取り囲んでいる光景は、左から右に大きくしなう熟れた黄金色の麦畑といくつかの灌木によって置き換えられている。オリーブの茂みは丁度キリストと母マリアが対面している場所に配置され、キリストの頭、手、足を取る三人のマリア達の場所には、赤い花が添えられ、更に驚くべき事に、キリストの死を悲しんで慟哭する九体の宙を飛ぶ天使達の動きが、ゴッホの絵の空に描かれたあの、流れ、滞り、せり上がる異様な雲の動きと正確に一致しているのである。


ジョットのキリストの死への悲しみにおいて、右上に配置された枯れ木はキリストの死を表している。この、草ひとつない岩場に立つ枯れ枝の荒寥とした雰囲気と、死せるキリストを中心とする悲しみの劇から溢れる情感は、美しく、力強い対照を成している。ゴッホの絵ではこの枯れ木が一本の糸杉に姿を変えている。

彼の糸杉は、画布の中で最も濃い緑色に塗られた、常緑の厚い葉がもじゃもじゃと波打つ、一種不可解な姿で立っていて、ジョットの絵で感じられる荒寥とした雰囲気はない。ここで、糸杉がヨーロッパにおいて死の象徴と考えられていた、という一般的な説を想起すべきだろうか。その常緑の枝は一度切ってしまうと二度と茂らないのである。しかし、ゴッホはそういった象徴的意味を使って画布にある神秘的な効果を与えることを好まなかった。むしろゴッホ自身にとって糸杉がどのような意味を持っていたかを想像すべきだろう。彼が糸杉について語った事は、日向葵の対称物としての糸杉、ガラスのように微妙な緑のトーン、風景の中の黒い斑紋、といったもので、その中に死に関する言及はない。糸杉をモチーフとした画布はいくつかあり、その時々で様々なニュアンスが現われているが、共通しているのは糸杉の持つ造形的特徴であろう。それは常に風景の中の垂直要素として現われる。彼は既にアルル時代から、日本の浮世絵から着想を得て、画布の上に大胆に樹木の幹を横切らせ、構図上に独特な垂直要素を与えていた。しかし、糸杉という木は他の樹木と異なる特殊な形をしていて、特に南国のそれは背が高く、まっすぐ上に向かって伸びており、さらに幹は濃い緑色の葉に覆われて外からは見えないのである。通常の樹木のすっきりと露出した造形的垂直要素と比べ、この糸杉の一種の垂直の塊は、その常緑の葉の中に何か神秘的な意味が秘められているように感じられるのだ。それは、ある時は明るい風景の中で何か悪い事を囁いているようでもあり、ある時は燃え上がる、あるいはきらきらと光る激しい情欲を現しているようでもあるが、いずれの道を通るにせよ、この不可解な黒い垂直の塊は、常に地上から始まり天上に向かって伸びていて、両者を結び付けようとしている。この造形的意味は、『死というのは地上の世界から天上の世界へ旅をする乗り物のようなものだ』という彼自身の言葉と呼応して、糸杉というモチーフは死の象徴として現れるのだ。

長々と横たわる死せるキリストは眠っているように描かれ、キリストの威厳はいささかも損なわれていない。ここは、豊かに実った黄色い麦が、微風にそよぐ光景に置き換えられる。

人間の一生は麦のようなものだ、とゴッホは繰り返し言っている。大地に種が蒔かれ、芽を出し、育ち、そして黄金色に熟れて豊かに実った麦は、刈り取られるのを待つ──再び時が巡り、種が蒔かれ、実り、刈り取られる。それは何度も何度も黙々と繰り返される、生と死の連綿たる実相として、彼の耳には聞こえるのであった。目前に果てしなく広がる黄金色の麦畑が風に吹かれてざわめいている──麦畑は何も語ることができない。茫漠たる麦畑の光景に言葉を奪われた人間は、言葉を失って相対して戦慄する。麦畑は人間に対して巨大な沈黙で語りかけている。一体何を語っているのか──我々の心理の奥底に隠された古い古い感情をかき立てる──それは我とともにあれという沈黙の誘惑なのだ。自然が時折見せるあの壮大な無言劇は、ゴッホのような人間にあってはひとつの強い誘惑であり、危険であった。それは生の全き完成としての死の姿であり、死によって存在の歯車は一周するのだ。彼の愛した農民達は、毎日毎日綿々と続く単調な労働によって自然と結び付いている。ゴッホの言葉では農民はいつも自然と同列で扱われている。農民達が生まれ、働き、死んで行くその宿命は、麦が蒔かれ、実り、刈り取られるのと同じものなのだ。農民達は自然の沈黙に沈黙で応える術を知っている。そして彼らには誘惑も、したがって危険もない。

キリストは、大理石と粘土と色彩を軽蔑して生きた肉体で仕事をした、キリストは芸術家の中でも最も偉大な芸術家として生きた──これがゴッホの考えであった。キリストは、音楽や絵画や彫刻に頼らず、何ひとつ持たずに諸国を巡り、奇蹟によって眠っている人の目を覚まし、至る所で比喩をばら撒き人々を魅了しながら、説教によって生命の永遠性を肯定し、神のもとで人間が自由に生きる道を人々に示し、生きた人間に働きかけ、それを造った。そしてその最後に十字架上で死す事で、人々の胸に信仰という種を蒔いたのだ。一粒の麦がもし死ななければ唯一であろう、死ねば多くの実を結ぶであろう──麦にたとえたこのキリストの言葉は、キリスト自らがその最初の一粒であることをも語っている。彼は死んだ──そして麦畑が繰り返し黄金の実を結ぶがごとく、信仰に永遠性を与えたのだ。

母マリアが死せるキリストの頭を抱き、歯をくいしばって悲しみに耐えている。ジョットは聖母マリアに、堂々として立派な、強い意志を感じさせる、殆ど男性的とも言えるような表情を与えた。ここでは、聖母マリアを頂点として、画面のどこを見ても同じ悲しみに出会う。皆が寸分変わらぬ深い悲しみを抱いていて、それらが全て向き合ったマリアとキリストに戻って来て、円環を成して、このドラマ全体がキリストの死の悲しみという唯一の主題に常に収斂し続けている。ゴッホの絵のオリーブの木は、丁度マリアとキリストが対面する所に配置されている。オリーブの枝は捩れ、その葉は逆立ち、渦巻き、中では、緑、黄、ピンク色の様々な筆触がきらきら光っている。

オリーブ
オリーブの奇妙に捩れる枝は、決してゴッホの誇張ではなく、南仏のオリーブの特徴であり、南国の強い陽差しに押しつけられるように、その四肢をくねらせて、十字架上の捩れた殉教者の苦悩を思わせる枝ぶりなのだ。もっともゴッホはそんな事は一言も言っていない。彼を引きつけたのは、オリーブ畑の風景がその時々に見せる様々なニュアンスであった。うっそうと茂るオリーブの葉、空そして地面の三つがそれらを包む大気と光の調子によって様々な色合いに変化し、時々目も眩むほどの美しい対照を成すことを見付けた彼は、このいくらでもモチーフを引き出せる対象の美しさと、それを画布の上に表現したいという画家としての欲望にただただ夢中であった。ただ、一度だけ、ゴーギャンやベルナール達が試みた全てを想像裡で構成した宗教画を非難して、自分の描くオリーブは少し生硬で荒っぽいリアリズムだが、それでも荒寥とした調子が出ており、壮絶さが感じられるだろう、と言っている。彼はオリーブ畑を数多く描いているが、中でもクレラーミュラー美術館にある、肌色の土と、くすんだ銀緑色のオリーブ林と、にぶい青色の空を力無く対比させ、全体をうねるような筆触で描いたものは、まさに荒寥とした壮絶さを感じさせる。オークル色に焼けた灼熱の大地の上で、苦痛に体を捩らせ天に手を差し伸べる殉教者達、そして苦悶の中で彼らの眼に映る陽炎のように揺らめく風景を連想さすのだ。そして、荒寥を死に、壮絶を絶望と読み換えると、その風景は、死によって最も大切なものを奪われた人間が、もはや取り返しのつかない絶望の内に突き落とされる、地上の悲しみを思わせるのだ。

この死せるキリストと母マリアと弟子達が繰り広げる地上劇を天上から区切っているのが、草ひとつ生えない、左斜めに横切る荒寥とした岩場の線である。ゴッホの糸杉のある麦畑では、青い丘陵の左斜めの線で、地上と空が隔てられている。キリストの頭を抱く聖母マリア、手を取るクロパの妻マリア、そして足元に跪くマグダラのマリアの、三人の女性の場所には赤い花が添えられて、腕を広げて駆け寄ろうとする使徒のひとりは、葉を広げた灌木が、そして悲しみに暮れる大勢の人々は、様々な樹木として描き込まれているが、詳細な対照はすまい。大切なのは主な三つのモチーフの対照である。すなわち、ジョットの描いた十字架から降ろされたキリストにおける、枯れ木──死せるキリスト──母マリアの悲しみ。これが、死──天上における約束──地上における悲しみ、という意味を経て、ゴッホの糸杉のある麦畑では、糸杉──麦畑──オリーブに姿を変えるのだ。

ジョットの作品もゴッホの作品も、共に見る者の眼を引きつけずにおかないのが、天上の表現であろう。十字架から降ろされたキリストを中心とする地上で繰り広げられる劇的な悲しみの光景は、天上における、幼な子の顔を持った慟哭する天使達の、悲痛な胸を抉る表現によって高められ、神秘性が与えられる。糸杉のある麦畑では、地上の風景の描き方が、堅実なデッサンと抑制の利いた色彩とを堅固な構成でまとめ、安定した均衡を保っているのに対し、空の表現は一転して、曲線を畳み込むように使い、命をもった有機体のような怪物じみた雲が超自然的な感覚を喚起する。この奇怪な雲の動きが、十字架から降ろされたキリストの天上に描かれた天使達の動きと不思議な一致を見せている様は不気味ですらある。空のちょうど真中にある、最も眼を引く、手前にせり上がって拳のように突き出した雲は、両手を下に突っ張って舞い上がる、中央の痛々しい天使に対応する。左上から中央へ向かう両手を開いた天使、左下から弧を描いて中央へ、右上から中央へ、そのほか様々な姿態で飛び回る、悲しみに捩れたような天使達が、全て雲の動きと一致するのだ。………


この二点の作品の類似性をこれ以上追及はしない。少なくとも僕にとってはこれだけの一致で十分である。しかし、これは何を暗示しているのだろう。ゴッホは宗教画を意図してこの画布を手がけたのではなかろう。この糸杉のある麦畑については書簡に記述がないので、彼の言葉を参照して解釈するわけには行かないが、先に述べたように、彼がこの画布を、習作ではなく、完成された作品と見做していたことだけは確かだ。彼の残した言葉の上では、サンレミで描かれた作品の中で、自然の風景を描くことによって宗教的観念をそこに吹き込もうと直接的に意図して描かれたものはない。ただ、ある観念──崇高、静謐、死、苦悩、といったものを、自然をモデルにした絵画で表現しようとする考えは、彼に親しいものである。これはアルル時代にまで遡っても、『夜のカフェ』における人を滅ぼす恐ろしい情熱、『詩人ボックの肖像』における永遠の詩、『アルルの寝室』における絶対的な休息、といった、書簡の言葉によって説明された画布が幾つも残っている。

夜のカフェ 詩人ボックの肖像 寝室

ゴッホがサンレミの地で、これら観念的な画布の中に宗教的心象がおのずと表現される、と言ったのは、当時ベルナールが試みていた宗教画に対して、自らの考えを語った時ただ一回だけである。彼が、サンレミの療養所でオリーブ畑の持つ様々な調子を探っていた時、友人ベルナールの手になる宗教画の写真を受け取る。ゴッホは、弟に対しても、当のベルナールに対しても、彼にしては珍しく強い調子でこの宗教画について非難している。ベルナール宛ての彼の手紙の文面から察すると、それらの絵は、東方三博士の礼拝、受胎告知、十字架を担うキリストといった題材を、ルネサンス初期の宗教画にインスピレーションを得て描いたものであったらしい。ゴッホは、これらの絵を悪夢のようだと言い、我々のせねばならない事は考えることであって夢を見ることではない、と断言し、それらの絵に進歩の代わりに頽廃的なひどい衝撃を感じた、と言っている。これに対してベルナールは、自らの宗教画に対するゴッホの非難について、ヴィンセントは新教徒だったから、私の宗教的主題の霊的概念については、歴史的事件でも、感情から発したものでも、カトリック的概念から生まれたものとして退けた、と言っている。プロテスタントの牧師を父として育ったゴッホは、キリスト教の教えを自己の良心に照らし合わせ、驚くべき誠実さで、それを正義であり、真実であると信じた。残された書簡は、最後まで、このプロテスタント的な、頑迷とも言えるキリスト教的道徳観に貫かれている。彼にとってみれば、キリスト教的概念を、自己の生活や実践や良心を素通りさせて、イメージのためのイメージの源泉としたり、我慾の発露の手段にする事は、言語道断の行ないと映ったであろう。

黄色いキリスト(エミール・ベルナール)
そして、同じ書簡の中で、自分の仕事についてこんな風に語っている。『自分はオリーブ園のキリストなど描かず、皆が見ている通りに、オリーブの実拾いを描くだろう。そういうものが恐らくキリストを思い当たらせるだろう』、病院の庭の夕暮れの眺めを描いた画布について、『歴史的なゲッセマネの園を真向から狙わないでも、苦悩の印象を与えることはできる』、若い麦畑の日の出を描いた画布について、『心を慰める優しい主題のためには、わざわざ山上で説教をする人物を描くまでもない』──これらの言葉は非常に興味深い。聖書に書かれた場面を直接描く宗教画と、現実の自然を描く風景画は、それを見る者に与える感情や観念を同一にすることができたなら、同じ効果を持つはずである、と言うのだ。すなわち、絵画は、描かれる対象の持つ形象や印象から自由になり得る。それは、対象の中の線を誇張し、変形し、その色彩を自らのパレットの色彩に置き換えることによって可能であり、対象そのものが喚起する固有の印象を越えて、より様々な感情や観念を表現できるに留まらず、宗教感情のごとき形而上的感覚までも表出させることができる──極めてモダンな発想であり、なるほど表現主義に多大な影響を与えたはずである。

麦畑の日の出

彼が書簡の中で語った絵画の描写は実に途方もないもので、自らの製作中の画布に関して語る時でも、他の画家達の画布についてであっても、使われている色彩の持つ固有の効果とそれらの対照による効果に関する言及が止めどなく続く。まさに、彼の頭の中に展開する観念そのものが色彩の形を取っていたとしか言いようのないほどである。彼がある対象を絵画のモチーフとして捕らえるとき、多くの場合、それは純粋に視覚的なものに還元されて語られている。ある色に固有のイメージ、色彩の対比が喚起する感情、線の誇張が呼び起こす意味など、いずれも描かれた現実の対象から離れた抽象的視覚要素によってそのモチーフを語らせようとするのであった。それが何か象徴的な意味、たとえば、永遠の詩とか、絶対的な休息とか、人を慰める音楽とかいった、視覚と直接関係ないものであっても、彼はその本質的な観念を、絵画の持つ文学的な力に頼らずに、純粋に色と線によって理解し、考え、表現しようとするのであった。

彼が、絵画の文学的内容、すなわち実際に描写されている対象が活躍することによる物語的な力というものに頼らなかったという事実にはいくつかの側面がある。特にサンレミの療養所における単調で変化のない生活には、いわゆる物語的モチーフはほとんど皆無であり、そういったものを発展させるきっかけがあまりに少なかったという単純な事実がある。しかしそれよりも、アルル滞在の後年に彼が試みた想像による絵画製作が、結局ほとんど失敗に終わった事を思い起こした方がよいだろう。彼は想像力によって画布の上にもうひとつの世界を創り出す能力、フランスロマン派のドラクロワが完成させたあの溢れんばかりに次から次へと湧き出して来る叙事詩的な想像力を持っていなかった。その点において彼は、骨の髄までオランダのレンブラントが完成させた自然主義的方法に依っていた。

アルルでゴッホとベルナールが交わした書簡の中に興味深い一幕がある。ベルナールは絵画の他に詩作も手がけており、しばしばゴッホに対し自作の詩を送っていたが、ある時、当時の近代詩人ボードレールがレンブラントについて歌った四行詩を賞賛する手紙を送ったことがある。ボードレール──人工の美を讃美し、反道徳的なものを高みへ持ち上げ、十九世紀ロマン派の反社会的芸術家気質と、高貴にして残忍な貴族性を過剰にその身に宿した象徴詩人。自然、キリスト教、労働者を絶対視したゴッホとこれくらい対局にある人間は居ないだろう。当然、ゴッホはベルナールの賞賛に対する返事として、ボードレールはレンブラントについて何も知らないし、何も見ていない、と書き送った。その詩とは次のようなものだ「哀れなさわがしい病院のレンブラント──飾りといえば大きな十字架だけ──漂う悪臭に似たお祈りの涙声──と、急に差し込む冬の日ざし」この詩は、今僕が読んでも、北欧の宗教画の凍り付くような寒さと静けさに閉ざされた中世的幻想を、恐ろしく的確に表現しているように思うが、ゴッホはこういういわば過剰に詩的で、劇的で、我々が住んでいる世界と別の世界で繰り広げられる恐ろしげな夢を描写しているような、つまりロマン派的言語には我慢できなかった。彼はこれを「空っぽで大げさな言葉」として、ボードレールが見損なった北欧の芸術家の自然主義的方法について語り、レンブラントを頂点とするオランダ派の絵画の本質的性格について説明を試みている。

フランス・ハルス
彼の考え方は、かつて彼の師であったオランダの画家モーヴが彼に与えた「色彩的な仕事をするなら暖炉の隅やメッソニエが描いたような室内の素描ができなくては駄目だ」という教訓に基づいている。彼はこれを語るため、オランダの肖像画家フランス・ハルスを取り上げ、この、劇的で幻想的な宗教画も奔放で淫らな裸体画も描かず、ただひたすら平凡な肖像画のみを描き続けた画家の芸術こそ、オランダ共和国の名誉を代表する、健全なオランダの芸術のひとつの頂点なのだと主張する。彼によれば、こういった方法を基盤にして、この後、風景画や、哲学者を題材にしたもの、そしてレンブラントの神秘的な宗教画が続くのであって、オランダ派の絵画の中に魔術的、幻想的なものを読み取ってはいけない、とする。さらに、オランダ人の性格には少しの創意もなく、想像力も幻想もなく、レンブラントの描いた奇妙で魔術的なキリストも天使も、彼が創意したのではなく、彼が実際に経験し、そして見たものだとまで言っている。

このまるでサンレミの彼の絵画からひたすら狂気や幻想を読みとった人間達に対する警句に受け取れるかのような彼の言葉が、精神病の発作に襲われる以前のアルルで述べられていることに注意しよう。まさに、ここで語られている事が、彼という人間の本質的な姿なのだ。彼の芸術に対する情熱は、ただひたすら健全さ、堅実さに寄せられていた。芸術の持つ幻想性、魔術性については彼は常に警戒し、少なくともそれらはオランダ人、そして彼自らの性格の中にはないのだ、というのが彼の考え方であった。従って彼が、ある観念を色彩や線で表現しようと願うときも、その観念的モチーフや宗教的モチーフの実現を目的として絵筆をコントロールすると言うよりは、自然がそのように見えるようになるまで、絵筆を動かしながら待っている、という、どこか思考よりも祈りに似た方法に頼っているように思える。彼にとって大事な事は、放っておけば野放図に広がり続け止まることのない人間の想像力の奔放を警戒し、その代わりにただひたすら自然を観察し、これを研究する事で神のもとに創造されたこの世界の全体をひとつひとつ組み立てて行く事であった。

しかし、その堅実なたゆまぬ労働の果てに彼は遂に何か神秘的なものを描き出してしまう。彼は夢中で画布を塗り続ける。そのモチーフは糸杉であり麦畑でありオリーブであり、いずれも彼が徹底的に研究し尽くしたものである。彼はその自然の本当の健全で健康な姿を画布の上に定着しようと願い絵筆を動かすが、その形は次第に捻れ、捩れ、波打ち、そして色彩は真昼の太陽の下の風景よりはるかに明るく影のないものになって行く。彼は無心で更に塗り続けるが、画布の上の自然はますます誰も見たことのないような様相を呈してくる。そして遂に彼はそこに、彼が見たこともないキリストや弟子達や天使達の姿を描き出してしまうのだ。


それにしても何故このような事が起こるのだろうか。ゴッホは、サンレミの療養所滞在中に三回の発作に襲われている。彼は、発作について多くを語らなかったが、一回目の発作の後、サンレミの療養所を出て北欧へ移りたいという希望を語るため、自らの発作を分析して、『近代的観念を持ち、芸術作品の讃美者であるのに、まるで迷信家が起こすような発作を起こし、北欧にいた時には思いもつかなかったような狂暴なわけのわからぬ宗教的観念が湧いてくる』と言っている。彼はこれを、『内部から来る原因よりもむしろ外部からの影響』と考え、『病的な偏執を好んでかきたてる』修道女が管理する『古い修道院に長く逗留』していることが、環境に非常に感じ易い自分を刺激するのだろう、と言う。しかし、発作の宗教的性格の機縁となったのが外部の環境であったのは確かであろうが、彼の内部に、そうした環境の刺激によって、発作の爆発に至るまでに刻々と準備される宗教的素地がなければ、狂暴な宗教的観念など現われようもあるまい。自らの人間的良心をもってキリスト教に向き合うことにより、堅く信じられた道徳観を持ち、過去の偉大な芸術の健康さを信奉しながらも、近代的な理知と進歩を重んじた、揺るぎない近代人の心の下に、前近代的な、野蛮にして狂暴な、グロテスクな、迷信的な、反理性的な、宗教的観念の渦巻く地下室を蔵していたオランダ人………。

ここで、北欧の奇怪な絵画の数々を思い浮かべることは正当であろうか、不当であろうか?──北欧ルネサンス以降の画家達は北欧に独特の、現実と幻想が奇妙に混淆する恍惚とした宗教画や、残酷嗜好と虐待趣味も露な血生臭い宗教画を数多く生み出した──ありとあらゆる虐待を受け殺される子供の顔をした殉教者達、鞭打ちから磔刑に至る血まみれのキリスト──地べたに置かれた生まれたばかりのキリストを取り囲む大勢の人間と大勢の天使を描いたファン・デル・グースの狂気──発酵した想像力から生まれた怪物達でひしめき合うボッシュの絵画、そして奇怪な仮面じみた男達に取り囲まれる女性の顔をしたキリスト──冷徹な観察家ホルバインの描いた棺桶に横たわるやぶにらみのキリストの死体──凶暴な写実家グリューネバルドの描く腐って膨れ上がった死体、ぼろぼろの皮膚に包まれた十字架上のキリスト………

ファン・デル・グース ボッシュ ボッシュ
グリューネバルト
ホルバイン

彼は、狂気の発作の中で吹き出して来る宗教的イメージを断固として退けた。それを許すことは狂気を肯定することであり、健全な所にこそ芸術があるという彼の信念によれば芸術を否定することであった。彼は、ベルナールの宗教画を見て、これは進歩ではなく頽廃だというやりきれない印象を受けた、と語っているが、ゴッホにとってみれば、聖書から直接取った宗教的イメージに従うことは危険であり、自分が十分強くならないうちにそれを行なうことは、狂気に身を売り渡すということに等しい行ないだったのだ。

しかし奇妙だ。彼の脳髄を支配しようとしている古い古い記憶に拮抗しているのは、強靭な、蛆虫のようにしぶとい彼の現実主義者リアリストとしての性質だった。そして彼のリアリストという性格は大地に根をはり土から生まれたものであった、それは汝の額に汗をして喰うべし、という声そのものであった。しかし、彼を脅かしている感情も土から生まれたものではないか。狂気も正気もどちらも自分である、と認めながら、そのふたつを決して同一視しようとしない彼は一体何をしようとしているのか──彼の絵画がその答そのものであることに間違いはないが、何故ここまでして、狂気を理性によって意識的に芸術にすり替えるという、芸術家の特権を退けなければならなかったのか………

サンレミの独房に閉じ篭ったゴッホには、気晴らしという市民生活では当たり前の慰めが全くなかった。意志の集中から気をそらし、心地よく休息させてくれる優しい微笑のようなものが、彼の内部にも外部にも欠けていたのだ。無為徒食の狂人達に囲まれ、自らも時を置いては襲われる発作に痛めつけられ、自分が正常であるという証を、自然を見ることと絵画を描くことのみに求め、眼に見える現実の事物から離れることを非常に恐れた。想像力──詩的な感情や思弁を鮮やかに影像に翻訳する、古典画家達は皆持っていた能力がゴッホには欠けていたが、狂気に捕われた忌わしい時間にあっては、画布の上では発揮されない想像力が凶暴に荒れ狂い、幻覚や幻聴となって彼を苦しめたのだ。この、彼の意識の奥底で渦巻いている古い荒削りな想像力は、絵筆を持つ彼の手に対して、これを強引に引きずったり、おとなしく従ったり、口裏を合わせたり、裏切ったり、気まぐれを起こしたり、およそあらゆる身振りとなって画布の上に現われる。サンレミのゴッホの絵画の、観念的な、幻想的な部分は、この隠れた奔放な想像力をその源にしている。

一方、その影像が、どんなに荒れ狂おうが、どんなに混乱しようが、どんなに謎めこうが、画布の上にいささかも不合理な所のない、計算され尽くした見事な調和を造り上げているのは、重症の発作の後でも、全く無傷で戻って来る彼の理知、すなわち画家としての技術、そして強靭な意志の力によるものであった。