アルルのアトリエでゴッホと共同生活を初めたゴーギャンは、ゴッホに想像で絵を描くように勧める。この忠告を素直に受け入れたゴッホは、実物の写生によらない、想像によって構成した画布を幾つか残している。彼自身、弟への手紙で、想像力で描くものは、確かに一層神秘的な性格を帯びるようだ、と言っているが、彼が試した、『エッテンの園の思い出』や『読書する女』といった作品は決して出来の良い作品にはならなかった。しかし、発作の少し前に試みた『揺籠を揺する女』は、ルーラン夫人をモデルにし、彼がひと夏の激しい労働の中から見つけだしたプロヴァンスの色彩を注意深く計量、配分して、船乗りを慰める子守歌の旋律をモチーフにして、想像で構成した作品であり、これは、実際のモデルを研究した事、自然から掴み取った色彩を使った事とが、いかにも彼らしいモチーフの元で融和した傑作になった。ゴッホはこの絵のモチーフを、ゴーギャンと『氷島の漁夫』について、危険に晒され、荒寥とした海にひとり残された彼らの沈欝な孤独について語り合った時に、ふと捕まえる。それはこんな風に語られる。
エッテンの園の思い出

「子供でもあれば殉教者でもある船乗り達が、その絵を氷島の漁船で見たら、自分の子守歌を思い出させるあの揺籠にゆられている感じ、そんな感じを経験させる絵を描いてみたい」

殉教者という言葉が使われているのは気まぐれではあるまい。ここでも、単純素朴な人達、癒されることのない悲しみを胸に抱き平凡な日々を送る変哲ない人々の中にこそ、聖書の深い慰安を秘めた言葉の真実があるのだという考えが繰り返されている。この、彼に親しいモチーフをもとに、彼は、ルーラン夫人の姿をうんと単純化して、何事にも動じない表情と、百姓の手のように無骨な手を与えた。色彩は自由に選ばれた。プロヴァンスの子守歌の旋律を探し求め、不思議で、少し奇妙な調和に達している──着物のヴェロネーズ緑と床の赤の最も激しい補色のかん高い和声が、プルシャンブルーとバラ色の花模様がある庶民的な壁紙の中から浮き出している。顔は橙色にまで誇張され、大きな瞳には、真昼の、沈黙した、果てしなく広がる、エメラルドグリーンの海がのぞいている。揺籠を揺する女を手にした弟の感想──「着色石版画に陶然と見とれ、手回しオルガンにしみじみ聞き入る庶民こそ何となくほんもので、恐らく官展に通うインテリよりはよほどまっとうだ」。ゴッホは、全く正しい意見だと返答している。

揺籠を揺する女は、最初の発作に襲われる少し前に描き始めた作品で、病気で中断していた画布のひとつであった。アトリエに戻った彼は、再びこの絵を画架の上に乗せ、短期間でいくつもの写しを作り、結局全部で五点も描いている。彼はこの揺籠を揺する女を、向日葵、寝室と共に、アルルでの最良の成果のひとつと考えていた。彼がこの絵で成功したのも、最も親しい宗教的な主題のもとに、プロヴァンスの色彩という明快な意図を以て、デッサンと色彩を構成したからであって、彼はこれ以外の、想像による絵画のヴァリエーションを持っていなかったのだろう。ゴッホという人間はやはり徹底的な現実主義者であった。ゴーギャンのような、多彩な言葉で意味付けられたモチーフによって、想像裡で画面を構成し、そこに様々なニュアンスを持った色彩を配置する事で、いくらでもそのヴァリエーションを広げることができた芸術家の対岸に居る。現実のモデルがないと描けない、などというのは何事でもない。彼は現実の上で取得した直かの経験以外何物も信じなかったし、現実において試されないいかなる理想も信じなかった。そのあまりの徹底ぶりが、アルルの破局までに至る、十数年の彼の人生の不幸の元凶だったのだが、ゴッホ自身も、弟のテオも、他の人達も、これをどうする事もできなかったのだ。

アルルを去って、サンレミの療養所の独房に入り、正気の自分と、狂気と、絵画の三つどもえのような生活になってしまっても、その宿命的な人格構造は変わる事がないどころか、ますます鋭く、また独自の性格を帯びるようになる。彼が最後まで信じた経験的事実は『自然』であった、そして彼が最後まで現実の上、すなわち画布の上で試みたのは、色彩とデッサンの研究という終わりのない理想であった。そして、その孤独な労働を慰めてくれるのは、彼の血の中に綿々と流れるキリストへの憧憬であった。彼はそんな画家達の守護者として、医者で、画家で、福音使徒のひとりであった聖ルカをあげるのだ。しかし、こういう人間が、自然から離れて想像裡で画布を構成したら一体どうなるのか、そのモチーフは次のふたつになるはずだ、すなわち、牧師の家に生まれた彼が遠い昔からの意識の底に抱き続けたキリスト教的観念、そして今ひとつは、恐怖なくしてはのぞき込めない深淵──狂気である。サンレミで、彼が、自然から遠ざかる事を非常に恐れている、と言っているのは、こうした意味合いにおいてである。とは言え、想像で構成した作品は、意識的には『揺籠を揺する女』で終わったのだが、数は極く少ないが姿を消したわけではなかった。サンレミで描かれた、刈る人のいる麦畑、糸杉のある麦畑、星月夜、これらの画布に現われている不吉な狂気の影が、濃厚な宗教的観念を伴っている事は決して偶然ではない。

寝室
ゴーギャンがアルルにやって来る少し前から、ゴッホの頭を捕えて放さなかったのが、色彩による人を慰める音楽、という考え方だった。彼がこの頃、しばしば口にする『人を慰める音楽』というものの意味を、通常の生活を送る人達が誤解せずに受け取るのは難しい。ゴッホの言っているのは、決して休息することのできない精神の持ち主にとっての音楽であって、それは、音楽の中に心地の良い休息を求める人達には想像もつかないものなのだ。ゴッホは、アルルで見つけた最良の音楽として、あの素晴らしい画布──『寝室』をあげる。真上から照り付ける南仏の太陽の下で、忘我の内に熱狂的に色彩と格闘し、休みなく黙々と働いた彼が、くたくたの頭とキャンバスを抱えて自分のねぐらへ返ってくる。彼は椅子に座って、野外で酷使した眼で殺風景な部屋を眺める。そして部屋の風景までも花束に変えてしまうのだ。十二時間ぶっ続けで働き、死んだように眠る。労働と眠りは彼の生活の綱領であった。あとは、疲れ果てた体に麻薬のように作用する強い煙草とアプサン酒と、動物のような性欲があるばかり。まさに彼の言う『その血の中に何か残忍な所のある』百姓の姿そのものだ。前後不覚の睡眠を彼は休息とは呼ばなかった、それは単なる眠りに過ぎない。労働と分かち難く結び付いているものであり、眠りのない労働は不可能であると同時に、労働のない眠りもありえないのだ。労働に休息を対置させ、眠りを恐れる現代人とは縁のない話だ。彼は知的な休息を案出する。それが音楽であった、それも色彩の音楽であった。全精神を傾けた労働から、疲れ果てた神経を救い出し、デッサンの単純明快な旋律と色彩の素朴な和声の奏でる音楽に、聞き入る休息を彼は想うのだ。

あの『寝室』の絵は、そんな人間の生みだした音楽であった。彼はそこに表現されているのは絶対的な安息である、と語るが、これを率直に納得する人間は多くはあるまい。「だって、誇張された遠近法は安定を欠き、色の対比は見事だが落ち着きを欠いているではないか」──人はこんな感想をもって、その後の発作につながる画家の精神の不安定を読み取らずにはいられない。自分達では到底休息することも眠ることもかなわないこの寝室を、しかし、これを絶対的な休息だと言う人間が確かに居たという事実を訝しく思い、そして人は、彼がこの絵を描いて間もなく精神病を患うことになるという事実を知らずして利用するのだ。ここから後は多様である。ある人はこれを敬遠し、ある人はその狂気にあこがれる。僕はこういう風景に、現代人の想像力の限界を感じる。

ゴッホとゴーギャンの共同生活にあって、彼らはしばしば、議論に次ぐ議論、粉糾に次ぐ粉糾の中で、片時も休息できない緊張状態を強いられることがあったという。そんなとき、互いに対する善意と悪意は、そのあまりの真面目さ故に区別がつかない状態に陥り、限りない賛美の後にはすぐに、際限なく意地の悪い非難が続くのであった。特にゴッホは、形而上的に陶然としたり、高貴な優しさや謙譲ぶりを発揮したりした後に、すぐに底意地の悪い、疑り深い、不機嫌な感情の虜になってしまう自分を抑えることがどうしてもできなかった。彼の感情は常に両極端の間を揺れている、決して安息という状態の訪れることのない精神の持ち主であった。こういう魂を持たされた人間は、決して手に入るべくもない完全な全き安息の瞬間を、あり得べくもない魂の例外的瞬間を、熱烈に、執拗に夢想するのだ。そういう精神にとって自らを救うことのできるものは、音楽以外に有り得るだろうか。音楽という純粋な抽象において初めて彼はその悪意を完全に忘れ去ることができる。彼は、自らの不機嫌をなにもかもすべて知って、それでも自分を許して慰めてくれる、ある一片の旋律に対し限りない感謝を捧げるのだ。

発作の前後をはさんで、彼が、色彩による音楽、という一種の感覚に、深く没頭していたことは、注意してよいことだと思う。発作の直後にゴーギャンに宛てた手紙は、この独特の感覚を言葉によって最も明確に描写しているように思う。

「僕はまるで海の中を漂っているようなのです。僕はオランダの幻の船やオルラの夢さえ見ましたし、ほかの時は歌うこともできないのに、乳母の歌う古い歌を歌ったようなのです。その時は、水夫を揺籠に入れて揺する子守女の歌を思い浮かべました。それは病気になる前に色彩の配合に関して探していた子守歌なのです」

ここではもう、色彩と音楽の実質的な区別はなくなってしまっている。音楽と造形を対立するものとして捉えてみよう。音楽は時間と共に流れ、それは決してひとつところに立ち止りはしない、精神の最も深い、一種の生理にまで届くとも思える深所から湧き上がってくる、恍惚とした感覚であり、留まるところを知らぬ陶酔である。しばし休止して理性を働かせることは許されず、一方的に流れてくる音に理性の割り込みを拒絶され、次に何が来るかも分からず人は音楽に身を任せる。音楽が終止した後あるいは何かを空想するにせよ、その最も切実な感動は決して論理の形を取りはしない。音楽が陶酔を特徴とするのに対し、造形は、時間の流れに拘束されず、部分と部分の関係を探りながら全体の調和を作り上げる。それはむしろ精神をひとつの理想的な静的な状態につなぎ止め、そこに人はひとつの空想を見る。それは、現実の体験のあらゆる断片と、それを総合するあらゆる理性と手を取り合って、人の心に一幅の夢のような静止点を見いだすのだ。人は造形に身を任せるのではなく、立ち止ってこれを一望するのである。

僕は、彼がその狂気の発作の中で体験するという、海の中を漂っている、という感覚を、ひとつの音楽として想像しようとする。何処からとも知れず溢れだし、流れ去り、留まることを知らない音楽に対し、揺籠を揺する女に現われた、堅固な造形を思う。それは、かつて彼が百姓を描いたときに使った無骨なデッサンであり、そしてこれは、農民達が変わらずに持ち続けてきた信仰に対する、彼の信頼の表明でもあった。この彼に親しい造形は、いま彼の心の中で鳴っている音楽の流れに抗するたったひとつの静止点ではなかったか──ゆらゆらと揺れる船、彼が発作中に歌ったという、揺籠に揺られながら聞いている子守唄、冬の海に独り船室に居る船乗りの漂流への不安、そしてその船を漂流から救い、しっかりとつなぎ止める綱を握る女の無骨で力強い両の手──こういった、ひとつの主題の回りを漂っているかのような──その中心には単純化されたルーラン夫人が居る──独特のイメージの総合は、決して動かない堅固な像が、漂白し、流れ去ろうとする精神をしっかりとつなぎ止めている風景を思い起こさせる。それが、動かしようのない精神の支点になるには、理性によって分解できない、原始的な、不可解で奇怪な、偶像のごときものでなければならないのではないか。僕はここで、アルルを去った後のゴーギャンを思い出さずにはいられない。ヨーロッパからドロップアウトし、精神的な漂白の末に、南の島に辿り着いた、後年のゴーギャンが執拗に描いた、無骨で、野蛮な偶像達の、原始的な力であるが故に動かしがたい姿に、この揺籠を揺する女は非常に似てはいないだろうか。ゴーギャンとゴッホの間に起きた不幸な事件の直前、限度を越えた二人の精神は、確かに、何か共通のものを交感していたのではあるまいか。………

我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか(ゴーギャン)

ゴッホは、弟への手紙の中で、この『揺籠を揺する女』を二点の『向日葵』の間に置いて見るように言っている。彼が、この絵を向日葵の画布と一緒に見せることを思い付いたのも、いまだ素朴な信仰という共通のものが、ふたつの絵の底に流れていたからだ。彼はこんな風に言っている──「僕は頭の中で揺籠を揺する女を向日葵の画布の間に置いてみる、そうすると向日葵の画布は同じ大きさの大燭台か脇ぞえの枝付燭台となる」──この言葉は、田舎の変哲ない教会の薄暗い礼拝堂に飾られた、燭台に囲まれた聖母像の光景を髣髴とさせる。僕は想像で、この三双の絵画を、片田舎の貧しい教会の中や、粗末な船の船室の奥の突き当たりや、土地の人達が集まる古びた居酒屋の壁に置いてみる。そうするとこの一組の絵は奇蹟的に輝きだす。そうして、血塗られた西欧のキリスト教史を飛び越えて、いや、宗教や信仰という言葉すら吹き飛んでしまい、何かもっと原初的な、動かしようのない、人間達のあらゆる悲しみを背負ってなおかつ輝く、善良で力強い希望のようなものを感じるのだ。

向日葵を両翼にした揺籠を揺する女を、僕は実際に見る事はできないだろうが、ヴィンセントの死後、テオ・ヴァン・ゴッホの願いで作品展示を引き受けたベルナールは、ヴィンセントの構想通りに作品を並べ、その効果を美しい言葉で要約している。

「緑色の揺籠を揺する女は黄色とオレンジ色の太陽にはさまれて、まるで田舎の教会で黄金色の二本の燭台の間に輝いている聖母子像のようだった」


ゴーギャンとの別離と、精神病の発作をはさんだ、アルルからサンレミに至る彼の生活劇の中の、動かぬ支点のようなこの素朴な絵画は、まさに彼の絵画芸術のひとつの転機でもあったのだろうか、彼はこの絵たった一枚で、あれだけ執着したモチーフであったにも関わらず、これを追い求めるのを止めてしまう。この揺籠を揺する女こそは、彼がかつて執拗に追い求めた農民画の辿り着いた終着点ではなかっただろうか。その後の彼の絵画を見ると、彼はこれ以上、昔と同様の意味での農民画を描けなくなってしまったように思う。サンレミとオーヴェールで彼が描いた農民の姿は、途方もない自然の紛糾のただなかに翻弄されているように見える。確かに、彼は変わることなく常に自然の中から題材を選んで描き続けた。しかし、それはかつてのように、揺るぎない信頼感にもとづいたものではなく、むしろ、自然に対する激しい愛情と一体感の表現であった。できあがった画布は、現実と幻想の徹底した総合のごときものになる。いまだ幸福な信仰、それはここで終わる。サンレミで彼を待ち受けていた運命は、苦しみに満ちて苛酷なものであった。宗教と狂気は、分かち難い姿となって彼の心を襲い、遂に彼は、自然と絵画だけを救いとして生きて行かなければならなくなる。