コンピュータプログラムの話だが、一時期、自分、いかにきれいなコードを書くか、という「クリーンコード」っていうのを授業で教えてくれ、と言われ、分かりました、って5回シリーズの講義をやったことあった。これには、そのままずばり「Clean Code」っていうネタ本があって、それを僕が5回レクチャーにまとめただけなんだけど、なかなか評判がよかった。
きれいなコードを書くことにつき、僕ぐらい非適任なプログラマーはいないのであって、自分が過去に書いたコードにつき「悪い例」は山ほどある。で、講義では、その自分が過去に書いた悪いコードを発掘してきて、それをネタに、「こことここがダメです」って教えてた。あと、自分の悪いコードを学生に与えて、「良いコードに直しなさい」とかの課題をやったりした。
結局、なぜか途中でその講義、学科事情で無くなったが、あの内容は、まあまあ自分の役には立ったかもな。
そういや、昔どっかで書いたけど、講義するために自分の昔のコード見てたら
addsonofabitchheadershit()
っていうファンクションがあって笑ったっけ。Add son of a bitch header shit、日本語にすると「サノバビッチ糞ヘッダー付与」って書いてる。学生に、「こういう関数名は、書きたい気持ちは分かりますが、最後には修正してAddHeader()にしておきましょうね」とか言って笑いを取ってた。
とまあ、いろいろ自分の役には立ったが、結局のところオレのプログラムコードのきれいさは、ホントに、徐々に徐々に改善はして行ったが、すでに30年ほどになるけど、いまだに汚い。
最近、1年ほど前に書いたコードを修正しているが、まったくのところ汚くて呆れる。1年前にちゃんと、自分で学生に教えたクリーンコード原則のもとに書いていれば、オレのいまのこの修正仕事は、おそらく三分の一以下の時間で終わるだろう、と思うとなかなかに後悔する。
しかし、人間が人生を送って進歩したり後退したりする、ってのはそもそもそういうもので、逆にコードが最初から超きれいだったら、人生味気ない。というか、別次元の人生になっていたであろう、と想像される。じゃあ、その別次元のエレガントなあるべき自分に、いまあんたはなれなくて後悔するのか、と言われれば、ぜんぜんしない。
エレガントな自分なんてさあ、SonOfABitchShitな自分はひとつも憧れない。でも、そういうエレガント人、世の中にはいるのよねえ、たくさん。僕は苦手で、あまり近寄らないけど。
というわけで、今回も汚いコードのままでいっか。めんどくさいし。