夜十一時過ぎの大岡山商店街。このまえ行った日高屋が閉まってて、しばらく歩いてたら松屋があった。なんと、ここ、24時間営業なんだね。いまどきそんな店があったんだ。夜中じゅう営業して採算取れるんだろうか。夜の仕事をしている人には有難いだろうけど。
十一時過ぎで客は三人。オレは四人目。タッチパネルでビール中瓶と牛皿を注文した。
厨房には外国人研修生っぽいアジアの人と、日本人の店長らしき人がいて、店長が彼に、あれこれ教えながら仕事してる。ガラスのコップをトレイに置くとき、彼、上からつかんで置いたんだけど、店長に、それじゃだめ、あなたの指がお客さんが飲むところについちゃうでしょ。下の胴のところを持ってね、とか教えてる。へえー、なかなか細かいところが行き届いてるなあ、さすが日本だなあ、アジアの屋台は衛生状況まったく最悪だったなあ、香港でA型肝炎をうつされたなあ、とかとか思って見てた。
トレイを受け取って、壁に向かって座って、牛皿をつまみにビールを飲む。
今のオレ、完全な自由。しかし将来はまったくの未定。というのを痛いほど感じたよ。オレのように酒飲みで場末好きな男は、もし未来に希望がなくなったら、東南アジアとかに逃避して、そこでぐだぐだの生活に堕ちて行くことをすぐに考えてしまう。もっとも外国は大変だから、なら、大阪かどっかのローカルな町の中に陸沈する方がありそうなことだ。
なんか、そんなブルーなこと考えてぼんやりしていた。でも、オレ、かたや、そのような自堕落に憧れるけど、かたや、かなりきちんとした人間で、そもそも堕落できない人間性を半面に、持っている。ああ厄介だ、って思うけど、しかたない。
しかし、それもこれも希望の在る無しで決まるわけだけれど、オレにとっての希望は具体的な姿をぜったいに取らない。どっかに書いたが、オレにとっての希望は、晴れた日曜の朝におしめが風にはためく光景なのである。それは完全にイメージだけで、人生の具体的な希望を指さない。
とかとか考えると、希望というイメージを心に持つだけのエネルギーの問題になり、オレはたぶんまだ十分にそれを持っている。
だからきっと、大丈夫。
