音楽と世間

昨日、お袋と話してきたけど、なかなか衝撃的なこと言ってた。

「もし、あんたが音楽やってなかったら、もっとえらいすごい人になってたのにねえ」、だって。

「えー、なんでそんなこと言うの?」

「あんた子供のころはすごかったのよ。でも、高校大学へ行って音楽やって、それでせっかくのえらくなる道から外れちゃったわねえ。もったいないと思うのよ」、だって。

で、「あんたどう思う? 音楽のそういうの」って、って訊くから

「うん、たしかに僕もそう思うよ!」って元気よく答えて大笑いしちゃった。

思えば、世間で、伴侶を探してお付き合いするとき、あなたが音楽やってなければお付き合いしたのに、というケースがけっこうあるらしい、と聞いて驚いたことがあるが、やはり、それって十分、アル、話だし、一般的な認識として間違ってはいないのかもね。

で、お袋に

「だからさあ、若いときに、音楽、芸術、文学、哲学、なんかにうつつを抜かしてしまうと、だめなんだよ。そういうものはさあ、社会に出たときにいったん捨ててやり直さないと。僕はそれができず、ずっとうつつを抜かしっぱなしだから、六十六になっても生活不安定、先行き不透明、なにより経歴に比べてぜんぜんえらくないそのへんの人になったんだよ」

って言っといた。

えー、林君、そんなふうに考えてるの? 冗談だろ、と思うかもしれないけど、オレ、真顔でそう思ってるよ。

でも、オレたちの時代は絶対に来る。ここ3、4年のAIは必ず社会における価値の転換のきっかけになるよ。そうしたら、絶対に、音楽、芸術、文学、哲学にうつつを抜かす人が社会で主役になる、とオレは信じて疑わないよ。

ただ、その社会が本当に来るのに今から五十年はかかるだろうな。オレ、百十歳超えになっちゃうけどねえ 笑

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