考えてみると、日本という国に侘び寂びとかもののあわれとかいう概念があらわれた、というのはなかなか含蓄のあることだな。
なんにせよ日本はアイソレートされた島国。このまえ、スウェーデン人がやって来たときも、オレ、何度かそれを言ったっけ。
日本では人間の純粋性は自動的に守られている。でも、人間が混淆すればその純粋性は失われる。なので時代が進めば日本のような特殊な国は、必然的に崩壊に向かって行く。まあ、物理の世界のエントロピー増大のようなものだ。
それは物理のように抗えない。そこでどうするか、というと、その崩壊そのものを自然の必然的な流転の結果として、美化すること。すなわち滅びの美学、すなわち侘び寂び、ということになる。
エントロピーの法則などというけしからぬ物理法則を美とみなして、近親相姦による奇形をも美とみなして、乱れて一定せず形態を特定できない様子をも美とみなす。
ここは本当に美の国だ。
そうして崩壊して行くものがもののあわれ、ということになる。なにせいま現代の日本の誰がもののあわれなどという感覚を共有しているだろう。心の奥底に訊けばあるいはそれを取り出すことはできるだろうが、たやすいことではない。
そして仮に無傷で取り出したところで、その純粋性ゆえに早晩崩壊する。それをよしとして、それを流転として、肯定するとき美を使うだなんて、本当に力の弱い優しい民族だと思う。
でも、それでいいじゃないか。現在の世界を見てみなよ。その方向と完全に逆を向いて突き進んでいる。
そして今の日本人たちも多くが現実(つまり物理)を信奉し始め、美と心を置き去りに現実の奴隷になっている。
とかとか考えて、オレは現実(物理)を却下する。
で、そうなると、論理必然的にオレも美のもとに滅びることになっちゃうな。
でも、それもイヤだな。
だからって、戦う? それもイヤだ(笑
ここまで来ると、これってさあ、西行の詩魂だよな。むかしの人ってのは偉かったな。