昨日、阿佐ヶ谷の駅で降りて、階段だかエスカレーターだか分かんない列に並ぼうとしたら、おっさんに「割り込むなバカ野郎!」って怒鳴られたので、ふと見ると、この列がきれいに一列で、30メートルぐらい後方に伸びてる。もう列が長すぎて、いったいこの列の一番前が、階段なのかエスカレーターなのか断崖絶壁なのか分からないぐらい遠方。
日本人が辛抱強く列を作るのはだいぶ昔からだけど、ここ最近、さらにそれが激しくなってないかね。どこへ行っても一列に並んで一糸乱れず、みたいな。不要なところでも並んでる。
なんだかそれを見ていると「社会不安」って見えてしまう。みなが規則を厳格に守っていれば社会は良くなる、みたいな。で、社会が悪くなるのは、規則を守らないやつがいるからで、そいつらのせい。守っている私は悪くない。悪いのは規則を破るやつらだ、という構造というか、気分というか、そういうのが無いかねえ。
たぶんだけど、社会不安が無いときって、人はもっとバラバラに行動して、適当に譲り合ったり、小さないさかいを起こしたりしながら、全体として安定して機能するんだと思うけど、いったん社会不安の気持ちがみなに共有されると、どうしても人はすぐに誰でも納得できる「規則」を守ることに専念し出す。
ここでいえば「列を作って並び、割り込みは許さない」という規則。
思うに、スウェーデンに十年いたけど、かれら列を作って並ばなかったなあ。エレベータでも出口でもなんでもいいけど、わらわらって人が漫然と集まっているだけ。でも、特に混乱せずにひとりひとり出て行く。そりゃそうだ。イライラした人がひとりもいなければ、ふつうはちょっとした譲り合いだけで出口から出るのは簡単だからね。もちろん列を作った方がいい場所では作るけどね。
最近の日本はあんまり余裕がないんだろうか、常にイライラしてる人がすごく目につくようになったけど、気のせいかな。
そういやいま思い出したけど、このまえも別の駅で、列合流のつもりでゆるやかに割り込んだら、すごく睨まれたっけ。たとえば3列が合流して1列になるとき、いちばんきれいに長く並んでる列がいちばん強くて、そこに合流しようという別の列はみな悪者、みたいな感じになるみたいね。
西洋帰りのオレも、なかなか糞日本人のこの糞根性には慣れない。怒鳴られたり睨まれたりするのも気分悪いんで、今度から30メートル後ろまで歩いてゆくことにするよ。しかし、先頭の崖からみんな落ちちゃえばいいのに。
そっか、そういや外国行く前のオレはもうちょっと余裕があって、列が30メートルでも、出口あたりの横にぼーっと立って、列がぜんぶ掃けるまで待って、いちばん最後に出てたっけ。
オレも余裕が無くなったきたのかねえ。