子供たち

ミクシィに書いた文 (6/17、2011)

僕の姪に小学校2年の女の子がいるんだけど、朝、7時半に家を出て夕方の4時すぎても帰ってこないそうだ。一日6時間勉強しないと学習要領がこなせないとのこと。

案の定、クラスの半分の子は勉強についていけないそうで、それがさらに親の焦りを生むのだろうか、学校で習得できなかった分を補うためにも、みな、夕方から塾通いでお互い遊ぶこともあまりないそうだ。

僕は子供がいないので根本的な事情にはもちろん疎いのだが、小学校低学年のうちからこれで本当にいいんだろうか??

ところで、さいきん家で仕事をすることが多く、日中、自分の部屋にいると、家のマンションの周りで子供たちが一日中思いっきり遊んでいる声がずっと聞こえている。はっきりは分からないのだけど、聞く話によるとどうやら福島方面からの避難民の子供たちらしい。

彼らは学校へ行かなくてよいので、日中みんなでひたすらずっと遊んでいるわけだ。見るとちょうど小学校の低学年ぐらいだ。

うちのマンションは築40年で昔ながらの作りなので、敷地にやたら余裕があり、木や草や坂や泥や広場やなにやらたくさんあって子供たちの格好の遊び場所なんだ。この前は、一人の腕白そうな男の子がコンクリートの塊をどっかから掘り出してきて

「おーい、みんな! 遺跡を掘り出したぞ!」

と叫ぶと、それで、みんながわーっと集まってきて、掘り出した子があれこれ指示してる。一番ちっちゃいお味噌な子に

「おい、おまえ、道具持ってこい!」

「うん」

みたいにお味噌が駆け出して行く。で、他の子たちはこの「遺跡」を取り囲んでああでもないこうでもないとわいわい騒いでる。そのうちお味噌がドライバーみたいなものを握って走って戻ってくる

などなど、この調子で一日中遊び回っているのである。

それで、家にいる自分だけど、家の周りで一日中さわいでる子供たちの声を、仕事しながら聞いていると、本当にいい気分になる。なんだか子供たちの遊ぶ声が「希望」というイメージであたりの空気を満たしているような気になる。

希望というのは「これこれの明るい未来」とかいう具体的なものじゃなくて、なにかもっとぜんぜん違う、心の中にあるイメージのようなものなんだな。春に啼く鶯の声みたいなものなんだな。

さて、僕が思うに、すでに世界は、受験勉強して、いい大学、いい会社、生涯安定というパターンから大きく逸脱し始めているわけで、たぶん、それよりも「個人としての力」がずっと率直にダイレクトに発揮されて、その個人パワーの集積が混沌とした情報社会を土壌に育って行く世界になるんじゃないかと、予想している。

これからさらに10年、20年と経つと、特に硬直化した日本の受験制度は事実上、完全崩壊するように思える。

今、僕の姪のように一日中缶詰になって勉強、塾、遊びなし、という子供時代を送る子供たちと、一日中外で遊びまわっている避難民らしい子供たちとでは、将来になんだか違いが出そうだね。

自分は親ではないとはいえ、理屈では親たちの気持ちは分かる。でも、少なくとも、小学校低学年のうちは、自分の好きなことを優先にやらせるべきだと思うな。特に、今、この時代で、たぶんもっとも必要なことだと思う。

どうなんでしょうね。



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