目黒寄生虫館

ミクシィに書いた文 (8/21、2011)

目黒に寄生虫館っていうのが、むかしから、あってね。今日も寄ってきたんだけど、もう4,5回は行ってるよ。前を通るとなんだか入りたくなるんだよな、入館無料だしね。

毎回それほど展示物が違っているわけじゃないんだけど、やっぱり今度もパネルの解説を一生懸命読んでしまったな。寄生虫というのはホントに面白くて、それで気味が悪くて、それでグロテスクなんだ。

たとえば、マラリア。

マラリアはマラリア原虫っていう極小、極細の寄生虫が起こす病気。この寄生虫は血液中にいるんだけど、夜になって蚊が出てくるころになると皮膚の近くに移動するんだって。それで蚊が刺して血を吸うとき、血と一緒にシュルシュルっと蚊の体内に入る。そこで有性生殖して、変態して原虫となって、今度は蚊の唾液腺のところへ行く。それで、蚊が人間を刺して血を吸う前に送り込む唾液と一緒に、ジュルジュルっと人間の体内に入り込む。血管中に入って45分ほどたつと肝臓に到達して肝臓細胞に取り付いてそこで無性増殖する。充分増えたら肝臓細胞を破壊して赤血球の中に移動し、そこでまた増えたら赤血球を破壊して血液中に出る。それがまた、夜になると、ヒュルヒュルと皮膚表面に移動して蚊に刺され、ということで最初に戻って、サイクルを作る、というわけだ。

これ、すごくないか?

一体、どうやったらこういうことを思いつくんだ? パネルの説明によると、これはまだ寄生虫の中でも単純な方で、もっとずっと複雑なサイクルで生きる寄生虫も多くあるそうだ。

マラリアにかかった子供の写真はけっこう出回ってるのでよく見るけど、脾臓が巨大化してお腹がポンポンに大きく突き出してくる。それ以外の寄生虫も、宿主に対してなんらかの病変を伴うものも多いみたいだね。象皮病といって足が象みたいにふくれたり、睾丸が地面に届くぐらい巨大化したり、鼻と唇がぐちゃっと潰れたり、まあ、いろんなのがある。あんまり多くないけどそれら写真も展示している。

共生して仲良く、という場合はあまりそういうことはないみたいだけど、寄生となると宿主になんらかの不快な思いをさせる、っていうことが付きまとうみたいだな。それで、最悪の場合は死んでしまう。

しかし、寄生虫も、宿主が死ねば同じく死んでしまうわけなので、もちろん百発百中死に至らしめるということはありえない。それじゃあ寄生虫ライフはまっとうできないから。かといって、宿主にまったく影響を及ぼさない、ということもない。

なんか、オレ、寄生されてるかも、という漠然とした、しかし継続した「予感」を与え続けるって感じなのかな。

あと、一つの宿主の中で最初から最後までずっと、というのもあまり無いみたいで、やっぱり宿主を「渡り歩く」っていうプロセスを持っている。まあ、これも当然といえば当然で、そうしなければ次々と増えることはできないからね。さっきのマラリア原虫だったら、蚊と人間の間を行ったりきたりして、生存範囲を広げているわけだ。

寄生虫が宿主を取り替えるときの手管の鮮やかさには、ほとほと感心する。お見事、としかいいようがない。まるで、引田天功(古い)の大掛かり脱出マジックのようだ。巧妙で、複雑で、合理的だ。

それではこれら寄生虫がそのような「すごい」行動を取る、そのモチベーションは何なのか、というと、これまた唖然とするほど単一で、いちばん簡単に言うと、「生きる」ため。もう少し複雑にすると、「何世代にも渡って生き続け、生存範囲を拡大する」ということだ。「時間」と「空間」の双方について、自らがなるべく大きく「占有」する、というモチベーションなわけだ。

時間と空間の占有というのは生命の基本原理だよね。

しかも、それに加えて、「自らの生存環境を過度に破壊しない」という「お約束」がどこかで働いている。でも、これは、当の寄生虫の持ってるモチベーションには含まれてないよね。その「お約束」あるいは「制約」の範囲内で自分のモチベーションを実現する、と、こういうわけだ。

それで、生物と物理が支配する現実のこの「世界」で、さっきの単純なモチベーションを発揮しようとすると、なんか知らないけど限りなく複雑で突拍子もないことを考案してみせる、というのが、これが不思議なんだよな。動機の単純さと、手段の複雑さ、っていう綺麗で見事な対照がそこに見えるわけだ。

それで、脾臓が腫れたり、皮膚が象皮になったり、鼻が欠けたり、その他もろもろの、イライラと宿主に継続的に軽度な苦しみを与え続ける、っていうのが、なんだか寄生虫の「自己表現」に見えたりする、と言ったら、馬鹿を言うな、って言われるだろうな。

でもさ、ある寄生虫がこの世界に存在する、ということの一種の「証」みたいなものに見えたりしないか? そういうのって。 寄生虫がそれら巧妙な手段で宿主を渡り歩いて、時間と空間を占有する、という事実だけで本当は充分なはずなのに、それだけじゃ何か「済まないもの」がどっかにあるんじゃないか? 

そういう余計なものを「表現」と言うのではないのか?

マラリア原虫にとっては、マラリア熱で人が死んだり、脾臓が腫れてお腹が出たり、足や睾丸が象皮になったり、といったことが彼らの「自己表現」と呼んでも、いいんじゃないのか?

などなどと、アホくさいことを、寄生虫館を出て、山手通りを自転車をこぎながら考えてた。

さてさて、この辺にしとくか。寄生虫館はそんなに大きくないので、ひょっとすると行ったら、なーんだ、って思うかもしれない。でも、やっぱ、面白いわ。あと、なぜか若者率がすごく高い。しかも女の子がすごく多い。若い子って、ああいう気持ち悪いもの、好きだもんね。分かるわ〜

と、いうわけで、目黒の寄生虫館ですが、強く勧めるわけではないですが、お勧めです。



GO HOME