むかし、まだ二十代のころに住んでいた家の近くに小さな神社があった。貧乏神社で手入れもそこそこでそれなりに荒れていたが、神社の体裁はちゃんと残っていた。ただ、建物から何からなにもかもが古かった。神社はちょっとした高台にあり、周りは坂道だらけで道は入り組んでいて、都会では珍しいほど樹木が生え放題に生えていた。境内は、背の高い木々の葉にほぼ完全に覆われていて、晴れた日でも木漏れ日が射すていどで、なんとなく薄暗い感じだった。地べたは赤土が剥き出しで、粗末な踏み石が無様に並んで道を付けていた。昭和初期の神社がそのまま放置されたみたいな趣だった。

さて、ある晴れた日の昼過ぎのことである。何かの用事の後に少し回り道をしたせいで、いつもは通らないこの神社の境内を通って家へ帰ったことがあった。高台にある境内へは石段を登って行く。登りきって、小さな土ばかりの境内に出て、ふと見ると、一人の婆さんが社殿に向かってよちよちと歩いて行くのが見えた。かなりの年齢の婆さんらしくずいぶん小さく、どてらみたいなものを着て、むくんで丸々としたコケシみたいな形のまま、体を左右に揺すりながら、ゆっくりと社殿に向かって移動している。

僕は、なぜだか、その場で足が止まってしまい、婆さんのその動きをそのまま見ていた。しばらくしてようやく賽銭箱の前に辿り着くと、婆さんはそこで立ち止まり、コケシが真ん中でかくっと折れたような動きをして、手を合わせてお祈りを始めた。

そのとたんである。境内を覆い隠すような、うっそうとした葉をつけた背の高い木々が一斉に風でざわめき始めたのである。僕は反射的に上を見上げた。さっきまで風一つないほど静止していた木々が、揺れ、枝がしなり、葉の擦れ合うざわざわした音が境内に鳴り響き、少し驚いた僕は、再び目を下に移すと、粗末な朽ち果てたような社殿の前に相変わらずコケシが中で折れたようなあの婆さんの塊が見え、これは瞬間的な出来事だったのだが、その婆さんを中心として、神社の木という木がざわめいて、神社の空間全体が、この婆さんがまるで台風の目になったかのように、渦巻いているように見えたのである。

僕は、その場で唖然としてしまい、瞬間的に薄気味悪く感じて、ふと正気に戻ると、これはやばいと思い、別の出口を目指して境内を足早に横切り、そこから脱出した。

神社を出てしまった後は、あたりは何事もなく、おだやかな日和の昼下がりの風景があった。

その後、事あるごとに、このときに見た光景を思い出し、あれは一体、自分は、何を見たんだろうと訝るようになった。今でもはっきり思い出せるほど尋常ではない光景であった。少なくとも、あの婆さんが、古い神社に宿る霊を一気に目覚まさせ、活性化させ、動かしたことは、疑いようがないと思ったし、今でも、そう思っている。やはり、霊というのは、はっきりと目にも見えることがあるんだな、と心の底から思う。