派遣村のこと

Yahooブログに書いた文 (1/10、2009)

さいきん、自分の他のブログの方でも話題になり、いくらかやり取りがあったのだけど、かの派遣村の職の無くなった人たちへの支援の話しだが、ネットで検索してブログなどの反応をいろいろながめてみるとなんだか心が痛むね。国は弱者に甘すぎる、と言っている人がなんと多いことよ。そう言っている人の多くが、ああやって食えなくなって被害者面して集会だかに集まってくるヤツらは、元来が自分の調子が悪くなるとすぐに人のせいにして権利だけを主張して騒ぎを起こすけしからん奴らであって、そんな人間を助ける必要はない、という口調のようである。

まあ、分からないことはないが、いくら不況とはいえ、職がなく金がなく食えなくなり住むところもない、という風になってしまう人間というのは、ネットにアクセスして自分のブログに批評や批判を書き込むようなことをしている人間とは根本的に違うことの方がほとんどだと思う。確かにこの厳しい現代社会でまっとうに暮らしている人たちには、自分は世の中に甘えずに努力しているという自負があるのだろう。でも、そういう人たちも、一度たとえば土方のおじさんと付き合ってみればいい。人間性が根本的に違っていて、お互いに分かり合うということが不可能だということがすぐに分かるはずだ。

しかし、今こうして書いている自分も、実のところ本当のことは文章にして書きにくい。というのは、上記のように論を進めてゆくと、どうしても人間の身分や階級の問題、そして差別問題のようなことに簡単に触れてしまうからだ。

そういう意味では、今のような情報社会になる前の方が、言論の自由の問題があったにも係わらず風通しがよかったな。ちょっと前にどこかのニュースで古いアニメやテレビ番組の問題用語チェックの話が出ていて、その例に、巨人の星の飛雄馬の名セリフ「うちの父ちゃんは日本一の日雇い人夫だ!」というのが再放送ではすっかり削除されている、というのが載っていたが、要はそういうようなことだ。今のような自由に発言できるようになった代償にこんなことを払っているのだな、などと思ったりする。

ということで、以降ずいぶんとマイルドに書かせてもらうことにする。

僕は、例の「弱者に甘い」とブログだかに書き込んで怒っている人たちと、派遣村に集まって「俺たちは被害者だから何とかしろ」と言っている人たちは、属しているクラスが違うんだと思う。しかしこの現代ではクラスというのは無くなったという建前なので、すべての人間は同じ尺度で測られなければならない、ということになる。したがって、ブログにそういう意見を書き込んでいる人たちは、実は、自分が属している階級の中で通用する常識なり良識なり義務なり、といったことを、他の階級に属している人たちに対して単に押し付けているだけに過ぎないのにも係わらず、それが社会的に正しいことだと信じているだけだということになる。実際、派遣村にたむろする「困った人たち」はまた別の彼らの階級に属しているわけで、その階級にはその中で通用する常識があるわけで、彼らはそれに従って行動しているのだ。

だから、実は、派遣村を巡って今起こっている弱者批判や権利主張などなど、といったことは一種の階級闘争なのではないだろうか。実体はそういうことなのにも係わらず、現代では階級というのは無いことになっているせいで、厄介であいまいな様相を呈する、ということなのではないのか。

自分は、というと、こうしてブログだかに小難しいことを書いている時点で、明らかにいわゆるインテリ系の階級に属している。それで、実は、自分は、この現代においても人間には階級が依然として存在している、と考える人間である。これは今の現代日本では何となく不穏に聞こえるのでほとんど言いはしないが、率直に言うと、そういうことだ。さらに自分には、別々の階級に属している人同士の付き合い方について二つ信じているものがある。一つは、必要以上に近寄ってはいけない、ということ、もう一つはお互いに尊敬し合う、ということである。一種の距離を保った礼節を大事にすべきだ、という態度なのだ。

そういうことから言うと、ブログに弱者批判を書いている人たちは心が狭いな、と単純に思う。現代の「差別はいけない」という薬があまりに効き過ぎて、みな自分と同じ行動レベルをそうでない人たちにも強要するようになったのかな、と思う。そうなると、それが歪んだ形の階級差別にも感じられてやりきれなく思うことがある。

努力すれば克服できる人は幸いだ、そういう人はそういう風に生まれたことを神様に感謝しないければいけない。しかし、努力しても克服できない人だって同じ人間だし、努力すらできない人たちだって同じ人間なんだ。



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