ずっと日記も書かないかと思ったら、いきなりゴッホの独り言か、という感じだが、一応理由がある。

実は、自分は、1996年に自費出版でゴッホに関するエッセイ評論を出版している。もう十年ちょっと経ったことだし、この本をホームページで公開しようかな、と思い、さいきん、その作業をしているのだ。せっかくのWeb公開なんだから、出版本では載せられなかった絵画の写真をカラーでふんだんに挿入しようと思い、そのせいで、なかなか時間がかかっている。

まあ、出版して十二年ひと回りしたから区切りの事業といったところだ。

そんなわけで、例によって独り言シリーズで、自分とゴッホの出会いなどについて軽い口調で書いてみよっかな、というていどのことである。自分と彼の、もっと深いことについては本の方に全部書いてしまったので、その周辺をだらだらと書き連ねてみるか、といったところである。

さてさて、自分はゴッホと出会うことによっていわゆる西洋絵画が理解できるようになり、夢中になり、もう二十年以上が経っているわけで、立派なヨーロッパ絵画鑑賞趣味な人間なのだが、人と会って、自分は絵画が好きです、と自己紹介したとき、画家では誰が好きですか? などと聞かれると、実は毎回返答に少し困るのである。

当然ながら本まで書いて出版したのだから、真っ先に、「ゴッホが好きです」と言えばいいのだが、なんだかためらうのである。と、いうのは、特に日本では、ゴッホという画家には特殊な印象がつきまとっていて、なんだか、イヤなのだ。平たく言うと、ゴッホが好き、なんて言うと、なんだかミーハーみたいに聞こえてイヤなのだ。気が狂って耳を切り落として精神病院に入って絵を描いたが絶望して自殺した画家、というよく知れ渡った彼の人生のアウトラインが、あまりにキワモノじみていて、ほとんどの場合、絵よりもそちら三面ニュース的興味が優先しているようにも見えてしまうのである。

あるいは、知っての通り、彼の描いた絵はやはり、少しばかり常軌を逸している表現も多く、余計にそんな事情が際立ってしまう。

これが、たとえば、好きな画家はカラヴァッジオとマネです、なーんて言えば、まあたいていの人は、ああそうですか、でほとんど反応しないわけで、その点安泰である。そのせいで、ゴッホには不実だが、だいたい人に絵画について聞かれると、次のような回答をするのが常になってしまった。

「自分はゴッホを通してヨーロッパの絵画に目覚めたので、ゴッホは別格なんですけどね、好きな画家は、スペインのベラスケス、そしてゴヤ、前期ルネッサンスのジョットやピエロ・デラ・フランチェスカ、近代ではマネや、あ、あと意外とフランシス・ベーコンなんかも好きですよ」

と、言った感じで、ほとんどゴッホは最初に出てくるだけで、あとは煙に巻く状態である。

ゴッホに付き纏っている不当な評判を、実は、自分こそがちゃんと言葉にして人に言って聞かせるべきなのであろうが、そんな厄介なことはする気はしないし、恐らくいくらしゃべっても分かってくれないだろう。出版した本にはそれについては全て言いたいことを書いたので、そっちを参照してくれ、といったところだ。

さて、狂気の画家ゴッホと並んで、特に日本での彼には「炎の人ゴッホ」という呼び名もある。この「炎の人」は、三好十郎という人の書いた演劇から来ているそうだが、この「過剰な情熱を持った炎のように熱い人間」というのも、非常にいただけない、星飛雄馬じゃあるまいし、実にカッコ悪い。とはいえ、確かに、ゴッホの生涯を見渡してみると、絵画芸術に対する過剰な情熱に貫かれた、実に傍若無人な人というか、居たら近寄りたくない人、というか、そういう人間像が浮かび上がる。だから、炎の人扱いには十分理由があるのだが。

この崇高な芸術の高み、度外れた情熱、太陽とバイブルに焼かれた過剰な精神、などなど、こういったゴッホの人間像に大正時代の日本の若い文学者たちは常軌を逸して夢中になったことがあった。武者小路実篤を始めとする白樺派と称する文学グループである。そのころの彼らのゴッホ礼賛はこれまた度外れていて、もう、君のためなら死ねる、みたいな愛と誠(古い!)みたいな、そんな調子のオンパレードであり、読んでいて実に恥ずかしい、照れ臭い、むずがゆい。

僕が書いた本は、以上ごちゃごちゃと述べた、日本では気恥ずかしいゴッホ像とまったく正反対の方向性で彼をとらえ、書いたもので、それらに対する抗弁でもあった。でも、まあ、それはいっか。本は本を読めばいいわけだから、それについて書いても仕方ない。

すでに、ずいぶん長くなったが、ここでは、なぜ自分がゴッホを知るようになったのか、それを書こうと思っていたのだ。どこにも書き残してないし。

自分が大学生だったころ、よくコイケという友人の四畳半の下宿に行っちゃあ安酒で二人で飲んだくれていたことがあった。彼は読書家で、僕にいろんな本や、音楽などなどを紹介してくれたのだが、その一つに、岩波文庫の「ゴッホの手紙」があった。全3巻のうちの第一巻目だけを彼は持っていて、それは、ゴッホが年下の友人の画家ベルナールに宛てた手紙が収録されていた。

コイケは、これをオレに渡し、この手紙の文章に現れている絵画への情熱と、ページの合間に挿入されたデッサンの素晴らしさを語った。素直なオレは、すぐに彼と共にゴッホに夢中になり、そのすばらしい情熱とデッサンを一緒になって賛美しながら飲んだくれたものだ。

さて、その後、オレの方はコイケよりずっと重症になり、一人でもゴッホに夢中になってしまったのであった。ちなみに、コイケと自分はだいたいがそんな感じで、ヤツがまず夢中になり、オレに紹介するとオレが夢中になり、その夢中度は結果コイケを遥かに超えてしまうのであった。ヤツとは何と30年たった今でも時々飲んだりしている、数少ない古株友人である。

まず自分は、ゴッホの画集を探して買い込んだ。文庫には白黒の素描しかなかったが、画集はカラーの油絵だ。非常に素晴らしい。ゴッホの手紙を何度も繰り返し読みながら、画集の彼の数々の絵を夢中で見入る、ということがずいぶん続いた。

そのときの自分は、やはり、かの白樺派の人たちと同様で、ゴッホという類まれな人間の方に強く惹かれていた。当の絵画は、この情熱の人が産み落とした、その持てる情熱の強度を表した表現であり、彼の絵画を見ては、精神の高揚を感じ、陶然としていたのであった。なんと言っても、自分は、ゴッホの手紙を最初に読み、ゴッホの吐いた言葉を先に受け取って、そこを入口にしているわけで、彼の絵画は、その言葉によって保証される価値として自分には感じられたのであった。

当時のオレの年齢は25歳、うーむ、若い!(笑) 愚劣で汚れたアホくさくい実社会などを、まだこれっぽっちも知らず、ただただ若いリビドーを飲酒で紛らし、膨らむだけ膨らんだロマンチシズムの真っ只中に、毎日を夢中で生きていた、そんな頃である。

そうこうしているうちに、1985年の秋のゴッホ展で、いよいよゴッホの本物の絵と出合う、という事件が起きる。

僕の本の序文では、丁度、この時点から書き起こしていて、その衝撃について語リ始めるのである。これは本を読めば分かるわけだが、まだWeb化が終わってないので、序文で書いた事件についてここで簡単に書いておこう。

結論から先に言ってしまうと、生まれて初めて本物のゴッホの絵を見たのだが、それが、呆れるほど何も感じなかったのである。

それにしても、その時のオレの期待度の激しさは度を越していて、上野の西洋美術館に向かう京浜東北線に乗ったオレは、あまりの心の高揚感ゆえに落ち着くことができず、実は、一人で窓の外を見ながら文字通りブルブル振るえていたのである。なんとかわいい若者であろうか!(笑)

チケットを買って入口に走り込むように入っていった、はい、数枚の絵が目に飛び込んだ、はい、歩いて行った、ああ、この絵もある、あの絵もある、と画集で見慣れた絵を目の前にし、はい、次は、おおこれか! などなど、そんな風に見て回ってはみたものの、なんと、自分の心を打つ絵に、たったの一枚も出合わなかった。

この1985年のゴッホ展の規模は日本では過去最高であり、相当の点数が来ており、質も高いはずだった。しかも、まだ美術ブームは来ていなかったので、客もまばらでゆっくりと見て回ることができた。

それにも関わらずである。本物を目にしても、なーんにも感じないのである。そのときオレは何を期待していたかというと、何にせよ本物というのは、絵の具がキャンバスの上に盛ってあるわけだ、それは、オレの超憧れの人ゴッホその人が百年前にその持てる情熱をして塗った絵の具そのものなのだ。その絵の具の塊が、どうして、オレの心を鷲づかみにして、感動の嵐の真っ只中にオレを引きずり込まないはずがあろうか、と、まあ、そう思っていたのである。

それなのに、あー、それなのに、目の前の画布は自分に何の感動もよこさない。これは一体全体、どうしたことか・・

このショックは、実はけっこう大きかった。最初に、あの広い会場を全部足早に回り、どんな絵が来ているのか確認をした。しかし、結局、足は止まることなく、そのまま最後の絵まで来てしまっていた。俺の予想では、一枚の絵の前で、感動のあまり立っておられず、しゃがみ込んでしまうはずだったのに(笑)

展覧会の最後にかけられた絵は、オーヴェールで書かれた真っ青に塗られた女性の小さな肖像画だった。 え、これで終わりなの・・・?

信じられん。これは、きっと本当の傑作が運ばれてきていなかったせいだ、と反射的に考えた。しかし思い起こしてみると日ごろ毎日見入っている画集に収録されていた見慣れた絵もいくつも来ていたのだ。そんなはずはない。

いやー、思わずくだくだ書いちゃったが、本当にショックだったのだ。

さて、仕方ない。気を取り直して、もう一回、逆順に見て回ったり、始めに戻って見たり、絵の横の説明書きを読んでみたり、いろいろしてみた。しかし印象はあまり変わらない。

今では、なぜこのようなことが自分に起こったのか、100パーセント解明できる。それは、そのときの僕は、ゴッホの絵がもっともっとずっと激しい表現だと思っていたのだ。激しい苦悩、激しい歓喜、激しい不安、激しい憧憬、といったものがじかに感じられるようなものだと思い込んでいたのだ。しかし、実は、ゴッホの本物の絵にはそんなものは何も無かったのだ。

僕は、諦めきれずに、何度も何度も会場内をうろうろした。そうして、かなり時間がたったあと、ようやく、ようやく、たった一枚の絵が僕の目に留まったのだった。

それは「刈り取る人のいる麦畑」という題のついた、黄金色に塗られた絵だった。時は秋、囲いのある黄金色に熟れた麦畑の中で、小さな消え入りそうな刈り取り人が麦を刈っている。遠方のわずかに青みがかった丘陵の上の空は日暮れ時で、黄金色に染まったよどんだ空の中に、輝きの無い黄金色の太陽が山の端すれすれにぽっかりと浮いている。全てが黄金色で、奥行きも、遠近法も何もない、実に奇妙な絵である。

どういうタイミングだったのだろう。僕の心は、突然、この黄金色の恍惚とした光の中に、死んだように溶け入ってしまったのであった。

なんと言っても自分を驚かしたのは、この絵に広がる静けさであった。こんな静けさを、僕はそれまで見たことも、聞いたことも、感じたこともなかった。恐るべき静けさであり、世の中のあらゆる饒舌とは完全に無縁であり、いかなる雑音もすべて遮断された、死んでしまったような静けさだ。

このとき、自分は、生まれて初めて、絵画を形作っている「色」と「線」というものの、恐ろしいほどの純潔を身をもって感じ取ったのであった。色と線には、いかなる言葉も入り込むことが拒絶されている領域がある、ということを理解したのであった。

すなわち絵画とは何か、一気に悟ってしまったのだ。

一体、あの絵の前にオレはどれぐらい立っていたのだろうか、時間の観念がなんだか分からなくなっていた。

ようやくその場を離れたオレは、さっきまで怪訝な目で見ていたゴッホの数々の絵を、再び目にすることになるのだが、すべての絵が、これまでとはまったく違うものとして目に入ってくるのであった。それは、正真正銘まったく新しい経験だった。目くるめく、という言葉があるが、まさにそうであった。突然、オレはゴッホの絵をその隅々まで理解したのであった。

呆然とした足取りで、自分は、さっき何度も行き来した、会場の最後の間に立っていた。そこは三階で、折りしも輝いた太陽の光が天窓を通して降り注ぎ、部屋は光で溢れかえっていた。

そこには、ゴッホが、最後の土地、オーヴェールで描いた数枚の絵が掛けられていた。風になびくだだっ広い麦畑や、崩れかけたような藁葺きが並ぶ丘や、木々と草花に閉ざされた裏庭など、ただの変哲ない風景が描かれていたのだが、しかし、それらすべてが清らかな光に包まれて、恐ろしい純粋さに輝いていた。

僕はもうほとんど信じ難い思いだった。彼のいったいどこからこの絶対的に沈黙した光が出てくるのだろう。絵画の表面上は捻じれ歪んだエネルギーのように見える表現が、いかにして光の中に死んだように溶け入ってしまうのだろう。

周りに見物人はいくらもいたのだが、ふだんはうるさいと思うような、彼らの足音も話声も、一向に聞こえない。たぶん、そのとき、自分は、既に絵を見ていたのではなかったのだろう。まさに、光の音に聞き入っていたのだと思う・・・

今、思い返しても、この印象はとにかく強烈なもので、大げさかもしれないが、僕の人生はこの体験を境にしてぐるりと転回し、変わった。こういう感覚的で恍惚とした光の洪水の只中で経験することというのは、永続性も再現性も、ふつうは無い。快楽の極みというのは、人間の生理的許容量を超えたとき、どこかからストップがかかるようで、何度も同じ快感を享受するというわけにはいかないのだ。

この感覚に比べられるのは、おそらく麻薬をやったときの体験であろうが、知っての通り、麻薬の快楽は人を破滅へ追い込む。