このように部屋は完全高床になっている。ここはホテルのフロントがある母屋

ニューギニアより帰還

昨晩、やっとのことで10日ぶりにパプア・ニューギニアから帰ってきた。無理をして長い休みを作り、まったく久しぶりに強制休養をはかるべく、超リラックス8日間高級リゾートの旅、というつもりだったのだけど、いやー、行ってみたら実態はほとんど逆で、まる2日の延泊つきの、できごと満載の、かなり大変な旅であった。

出発の前に、みなに「ニューギニア行くんだけどさ」と言うと、たいていが「えー?! ニューギニア??」という反応で、そのつど「ニューギニアって最近は高級リゾートがあるみたいよ」と言うと「へーえ、そうなんだ。でもリゾートエリアを出るとすぐに未開だったりするんでしょ?」と来るので「うーん、まあそうかもしれないけど、オレが行くのは高級リゾートなんだな、これが」などと言っていたのだが、行ってみたら皆の方が正しいどころか、それをはるかに越えていた。

いままで、ずいぶんと色々なところへ行ったが、今回の場所がいちばん、いわゆる、途上国だった。5泊したホテルだが、「高級リゾート」というのはこちらの完全な勘違いで、後でホームページをよくよく見てみたら「エコ・リゾート」とか「ビレッジ・リゾート」とか書いてあり、どこにも「高級」などと書いてない。要は、現地の村の一部が宿泊所になったようなところで、本当の意味で、現地人とその生活も含めたパプア・ニューギニアの「自然」を体験できるところだったのである。

と、いうわけで、まったく当てが外れたのであるが、逆に、外れ方が並大抵のレベルじゃないため、実は、過酷だとはいえ、かなり楽しんできた。これから、このブログで、不定期に思い出など書いて、それで写真なんかも撮ったので、それを元にホームページでも起こして、それでパプア・ニューギニアの観光産業に貢献しちゃおうかな、とか思っている。なにせ、「こんなところまで?」と時々驚く、かの「地球の歩き方」にパプア・ニューギニアが無いらしいし。

ケビアンの空港。ほとんど小屋みたいな造りで、用もなく人がたくさん座っている

ニューギニアのお葬式

ニューギニア記を書くなんていって、ぜんぜん書いてないね。旅行記形式で書こうとすると、構想だけで時間がかかっちゃうから、ここでは思いついたことを順不同に書き留めておくことにしようか。

僕らが行ったのは、首都ポートモレスビーから飛行機で2時間弱ほどのところにある細長い島、ケビアンだった。到着した翌々日に、たまたま偶然にお葬式のセレモニーがある、というので連れて行ってもらった。僕らが宿泊していたホテルからだいぶ離れた、島の中のとある集落でおばあさんが亡くなり、ホテルのオーナーが葬式に呼ばれていたので、ついて行ったのである。

ちなみに、オーナーはアランという名前のニュージーランド人だけど、ニューギニア在住30年で、すっかり現地人の一員になっている。彼のホテルは、地元の村の一部としてコミュニティに属していて、彼はその一帯の土地を所有しているので、「村長」という位なのである。ニューギニアにある西洋人経営のホテルでは、往々にして地元部落には属さず、柵で囲って隔離したようなところもあるのだが、アランは違っていた。逆に、それだからこそお葬式に呼ばれる、というわけである。

さて、お葬式が行われる島の村はビーチ沿いにあるのだが、その村へ通じる自動車道が無いので、途中からモーターボートに乗り換え、船でビーチに乗り付けた。

この島はビーチからちょっと内地に入ると、すぐにいわゆるジャングル化した茂みになるのだが、埋葬場所は茂みの中に入ってしばらく歩いたところにあった。うっそうとしたジャングルの中に、ぽっかりと開けた狭い広場があって、そこが墓地なのである。僕らが到着したときは、すでに棺の回りを6、70人の村の人たちが取り囲み、牧師さんが聖書を片手にお祈りの言葉を唱えているときだった。ここ現地の宗教は、キリスト教である。村の人たちは、喪服という感覚はまったくなくて、普段どおりの格好で、色とりどりの適当な服を着て集まっている。足も半数がはだしのままである。牧師さんとの間で、一通りのコール・アンド・レスポンスがあると、埋葬する直前に皆で賛美歌を歌う。

この村の人全員で歌った賛美歌には、正直、唖然とした。ものすごくきれいなハーモニーだったのである。伴奏もなく、アカペラでいきなり歌いだしたのだけど、最初から見事にハモっていて、男たちの地鳴りみたいなバスの上に、女たちの、ちょっとメラネシア系のペチャッとした軽い感じのソプラノが乗って、非常に美しい。それが、西洋系の透明なハーモニーじゃなくて、実に実に微妙なピッチでハモっている。思わず、録音機材持ってきて現地録音したくなるような美しさだった。

それにしても、このコーラスが流れている間も、周りのうっそうとしたジャングルでは、ときおり鳥が鳴き、蝿が飛び、甲虫が這い、草木がざわめいて、犬がうろつき、なんだか木の棺を中心にしてものがぐるぐると回ってるみたいな感じがした。コーラスが終わると、牧師さんの短い説教の後、棺が穴の中に下ろされ、皆で土をかけ始める。その頃になると、あちこちで女たちが泣き始め、こんどはまた、それがコーラスのように聞こえてくる。棺が隠れて、すべての土がかぶせられるまで、泣き声は切れ目なく続いて、終わりごろには、じょじょにフェードアウトする。

村の人たちにとっては、大切な人が亡くなった悲しみの儀式で、僕のような異郷の旅行者にはどうしてもエキゾティックな見ものみたいになっちゃうんだけど、なんと言っても、全体を通して敬虔な儀式で、とにかく、ひとことで言って、本当に、感動した。

葬式の後の儀式。踊りながら焼き上がった豚に馬の乗りになって、槍を突き刺し、なにか叫んでいる。ダラッとしてまとまりのない聴衆にも注目

ニューギニアの豚

ニューギニアのお葬式に行ったときのこと。

朝8時に集合して小型のトラックの荷台に乗り込み、出発する。途中で豚を積むから、と言われ「え? 豚?」と聞き返したら、おみやげだ、という。ここでは豚が一番価値のある品物で、献上するために持って行くのである。もちろん、生きた豚である。

トラックを横付けすると、村の人間が、丸太に足を縛られた豚をえっさえっさと運んできて、どん! と荷台に積み込んだ。豚は殺されることを知っているのか、「キュー! キュー!」と物凄い声で鳴いて大暴れしている。村の人間6,7人と、2頭の生きた豚を荷台に積んで、トラックはジャングルを島の反対側へ越えるべく、オフロードを走り出した。

めちゃくちゃに荒っぽい運転で、激しく揺れるジェットコースターに乗っているみたいで、揺れるたびに豚がばたばたと暴れ、現地の人はでかい声で、何やら分からない言葉を叫んで、豚の横っ腹をがんと一発蹴って、真っ赤に染まった歯をむき出して笑っている。ここで、なぜ歯が赤いかというと、彼らは「ビートルナッツ」という植物による一種の弱い麻薬を常用していて、ほとんどの人間が、常に「噛みタバコ」みたいにくちゃくちゃと真っ赤になった実を噛んで、血のような汁をぺっぺっと吐き出しているのである。真っ黒な顔に真っ赤に染まった口で、じっさいのところ、かなり怖い(笑)

大都市の東京に生まれ育った軟弱な現代人の自分としては、ときどき、観念したようにじっと縛られて横になっている豚を見て「うーん、こいつ、もうどんなことがあっても助からないよな。数時間後には首をナイフで切られて殺されて丸焼きになって食われちゃうのはもう確実で、逃げられるチャンスはまず、ゼロだな」などとぼんやりと思っていた。もちろん、当たり前だけど、野蛮だ(悪い意味で)などと言うつもりは無く、この島でしばらく生活をしていると、何もかもが、ジャングルから生え育ったものに見えてきて、人間も豚もさほど違わないように思えてくる。木々も草も花も、芋や椰子の実も、虫も、鳥も、犬も、豚も、そして最後に人間も、なんか土地からにょきにょきと生えて、それぞれの生活を謳歌して、死んで土に返って、それで土地が肥えて、ということを繰り返しているみたいな光景に見えて、都会では考えられない統一感みたいなものがある。

そう考えると、都会だと、けっこう場末のスナックみたいなところに、同じような統一感があるよね、まったくヘンな比較なんだけど。こういう、尽きることが無いけど、ぐるぐると循環して停滞して、進化しない原始エネルギーって、こうして目に見えると、ホント不思議な気持になる。結局のところ、諸行無常がはっきり図になっているみたいなね。まあ、それにしても、ニューギニアの島の光景ほど「諸行無常」って言葉のイメージとかけ離れたものは無いんだけど(笑)、これって、あまりにはっきりと図式みたいに見えてるから、そう感じるんであって、まあ、結局、オレも、ここで観念して横になってる豚と一緒だわ、ということかもしれない。

さて、この後、トラックは島の反対側へ到着し、今度はボートに乗り換えて現地入りである。それについては、また。

ビートルナッツ

ニューギニアの現地の人は、ほとんどみながビートルナッツという一種の天然の弱い麻薬をやっていた。少なくとも僕らの行ったケビアンという島では、老若男女みながくちゃくちゃと、こいつを噛んで、真っ赤な口をしていた。いろいろと聞いてみたところによると、ビートルナッツという、カブト虫ぐらいの大きさの木の実の表皮をむいて中の白い核を取り出して、まずこれをくちゃくちゃ噛む。次に、ライムと呼ばれる真っ白のパウダーに、マスタードと呼ばれる10cmぐらいの毛虫に似たインゲン豆っぽい植物を突っ込んで粉をつけ、これをさらにくちゃくちゃ噛む。そうすると、ビートルナッツ、ライム、マスタードが化学反応を起こし、真っ赤に色づき、脳に作用する。麻薬としては、ごく弱い、アップ系のもので、発汗し、ちょっとした刺激感があるそうである。まあ、自分でもやってみればよかったのだけど、向こうに行っている間は、もう、そこにいるだけで刺激十分で、さらにビートルナッツまでやる気がしなかったのである。ふつう、僕は、試せるときは自らやるタイプなんだけどね。

ちなみに、この赤色が並でなく、現地人の大半が口をあけると、吸血したみたいに真っ赤で、真っ赤な唾をぺっぺっと当たり構わず吐いている。それから、この薬物だけど、どうやら強アルカリらしく、歯のエナメル質を見事に溶かしてしまう。なので、ちょっと歳のいった人は、もう、歯が痩せてしまってボロボロで、見るも無残である。でも、彼らお構いなしで、皆くちゃくちゃやっている。

彼ら、原始的なこういう麻薬はやるんだけど、アルコールはほとんど飲まない。アルコールに慣れておらず、弱いせいで、アルコールを飲むと人が変わって暴れだす場合があるので要注意だそうだ。しかし、それにしても、こういう南国ってアルコールじゃなくて弱い麻薬系だね。フィジーに行ったときも、現地の人たちは「カバ」っていう、やっぱり植物を原料にした弱い麻薬を常飲していて、アルコールはほとんど飲まないそうである。まあ、麻薬系のものは熱量を発生しないからね。南国でアルコール飲んで発熱したら暑くてしかたないのかも。逆に、北方は、ほとんどアルコールだね。

ニューギニアの子供たち

ニューギニアの子供たちは、ホントにお行儀がよくていい子達だった。そういえば、昔、ウイグル地区のカシュガルに行ったときも、子供たちのお行儀がよくてびっくりしたっけ。大人たちの邪魔をしない、わがままを言わない、忍耐強い、ききわけがいい、騒がない。東京に帰ってくると、いたるところで見るわがままいっぱいな子供たちとの落差はすごい。僕自身は、そういう東京の子供たちを見て、まあ、子供だから仕方がないか、それにしても親も親だよな、云々と、どちらかというと容認派なのだけど、ニューギニアから帰ってきて、改めて東京の子供たちを見たらちょっと違う風に思った。なんか、東京の子供たちが哀れに見えてね。現代の大都市のすみずみにまで行き渡っている、尽きることのない欲望や、それゆえの不満や、フラストレーションや、なんやかんやが、子供の態度を通して表れているように見えてさ。まあ、子供のいない僕だからそんな風に見えちゃうんだろうけどね。

ニューギニアの生活スタイル

これまで自分は、時間やスケジュールに縛られないように生きてきたつもりで、できるだけ、出来事の連鎖の波に乗ろうとしてきた。時間は特に決めず、まず、これをやって、それで、それができたらこれをやって、もし、その途中でもっと面白いことがあったら、そっちをやって、と、乱脈にやってきた。それで、いいこともあったけど、悪いこともあり、このやり方が正しいとはとても人に言えないけど、少なからずそういう癖が染み付いてしまった感じである。

それで、ニューギニアでの経験なのだけど、国のほぼすべての人が、時間じゃなくて出来事で動くとどういう事態になるのか、というのを目の当たりにし、かなりびっくりした。しょせん、東京なんていう巨大都市に住む自分が、出来事の連鎖だ、なんていっているのとスケールが違う(笑) 行って経験して、数日たってやっと納得したのだけど、彼ら、一日を時間で生きておらず「今日は、これと、これをやる」ぐらいの意識だけで生活している。それで、仮にそれができなくてもまるで気にせず、なんか別のことをまぐれ当たりに始めたりする。さて、全員がこれを始めたらどうなるでしょう? 

現地に着いて3日目ぐらいに、島へスノーケリングしに行った。ホテルの現地人スタッフのアンドリューと一日の計画を立てる。そのときは、朝に車で町へ出て、そこからモーターボートで島へ行き、スノーケルやって、町に戻って、うまい昼メシ食って、ホテルへ戻って、夕方のひと時をリラックスして過ごし、ディナーへ、という感じで、とっても贅沢リゾートな予定であった。

さて、朝は、アンドリューとまずまず予定通りに車で出かけた。町の青空市場のところで車を降りて、アンドリューいわく、ちょっと市場見物しててね、自分はオフィスへ行くから、といなくなる。しばらく見物してると、オフィスと全然違う方角から、アンドリューがパイナップルをいっぱいに抱えて現れた。あれ? オフィス行ったの? というと、いや、まだで、これからツケで買ったパイナップルのお金をオフィスに取りに行くから、とか言っている。ふーん。

また、しばらくするとアンドリューが現れ、ボートの交渉してくるから、云々と、また立ち去り、とかとかしているうちに、けっこう昼に近くなり、腹が減ってきたので、青空市場の常温放置の、簡単なスナック類を買って立ち食いしたりしていた。でもな、あとでうまい昼メシ屋に連れて行ってくれる、って言ってたしな、ほどほどにしよう、などと考えつつも、現地スナックも、なかなかに旨い。そうこうしていたら、アンドリューが現れ、ようやく、ボートに乗ろう、って言って僕らをそこから連れ出した。

それでボートで島に渡ったときは、もう昼を大きく過ぎていた。それにしても、海は素晴らしくきれいで気持ちよく、スノーケルで見た珊瑚礁や熱帯魚たちも美しく、島は無人島で、しばらく散策したりして、のんびりしていて、文句なし。しかし、それにしても腹が減った。ボートで町に戻ったらもう3時を回ったころで、昼メシ屋の件はなんとなく、なくなっちゃっている。オフィスに戻って、さあ、もう帰ろうかな、と言うと、アンドリュー、オ~ウケ~イ、車を呼ぶから、これでも弾いて待ってて、とギターを持って来て、自分はどこかへ行っちゃう。

しかし、いくら待っても一向に戻って来なくて、退屈なので、オフィスを離れて近くのマーケットで缶詰買ったりして、オフィスに戻って来たが、いない。オフィスの人によると、僕らがいない間、帰ってきたけど、また行っちゃった、みたいなことを言っている。でも、車は呼んだみたいだから、待っててくれ、といわれ、待つが、一向に車が来ない。ちなみに、オフィスといっても、日本のオフィスを連想してはいけない。ただの平屋で、待っている場所はオフィス前の荒れた広場である。

いい加減夕方になり、オフィスにいた人もやっぱり車を待っている。どうやら、運転手が待機中にどっか行っちゃったらしい。それで、運転手のところに今、使いを出したから、とか言っている。ちなみに、ここケビアンには携帯電話は無く、電話も怪しいというところで、すべてがほとんど伝言ゲームみたいに進行している。使いに出した人間が戻って来ないうちに、車がオフィスにやって来た。聞いてみると、最初に呼んだ車じゃないらしい。でも、まあ、これに乗って帰ろうか、となるが、今度は、アンドリューがちょっと前に出て行ったまま戻って来ない。そこで、誰かがアンドリューを探しに行く。その間、運転手と共にぼんやりと待っている。しばらくして、見つからないからアンドリュー抜きで行こう、ということになり、車がとうとう出発し、ホテルに戻ったときは、もう6時近かった。

とまあ、ざっと、こんな感じで、なかなかに混乱の極みである。大半が待ち時間で、予定は大幅に狂うが、誰も気にしない。そういえば、昼間とか、町中で、かなりたくさんの人間がそこらへんに座ってぼんやりしているのだけど、あれは、何かを待っているらしい。みな、何時に何、ということをちゃんと決めないし、決めても守りもしないので、なんとなく偶然に人と人が会ったり離れたりしながら、そのタイミングで、事が超テキトーに進行している風で、それにしても結局、一日が終わる頃には、なんとなく落ち着くところに落ち着いている。ちょうど、地面に食い物を置いておくと、蟻がなんとなく現れて、なんかみんな一斉にテキトーに動いて食い物に群がり始め、バラバラに動いているように見えて、翌日には、ちゃんと食い物が無くなって片づけられている様子に似ている気がする。

いやー、几帳面な人は耐え難いだろうな、このノリ。昼メシも抜きで、ほとんどが待ちで、ようやくホテルに戻ってきたときには、アーヤレヤレ、長い一日だったなー、でも、まあ、日暮れ時には戻ってこれて、とにかくも、今日も一日が終わったってわけだ。と、思いながら、夕日を眺めながら飲んだビールは旨かった。