大詰-2 蛇山庵室の場

ト書き 本舞台、庵室の作り。上手に障子のある家。真ん中に紙帳が釣り下がり、中に伊右衛門が病気により寝ている。丸太の門口。その外は一面、雪が積もっていて、てきとうなところに、流灌頂、手桶が添えてあり、柳に雪が積もっている景色。ここに、庵主の浄念、黒い衣、魚買の三吉、数珠にとりつき、百万遍を行っている。新藤源四郎は、白はんてんと股引、世話六部にて笈をおろし、足を洗っている。すべて、藪の中、蛇山草庵の道具。雪が降り、よろしく、大道具が止まる
浄念
願以此功徳、平等施一切、発菩提心、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、これはどなたもご苦労でございます
甚太
いやもう、わしらは同家中に勤めているうちから、親しい人ゆえ、いっそう気の毒に思うのさ
半六
そうでござる。殿様の屋敷が没落してから、このように歯磨き売りで世を渡っているが、いまじゃあ、町人の方がはるかにましでござる
浪蔵
そういえばおまえ方も、二本差しで三百石も取った衆だが、今では一日が又兵衛取りの職人とは、けっこうな身の上でござるの
三吉
それそれ、屋敷出の衆が、おいらの長屋に引っ越して、庭仕事やら商人やら、よく早く覚えたものだ。おいらが武士になったら、さぞ腰が重かろうと思うの
浄念
いやもう、同じ長屋の店子だけに、親切なことでござります。ときに六部どのは、今日、江戸に着きなさったか
源四
さようでござります。国は播州の生まれ。昨日お江戸に着きまして、道々でも聞いてきましたが、六部宿をなさる庵室とのこと。逗留中はよろしくお願い申します
浄念
いやもう、ゆっくりと江戸を見物なされるとよい
源四
ハイハイ、そういたして参りましょう
浪蔵
アア、そんなら、六部どのは、播州のどのあたりでござる
源四
ハイ、赤穂でござりまする
三吉
アア、鹽冶どののご城下だね
源四
さようでごさりまする
ト書き これを聞き、両人、思い入れ
甚太、半六
ヤ、そうおっしゃるのは、源四郎どのではござらぬか
源四
これは、真壁、堀口のご両人。ヤレヤレ、久しぶりにお目にかかりました
甚太
まずはご堅勝でなにより
半六
お互いに、大慶に存じます
源四
いやもう、達者でいられるというだけのことでござる。お互いに浪人となり、亡き君のご冥福のためと存じ、回国に出ましてござるが、おのおの方のそのお姿を見ると、いまだによい主取もござりませんかな
甚太
さようさよう。いやもう、わずかな俸給を取るよりも、その日暮らしの方がましでござりますて
半六
わたしなぞは、商いをはじめましたよ
源四
アア、さようか。シテ、見たところみな百万遍をなさっているご様子。それも町家の付き合いとやら申すわけでござるか
浪蔵
ア、コレ、六部さん。この人たちは以前の同朋だといって、この庵に世話になっている病人の、祈祷のための百万遍でござる
三吉
ちょうどよかったのでお前さまも、念仏を一緒に唱えてくださりませ
半六
アア、これこれ。すっかり忘れていました。コレ、源四郎どの。この庵に世話になっている病人は、貴殿のご子息
甚太、半六
民谷伊右衛門どのでござります
源四
ヤヤ、離縁いたした女房の実子。江戸屋敷に勤めておった、伊右衛門でござりますか
両人
さようでござる
浄念
エエ、さようならば、病人どのの親御さんでござりますか。そうであれば、あのお袋の、このお方は連れ合いかな
ト書き 言うな、というしぐさ。このとき、紙蚊帳の中でばたばたして、伊右衛門、病気の様子。刀を引っさげ、紙帳をちぎって、熱に浮かされ、正気を失って走り出て
伊右
おのれお岩め、立ち去らぬか、立ち去らぬか
ト書き 刀を抜こうとするのを、居合わせた皆が、これを止めて
皆々
また起こりましたか。気を静めなさりませ。皆、ここにおりますぞ
ト書き 取りすがって止める。伊右衛門、皆々の顔を見て、胸をなでおろし
伊右
アア、夢か。はてさて恐ろしい。まだ死なぬ先、この世から、あの火の車へ。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏
ト書き 思い入れ
源四
コリャ、ヤイ、倅。お前はこの親が、目に入らぬか
伊右
ヤ、まことにあなたは親父さま。どうしてここに
源四
歳をとって浪人すれば、二君に仕える所存もなく、後世を願って回国修行
伊右
では、親父さまは、主取はなさらぬお心がけとな
甚太
われわれとても、その通り。つまらぬ企てするよりも
半六
その日暮らしがまことに気楽さ
源四
して、その方の病気のおこりは
伊右
とるに足らぬ女の死霊のたたり
源四
はてさて、それは難儀であろうな。皆々方のなにかとお世話になり、して、少しでもよくなられたか
伊右
ハイ、心よいやら悪いやら。折に触れて熱気のさし引き。どのみちこの身は浪人の、口にありつくまで庵主のお世話になりましょう
源四
そうとも存ぜぬまま、なにかとあなたのお世話に
浄念
いやもう、親しい間柄ゆえに愚僧のもとに
源四
しからば拙者もしばらくご庵に御厄介に
伊右
どのみちこの雪がやむまで、親も倅もかかり人、どなたものちほどお目にかかりましょう
皆々
また念仏いたしましょう
伊右
お頼み申します
ト書き 歌、時の鐘になり、浄念が案内して、源四郎、そのほかの四人、皆々奥へ入る。伊右衛門は残り、思い入れ。上手の障子が開き、お熊が出てきて
お熊
コレ、伊右衛門。縁の切れた親父どの、思いがけなくこの庵に、わしも離別のその後は、高野の家に取り入って、頂戴したるあの書き物。今すぐにでも持って行けば、大なり小なりご褒美じゃが、そなたに渡したあのお墨付き、必ず大切に
伊右
どのみち長いことこの庵に、世話になってもいられぬゆえ、平内どのを頼みに、近々、高野の家へありつく手段。それもおまえの下された、御判の座った書き物ゆえ
お熊
それは耳よりな話。しかし高野へ奉公と聞いたら真面目な親父どの、わしらの心にかなわぬことを、と憤りおるじゃろ
伊右
それも合点。いずれ近々、この身も落ち着きます。それはさておき、して、母上は、いつもの鼠が
お熊
いやもう、今日もあまたの鼠。これもおおかた
伊右
子年のお岩が親子を苦しめるか。思えば執念深い女め
ト書き 思い入れ。かすんだ禅の勤め。雪が降ってくる。向こうより、小林平内、半合羽、大小の脇差、下駄、唐傘にて、赤合羽の家来は挟み箱を担ぎ、同じく家来の侍一人、すげ笠、合羽にて出てきて、戸口に入り
平内
この庵室に同居のお方、伊右衛門どのに用事がござって参った
ト書き これを聞き、伊右衛門
伊右
これは小林平内どの。この大雪に。ササ、これへ
平内
お許しめされい
ト書き 上座へ通る。お熊、下に控える
 
このほど内談いたせし通り、貴公のご所持の殿の書き物、拙者が拝見したその上にて、いよいよ御判に相違なければ、貴公を同道いたせよ、との仰せ。殿にお目見えの節の用意の衣服、大小相いそろえ持参いたした。家来、その品をここへ
家来
ハッ
ト書き 衣服、大小脇差を広蓋に乗せ、差し出す。お熊受け取り、嬉しそうに持って行き
お熊
これはこれは、あなたさま。この、マア、雪の中、ご苦労さまに存じます
平内
伊右衛門どの。殿より下されし物を、受納しやれ
伊右
かたじけのう存じます。しからばお目見えへの儀は、貴殿よりよろしくお願いを
平内
それもそこもとが所持する、殿の御判がすわった墨付き次第。拝見いたそう
ト書き これにて伊右衛門、思い入れあって
伊右
サア、そのお墨付きの儀は、このような田舎ものの出入りある草庵、そのうえ自分は病中。それゆえ、他へ預け置きましてござれば、後ほど取り出して差し出します
ト書き お熊、納得できない思い入れにて
お熊
コレコレ、倅。あれほど大事にとそなたに渡した墨付きを
伊右
ハテ、お気遣いなされますな。いずれ後ほど、ご拝見くださって
平内
しからば拙者はまたぞろここへ参ろう。その節には必ず
伊右
お目にかけるでござりましょう。殿によろしゅうお伝えを
平内
おいとまいたそう
ト書き 合方、時の鐘にて、くだんの品は残し、家来を連れて、引き返して入る。お熊、伊右衛門に差し寄り
お熊
コレ、倅、あの大切な書き物を、そなたはなんで
ト書き 思い入れ
伊右
それもやっぱりこの身を守るため。お上に訴えにゆくと申した秋山に、あの品で少しの猶予を
お熊
では、あの品で一時しのぎを
伊右
取り返して参ります。お気遣いなされますな
ト書き 思い入れ。このとき、暮れ六つの鐘が鳴る
お熊
アリャ、もう、暮れの六つ
伊右
お前もわしも、熱気の時刻。冷えないようになされませ
お熊
おまえの身も大事に
伊右
どりゃ、明かりを点けましょうか
ト書き 時の鐘、歌になり、お熊、寝間の障子屋体に入る。伊右衛門、そこにある行燈へ火を灯し、門口を開けて
 
アア、積もったな。真っ白になった
ト書き あたりを見回す。門口に、こもをかぶり、雪におおわれ、長兵衛が寝ている。伊右衛門、よくよく見て
 
アア、この大雪に軒下の宿無し。初雪の樽ひろいよりみじめなざまだ
ト書き セリフを言いながら、流れ灌頂に向かい、卒塔婆を見て
 
戒名をつけても、俗名もやはりお岩と記しおき、世間の人々の回向など、受けたらよもや浮かばれようと、思うもあとの祭り、恐ろしさが先に立ち。産後に死んだ女房の、せめてあの世で成仏を
ト書き 手桶の中のひしゃくを取って、流れ灌頂へ立ち寄る。ここにて寝鳥、薄ドロドロ、一つ鐘が鳴る。伊右衛門、白布の上へ水をかける。この水は、布の上で人魂になる。伊右衛門、たじたじとなる。ドロドロ激しく、雪しきりに振る。布の中よりお岩、産女のこしらえにて、腰より下は血に染まっていて、子供を抱いてあらわれ出る。伊右衛門、ふっと見つけ、ぎょっとして後へさがり、入れ替わってお岩、上手へ行く。このとき、お岩の血の足跡。伊右衛門、後ずさりして家へ入る。お岩これに付いて入る。うちには引きちぎった紙帳、よきところに散らしてあり、その上をお岩が歩く。ここでも血の足跡が付く。お熊が寝ている方を、じろりと見て、恨めし気に立身。伊右衛門、さしよって
 
ハテ、執念深い女。コレ、亡者ながらもよく聞けよ。喜兵衛の娘を嫁に取ったのも、高野の家へ入り込む算段。義士の面々を手引きしようと、不義士と見せかけても心は忠義。それをあさはかな女の恨み。舅も嫁も俺が手にかけて殺させたのも、お前のしたこと。そのうえ伊藤の後家も乳母も、水死したのも死霊のたたり。特に産まれたばかりの男子まで、横死させたのも、根絶やしにせんとの亡者のたたりか。エエイ、恐ろしい女だ
ト書き キッと言う。お岩、このとき、抱いた赤子を見せる。伊右衛門、思い入れあって
 
ヤヤ、そんならあの子は、亡者の手しおで
ト書き 嬉しげに赤子を受け取り
 
まだしも女房、でかした、でかした。その心なら浮かばれてくれろ。南無阿弥、南阿弥陀、南阿弥陀
ト書き 子を抱いて念仏中、お岩、このとき、両手で耳を押さえて聞き入れないしぐさ。このとき、門口で寝ていた野宿の男、長兵衛、襲われ声にて
長兵
アア、また、鼠が、畜生め、畜生め
ト書き 跳ね起きて、追い散らす。ドロドロにて鼠あまた群がり、障子の中へ入る。このとたん、お岩が見事に消える。伊右衛門、びっくりして、抱いた赤子を取り落とす。この子、たちまち石地蔵になる。障子の中にて、お熊の唸り声がする。伊右衛門、こなしあって
伊右
ハテ、恐ろしい
ト書き 思い入れ。ドロドロ打ち上げる。長兵衛、うちを見て
長兵
コレ、そこにいるのは、伊右衛門どのか
伊右
秋山どの。やれやれ、そなたを尋ねている最中。コレ、貴様に渡した書き物にて、高野の家の縁にありついた。早くあの品、返してください
長兵
サアサア、返すよ、返すよ。俺もそなたに無心する、金の代わりのあの書き物、持って帰ったその夜から、どこから出てくるやら多くの鼠。髪の毛から爪までもかじられて、まことに難儀だ。返してしまおう
伊右
では、そなたにも鼠が付いたか。アア、これもお岩が。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。ササ、返す気なら、あの書き物を早く
長兵
返すことは返すが、貴様のしわざで、多くの人を殺した、その咎がすでにこっちにかかっている。特に官蔵と伴助まで、みな巻き添えになって人殺しに。コレ民谷。これにはおおかた、訳があるのだろうな
伊右
サアサア、その訳というのは、元は俺の母上が、高野の家中の娘であるゆえ、師直さまへのツテがよさに、倅の俺が浪人の、身を苦に病んで、高野の家へ、仕官の願いをしたところ、それがこのせつ聞き入れられ
ト書き くだんの話のうち、よき時に、長兵衛の頭の上に、お岩の死霊が逆さまに降りて来て、長兵衛の襟にかけた手拭いで、長兵衛をくびり殺す。長兵衛が声を立てるので、お岩、長兵衛の口を押えて、長兵衛、息絶える。その死骸をお岩、くだんの手拭いでもって、天井へそのまま引き上げる。伊右衛門、これを知らず、このときふっと見つけて、びっくりして立ち寄ろうとする。このとき、上から、血潮がたらたらと落ちる。伊右衛門、キッと見上げる
 
これもお岩が
ト書き 思い入れ。このとき、長兵衛が預かっていた書き物が落ちてくる。伊右衛門、これを手早く拾って
 
こりゃ、秋山に預けたお墨付き。これさえあれば
ト書き 思い入れ。このとき、向こうで、ばたばたになり、平内、身軽の恰好、捕手の四人を従え、走って出てきて、門口より
平内
伊右衛門どの、伊右衛門どの。先刻の約束どおり書き物を、披見のために早速ここへ
伊右
それはご苦労さま、されども、貴公のいで立ち、なんとももって
平内
このような姿でいるのも、高野の家中伊東喜兵衛の親子の二人を殺害したのは、関口官蔵とそのしもべの伴助の二人の仕業とわかり、さっそく召し取り、道中にて身柄を預け、ついでに書き物を披見のため参った、ササ、少しでも早く
伊右
しからばこれにてご内見ください
ト書き 差し出す。平内これを取る。このとき、薄ドロドロ。くだんのお墨付きを開く。いつの間にかこの書き物、鼠が食っていて、御判も文言も、食い散らかされている。平内、びっくりして
平内
ヤヤ、コリャ、コレ、御判も文言も、鼠の歯で食い裂かれていて、紙屑も同然。こりゃどうしたことじゃ
ト書き と、呆れる。伊右衛門、近寄って、よくよく見て
伊右
まことに食い裂いたのは鼠の仕業。これもお岩の死霊の業か。ハテ、どうしようもない
平内
役にも立たぬ時間の浪費、この旨、主人へ言上いたさん。それならば以前に渡した品々、家来ども、取り上げい
家来
ハッ
ト書き くだんの広蓋のまま取り上げる
伊右
では、下さった品々まで
平内
持ち帰ってこのあらましを殿に披露いたさん。あまりと言えばあまりにたわけた民谷。いけ馬鹿馬鹿しい
ト書き あざ笑う。時の太鼓になり、平内、捕手を連れ、足早に向こうへ入る。伊右衛門、見送っている。このとき、源四郎が出かかって、伊右衛門の様子をうかがっている
伊右
せっかくの母上の心ざし、この身の出世のこの依頼状。鼠の仕業もお岩の死霊のたたり。もうこの上は、立てた卒塔婆も無用
ト書き 門口へ行こうとする。これを伺っていた源四郎、走り寄って伊右衛門を引き留め、キッとなって
源四
こりゃ、倅。おぬし、腹を立ててあの卒塔婆を、脛に当てて折って捨てるつもりじゃな
伊右
弔いの供養も聞き入れぬ、あの亡者めの卒塔婆、戒名ごと折ってしまうわ
ト書き 行くのをとらえ
源四
ヤイ、人の道をわきまえぬ不忠義者めが
ト書き 激怒して
 
コリャ、ヤイ、聞き分けのない亡者より、非道徳な不義士のおのれの方が納得できぬ。あの母親めの縁を頼りに、仇の高野の屋敷へ取り入り、奉公を願うとは道知らず。さすれば親の拙者まで、不忠義の汚名を取るわい。エエイ、見下げ果てたる畜生め
ト書き 伊右衛門、少し考えたのち
伊右
親父どの。仇の屋敷にへつらうのも、義士の面々の手引きのためです
源四
まだぬかすか。なんのおのれのその一言、この親は、エエイ、聞くまい。かかる卑怯の民谷の一族、武士の風上にもおかれぬ奴。親自らが手をかけ
ト書き 腰の刀を抜こうとする。思い入れあって、刀が無いので
 
以前とは違い、今は出家も同然な、人に物乞う修行の身
ト書き 思い入れあって、あたりの伏鉦の撞木を取って、伊右衛門を、したたかに打って、キッとなって
 
勘当じゃ。おのれ、親でも子でもない
伊右
エエ、さようなら親父どの、この私を
源四
親でもない。エエイ、勝手にしおれ
ト書き 撞木を打ち付ける。歌、時の鐘になり、源四郎、思い入れあって奥へ入る。伊右衛門は残り
伊右
昔かたぎのへんくつ親父。勘当されたのもやっぱりこれも、お岩の死霊の。イヤ、呆れたものだ
ト書き 思い入れ。このとき、障子の中で物音がして、お熊が苦しんでいる
お熊
アレ、アレ、鼠が、鼠が
ト書き 狂い出て、逃げ回る。あたりに鼠むらがる。薄ドロドロ。伊右衛門、お熊を介抱して
伊右
コレコレ、お袋。気をたしかに、気をたしかに。コレ、お袋、コレ、エエイ、畜生め
ト書き 撞木を取って、鼠を追い散らし
 
もし、また刻限だ、念仏をお頼み申します、お頼み申します
ト書き この声に、浄念をはじめ、以前の四人が出てきて
浄念
おこりましたか。少しでも早くお念仏、お念仏
四人
心得ました
ト書き 苦しむお熊を、数珠の中に取り込め
浄念
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏
四人
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏
ト書き 伊右衛門、数珠に取りつき、百万遍になり、お熊、やはり苦しむ。薄ドロドロ、頃合いを見計らって、お熊のそばに、お岩が、パッと現れ、お熊をとらえて、総身をゆすり、ゆすり、いろいろと引きずり回す。お熊、これにて苦しむ。皆はこれを知らず
伊右
サアサア、念仏、念仏
ト書き 皆々、念仏を唱える。お岩、伊右衛門の顔をキッと見つめながら、お熊を苦しめる
 
またも死霊が眼前に。ササ、念仏、念仏
ト書き 皆々が、念仏を繰り返し繰り返し唱えているとき、お岩、お熊をとらえて、喉に食いつき、食い殺す。伊右衛門、これを見つけ
 
ヤヤ、母上を、このように
ト書き 立ちかかる。お熊の喉が血だらけで苦しむのを見て、皆々、ワッといって、数珠を投げ捨て、奥へ走り入る。伊右衛門、刀を取って
 
おのれ、死霊め
ト書き 抜いて切りつける。お岩、ドロドロにて、伊右衛門を苦しめ、苦しめ、下手の方へ後ずさりし、壁のあたりに寄る。伊右衛門、これを見て、たじたじとして、上手の障子に、トンとこけかかる。障子が倒れると、そのとたん、この中に、源四郎が、首をくくって下がり、お岩、ホイと消える。伊右衛門、これを見つけ
 
ヤヤ、父上にも首くくり、ふた親ともまたたく間に。エエイ、痛ましいこの亡骸。これも誰ゆえ、お岩めゆえに。エエイ、口惜しい
ト書き 無念のこなし。ここに、官蔵と伴助が向こうから走ってきて、うちに駆け込んできたせいで、伊右衛門、びっくりして飛びのく。あとから小林平内が捕り手を連れ、うかがい、うかがい、つけてきて、門口から中をうかがう
官蔵
伊右衛門どの、伊右衛門どの。そなたの旧悪なにもかも、拙者がわざと自分の仕業と自白して、伴助までもお縄がかかり
伴助
おまえの身には罪がかからぬよう、言い抜けたことでいったん事は収まり、その油断をみすまして縄を抜けて逃げ、ここまで来ました
官蔵
すぐにでも、この隙に、逃げ延びなさらっしゃい
ト書き 両人、せきたてて言う
伊右
なにかと貴公の心遣い。それならばひとまずこの場は逃げ延び
両人
姿を隠さっしゃい
伊右
合点だ。しかし、旅の金はどうしたらよかろう
ト書き 伊右衛門、考え込む。両人、目くばせして
両人
捕らえたぞ!
ト書き 両人、両側から伊右衛門に襲い掛かり両手を捕らえるも、伊右衛門、それを振り切り、抜き打ちに二人を斬り捨てて
伊右
その手は食うか。俺もそんなことだろうと思ったわ
平内
ソリャ、かかれ!
捕り手
捕まえたぞ!
ト書き 伊右衛門、襲い掛かる捕り手を、すかさず切って、一人残さず見事に切り捨てる。しかし、捕り手のあとより、赤合羽で、すげ笠の、中間の恰好をした者がこの中に混じっていて、門口で様子をうかがっている。伊右衛門、身支度をして
伊右
死霊のたたりと人殺し、どのみち逃れられぬ天の網。しかし、いったん、逃れるだけは
ト書き 門口を出る。外では雪がつぶてになり打っている。心得て抜きはなす。このとき、合羽とすげ笠を脱ぎ捨てる与茂七、伊右衛門とちょっと立ち回り、キッと留まる
与茂
民谷伊右衛門、そこを動くな
伊右
ヤ、おぬしは与茂七。なぜに拙者を討つのだ
与茂
女房のお袖に義理ある姉ご、お岩の仇がその方ゆえ、この与茂七が助太刀して
伊右
いらざることを、そこをどけ、佐藤
与茂
民谷は拙者が
ト書き 立ち回ってキッとなる。これより薄ドロドロ。人魂が立ち昇り、両人、立ち回るうち、伊右衛門を苦しめる思い入れ。このとき、鼠があまたあらわれ、伊右衛門の白刃にまといつき、伊右衛門、思わず白刃を取り落とす。その隙を逃さず、すかさず与茂七、伊右衛門を斬りつける。立ち回りよろしく。両人、キッとなって
 
これにて成仏得脱の
伊右
おのれ与茂七
ト書き 伊右衛門、再び与茂七に襲い掛かる。ドロドロ。人魂とともに鼠むらがり、伊右衛門を苦しめる。与茂七、その隙につけ入って、キッと見得。ドロドロ激しく、雪、しきりに降る。この見得にてよろしく
 
 
このあと、雪を用いて十一段目、めでたく夜討
 

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