大詰ー1 夢の場

ト書き 口上触れが済むと、ドロドロになり、幕の前に、心(夢)の文字を書いた板が出る。やはり、ドロドロにて幕開き
ト書き 本舞台、三間の間、正面に縁側の付いた庭園付きあずま屋の建物、伊予産のすだれが掛けてあり、左右の柱に七夕の短冊竹を立て、屋根より軒先に、唐茄子が這いまとい、入口は栗丸太の枝折戸を立て、ここにも唐茄子が巻き付いている。あたりは萩の花盛り。百姓の家。季節は秋。ドロドロ打ち上げる
ト書き 歌浄瑠璃、鳥の鳴き声が鳴り、鷹が一羽、逸れてきて、屋体の中に入って来る。置き歌をひとくさり歌い終わる。あつらえの合方。花道から、伊右衛門が、袴、着流し、大小の刀、庭下駄にて、鷹の脚緒をさし、朝顔のからんだ美しい切子燈篭を持ち、うしろから、秋山長兵衛、これもきれいな中間の恰好で、首輪を付けた犬を引いて出て来る。このとたんに、正面のすだれが巻き上がる。中にお岩、美しい田舎娘風の様、夏形の振袖、置き手拭いにて前垂れをして、五色の糸を巻く糸車で、糸を引いている。適当なところに、美しい行燈が灯してあり、その上に、さきの鷹が留まっている。花道の伊右衛門と屋体のお岩の双方が、七夕の出会いを形造る趣向で、空には月を引き出す。舞台には蛍が群がっている
伊右
天の川、あさせ白波吹くる夜を
お岩
恨みて渡るかささぎの橋。かささぎならぬこの鷹の、逸れてやここへ羽を休め
伊右
秘蔵の鷹は、どこへ行ったかと、尋ね来たりしあの庵。女竹に結ぶ短冊は
長兵
ほんに今宵は文月の、七夕まつり星合の、その日に逸れた小がすみは、天の川へ飛びはしないか
伊右
何を阿呆な。しかし、逸れたる鷹は、たしかにこのあたりじゃ。ササ、探してくれ、探してくれ
ト書き 思い入れ。また歌浄瑠璃になり、両人、門口へ来て、長兵衛、中をうかがい、お岩を見て肝をつぶし
長兵
モシモシ、旦那、旦那。ご覧くださいませ、あのような美しいやつが、糸を取っておりまする
伊右
なに、美しい女が、糸を引いていると
長兵
さようでござりまする
伊右
どれどれ。なるほど、田舎の住まいにしては珍しい女。そちが案内して、鷹のことを聞いてくれんか
長兵
そういたしましょう
ト書き うちへ入る
 
コレコレ、姉さん、姉さん。俺の旦那が狩りにお使いになった、鷹が逸れて行方が分からぬのだが、モシ、このうちに、舞い込みはしなかったか。どうだ
お岩
ハイ、その鷹は、コレ、ご覧なさいませ。私のところに来て、このように留まっておりますわいなァ
長兵
イヤイヤイヤ、そいつは素敵な。そんなら旦那を呼び申してこよう。モシ、旦那、鷹がおります
伊右
さようか、さようか。しからばもらいに参ろうか。そちも参れ
ト書き 門口へ来て
 
姉さん、ごめんなすって
ト書き うちへ入り、思い入れあって
 
さてさて、風雅な住まいじゃな。イヤ、手前はこのあたりに、住んでいる者じゃが、今日、小鳥狩りにまかり出で、飼っておる鷹が逸れたのじゃ。聞けばこの家に来たとのこと、受け取って帰りたいが、拙者に渡してはくれまいか
お岩
これはマァ、あらたまりましたお頼み。あなたさまのお飼いの鷹とあるならば、ご遠慮なく、ご持ち帰りあそばせなされ
伊右
それはかたじけない。しからば持ち帰るでござろうが、イヤ、夜になって歩行いたすのは道中、コレ、さぞかし暗くて難儀なことであろうな
ト書き この場から立ち去りたくないという思い入れいろいろ
長兵
モシモシ、旦那。どうして暗いことがござりましょうか。今晩は七夕まつり。アレアレ。お月様がお上りなされて、昼のようでござります。ことにあなたはお帰りのご用意とあって、お手細工のその切子灯篭、それを灯して参れば、お提灯より明るうござります。ササ、お帰りなされませ、お帰りなされませ
ト書き 立ちながら、切子を軒へかけ、心なくせりたてる
伊右
これはなんということじゃ。ハテ、おのれは気のきかぬやつじゃ。あれほど表は暗いではないか。暗いから帰れぬと申すのに、おのればかり月の夜じゃと申すなら、こうしやれ。この鷹を手にすえて、この犬を引いて、おのれだけ先へ帰りおれ。たわけづらめ
ト書き これにて、長兵衛、むっとして
長兵
コレコレ、あんまりにそんなに、尊大な言い方をするな。今でこそそなたの下僕になって、旦那旦那と呼んでいるが、以前は俺も貴様の同朋の秋山長兵衛。犬も同朋、鷹も同朋。引いて帰りたいなら、サア、貴様が引け。イヤ、てめえが、引いて行け
ト書き 犬のつなを伊右衛門に投げつける
伊右
イヤ、こいつめ。以前は以前。今は予の下僕ではないか。おのれが引いて帰りやがれ
長兵
なにが、予の下僕だ。コレ、あんまり尊大なことを言うな。今でこそ出世して大禄取りだが、以前は民谷伊右衛門といえば、てめえ、すってんてんで、いやがられた悪仲間。女房のお岩も駆け落ちして行方知らず。その一件で、おいらもこのざま。それというのもおぬしがしたことだワ。畜生を引いて帰りやがれ
伊右
イヤ、おのれが帰りやがれ
ト書き 両方より犬を突きやり
長兵
オオ、しっ、しっ、しっ
ト書き けしかける。犬は吠える。お岩、この間に入って
お岩
これはどうしたことでしょう、マアマア、お待ちなされませ。そのようにばかりおっしゃらずとも、よいじゃござんせんか。承りますれば、主人家来とは言うものの、以前がご同朋じゃとおっしゃるからには、お二人さまのその仲を、わたしがおもらい致しましょう。さようなされて下さりませなァ
伊右
あるじのそなたがさように申すなら、拙者もなんとか、この者と仲直りをいたしてつかわそうか
長兵
あいての民谷が承知なら、こっちにも言い分はないが。コレ、娘さん。そなた、仲介人に入るか
お岩
アイ、わたしが仲を、結ぶわいなァ
長兵
そいつはおもしろい。イヤ、これこれ。ここに用意してきた酒がある。ここで始めようか
ト書き 腰にかけた水筒のひょうたんを差し出して
 
姉さん、茶碗を貸さっし
お岩
アイアイ
ト書き 盃を出し
 
なにはなくとも、コレコレ、ここに、今日の節句を祝ったさし鯖があるので、これなど当座のお肴に
ト書き さし鯖を、鉢のまま出す
伊右
イヤ、さし鯖とはおもしろい。そなたとわたしと、そのさし鯖のように、二人かようにひっついていたいわい
ト書き しなだれかかる
お岩
これはどうしたこと。わたしのような田舎娘に、どうしてあなたが
伊右
これは痛み入ったお言葉。ただいまは拙者も独り身。その証人は、それそれ、その家来じゃて
長兵
そうさそうさ、女房もあったが、どうしたことやら行方知れず。マア、なんにしろ亭主役の姉ご、始めさっし
お岩
そんならわたしが、お始め申して
ト書き 長兵衛、お酌をして、お岩、呑む思い入れ
 
このお盃はどなたへおあげ申しましょう
伊右
さしづめわたしが、いただきましょうか
長兵
そうさそうさ、この旦那めへ、さしさばさしさば
お岩
はばかりながら
伊右
いただきましょうか
ト書き 両人、酒を呑みながら、いやらしく寄り添う
長兵
コレコレ、旦那の伊右衛門。同朋の家来にも、呑ませてくれぬか
伊右
なるほど。おのれへも酒をさすワ
長兵
イヤ、ありがたい
ト書き 水筒を引き寄せ、引っかけ引っかけ、むやみに呑む
伊右
コレコレ、下僕。ちょっとこっちに回さぬか
長兵
なに、回さぬかとは、俺が回せば善次舞だ。いまのはやりは神事舞だな
お岩
その舞を舞ってみなさんせ
長兵
どうしてどうして、あれは舞えない
伊右
そこをなんとか、我らの頼みじゃゆえに
長兵
イヤイヤ、ごめんだごめんだ
伊右
コレコレ、手伝ってくれや
お岩
アイアイ、舞ってくれんかいなァ
長兵
イヤ、これは迷惑
ト書き 鳴り物になる。お岩、伊右衛門と二人で長兵衛を捕らえて、目を押さえて、ぐるぐると回し、突き放す。長兵衛、くるくると回る。これを見て犬が吠えかかり、回りながら、犬もついて下座へ入る。両人は残って、合方
伊右
ハテ、たわけたやつではないか。イヤ、それはそうと、そなたはこのあたりの百姓の娘なぞと言うことだが。さようか
お岩
アイ。わたしゃ、このあたりの民家に育った、田舎育ちの女子でござりまする
伊右
アア、そなたは民家の娘か。民家の文字こそ違っていれども、いわば我の家名にて、民家は民谷
お岩
では、あなたのご家名は、民谷さまと申しまするか
伊右
いかにも民谷。シテ、そなたの名はなんという
お岩
アイ、わたしがその名は
ト書き じっと伊右衛門を見る思い入れ。風の音がして、竹に結んだ七夕の短冊が、ひらひらと落ちてきて、お岩のそばに風に吹かれて落ちて来るのを、手早く取って、思い入れあり
 
すなわちこれが、わたしの
ト書き 差し出す。伊右衛門これを取って、この歌を見て
伊右
こりゃ、七夕へささげる百人一首の歌のうち。瀬をはやみ、岩にせかかる瀧川の
お岩
割れても末に、逢わんとぞ思う。割れても末に
ト書き 伊右衛門の顔をじっと見て
 
逢うてたまわれ民谷さま
伊右
ヤ、そういうそなたは
お岩
岩にせかかるその岩が、慕う男は、おまえならでは
ト書き 膝にもたれて、情を込めて伊右衛門を見る
伊右
岩によく似た田舎娘の、振り袖姿は、以前と変わらぬ、妻のお岩に
お岩
岩にせかれしわたしが恋人。今日からわたしを
伊右
色にするのじゃ。コレ、人の見ぬあいだに
ト書き お岩の帯に手をかける
お岩
また移り気な
伊右
ハテ、移りやすきは
ト書き 伊右衛門、帯の端を引っぱり、刀を下げて、つかつかと屋体の中へ入る
お岩
誰もいないけど、アレアレ、鷹が見ています
伊右
下世話で言えば夜鷹とも
お岩
そんなら、わたしゃ夜鷹かえ?
伊右
灯りがあっては
ト書き 行燈の灯りを消す
お岩
アア、モシ、蚊やりもないのに
伊右
ほんに藪蚊が
ト書き 団扇を持ってあおぐ、残らず蛍ゆえ、思い入れあって
 
ヤ、蛍の火が
お岩
身で身を焦がす蛍火も、露よりもろきはかない朝顔。日のめに会えばたちまちに
ト書き 燈篭に目を付ける
伊右
しおれる花も
お岩
露の命も
伊右
咲く朝顔も
お岩
吹く秋風も
伊右
お岩
オオ、さむ
ト書き 伊右衛門へもたれかかる。歌になり、すだれが下りる。合方になり、奥から長兵衛、くだんの犬を引いて、出てきて
長兵
アア、酔ったぞ酔ったぞ。酒を呑んで善次舞をしたから、まことに目が回って。アレアレ、まだこのようにそこらじゅうが、ぐるぐるぐると、ひどく回るわ。しかし、あの民谷めは、ここの娘をものにしたかしらん。なんだか娘も、いやらしい目つきであったが、おおかたあの座敷で決まったであろう。エエ、ちくしょうめ
ト書き 犬に抱きつく。犬は吠えて、長兵衛の頭に噛みつき、踏み散らして下座へ入る。長兵衛、思い入れあって
 
オオ、痛い痛い。あの畜生めは、長い頭を、もう少しでかじろうとしよった。コレ、民谷どの、民谷どの。どうだ、決まったか、決まったか。オオ、うらやましい。どれ、ちと覗いてやろう
ト書き すだれのところへ行って、すきまから中を覗き、びっくりして
 
ヤヤ、アリャなんだなんだ。あの娘のあの顔は。アリャ、人間じゃあるまい。サアサア、こいつはここにはいられぬ。この燈篭でも下げて、早く逃げよう
ト書き 軒にかけた切子に手をかける。ドロドロになり、燈篭にお岩の顔が現れる。長兵衛、ワッと言って腰を抜かし
 
これはどうだ。とんだものが。コレ、民谷どの、民谷どの
ト書き 呼び歩き、思わず軒を見る。這いまといしかぼちゃが、残らず顔に見える。長兵衛、わっと言って
 
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。ここにはおられぬ、ここにはおられぬ
ト書き 薄ドロドロになり、こけつまろびつ、向こうへ逃げて入る。時の鐘。すごき合方にて、すだれが上がる。中に伊右衛門が、鷹をすえ、刀を下げ、立身。お岩、そのすそに控えていて
お岩
コリャ、もう、おまえ、お帰りなさんすのかへ?
伊右
オウ、夜の更けぬ間に、帰宅いたそう。さよういたして、またの御見を
ト書き お岩、行くのを引き留め
お岩
それ見やしゃんせ。おまえさんには、可愛いお方、お岩さんという奥様があるゆえに、いわばわたしをおなぶりなされて
伊右
イヤイヤ、なんでそなたをなぶろうぞ。しかし、お岩と申した女房もあったが、いたって悪女。特に心のねじけた女じゃゆえに離別して
ト書き お岩、これを聞いて
お岩
では、先妻のお岩さん。それほどまでに愛想が尽きて、未来永劫見捨てる心か、伊右衛門さん
ト書き キッと見つめ、伊右衛門、こわげだって
伊右
そう言うそなたの面差しが、なんとなくお岩に
お岩
似ている、と思ってござんすか。ただし面影は冴えわたる、あの月影の写るがごとく、月は一ツ、影は二ツも三ツ汐の、岩にせかかるあの世の苦しみを
伊右
ヤヤヤヤ、なんと
お岩
恨めしいぞえ、伊右衛門どの
伊右
ト書き 飛びのくはずみに、持っていた鷹は鼠となって、伊右衛門をめがけて飛び掛かる。このとき、冴えゆく月へ暗雲がかかり、薄ドロドロ。黒幕が落ちて、舞台一面が闇の景色。このとたんにお岩の衣装が変わり、怪しきお岩が死霊の恰好に。大ドロドロになって、両人、キッとなって
伊右
さてこそお岩が執念の、鼠となって妨げるか
お岩
共に奈落へ誘引せん。来たれや、民谷
伊右
愚かな、立ち去れ
ト書き 刀を抜いて斬ってかかる。大ドロドロ、人魂がたくさん立ち上り、伊右衛門、心火を斬り払い、斬り払い、精魂疲れて苦しむ。よいきっかけで糸車へ心火が移り、たちまち火の車となって、片側だけの車、火が点いたまま回る。お岩、伊右衛門を連理引きに引きつけて、キッと見得。ドロドロにて両人をせり落とす。この道具替わる。心の文字は下へ引き下ろす。下座にて百万遍の鐘の音。念仏の声にて道具が替わる。日覆いより、すぐに雪が降ってくる
 

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