四幕目ー2 寺町孫兵衛内の場

ト書き 本舞台、三間の間、平舞台。向こうは鼠壁、真ん中にのれん口、上手には、折り回し一間の古紙を張った障子の屋体。下手には、あつらえの門口、下手の口に、同じくあつらえの黒板の塀。ここにお熊、前幕の婆アの格好で、しじみ籠より銭を出し、数えている。孫兵衛、次郎吉をかばって、いろいろ言っている、合方、禅の勤めにて、道具が回る
お熊
コレ、このざまァなんだ。今日一日かついで歩いて、売り上げはこれっぽっちか。きさま、おおかた銭をくすねただろう。サア、ここへ出せ
孫兵
コレサ、婆アどの、可哀そうに。子供をそのように叱らぬものじゃ。ところで、売り上げの銭はいくらある
お熊
エエ、見さっしゃい。こればかりだわナ
ト書き そこへ百二、三十のつるべ銭を放り出す。孫兵衛これを見て
孫兵
ハテ、五つか六つの子供の商い、それほどあればよいではないか。コレ、坊や、泣くなよ泣くな。よく稼いだ。坊はよい子じゃぞ
お熊
エエ、あんたさんがそのように甘やかすによって、とかく商いに出しても、銭をくすねて、買い食いばかりしやァがる。サア、銭をどこに隠している。出さないか。この餓鬼、出しァがらないか
ト書き つねる
次郎
どこにも隠しはしませぬ。婆さま、堪忍してくださりませ
ト書き 泣く
孫兵
どうした、かわいそうに、どうしたのじゃ
お熊
あんたは、そんなお人好しだから、世間で仏の孫兵衛と言われるんですワ。その子も同じ代物ゆえ、小仏小平。わしの腹を傷めた子じゃないせいで、いっそう間抜けに思われますワ。その小平が作った餓鬼だから、薄ら馬鹿の筋を引かぬように、根性を叩き直さにゃならぬ。エエイ。そこをどかんしゃい
孫兵
ヤイ、おのれは年端もゆかぬものを、つねづねつねづねぶつわ打つわ。モウこれ以上、手荒い真似は俺がさせぬ。手出しをすると、許しゃせぬぞ
お熊
あんたがかばうと、なお腹が立つ。きさま、どうしてくれよう。エエイ、子面の憎い餓鬼だ
ト書き しじみの籠を持って次郎吉に襲いかかる
孫兵
この鬼ばばァめ。何をしやがるのじゃ
お熊
なにを、この提灯爺いめが
孫兵
おのれ、なにをぬかしおる
お熊
うぬ、この餓鬼め、どうしてくれるか、見てやァがれ
ト書き ザルを持って、ぶってかかる。孫兵衛、お熊につかみかかる。かすめたる蝉の勤、佃の合方、時の鐘になり、花道より小平の女房のお花、世話女房のこしらえ、手拭いをかぶり、前垂れ、高からげにて、茹で玉子を売る籠を下げて出てきて、すぐに家へ入る
お花
ハイ、いま帰りました
ト書き この有様を見て、あわててこの中へ駆け入り
 
こりゃア、何ごとでござりますか。マアマア、気を鎮めてくださりませ
ト書き あれこれ言って、双方をなだめる
孫兵
お花、聞きやれ。この婆アめ、また坊主をいじめよるわいの
お熊
コレ、そなたの産んだこの餓鬼。ふだんわしが可愛がってやるのをよいことにして
孫兵
ヤイヤイヤイ。きさまがこの坊主を、いつ可愛がった。大福餅ひとつも、買ってやったことはあるまいが
お花
ハテ、もう、ようござります。マアマア、ご堪忍くださりませ。コレ、次郎吉、なんでそなたは婆さまの、機嫌をそこねたのじゃ
孫兵
また、売り上げが多いの、少ないのと言って、いじめるわいの
お熊
コレ、親父どの。なんといえ商売じゃもの、売り上げのことを言わずにおくか。こればっかりは、憎まれても言わにゃなりませぬ。これ、お花、今夜はなんぼほど、商いしやった
お花
ハイ、よくまだ勘定はいたしませぬが、ちょっと、ご覧くださいませ
ト書き 玉子のザルをお熊の前へやる、お熊、中を見て
お熊
コリャ、まだ売り切らずに持ってきよったの
お花
ハイ、三つ余りました
孫兵
オオ、よく売りよったの。ササ、ひもじかろう。茶漬けでも食べるがよい。コレ、売り上げは、さぞたくさんあろうな
ト書き この間、お熊が籠の中の銭を見て
お熊
アイ、おおかた四百五十文か、五百ばかりもござりゃしょうよ
孫兵
ヤア、そりゃマア、たいした商いじゃ。それでそなたも、機嫌が直ったであろう。オオ、ご苦労であった、ご苦労であった
お熊
だいたいがこのぐらいの商いをせねば、水も飲めるものじゃない。どこの牛の骨か、馬の頭か知れもせぬ病人を、うちへ引きずり込んで、出費がかさんで仕方がない。コレ、お花、いっそのことに、なぜみんな売ってこんのじゃ
お花
ハイ、それは、おまえさまの、明日の朝のお茶受けに差し上げようと思いまして
お熊
ホホホホホ。そりゃよく気がついたが、わしが玉子を食っても、爺どのは、あの通りで、当てもござらぬ。いけ馬鹿馬鹿しい
お花
さようなら、ととさまに上げましょうわいな
お熊
なに、玉子を食ったからといって、あの提灯が役にたつものか。無駄なことじゃ。コレ、次郎吉。お袋が怠けて売り残した玉子を、早う売ってこい
孫兵
かわいそうに。今日一日しじみを担いで歩いて、くたびれたであろう。もう、許してやりやいの
お熊
イエイエ、あのような病人の居候がいるから、うっかりしていると、生きながら餓鬼道へ落ちにゃならぬ。ナア、良い子じゃな、ちょっと、売ってきなや
ト書き 猫なで声をして、次郎吉に、玉子の籠を持たせ、両人に見えないように、次郎吉をつねる
次郎
アレ、痛いわいのう、痛いわいのう
孫兵
オオ、どうしやった、どうしやった
次郎
婆さまがわしをつねって
お花
エエ、この子はよう嘘を。あれほどふだん可愛がっていやしゃんすのだもの。なんで、婆さまがそのようなことを。売って来やいの
次郎
アイ、アイ
ト書き 泣きながら門口へ出る
孫兵
エエイ、こいつ、邪険な
お花
アア、もし。サア、怪我せぬように、行って来やいの
ト書き お花、かわいそうに、と思い入れ。次郎吉、籠を下げながら
次郎
玉子、玉子、ゆで玉子、ゆで玉子
ト書き 合方、時の鐘になり、呼びかけながら向こうへ入る
お熊
なるほど。瓜の木に茄子のたとえ。そなたの亭主だが、あの小平がいくじのないところによく似ているわいの。わしが産んだ子を褒めるわけじゃないが、そりゃ、おまえさんたちに見せてやりたい、れっきとした侍。それも今は浪人をして、ほんに、浪人といえば、腰抜けの病人どのは、まだ死にそうにもないが、あれがほんとのごくつぶし
ト書き 上手の、障子の中を見て思い入れ
 
どりゃ、売上の勘定でもしようか
ト書き 合方にて、お熊、籠のふたにあけた銭を持ち、奥へ入る
─── ◆ ───
 
孫兵衛とお花、残り、思い入れあって
孫兵
まったく、あの婆アも、歳をとるほど根性が悪くなる。わしも、歳をとって離縁するのも、世間体が悪いというので、そのまま放っておけば、それをよいことにつけ上がりおる。コレ、お花や、お前もさぞかし疎ましかろうが、ママ、辛抱してくれ。また、やりようもあるじゃろ
お花
エエ、もったいない。かかさまは甲斐性のあるお生まれゆえ、私どもや連れ合いのいたすことが気に入らぬのも、もっともでござります。それはそうと、うちの人が、留守の間もくれぐれも気を付けて差し上げるように、と言っておかしゃんしたご病人さま。今日は少しは、ご気分がようござんすかえ
孫兵
今、すやすやと寝てござった。どうもはかばかしくないご病気。あのお方に対しても、あの婆アが邪見ゆえ、わしゃ気の毒で・・ そうだ、薬をあげてもよい時分であろうぞや
お花
ハイアイ、暖めてあげましょう
ト書き あわただしく立って、七輪に土瓶をかけ、扇であおいでいる。障子の中より
叉之
お花は帰りやったか。孫兵衛や、孫兵衛や
ト書き 合方になり
孫兵
ハイハイ、若旦那さま。お目が覚めましたか
ト書き 合方になり、上手の屋体の障子を開ける。ここに、小汐田叉之丞が、病はちまき、かい巻きをかぶり、木綿布子を肩に引っかけているようす
叉之
今宵はだいぶ寒気が強いが、雪でもちらつきはいたさぬか
孫兵
イエイエ、雪は降りませぬが、この寒さではご病気に障りましょうかと、私は大いに案じ申しまする
ト書き お花、茶碗と薬を持ち、出てきて
お花
ハイ、お薬をおあがりなさりませ
ト書き 叉之丞、薬を飲みながら
叉之
お花、小平はまだ帰らぬか
お花
もうかれこれ、三月あまりにもなりますゆえ、お休みをいただいて帰る時分でござりまするが
叉之
イヤのう、おおかた今宵は、帰るであろう
孫兵
エ?
叉之
お花、そなた、さぞ待ち遠しいであろうな
お花
ホホホホホ。あなたさま、なにをご冗談ばかり
ト書き お花、恥ずかしがる思い入れ。孫兵衛、念仏を唱えるしぐさ
叉之
夫小平は雇い奉公。妻のそなたは女の身として夜商い。その苦労の多い暮らしの中で、かように長々と病気にての居候。それをいやとも思わずに、よく世話をしておくれやる親切。コレ、少しの間も忘却はいたさぬ。かたじけない、かたじけない
ト書き 感謝する思い入れ
孫兵
なんのそのお礼に及びましょう。このおやじめはお前さまのご親父さまの下僕。また、倅の小平は、お前さまのご家来。お屋敷の騒動から、ご家老の由良之介さまをはじめ、ご家中はちりぢりばらばら。結局、私ごときの者をご家来と思し召さればこそ、頼ってお出でなされた若旦那さま、粗末にいたしたらばちが当たります。また、貧苦の中と言わっしゃりますが、このおやじは、うんと金の工面はようござりまするじゃ。しかし、金のあるふりをいたすと、人が貸せ貸せと言ってうるさいし、第一は、この嫁などが、金のかんざしを買ってくれいの、ヤレ、錦の振袖が欲しいのとねだりまするゆえ、無いふりをしておりまする。ナニ、千両箱の二つや三つ。神棚にでも乗せて置きまするて。ハハハハハ
お花
ホホホホホ、ととさんは、何を言わしゃんすやら。いつもいつも、冗談ばっかり
ト書き お花、ふと気付いたしぐさあって、叉之丞の引っかけている布子に目を付けて
 
モシ、あなたさまのおめしなさっている、この着物は
孫兵
ホンに、こりゃ、俺の布子じゃが、夏の間じゅう質屋にあったはずじゃ
お花
ア、モシ、こりゃア、マア、誰が持って参りましたぞいなア
叉之
これはさきほど、あの次郎吉が持って参って、寒気を防ぐため、拙者に着せるようにと言って、あの小平が届けさせたと申した事じゃ
孫兵
エエ? アノ、倅の小平が
ト書き 思い入れ
叉之
また、コレ、このかい巻きも、届けたのじゃ
孫兵
それでは、それほどまでにご主人を。倅、出かしよった。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏
ト書き こなし
お花
エエ? ととさんとしたことが、何を言わしゃんすぞいナア。また、そういうことならば、早くお戻りになればよいのに
ト書き 門口をのぞいてみたり、いそいそする。孫兵衛、沈んだ様子の思い入れ
 
モシモシ、若旦那さま。おみ足をさすってあげましょうかいなア
叉之
イヤイヤ、今宵はだいぶ調子がよい。かまわずともよい、かまわずともよい
お花
ハテ、ご遠慮には及びませぬわいナ
ト書き 叉之丞の足をさする。孫兵衛、口の中で念仏を唱える思い入れ。静かな木魚入りの合方、禅の勤めになり、向こうより次郎吉が、三布ふとんを縄で縛り、これを引きずって出てきて、門口へ来て、戸を開ける。これを見て、お花、立って出てゆき
 
小平どの、帰りしゃんしたのかへ
ト書き 次郎吉を見て
 
うちの人かと思ったら、次郎吉。そりゃ何じゃぞいの
次郎
ととさまが、これを旦那さまに着せろと言って、届けさせやったわいの
ト書き お花、ふとんをうちへ入れて
お花
そんならこれも若旦那へ、お着せ申せと、あのととさんが言うたのか
孫兵
何だって、それも倅が届けたというのか
お花
アイ。マア、どうしたことじゃぞいの。年端もゆかぬものに、このような重いものを届けずと、なぜに本人が自身でもって、早く帰って下しゃんせぬぞいなア
孫兵
南無・・ エヘン、エヘン、エヘン
ト書き 思い入れ
叉之
ヤレヤレ、次郎吉、ご苦労であった。ここへ来やれ。褒美をとらそう
ト書き 叉之丞、そばにある袋の中から菓子を出して、次郎吉にやる
 
コレ、今にととが帰るであろう。おとなしゅうして待っていましょうぞ。ホンに、賢い子じゃな。お花、褒めてやりやいの
お花
ハイハイ、コレ、久しぶりでととさまと一緒に寝んねするのが、嬉しいかや
叉之
その子より、まずそなたが
ト書き お花、恥ずかしがる思い入れ
 
拙者も嬉しい。ハハハハハ
ト書き 思い入れ。孫兵衛は、うつむいている。歌になり、花道より赤垣伝蔵、大小の刀と、ぶっ裂き羽織にて、小提灯を灯し、出てきて、門口へ来て、ああ、ここだ、というしぐさあって
伝蔵
ごめんください、ごめんください
お花
ヤ、うちの人が帰りなさったかいな
ト書き あわてて門口へ行き、戸を開けて
 
小平どのかいなあ。お前はマア
ト書き 伝蔵を見て
 
ホホホホホ、私としたことが
ト書き 当惑するようなこなし
伝蔵
なに、人違いかな。ハハハハハ。イヤナニ、女中、孫兵衛どのと申す者は、こちらかな
お花
さようでござりまする。あなたさまはどちらから
伝蔵
拙者は小汐田叉之丞どのに、用事があって参った者。ちょっと、ゆるしやれ
ト書き うちへ入る。叉之丞が、伝蔵を見て
叉之
ヤ、貴殿は赤垣伝蔵どの
伝蔵
小汐田どの。さて、一別以来
叉之
コレハコレハ、ようこそ御入来。まずまず、ここへ
伝蔵
それでは、ごめんくだされい
ト書き よきところへ座る。叉之丞も、よきところへいざり出て
叉之
まずはご健勝にて
伝蔵
貴殿もご無事で、と申したいが、承れば、なにかご病気とのこと
叉之
そのことでござる、鶴膝風とか申す病にて、いまだに歩くのが思うように参らぬのでござる
伝蔵
ハテサテ、それはご不自由でござろう。イヤなに、孫兵衛どのとやら、なにかと叉之丞どのの世話を致されると申すこと。拙者も古い同朋として、喜び申す、かたじけのうござる
孫兵
ハイハイ、若旦那さまも長々とご病気にて、このように見苦しい我が家へ、かくまい申して置くというは名ばかり。ほんに心では何とかせねばと思いますが、貧乏人のこと、思うようにやりくりは回らず、それでも感心にもここの嫁が手ひとつで、昼は人さまのすすぎ洗濯、夜はスルメやゆで玉子
ト書き お花、茶をくみながら、孫兵衛の袖を引き
お花
イイエ、サア
ト書き 伝蔵の前へ持って行き
 
ハイ、あなたさま、お茶を一つ
伝蔵
イヤイヤ、お構いくださるな、お構いくださるな
ト書き お花、孫兵衛にささやく
孫兵
オオ、よう気が付いた。二合半とって来やれ。コレ、西横町の西の宮がよいぞや。それから、なんぞ肴をみつくろって
ト書き 伝蔵、思い入れあって
お花
ハイハイ、かしこまりました
ト書き 門口へ出るを、孫兵衛、こなしあって
孫兵
コレコレコレ、お花や。酒を買った帰りに、ちょっと法乗院へ寄って、爺がお頼み申して置いたものを下されませと、そなた、持って来てくだされ
お花
アイ、そりゃ、何でござりますか
孫兵
なんであろうと、持って来ればわかる。コレ、必ずびっくりしないでな
お花
エエ? なんじゃら気味の悪い。どりゃ、お酒を買って来ようかいなア
ト書き 木魚入りの合方にて、お花、徳利を下げて、向こうへ入る、叉之丞は思い入れ
叉之
コリャコリャ、孫兵衛。この坊主が眠くなった様子じゃ。納戸へ連れて行って、寝さしてやりやれ
孫兵
ホンに、何も知らず、子供は仏。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。さようなら、ゆっくりとお話しなされませ
ト書き 木魚入り合方になり、伝蔵、会釈する。孫兵衛、次郎吉を連れ、伝蔵に挨拶あって奥へ入る。両人、残り、改まって居住まいを正し
伝蔵
さて、小汐田どの。拙者が、今宵、貴殿の隠れ家をたずね、わざわざ参ったのは他でもござらぬ。かねてよりの一義、もはや近々のうちに
叉之
それでは、仇の屋敷へ討ち入りの
伝蔵
コレ
ト書き あたりを見回し、懐より小判を出し
 
この金は、由良之介どのより、四十七人への配分の金。小汐田どの、お受け取りなされい
叉之
どんな理由か存じませぬが、大星どののお志、かたじけのう存じまするが、他の者はともかく、拙者は、仇の門のうちへ踏み込みますると、まず、生きて帰らぬ所存でござれば、所持いたしても不要の金
伝蔵
そのことでござるが、拙者をはじめ、みなそのように思いましたが、由良之介どのの申されるには、もしも敵地で討ち死にいたすそのとき、その死骸に金の所持がないときは、鹽冶浪人は暮らし向きに困って、師直の屋敷に討ち入り、強盗をなさん企てと、世間の噂の口を封じるため。これはめいめい肌につけ持参するよう、大星どのの指図でござる
叉之
ハハア。さすがは大星どののご料簡はまた格別。しからば受納いたしましょう
ト書き 金を受け取り、そのまま前へ置き
 
赤垣どの。では、その夜の手配は、貴殿はご承知でござりますか
伝蔵
その義も、大星どのより書き立てにして、かくのとおり、ひそかにご覧あるように
ト書き 門口を閉め、思い入れあって、懐中より書き物を出す。叉之丞、こなしあって、これを開いて見る。合方
叉之
ムム、なるほど。四十七人を二手に分け、表門より二十四人、裏門より二十三人。五人を略して三人一組。三々の九人を一手として
伝蔵
大星どののかねてよりの錬磨。甲州山鹿の采配にて
叉之
序の太鼓にて人数を繰り入れ
伝蔵
いかにもいかにも、破の太鼓には人数を分かち
叉之
急の太鼓に切り行って
伝蔵
織部、大鷲、不破などの、太刀討ち槍術、腕の利く荒者。三九の二十七人は、ここに押しふせ、かしこを責め立て
叉之
残りの人数は四方を固め、八方くまなく目を配り
伝蔵
目指す仇を取り逃がさぬよう、あるいは矢ぶすま、槍ぶすま
叉之
ハハア、あっぱれあっぱれ。たとえ仇の師直が、天を翔け、大地をくぐる術があっても、首を上げるのは、これ目前
伝蔵
コレ、ひそかにご一読を
叉之
はてさて、これは感心
ト書き 両人、こなしあって、これを見る。
─── ◆ ───
 
かすんだ佃の合方、時の鐘になり、向こうより、以前の米屋の長蔵、手代の庄七が、弓張り提灯を持って、出て来て、花道にて
庄七
コレコレ、長蔵どの、きさまはどこへ行くのだ
長蔵
わしゃア、孫兵衛のところへ、催促にゆくが、お前はなぜあそこのうちへゆくのだ
庄七
聞かっせい。俺の蔵に泥棒が入って、二品三品の代物が紛失したのだが、調べてみれば、みんなあの孫兵衛のところから入った質ぐさ。そりゃア、わずかな代物だが、四谷町の利倉屋から、下質に下がっている、ソウキセイという唐薬。これを入れた主は浪人者の民谷伊右衛門という者だそうだが、この品が金目な代物さ
長蔵
なにか、それであそこのうちが怪しいによって、探りにゆくのか
庄七
マア、そんなものさ
長蔵
ハテ、とんだものがある物さ
ト書き 本舞台へ来て
庄七
孫兵衛どの、おうちにおられますかな
長蔵
ハイ、ごめん下さい
ト書き 門口を開ける。この声で伝蔵、以前の書き物を素早く懐中に戻す。この声を聞きつけ、奥よりお熊が出てきて
お熊
ハイハイ、どちらからのお出でございますか
ト書き 長蔵、庄七を見て
 
あなたがたは、西横丁の金子屋に、米屋の若い衆。おおかたろくな事ではござりますまい
長蔵
これは来た早々にご挨拶を。そう言われてはなおのことだ
ト書き 懐より帳面を出し
 
このあいだから勘定書をあげておきました米の代金、一貫六百文はどうなさいます。ぜひとも今夜払ってやってくださりませ。勘定を済ましてください
お熊
ササ、もっともでござりますよ。命をつなぐ米の代。長くとは言うまい。もう二月か三月のあいだ待ってもらえぬか
長蔵
イエイエ、どうしてどうして。待たれませぬ。今夜はぜひとも勘定してもらわにゃなりませぬて
ト書き この間、庄七、叉之丞がひっかけている布子とそばにあるかい巻き、布団などに目を付け
庄七
モシ、ちょっとお許しなされませ
ト書き 提灯を持ち、立ちかかり、あちこち見て
 
これだこれだ、これに違いない。店の符帳もまだそのまま。もし、お前さん、この品はどこから持ってお出でなされましたか
叉之
どこから持って参ったか拙者も存ぜぬが、親の小平が届けたと申して、あの次郎吉と申す子供が持参いたした
庄七
ヘイ、さようなら、あの年端もゆかぬ次郎吉どのがこの品々を? モシ、おまえさん。そんなのは少し推量すればわかること。イヤ、それは別の事として、この他に、ソウキセイと申す薬の包みが参ってはおりませぬかな? それをお返しなされて下さりませ
叉之
待て待て、町人。なにか合点のゆかぬものの言い様。その、ソウキセイとやらを、拙者に返せとはどういう意味じゃ
庄七
イイエ、サ、モシ、わたしがやさしく申しているうちに、お返しなされるのがあなたさまのお為でござりましょうぞえ。モシ、おまえさまは見かけによらない、盗みをさっしゃりまするな
叉之
なに? ど、ど、どういたしたと
ト書き キッとなる
庄七
ハテ、腹をお立てなされますか。コレ、ご覧ください、おまえさまの引っかけてござる布子、ここにあるかい巻き、ふとん。ぜんぶ店の符帳が付いていますぞえ。私どもの蔵へ泥棒が入って、ほかの者には手も付けず、この三品とただいま申したソウキセイ。その四品が紛失しました。三品はさっそくここで見つかりましたが、モシ。いっそのことに薬もここへ、出さっしゃるがようござります
叉之
コリャ、ヤイ、町人。ここに拙者の古い同輩も聞いておられるのに、身に覚えない無実の言いがかり。とくに大それた盗人などとは。おのれ、今ひとこと言ってみやれ。許さぬぞ
ト書き 脇差を引き寄せ、キッとなって思い入れ
お熊
コレコレ。そのように脅しかけては、町人というものは、びくびくして言うことも言えませんわな。モシ、あなたも聞いておいでなされまするが、質屋が疑うのも無理もございませんぞえ。その病気には無くてはならぬという、ソウキセイとやら、箒星とやらいう薬を、おまえさまが盗んだであろうという証拠は、それ、いま引っかけいらっしゃるその布子、かい巻きの出どころを、詳しく言わっしゃれませ。わしらも世間に対して、なんだか盗人をかくまっておくように思われては面目が立ちまぬわな。サア、その品はどこから取ってござった。それとも、誰かが持ってきましたか。それを、ありのままに言わっしゃりませ。いけ太々しい
叉之
ハテ、合点のゆかぬ。すりゃ、なにかの間違いか。こりゃ、この品々は、ただいまも申す通り、この家の小倅の、次郎吉が
お熊
ヘヘエ、そんなら年端もゆかぬあの餓鬼がその品々を。おまへさまもマア、だいたいが、少し考えればわかること、ハハハハハ
ト書き そうだ、と思い付く様子で、奥に向かい
 
コレ、小僧や、小僧。爺どの、餓鬼をはやく連れてござらっしゃいな
ト書き 合方。奥より孫兵衛、次郎吉が出てきて
孫兵
婆や、なにをそのように、けたたましく呼ぶぞいな
お熊
呼ばないでどうするものか。ことによるとここの家の者は、残らず盗人になる取り調べでござるわいの
孫兵
なんと言うことじゃ。そりゃマア、どうしたわけで
長蔵
コレ、孫兵衛どの。わしもさっきから表で待っているが、米の代金はどうさっしゃる
お熊
エエイ、なにをぐずぐず。その餓鬼をこっちへ寄こさっしゃい
ト書き 次郎吉を、乱暴にひったくり
 
コレ、小僧よ。あのかい巻きや着るものは、お前が持って来たのか? サア、ありのままに言えよ
次郎
アイ、あれはわしが
ト書き 言おうとするのを、お熊、言うなというしぐさをして、つねり上げるせいで
 
イイエ、わしじゃない。知らぬわいなア、知らぬわいなア
叉之
コレ、知らぬでは済まぬ。ササ、ありのままに申せというに。ササ、どうなのじゃ
 
ト書き。お熊、また次郎吉を睨む
次郎
知らぬわいな、知らぬわいな
叉之
エエイ、それではこの場が収まらぬ。エエ、愚かな奴じゃな
ト書き 気をもむしぐさ。孫兵衛、腹を決めた思い入れ。お熊は次郎吉を引き取り
お熊
なんと、どうでござります。子供は正直。知らぬと言いますぞえ。そんなら誰が持って来ましょう。やっぱりこの盗人は
孫兵
俺じゃ。このおやじじゃ
皆々
孫兵
そのかい巻き、ふとんを盗んで来たのは、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。コレ、このおやじじゃ。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏
ト書き 涙ながらのしぐさ
お熊
エエイ、このおやじどのは耄碌して、らちもござらぬわいなア
庄七
この盗人めは、みすみすしれた浪人どの。それとも盗人で無いならば、それ、そこに金もあるではないか。薬と共に四品。しめて元利六両足らず。勘定すれば盗人の
叉之
悪名を逃れらるると言われても、金輪際この金子は渡されぬ
庄七
そんならおまえはやっぱり盗人。それともその金ここへ出すか
叉之
サア、それは
長蔵
米の代金は払わないのか
孫兵
サア、それは
皆々
サアサアサア
長蔵
エエ、こじれったい。べらぼうめ。このへぼおやじめ
庄七
金を出さねば
両人
いっそのこと
ト書き 長蔵は孫兵衛を、庄七は叉之丞をひっ捕らえ
 
これでもいいか
ト書き 打ちすえる。以前より伝蔵、終始手を組み、この様子を聞いていたが、このとき、すっと立って、長蔵と庄七を投げ飛ばす。両人、ほうほうのていで起き上がり
長蔵
アイタタタ、このお侍は、なんでこのように
庄七
これ、盗人の肩を持つのか
ト書き 立ちかかる両人を、伝蔵、懐中より包み金を出し、両人へ投げ出つける
両人
ヤ、こりゃなんだ
伝蔵
それで、その方たち、言い分はあるまいな
ト書き 両人、金を見て
庄七
ヤヤ、これは小判できっちり六両
長蔵
ここへも一分、そんならこれは
伝蔵
おのれら商人の身をもって、病人やら老人やらを相手に、手籠めにいたす無法者。ただでおくやつらではないけれども、そのまま許しつかわす。さっさとこの家を、帰りおろう
ト書き キッとして言う
長蔵
はいはい、帰りまする、帰りまする。これ、庄七どの、長居をしたらまたどのような、ひどい目に合うかもしれぬ
庄七
痛い目は辛抱するが、ばちが当たって立ち上がれない
ト書き 立ち上がる
お熊
コレ、あんたさまたちが帰るなら、その提灯の灯りを借りて、わしも隣の念仏講へ
孫兵
なにをおのれが後生三昧。八万地獄へ真っ逆さまに
お熊
アイサ。それも承知さ。鬼のような亭主が欲しいから
ト書き 三人、門口へ出かかり、孫兵衛は次郎吉を抱き上げ
孫兵
コレ、坊主。わりゃア、ほんとに、ととに会ったか
次郎
アイ
孫兵
南無阿弥陀仏
お熊
サア、ゆこうじゃないか
ト書き 寺の鐘、合方になり、孫兵衛、次郎吉を連れ、のれん口へ入る。お熊と庄七、長蔵は、行ってしまったと見せかけて、ささやき合い、お熊と庄七は下座へ、長蔵は向こうへ提灯を消して入る。
─── ◆ ───
 
伝蔵、決意したようすで、ものも言わず、決然と立って行きかかるのを、叉之丞が止めて
叉之
ア、モシ、お待ちくだされ伝蔵どの。ものも言わず行ってしまわれるのは、では、拙者をまことの盗人と、思ってのことでござるか
伝蔵
イヤ、そこもと、盗人でないこと、拙者よく存じておる。ハテ、歩くこともかなわぬ身でもって、そのようなことができ申そうか
叉之
では、また、なにゆえ拙者に一言のお言葉もなく、お帰りなさるのは
伝蔵
たとえその身はよこしまで無くとも、四十余人の義士のうち、さような悪名を受けられては、世の風評は防がれず、浪人の貧苦にせまり、盗賊夜盗をしたのか、と噂あっては亡き君への不忠心。はからず汚名を受けられたことは、その身の不運とあきらめなされい
叉之
では、拙者は敵討ちの一列に加わることは
伝蔵
相成りますまい。亡き君、白州公のご家来の多い中でも、このたびの討ち入りは、由良之介どのの智略をもって、忠臣無二の魂を見抜き、その上に、その身の行動に至るまで、一分一点の曇りなき、義士を選んで四十七人。その連判の人数のうち、さような悪名を受けた者は、決して、大星どの、よもや承知はいたしますまい
叉之
サ、ごもっともなる赤垣どのの仰せではござれども、そこをひたすらお取り成しをもって、是非ともお供いたすよう
伝蔵
そりゃ、ひとかたならぬ貴殿のこと。申してはみましょうが、十中八九、討ち入りの一列にはかないますまい。その上、いつ全快するとも分からぬ貴殿の病気。お気にかけられぬな、亡き君のお心にもかなわぬと見えまする。はてさて、気の毒千万な
叉之
では、どうあっても拙者は
伝蔵
小汐田どの、ご縁もあらば、また、そのうちに
ト書き 立ち出る
叉之
モシ
ト書き 引き留めるのを、振り切って
伝蔵
健康に気をつけて、保養めされい
ト書き 気の毒げに。歌、時の鐘にて、伝蔵、向こうへ入る。あと、合方。叉之丞、思い入れあって
叉之
チチ、思えば思えば。よくよく武運に尽きたるそれがし、もはや敵討ちの日も、近づくおりにこのような難病。またその上に、はからずも、盗人なりと悪名を受け、四十余人の一列に、外れておめおめ生き永らえ、どの面下げて世間の人に、武士の生きづらが合わされよう。もう、この上は、是非に及ばぬ。今日、今宵、腹掻っ捌き、あの世において主君へ言い訳。おお、そうしよう
ト書き いざりよって脇差を取る。このあたりより、奥で、鐘が聞こえる。叉之丞、脇差を抜き、袖にてぬぐい、キッと刀を見る。これより、あつらえの合方、寝鳥笛、薄ドロドロになり、小平が、生前の姿にて、薬包みを持ち、忽然と門の外に現れる。叉之丞、思い入れあって
 
小汐田叉之丞、武運に尽き、仇の一人も討ち止めず、四十余人に先立って、自害いたす無念の心中。亡き君、尊霊、哀れみたまえ
ト書き 腹へ突き立てようとする。この時、叉之丞、腕がすくんで、腹が切れないしぐさ。また思い直して、突き立てようとする。このとき小平、ふんわりと、立ったままに門口を通り抜け、叉之丞のそばへ座る。叉之丞、いろいろしぐさあって
 
ハテ、どうも分からぬ。手先がしびれて、腹を切ることかなわぬ。こりゃ、どうしたことじゃ
ト書き しぐさあって、小平を見付け
 
ムム、そこにいるのは小平ではないか
ト書き やはり薄ドロドロ、寝鳥笛、あつらえの合方。一ツ鐘。叉之丞は小平の言葉を聞き
 
ヤヤ、何と申す。いま切腹をしては犬死に。手に入った良薬にて、難病全快なしたうえ、敵討ちの一列に、加われと申すか。こりゃ、ヤイ、それをおのれに教わるまでもない。拙者はおのれゆえに盗人の悪名を受けて、討ち入りの人数にもはぶかれたわ。エエイ、この不埒な不忠者めが
ト書き 小平の襟髪を捕らえる。このときドロドロ激しく、小平、衣装とカツラを引き抜き、幽霊の姿になる
 
なんと申す。拙者を大切に思うゆえ、心ならず盗みをいたし、良薬を取ることができたから、これを飲んで全快なせとか。エエイ、さすがは下郎の浅ましい。おのれがその薬を盗んだゆえ、この叉之丞はな、身に覚えなき盗人の悪名。敵討ちのお供もかなわず、さすれば全快なしたとて、なんの益もなきこの体。止め立ていたすな。南無阿弥陀仏
ト書き また腹へ突き立てようとする。このときドロドロ激しく、小平、これを止める。叉之丞、じれて
 
エエイ、聞き分けなくまた止めるか。しもべながらもこれまでの、忠義に免じて許しておけば、それがしに恥面かかせたその上に、なおも武士道まで捨てさせるか。もうこの上は、おのれを手打ちにいたした上、邪魔を払って潔く、切腹いたす。覚悟なせ
ト書き 刀を取り直し、小平を、いざりながら追い回す。このとき、一ツ鐘の音、せめ念仏になり、小平、よきところにすっくと立ち
小平
あなたさまの願いを叶えんと、苦しい悲しい恐ろしい、言うに言われぬ苦労をして、やっと手に入れたこの薬。それにて全快なされた上で、どうぞ首尾よく本望の、門出あるよう、旦那さま
叉之
なにを、おのれの知ったことか。覚悟なせ
ト書き すりよって激しく切る。これにて、大ドロドロになり、小平、柱の中へ消えたとたん、叉之丞、卒塔婆をはすに、すっぱりと切る。ドロドロ、寝鳥笛やむ。やはり一ツ鐘、せめ念仏の音。叉之丞、ぎょっとして
 
ヤヤ、小平を手打ちと思ったのに、姿は消えてこの卒塔婆。ムム、俗名小仏小平。ヤヤ、こりゃア、どういうことじゃ
ト書き 驚く。バタバタになり、向こうよりお花が、白木の位牌を抱え、いっさんに走り出れ来て、門口へつまずいて駆け込む
お花
ご舅さま、モシ、孫兵衛さま、こりゃ、マア、どうしよう、どうしようぞいなア、どうしようぞいなア
ト書き うろうろして泣く。奥より孫兵衛、松虫の鐘と、撞木を持ち、よろめいて出て来て
孫兵
オオ、悲しかろう、もっともじゃ、もっともじゃ。俺は、間や隙を見つけては仏壇の前で、この鐘、撞木を頼りにしてきた。いっそ泣き死にして死にたいにも、自分の命は自由にならず、よくよく業つくばりの親父が身の上。嫁よ、推量してくれ
お花
おまえさまがさっき、帰りには、お寺へ寄って来るようにと、言わしゃんしたゆえ何気なく、法乗院さまへ行って、おやじさまがお願いしていた品を、と言ったらば、住職さまが手づから、くだしゃんした白木の位牌。不思議なことと手に取って見れば、コレ、俗名小平。施主は親ごのおまえさまの名。びっくりするどころか、わたしゃ、モウ、その場ですぐに、死にとうござりましたわいナ
ト書き 泣く。叉之丞、しぐさあって
叉之
では、倅の小平がこの世を去ってその魂、拙者の難病を救わんと、寒さを防ぐ着物まで、良薬までも、神通力にて、手に入れて我に与えたのみならず、切腹までも留めしは、死んでも尽きぬ忠義の心底、忘れはおかぬ、かたじけない。そうとは知らず、我に悪名を負わせし小平、憎さも憎しと追い詰めて、手討ちにしてくれると思ったが、姿は幻に消え失せて、はすに切ったのはこの卒塔婆
お花
そんなら、うちの人、小平どのは、ありし姿を現して、今までここにいやしゃんしたか。妻のわたしや子の次郎吉に、なぜ逢ってはくださんせぬ。わしゃ、逢いたい、切ないわいなア
ト書き しゃくり上げて泣く
孫兵
オオ、もっともじゃ、もっとじゃが、コレ、嫁よ、位牌になったのを見たそちより、外ならぬ倅が浮き死骸、隠亡堀で見付けたときの悲しさは、これ、どれだけであろうと思う。その上、何者の仕業やら、むごたらしい、目も当てられぬような殺し方。涙のありたけ泣いたうえ、法乗院さまへお願い申し、葬ったのは今日の夕方。嫁や孫に知らさぬのは、ちょっとでも遅く泣かそうがため。このおやじの心一つに収めた胸の内、嫁、若旦那さま、ご推量なされてくださりませ
ト書き 泣き伏す。叉之丞、思い入れあって
叉之
聞けば聞くほど不憫なのは、小平の成り行き。それにしても、元より正直正路な生まれ。非道を働く者ではない。殺したやつは何者か
ト書き キッと思い入れ。また、あつらえの合方、寝鳥笛、薄ドロドロになり、人魂が燃え、奥より次郎吉が走り出て、すっくと立って
次郎
わしを殺したのは、民谷伊右衛門
お花
ヤヤ、では、うちの人が幼子の
孫兵
体を借りてもの言うのか
叉之
その民谷伊右衛門こそ、不義士の唯一、進藤の倅で、親にも勝るよこしま者
お花
そんなら、仇は民谷伊右衛門
ト書き キッとなる
次郎
イヤイヤ、悪人なれども、いったん主人と頼みし民谷どの。仇と思うのは道ではない。この上は若旦那さま。すこしでも早くその薬を
叉之
心づくしのこの良薬。いかにも服せしその上にて、この一件を大星どのへ、陳述すれば、わが悪名も晴れし上にて討ち入りのお供できることは必定。気遣いいたすな忠義の小平。今ぞ良薬服用なさん
ト書き 孫兵衛、急いで水をくんできて、叉之丞、紙包みの薬を飲む
次郎
嬉しや、それにて、未来の本望を遂げて成仏
ト書き ドロドロ激しく、叉之丞、放心する。次郎吉、倒れる。鳴り物を打ち上げて、人魂が消える。よき時に、下座より庄七が伺い出て、このとき、家へ走って入る
庄七
さては鹽冶の浪人者、師直さまへ
ト書き 叉之丞へ取ってかかる。叉之丞、すっくと立ち上がり、庄七をねじ上げる。皆々これを見て
孫兵
ヤヤ、あなたさまは足が
叉之
まことに。さては難病、全快したか
お花
草葉の影にて、うちの人
孫兵
さぞ喜んで
叉之
エエ、かたじけない
庄七
なにを
ト書き 取ってかかるのを、つき回して、一刀のもとに切る
お熊
ヤヤ、人殺し!
ト書き 声を立てるのを、孫兵衛、ひっ捕らえ
孫兵
エエイ、この魔王めが
ト書き 孫兵衛、お熊の手を後ろへねじって畳に押し付ける。叉之丞、刀の血をぬぐう。お花、右に位牌、左に子を抱き、泣き落とす。この見得でよろしく、時の鐘の送りにて、この道具回る
 

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