序幕-3 浅草裏田んぼの場

ト書き 本舞台。正面は一面、栗丸太の垣根、土手板。上手には稲束がかけてあり、石地蔵があり、すべて浅草の裏田んぼ付近の大道具。ここに、づぶ六、目太八、うんてつ、以前の非人のなりでいて、庄三郎も同じくこもかぶりにて、皆々、貧乏徳利で酒を飲んでいる。禅の勤めにて幕が開く
うん
今日のような仕事が、毎日あればいいな
目太
そうよ、一人前に二朱が一つづつの儲けだ
庄三
いい仕事をしたな。おいらに知らない間に
づぶ
それだから、こんなにおごるのさ
泥太
てめえが仲間入りしたときも、やっぱりこんなにおごったぜ
づぶ
これを見ろ。これが二升めの酒だ。素人でもこんなにおごる者はあるめえ
うん
なに、あるものか。昔の紀文大臣でも、おいらにゃァかなわねえ。肴を見ろや
泥太
なんだ、鯛だな
うん
身ばっかりの鯛なぞ野暮ってもんだ、こちとらあら煮だワ
目太
そうだ、しかしすげえあら煮だな。あんまり丁寧に、身を取ってしまったな
づぶ
その代わり、どんないい女がしゃぶった骨かもしれねえ
庄三
そりゃァ、おおかた、富士家のお余りだろう。さっき見ていたら、鼻の欠けた、瘡蓋かきがしゃぶっていたっけ
づぶ
エエイ、汚ねえことを言う。おらァ虫が悪いから、汚ねえことを言うと、すぐに胸が悪くなる
うん
てめえのざまをみろ。そのなりが、きれいってなりか
づぶ
それでもおらァきれい好きだ。けっして捨ててあるこもは着たことがねえ。仕付けのかかった、新しいこもばかりだ
目太
こもに仕付けが、かかっているものか
泥太
体の方に仕付けがある、というんだろ
庄三
こいつは、ちげえねえ、大笑いだ
皆々
ハハハハハ
づぶ
大笑いか中笑いか知らねえが、なぜみんな俺を馬鹿にして笑う。コレ、言いたかないがナ、この仲間うちじゃあ、俺が一番古いワ。生まれながらの宿無しだ。はばかりながら、田んぼのづぶ六さまと言っちゃァ、人に知られた宿無し様だ。一緒くたにするな
皆々
そりゃ、づぶが怒った、怒った
づぶ
なんだ、こいつらは
ト書き 無性に腹を立てる
うん
ヤァ、小屋の始めのひと踊り。づぶ六踊りが所望じゃが、がってんか?
皆々
おうおう、がってんだ
ト書き 皆々、づぶ六の手を持って、踊りながら下座へ入る
─── ◆ ───
庄三
ハテ、騒々しいやつらだ
ト書き あたりを見て
 
今日の昼間、浅草観音にて、取り落とした回文状、その時に来合わせた与茂七どの、なんとか安否が聞きたいものだが
ト書き 時の鐘、合方になり、向こうから与茂七が、以前のぶら提灯を下げて出て来て
与茂
庄三郎がいるところは、たしかここら
ト書き 探す。庄三郎、目をこらして見て
庄三
そういう声は与茂七どのか
与茂
庄三郎どの。コレサ、気を付けなされい。いかに若いといいながら、さきほどのように考えもなく、高野家の侍に身の上を気付かれるようなこと。拙者が参り合わせたから良かったものの、これからは、重ねて気を付けなされるがようござるぞ
庄三
ご親切なご忠告、かたじけのうござる。しかしうっぷんを抑え切れず、思わず知らずあのように
与茂
それももっとも。ご主人のご無念のこと、明けても暮れても忘れ得ぬわれわれなれば、かかる姿もみな忠義のため
庄三
それにつけてもあの際に、取り落とした義士の回文状は
与茂
その回文状は拙者が持っておる。これからすぐに拙者は、鎌倉表へ立ち越え、そのあと山科へ通達して、この回文状を持って、めいめいが出立の支度を整えること知らせる
庄三
鎌倉へお出でであれば、そこは敵地の近辺。身の上を悟られぬよう、拙者の姿になられよ
与茂
なるほど、非人の姿に。では、貴殿は江戸に徘徊する仲間の者へ
庄三
さきほど聞いた屋敷替えの件、花水橋の向こう、葛飾郡へ引っ越すということ。この旨、皆々に知らして回るでござろう
与茂
しからば姿を取り替えて
ト書き 与茂七、手早く衣類を脱ぎ、庄三郎のぼろ衣装に着かえ、庄三郎もおなじく、与茂七の衣装を着て
庄三
この提灯は
与茂
非人に提灯は要らぬもの。これも貴殿が
庄三
しからば与茂七どの
与茂
後日お目にかかりましょう
庄三
くれぐれも、ご無事で
与茂
お別れ申す
ト書き 与茂七、こもをかぶり、よろしく向こうへ入る。庄三郎しぐさあって
庄三
これにてまずは一安心。しかし、急に変わったこの姿、仲間の乞食どもが見つけたら、また面倒なことに。少しでも早く今のうち、そうじゃそうじゃ
ト書き よろしくうなずいて向こうへ入る。
─── ◆ ───
ト書き すぐに向こうより左門が出てきて、以前のなりで、足早に出て来る。あとから伊右衛門が出て来て
伊右
アイヤ、左門どの、お待ちなされい。しつこく申すようでござるが、お岩も身ごもってまでいることですので、ご勘弁なされて、どうぞお岩をこちらにお返しなさって下さいませ
ト書き 左門、振り返り、伊右衛門を見て、知らん顔をしてまた行こうとする
 
待たっしゃい。一言の挨拶もなく、はなはだ無礼でござろうぞ
左門
無礼ということ、よく知っていなさるな。拙者がものを言わぬのは、いったん娘をやったよしみから。親の気に入らぬ婿ゆえに、取り返したあのお岩。何回言われても返すことはならんと言うより外はない。それゆえ無駄にものは申さぬ。おぬしも若い者らしくもなく、思い切りの悪い。女日照りじゃあるまいし、しつこく言わずに、お岩のことは思い切ったらよいわさ
伊右
では、どのように申しても
左門
君子に二言なしさ
伊右
貴様が君子か。ハハハハハ。君子は罪を憎んで人を憎まず。もしかりに拙者に不始末なことがござろうとも、そこは親しい間柄。若者相手ゆえ、親身に意見を言って下さってもよさそうなものを。僅かなことを言い立てて、娘を引き上げ、生活の苦しさゆえに、遊女か売女にでも売るつもりか。たいがいそんなところでござろう
左門
ハハハハハ、なるほど。おのれの心に引き比べ、大事な娘を添わしておいたら、おのれこそ、夜鷹にでも売ってしまうであろう。それでは不憫。そして二つ目には、盗人根性のある者を親戚にするのはこの身の汚れ
伊右
なんと
左門
言えば言うほどおぬしの身の破滅。年寄りは悪いことは言わぬものじゃ、あきらめてしまわれ
伊右
イヤ、あきらめぬ。いったん武士が言い出したこと、刀にかけても
左門
刀にかけてどうする
伊右
さきほどといい、今といい、あくまで拙者を侮蔑する老いぼれめ。女房の縁につながりあればこそ、舅扱いもしたが、もうこれまで。娘を返さぬからには他人の左門。討ち果たすのが武士の意地
左門
歳は取っても四谷左門、何をやすやすおぬしが刀に
伊右
その舌の根を止めてやるワ
ト書き 刀を抜いて切りかかる。左門も刀を抜き合わせる。立ち回るうちに、左門が手ひどく切りつけるので、伊右衛門それを受けかねて、石地蔵の後ろへ回る。左門、及び腰に切ろうとする。伊右衛門、石地蔵を突き倒す。この地蔵が、左門のすねに当たり、どうと座してしまう。そこを伊右衛門、すかさず、左門を一刀に切ること、よろしく立ち回って、両人、見得。ここで、大道具をぶん回す。
─── ◆ ───
ト書き 本舞台。正面は一面の槙垣。上手に、富士権現の賽銭箱。すべてこれ裏田んぼの大道具。ここに直助、頬かむりして、与茂七の衣装を着ている庄三郎を、出刃包丁で刺し殺している。時の鐘にて、道具が回って止まる。ちょっと立ち回って
直助
恋がたきの佐藤与茂七、こよいの恨みを思い知ったか
ト書き とどめを刺し
 
後日に見とがめられぬように、面の皮を
ト書き 手に持った出刃で、面の皮をくるくるめくり
 
刃物があってはまずい
ト書き 思い入れあって、垣根のきわへ刃物を隠す。ばたばたにて、後ろより、血で真っ赤に染まった左門が出て来る。あとから伊右衛門、抜き刀にて出て、ちょっと立ち回りあって、左門を切り倒し、とどめを刺し
伊右
強情なことをぬかした老いぼれめ、刀の錆に消えたは自業自得。ハテ、いいざまだワ
ト書き 直助、そばへ寄り、目をこらして見て
直助
その声は、たしか民谷の
ト書き 伊右衛門も同じく目をこらして
伊右
奥田のしもべの直助か。どうしてここに
直助
恋の恨みある佐藤与茂七。とうとうここで
伊右
女房の親の四谷左門。お岩を返さぬその上に、俺が国もとで盗んだご用金に気付いた老いぼれ。後日のさまたげになるゆえに、ともかくも
直助
ちょうど揃った人殺し。ちょっとその場逃れに、人に知れぬよう、面の皮までめくっておけば、当分は気休めになるぞよ
伊右
なるほど。それなら拙者も
ト書き 刀で左門の顔を切ろうとする。向こうから、バタバタと人の音がするので、伊右衛門と直助、ちょっと後ろへ隠れる。時の鐘、合方になり、花道より、お岩が手拭いをかぶり、安下駄、糸立を抱えて、出てきて、思い入れあって
お岩
もうよほど夜も更けたのに、これはまァ、ととさんは、なにをして帰りが遅いことやら。歳も歳だし、宵からの胸騒ぎ。急に心配になったゆえ、お迎えに出てみたが、どこにお出でなさんすことやら
ト書き このような事を言いながら、本舞台へ来る。下座よりお袖が、以前のなりにて、小提灯を持って、走り出てきて、思わずお岩にぶつかって
お袖
ハイハイ、ごめんなさって下さいませ。気の急く者でございます
ト書き お岩、お袖を見て
お岩
ヤ、そなたは妹
お袖
オオ、姉さんかいなァ
ト書き お岩のなりを見て
 
おまえまァ、変わったなりをしていなさんすナ。特に夜も更けたのに、ただの身でもないのに、冷えては悪いじゃござんせんか。それに、なんぼ別れているといっても、夫のある身で、おまえはいやしい辻君の
お岩
アア、これ。なるほど、朝夕貧しい暮らしをするゆえ、そのように思うのももっとも。また、わしがこのようなものを抱えているゆえ、なおさらそう見えるはずじゃが、さっき家を出る時、少し雨がばらついたゆえ、から傘は無し、それでこれを。マアマア、わしよりはそなたの身の上。お屋敷にいる時分、与茂七という許嫁がありながら、このごろ聞けば、変な勤めなどに出てるらしいの
お袖
エ?
お岩
なんぼ貧しい暮らしをしていても、武士の娘が、こともあろうに。とサア、表向きでは言わねばならぬが、それを言えないわしが身も、本当はそなたの推量どおり、いやしい辻君を勤めるのも、年老いたととさんが、貧苦の上にわしらに気兼ね、現に、娘の姉妹に隠して毎日浅草の、観音様の境内へ出て、一銭、二銭の物乞いをなさるとやら。お止め申したくとも、隠してお出でなされるところへ、そのような事を言ったら、面目ないと言って、もしひょっとして・・ ほんに日ごろのご気性ゆえ。そこでわしが思うには、家のことさえ相応に困らなくなったらならおのずから、ととさんの苦労も終わるであろうと、思い付いてはじめた辻君も、肌は触れねど訳を言って、やっぱり物乞い同然の、今の世渡り
お袖
私も同じその心で、ととさんにもおまえにも、隠してこのごろ一、二度は、恥ずかしい勤めに出ますけれど、それがもっけの幸いやら、今日、許嫁の与茂七さんに、不思議にお目にかかって、いろいろ話のその上にて、またどこやらへゆかしゃんしたゆえ、そのあとを追ってここまで来る道すがら、何やらしきりに胸騒ぎが
お岩
エエ? そういわれれば私も、ととさんの帰りが遅いゆえ、特にやっぱり胸騒ぎ。何か凶事がなければよいが
ト書き お袖、あたりを見て
お袖
エエ、もう、気がかかっているところに、それそれ姉さん、おまえのそばへも、血がこぼれているわいな
ト書き 提灯を差し出す
お岩
エエ、気味の悪い。おお、たいそうな血糊じゃわいなァ
ト書き あたりを見るうち、お岩は左門の死骸、お袖は庄三郎の死骸を見つける
 
やァ、そりゃこそ、ととさん
お袖
ヤヤ、覚えのあるおめしもの、目印の提灯。与茂七さんもここで
両人
これはまあ、どうしよう、どうしよう
ト書き 両人よろしく泣き崩れる。このとき、直助、伊右衛門がそっと抜き足にて、花道の方へ行き、そこで姉妹の様子を伺っている。お岩、左門の死骸を抱き起し
お岩
モシ、ととさん、ナアナア。気をたしかにもってくださんせ。かたきは何ものでござんす。コレ、ナア、しゃべって言って下さんせいなァ
お袖
ほんにまァ、ととさんといい、夫まで、同じここであえないご最後
お岩
時がたってしまったかもう死にきって、今わのきわの一言さえ、叶わぬことがあさましい
お袖
ほんにはかない
両人
別れじゃわいなァ
ト書き 直助、伊右衛門、バタバタと足音をさせて駆けてきて
伊右
夜分に何やら女の泣き声。ヤア、おまえは、女房のお岩ではないか
お岩
ヤア、おまえは伊右衛門どの。ととさんが殺されていますわいな
伊右
ヤヤ、これは舅どの。ナ、何者が。今一足早ければ、何をおめおめ討たせまいものを。エエ、残念千万な
直助
こちらにいるのはお袖さんか。ヤアヤアヤアヤア、これはさきほど見覚えある、提灯といい、さては与茂七どの
お袖
ととさんと同じところでこのように
直助
オオ、これは大変、大変
伊右
それでは、お岩の妹の許嫁、佐藤与茂七もここで。察するところ、舅の身の上が危ういところに駆けつけて、助太刀せんと思いし与茂七、かえって共に討たれたに違いあるまい。そうならば討った曲者は、よほどの手練れとみゆるわ
ト書き 直助、思い入れあって
直助
そうだ、南無阿弥陀仏
ト書き 伊右衛門の脇差で、腹を切ろうとする。伊右衛門、よろしくこれを止めて
伊右
ヤア、そちは奥田の下部、直助。なぜ切腹を
直助
サア、腹を切らねばならぬ、この身の言い訳。身分も低い奉公人などは心も悪く、現在のご家中の娘さん、これなるお袖さまに横恋慕。許嫁の与茂七さまのあることまで、知っていながら、札びら切って、このお方を無理に口説いたばちが当たり、こよいは思わぬ恥をかいた。二こと三こと言い合った、あげくに切られた与茂七さま。わしに疑いがかかって当然。わしも宵には与茂七さまを恨んでみたが、よくよく思えば、忠義いちずに突き進み、二君に仕えず、貧しい浪人をしてござる皆々さまの事情につけ込んで、色にしようのなんのと、思えばもったいない。以前のわが非を悔いてせめてもの、その言い訳に来てみたこの場、思いがけない横死の様子、これだによって死んでこの身の
伊右
なるほど、そう聞いてはそちが身に、疑いがかかると思うのももっとも。また、疑わないものでもないが。その方は刃物もたいしたものを持たず、舅といい与茂七どのといい、二人の死骸。中間小者のその方の手で、みすみす討たれるような人たちでもない。そこを思えばその方の仕業ではないこと明白なれど、そのように本心に返り、以前の非を悔い、言い訳いたす所存なら、与茂七を討ったそのかたきを、探し出してあのお袖に討たしてやるのが、その方の潔白の証
直助
それは下郎の願うところ。この身の潔白。二つには、お袖さまへ今までも、無理に言い寄ったことへの言い訳、この身を粉に砕いても、かたきの助太刀をいたす所存
お岩
辛い貧苦のそのうちに、言いに言われぬ工面をして日々を送るのも、ととさんを少しでも楽にさせたいと思うたがこそ。そのととさんにあえなく別れ。これから、なにを楽しみに世の中に、生きていられるものぞいなァ
お袖
そうでござんす。姉妹が互いに隠しあい、辛い、苦しい、恥ずかしい、苦労をしたものの、みな無駄なこと。とりわけ恋しい与茂七さんに、逢えて嬉しいと思う間もなく、泣き別れとは情けない。いっそ会わぬその前に、死んだと聞いたらあきらめられよう。夢のようにはかない夫婦の縁
お岩
親の死骸のこの場にて
お袖
夫とともに親子四人
お岩
あの世へ一つ所へ
お袖
そうじゃ
ト書き 死骸が持っている刃物にて、自害しようとする。伊右衛門、直助、よろしくこれを止めて
伊右
コリャ、うろたえ者め。いま姉妹が自害しては、親と夫のかたきは誰が討つ
両人
エエ?
伊右
妹お袖は親と夫を、一度に失くしたその悲しみ。死のうというはもっともなれど、姉のお岩は現在の夫を捨てて死に果てれば、孝は立っても、操が立つまい
お岩
でも、別れている夫婦仲、今さらどうにも
伊右
サア、飽きも飽かれもしない仲にて、特に懐妊。子まで宿した女房をどうして拙者が見捨てるものか。舅の心にかなわなかったゆえ、まず、逆らわずに戻したが、死なれてみればさしあたって、離縁状を取ってはおらぬ女房の親。このまま捨て置くわけにはいかず、拙者がためにも舅のかたきを
お岩
そんならこれから伊右衛門どの、頼りになって、親のかたきを
伊右
知れたこと。女房の親は、拙者の親さ
お岩
なるほど。相談の上で別れたとはいうものの、離縁状を取らねばやっぱり女房
伊右
親のかたきは拙者が討つ。気づかいせずとこれからは一緒に
お袖
飽かれぬ仲ゆえに元のところへ、お帰りなされてととさんの、かたきの助太刀。力となってやろうとは、お羨ましいお二人
直助
ハテサ、今もわしが申した通り、与茂七さまを討ったかたき、見つけ出してお前に討たせねば、この身の潔白が済みませぬ。どうぞそれまでお前の命、わしに預けて下さりませ
お袖
それじゃと言ってこんなにまで、愛想を尽かしたおまえさんを
直助
サア、そこが以前の非を悔いた直助。心を入れ替えるからは、ぜひともお前のお力に
伊右
直助が申す通り、とかく悲しい辛抱も、つまるところは夫のため。首尾よくかたきを討つまでは、その直助と仮りの夫婦に
お袖
エエ?
伊右
サア、それがすなわち世を忍ぶ、世間の思惑。かたきに油断させる手立てじゃ
お袖
でも、直助どのと、かりそめにも夫婦と呼んでは、あの世で夫へ操が立ちません
直助
立たぬも道理。しかしながら、夫婦というのは世間の手前ばかり、夜は別々の寝床で離れて寝ることが、わしの潔白
お袖
それでもやはり夫に操が
お岩
アイヤ、妹。うわべばかりの夫婦になりなさいな。それは、この姉が願って、結んで欲しい縁組。直助どのとやらの、さっきの言葉が嘘か誠か、そばにいて、とっくりとその心を明らかにしたならば、かたきはひょっとして・・ イヤ、マア、ちょっと、かたきが分かる手がかりが、ないこともないだろうし、姉の言葉に従って、仮りの夫婦にナァ、それ、なったがよかろう
ト書き 納得させる
お袖
なるほど、言われてみれば、私もどうやら
ト書き 直助に目を付ける
直助
エエ?
お袖
うわべばかりの、そんなら夫婦に
伊右
これで互いに
お岩
力と頼り
お袖
とはいうものの、これがマァ
お岩
あきらめかねるのが女気の
伊右
それももっとも
直助
しかし、いつまで言ったとて
伊右
尽きぬ名残と
お岩
尽きせぬ縁
お袖
男女同衾にひきかえて
お岩
心はつるぎ刃
直助
やがて本望を遂げよう
ト書き にったりと笑って思い入れ。このとき、以前の非人、目太八、泥太、伺い出て
泥太
人殺し!
目太
さてはうぬらは
ト書き 直助と伊右衛門へ飛び掛かるところを、伊右衛門、抜き打ちに目太八を切る。直助は泥太の腕をねじ上げ
伊右
かたき討ちと婚礼の、門出の血祭り
直助
かりそめながら、祝言の
伊右
これがすなわち、お色直し
お袖
涙のさかずき
お岩
三三九度
お袖
繰り言ながら
ト書き 死骸へ思い入れ
伊右、直助
どうやらこうやら
ト書き 両人、顔を見合わせて、舌を出す。お岩とお袖はまた、死骸に取りつく
お袖
思えばはかない
ト書き 直助、伊右衛門は、泥太と目太八を見事に投げる。お岩とお袖は手を合わせ、拝む。双方よろしく、木のかしら
 
ハァァ
ト書き 泣き落とす。伊右衛門、直助、指先で、よいよいよいよい、としめる思い入れ。これを刻みにして
 
ひょうし幕
 

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