中華料理を始めたとき

中華料理に興味を持ち、作り始めたのはもう二十年ほど前、まだ学生のころだった。それまで料理をまともに作ったことがなかったので、僕の場合は、中華料理を始めることすなわち料理を始めることと同じ、つまり料理本などを見ながら中華料理を作ってはいるが、そもそも料理の基礎がまるでできていなかった。したがって、料理の基礎は中華料理を作りながら徐々に覚えていった。

初めて作ったのは、たしかチンジャオロース、すなわち豚肉細切りとピーマンの炒めものだったような気がする。テキストは、今日の料理の「陳建民の炒めもの特集」であった。あそこで紹介されていた作り方は、まさにプロの作り方そのもので、考えてみると、家庭向けの番組であそこまで手加減なしというのも面白い。ここ最近の、プロが書いた家庭料理本の、素人への過剰とも思える心遣いとえらい違いである。

料理の基礎もできていない僕が、いきなりプロの中華料理の作り方通りに作ってうまく行くはずもない。たしかに何かしら、家庭料理らしからぬ風の料理ができたが、まさに悪戦苦闘とはあのことであろう。だいたい、油通しなどという大変な作業がいきなりうまくできるはずもない。当時は、お袋が使っていた手入れの悪いアルミの中華鍋を使ったのだが、鍋肌いっぱいに肉はこびりつくは、油はそこらじゅうにこぼれるは、とたいへんな状態だった。

とにもかくにも、これが始まりだった。それ以来、よく飽きもせずに、作ってきたものである。教えてくれる先生もいなかったので、まさにすべて独学だった。料理の本から得た知識、調理場が見える店での観察、あとはひたすら試行錯誤で覚えていった。今思えば、誰かちゃんとしたアドバイスをしてくれる人さえいれば、もっとずっと早く、うまく作れるようになったはずである。結局、僕はまともに作れるようになるまで十年以上かかってしまった。

なぜ中華料理に惹かれたのだろう

中華料理が趣味だ、しかももう二十年以上続けていて、時々お客さんの前で金をとって出張料理人もやるのだ、と本格的なことを言うと、まずたいてい聞かれることが、中華料理を始めたきっかけはなんですか、ということである。この問い、わりと答えに困ってしまう。というのも、別にそんなに劇的でカッコイイことがあったから始めたわけでもないからである。

思うに、始めた動機より、継続の中でした経験の積み重ねと、その面白さが、当の趣味を継続させたということで、これはどんなことでもそうなのではないか。そのはじめのきっかけより、のめり込むに至った、何かの感覚があった、そのことの方が大事なのだろう。

もう二十年以上前の出来事で、あまり覚えていないのだが、たしか、家元に住んではいたが、やたらと、その辺の定食屋、そば屋、ラーメン屋で外食するようになった年頃で、そんなときラーメン屋で食った野菜炒めライスが美味くて、これが家で作れないかな、と思ったのが始まりではなかったか。

自分で作り方のあたりをつけて作ってみた覚えがある。もやし、にら、豚肉などをそろえて油炒めして、ウスターソースを入れて味つけした。というのは店で食ったのが黒かったからである。ソースかショウユか迷ったが、何かショウユであの味がでるような気がしなかったのである。そこでソース、結果は見事に失敗した。もちろん当時お袋も野菜炒めを作っていたが、塩、コショウ、味の素だけで、あまりうまくなかったし、店のと当然まるで違っていた。

さて、初めて自分で野菜炒めを作って失敗した僕は、作り方がどこかにないか探しにかかった。別に特段の情熱があったわけではない。そこで駅ビルの本屋かなにかをぶらついたわけである。今では本屋はレシピー本であふれかえっているが、当時は料理本など実にマイナーな扱いであった。料理本のコーナーへ行くと、それでも幾冊かの料理本が並んでいる。
そのとき僕が手にとったのが、実はプロの調理書で、それが陳建民著の中国料理技術入門であった。立ち読みして、きっと何かに僕は惹かれたのだろう。僕の古い心象風景では、この本との出会いが、中国料理を始めたきっかけ、ということになっている。しかし、本当にそうか、実は今ではもうわからなくなっている。この本との出会いを美しく脚色して、僕と中華料理の馴れ初めをかっこよく語る、ということを時々しているが、真実は違っていたような気がする。

とにかく、そのときは野菜炒めの作り方が知りたかった。中国料理技術入門にはそんな料理の作り方は載っていないし、第一、作り方というよりは詳細な解説という感じで、いかにも難しい。そこで、雑誌コーナーに行って買ったのが、これまた偶然に、同じ料理人、陳建民の出ている今日の料理の炒めもの特集だった。ここにも野菜炒めは載っていなかったが、それでも炒めものであることは確かなので、買って帰ったのだと思う。そして家に帰って、お袋に相談しながら、調理器具、材料など集めてもらって作ってみたのが前記チンジャオロースだったということだ。

前に書いたように、初めての挑戦の結果は悲惨だったが、きっと、何か中華料理を作るということがとても気に入ったのだと思う。それ以来、何度もチャレンジすることが始まり、まさに趣味、という感じになったのだと思う。

油通しについて

中華料理を始めたばかりのころの僕の憧れは、油通しだった。真っ黒い無骨な中華鍋に、黄金色の油をたっぷり注ぎ、そこに材料を入れ、ゆっくりかき混ぜてゆくうちに、泡だって、材料がほぐれてゆく様が、なぜかどうしようもなく僕の心をひきつけたのであった。今思うとなぜあれほど油通しを魅力的に感じたのかよくわからないのだが、誇張でなく、当時の僕は油通しに夢中であった。

中国料理技術入門に載っていた、油通ししているところの白黒写真にずいぶんと引かれたものである。それは、薄切りにした豚のレバーを油に通している写真である。油のなかに入れるときのレバーのあのぐにゃぐにゃして不定形で、ぬるぬるして気色悪い様子、それが杓子で油をゆっくりとかき混ぜて加熱するうちに、一枚一枚が見事に開いて、まるで花びらが開くようにほぐれて行く様子は、まるで、油の中から蝶が飛び立って行くようにも感じられたのである。

こうして今書いてみると、ちょっとエロチックなにおいがするのが不思議だ。まあ、あれほど感覚的に夢中だったというのは、何かしら、そうした欲求とどこかでつながっていたのかもしれない

さて、当時の悩みはとにかく、いかにして鍋底にこびりつかず、そして材料同士がくっつき合わず油通しできるか、であった。片栗粉を混ぜ込んで下味をつけた肉は、とにかくすぐにくっついてしまうのである。最初にやったときはアルミ鍋だったので、それが悪いのだろう、と思い、鉄製の中華鍋を買ってきた。しかしそれでも事態はあまりよくならなかった

そうこうしているうちに、油の温度が重要であることがわかってきた。料理の本を見ると、油通しのときの油の温度が書かれているが、これがまたまちまちで、100度から160度あたりまで幅があり、どれがいいかわからない。160度になるともう揚げ油の温度に近くなっている。結局、試行錯誤の後、材料を入れたときはかなり低温で、泡が立たない100度以下で、強火のまま火を通していけばよいということになった。どの本にも出ている、鍋ならしは当然重要である。鍋を十分カラ焼きし、油を杓子2杯ほど入れて鍋肌になじませて油を空け、ふたたび必要な油を注ぎ込む。

あるときテレビにプロの中国料理人が出ていて、油通しを実際に解説していた。その料理人は横浜中華街の重慶飯店の調理長であった。彼いわく、材料を入れたらすぐにかき混ぜず、杓子を使って材料を上からゆっくり切りくずすようにするのだそうである。実際にこれを真似してみたら、比較的うまく行くようになった。結局、教訓はあせらずにゆっくり動かす、ということであろう。

炒めもの一皿分の材料を油の中に入れると最終的にかなりの量になる。はじめに肉類を油に通し、その後、野菜類を入れるわけだが、家庭の火力では、野菜を入れたとたんに温度が下がり、なかなか油温が上がって来ず、結局、なんとなく油でべたっとした感じになってしまう。そこで、肉類に火を通したら、杓子ですべてすくいだしてしまい、そのまま火にかけて温度を上げ、そこに野菜を投入するようにしてみたところ、これはうまく行った。

さて、あれほど油通しに執着していた僕も、最近はめっきりで、油を大量に使うのが厄介で、油通しを使わずにできる料理ばかり作るようになった、変われば変わるものである。

チャーハン

僕が中華料理を始めるきっかけになったのは、ラーメン屋のただの野菜炒めライスを作りたかったからだと書いた。となると当然、他の料理もやってみたくなるわけで、そのひとつはチャーハンであった。まだ学生だったころ、まわりの友達にも、どうやったらお店のようなチャーハンができるのか、追求しているやつもいた。たぶん、いまだにそういう人は多いのではないか

チャーハンでは、どうやったらご飯が固まらずにぱらぱらにできるか、ということが問題になるが、確かにこれは難しい。チャーハン用に少なめに水加減したご飯を炊き、さらにふたを開けて水分を飛ばした後、サラダ油を混ぜ込んで、それをさらに冷蔵庫に一晩置いて使う、などと実にマニアっぽく言われることがあるが、いかにも面倒くさいし、そこまですることもなかろう、という気がしていた。結局のところ今では、普通に水加減した炊きたてのご飯で十分うまくできる。

僕のマニアックぶりというのは、あるところまでで、徹底しない。逆にそれが良かったと思うことがよくある。つまり、なるべく調理をシンプルにしようとする努力に変わっていったからである。調理というのは、複雑にしようと思えば、いくらでも複雑にできるものだし、それに応じた結果もそれなりに出るものである。しかし、まず面倒臭いし、それに、複雑に作った料理には、どうしてもすっきりしたうまさというものに欠けてしまう気がするのだがいかがだろう。

ひところ、日本の米は食わず、香港で定期的に買ってくるタイの香り米のみを食っていたことがあり、この場合、チャーハンのご飯のぱらぱらの問題は自動的に解決する。タイ米は逆にどんなに頑張っても固まりはしないからである。それをずいぶん続けているうちに、再び日本米に戻ったのだが、なぜか日本米でもうまくできるようになっていた。思うに、そのとき僕は、チャーハンを作ってご飯がぱらぱらになるのは、あたり前で、自然なことだと思い込んでいたわけで、意外にそういう思い込みが大切なのである。自然に、あたかも日常的なことのように何気なくやってのける、ということが大切なのだと思う。これは当たり前なのだが、いくら気合を入れてもご飯はほぐれてくれない。

それから、ご飯をぱらぱらにしすぎるのも考えものである。香港は実にチャーハンがうまいが、タイ米で作っていても、できあがりはかなりしっとりした感じで、レンゲですくってもこぼれ落ちるようなことはない。日本米はもともとがしっとりしているので、固まらないていどにほぐれていれば、それで十分、やさしい感じのチャーハンに仕上がる

最後に白ネギの荒みじん切りを入れてかき混ぜて香りを出すことは、けっこう重要である。ネギというのは高温に熱せられると、独特の芳香が生まれるようである。ただこれも加熱し続けると香りが消えてしまう。香りがちょうど立ったところを見計らって皿に盛るようにすると良い。

味付けもずいぶんといろいろやってみたものである。当初は、塩、コショウ、化学調味料のほかに、仕上げにショウユ、酢、オイスターソース、ゴマ油を入れていたものである。味は複雑になり、確かにうまいにはうまいが、せっかくの素朴な感じがなくなってしまう。今では、仕上げは少量のショウユのみである。それから油にも凝った。豚の脂身を細かく刻み、最初にサラダ油でラードを炒りだして使う。これはたしかに、うまみと風味を格段に増してくれる。しかし実際は、もののいいチャーシューを使うことができれば、これも必要なかろう。最近では、ふつうにサラダ油だけで作っている

今思うのは、結局チャーハンは大衆料理、むずかしく考えずに自然に作り、他のおかずなどと一緒に出して、箸休めのような感じにあっさりと腹におさまるように出来ていればそれで良い。

開眼するについて

武術にしても、宗教にしても、芸術にしても、求めている道に開眼する、ということが起こることがあるようである。いかにも大げさな感じで、あまり外に向けて言いふらすのは感心しないのだが、僕の中華料理調理にも確かにそんなことが起こった。とは言え、これは実に些細なことであった。

当時、ゆで豚のソースかけに凝っていて、あれこれ試行錯誤を繰り返していた。この簡単な冷菜は、どんな本にも作り方が載っているので、いろいろ参考にしながら作っていた。それなりのものはできるのだが、何かが足りない、という感じなのである。そのころ僕は和えものが全般に苦手で、いくらいろいろなものを作っても何か物足りなさが残る。当時、僕はそれをタレのせいにし、本当に、まあ、いろいろなものを混入させてみたものである。

それはそれで、タレの味は複雑になり、おいしいと言われれば確かにおいしい、しかし、どうしても疑問が残るのである。食べ終わったあと、これはもっとおいしくできるはずだ、という感じが去って行かない。つまり、出来た料理はうまいにはうまいが、料理そのものがその味のうちに安らっていないというか、食べたあとに充実感が残らないのである。考えてみると、和えものに限らず、そのころ僕が作った料理はおしなべてそんな性質があった。作った料理が自立していないのである。

思えば、料理というのはそんなものではないだろうか。たとえば、ほうれん草をゆでてショウユをちょっとかけるだけで十分おいしく食べられることは誰でも知っている。ただ、これを手抜きと思うか、一皿の料理と考えるかによって感じ方は変わってしまう。だからそれを、人に、あるいは自分に勧めたとき、それが立派な料理に映っていれば良いのである。ほうれん草のショウユかけだって、最後まで本当においしく食べ、満足が得られ、欲求不満も残さないようにできるはずなのである。ここまで極端に書くと、ちょっと日本料理の理論のようになってしまい、うまくないが、これは実際すこぶる基本的なことであろう。

さて、初めて香港へ行ったときのこと、ホテルの隣にあった上海飯店という小さな大衆料理屋へ入った。そこで何皿かの料理とともにゆで豚を注文したのである。これがまた実にそっけないしろもので、あらかじめゆでてあった豚を薄切りにして皿に盛ってあり、小皿にタレがついていた。タレは、ほとんど生のショウユそのものの中に、ネギと生トウガラシの薄切りが入り、上から変哲ない油がかかっているだけであった。しかしこれが実に旨いのである。何の飾り気もない味なのだが、最後までおいしく食べ、実に満足した。

僕は、これを食いながら、結局、うーんとうなってしまった。そうか、これでいいのか、別に何のしかけもいらなかったのだ。これは、シンプルに作ればいい、という教訓ではなく、なんと言うか、料理ができあがっていればいいのである。そのころの僕の作る料理に欠けていたのは、その存在感のようなものだということに気づいたのである。

結局何が悪かったのかと言うと、まずタレにばかりこだわっていたことである。料理の初心者がよく犯すあやまち、すなわち調味料偏重の考え方に僕もなっていたというわけだ。和えものはタレだけで味が決まるのではなく、合える材料との相性が肝心である、とはどこにでも書いてある一般的な事柄だが、これは解釈が難しい。ここで言う相性とは、和えものは材料とタレを混ぜて作るのだ、ということがはっきりわかって作っているのか否か、ということであった。本当にわかっている人というのは、そのときの材料の火の通し方、調味料の選び方、味加減の仕方、タレの量、材料とタレの混ぜ方など、調理の全般に渡って均等に注意が行き届くのである。これは、すなわち調理全体のバランスを取るということで、作り方に簡単に書けることではなく、簡単にできることでもない。それにしても、これが料理の仕上がりに決定的な差をつけるのである。

たぶん、当時うまく作れなかったときの僕に、誰かが上記のような理屈を言ってきかせたとしても、僕は半信半疑のままだったと思う。いや、どこかに仕掛けがあるんじゃないか、と思うわけである。実は、そう思っているうちはうまくできない、ということに気づかないだけだったのだが。そこで、香港で食ったゆで豚が重要だったのである。こればっかりは、文句の言いようがない、食ってすぐわかったが仕掛けなどはありようがない、しかし旨いのだから。目からうろこが落ちるとは、まさにあのことだったのだと思う。

香港から帰ってきて、そんな風な気持ちで、あのゆで豚を真似て作ってみたら、とてもおいしいのができた、食って最後まで満足であった。それからのち、そのほかの料理についても、作り方を整理し、味にばかりこだわらないようにしていった。そうして僕の料理は、だんだん自分の味というものを持つようになって行き、今にいたるである。これが、きっと、開眼した、ということなのだろう。

火力について

家庭のガスコンロの火力では、本格的な中国料理を作るのは無理でしょう、とよく言われる。たしかに、中国料理は火の料理であり、じっさいすさまじいほどの火力を要するのは確かである。どこかの料理本に、とある中国料理店のオーナーの言が載っていて、そこで彼は、今までたくさんの日本人の中国料理調理人を見てきたが、結局、中国本土のあのすさまじい火力に耐えられるものは一人もいなかった、と語っていた。日本の中華料理屋、あるいはラーメン屋であっても、すでにかなりの火力なのであるが、中国に行って調理場など覗いてみると、たしかに迫力が違う。というか、火力もそうだが、音が違う。一瞬びびってしまうほどの轟音を立てて炎が上がっている。

中国料理店の調理場のガスバーナーの火力は、家庭の十倍から二十倍はあるようである。ひところ、自分の家のガス設備を改造して中華料理屋の火力にしてやれ、と思ったことがあり、東京ガスへ行って相談したことがあるが、聞いてみると無理ということはないらしい、結局やらなかったが。もうずいぶん前だが、家庭用ガスコンロにも火力の強いのが現れた。通常の倍ていどの火力だと思う。売り文句には、これで本格的な炒めものやチャーハンがご家庭でも作れます、とあったが、実際には火力だけがむやみに強くなったからといってうまくできるわけではない。とある家の主婦は、お湯が速く沸いて便利だから使ってるけど、料理するときは火力の弱いほうでやるのよ、などと言っていた。

僕が、まだうまく作れなかったころ、この火力についてもずいぶん責を負わせたものである。それでこそガスを改造しようとまで思ったのだから。しかしいまでは、むしろ家庭用としても弱いぐらいの火力で作っている。前にも書いたが、調理というのは始まってから終わるまでのバランスを取ることが最重要で、火力はその要素のひとつに過ぎない。弱いなら弱いなりの、強いなら強いなりのバランスが必要である。したがって、家庭とプロでそのバランスが異なって当然で、いきおい出来上がりの味が異なるのも致し方ない。それもあって、僕は自分の料理はあくまで中国家庭料理だ、と言っている。どんなにプロっぽいものを作っていても、家庭の二文字をはずすわけにいかないのである。なぜならまさに家庭で作っているからである。

ただし、確かに中国料理では、要所要所で火力を要する勘どころというものがあり、それは外せない。たとえば炒めもので、調味料を鍋に投入して味をつけるときは、鍋肌が十分熱くなっていないと、味のポイントがぼけてしまう。ずいぶん前、それで一計を案じたことがある。通常は、油通しをした材料を、再びすべて鍋に戻し、そこに合わせ調味料を入れるのだが、順序を逆にしてみた。すなわち、鍋肌を十分熱したところに先に調味料を入れ、高温で味を出し、そこに油通しの終わった材料を投入してかき混ぜるのである。この方法は、あまり本などに載っていないが、けっこう有効である、試してみると良い。もっとも、最近は、先に入れたり、後に入れたりまちまちである。鍋と材料の状態を見て判断できるようになったからである。

猛烈な火力の上で、中華鍋を豪快に鍋返しし、そこに轟々と炎がたつ、あの見慣れた中華料理の光景は、たしかにダイナミックで、かっこいい。しかし、あの光景の再現は家庭では無理である。そこで、せめても、とばかりに、やたらと鍋返しばかりやる、という風になってしまったこともある。あの鍋返しはできるようになるとなかなか楽しいもので、ついつい多用しがちだった。しかし、あれは、あの火力があって成り立つことで、弱い火力でこれをやりすぎると、材料が空中にいる時間の方が長く、鍋肌に当たらず、かえって逆効果なのである。加えて、せっかくのぶつ切りのネギがばらばらになったり、つまり、材料が壊れてしまい、仕上がりに影響する。

鍋に火を入れる、あのおなじみの光景も、どうやら味に影響するようである。中国で炒めものを注文すると、かなりの割合で、全体に炭焼きっぽい香りがついているが、あれは、鍋に入った火のせいである。広東料理の塩味の炒めものなどは、その香りを積極的に味付けに利用しているふしが感じられることもある。かたや、昔、とある台湾の料理人が、鍋に火を入れてはいけない、と言っているのを聞いたことがある、料理が焦げ臭くなるからだそうである。いずれにせよ、家庭で火を入れるのは無理な話である。第一、火事になりそうで危なくてしょうがない。

結局僕の結論は、火力は弱くても中国料理はできる、弱いなりの手順を踏めばいいのである。ただし、豪火のもとで作られるプロの中華料理の味そのままは無理だ、ということである。それから、猛烈な火力を活かして作る料理は主に炒めもので、膨大な中国料理の一部に過ぎない、という当たり前のことも忘れないようにしよう。

卵の炒めもの

卵料理はむずかしい、とよく言われる。たしかに、西洋料理のオムレツなど、フライパンの振り方、火の通し加減、卵の扱い方によって仕上がりに相当の差が出るのはたしかである。しかし、これは主にフランス料理系のオムレツで、たとえばスペインなどでは、ふたをして蒸し焼きにしてしまい、しっかり火の通ったオムレツが主流だったりする。中国料理しかりで、半熟ていどで微妙に仕上げるものもあれば、しっかり火を通してしまうものもある。それにしても、やっぱり、あのふわっとして柔らかな卵料理というのは実に美味なものである。

その昔、高級中国料理店で出される、あのふわりとして実においしい卵の炒めものにあこがれ、何とかあの味が出ないかとがんばっていたときがある。その当時は、やはりあの味が一番不思議だった。何をどうすれば、あの独特の味が出せるのだろうか。そこで、プロ向けの料理本をずいぶんとあさって、いろいろ調べたのだが、どの本を見ても、出来上がりのあの味を想起させるような調味料が使われているものはなかった。結局入れている調味料は、塩、コショウ、化学調味料、酒、ショウユ、ゴマ油、砂糖、といったところで、どれも通常のものであった。ということは取りも直さず、あの味は調理の仕方によって出るものなのだ、ということになるのだが、どうしていいか分からない。それに炒め方だけで出るような味に思えなかった、というものある。

あれこれと調味料の試行錯誤を繰り返し、ときどき気に入った味になったかと思うとすぐに飽きて、また違う感じに、といった風でまるで料理が定まらない。そんなとき、本屋の雑誌で、渋谷の文琳という料理店のシェフが紹介していた卵とトマトの炒めものの作り方を見つけた。卵には塩、白コショウ、ゴマ油しか入れない、それを白胡麻油で炒める、というのである。その通り作ってみたら、油はサラダ油だったが、なぜかとてもおいしくできた、なぜだろう。

同じ雑誌の中で、文琳のシェフの談話も載っていて、昔、高級中国料理店で修行をしていたとき、洗い場に中国人のおばさんがいて、そのおばさんがまかない料理で作ってくれた何の変哲もない中国の家庭料理があまりにおいしくて、それを食べて目からうろこが落ちる思いをし、そして自分の料理は今にいたるのだ、と書いてあった。なるほど、この話は僕にもとてもいい影響を与えてくれた。そうか、俺は家庭のキッチンで、自分や友達を相手に料理を作っているのだ、決して、見知らぬ客を相手に金をもらって作っているのではないのだ、ということに気づいたからである。

先の卵とトマトの炒めものは僕のレパートリーに入ったものの、なぜか毎回味が一定しないことに気がついた、なぜだろう。この場合、調味料があまりに最低限なせいで、味付けのせいにはできそうものない。もっとも、塩加減だけは非常に微妙であることには気づいたが。あるとき、友人を呼んでパーティーを開き、料理を作ったとき、この卵とトマトを出したときのこと、お客さんの一人が、卵がふわふわでとってもおいしい、と褒めてくれたことがある。さて、そこで僕も自分で作ったものを一口食べてみた。しかし、これは、ふわふわ過ぎる、卵を噛んだ切り口を見てみると、細かい泡が入って泡立っている。

そのとき僕は、比較的多めの油を煙が出るまで高温に熱し、そこに卵汁を一気に注ぎ込んで、そのまますばやく杓子で泡立てるようにがしゃがしゃかき混ぜて作っていた。出来上がりが泡立つはずである、そして、たしかにふわふわになるが、せっかくの卵の味がうまく出ないことに気がついたのである。そこで思い出したのが、有楽町の慶楽という高級広東料理屋でよく注文する卵と牛肉の炒めものであった。僕はあれが大好きで、あの味にあこがれていたのだった。そして思い出してみると、慶楽の卵は、何というかパイのように卵が何重もの層になっていて、それぞれの層が油こくなる寸前なほどにかなりの油を含んでいる、という状態なのだ。

これに気づいたことが決定的だった、そうだ、卵はかき混ぜるのではなく、層を作るように鍋の上で折りたたむのだ。そこで、僕がイメージしている通りにやってみると、これが不思議なことに、あの慶楽の卵に似た味になったのであった。これは僕には少なからぬ驚きであった、炒め方でこれほど味が変わるのか。料理の本にはよく、杓子を大きく動かして、鍋底をすくうような気持ちで炒める、などと言葉で書かれているのだが、やはり言葉では分からないのである。僕には、折りたたんで、層を作る感じで、というのが一番分かりやすい。

それ以来、僕の卵の炒めものの味は安定して、いつでもうまく作れるようになった。調味料は文琳で知ったとき以来、塩、コショウ、ゴマ油だけ、サラダ油を高温に熱し、卵汁を一気に加え、泡立ってくる周辺を四方八方から丁寧に内側に折り込み、真ん中をひとかきして卵の位置を変えて、さらに周辺を内側に折り込む、ということを何度か繰り返し、パイ状に作ってゆく。たぶん慶楽では、途中で油をさしているはずであるが、それはしていない。強火でやるので、もたもたしていると折り込みが足りなくなり、せわしなくやると泡立ってしまう。自分の使うコンロの火力と、杓子さばきのスピードを計りながら作業する。仕上げに加える調味料も香りを増してくれる。昔は、塩、ショウユ、砂糖、酒、化学調味料など、薄めに調合して加えたりしたものだが、現在は老酒を水で倍に割ったものを回しかけて仕上げている。結局、これで十分である。

それにしても、炒め方について、自分なりの方法を見つけるのにすごく時間がかかってしまった。先生がついていてくれれば数日でマスターできた気がする。まあ、しかし、こうやって苦労して身に付けた技術というのは、手と心にしみこんでいるので、かえって安易に身に付けるより良いことかもしれない。まるで、一昔前、弟子に自分の技術を容易に教えないどころか、見せてやりもしなかったという昔気質の先輩料理人の下で働く下っぱ料理人のごとくではないか。

ショウユ味の炒めものの味付けについて

僕がまだ小学生から中学生のころ、我が家は当時の平均的な家庭で、食生活なども質素であったが、月に一度、親父が近所にあった高級中国料理店に家族みんなを連れ、食事をする、という慣わしが続いたことがあった。駅からもずいぶんと離れている、住宅街にあたる場所にその料理店はあり、主に家族連れなどでにぎわっていたのだと思う。来々飯店という名前の店だった。何を注文しても、子供ながらにこんなおいしいものがあるのか、といった感じだった。

その後、僕も大きくなり、その習慣はなくなり、いつしかこの来々飯店も駅前の一等地へと移転していった。それ以来、気軽に入れる地元の高級中華屋として、ときどき一人でランチを食いに入ったりしていたものである。僕は、特に、この店のショウユ味の炒めものが好きだった。何というか、とにかくおいしいのである。中華料理を趣味にしてからも、ときどき気が向くと食べに入った。そうこうしているうちに、駅前に移転したのがあだになったのか、客足が遠のき、その店はつぶれてしまった。

あのショウユ味の炒めものの味が何とか出せないだろうか、当然僕はそう思い、いろいろ調べたり、試したりを繰り返していた。その後、あの来々飯店の味が、他のいくつかの高級中国料理の店に共通な風味であることを知るにつけ、余計にその秘密が知りたくなったのであった。当時出版されていたプロ向きの専門書をほとんどあさったような気がする。しかし、どれを見ても、基本はショウユ、酒、砂糖で、あとは料理によってオイスターソース、ミソ類を加える、とあるだけであった。ショウユ味の炒めものに共通な味だということで、ショウユそのものに秘密があるのだろう、とずっと思っていたのだが、どの本も、ショウユはただのショウユであり、特段なことは書いていない。

こうなると、あとは口こみ情報だけとなる。ある人は、ニンニクを漬けて香りをつけたニンニクショウユを使うのだという、やってみたが変わらない。昔、高級中国料理店で働いたことがあるという人とたまたま飲み屋で知り合いになり、率直に聞いてみたら、ショウユにはじめからオイスターソースが入っていることと火力が秘密だという。火力はともかく、これもやってみたが、だめ。別の人は中国ショウユを使うのだという。中華街で買ってきて、ふたを開けてみると、確かに日本のショウユとは異なる香り、なめてみると、味も違う。これはけっこう期待して使ってみたのだが、仕上がりの味は別に変わらない。とまあ、こんな感じで、あといくつかあった気がするが、全て、失敗であった。

失敗、と言っても、別にまずい料理ができるわけではなく、いつも僕が作っている味とあまり変わらない、というだけである。そうこうしているうちに、僕の作るショウユ味の炒めものも味が安定してきたようであった。特に、火力のところで書いたが、調味料を熱した鍋に入れてから材料を戻し入れる、という操作で弱い火力を補うようにしたころから、だんだんとしっかりした味が出るようになって行ったのだと思う。ただ、僕が求めていたあの味ではないことも確かだ。例の来々飯店にもときどき行っていたが、なぜだか僕は、その後つぶれてしまうその店に、最後に行ったときのことを覚えている。ランチメニューのひとつにあった豚肉の四川風炒めを注文した。中国語で魚香肉片(ユイ・シャン・ロウ・ピェン)、豆板醤で味付けした典型的な四川料理である。ほのかに辛く、そしてあのショウユ味、たしかにうまいが、そのころは僕も、もうその味に飽きていたのだか、何なのか、妙に、この店なんとなくさえないなあ、などと感じたものである。その後つぶれてしまったところを見ると、やはり店に勢いがなくなる、というのは分かるものなのかもしれない。

そうこうしているころ、今度は友達と、六本木の四川飯店へ行ったときのこと、そこで先の来々飯店で食べたのと同じ料理、魚香肉片を注文したのである。食べてみると、これが、僕が昔あこがれていたあのうまい味とは異なり、単なるショウユ味だった。と言うと変だが、あの妙に自己主張の強いうまみではなく、ショウユの味がベースとなり、炒めた豆板醤、そしてみじん切りのショウガ、ニンニクの香りよく、全体にただようほのかな甘味と酸味、そんなひとつひとつが実にうまく調和していて、最後まで楽しんで食べた。そうか、これが魚香という味付けなのか、と感心したのである。この良さは、おそらく味付けをむやみにおいしくし過ぎると出てこないに違いない。

味付け、とはバランスなのだ、ということが分かるようになったのはこのころで、それにともないいつしか調味料の追求は止めてしまったが、僕の作るショウユ味の炒めものの味はさらに安定して行った。結局、今ではショウユを加工するようなことはせず、その辺のスーパーで買った濃口ショウユをそのまま使って、しっかりとした味が出せるようになった。思えば不思議なものである。むかしひたすら試行錯誤していたころと使っている調味料は変わらない、それどころかシンプルになったぐらいなのに、出来上がりの味は相当異なっており、自分でもわかるが、はるかに複雑に感じられる味になっている。複雑というのは、何も味そのものが複雑なのではなく、使われているもともとの調味料の生の味から直接想起できない味、とでもいった意味である。つくづく調理というのは不思議なものだなあ、と思う。

そうなってしまうと、それでは今の自分の味はどうやったら出せるのか、ということを完全に説明することも難しくなってしまう。おそらく一番のポイントは、調味料を入れるときに、鍋肌、そして油が十分に高温になった状態を保ち、入れたとき少なくとも、ジャー、と音がするていどの温度を、弱い火力なりに極力確保するということだと思う。ただ、これだけやればうまく行くということでもないらしく、材料の炒め方、ネギ、ショウガなどの香味野菜の炒め方、調味料の加え方、といった一連の作業すべて均等に気を配るように努力することが大切のようである。もっとも、これは、中国料理に限らずにどんな料理でも基本中の基本に属することで、あまりこうやって言葉で書いても意味がないような気もする。

ところで、こんな風にうまく出来るようになってしまったので、結局、今にいたるもあの加工ショウユの秘密は分からないままである。たしかにお店では、調味料を買ったまま使うことはなく、何かしら加工して使うらしい。しかし今ではもうそれが気にならなくなった、だって別にそのままで十分においしいのだから。

上海飯店のあんちゃんのこと

料理を教えてくれる人がいなかった僕の中国料理修行は、まずはひたすら料理本を読み、そして試行錯誤を繰り返すことであったわけだが、その他に、テレビの料理番組を見たり、実際に厨房が見えるような中華料理屋へ行って、料理人が実際に作っているところを見ることもよくやった。プロの料理人が出る番組などはよく見たものである。しかし、あれは、どうも臨場感というものに欠けている。特に最近になって、調理のプロセスを端折り、時間を作って、一回の番組で幾品も詰め込むような演出が目立つようになり、さらに、何かしらけてしまう。それに、スタジオのセットで作るので、あの厨房の臨場感は望むべくもない。

さて、そうなると、今度は調理場が見える料理屋、となるわけである。日本のラーメン屋のほとんどはカウンターから調理場の見えるオープンキッチンタイプであるが、日本式ラーメン屋の中華料理は、あれはまた独特のもので、僕の求めている中華料理と異なっていた。ラーメン屋のカウンターに座れば、中華鍋を振っているところはすぐに見えるわけだが、なぜか僕はそれには惹かれなかった。よく分からないのだが、どうも料理人の体の動きがあまりかっこよく見えなかったのがその理由だと思う。

横浜中華街の目抜き通りから路地を入ったはずれあたりにある上海飯店は、まだ学生だったころ、そううつ病のサックス吹きのおにいさんに教えてもらった店である。この店は、カウンターと一卓だけで、十人ほどでいっぱいになってしまう小さな店であるが、カウンターのむこうは調理場で、調理しているところが見える。いまからおよそ二十年前、その店は、体のでかいあんちゃんと、そのあんちゃんの父親らしいじいさんが調理場で調理し、母親らしいおばさんが注文を取る、まあ実に小ぢんまりした店であった。

この店にはずいぶん通ったものである。出てくる料理は、まさに僕が求めている中国料理だった。すなわち、いわゆる高級中華料理系の調理法できちんと作られた料理だったのである。この手のしっかりした調理法で作る店で、カウンターの店というのはなかなかない。なぜなら、高級な店は、カウンター式の店構えには普通ならないのである。味は少し荒削りな感じで、僕は大好きだった。店の上の方に、模造紙にマジックで書いたメニューが貼ってあり、値段もとても安かった。一皿で二千円もとってしまう高級中華料理屋と同じ料理が、ここでは六、七百円で食えたのである。

メニューのネーミングも僕は気に入っていた。エビと鶏肉と缶詰のアワビをオイスターソースで炒めた炒三鮮が「エビトリアワビ」、鶏肉とピーマンを少量の豆板醤とともにショウユ味で炒めた青椒鶏丁が「ピーマントリ」、そしてエビと豆腐を塩味で煮込んだ蝦仁豆腐が「エビトウフ」、と言った感じで、材料名をただ並べた日本語が、とてもかっこいい。どうでもいいことだが、エビトウフをエビドウフとしないところも気に入っていた。まあ、とにかく何もかも気に入っていたのである。

これら全てに加え、何と言っても気に入っていたのが、日本育ちの中国人らしい、この料理人のあんちゃんであった。、とにかくでかいあんちゃんで、太っているというのではなく、なんというかプロレスラーのように重量級で、そのあんちゃんが実に軽々と、中華包丁で材料を切ったり、中華鍋を振ったりする。この人、日本のラーメン屋の人たちの多くのように、しゃかしゃかとせわしなく動くことはなく、実にゆっくりと、鷹揚とした感じで動くところなど、なんというか、空手と太極拳の動きの違い、という感じもしなくはない。炒めものなど注文すると、香味野菜のネギ、ショウガを切るところから全部やってくれる。当時、この店は特に流行ってもいなかったので、満員になることもなく、ゆったりしたものであった。普通の店では香味野菜などはあらかじめ切った状態で用意してあるものなのだが、ここでは、あまり忙しくないせいなのかその場で切っていた。

このあんちゃんから包丁使いをずいぶん見習ったものである。ショウガの薄切りの仕方、ネギの細切りの仕方、ピーマンの角切りの仕方、シイタケのそぎ切りの仕方、などここで覚えたといっても言いすぎでない。いや、その方法については本にも書いてあるし、テレビでも見ているのだが、なんと言うか、その全体の動きのノリをここで覚えたのである。とにかく必要以上に速く動くことはなく、ゆっくりと必要最低限の動きだけで切っていけばいい、ということを教わったのである。鍋の振り方も同じくである。鍋返しをせわしなくやる必要はない、ということもここで覚えた。このあんちゃん、鍋返しなど、最後に2、3回やるだけで、実にゆったりと材料を扱っている。これら、材料を切って、火を通して、鍋の中で味付けして、最後に香味油で仕上げるまで、特に急いでいるところはまったくないが、しかし、料理は別に遅れることもなく次々と出来上がるのである。余計な動きがないのであろう、実に感心である。そして何よりも、全体の動きがかっこいい。

結局、この店で僕は、調理の全体の流れについていろいろ学んだのだと思う。調味料に何をどのくらい入れるか、といった細かいことは見ているだけでは分からないのだが、その全体の鷹揚なノリは手に入れることができたと思う。

別に料理とは関係ないのだが、この店のもうひとつの特徴は、この店に昔行ったことのある人ならだれでも知っているのだが、店の3人のケンカである。もう、のべつまくなし、調理場のあんちゃんんとじいちゃんがケンカしながら仕事をしていて、そして、ときどきおばちゃんが口をはさむ。客席から見ると、二人並んでこちらを向いていて、あんちゃんは左側のガスバーナーの前で鍋を振り、じいちゃんは右側の寸胴の前で麺を作っている。あんちゃんは普通の日本語をしゃべり、じいちゃんは片言の日本語、そして時々中国語になるのだが、まあ、よくあれだけケンカのネタがあるものだ、と感心するぐらい口げんかしっぱなしである。しかし、調理の手は二人とも休まない、まあ一応、さすがプロである。ケンカの内容であるが、じいちゃんの日本語がほとんど意味不明なせいもあり、聞いていてもよく分からないが、料理の手順の細かいことが主で、あとはなんだかわからない。この口げんかを聞き流しながら、旨い料理を食って、瓶ビールを飲んで、調理しているところを見て、お代は格安、と実に得した気分である。

さて、ところで、その後、グルメブームというものがやってきて、中華街そのものが観光地化して行き、人で溢れかえり、うわさの店はあっという間に行列ができる、という風になった。昔の横浜中華街は、どこの国のチャイナタウンでもそうなように、独特の中華情緒が漂っていたものだが、今ではそれもほとんどなくなり、何か遊園地みたいになってしまった。この上海飯店もいつしかじいちゃんは引退し、若い調理人がとって代わっていた。あんちゃんとおばちゃんはそのままで、ノリは変わらないが、あの口げんかはもうない。お店は、行列ができ、昔とは比較にならないほど繁盛し、そのせいでみな穏やかになったのだろうか、おばちゃんなど昔あれほどぎすぎすしていたのが嘘のように穏やかな顔つきになった。

しかし、あんちゃんはいまだにけっこう怖い顔をして次々と料理を作っている。いつだったか、テレビでカニ玉の特集があり、この上海飯店がカニ玉のうまい店として紹介され、あんちゃんも実際にテレビに出たことがあった。放送の直後から客が列を作ってこの店におしかけ、どいつもこいつもみなカニ玉を注文したそうである。あんちゃん最後には怒って、「うちはカニ玉屋じゃないよ!」と言ったそうである。実に、想像のつく光景である。このあんちゃんドスのきいた声で顔も怖いが、ときどき、客相手に、ニコニコして上機嫌で、突然、堰を切ったように料理の話など始めることがあって、その落差がなかなかかわいいなあ、と思ったものである。今では僕も中華街へ行くことはほとんどなくなってしまったが、それでも行ったときは、どうしても訪れてしまう店である。