古い古い古いプロフィール


たぶん1999年ごろに撮影
古い古い古いホームページは1995年ごろ、今からおよそ20年前に開設したものだ。そのときはプロフィールなどには興味はなかったが、ここで復刻するにあたって当時の自分のプロフィールをいま、書いておこう。

名前

林 正樹 (はやしまさき)

生まれ

昭和34年(1959年)1月16日生まれ

経歴

  • 生まれは東京、巣鴨、まもなく小金井へ。幼少から小学3年まで小金井の自然の中で暮らし、小学4年で大田区馬込に引っ越し、小学6年から大田区中央。
  • 三田高校から東工大へ。東工大を選んだ理由は特段にない。理科系だったのは、かねてより数学や物理が好きだったからで、そのせいで東工大なのだが、目的意識は全くなかった。高校3年の一年間、受験勉強というものを一日8時間ほど半年やったせいで、現役合格はしたものの、その後、勉強を忌み嫌い、勉強など二度とするかと思った。実際、大学時代は勉強をほぼまったくせず、地元ライブバーの常連として日々ほとんど飲んだくれていた。
  • 働きたくなかったので修士へ進む。修論(理論系)を書き単位を取る以外やはり学校にはあまり行かなかった。同じく、基本、怠惰。
  • 1983年にNHK入社。NHKを選んだ理由も特にない。当時、メーカーへ行くと忙しく大変という噂があり(本当のことだったが)、NHKは楽じゃないかと思い、NHKの推薦枠に応募した。幸いライバルはおらず、1、2回、どうでもいい面接をしただけで労せずしてNHKに就職が決まる。
  • 大阪放送局で3年間、運行というわりと閑な職に付く。この時代は、まあ、ホントによく飲んで、よく遊んだ。社会において「変人」という自分のスタンスをほぼ確立したのも、この時期だったかもしれない。もう少し言うと「愛すべき変人」である。好き勝手なことを言ったりやったりしても、皆に嫌われず「林君だから仕方ないか」と許してくれるスキルを身につけた時代、と言える。
  • 1986年、NHK技研へ、画像研究部にてバーチャルスタジオの研究開発を始める。変人ぶりは、変わらず。ただ、研究の仕事は上の空のくせして、けっこう気に入ってやっていたし、成果も出していた。1996年にたまたま思いついて始めたTVML (TV program Making Language)が研究者としての自分のヒットである。これは、その後の自分の人生まで変えてしまった。
  • できること

  • ギターを弾く。歴15年。ブルースおよびロックを弾く。中学3年の時に、当時の不良グループにギターを教えてもらい、それ以来ギターに夢中になる。ちなみに自分は勉強ができる方だったので、教えてもらう代わりにカンニングなど手伝っていた。その後、高校時代はバンドで文化祭など出て、そこでは往年のロックを演奏し、歌も歌っていた。大学に入り、1年のときに黒人ブルースに出会い、完全にノックアウトされ、その後、およそ4年に渡って黒人ブルース一色の音楽人生を過ごす。大学時代はいくつかブルースバンドをやっていたが、リードボーカルは別にいて、自分はあまり歌わなかった。その後、35歳ぐらいの時にジミ・ヘンドリクスに出会ったことで(遅い! 笑)、ボーカルに目覚め、弾いて歌う3ピースバンドを始める。しかしながら、その後40歳ぐらいで私生活が洒落にならないほど泥沼化し、そのせいで40代にして本当のブルースが歌えるようになってしまった、などということは、このホームページのオレはまだ、知らないのである。
  • 中国家庭料理の調理。歴10年。中国料理はひたすら試行錯誤で覚えたのである。師匠はおらず、すべては書籍とプロの調理を盗み見して身につけた。それにしても、そのせいでまともに作れるようになるまでに、たっぷり10年はかかってしまった。このホームページのころは、ようやく自分の味というものに開眼したときで、それなりの自信を持ってレシピなどを紹介している。
  • 文筆。このホームページ自体がほとんど文章であり、趣味というのもうなずける。このころは、僕の文体もまだそれほどフニャっとしておらず、なかなか厳しいシリアスな文が並んでいる。ただし、ここに書かれた文のその内容については、いまだに基本それほど変わっておらず、自分の物の考え方の原型はこのころにすでにできあがって、あまり変わることは無かった、と言えそうである。初めての自費出版は1996年のことで、ゴッホのエッセイ評論を130万円もかけて出版している。あと、「中国家庭料理入門」は当時まだ珍しかった電子出版で、エキスパンドブックから出版した。
  • 絵画についての印象批評(主に西洋絵画) 僕の30代はこの西洋絵画に明け暮れた10年であった。世間から隠居するかのように、ヨーロッパ古典絵画と幻想文学、退廃芸術などに夢中になっていた。僕がもっとも芸術にどっぷりだった時代だ。きっかけはヴィンセント・ヴァン・ゴッホの実物に出会って衝撃を受けたことであり、それ以来、西欧の視覚芸術三昧になった。この間、テレビも新聞もインターネットもなく、外の世界をまったく見なかったともいう。とはいえ、西欧絵画を見るために、金に糸目をつけず美術館目当てで頻繁にヨーロッパへ旅行していた。そういう意味で、日本社会から隔絶していただけで、それ以外のものはむしろ人より多く接していたはずである。こうして、ついに、1996年にゴッホに関する自分の考えの集大成を自費出版し、その後から、徐々に自分の隠居時代が終わりに近づいて行く。
  • ちなみに、この時はまだ真空管アンプ自作趣味は始めていない。電子工作をやっていたのは小学校の5年から中学1年ぐらいまでだったと思う。中学3年にギターに出会い、すべてを止めてギターに走っている。かつての自分の電子工作は、雑種で、とにかくいろんなものを製作記事をあさって作っていた。自分を惹きつけたのは、回路図や実体図の美しさであり、電子部品の肢体や匂いであり、主に視覚的、感覚的な部分が大きかった。
  • 好きなもの

  • 音楽は筆頭に上がるものの、当時から自分は音楽をあまり聞く方ではなく、もっぱら演奏する方に興味があった。ブルース、ジャズ、60年代ロックがほとんどで、その時点で偏狭だが、それに加えて自分はそのジャンルの中での好みも偏狭で、視野が狭いせいで、意外と同じ趣味の人とも話が合わなかったりして重症であった(いまはマシになっている)。当時の好きなミュージシャンをあえてひとりずつあげれば、弾き語りブルースではROBERTJOHNSON、エレクトリックブルースではMAGIC SAM、ジャズではJAMESBLOOD ULMER、ロックではJIMI HENDRIX。これらは今でもあまり変わっていない。
  • 食べること。このころから興味の基本は大衆料理で、高級料理はそれなり食ってはいたけど、結局はそれほど好きではない。このころの自分は、数回行ったイタリアで食べたイタリア料理に感動しており、イタリア料理が筆頭になる。たいして旨くも無い土着のイタリアンに感動したのである。同じノリで、スペインの荒削りなタパス、フランスの田舎料理、ギリシャ料理などを好んでいた。もちろん東南アジアのタイ、インドネシア、ベトナムなどの怪しげな料理はもちろん、インド料理も大ファンである。結局、南の方の大衆料理ならだいたい何でもOKということだ。この頃の自分は完全に外国づいており、実際にかなりの頻度で海外へ行っており、逆に自国の料理についてはほとんど興味が無かった(今は日本土着料理は欠かせない)。ところで、中国料理は自分にとって完全な別格であり、当時より他国の料理とは比較にならないと考えていた。僕にとっては西洋思想と双璧をなすものだったのである(ほぼ、今でも)。
  • 飲むこと。大学生時代はサントリーレッドをひたすら飲んでいたが、それは金が無かったからで、ホントはビールが大好き。特にこのころは水のようなAmerican light beerを凍る直前まで冷やしたアメリカンスタイルを愛していた。加えて、赤ワイン。高校生のとき酷い悪酔いをしたせいで日本酒が飲めず、ついでに白ワインも苦手。
  • 同じ本を繰り返し読むことにかけては、当時から重症。小説は、ドストエフスキーを恐ろしく繰り返し読んでいる。罪と罰、白痴、悪霊、カラマゾフの兄弟の4本が特に好きでそれぞれ十回以上は読んでいる。その他の小説ではモーパッサンなどちらほら。日本文学はそれほど読んでいないが、当時より小林秀雄に多大な影響を受けている。哲学については当時よりニーチェ、ベルグソンを好んでいたが、当時はまだ哲学の系統だった勉強はしていない。
  • 僕の30代はヨーロッパへ旅行しちゃあ西洋絵画を見て廻ることに費やされたと言っていい。26歳のときに本物に出会ったゴッホに物凄い衝撃を受け、それが高じてそのようになった。好きな画家は、ジョット、ドゥッチオ、シモーネ・マルティーニ、ベラスケス、ゴヤ、フェルメールなど数多い。現代ではダリ、フランシス・ベーコン、ウォーホールなどが好きだったが、ここに書ききれないほど絵画に多大な影響を受けている。
  • ものすごく下らなく、悪趣味なものは自分の人生には無くてはならないものであり、芸術だ文学だ、ともっぱら評価の定まった高尚なものを賛美することの、カウンターバランスを取るように、これら下らないものは自分には必須であった。テレビはほとんど見なかったが、オールナイトフジとか浅草ヤング洋品店とか、さらに下らない番組とか好んで見ていた。さらにあるときMTVの漫画Beavis & Buttheadにハマり、ひところは夢中だった。
  • 若干のホラー映画カルト映画。小説と同じで数は多くないが繰り返し見るものが多かった。この頃は、Texas Chainsaw Massacre、Evil Dead、Bad Taste、Jacob's Ladderなどが好きだった。下品ものではピンクフラミンゴ
  • 仕事

  • NHK放送技術研究所で研究者を始めて十年ぐらい経ったのがこのホームページのタイミングである。最初の10年はテレビスタジオのセットをコンピュータグラフィクスで生成するバーチャルスタジオの研究開発をひたすらやっていた。10年は長く、最後には徹底的に飽きてしまい、方向転換する。 1996年、ワープロで台本を書くだけで、コンピュータがその場でCGやら何やらを使ってテレビ番組を作ってしまう、番組記述言語TVML (TV program Making Language)というのを始め、これが自分の後半生の決定的発明になる。
  • この後、2006年にNHKを辞めて娑婆に出ることになることなど、この当時の自分は知る由もない。ただし、30代の芸術隠居を経て、40代にしてにわかに躁病的に活動的になり、かねてよりNHKに籍を置いていることに疑問を持っていた自分がそのようになることは、まあ順当な流れだったであろう。

  • Back Home