秋の虫が息つぎもなく休まず鳴いているのは なぜだかわかっていてもいつも不思議に思う


秋になると、いつからともなく鳴きはじめる虫の音ほど印象的なものはないね。あの尋常じゃないもの悲しさは、僕が日本人だから感じるものなのかなんなのか。いや、悲しいというか、遠くへ行ってしまうような、昇天したあとの世界の何かが漂っているように感じられるのだね、やはり不思議な音色だよ。そしてあの虫たちは、音をとぎれさせることもなく、ずっと同じ調子で鳴き続けている。息つぎをしないのだ、つまり歌い切るということをしない。だからつまりあれは歌じゃないんだよ。もうちょっと言うと、音楽や、主張じゃないんだよ。何か知性的な営みがあるのなら、それは歌いきらなけりゃね。すなわち、始まりがあって、展開があって、結論がある、というようにね。秋の虫たちは、そんなことは言っていない。始まりも、終わりもない。ただただ、ずっと命がある限り鳴き続けているように見える。風が吹いたり、雨が降ったり、月夜の光が降り注いだり、そんなたぐいのものと同列に感じられる。うん、しかしそれもそのはず、彼らは口で鳴いてるのじゃないからな。同じことが夏の蝉にも言えている。蝉の中でひとつだけ例外なのはツクツクボーシだね。彼だけは、始まりと終わりのある、何かまとまりのある意味を伝えている。これもいつも思うことだが、ツクツクボーシは、夏の終わりを告げているんだね、言っていることにちゃんと意味があるんだよ。そしてほどなく、秋の虫たちが音色を奏で始め、そして長くて短い秋が始まる。