坊主の言うことは聞くもんだねー


生活上のごたごたでずいぶんと悩ましい日を送っていたときのこと、NHK教育テレビの音をラジオで聴いた、そのときに出ていたのが、あの瀬戸内寂聴だった。これを聴いて、ああ坊主ってのは、実生活上のあれこれについて、まったく率直に言い切って、単純に同情したり、怒ったり、すっきりとやってのけるものだなあ、と思った。そのせいでなのか、結局、番組の最後まで聞いてしまった。この時やっていたのは、視聴者からの手紙に答えたいわゆる人生相談だった。実生活のただ中にいて悩んでいる僕らは、そんな風に割り切って考えたいが、しがらみにがんじがらめの状態で、それは無理なことだとか何とか、やっぱり、自分のいる状況を率直に見ることを恐れているんだね。坊主には実生活はないから、だからあいまいにする理由もない、赤裸々に状況を分析して、それをそのまま言葉にする。そして、それを聞かされた当事者の気持ちを、情けを持って見守ってやる、という感じになるのだな。僕はそれまで瀬戸内寂聴に興味はなく、まあ、坊主などいい身分だなあと思ったり、いや、というか、坊主だったら坊主らしく仏法にのみ精進して、形而上的世界を個人的に追求していればいいものを、なぜ、こう俗世に関わろうとするのか、といぶかしく思ったりしていたものだった。しかし、坊主の役割ってのは、それだけではないんだな。情け、ってのは、まだ僕にはぴんと来ないが、きっと何か鍵になるものなのだろう。ある仏教の本で、日本の大乗仏教の変遷を読む機会があったが、そこには当時の民衆に仏教を教えた、偉い日本人たちがいく人も出てきた。その物語を読んだときに僕が感じたのは、一面、偉大な思想家でもある坊主の、あの庶民に対する情の大きさだった、西洋的に言い換えれば、
愛の大きさだった。一般庶民の不幸を背負って、俗世を憂えながらも、なおかつ輝く太陽か、星のような存在になっているように見えるのだ。何か、ここに秘密があるんだろうなあ、はっきりは分からないが。それにしても、先のNHK、映像を見なかったのも良かったんだろうね。