「画室を半ダースの日向葵の絵で飾りたいと考えている。ヴェロネーズの一番薄い青からブルー・ド・ロワまでのいろんな背景を破って爆発する生のクローム黄の装飾で、細い縁板は橙色で塗る。まるでゴチック寺院のステンドグラスの効果だ」

日向葵は、来るべきゴーギャンを迎える、アルルのアトリエの装飾画として描かれた。自分の家の室内の装飾を目的に描くというのも面白いが、日向葵を切って、花瓶に、しまいに十四本も突っ込んでしまうという破天荒ぶりも、南仏の度を越した陽気さを連想させ、大笑いしたくなる。ゴーギャンが到着するまでに、四点の日向葵が仕上がった。ひとつめは、緑の花瓶に三本の大きな花が入ったもの、ふたつめは、ロイヤルブルーの背景に種を持ったのと花弁が落ちたのとつぼみのと、四つの花があるもの、三つめは、薄緑色の背景に十二本の花とつぼみがあるもの、四つめは、黄色の背景の中の黄色の花瓶に十五本の花とつぼみがあるもの。描くにつれ花の本数が多くなって行く。一つめは未だ奥ゆかしく目覚めたばかり、二つめは礼拝堂の暗がりの中の光輝を抱いた信者のごとく、三つめは身震いして今しも爆発せんばかり、そして四つめで四肢は見事に広がり、重たそうな大きな花が、ありそうもないような格好で重力のバランスを取って、まるで、中世の宗教的飾り絵の中の、幾つもの実を付けた樹木のような、素朴な効果を上げている。色彩は独創的だ。彼はこんな風に言っている──全体が青と黄のシンフォニーになるだろう──耳を傾けてみよう、主題テーマが聞こえて来る。

3本の向日葵 5本の向日葵 12本の向日葵

芸術家共同体の拠点として考えていたアルルのアトリエは、ルネサンス初期のイタリアや、オランダの画家達、つまり、ジョットやレンブラントの工房のようなものになるはずだった。そこでは、印象派という、同じ理念を抱く画家達が、自らの個性を保持しながら互いに技術を磨きあい、皆がひとつの高い境地に到達するべく努力している。また、経済的にも助け合って、共同生活を行い、そこは、現在、至るところで、貧困の内に孤立して、いがみ合っている不幸な画家達の、避難場所としても使われるはずであった。しかしこの時代、アカデミズムからの脱出が新しい技法の開拓を促し、芸術家達が、個の主張と確立に前代未聞の価値を置き始め、それ故に必然的に孤立化して独立独歩の道を歩み出したり、あるいは少数セクトに分裂していがみ合い始めた時代にあって、ゴッホの考えは、あまりに真正直な、原始キリスト教的な発想に基づいていた。この子供らしい発想の詮索はすまい。それでなくとも、絶望と悲しみしか残さなかった、この試みの末路を、我々は知っているのだから。

彼は、この印象派の工房を飾るために、十二の装飾画を計画し、製作していた。印象派の工房に、太陽のように輝く、幾つものクローム黄の日向葵──真昼の太陽の輝きを、画布の上に与える事に成功した、印象派の象徴として、ゴッホの日向葵は、ぴったりだったろう。四点の日向葵の内、十五本の花束を描いた最後の画布が一番良いものになった。ここでは、花、花瓶、テーブル、背景、の全てが黄色で塗られている。アルルにやって来たゴーギャンがもっとも気に入ったのも、この十五本の日向葵の画布だったらしく、「これこそ……そうだ……花だ」と叫んだという。アルルを去った後のゴーギャンは、この絵を欲しがり、何度か作品交換の話を持ちだしたが、ヴィンセントは応じず、その代わりに自らの手で二枚の写しを作った。これで十五本の日向葵の絵は三点になったが、色合いや、署名の有無など微妙に異なっている。オリジナルは、ロンドンのナショナルギャラリーにあり、二点の写しはアムステルダムと日本にある。東京、新宿にある日向葵の絵は、三点の内、ひとつだけ背景が黄色でなく、薄い黄緑色に塗られたものだ。何度も見に行き、この画布が、太陽だとか生命力だとかいう、威勢のいい言葉を持ち出すにしては、あまりに穏やかな光に輝いている様を、この眼ではっきりと見て来た。デッサンも色彩も、実物の日向葵とは似ても似つかぬものだが、確かに、これこそ……花だ。単純な色彩の調和による、古い古い時代の素朴な和声を響かせるには、それと釣り合う、単純なデッサンが要るという事に、ゴッホはいち早く気付いていた。同じ時期にベルナールとゴーギャンもこれに気付き、やがてクロワゾニズムの運動へと発展し、更に象徴的手法を加えて一流派を築くが、その絵画の文学的内容は、三者三様であった。


ジョット
ゴチック寺院のステンドグラス──それはまた、信者達の祈りに差し込む神秘的な光、あるいは燭台の炎に照らされた天使達に囲まれた聖母子像の背景に輝く黄金色の光でもある。ゴッホは、ベルナール宛の手紙で、聖書の、キリストの研究は絵画と大いに関係がある、と書いている。以前、牧師の免許を取るための形式的で退屈な神学の勉強を半ばで止め、見習い牧師として単身貧しい炭坑へ赴いたゴッホは、社会の最下層で生きる人達の中に、嘘も虚栄もない無言の信仰心を見つけたに違いない。そこに現れるのは、あの、古い宗教画に描かれたような、弟子達や女達に囲まれた、無言のキリストの姿だ。ヨーロッパのキリスト教の歴史は長い。ローマの野心、病める禁欲的快楽、美と悪徳の口実──相反する幾多の衝動を生み出し、ゴッホの時代には既にニーチェも居たのだ。しかし、ゴッホの眼は、歴史も教義も飛び越えて、直かに福音書のキリストを見ている。彼の心象の真の共有者は、彼が接してきた、単純素朴な人間達であるはずだ。何故なら、彼らには歴史も教義も入り込みはしなかったから。彼らは、自然の中で綿々と続けられてきた労働の場──地下の炭坑に、耕された大地に、貧しい船室に、その信仰を保持して来た人達だからだ。そして、ゴッホは、彼らの奥深く隠された悲しみを癒す光を夢想し、そこに、あらゆる表情を全て紛失してしまったようなキリストの姿の輝きを見るのだ。ゴッホは、度々、昔の暦の、霧や雨や雪を稚拙に現しているような素朴な画布を手掛けていて、それは、アルルの種蒔く人に始まり、日向葵、揺籠を揺する女、などがそれに当たる。これらの画布は皆、絵画など知らぬ、単純素朴な人達に理解されるように描かれたはずだったが、残念ながら、実際に共感は得られなかったらしい。

ドゥッチオ
日向葵の光は、ルネサンス初期のジョットやドゥッチオのあの静謐さを連想さす。彼らは、聖なる者の頭に黄金の円光を抱かせ、それを黄金の背景の中で描いた──それが、ゴッホの日向葵の黄色の中の黄色を思わせるのだろう。ゴッホはジョットを非常に愛していて、この画家をルネサンス初期の画家達の中でひとりだけ異なった存在として見ていた。ゴッホによれば、ジョットの絵は当時の画家達の絵の中にあってひとりだけ、非常に近代的だというのだ。十四世紀の宗教画家ジョットは、その後フィレンツェで開花するイタリアルネッサンスへ至る道を開け放した希有の画家である。健全な現実主義者にして写実家であり、確かに同時代の画家達の中にあってひとりあまりに健康なイメージがある。彼にあっては現実的である事は、そのまま神秘的である事であった。彼の仕事は昼の仕事だ。内なる光を使って描かず、外光から富を得て、それを断固とした口調で肯定した。キリスト教が長きに渡った中世で、その肉体と心理のひだに蓄積して来た不健康な塵や澱を一気に振るい落とした。彼は、我々が生きる現実の世界や生活を現実家の眼で観察し、それを全く底意のない写実家の手で写実し、架空の宗教画の中に登場させた。散慢で気まぐれな現実というのは、統一された宗教的観念を完成させようとした時に、往々としてその散文的な力によって、宗教そのものの神秘性に水を差し、人を悪徳へと導くものなのだが、ジョットにあっては、神秘性はいささかも損なわれることなく、ますますその輝きを強くしている。朝一番に差し込む光の中で描かれた日向葵は、ジョットの輝きに通じているように思われる。ジョットに対し、シエナの巨匠ドゥッチオはずっと危険な光を発している。生の全き完成としての死、そして死への誘惑を思わせる、実に不思議な霊気を発散していて、こちらはむしろ、サンレミで描かれた刈り取る人のいる麦畑の黄金色の輝きに通じている。……… いや、しかし、アルルの太陽の下で熱狂しているゴッホの言葉で、宗教的観念でいっぱいになった僕の頭を正気に戻そう。


「ああ君、頭の変なわれわれはせめて眼でも楽しもうじゃないか、そうだろう。自然は動物に酷だ。われわれのからだはときどき重荷に堪えられなくなる。だが、悩ましき人ジョットー以来これは変わらないのだ。ああ、それにしてもなんと眼を楽しませてくれることだろう、そしてなんという笑いだ、頭に麻布を巻き手にパレットを持った、歯の抜けた老いたる獅子レンブラントの笑いは!」

15本の向日葵
この言葉に僕はどれだけ魅せられただろうか。度はずれた太陽と自然の讃美、歓喜の絶頂──高揚した精神はそこらじゅうに惜しげもなく詩をまき散らして行く。これ程強く色どられた言葉と、絵画芸術に対する情熱に心酔してしまったら、こちらの方がやられてしまうのだ。十九世紀ロマン主義の、あの精神を高く拉致し去って行く情熱の炎を、何もかも燃やし尽くしてしまう太陽の炎に置き換えて、ゴッホという画家が生まれたように錯覚してしまうのだ。繰り返し思い出さねばならないのは、オランダ時代の土色に閉ざされた彼のルーツだ。彼は、燃やすこと自体に捕らわれてしまったロマン派の仲間ではない。しかし、彼は、あの黄金色の静謐を手に入れるために、発狂に至るまでその持てる情熱を酷使しなければならなかったというのはどういうわけか。ロマン派か否かなどという詮索ではどうにもならない地点にやって来ているのだ。そして優れた芸術家は皆、最後にはその思想的傾向を越えて、自らの運命に行き着くものではないだろうか。

彼の絵が僕にそれを教えてくれる。日向葵の実物を見てはっきり納得したのは、画家に絵筆を取らせたのは太陽の歓喜には違いないが、完成した画布には、歓喜などという刹那的な感情は微塵も見つからず、その代わりに、ある普遍的な、永続的な、名付けようのない何物かが現れている、という事だった。それは、何か人を慰める単純素朴な和音であり、悲しみも怒りもないが慈愛に満ちた表情で僕の心を打つのだ。だから僕は、印象派の工房に輝く太陽という発想より、福音書のイエスの面影へ帰って行く。

イエスがペテロに与えた有名な予告──「にわとりが鳴くまでにあなたは三度わたしを知らないと言うだろう」。イエスは捕らえられ、夜通しの尋問を受ける。夜明け前の外では皆が焚火の回りで、疲労と眠気の内にぼんやりとしていたのかもしれない。その時、その内のひとりに、あの男の仲間ではないか、と咎められたペテロは、私は彼を知らないと言う、これが丁度三度目の返答であった。その時の描写──「彼がまだ言い終わらぬうちに、たちまちにわとりがないた。主は振り向いてペテロを見つめられた。そのときペテロは、『きょう、にわとりが鳴く前に、三度わたしを知らないと言うであろう』と言われた主のお言葉を思いだした、そして外へ出て激しく泣いた」──ペテロを見つめたイエスは、悲しみも怒りもせず慈愛に満ちて輝かなかったか。ペテロは自分の力の不足を悔やんで泣いたのではない。イエスのその姿を思って泣いたのだ。