皇帝の鶯
(イジー・トルンカ)
これもストップモーションによる長編の人形劇で、こちらはセリフも字幕も何もなく、ひたすら音楽と人形劇のみである。われながら呆れるが、およそ70分間、眠いのを我慢して必死に見ていたが、結局、最後まで、まるっきり意味が分からなかった。全編、これ、「なんで?」「なんで?」のオンパレードである。なんで、この人いきなり首傾げてるんだろ、なんで歩き出したんだろ、この変なヤツはなんでいきなり出てきたんだろ、といった具合で、楽しむどころじゃない。終わってから、まるで分からなかった僕を見て呆れた彼女に意味を解説してもらい、ようやく筋書きが分かった。なーんだ、そうか、と思ったものの、やっぱりこれも映画の世界に入り込んで楽しめるようじゃないとダメなんだろうな。原作のアンデルセンでは「どこでもない世界」という設定であるらしく、それがとてもうまく表現されていたとのこと。僕にとっても、たしかにこれはどこでもない世界だけど、うーん、ちょっと悪夢に近い。世界がまるで理解できず、なんで?なんで?と思いながら一生懸命見ていることを思い出すと、まるで夢でうなされているみたいだ。ということは映画の効果としては正しいのかな?