この写真、すごいと思わないか

とうとう出たな、これはオレたちの父方の人々の写真じゃないか。とつぜんなんで出すの?

ああ、なんかひょんなことでおふくろから連絡があってさ、この写真について聞いてきたんだよ。それで改めて写真を引っぱり出してきて、それで写真を写真に撮って、メールでおふくろに送ったんだよ

そうか、結局、死んだ親父の残したアルバムやら、日記やら、書付けやらは全部、おまえが持ってるんだよな

うん、おふくろは身軽なのがネイチャーな性格だからな、親父が残したものはほとんど手元に置かず、大半捨ててしまったんたんだが、それにしても昔のアルバムやらなにやらはさすがに捨てるのはもったいないんでね、オレが引き取ったんだ

もっともおまえの管理もいい加減だけどな

そりゃ、この母にしてこの子ありだからなあ

それに比べるとこの写真の醸し出している雰囲気は、そういういい加減な気楽さと正反対を行ってるな

だろー? この写真をおふくろに送ったんだけどさ、その感想がなんと「恐ろしいから近寄りたくない」ってさ、ははは

ははは、そりゃ面白い反応だ、しかも、気持ちもわかる

ところで親父はいつ死んだんだっけな? 忘れちゃった

それも母親譲りのいい加減さか、ま、オレも忘れた

えーと、たしか、あれはオレが30まえぐらいだったから、たぶん25年ぐらい前か

そうか、ずいぶんたつな。で、この写真はどこにあったわけよ

親父は写真が趣味だったし、母親と正反対で、ものすごく几帳面で、すべての記録をきっちり整理して残すタイプだったからな、アルバムはきちんと整理されてたくさんあったよ。でも、さっき言ったようにおふくろがけっこう捨てたからな、いまオレの手元にあるのは4,5冊かな。その中で、これが一番古いやつだ

これは、親父の写真じゃなくて、親父の父親、つまりオレたちの祖父の一族の写真だよな

ああ、親父の一番古いアルバムの最初の方の何ページかに、この祖父の家系の残した写真が整理されて貼ってあるんだよ、10枚ちょっとぐらいかな。で、この写真はまだ親父が生まれる前の写真だ

いつごろ?

大正12年だってさ、つまり1923年。いまから90年ちかく前ってことになるな。それでね、ここにあげたこの写真が現存する最古の一枚なんだよ

ははは、現存する最古と来たか、まるで考古学だな

ああ、これを機に、林家の考古学ってシャレこむか? ははは

それにしてもさ、この写真、改めて見ると、なんとも形容しがたい写真だな

そうだろう。実はね、この写真を初めてみたときから、何とも言えない感じはあったんだけど、今回、写真をデジタルで撮ってさ、こうしてネットに掲載して、そのうえで改めて見てみると、なんだか、少し違った風に感じたんだよ

オリジナルの写真自体はふつうの写真サイズだよな。よくある、いわゆる、昔の写真だ

今回、なんとなくこうやって公開してしまったんだけど、いいのかな、って思わないでもない

でも、ここに写っている人はみな、もう、亡くなっていないだろ。そういう意味では、別にいいんじゃないか。昔の史実を紹介する写真みたいな扱いだろ、もう、すでに

うん、でもさ、この写真の発散するオーラ、これすごくないか?

うん、わかる。で?

たしかに、恐ろしくて近寄りたくない

ははは、おふくろの感想と、同じか

うん

まあいい、少し、写真の説明しろよ

まず、右奥の肘掛け椅子みたいなのに、ものすごく偉そうに座っているのが親父の父親、つまりオレの祖父。で、右手前の若い女性がオレの祖母で、このときはまだ17歳だ。それから、まんなかの奥に立っているものすごく怖そうなおばあさん、あと、左手前にいるやっぱりものすごく怖そうな女性の二人は、誰だかわからないんだが、顔の面影から判断するに、たぶんおばあさんは祖父の母親、で、女性は祖父の妹か姉、だろうな

オレたちのおばあちゃん、つまり祖母がこの林家の一族に嫁いだばかりの写真だろうな、これ。おばあちゃん、なかなか可愛いじゃないか

そうなんだよ、他にも何枚か10代のおばあちゃんの写真があるんだが、オレたちのおばあちゃん、けっこうかわいいんだよ

それに比べて、おばあちゃん以外の林家の面々は怖すぎるな

そうだよな。で、このあと1年もして長男が生まれる、それがオレたちの親父、それで、その2年後に長女が生まれて、それがオレたちの叔母さん、で、それから1,2年かな、次男が生まれて、つまり叔父さんだけど、それですぐオレたちのおじいちゃんは病気で亡くなってしまうんだ

親父が5歳ぐらいのときだな

ああ、それで、どうやら林家の家長が死んだことで、林一族はそこでなんだかバラバラになってしまったらしいんだ。ただ、実情ははっきりは分からない。

親父をはじめ生き残っている人間がいないからな、真相はわからないな

ああ、それからあと、親父をはじめ林一族はかなりの苦難の歴史を送るらしいんだが、まあ、よくわからん

ふーむ、どうも、物語に暗い影があるような気もするな

いや、暗いってさ、この写真の雰囲気のせいでそう感じるだけかもよ

うん。で、もう一回言うが、この写真のどこが変なんだろう

おまえ、どう思う?

うーん、なんかね、写真のコンポジション的に、独特の心理的な構図感、というか、パースペクティブ感のようなものを感じるな

それは、なんだろうな

ひょっとするとだが、これは、写真としては傑作かもしれないな

そうか、そう思うか。オレもそう思うんだ。ベラスケスのラス・メニナスとは言わないが、ある種、西洋的な意味で、絵画的な味わいがあるんだよ

うん、それはね、きっと、写っている4人の人間のあいだの宿命としての「関係」と、当時の生活上における心理的な「関係」と、写真の構図を形作っている造形的な「関係」の、それら3つの関係が見事に一体になっている、ってことじゃないか?

たしかにな。およそ、そういうことだ

しかし、これ誰が撮ったんだろうな。写真屋が撮ったのではないと思うんだが、どうだろう。実家の縁台のような場所なんで、家族の誰かが撮ったと思うがな

偶然かもな

ああ

それにしても、さっきお前が分析したみたいに、一種絵画的なスナップ写真の傑作だ、なんて言っておけば、平和なんだけど、どうもな、やっぱりオレたちのおふくろが感じたように、怖くて、近寄りがたいオーラを発しているのはたしかでさ、オレも、いま、こんなどうでもいいオレとオマエの会話のネタにしてるけど、どうも、後ろめたい感じがあるよ

わかるけど、まあ、それほど怖がらなくてもいいじゃん

それにしても、この3人の林家一族に、こんなウブな17歳のうちのおばあちゃんが嫁いじゃってさ、さぞかし苦労しただろうな。それで、その苦労が、これで終わりなんじゃなくて、これが始まりだっていうんだからな、昔の人たちのなめた苦労というのは、じっさい、途方もないものだなあ、と思ったりするよ

そうだな。おまえ、少し前、芥川龍之介が気に入って、しきりに何冊も読んだだろ。それに通じるものが、ないか?

あるな。生まれ、という得たいの知れないなにか、だよ。芥川の自殺に至るまでの彼のあとを小説とともに追っていると、そんな不気味なものを感じたよ、オレは

林家は武士の家系だったそうだな

ああ、死んだ親父にさんざん聞かされたよ。お前は武家の嫡男だとかなんとか。イヤだったな、あれ

イヤだったのか? まんざらでもないとも、思ってもいただろ

まあ、そうかもしれないが、オレたちはおふくろの子でもあるからな、もっと、身軽でいたい、という気持ちは常にあるじゃん、だろ?

しかし、この写真を見ると、武家の流れかねえ、って思えなくもないな。なんだか、厳しくて、堅くて、シリアスだよ

うん、親父が日記に書いていたが、この親父の父親が死んだとき、まだほんの5歳ぐらいの子供の親父は、棺の中に、乃木大将のように生きます、って紙に書いて入れたそうだよ

うわー、乃木大将か、キツイなー、厳しいなー。オレたちの親父ってそんなにいかめしかったっけ?

まあ、おしなべてそうだったが、親父にはきわめてナイーブなところや、優しいところ、シャイなところが、あったな。まあ、幼少から苦労の連続だったせいもあるだろうが

まあ、親父の話はまたあとにするか

うん、こんな写真を出してくると、なにかと自分のルーツについて考えたりするもんだけど、オレはね、もうそれは止めにしようと思うんだよ

しかし、おまえ、なんだかんだで妙な自負心があったりするのは、そういうルーツのせいもあるだろう

たしかに、そう考えたこともあったけど、さいきんはとみにそういうのが面倒になったな。生まれに恥じない行動、なんて、窮屈でイヤだよ

そっか、それは呑気な母方の影響もあるかもよ

いや、たしかにそうだけど、それより何より、これからはそういう時代じゃあ無いんじゃないか、ってさいきん思うこともあるんだよ。生まれが武士だろうと平民だろうと貴族だろうと関係ないし、いま現代では血が薄すぎる場合がほとんだから、そのでたらめに混じりあった血の中のひとつだけ誇大に取り上げてそれに自分が縛られるのも馬鹿馬鹿しい、とかいう、よくある普通の言説とはちょっと違うんだけどね

じゃあ、なんなの?

うーん、説明しにくい

それじゃ、わからん

生まれ、ってのはあると思うけど、生まれで人生作るんじゃなくて、生まれを材料にして、生まれと違うものを作ってさ、それで生きて行くのがいいと思うんだ

なにいってるか、ぜんぜんわからん

最後の最後はコスモポリタン、っていうかね

生まれや、土地や、国から自由になって、そのままヒッピーっていうのが、おまえの理想じゃなかったっけ? コスモポリタンなんておまえらしく、ないな

そうか、やはり歳をとったのかな。ただ、さすがにオレも、エスペランド語しゃべって万国みな同胞とか呑気に言うんじゃなくて、それよりボードレールのことを思ったんだけどね

おっと、ボードレールか。たんに父方が武家の流れだからって、ボードレールみたいな世界史的な人間を持ち出すか? おまえ。さっき、血は薄いって言ってたじゃん

ははは、まあな! なんか、滑稽だよな。でもね、やっぱり、ああいう昔のすばらしい人をリファレンスにするってのは、悪いことではないと思うな

で、ボードレールがどうしたって?

うん、彼は、平民だったはずだけど、おそらくどこかで正真の貴族の血を引いていただろ? でも、彼は貴族という身分として振舞うのではなくて、その貴族としての能力を持って別の行き方をしたよな。悪の華という詩を書いて象徴詩人という型を作って、それで、巴里の憂鬱っていう散文を書いて当時のパリジャンの一種の典型を作っただろ。ああいうのを連想してるわけ

なるほど、でも、おまえ少しボードレールよりもっと最近の人をリファレンスにしたらどうだ? 古過ぎるだろ、いつまでも、そんな

別にいいじゃん。オレには、特に、あの巴里の憂愁で彼のつくった、パリに暮らす奇矯を旨とする平民、っていう姿が好きだなー そういう意味じゃ、アメリカに暮らすヒッピーっていう無産階級っていうのと、オレの中では平行してるよ

わかった、わかった。でも、その彼の作ったパリジャンの型って、その後、当の平民たちに拡散し、誤解され続けて、結局、おい、知ってるだろ、日本にまで渡ってきて、つい十数年前に若者の間で耽美系ってのがはやったときに、ボードレールはその象徴的な存在でさ、耽美系の男たちが化粧して着飾って、それで、ボードレール命、とか言ってたんだぜ、だろ?

ははは、そうだっけな、耽美系とは、なんか、懐かしい

まあ、このへんにしとくか

うん

最後にオレたちの母方のこと言わなくていいか

そっか、そうだな。母方は父方とはうってかわって、庶民で、素朴で、率直で、明るい感じなんだよな

そうそう。母方の話もこんどすることにしよう

うん、父方と母方の正反対ぶりは、たいしたものだったからな

そういう相反する生まれのミックスが、オレたちってことで、今日の昼飯なににするかな

うん、今日はね、久々に地元の蕎麦屋でうまい蕎麦食わないか?

お、あの武蔵だな

そう

少し高いがあそこの蕎麦は絶品だな

うん、特にツユがすばらしい。きわめて上品な、大人の味を通り越して、老境の味かもしれない

雑味のまったくない、水のような、でも足し引きできないはっきりした出汁の味わい、って、ああいうのは一朝一夕じゃ作れないもんだ

それこそ、生まれにもとづいて作り出した、すばらしい「型」、じゃ、ないか

こじつけたな? でも、ひょっとすると、祖先をたどると昔の宮廷料理人かなんかが、いるのかもしれないしな

だろう? まあ、とにかく、それを楽しみに行くことにしようぜ

ああ、まずは朝風呂に入ってからな

そうしよう!



新どうでもいいこと8