ジキル博士とハイド氏 (スティーブンソン)

二重人格を描いた有名な古典である。物語が繰り広げられるのは、むかしのロンドンの街。その情景の、独特な、暗さ、冷たさ、霧にかすんだ感じがとても幻想的で、読んでいてすっかりその世界に浸りきってしまった。ジキル博士は、社会的な地位、尊敬を勝ち得た著名な科学者。その彼が、人格の善悪を分離する薬をひそかに発明し、自らが実験台となり、自分の邪悪な部分のみで出来上がったハイド氏に変身する。暴力的な腕力を持ち、敏捷で、身軽な、醜い身体を持ったハイド氏は、いとも軽々とあちこちを飛び回り、悪の世界に入り込み、思う存分、気のおもむくままに悪行を重ねる。良心の呵責や、道徳的抑圧から、完全に自由になり、これまで抑圧されていた自分の邪悪な部分をすっかり明るみに出し、解き放ち、今まで禁止されてきた行動を本能のおもむくままに行うことの「爽快」さが、後のジキル博士の手記の中で語られている。この気持ち、すごく良くわかる。実際、自分の中の無意識界に押し込めれている邪悪な部分というもの、抑圧が働くせいで明確に輪郭を持った形で取り出すことはできないが、相当巨大なものであろうことは想像できる。僕らはこれを、いろいろな形で変形に変形を重ねて、元のものかどうか判然としないような形にまでして放出しているような気もするのだが、どうなんだろう。よく言われることだが、「芸術」や「表現」の中には、この抑圧された邪悪をエネルギーとして使っているものが多い。つくづく解き難い謎の部分である。それにしても、近年のネット社会をちょっとのぞいてみただけで、むかしフロイトが人間の意識と無意識、自我と超自我、抑圧などを図にして描いた、あの図式がほぼそのまま全ネット情報に当てはまるように見えるのは不気味である。そこには「芸術への昇華」などというものはほとんど見当たらず、単に凶暴な悪がそのままの形で見えていたりする。こういったものは、これまでは見えてはいけないものだったのである。目に見えるものではありえなかったからこそ、芸術や表現という形に姿を変えることもできたのである。こんな世の中になると、ジキル博士とハイド氏のような幻想的な、気品にあふれた奇談を楽しむことは贅沢な行為に属する。普通は薄っぺらなハリウッド娯楽で終わってしまうのが常だから。今の世の中、悲観し始めたらきりが無い、ということか。ところで、ジキル博士は、最後にはハイド氏から元に戻れなくなり、自室にこもるが、ついに自殺して果てる。月並みな結末だが、これが正しいあり方なのだ、この結末しかありえないのだ。

イワン・イリッチの死 (トルストイ)

慰めではじめた読書とはいえ、この本はかなり印象が強く、二、三度は読み返してしまった。中流と上流の中間ぐらいに位置する、何不自由ない身分とされる主人公イワン・イリッチが、ちょっとしたことで病気になり、それが悪化の一途をたどり、最後には恐ろしい肉体的苦痛のうちに死んでいく、誰にでも起こりうる平凡な人生の経過を描いている。耐え難い痛みの中で主人公は「この痛みはいったいなんのためなんだ」と自問し、確実に死に向かっていることを自覚せざるをえない精神的苦痛の中で「死ぬということはいったいどういうことなんだ」と、果てしなく続く拷問のように、自問し続ける。結局、読み終わってみると、主人公の彼が、自分以外の他人のためを思ったことが、その四十五年の人生の中で、たった一回しかなかったことが分かる。それは、死の二時間前、苦痛でもがきまわりながら苦しんでいるときに、ふと自分の横にいるのに気づいた子供と妻の姿を見て「自分はかれらを苦しめている」と自覚したときである。長い人生の中の数限りない出来事の中で、本当に他人を思ったことが、これ一回しかなかった、というのは不思議なようでいて、当たり前のことかもしれない。自分について思い返してみると、自分でも驚くのだが、たしかに本当の意味で他人を思った経験がほとんど見当たらない。他人を心配することはあるが、それはほとんどの場合、自分のためであることに気付く。トルストイがこの小説で言いたかったのは、このことである。イワン・イリッチは、妻子を哀れみ、そして突然「そうだ、俺は死ぬのだ」と納得する。とたんに、痛みも、精神的苦痛も消えてしまう。そしてほどなくして死ぬのである。

懺悔 (トルストイ)

あまりに実直に考えるということは、なんと過激なことだろう。余裕なし、猶予なし。人生は無であり、その現象だけを見れば生きるに値しない、ということを全力で論証した後、それでも生きるという意味がどこにあるのかを脇目も振らずに追求している。これを書いたときトルストイは五十歳。心身ともに並外れた力を持った精力の塊のような人間だったとのこと。そんな中年男を精神的危機が突然襲ったのであり、現代で言うなら、更年期障害による精神不安定と診断されるだろう。しかし、病名が付いたところで何が解決されたわけでもない。もっとも、今では、鬱病の薬みたいにいい薬があるのかもしれないが、そんな便利なものが無い場合、人は、突然、お経を読み始めたり、色狂いになったり、運動を始めたりと、十人十色に違いない。そして、このトルストイは、古今東西の先人たちの知恵をひたすら調べ、人生の意味を徹底的に考えた、というわけである。なんらかの転機で後半生が変わった、との話を時折聞くが、それはその人の前半生の結果なのかもね。それにしても、こんな本を、古本屋で見つけてたまたま買ってしまうという自分は、もうすでに中年の危機に差しかかっている、ということだろうね。

東海道四谷怪談 (鶴屋南北)

これはすばらしい! 僕の買った昔の岩波文庫のは、当時の歌舞伎の台本そのものらしく、すべて江戸の言葉で書いてある。言葉がかなり難しいのだが、それはそれ日本人なだけあって、ゆっくりと一生懸命に読むとだいたい分かる。いつもの速度で読んでいるとページだけは進むが、意味がまったく頭に入ってこないのである。この四谷怪談を読んで、文章をゆっくり読む、ということはいいことだなあ、と改めて思った。四谷怪談は、実は、お岩と、その妹お袖の物語で、けっこう長い。江戸の庶民の生活や、浪人と町人の微妙な力関係や、そのころの女の独特の風情やらなにやら、本当に面白く、夢中で読んでしまった。もちろん、当の怪談話もおどろおどろしく、怖い。お岩を裏切った民谷伊右衛門のところに最初に出てくるお岩の幽霊は、伊右衛門の新妻のお梅になりかわり、現れる。恥ずかしげに床でうつむくお梅を呼ぶ伊右衛門、お梅がふっと顔を上げると、それはお岩の崩れた顔になっている。逆上した伊右衛門は即座に首を落としてしまうが、転がった首をよく見ると、それはお梅の首であった。そのときのト書き。

顔を上げ、くだんの守りを差出し、おいわのかほにて、伊右衛門を恨めしげに、きつとみつめて、けらけらとわろう。伊右衛門はぞつとせし思い入れにて、そばなる、刀引き取り、抜き打ちに、ぽんと首うつ。その首、前のえんへ落ちると、お梅の本首出て、うすどろどろ。

なんとすばらしい情景描写、本気で感心してしまう。この、ぽんぽん、軽いリズムで飛び出してくる簡潔な描写、まるで浮世絵を見ているようである。やっぱりこれは、本物の歌舞伎を見に行かないと。

方法序説 (デカルト)

しかし、難しげな日本語題名をつけたものである。僕らも学校の倫理の授業で「方法序説」と習ったから変だとも思わないのだが、実際に読んでみると、難しいことはほとんど書いていない。有名な「われ思うゆえにわれあり」はここに収録されている。あとで解説を読んで知ったが、デカルトがこれを書いたのは、かのガリレオが地動説を唱えて宗教裁判にかけられ有罪となった時代であった。デカルトはまったく平易な書き方で、真実の探求とは、誰であるかを問わず、人間であれば、誰でもが理解でき、到達できるように為されなければならない、と説いている。つまりあらゆる権威主義を否定しているわけで、当然、デカルトの身にも危険は迫っていたらしい。ところで、この本の前半は自らの方法論をどのように築いたかに関するエッセイのような感じで、後半はその方法に基づいて行った若干の科学的検討について書いている。後半のデカルトが導き出した結論は、今では科学的に間違っているものも多いが、それは置いておいて、前半が感動的である。真理に対する情熱、この時代ではなかなか無かったであろう完全な平等の意識、自らの生き方を信念で律する厳しさ、どれもこれも超一級である。それでいて、本当に、そのへんのあんちゃんに話しかけるようにやさしく説明している、すばらしい。

奥の細道 (松尾芭蕉)

僕が古本屋で買った文庫はあまりに古くて、注釈も現代語訳もまったく無く、古文の原文がそのまま載っているだけである。さらに、読点、句読点も無く、濁点のたぐいも無く、一生懸命読んでもなんとなくしか分からない、という程度である。他の対訳本などを見てみると、このような古文を現代語に訳すと、文章が三倍ぐらいに増える。当時の文というのは、書く人と読む人の間にたくさんの共有知識や相互信頼があって、それで成立していて、くだくだと書く必要がなかったんだろうなあ、と妙に感心する。

さて、昔学校で習った芭蕉の句には好きなのがいくつかあり、こうやって今、原文と共に再読してみても、本当にすばらしく、感動した。ただ、紀行文の方も難しいが、句の方も、半分以上がやはりそのまま意味が頭に入ってこない。この辺は要勉強であろう。それはそれとして、僕にでも分かる平易な句を見ると、たった一行の上にものすごい大きさの、なんというか、人生のようなものが見えている。よく、俳句の表現について評するに、たった十七文字の中に凝縮されている、と言われるが、実際は何となくそういう言葉じゃなくて、むしろ広がっているイメージである。その昔はただの一粒の種子だった、松や桜や、杉や、そんな木々が見事に大きくなり、枝振りを広げ、立っている、そんなイメージをこの一行の句は持っている。俳句は、今では、英語圏の学校でも課題になるほどポピュラーで、そこでもたぶん俳句を説明するのに、凝縮、簡潔、という言葉を使うと思うのだが、これは当たっていない気がする。少なくとも芭蕉の句にはそんな姿は映っていない。とても大きいのである。

ちょっとだけ書き留めておこうかな。有名な平泉の章では、ふたつの句が紀行文をはさんで並んでいる。今はただの野原と化した藤原三代の栄華の跡を見て、笠を置いてそこに座り、いつまでも涙を流した、と書いた後

夏 草 や 兵 ど も が 夢 の 跡

中尊寺の光堂は、藤原三代の棺を納めた小さなお堂である。これは長年の月日で見る影も無く朽ち果てているが、回りを囲い、屋根を覆って、かろうじて記念として残っている。そして

五 月 雨 の 降 の こ し て や 光 堂

それにしても、この二つの句の対照にはあきれるほどの量の何かが映っている。不思議なものだね。これを見て、このときばかりは本気で、日本人に生まれてよかった、と思った。

ところで関係ないが、いくらか前に僕も中尊寺へ行ったことがある。光堂は、芭蕉が訪ねたころにあった場所から、境内の近くに移設されていた。芭蕉が書いている、お堂を覆う囲いはそのまま残っていて、割りと粗末な木造の建物はがらんどうで、昔はここに荒れ果てた光堂が建っていたのだ。現在、当の光堂は完全に修復され、きらきらに新しくなり、なんと今度はコンクリートの建物に覆われて、温度湿度を完全に管理された中に立っている。見物客はこの建物に入り、ガラス張りの空間の中にライトアップされた光堂が見られる、というわけである。このとき見た青ざめた光堂を、今でもつらい光景として思い出す。ここまでくると、さすがに、見物に来ている、普段は下卑た冗談で大笑いしている田舎のおじちゃんおばちゃんたちも、少しおとなしく、なんとなくみな苦々しい顔をしているように見えた。まあ、これが時の流れというもの、文句は言わないようにしよう。そして、芭蕉の句が残っていることを幸せとしよう。

ちなみに、これらの句だが、「なつくさやつわものどもがゆめのあと」「さみだれのふりのこしてやひかりどう」と、頭の中で声に出して、ゆっくりしたテンポで読むことを是非おすすめしてしまう。他の句ももちろん同じである。一種の音楽だから、やっぱり声に出すといいみたいである。ただ、頭の中で、と書いたのは、本当に声に出すと、どうも自分の声の悪さに辟易してしまったからである。少なくとも僕の場合は、音読する場合は、朗読のプロのような人に読んでもらった方がいいのかもしれない。

人生論 (トルストイ)

前に感想文を書いた「懺悔」の発表を境にして、トルストイは、芸術と美と詩を崇めた前半生から、キリスト教に基づき人類を善へと導く思想を説く後半生へと転向する。「懺悔」では、その精神的危機を執拗に語っているが、人生の意義に関する結論は書かれていない。最後に、信仰に救いのきっかけを見出し、これから神学に関する膨大な調査を始めるところである、というようなところで終わっている。この「人生論」は、ちょうどその回答に相当するものである。トルストイの転向後の文学については、ほとんど乗りかかった船だ、とばかりに読んでいる。それにしても、この人生論、たしかに人生の深刻な諸問題に関する綿密な回答なのであるが、なんと余裕の無い回答であろうか。僕の中のトルストイのイメージは、上質で、まっすぐに伸びた竹のような硬さ、という感じである。すこぶる硬いが、いったん割れると、まっすぐにきれいに割れて、そこには等間隔のがらんどうの部屋が整然と並んでいる。同じロシアの、もうひとりの同年代の大作家ドストエフスキーの底なしの深みとなんとイメージが異なることか。ドストエフスキーの地下は深く広がっていて、そこにはボッシュの描いたようないろいろな秘密の部屋が通路でいくつもつながっている感じである。まあ、いずれも僕の勝手な空想なのだが、この二人は同じキリスト教に思想的根拠を求めている同時代人だが、その根本的思想に似たところが無いような気がする。似ているところといえば、二人とも、その、人生を考える上での度外れた真摯さと純真さゆえに、他に例がないほど過激だということぐらいか。トルストイほどの作家に対して、好き嫌いを言うのは的を得ていない反応だとは承知だが、僕は彼の一種の冷徹さ、物事をあからさまにえぐり出して見せる、あのやり方についていけない感じがする。それに対してドストエフスキーには、いろいろな隠れ家がある。隠れ家の中の様子は執拗に描かれているが、白日の下に引っ張り出して描くのではなく、あくまでもその隠れ家の中で語られている。したがって物語りは気違いじみているが、冷たさは無く、異常に対する愛着すら感じられ、なんというか、僕には、彼の作り出すその全体の世界から、生きることに対する感謝と愛情が溢れて出ているように感じられるのである。僕は、ドストエフスキーについてはその全作品を過去に熟読しているのだが、今回、トルストイをいくつか読んでみて、やはり、自分にはドストエフスキーが合っていることを再認識したように思う。

実践理性批判 (カント)  第一報

かの有名なカントの実践理性批判を買って読んでみたが、情けないことに、もう一ページ目からしてほとんど意味が分からない、お手上げである。カントが、「理性の能力には限界があり、理性で到達できないものがある、ということを証明した」ということは何となく知っていたが、これほど難しいと思わなかった。まず、漢語で書かれたあれこれの用語がわけが分からない。旧仮名遣いの古い本を買ってしまったこともあるかもしれないが、「純粋認識能力」とか「実践理性」とか「意志の規定根拠」とか、意味がまるでつかめない。ということで、つまりは、哲学について勉強してから出直してきなさい、ということなのであろう。哲学も、ぼちぼち勉強してみようかな。なんか一言でもちゃんと分かったら、改めて感想文に書いてみることにしよう 。

ブッダのことば (中村元訳)

仏教のもっとも古い文献を現代語に訳したものだそうである。ここに書かれていることが、ゴータマ・ブッダその人が実際に言ったことに一番近いらしい。ブッダが死んだあと、宗教としての小乗仏教が興り、その後大乗仏教が現れ、流派もいろいろ別れ、仏教の経典もそのつどいろいろ変化し、増えていったとのこと。経典が日本に渡ったのは、大乗仏教の後で、そもそものブッダの生の言葉を多く記したこの文献は、日本には渡らなかったようである。しかし、これを読んでみると、ブッダの言ったこと、そして行ったことは、とてもシンプルで、現実的である。宗教につきものの、神秘的なもの、難解なもの、形而上的なものはほとんど出てこない。僕が読んでいる限り、結局言っていることは「苦しみを絶つために、苦しみそのものを捨てよ」あるいは「死の運命から逃れるために、死そのものを捨てよ」といったことに尽きるように見える。そして、たとえば、苦しみそのものを捨てるために、苦しみの元となるものを捨てよ、では元になるものといえば、それは、執着であり、欲であり、なんであり、かんであり、と果てしなく列挙が続く。そして、それらすべてを捨てて清らかになりなさい、と説いている。それで、最後の最後は、生を捨てなさい、そして、死も捨てなさい、生も死もない世界に清く暮らしなさい、という風になる。なんか、こう、限りなく植物のようになりなさい、と言っているようにも聞こえる。ニーチェは仏教を、老成した人間の語る衛生学だ、というようなことをどこかで言っているが、なんか分かるような気がする。

それから (夏目漱石)

今までずっと敬遠してほとんど手をつけなかった日本文学を読んでみた。たまたま古本屋で目に入った漱石のこの本、結局、夢中になって読んでしまった。なんと、自分のメンタリティに近いことか。やはり同じ日本人なんだなあ、と感心することしきり。主人公の代助は、30になっても一向に働きもせず、親の金で文学や芸術にうつつを抜かし、書生と婆さんのいる一軒屋で世の中に背を向けて生活する、今で言うところのモラトリアム人間である。それが、ある日近くに越してきた親友の細君への恋心から、理想と現実の板ばさみになるが、結局、代助は自身の信念から恋を選び、結果あっという間に親兄弟から勘当され、仕送りが止まり、実社会に放り出される。そこで物語は終わる。勘当を告げる兄の言葉の後、代助は「ちょっと職業を探してくる」と言い残して家を出て、電車に乗っていつもの風景を眺めるのだが、彼には、すべてがくるくると回って、真っ赤に染まって見える。このエンディングはいいねえ。現実から逃避して生きる代助が、脆弱な日本の古い伝統を、ただ忙しく実社会で働く代助の回りの友人、親兄弟が、急速な西洋化によって歪んだ日本を、それぞれ代表しているようにも見える。代助が回りに屁理屈をこねながら、のらりくらりと現実逃避していた、その態度は、策略でも優柔でも無かった、と漱石は小説のどこかで書いている。現実逃避という明確な選択をしながら、対決の時を待っているのである。代助の回りの忙しく働く連中らは、自身の中に古くからある日本の本当の心を捨てて、西洋化の波に乗っているに過ぎない。一件、現実生活を送る者に理があるように見えるのだが、その実、彼らのほうが本当の意味で現実逃避しているのであり、見たくないものを見ないために、忙しい現実でこれに蓋をしているだけだ。そこには理想と現実の相克などハナから無いのだ。しかし代助は、まさにその相克のあげく、自身を肯定することで一気に社会へ飛び出して行く、その先に本当の希望があるのだ。と、言うのは、ちょっと言い過ぎだろうか。でも、ずいぶん昔、就職はしているものの、ほとんどモラトリアム状態だった僕は、自分に都合のいいようにそう読んでしまったな、この小説。

悪霊 (ドストエフスキー)

これは再読である。しかも、実は何度目か分からないほど何度も読んでいる。改めて読んでみて、今になって強く感じるのが、このごった返しの世界全体にあふれている、生きることの充実感である。僕の恩人でもあるドストエフスキーについては、同じくゴッホについて本を書いたように、一大エッセイを書いて恩返しをしなくてはいけないところだが、なぜか書き始める自信が無く躊躇したままである。ここでは、今まで彼について考えてきた真面目路線からちょっと違うことを、ちょっとだけ書き留めてみよう。小説の筋書き自体は、当時ロシアで起こっていた革命分子の反社会行動に取材したもので、西欧の革命思想に感化された若い世代と、物語の舞台になる小さな町の旧世代との間に起こった奇怪な事件について書いている。小説の中には、実に様々な型の人物が現れて、めいめいがどう制御の仕様のない衝動や心情、情熱に動かされて悪夢のように全力で行動している。これを読んでいて、正直に感触を言うと、こうしないといけないという猶予なしの命令を受けて行動に衝き動かされている状況が自分とかぶって、およそ経験したことの無いような充実感で人生を送っているように錯覚するのである。自分の意思で行動している、というより、出所不明の厳命により行動させられている、という感覚である。こういった事態が起こっている現実の場所で、もっとも分かりやすいのは戦場であろう。ドストエフスキーの場合、人間たちに乱脈な命令を下しているのは「神」である。この辺、作者が下しているようにどうしても見えないところに、彼の恐るべき才能と天性があり、ほとほと感心するが、とにかく、ここで展開されている世界は「神の銘による戦場」と言っていいように思う。そういう意味では、たとえば、あの残酷なギリシア神話と同じところがある。ところで、昨今、若者たちの間で定着しているテレビゲームだが、主流はやはり戦闘ものであろう。あのバーチャルな、作り物の、しかし次から次へと行動を強いられる世界にどっぷりつかるのも、やはり同じような充実感によっている気がしてならない。つくづく、人間、特に若い世代というのは、本能的な意味での戦いを求めているのだなあ、と思う。悪霊の世界と、戦闘ものゲームの世界の、その世界の大きさ、深さのあきれるほどの違いは、また別の話だ。僕は、ただ、ゲームに夢中な今の若者と、ドストエフスキーに陶酔していた若者だった自分を並べたとき、その快感の元になっていた生理的条件が同じものらしい、ということを思うのである。ここで、そういった陶酔に必要な条件として重要なもののひとつに過酷な生活環境がある。彼の小説で繰り返し現れるロシアの過酷な自然は、実はとても重要らしい。寒く、湿っていて、夜はろうそくの明かりだけで暗く、自身の情熱の炎がなければあっという間に凍えて死んでしまうような感じである。同じくインドあたりを放浪している日本人たちも、ことさら過酷な場所を選ぶように行動している。これなども同じ生理的要求にもとづいて見える。現代人が生きている、何もかも露出していて、明るくて夜が無く、何でも手に入り、エチケットだけで道徳的欲求が無く、隠れ場の無い、このたまらない現代世界は、特に若者たちにはとても気の毒に感じる。大人たちはまあいいとして、本能的かつ生理的欲求が有り余っている若い世代には厳しい環境だろうね。以上、当の小説とはあまり関係のない話でした。

ユング (林道義)

ユングの入門書である。ずいぶん前からずっと気になっていたユングにようやく手を出した、という感じである。本をめったに読まない自分として、とても不思議に感じるのだが、当の本を読むタイミングというのがけっこう重要なのである。読む数が少ないだけに、僕にとって読書は「出会い」とほぼ同じである。別用で図書館にぶらりと寄ったとき、なぜかユングを思い出し、心理学の書架で借りてきた、という、まあ、実に、無意識の意識化的行動である(さっそくユング的 笑)。それにしても、とてもいい出会いであった。僕が勝手に想像していた姿とずいぶん違っていた。もっと、ずっと、神秘的で呪術的な、近寄りにくいオタクっぽい感じ(失礼!)だと思っていたら、違うんだね。とても健全で、意識的で、紹介してくれた著者の見方もあるのかもしれないけど、日が差し込んだ明るい感じだった。少し前にフロイトの精神分析学入門を再読し、人格構造の章にある、人格の奥底で無言のエネルギーの爆発を繰り返す、暗い暗い人格の深部「エス」についての記述を読み、あらためてショックを受けたのだが、ユングの印象はフロイトのこれと好対照をなすものだった。人格の深部、無意識に、暗いものと同時に、明るいものを見出す、ということが、なぜか今の僕にはとても新鮮だった。旧いものは、このたまらない現代ではすでに死に絶えたと思っていたけど、そうじゃなくて、めいめいの無意識の向こうに永遠に生きていて、今でも僕ら自身の意識を経て蘇らせられる、ということを聞いて、とても明るい気持ちになった、ありがとう、と言いたい。

ユング自伝 (ユング、ヤッフェ編)

最初から順に読んでいたのだが、読んでいるうちにその必要はない、と気づき、それ以降はまぐれ当たりに開いたところを読んでいる。この自伝は彼の最晩年に書かれたもので、いわば、研究者としての学会を始めとする世間への配慮とか、そういう厄介なしがらみをほぼ無視して書かれたもののようだ。しかも、自伝という形式もあり、研究者的な言葉ではなく、優しく静かに語っている感じが伝わってくる。まるで、暖炉なにかにあたりながら、おじいさんのお話を聞いているようだ。ただ、そのお話は、決して簡単に理解できるような易しい話ではない。自伝であるからには、自分にあった出来事を綴ってはいるものの、それは半分だけで、あとの半分は様々な困難な論考に満ちている。面白いな、と思ったのは、特に死後の世界について書いた章で、ユング自らが、疑問を抱き、解決の糸口を見つけ、また見失い、そしてまたそれを得て、という彼の思考のリズムのようなものがそのまま文になっているように見えたことだった。こういう書き方は、研究者の論文ではもちろん許されない。論文というのは、一貫した論旨の元に、読者を論理で説得するためのものだからだ。しかし、論文の形式以外で人を説得するやり方は、いくらだってあるし、いったん学会から離れてみれば、この自伝のような語り口で、困難だけれど重要な問題を読者と一緒に考えて行くようなものであってもいい。正直、自分も研究者の端くれが長いが、学会的論文の形式は、もう古いのではないかと、思うことがある。そんな中で、この彼が、アカデミアから自由になって書いた文は、とても豊かな啓示に満ちている。論文でないので、まぐれ当たりにどこから読んでもいいわけだ。冒頭に書いたように、この自伝の文に接しながら、自然とそのことに自分は気づいたらしい。これからも、聖書占いみたいに、開いては目を通す本になるだろう。

感想 (小林秀雄)

この文は、単行本で二冊もある長いものだが、その大半はベルグソンについての論考である。実はこれは未完で終わっていて、小林秀雄自らが続けられないと判断して中止、そして公表を禁じた文なのである。例によって死後は彼の言葉は守られず、こうして単行本となって、自分も読めるというわけだ。この文では、ベルグソンの思想をほぼ著作順に丁寧に追っているのだけど、理解するのはだいぶ難しい。ベルグソンの原著と同等ぐらいに難しいと言ってもいいほどだ。いまこの現代では、昔の有名な哲学者たちの解説本はたくさん出ていて、それらは当の哲学者を研究している研究者が易しく書き下した本が多くて、じっさいに読んでみると、原著よりはるかに見通しよく、分かりやすく、僕などもだいぶそれらの本にお世話になった。でも、思い起こしてみると、それら分かりやすい解説本は、その著者が、対象となる哲学者について、その研究者独自の解釈や概念というものを持っていて、それを自分の言葉で説明するせいで理解が容易なことが多いように思う。それに比べると、この小林秀雄のベルグソン論は、ベルグソンとぴったりと寄り添って論を進めており、結果、原著と同じぐらい難しくなっている、と言えそうな気がする。ところが、実は、この件については、一つだけ小林秀雄独自のベルグソン解釈があったらしく、この文の後半はそれに向かって突き進んでいるのである。で、結局、本人いわく「力不足で」断念している。もし、彼が、それをもっと気軽に、エッセイ調にでもして披露してくれていたら、とても面白いものになったのにと、どうしても思ってしまう。小林秀雄は、これ以外にも、ゴッホについての論考でも同じことをしている。幸い、あちらは途中で執筆を断念しなかったが、結局、文の後半は、ゴッホの手紙の抜粋と起こった出来事を列挙して、自殺に至る事実の連鎖を綴って終わっている。ここでも、小林秀雄はゴッホにつきユニークなアイデアを持っていたのだけど、それを書かないで終わらせている。僕が、なんでそんなことを知っているかというと、彼の周りの人間たちの語るエピソードや、彼の対談の中の言葉で、分かるのである。小林秀雄は、そういうところは、まことに、まるで古風な学者並に頑固で、強烈な倫理観の元に、文学をした人だったのだなと思う。ちなみに、ベルグソンについての彼のカンはおそらく、量子論という物理が発見した物質の姿をベルグソンは哲学的考察によって予言した、ということ。つまり、哲学と物理は同じ結論に導かれた、ということであったらしい。