感性オーディオと工学の話

芸術科学会に感性オーディオ研究会というものがあり、僕の書いた文の中にも幾度か出てきた宮原誠先生がやっている。宮原先生と僕の仲は長く、僕はすでに十数年、宮原先生の仕事の広報的な部分を手伝ってきた。ここに、ここ最近の2年間に行った21回分の研究会の活動報告を載せておく。僕自身はこのうち2、3回に出席しただけで、大半は宮原先生の個人活動である。この報告書も、宮原先生から送られてきたワードの文をあえて整形もせず、そのまま羅列している。この長い報告をいちいち読む人はほとんどいないと思うが、ざっとスクロールするだけで、その雰囲気は感じ取れると思う。

http://niz237gt.sakura.ne.jp/hmlab/HP/kanseiaudio2013-2015.html

今回、改めてこの文書の集積を読んでみて、次から次へといろいろな考えが浮かんできて、妙なものだと思った。問題の所在ははっきりしているように思うものの、どうにも、その本質にフォーカスできない。一番簡単な方法は、世の中にいるハイエンドオーディオの食えない人々の趣味的な探求の一つに過ぎない、として放置、無視することだろうと思う。でも、自分にはそれをしてしまうには惜しい「何か」がここにはあると思う。逆にそれだからこそ、ここまで長年手伝ってきたわけだが。

少し前、「理科系のための哲学・芸術・美」という活動を長島知正先生とやっている、とアナウンスしたが、長島先生とお会いしたのは、元をたどれば宮原先生とのつながりである。感性工学の一連のコネクションだ。このだいぶ混乱しているように見える宮原先生の報告が、長島先生と僕がやっている「主題」と密接にかかわっていることは間違いない。そういう意味では類は友を呼ぶのだろうか。

僕の宮原誠評はいちおう昔から一貫していて「宮原誠は宮原オーディオという作品を製作する作家である」である。ご本人に何度も言っているが、もちろん先生は納得しない(時々は、そうかなあ、と言われることもあるが)。この報告書で執拗に展開されている事々が工学的用語で書かれているのを見ても分かる通り、先生にとってはこれは工学なのである。僕から見ると、その先生の「工学」(新・電気音響学という名前が付いている)が、現行の工学的方法論から見るとかなり雑に展開されているので、工学者に対してこういう論を展開するのは逆効果だ、と思っている。ただ、これについて僕の方で、先生の工学を現行工学に翻訳することはできない。恐らく、先生の数少ない弟子や理解者にもできないだろう。

さっき全体を読んでいたら、むしろ、その「工学的用語を使った現象の探求」そのものが、アート作品の一種にまで思えてきた。

たとえば、スピーカーボックスの稜線の急な部分で音の波面が乱れ、それが音の「凄み」を増す方向に作用する、と書いてある。したがって、ボックスの角を丸めてしまうと、音場は良くなるが、人をぞくっとさせる凄みは減ってしまう。この変化は劇的である。と書いてある。工学者の常識的感覚で反応すると「なにそれ。気のせいじゃない?」で終わる。実際に、スピーカーボックスに角を丸めるテープを貼って実験すると、7段階評価で+3の変化がある、と書いてある。「気のせいだろ」と反応したくなるところだ。あるいは、そう思って聞くからそういう結果なのであって、ブラインドでは違いは分かるわけないだろ、という反応もあるだろう。

しかし、とにかく、気のせいであろうと、プラシーボであろうと、何であろうと、+3も凄みが増したことをどう説明するか。これは「観察事実」だ。現行工学的に考えればこれには、数多くの要因が関わっていて、それらをきれいに切り分けることはとても困難で、そもそも工学的問題の線上に乗らない、と判断されるのが順当だと思う。先生が言うところの「波面の乱れ」は物理現象として確かに確認できるだろうが、同時に、被験者が角が鋭いのを視覚的に見て確認して「そのせいで」音に凄みが増したように感じるという心理効果も確認できる。

ここで後者について切り分けるために「ブラインドテスト」を要求するのが一般的だ。ブラインドテストで違いに有意差が出た場合と、出なかった場合でその後の展開は変わるだろう。出た場合に、一番最初にやらないといけないのは物理的条件を綿密に整えることだろう。スピーカーやリスナーの位置や部屋の形状が与える影響の特定が必要だ。次は、それがどんな要因で出たのか、それを追及するフェーズになる。「波面の乱れ」という物理現象はその一つだが、それだけではないだろう。それぐらいの微小変化が人間に検知されるということになると、角を丸めるテープがボックスの振動に及ぼす変化などいくつか物理要因が考えられるはずだ。

一方、ブラインドテストで差が出なかった場合はどうか。その時点で、スピーカーの角の話は「プラシーボ」として却下だろうか。波面の乱れは人間には検知できないほど微量である、で終わりだろうか。科学的態度に照らせば、いちおう、そういうことになるだろう。次に追及すべきは、スピーカーの角の形状についての視覚的、現象的な知識が、音の感じ方にどのような変化を及ぼすかという心理学的な探求になるだろう。

この成り行きは、一見、順当に見える。しかし、ブラインドテストで、その現象が物理現象なのか心理現象なのかを切り分ければ、探求の方向はきれいに分岐し、見通しが良くなる、というのは本当に正しい態度なのか。ここでその態度を是というか否というかが、分かれ目なのかもしれない。それで、僕の態度は「否」なのである。まあ、それだからこそ、宮原先生の延々と続く探求をいぶかしく見ながらも、去らずに付き合っているのだ。

なぜ「否」なのか、と言うと、そこで問題を、物理(波面の乱れ)か心理(プラシーボ)かという相反する二方向に分離させてしまうところに、現行の工学や科学的態度の限界を見るからだ。前者が「物質」、後者が「精神」に相当すると思うが、そもそもそうした二元論で当の問題(スピーカーの角で凄みのある音が出る)を処理できる、という考え方そのものに問題があるのではないか、と感じるからだ。この二元論は、「物理現象があって」それが人間という生身の物質に作用し、知覚と認識の処理を通して「認知される」という構図に沿っている。

「角を鋭くしたら凄みが増した」という現象は、ブラインドテストの場では無い条件で起こるものだ(被験者はみなテープを目で見て、宮原先生の言葉を聞いて知っている状況)。一方、ブラインドテストで確認できる現象はブラインドテストという条件で起こる現象を確認しているに過ぎない。ブラインドテストで、いったいわれわれは何を知りたいのだろう。その現象を「説明する」なんらかの「原因・理由」が知りたいのだろう。では、なぜ、原因・理由が知りたいのだろう。一つは「解明したい」という知的欲求だろう。しかし、その知的欲求そのものとて「理由・原因が解明されれば、それを今度は別のケースに利用して、われわれの生活に役立てることができる」という功利的な理由から来るのではないだろうか。つまり、そこで得られた原因・理由は、スピーカーボックスだけでなく「スピーカーボックス以外のもの」に応用できる道が開ける。スピーカーボックスの角での一つの発見を元にして、十の、百の、応用事例を増やすことができる可能性が開けることである(たとえば波面の乱れが音の凄みを増すのなら、巧妙に波面の乱れを与えた電気音信号を作り出し普通スピーカーでも凄みを出せる電気装置が作れるかもしれない)

工学というのが、主に物理現象の自然科学的な探求をベースに行われる、というのは、物理現象というものに正確な再現性が見られる、という観察に基づいている。すなわち、物理的な要因を特定できれば、それは物理的に整えた条件下で正確に再現し、それは、測定という行為で万人に確認される、と同時に、宇宙の果てまで行っても再現する、と仮定して構わないということである。この科学的な再現性と斉一性は、数限りない物理的な測定の結果によりその妥当性が増して行き、現代という時代でその妥当性はほぼ完成の域に達している。もちろん、科学で解明できない物理現象は今でも数限りなく存在するが、再現性と斉一性はその前提であり、その前提が崩れる事象は無いとされており、そう認定して不都合なこともほとんど無いことをわれわれは経験で補強し続けている。

あまり話を大きくする前に、スピーカーの話に戻るが、問題を物理現象と心理現象に分けるようなことをせず、従来工学的な原因・理由の探求をせず、この「角を鋭くしたら凄みが増した」という現象を「そのまま受け取る」という方法もあるのではないだろうか。「知見の他への応用」などは当面考えないのある。「いや、そんなことは考えていない。単純にその原因が科学的に知りたいのだ」と言うかもしれない。しかし、ここでいったん立ち止まってよくよく考えてみよう。その知的欲求と称する一種の本能は、生活の功利性の追求の歴史的な刷り込みから来ていないかどうか? 科学文明の勝利の感覚から来ていないかどうか? なぜ、そんなどうでもいいことを考えてくれ、などと言っているかというと、そこに、科学文明が爛熟した現代のものの考え方や感じ方の「次」が隠れているように思うからだ。

このスピーカーの例でいえば、その現象を丸ごと受け入れて、たとえば、「角の鋭いスピーカーをうまいこと宣伝して凄みのある音楽を再現するオーディオとして皆に普及させて音の凄みというものを皆に味わってもらおう」という活動をする、という風に発展させたらどうだろう。ここで、波面の乱れとか、音信号の歪みとか、プラシーボによる心理的効果とか、ブラインドでテストしたときの結果とか、そういうものを科学的に整理して断罪したり、唯一絶対な原因・理由を探求したり、ということをしないのである。物理現象、心理現象も何もかも含めて、総花的に検討と追及を進める道というのもあるのではないか、ということである。この道は、正直、あまり科学的ではない。むしろ「こうしたら、こうなった」という現象についての知識の集積に終始するともいえる。それはちょうど、西洋的な科学的手法に対する、昔からの東洋的手法にも対応する。分かりやすい例で言えば、西洋医学的な手術や薬剤に対する、東洋医学的な気や漢方薬に対応する。

僕は、さっき、宮原先生のこの一連の工学的分析追及の言葉自体がアート作品の一種に見える、と書いたが、それは、このような東洋的方法論に似たものを想起させる何かが、先生の探求の中に見えるからである。西洋科学を学んだ東洋の本能を持つ精神、という構図がどうにも見えて来るような気がするのだ。もっとも、これは少し言い過ぎかもしれない。自分としては、そこに自分特有の性質を重ね合わせることが多いからかもしれないが、それは個人的な話だ。

僕の考えでは、現在、華々しい成功を収めているアメリカの、Google、Apple、Facebookなどが、実は以上に述べた問題に既に痛切に気付いていて、西洋のデカルトの思想から生まれた自然科学と、そこから生まれた現代の工学の限界を、東洋的方法論を取り入れることによって克服し、既に次の世代へと持っていってしまった、と見ている。この点、彼らの知的な勘は極めて鋭く、驚嘆する。僕が何度も出す例だが、情報社会のあり方を変えてしまったと賞賛されているスティーブ・ジョブズが禅を信奉し東洋に多大な興味を持っていた、というのは決して決して偶然ではない。

この件をきれいに分析して、示すのは並大抵ではできず、今のところ自分の手には余る。したがって、上述は僕自身の直観から言っているだけである。しかし、昨今、ここまで日本の家電メーカーが敗退続きで出口が見えず、国をあげてグローバル化やイノベーションを振興しているにも関わらず実績が出ないとなると、われわれも、もう一度、ここに述べたようなファンダメンタルな事々について、前提や起源に戻って考えてみるべきではないか、というのが最近の僕の考えである。

そもそもは宮原先生の感性オーディオについての話だったが、あの依然として混乱した宮原先生の報告書の堆積の中に、以上のような「大問題」が潜んでいるように、自分には見えるのである。

絵画とデジタル

ひろしま美術館にあるゴッホのドービニーの庭って絵が好きだって話はずいぶんしてるけど、彼のいい絵は日本にあと数点ある。

小品だけど、オーヴェールで描かれた「あざみの花」という画布も好きだ。ドービニーの庭と同時期の死ぬ少し前に描かれた絵で、どちらも色使いはほとんど同じ。このころのゴッホは、どの絵も、十数色程度の色数だけを使い、それを塗り絵のように塗っているだけで、使われている色彩の数がそんなに多くない。そういう意味では、それこそ浮世絵の多色刷りみたいな感じになっている。

このあざみの花は箱根のポーラ美術館にあり、先日行って見てきた。やっぱり素晴らしいな、いつまで見ていても見飽きない。

ここまで絵そのものが好きになってしまうと、もう、実は、これが本物である必要はなく、この絵の完璧なレプリカがあれば、オレはそれで十分満足する。結局のところ絵画というのは視覚的なものなので、視覚が満足させられれば、それでいいのだ。

ということは、完全な複製が製作できれば、それは本物と正確に同じ価値を持つということだ(少なくとも僕にとって)。それで、本物と完全に同じものを製作するには絶対にデジタル技術でなければ不可能だ。腕の立つ複製職人もかなりのところまで行くが、こと完全複製となると困難と思う。

最近、ネットで、そういう超器用な職人が出てきて、紙の上に写真そっくりな絵を描いて、皆が無邪気に驚いているのとか見かけるけど、あれは対象が写真だからできるので、絵画の場合はできるか否か怪しい。特にゴッホの絵などの場合、絵の具の盛り上げと、偶然を利用したタッチが多用されているので困難さは写真を写すよりはるかに高いと思われる。

まあ、最近の高度なCG技術を使えば写真みたいな絵はあっという間にできるのを見ても分かるように、写真そっくりに描くのは意外と簡単なはず。皆が驚いてるのがバカみたいに見えたりする。

ま、とにかく、完全な複製はデジタルであるべきだ。

というわけで、ゴッホの絵は、無数に増やすことが可能な道理になる。オレは、それを一枚、是非、欲しい。額装して飾って家に置いて、いつでも見たいんだ。

それなのに、オレの今の環境では、超不完全な複製印刷、超ひどい出来の画集、液晶モニタの上の汚いデジタルデータ、しかもすべてオール凸凹なしのペラ紙しか、無い。凸凹特殊印刷の複製ってのがミュージアムショップで売ってたが、見たけど、いい加減なもんで、しょせん色彩は全然再現できてないし、凸凹がついた紙なだけで、油絵の具の質感とか皆無だ。

というわけで、電車で箱根まで行って、バス乗って美術館行って、入場料払って、本物を見るしか、今のところ方法が無い。

3Dプリンターもあるんだから、ボタン一つでゴッホのこの「あざみの花」の完全なデジタル複製が出てくる、っていうシステムはできないものか。いや、これは今現在のテクノロジーで十分に可能なはずだし、研究室の中では実現できているに違いない。

そうなった暁には、初めて、この、ゴッホの貴重な「あざみの花」は永遠に増殖しながら生き残るのではないのか(デジタルだと経年変化が無い、という下等な意味ではない)。

デジタル複製の場合、それが完璧になれば、「増殖」というのは当たってないと思う。というのは、ボタン押せばいくらでも同じものが出てくる、ということは、それは「複数」では無く「一個」ということだ。だから、そのようなことが可能になって、初めて、このゴッホの「あざみの花」という芸術作品は、「唯一無二」の、ほとんどあの世に属する、完全に抽象的な、一個の「表現」に形態を変えて昇華するのに、違いない。

だから、デジタルにすると劣化せず退色しないだとかなんだとかいう話は些末事で、どうでもいいことなのだ。

今はまだデジタル技術がまだまだイマイチなんで、ゴッホの「あざみの花」はポーラ美術館所蔵の「本物」が本物なだけで、その形態はまだ不完全だ。そのせいで、オークションに出て何十億円とかで競り合ったり、印刷した画集が売れたり、盗難にあったり、火事で燃えたり、贋作だったり、なんだかんだという「人間的なあまりに人間的な」ドラマが「本物」の周りでドタバタ劇のように繰り広げられているのだ。

そんな喧噪の中で、この「あざみの花」の純粋な「ビジュアル」は沈黙をたたえて存在している。オレは、その孤高な沈黙に会いに箱根へ行くわけなのだが、その唯一無二の芸術精神を、大仰な額縁に入れられて壁に固定されている、その目の前に見えている牢獄から「救い出したい」と切に思う。

がんじがらめの「物理」から、「理想」を救い出すには、もう、完璧なデジタル技術しか、方法が無い。

さいきん、自分は、そんな風に「デジタル」を捉えている。

早く、そうなんねーかな。

って、研究者なんだから自分でやれよ、か。

asamigogh

(Facebookから転載)

スウェーデンの婆さん

うちの近くにスウェーデンの大型病院がある。今日はよく晴れた暖かい春びより。駐輪場に自転車を止めようとして通りかかったら、日の当たる外に、車椅子に乗った婆さんがいて、タバコを吸っている。隣を通り過ぎるとき、その気はなかったが自転車の呼び鈴が鳴ってしまい、あしまった、と思って婆さんを見たが、婆さん、呼び鈴など気にも留めず、そのままタバコを吸っている。

ああ、もうこれだけ婆さんになると、大半のことはどうでもよくなるだろうし、周りで起こっていることの大半はきっとどうでもいいことになってるだろう。どうでも良くないことは、もう二つか三つあるぐらいで、後はもう関係ないんだろうな。

などと思いながら俺は自転車を停めて、日だまりの中を歩いていて、逆に考えたが、こうして婆さんや爺さんになる前の俺たちは、自分にとってどうでもよくないと思っている大量の事々に囲まれて生きてるよな。本当に大切なことは実はとても少ないのだ、などと言う気はないが、まあ、今の俺たちは、実に大量の物事に対処いけないといけない人生だなあ、と。  

その昔、何百年か前の人々は、そんなに大量の事々に対処する必要などまったく無かったはずで、そんな時代だって、実際、同じような人間が、同じように、泣いたり、笑ったり、タバコ吸ったりしてただろう。  

いま、仕事で、平安時代に描かれた絵巻物のデータを作っている。俺の大好きな、病草紙という、当時の病気を描写した絵巻物だ。風病を患ったという烏帽子を被った男が碁盤の横で目を回している。周りの女たちがそれを見て笑っている。このころの絵巻にはそうやって笑う女たちがここそこに登場するのだが、みな、本当に屈託のない笑顔をしている。男の眼を回す様子がおかしかったんだな、きっと。今の俺たちが見てもおかしく見えるだろう。でも、こんなに屈託なく笑うだろうか、今の俺たちは。  

他の絵では、急性の下痢を催した女が縁側で、口からゲロを吐いて尻から下痢を庭に向かって水のように噴出している。その女を一人の婆さんが、しなびたおっぱいを丸出しにして介添えしている。別の女は部屋で煎じ薬を作り、赤ん坊がそのへんを漫然と這っている。庭にいる小汚い犬が嬉しそうな顔をして庭に撒き散らされた下痢の臭いを嗅いでいる。  

まあ、呆れるほど、そのまんまな生き物たちの動きそのものだ。病人も、婆さんも、女も、赤ん坊も、犬も、ほぼ一つか二つの原理だけで動いている。そういう単純な時代の、単純な生き物の動きのその様子を、こうやって絵巻とかで見ると、不思議な気分になる。既に失われてしまったあれこれの動きなんだが、ただ、人間自体はそれほど変わってはいないとも思う。  

大量の余計のなものがもし俺たちから去って行けば、きっと俺たちとて、この病草紙に描かれたプリミティブな人間に戻れるかもしれない。日だまりでタバコを吸っていた婆さんが、そんな感じにも見えていたし。

(Facebookに投稿した文)

ノグチ君のこと

ふとしたことで思い出した、自分が小学生だったときのこと。たしかあれは小学5年の時だったと思う。当時は、生徒が学校外のふだんの生活で従わないといけない事項というのが、いくつも定められていた。盛り場を出歩かない、とか不純異性交遊をしない、とかは、たしか既に校則に含まれていたが、それだけでなく、実にたくさんの禁止事項が事細かに決められていた。
 
で、これはそのとき僕が通っていた学校に特有の規則だったのだが、「指定区域」というのがあった(正確な名前を忘れた)。学校を中心として東西南北に何々駅のここまで、という風に細かく区域が指定されていて、その区域を示す地図まで作られていて、学生は親同伴で無い限りその区域を出てはいけない、という規則だった。
 
この規則は当時も、実態に合わないのではないか、などと賛否が多かったようだった。そして、あるとき、夏休みを前にして、とうとうこの規則を緩和または撤廃するという動議が持ち上がり、先生とPTAそして生徒代表が集まって討論会が開かれることになった。
 
僕がなぜその討論会の場にいたのか不明なのだが、僕はその討論会に出席し、そこで一つだけ今でも覚えていることがあったのだ。かなり厳粛な雰囲気で会が進み、空気がピリピリとしていて、とても自由闊達な討論とは呼べない感じで、子供ながらに何となくその厳しい感じに圧倒されておとなしくしていた。そして会は進み、学生代表が意見を言う順番になった。
 
その時に登壇した小学5年の子だが、たしか名前をノグチ君といったはずだ。ノグチ君は普段はとても活発な、くだけた感じの、利発な子だったが、なんとなくしゃべるときぐにゃっとしたなよっとした感じでしゃべる癖があったことを、覚えている。檀上のノグチ君は、あらかじめ考えてあった内容を話しはじめた。区域外というのは現実に合わないし、他校にないものだし、僕たちの自由を奪うものだし云々ということを訴えたはずだが内容は覚えていない。
 
で、そのスピーチが終盤になったとき、ノグチ君は感極まってその場で泣き出してしまったのだった。どんなに泣くのを止めようとしても、どうしてもしゃくり上げてしまって言葉にならない。檀上で泣いたまま立ち往生してしまったのである。
 
僕は、そのノグチ君が泣き出したことだけ、鮮明に覚えているのである。自分も小さい子供ながら、なぜあのときノグチ君が泣き出してしまったか、痛いほどよく分かったのである。不思議なことに「なぜ彼は泣いているのか」という質問が仮りに発せられたとしても、それにはまったく回答できない、ということだった。もちろん、いま現在ならその理由につき言葉を使っていくらでもしゃべれるだろう。しかし、その時の子供の自分には「理由」は皆目分からなかったが、なぜ泣き出してしまったか、その「心」は完全に分かっていた。檀上で泣き出して立ち往生するノグチ君を見ながら確実に百パーセントそういう気持ちを抱いたことを、いま現在「思い出せる」のである。
 
今朝、このエピソードを思い出して、なんだか不思議な気持ちになったから、これを書いているのだが、何かを「分かる」ということはどういうことだろうな、と思ってね。その時の僕は確実にノグチ君に共感していたから分かったのだ。彼が登壇してしゃべっている内容は、頭脳を使ってそこそこに追ってはいただろうけど、何というか、その時の彼の心の動きを、自分の中で正確に追っていたのだと思う。そのせいで、彼が泣き出したとき、それが心で分かったのだと思う。
 
こういうのが、僕のふだん言うところの「文学」なのだ。科学でも哲学でもない、文学。いま、自分は、みずからを、結局は文学的な人間だなあ、と思うことが多々あるのだけど、それはそんな小さいころの経験の積み重ねがあったからかもしれないな、と思ったり、あるいは、自分が文学的な性向なせいで、自身の子供のころの思い出を文学的に脚色して思い出すのかもしれないし、どちらだか分からないが、どっちにしても今の自分が文学野郎なのは間違いなさそうだ。
 
それにしても当時の小学校の規則のがんじがらめ感はひどいものだったが、こんな討論会を催して子供にも意見を言わせるなんて、その昔の日本もなかなか民主的だったじゃないか。少し感心する。

大阪天満にて

仕事で大阪の天満に来ている。夕飯を食おうと一人で出歩いて、しばらくぶらぶらしたけど、相変わらずの関西のノリだなあ、と思いつつ、やはり同じ仕事の用事で二年前にもここに来たっけ、と思い出した。
 
飲み屋と飲食店と雑多な店でごったがえった迷路のような路地は、少しも変わっていなかった。オレは、いちいち飲み屋をのぞいちゃあ歩いたが、昔と少し違った事といえば、ほぼ満員な店の若者率が高かったことぐらいか。
 
かと思うと、ものすごく古風な、蛍光灯が煌々と点いた、明る過ぎて逃げ場がないような無骨な居酒屋が、こんどはオヤジやジジイで満席になっていたりする。面白いものだ。
 
昨晩さんざん飲んだせいで、今日は、まあビール一杯で飯を食うぐらいにしたいもんだ、と思いつつも、体調は既にリカバーしているので、今日も飲んだって構わない。
 
ごちゃごちゃした路地をぶらついてさんざん見物したあげく、路地街から、その外のふつうの街に通じる通りがあった。遠目に眺めると、店舗が切れはじめた向こうの方に、黄色い地に赤い文字の中華料理屋の看板が見えたので、そっちへ向かった。
 
店の前に来てすぐに分かったが、いちおう古くからある中華屋のようだが、それなりに寂びれた感じで、まあロクな店ではない。分かっていながら、のれんをくぐって入ってしまう。
 
中に入ると思ったとおり、わりと広い店内にもかかわらず、客が一人もいない。一番奥の隅のテーブルで、すでにお爺さんとお婆さんに近くなった二人が、テーブルの上の新聞紙を挟んで向かい合って何やらしゃべっている。
 
入って来た僕を見て、まるで少しびっくりしたような感じで、おばちゃんが、いらっしゃいませ! と元気よく叫んで、雑談をすぐに終了して立ち上がった。見ると確かにお婆さん。でも、髪を茶色く染めて、大きな真珠っぽいイアリングをしてるせいで、遠目にはおばちゃんだ。
 
取りあえず、生ビールを注文した。
 
赤い椅子に黄色いテーブル、広めの店内に、壁にべたべたと隙間なく貼られたメニューや、料理の写真や、あと有名人の描いた色紙など。左の棚の上にはテレビが乗っていて、大音量でプロ野球をやっている。天井の蛍光灯で店内は明るい。要は、本当に古臭い、昔からある中華料理屋である。
 
おばちゃんが「ビールのアテはどうしましょ」みたいに言う。アテか、飲みに来たんじゃないけどな、と壁に貼られたメニューを見ると「かしわ炒め」というのが目に入った。大阪では鶏は「かしわ」なのは、かつて3年間大阪に住んだ経験のある自分はもちろん知っていた。実は自分はこの「かしわ」という響きが当時から好きだったのだ。ということで、かしわ炒め下さい、と注文した。
 
ビールを飲みながら店内を眺めてぼんやりとしていると、お待ちどうさま、と、かしわ炒めが出た。鶏肉と筍と小松菜のあんかけのような料理が来た。あんは少しの醤油の入った薄いベージュ色で量が多く、この調理法は東京にはほとんどない。これは古い関西の廣東料理の典型的な調理法なのだ。かつて大阪に住んでいた自分はよく知っている、懐かしい姿だ。
 
食ってみると、おいしくない。筍などいつのものか分からない様子で、すえたようなヘンな味がする。調理が下手とは言わないが、端的に料理が古臭くて、今の人が満足するとは到底思えない味だ。客が一人もいないのがうなずける。
 
しかし、俺はそんなことは全然気にしない。自分は、自身で長年料理も作っているし、世界をさんざん食べ歩いてもいるし、料理が出ればたいていすぐにその素性が分かるのだが、実はオレはこのタイプのまずい料理に極めて寛大で、むしろ食っていて、まず過ぎてかえって感動したりするぐらいなのだ。
 
したがって、知らない土地で、わざわざ変な店を選んで入ってしまい、出てくる料理が糞まずい経験はしょっちゅうなのだ。しばらくビールを飲みながら食っていて、この今のシチュエーションが、何かに似ていることに気付いた。それは、果たして、一年前に学会で行ったスペインのサンタンデールという街でのことだった。
 
そのとき、退屈な学会を抜け出して、一人でサンタンデールの街を当てもなく歩いた。やはり、享楽的な国のスペインだけあって、いろいろ楽しそうなレストランやバーはあったのだが、結局、オレは、国鉄のターミナル駅に戻ってきて、その駅前にあった、ひどく変哲のない、客がまばらにしかいない、やはり蛍光灯で明るい店内の駅前食堂に入ったのだった。
 
給仕のおばちゃんは、百戦錬磨な感じのスペインのおばちゃんで、愛想よく観光客然したオレを迎えてくれたが、なんだかその様子が今日の中華屋のおばちゃんと似ていないこともない。加えて、そのスペイン食堂もガラガラで、客は冴えないオヤジが二、三人しかおらず、棚の上にテレビがあり、大音量でサッカーをやっていた。オレは今日と同じく、鶏肉のセットメニューを注文した。スペインのセットメニューはワイン込みだ。ハーフボトルの赤ワインが付いて来る。だいぶお得だ。
 
殺風景な店内の安物テーブルの上に料理がドカンと乗ったが、まあ、量は多いがうまくもなんともない。赤ワインはすでに封の空いたフルボトルがどんと置かれた。どうやら、ハーフでもフルでもどうでもよくて、好きなだけ飲んでいいよ、ということのようだった。
 
その時も、オレは大音量のテレビを聞きながら、小汚い地元食堂で、食って飲んで放心していた。今日は今日で、小汚い天満の中華食堂でプロ野球の大音量を聞きながら、食って飲んで放心している。やっていることが、まるで変わらないのだ。
 
店内のおばちゃんとおじちゃんは仕事が無いのでいつしか、再び、同じ隅っこのテーブルに戻って、大阪弁でずっとなにやら話し込んでいる。「いうてんやんか」とか「いっしょやろ」とか「あかんやろ」とかいう言葉がしきりに聞こえてくる。
 
そうこうして、ビールも半分ほど飲んだころ、例によってオレは、わけもわからない強烈な多幸感に包まれた。オレの多幸感は、だいたいがこういうシチュエーションでしか現れないのである。
 
それにしてもオレは、やはり「何か」から逃げ出したい、と常に思っているのだろう。しかし、こんな場末のシチュエーションで、場違いな多幸感を感じながら、実際には、オレは、妙に糞真面目なことを考えている。
 
そのときは、空間と時間について考えたんだっけ。人間は空間を克服する術を今までたくさん開発してきた。今朝東京にいたオレがその日の夜には大阪にいる、しかも、パソコンを覗けばいま渋谷にいる知人がリアルタイムでメッセージを送って来ている。空間についてはそんな調子なのに、考えてみると、空間の対となる「時間」の方は少しも克服されていない。相変わらず時は同じように流れ続け、変えようがない。
 
で、この、人間がオフィシャルに開発してきた術ではどうにもならない「時間」から自由になる方法は、実は昔から、ある。それの最たるものは麻薬だ。しかし麻薬は禁止されている。ということになると、この俺の多幸感などはまさに、それだ。この感覚は空間からの解放とはまったく無縁で、ひたすらオレの時間感覚を狂わせ、俺をそこから解放するように働くのだ。
 
オレが逃げ出したい、と思っているのは何だろう。何から逃げたいのだろう。なぜ、俺は、こういう、反知性的な、白痴的なもののただ中でしか、その多幸感を得られないのだろう。
 
そうこうしているうちに多幸感は去って行った。いつも、どんなに長くても五分ぐらいで終わってしまうのだ。

仕方ないんでオレは、少し生暖かくなった残りのビールをチビチビ飲みながら、テレビを見始めた。巨人とディーエヌエイの試合だった。すでにテレビをまったく見なくなっているオレは、物珍しいので、そのプロ野球中継をずっと見ていた。
 
でも、俺は野球などどうでもいいのだ。それにしても、安中華屋で、まずい食い物を食って、ぬるいビールを飲んで、プロ野球を見る、という構図は、実はオレの生涯の憧れの的だった。自分には、そういう生活は出来るはずがない、ということが分かっているので、それゆえに憧れだったのだ。
 
おばちゃんが外の暖簾を下ろして、店内のテーブルの上に置いた。まだ八時ちょっとだが、そろそろ閉店らしい。残りのビールを流し込むと、お勘定してもらった。ありがとう、おおきに、と標準語と大阪弁を交互に数回繰り返して、おばちゃんがオレを送り出してくれた。
 
外へ出ると、夏の大阪の夜は生暖かく、まだまだたくさんの酔っ払いが、飲み、騒ぎ、たむろしていた。

(Facebookに投稿した文)

部室でのこと

(Yahooブログに2010年2/28に投稿した文)

この前、同僚と話していてふと思い出した話。

今から30年ほど前、自分が大学生だったころ、ギターを弾いてブルースを演奏していた自分はロック研究会という音楽サークルに入っていた。ロック研には学内に音が出せる部室を持っていて、ドラムやアンプやボーカルアンプなどすべて揃っていたので、そこで適当に時間割を決めて部員のバンドが練習をしていた。

当時、大学生になりたての自分は、部に属してはいたが、完全な変わり者扱いであった。というのは、部の活動に貢献するということを全くせず、部員とのコミュニケーションもまるでとらない、バンドも自分以外はすべて外部の人間で、その他、およそ「協調性」と名付けられることを一切、まるでわざとのようにしなかったのである。それでいて、ブルースバンドとして演奏活動はしていて、部室を練習場として使って、学祭ではライブに出演したりはしており、回りからはブルースに凝り固まったかなり不可解なやつと映っていたらしい。

ある日、バンドの仲間と部室に入ってエレキギター2本で練習していたときのこと、途中から後輩の二人が部室に入ってきて何ということなしに雑談を始めた。練習していた自分はこれがうるさくて仕方なく、演奏をいきなり止めて、ギターのボディーをバンッと叩き、いま練習してるんだから静かにしろよ! と怒鳴ったのである。二人は一言もなくすごすごと不服そうに部室を出て行った。その後、相棒が心配して、おい、あんな風に言って大丈夫なのか、と言ったので、別にかまわねーよ、と答えたものだ。

恐らくこの事件があってからだと思うのだが、自分は部の中で不可解な変人からさらに進んで「嫌なやつ」という評判になったようだった。なんだか、色んなところで、そういう言葉が聞こえ始めたように覚えている。

さて、今の自分だったら、部の中で上記のような、部の他の人を人とも思わないような態度を取ることは絶対ないと思うが、逆に、そのときなぜそういう態度に終始したか、というのを思い起こすと、それははっきりしている。そのときの自分はおよそ「人間関係」というものが、はなから、まったく分からなかったのだ。文字通り、完全に自分の中に存在せず、抜けていたのである。部という集団があって、そこに属している人間は一種の仲間であり、ある決まりやマナーにしたがって人間関係を築きながら協調しないといけない、という今では当たり前のことが、まったく理解できていなかったのである。

と、いうことなので部の中で変人、嫌なやつ扱いをされていても、自分はまったく気にもかけなかった。普通だったら、人から嫌われている状態というのは居心地の悪いもので、気に病むものだろうと思うのだが、この事態を何らか収拾しようなどとはこれっぽっちも考えなかったし、平然としていたものだった。

人に、ある「概念」が欠けている、というのは不思議なもので、その概念を常識として備えている人たちから見ると、それに欠けた人間というのは、ひどく不可解で、腹立たしく、気持ち悪く、感じるもので、結局はその人を排斥する行動に出るものだと思う。しかし、排斥される側の当の人間にとっては、実は、ほとんどまったく良心の呵責の対象外なので、意外となんとも思っていないものなのだ。

そして、またある日、バンド仲間と練習をしに部室に入ったときのことである。この部室には一番奥に黒板がある。それを見ると、なんと、そこに、「林君は今後この部室で練習をしないこと」とでかでかと書かれていたのである。しかもその文句の回りに、ロック研の名だたる先輩の署名が20ぐらいぎっしり書かれていた。いま思うとかなり過激な宣告なのであるが、これまたそれを見たときの自分の反応がおかしくて、単に、へーえ、と思っただけで何の感情も持たなかったのである。

もちろん自分のバンド仲間はこれを見てあれこれ心配して、これじゃもうここで練習はできないかもしれないな、他のところでやらないとな、しかし、林、おまえ何があったんだよ、などなど。自分は、うーん、たぶん部外の人間としかバンドやらないからかな、でも、まあ、大丈夫なんじゃないの、みたいに答えた。まあ、それはともかく、いま思っていちばん変なのが、こういう仕打ちに対してまったく無反応だった、ということである。

さて、このように書かれたからといってすぐに部室を出るわけでもなく、まずはしばらく練習をしていたのだが、途中でたまたま先輩の一人が入ってきた。この先輩、黒板に目を留めると、なんだこれは、と言ってすぐに、「おい、こら、オレの名前もあるじゃねえか、オレはこんな署名してないぞ!」と叫んで呆れ顔。「おい、林、これはでたらめだぞ、気にしなくていいからな。それにしても、誰だこんなことを書いたやつは、こともあろうに先輩の名前を勝手に使って書くとはけしからんやつだ、これは問題だぞ!」と、一人でかなり憤慨している。

ここで、また、自分の反応だが、なんでこの先輩が憤慨しているのか、その意味がまったく分からなかったのである。いま思えば、たしかに他人の名前を勝手に使ってこのようなことをするというのは卑劣なことで、名前を勝手に使われた人間が憤慨して当然なのだが、自分にとっては、この人なんでこんなに怒ってるんだろう、という感じで意味が分からなかったのだ。ここでも、やはり、自分には何かの概念が完全に欠けてしまっている。その先輩はとてもいい人で、ずいぶんと自分を慰めてくれたのだが、そもそも自分には事情があまり理解できていないこともあり、はあ、と聞いていたが、「デヘヘ」とかなんとか照れ笑いの一つもしたであろう。そのぐらいのことはできたのであり、それで人間関係も何とか持っていたのであろう。

かくのごとく、少なくとも部の後輩たちとは険悪だったらしいのだが、たしか学園祭だかの打ち上げで大酒を飲んで酔っ払って大騒ぎして、それを機に何となく和解してしまった。まあ、青春の一こまだと言ってしまえば、それまだ。

ところで、自分だが、その後、これらの人間関係云々が理解できるようになったのはかなり遅く、大学に6年行っても分からず、就職して初任地の大阪に3年いても分からず、その後、東京に戻り、数年ぐらいしたころからようやく理解し始めたようである。これは、自分が先頭に立って仕事をまとめなくてはいけなくなってからだったように思う。

それにしても、人間関係とか、協調性とか、気配りとか、そういったことにつき、生まれながらにまったく欠けてしまっているように見える人間というのが時々いるが、自分はそういう人たちにけっこう甘いところがある。それは、こんな風に自分もむかしそうだった、ということもあるのかと思う。いまこの現代の日本では、自分勝手に傍若無人に振舞うことについて、極端に厳しくなっていて、そのような人が出るとこれを寄ってたかって排斥するような傾向があり、そういったニュースなどを知るたびに情けなく寂しい思いをする。周りから何らか外れた人間は、昔よりはずっと生きにくくなっていることは確かじゃないか。そんなとき、実は、たとえその人間が犯罪者級の輩であっても、密かに共感してしまう自分の心を抑えられない。

ただ、この共感は多分に抽象的なものかもしれない。その傍若無人な輩がもし、自分のテリトリーの中で騒動を起こしたら、自分も怒って排斥する行動に出るかもしれない。ただし、その輩が自分と距離の離れたところで騒動を起こしている限りは、むしろ、害悪を流す人間の方に共感する方向に走ってしまう。

社会において、そういう迷惑な人間が現れたとき、これを一種の世論の総意として寄ってたかって排斥する場合、実は、この距離感というものが大事なのかもしれない。寄ってたかって排斥する人たちの集団というのは、個々人は距離的にもちろんまちまちに離れているのだが、その問題児の周りにいて直接迷惑をこうむっている人間たちを、想像力のよって自分と距離感の近い存在として認めるのではないだろうか。つまり、まるで自分のことのように怒り、同情する。一種の共同体意識が働くせいで、個々人の距離が小さい状態を想像力で作り出すのではないか。

ひるがえって、なぜ、自分がこれら排斥する側の共同体の人間たちと逆の感情を持つかというと、きっと自分は、彼らを自分の仲間と見なしていないからであろう。そして、当の問題児の方に近い自分というものを見出すからであろう。

いまの自分はこの手の問題児ではない。しかし、たしかにまだ世間の垢にまみれていなかった頃の自分は前述のごとく、自分を縛る人間関係を意識しない存在だった。そういう過去の自分の姿に近いものとして問題児に対してある共感と愛情を抱くのだろうな。しかし、ここではっきり言っておかないといけないが、この共感も、愛情も、抽象的なものである。いわば心理的なものであり、実体や実質的な力を伴っていないようである。つまり、共感を持った問題児について実質的にこれを助けたり、排斥している周りの共同体に敵対してこれを変えようとしたり、という行動を自分は取りはしない。

しかし、こういう実質的な力を持たない心理的な「気分」を軽く見てはいけない。こういうものは無意識において知らぬ間に蓄積され、自分の実質的行動を背後からあやつるものなのだ。ここぞ、という決定の瞬間に、突然、その蓄積した力を発揮して、その人の人生を変えたりするものなのだ。

人生ってのは、不思議だな。

ある成功した人に会ったときの話

5年ほど前、僕が前の会社でリストラにあい、職探しをしつつ、わりと弱っていたころのこと。その前の会社で自分が作ったモノをいろいろと売り込み、さらに世の中でなんとかして存続させようとあくせくしていた時だ。さいわい、単なる一技術としては上出来なほどたくさんの人が興味を持ってくれていた。その中には実際にそれを使いたい、と引いてくれる会社や人もあった。
 
当時の自分はなんとまだウブであったので、そういう引きの言葉をわりと真正面から受け取り、その気になったりしていたころだ。もっとも、さすがに実際に職を失って困ったりしていると、だんだんと自分も疑い深くなり、というか、世間的にまっとうになり、他人が自分に示す、あるいは自分の技術に示す興味につき、その大半が単にその他人の、自分のあずかり知らない、個人的な事情やその他の状況によるものに過ぎない、ということが分かり始めていたころでもあった。
 
ま、というわけで、まあ、いろんな人と次々と会っていたものだ。逆に自分がまだウブだったせいで、手あたりしだいに他人と会っていた、ともいえる。もしそのとき自分にもう少し世の中を見る目があったら、あんなに非効率な行動はしなかったと思う。そういや思い出したが、無職になって僕は個人名刺を作ったが、肩書が5つぐらいついていた。博士をはじめ、客員なんとか、なんとか研究員、そのほかもろもろ。5つもあったのは、非効率に行動していた結果でもあった。
 
ちなみに、誰か他人に会って名刺を渡して、そこに肩書が5つも付いていると、大半の場合、相手に対して逆効果になる、ということもその頃の僕は分かっていなかった。こんなにたくさん頑張ってるから私は価値のある人間ですよ、というアピールなわけだが、他人はそういう人を見ると普通は引くものだ。そんなものを相手に見せるより、相手にお世辞をたくさん言っていい気持ちにさせた方が恐らく十倍以上効き目がある。大量のアクティビティで人を圧倒するというのは失敗の元だ。ということも、その頃は分かっていなかった。日本だから? いや、違う、これは外国でもそうだと思う。
 
そんなアンバランスな自分には、それ相応なのか、けっこう変な人も引っかかるようで、かなりの変わり者とも会ったのである。その中の一人を思い出したのだ。
 
その人は、コンピュータとインターネットを利用した新しい学習塾の形態を考え出し、世に先だってそれを始め、そして成功した人だった。既に巨万の富を築いていたようで、全国にフランチャイズ校が多数あり、東京の本社でその人はたしか、社長、あるいは会長をしていたはず。重要な経営ミーティングに出てトップダウンな指示を出す以外はほとんど経営は他役員に任せ、自身はそれとはまったく違ういろんなビジネスに進出し、世界をまたにかけてあっちこっち飛び回っているそうだった。
 
先方が僕の技術に興味を持ち、まずは一度お会いしましょう、ということになった。自分は六本木ヒルズレジデンスに部屋を持って、そこを個人用のオフィスにも使っているのだけど、そのレジデンスエリアにあるレストランで昼食でもどうですか、とのこと。
 
ヒルズのレジデンスエリアへ入るのなど初めてだった。マンション下の公園の指定場所で待っていると、いつも上機嫌のその人が現れ、一緒に、やけに高級感漂うレストランに入り、仕事の話などをした。食事と話が終わり、その人が、ちょっと自分の部屋に寄って行きませんか、と言う。食事のとき、オーディオの話も出て、その人は個人で高級オーディオの海外販売なども手掛けているので、それらもお見せできますよ、と言うのだ。
 
レストランを出て、何重にもセキュリティのかかったビルディングへ入って、エレベータで十階だかに上がり、その人の部屋へ入った。
 
部屋には所狭しといろんなものが置いてあった。置いてあるものはなにもかも高級品で、さすが大金持ちの趣味は違うものだ、と自分には物珍しかったが、本当になんというか、そういう金持ち特有の、地に足のついていない、常にフローティングして世の中を自在に横滑りしているような感じが、とてもよく感じられた。ちなみに自分はこの人だけでなく、そういうタイプの人を何人か知っていたので、それらに共通の感じ、ともいえるものだ。
 
何百万円もする超高級オーディオで音楽をかけ、何十万円もするソファに腰をかけて、しばらく話をした。話は、これまたそういう人によくある、自分の成功の自慢話が主で、自分がいかなる方法で成功したか、について語っていた。もう少し正確にいうと、「方法」というよりは、いかなる「精神」で成功したかという話である。
 
さっき成功した大金持ちを何人か知っていた、と言ったが、そういうタイプの人たちにはある共通した「ノリ」があり、彼らが決して何らかの方法論で成功したのではなく、そのノリ、もうちょっと高級に言えば「精神」で成功した、というのが分かるのだ。そういう意味で、世の啓発書に成功者がたくさん色々なことを書きつけているが、そこに記載されている方法を真似してもダメで、精神の方を真似しないといけない。しかし精神はふつう真似は出来ないもので、そのせいで啓発書が何百万冊売れてもそれを買った何百万人が成功をするなどということが起こらない、というわけだ。
 
その人がその豪華な六本木ヒルズレジデンスで僕に語った精神も、そういうものであった。それを聞きながら、自分には、はっきりと、この精神は自分には真似できない、と感じたものだ。
 
その中で、こんなやり取りがあった。
 
「それで、いまはどうしてるんですか? 林さんぐらいの才能があれば、行く先はたくさんあるでしょう」
「いや、なかなか難しいです。それに、いまとぜんぜん違う業種に行くのも辛いですし」
「なぜですか? そういうのがあればそれでもいいじゃないですか」
「いや、やはりある程度堅実に長続きするところでないと職につくのはどうにも・・」
「そんなことを言っていたら先に進めないでしょう」
「でも自分には家庭もあるし、そんなその場限りであちこちふらふらするわけにいかないし」
「失礼ですがご家庭は奥様とお子さんもいらっしゃるんですか」
「いえ、子供はいません。奥さんだけです」
「それならば、それほど気にすることもないじゃないですか。家のローンが残っているとか?」
「いや、借金はゼロなんですよ。それだけは助かってます」
「そうですか、それならば、もっと自由にご自分の才能を発揮できる場へ進んで行くべきと思いますよ」
「でも、今の境遇になる前からうちの奥さんとはさんざん喧嘩もしてますしね。奥さんがそんな軽率なことは許してくれないですよ」
「奥さんのせいですか」
「うーん、せいと言うのもなんですが、やっぱり、勝手なことはできないですね。今までも、いまの無職の待遇になった経緯でさんざん言われてますからね・・」
「そんなのは放っておけばいいじゃないですか」
「そうは行きませんよ」
「つまらないですね。林さんのやろうとしていることを邪魔するのでしょう?」
「邪魔というわけじゃないですが、彼女に無断に事を進めるのは無理ですよ」
「そうですか、僕だったらそんな奥さんとは別れてしまいますね」
「そうですか」
「ええ、自分は自分のやりたいこと、今まさに行こうとしていること、それを邪魔するような人と一緒にはいませんね」
「なるほど」
「なんであっても自分の自由が一番です、その自由を妨げるものを自分は許せませんね」
「なるほど、言われていることは分かります」
「私なんかは、いまのカミさんとは別れてこそいませんけどね、彼女は彼女で自宅に住んで、そこで自由にやってますよ。まあ、自分はほとんど帰らずに駆け回ってますけどね」
「僕もそんな風に自由にできればいいんですけどね」
「奥様と別れられないのは分かりますが、自分にはそれは考えられませんね。すべては自身の自由ですよ。それが一番、大切じゃないですか」
 
と、まあ、こういった調子だった。
 
で、さっき思い出したこと、というのは、「自身の自由の邪魔をするものは許さない」というその人の言葉だったのである。その人は、およそ「制約」というのは外すべきもので、それに躊躇をするのは馬鹿げている、と考えるのである。一方、自分は、実は、「制約」こそが自分の人生を形造っている、と考えているのである。すなわち全く逆方向を向いている。そして、少なくともその人とのことについては、先方は大金持ちの成功者、自分は無職の敗残者、という結果になっていたので、彼の「精神」の方が正しいのではないか、と考える方が自然であろうか。少なくとも、啓発書的にはその通りであろう。
 
でも、これは、異なる二つの精神がある、ということで、それらは交換できないのだ、というのが正しいのであろう。僕には彼の精神が真似できないのは自明だが、彼も僕の精神を真似できないのである。自分は成功していて、相手は失敗している、ならば、その失敗している人の精神を真似するなど馬鹿げている、というのが彼にとっての真似をしない直接の理由であろうが、しかしそういう意味ではなくとも、彼にしたって僕の精神の真似は不可能だ、ということだ。
 
そして、彼が「林さんのように自分はしませんね」という理由が、「自由」だったり、「金」だったり「成功」だったり「地位」だったり、その他いろいろあるだろうが、逆にこの僕が彼に「自分はあなたのようにはできませんね」という時(こっちはずいぶんネガティブな響きになってしまうが)、やはり、それら自由や富や名声とは異なる、しかし自身が人生をかけて守るべき「なにか」があるべきはずのものだろう。
 
いったい、その「なにか」は何なのだろうか。はっきり名指すことはできないけれど、それが自分のかけがえのない「精神」であることは、間違いなさそうだ。

乱数とスピリチュアルなど

(2010年3月のYahooブログより転載)

ちょっと、たまたま、スピリチュアル系の本を読んだせいで思い出したこと。

乱数というのがある。ランダムにでたらめに現れる数字のことである。この規則性のない乱数を次から次へと発生させる機械を乱数発生器というのだけど、この乱数発生器は、実はコンピュータではとっても大事で、けっこう色々なところに使う。

それでは、この発生器をどう作るかというと、ふつうはある「数式」を使って作ったりする。その数式に「種」と呼ばれる数を入れてやると、後は計算で乱数を次々といくらでも発生してくれる。でも、しょせん数式なので、最初に入れる「種」が同じなら同じものが出てくる。なので毎回、発生させるたびに種を変えないといけないわけだ。それで、普通は、この種にそのときの年月日時刻を使ったりする。たとえば現在で言えば、2010年3月7日9:30なので「201003070930」みたいな数を種に使う。これなら毎回違うからちょうどいい。

しかし、こういう数式で作った乱数は、実は本当の乱数とは言えない。なにせ、もし、使った数式と種が分かってしまったら、出てくる数を完全に知ることができてしまう。さらに、結局、数式で計算して出している数なので、仮に数式や種を知らなくても頑張れば出てくる数を予測できてしまうかもしれない。そんなことから、このやり方で作った乱数は本当の乱数とは言えず、こういうのは擬似乱数と呼ばれている。

さて、この乱数を何に使うかといえば、色々あるだろうけど、たとえば暗号の鍵に使ったりする。乱数のようにデタラメに出てくる数を鍵に使えばそれを予測するのはとても難しいので、暗号として成立するというわけだ。しかし、もしこの乱数が予測可能であったとしたら、とたんに暗号は危なくなることは想像できる。

そんなわけで擬似乱数をたとえば上記のような暗号の鍵に使うのはどうもいけない。擬似乱数は、簡単な数式でいくらでも乱数を発生できるのでえらく便利なのだが、どうも危なっかしいのである。

それでは、本当の乱数というのはどうやって作ればいいのか、というと数式を使わずに、自然現象を使う。

たとえば、よく知られている乱数発生源に「熱雑音」というのがある。電気をそこそこ通す物質を「抵抗体」と言うが、これに熱を加えると、物体の中の電子が不規則に振動して、これが雑音を発生する。出来のあんまりよくないアンプを無信号でフルボリュームにするとスピーカーから「シャー」という音が聞こえたりするが、あれはだいたいアンプの中で発生する熱雑音である。

このように熱で電子を振動させる、などという超アナログなことをすると、その現象はまったく予測不可能なので、その雑音を使って乱数を発生させると、決して予測できない乱数がいくらでも取り出せる。宇宙の全歴史の中で同じことは2度と起こらないアナログ現象を使うのだから強力である。ここで深入りはしないが、特に、量子力学というものが知られてからは、真の意味で予測不可能なことが保証されたようなものなのである。

いや、ちょっと解説が長くなりすぎたが、思い出したこと、というのは次のことだ。

ずいぶん前のことだけど、どこかの大手のコンピュータメーカーからコンピュータのリリースのアナウンスがあり、それを見たときのことである。今度発売するモデルでは、そのコンピュータで使う乱数発生器を、それまでのように数式で発生させる擬似乱数ではなくて本当の乱数にするために、乱数を発生させるハードウェアチップを搭載している、と書かれていた。

このチップは、たぶん熱雑音を利用した簡単なチップなのだと思う。チップの中に熱雑音を発生させる何らかの小さな抵抗体があり、そこから出てくる純粋アナログノイズをデジタルに変換し、数にして、それを何らか整形して、乱数として出力するのであろう。

この小さなチップを想像してみた。すると、黒いモールドに金属の足がムカデのように生えているルックスはCPUとかメモリと変らないのだが、こいつは、一見そいつらと同じに見えて、決定的に違う「器官」を持っている。それは熱雑音を作る小さな小さな抵抗体である。まるで、黒いデジタルチップにぽっかりと空いた、外界に対する「窓」のように感じられないだろうか。

この話を聞いたときにすぐにこう思ったのである。

確定的に動いているコンピュータにこんな物理窓を開けてしまうと、ひょっとしたら、念視とか念力などのサイキックな能力のある人間は、この窓に精神をチューニングすることで、コンピュータの中に入れるようになるんじゃないか、と。

しかし、こんなことをすぐに連想する自分は、けっこう知らずしてスピリチュアル系だったのだろうか。自分の哲学的な意味でのルーツは、ドストエフスキー、ゴッホ、そしてニーチェといったところなのだが、この3人、みな何らか精神あるいは脳を病んでいたのは偶然なのだろうか。「病んでいる」という言い方は、通常の生活では極めてネガティブな意味だけれど、こういう人たちにとっては、この病んでいる部分が、なんだか得体の知れない渦巻くエネルギーの源泉であったりもする。そのエネルギーを元手に、小説を書いたり、哲学的思考をしたり、画布を塗ったりすることで、この現世とインターフェースしている人たちなのだ。

さっきのようなコンピュータに開いた物理窓から侵入する、などという話は、まずはよくあるSF的発想なのであるが、実は自分はSFはあまり好きではない。なんだか娯楽の域をどうしても出ないような気がして嫌なのだ。それで、いわゆるスピリチュアル系も同じような理由で敬遠している。

でも、自分の頭の中では、これらSFやスピリチュアルで言われていることを、ときにほぼまるごと納得している、というのも変な話だ。世間にいるいわゆる常識人たちが、SFやスピリチュアルの「娯楽から外れる真面目な部分」を、単なる荒唐無稽として一笑に付すことについては自分は賛成できない。自分は荒唐無稽だとは決して思っていないのだが、逆にそれらの「娯楽的」な部分が気に入らないのである。

先日、たまたま仕事で知り合いになった人に、まあほんのシャレ的なノリでスピリチュアル系の本をもらったので読んでみたのだけど、全部読んでみてちょっと悩んでしまった。その本はバシャールスドウゲンキという本で内容は完全スピリチュアルとチャネリングの話なんだが、言われていることのかなりの部分が自分がふだん思っていることに一致していたのである。

ヤレヤレ困ったもんだ。この本を読んでいると、その内容が、自分の心の中に、一種の二重性を持って入ってくる気がする。真面目な意味と娯楽的な意味の2つが、何だかぜんぜんうまく区別できず、二重写しのまま心の中で展開される感じというか。まるで、言われるところのパラレルワールドよろしくだ。

さっき、昨日から紛れ込んでいた蝿がぶんぶんとうるさいので見たら、出窓の上で逆さになってひたすらすごいスピードで羽ばたきしている。平面の上をめったやたらに滑っている感じで一向にらちが明かない。時々なにかにつかまって何とかしようとしているけど、どうしても起き上がれないようで、すぐにまた逆さになりそのままもがいている。そのうちようやく窓の桟を利用してはずみで宙へ飛び立つことができたが、今度はめったやたらに飛んでは壁に激突を繰り返している。いずれにせよ飛び立てたのだから、きっとどっかの壁に着陸してじっとするだろうと見ていたが、今度は床に落ちてしまい、また逆さのまま全速力で羽ばたきしながら床の上をめったやたらにあちこち滑りまくっている。そのうち、床に置いた鉢植えやら椅子の足やらにぶつかり何とか身を起こそうとしているらしいがだめで、そのまま床の上を滑ってするするするっと部屋の真ん中あたりに来た。いまだに羽ばたいているけど羽音はだいぶ弱くなり滑って移動する距離も短くなり、時々、羽ばたきを止めるようになり始めた。しばらくするとバタっと羽ばたきを止めたままになり、その場でひっくり返ったまま、今度は足をやたらと動かしてもがいている。そのまま見ていると尻尾に近い方から足の動きが止まって行き、最後には一番前の足を動かしているだけになった。ほどなくして、その足も停止し、逆さのまま死んでしまった。

変身

カフカは好きな作家の一人だ。カフカで一番好きなのは、と問われれば間違いなく「審判」をあげるが、それにしてもやはり、カフカを初めて知ったのが「変身」という超有名な作であることは変わらない。今朝、ネットを見ていたら、このカフカの「変身」の少しおもしろい新訳が出たという記事を見つけた。多和田葉子という人の訳で、今までの日本語の意訳的な部分を少なくし、原文のドイツ語に近い形で訳したそうだ。外国語訳で「原文に近い」というのは極めてあいまいな話だが、どうやら「直訳」に近い形で処理したもののようだ。

例えば、かの有名な小説の書き出しの「ある朝、グレゴール・ザムザがなにか胸騒ぎのする夢からさめると、ベットのなかの自分が一匹のばかでかい毒虫に変わってしまっているのに気がついた。」というのを、次のように訳した、とある。

「グレゴール・ザムザがある朝のこと、複数の夢の反乱の果てに目を醒ますと、寝台の中で自分がばけもののようなウンゲツィーファー(生け贄にできないほど汚れた動物或いは虫)に姿を変えてしまっていることに気がついた。」

この文は、なぜだか、自分には、とてもいい感じに映る。なぜだろう。どことはなしに、自分の文体のリズムに近いような気がする。

ところで、自分は文章を書くのが好きでほとんどそれを趣味にしているような状態だが、僕のこれまでの文学修養は、ほとんどが外国文学の翻訳文によるものなのである。若いころに熟読したのはことごとく外国文学である。ドストエフスキーを筆頭とし、あともろもろの著名な外国作家の本を主に新潮文庫で読んでいた。なので結局、自分の文体は翻訳文学から来るノリが大きいことが予想される。逆に言うと、日本文学の並み居る作家たちの美しい日本語の文体というものから、文体の機微を吸収することはあまり無かったとも言えそうだ。もちろん、日本文学も主要な作は読んでいたが、たとえばドストエフスキーを十回再読するところ、漱石は一回で終わり、というぐらいの比率だったはず。

というわけで、自分の文体はおそらくあまり日本文学的ではなく、むしろ翻訳文学にありがちな、ちょっと無理でガタがくる単語の組み合わせ、そしてあまり美しく流れない語順、情緒的というより説明口調な、そんな文体の雰囲気がかなりの影響を自分に与えているはずであろう。もう今さら日本語の美文を書こうとも思わないし、このままだと思う。

それで、「変身」の新訳だが、思い切った直訳口調が自分にことのほかしっくり来るようだ。しかし、それにしても、毒虫を「ウンゲツィーファー」と訳すとは思い切ったことをするものだ。などなど思っている時に、ずいぶん昔、カフカの変身についての感想文を書いたのを思い出し、探してみたら見つかったので、以下に若干の推敲加筆と共に再掲しておく。

では、どうぞ。

ちょっと前に、例によって家を出る前になんか本はないかと本棚をあさって、まあいいや、と持って出たのが、薄っぺらい岩波のカフカの「変身」だった。変身はすでに昔に読んでいたけど、文庫にはもう一編「断食芸人」というのが収録されていて、これは読んだことがなかったので、持って出たのだった。さっそく断食芸人を読んだのだけど、ひさしぶりのカフカも面白いなあと思って読んだ。短かったのですぐに読み終わってしまい、では、まあ、というわけで変身の方を再読してみた。

なんと、こちらは夢中になって読んでしまい、二日分の電車の中で最後まで読んだのだけど、この小説にはびっくりした。カフカを夢中になって読んでいたのは、たしか20年近く前のことだったと思うのだけど、やはり歳を取ってから読むと変わるものなのか。端的に感想を言うと、これほど、暗くて、悲しくて、空しくて、ここまで悲観的なものだとは思わなかった。むかしカフカを夢中で読んでいたころは、「審判」や「城」が気に入っていて、当時はその幻想小説としての側面に耽溺していたのであった。「変身」は学生のころ読んだままで、たしか再読はしなかったのではなかったか。

これほど有名な小説だと、ほとんど誰でも筋書きは覚えているはずだろう。勤め人のグレゴール・ザムザが朝起きたら一個の毒虫になっている、そういう小説である。僕が覚えていたシーンは、父親が投げつけた林檎がグレゴールの腹にめり込んで、そのまま腐ってしまう場面と、たしか最後の方で、グレゴールが居間へ出て行ってしまい、一騒動起こし、そのあと回れ右して自分の部屋へすごすご戻っていく、という、この二つの場面だけだった。最後にグレゴールがどうなって終わるかも覚えていなかった。

たしかに、僕が覚えていた場面はあった。しかし、それより後があったのである。グレゴールが居間から自分の部屋に戻った後、しばらくしてグレゴールは死ぬのだった。最後の夜、弱りきった体で居間に出てきたグレゴールが元で、家族に一騒動が持ち上がり、その後、彼は身動きもできずに、そのままそこの床でじっとしている。その間に、妹と父親と母親たちは、自分たち一流のいつものやり方で結論をつけるのだった。この汚らしい毒虫はもう兄グレゴールではないのだ、という妹の主張を、父親は承諾し、母親はやり過ごす。グレゴールはしゃべれないので何も言えず、じっとこの家族のやり取りと、自分に下された判決を聞いている。

そして、彼は、最後の力をふりしぼって埃だらけの自分の部屋に戻ると、扉がものすごい勢いでぴしゃっと閉められる。さて、やれやれ、今度は? とグレゴールはひとりごち、そして、自分が消えていなくなることがいま一番必要であることを悟るのである。その後、彼が死ぬまでのほんの十行の描写が、こんなにもやり切れず、また、美しいものだったとは、完全に予想外だった。彼は、安らかな、そしてむなしいものおもいに、いつまでも身をひたして、じっとしている。そして、教会の時計が朝の3時を打ち、外がほの明るくなり始めるとき、彼は息を引き取る。僕には、この大きな芋虫みたいな「しろもの」が、ぼんやりした朝の光にわずかに縁取られて静かにじっとしている光景が、なぜかとても美しく感じられた。

このほんの十行ていどの描写だが、二十年前の自分は完全に読み飛ばしていた。自分は「メルヘン」というのを嫌って敬遠する傾向があるけれど、これは極上のメルヘンに思えた。メルヘンというのは、理屈ぬきに襲ってくる運命に不平を言わずに従いなさい、ということを言う物語のことだと思う。メルヘンは主に子供に語られることが多いが、メルヘンは子供向きに作られているのではなくて、子供そのものがごく自然にメルヘンを生きているのである。子供というのは理屈が分からないから、突然理不尽なことが襲ってきてそれに服従させられる経験をしょっちょうするはずで、それは、メルヘンと同じ状況なのだ。それで、そういう過酷な体験の全体が、悲しくて、でも、安らかで、美しい、そんな世界を形づくる、そういう光景を産み出すのが童話の役割なはずだ。まさに、グレゴールが死ぬ前の光景がメルヘンに見えるのは自然なことなのだ。

しかし、カフカは、そんなことはお構いなしに進んでゆく。グレゴールが死ぬ美しい場面を描いて、行も空けずに、すぐに家族にとっての夜明けがやってくる。朝いちで起きた小間使いの婆さんが死んだ芋虫を発見するのである。家族にとって、余計ものがようやくいなくなり、長い長い悩みの季節が終わって、ようやく開放の時がやってくる。家族三人はひさしぶりに揃って外出し、最後に、若くて、それゆえに美しい、生命で溢れかえったようなグレゴールの妹が、太陽の光の中で明日に向かって伸びをする、それで物語が終わるのである。

それにしても残酷なラストシーンを付け加えるものである。グレゴールは平凡な、今でいうところのサラリーマンなのだが、彼はそれまで、身の回りに起こるあらゆることに対して「思考」によって対応する男性として現れる。他のカフカの作品でも主人公としてよく現れるタイプだ。そして、この小説で、その思考する男に与えられた運命は以下のような感じだろうか。

「思考」しかない世界を歩くものは、あるとき突然、自由のきかない体に閉じ込められ、丸まって狭い一人の部屋の床にうずくまり、早晩死を迎え、あとには死体という抜け殻が残り、それもさっさと始末され、そして何も残らない。この運命に途中で気付いても、もう遅い。思考はべったりと自らに貼りついていて、振り落とせないのだ。そんな人間の中には「生命」という生まれつき高貴なものが住める場所がないのだ、云々。

たとえば自分はそんな風に思考だけで日々を忙しく生活する、いわゆる典型的な凡人サラリーマンではない、と反論できないこともないのだが、実際の話、よくよく自身を反省してみると、かなりの時間をそういう自動思考によって動く生活で過ごしていることに気付かないだろうか。そんなことを言ったって仕方ないじゃないか、それに常にそういう時間のみで過ごしているわけでもないし、と言うだろうか。でも、やはり自分だって少なくとも幾分かは、そして時には大いに、この毒虫に変身したグレゴールと同じではないか。少なくとも僕はそう感じているので、そういう人間についての悲観的な人生観のかたまりのような、この小説には、本当に、参ってしまった。

実は、学生のとき以来、本当に久しぶりにこの小説を読み、そのあまりのネガティブさに唖然とし、こんな作品が世界の名作として若者たちの読書リストに入っているなんてひどい話だとすぐに思った。もちろん、この本の中に美しい幻想は、先にも言ったように、ある。もっとも、少なくとも若かりし僕は、実は、前者のネガティブにも、後者のメルヘンにも、そのどちらにも気が付かず、頭に残ったのは奇怪なプロットの要所要所に現れる描写の面白さだけだった。ということで、結局のところ、若者に無縁なものは、若者は最初から見ようとしないし、見えもしないので、別に名作として読んだとしても実害などもありようがないな、と思い、納得した。

それにしても、若い僕はそうではなかったが、感覚の鋭いごく少数の若者には、このような作品はきっと危険な爆弾として作用するに違いない。芸術というのは果てしないものだな、と思う。

電子工作

いま、真空管オーディオアンプの初心者向けの本を書いているのだけど、初心者を想定して書くと自分が初心者だったころを思い出すわけで、そういえばそうだったなあ、とか小学生だったころをいろいろ思い出した。
 
電子工作を始めたのは小学5年ぐらいのころだったと思う。たぶん、たまたま本屋かなんかで見つけた電子工作雑誌を買って、それで夢中になったのだろう。当時は、教えてくれる人もいなかったので、それら雑誌を文字通りボロボロになるまで何度も何度も見て、それで、ときどき小遣いが溜まると部品を買いに行って、それで作っていた。
 
当時は大田区に住んでいたのだが、大森駅と蒲田駅の真ん中あたりの普通の住宅街のところにある踏切を渡ったすぐ右手に小さな電気屋があり、そこで部品を買っていた。なんと、その当時は、いまでは秋葉原の限られたところにしかない、趣味の電子工作向きの小物の電子部品を一通りそろえた店がそんなところにもあったのだ。
 
残念ながら電気屋の名前は忘れたけど、物静かでなんとなくあごがそっくり返った感じの四十ぐらいのおじさんがやっていた記憶がある。たぶん、何度も何度も通った小学生の自分を覚えていただろう。
 
最初に作ったのはご多分に漏れずゲルマニウムラジオだったが、まあ、これが、何度作っても一向に鳴らないのである。いろんな雑誌に、いろんなゲルマニウムラジオ製作記事が載っていたので、次々と試してみるのだけど、クリスタルイアホンを耳に入れても、時々、ガリガリ、とか小さくいうだけで、まるでラジオが聞こえない。
 
今思えば、一番の理由はゲルマニウムラジオの感度が悪すぎ、きちんとアンテナがつながれていないせいと、それに加えて配線ミス、そしてハンダ付け不良が重なって、なにをやっても鳴らなかったのは明らかなのだけど、そのころはそういう風に論理的には考えられず、鳴らないのを、ほぼ単純に「部品」のせいにしていた。
 
製作記事には、たとえばバーアンテナ(黒いフェライト棒に細い線をたくさん巻き付けた電子部品)はこれこれという型番のものを使います、と書いてあるけど、ローカルな電気屋には、まず同じものは、無いのである。そこで、おじさんが、これでも同じですよと出してくれるバーアンテナを買って、家に帰って作ってみると、うんともすんともいわない。あ、やっぱり、このバーアンテナがダメだったんだ、と思うわけである。
 
そのうち、自分のラジオが鳴らないのはあのローカル電気屋のせいだ、とまではっきり考えなくとも、何となく、そんな風に思うようになって行った覚えがある。そうこうしているうちに、秋葉原まで遠征することを覚え、めでたく雑誌記事に指定されているのと同じモノが手に入ったときなど、宝物のようにして持ち帰った覚えがある。
 
でも、結局、それで作っても鳴らなかったりするわけで、そういうことを何度も繰り返しながら、だんだん真相に気付いて行った、というのが、自分の電子工作修行だった。
 
ロジカルに考えれば、作ったラジオが鳴らない原因は、配線ミスかハンダ不良か電波不足のこの三つしか、まず、ありえないのである。すなわち、これは全部、自分のせいなのである(電波不足は自分のせいじゃないけど、アンテナ立てない自分のせい)。でも、小学生の自分は、まず最初に自分が原因だと疑うことはしないもので、何かしら外界にあるもののせいでうまく行かない、と考えるわけだ。子供の論理というのは、そういうものだよね。
 
しかし、そういう状態だと、逆に、自分を取り巻いているものが、めくるめくワンダーランドに感じられるのである。自分の周りを大量の「分からないもの」が取り巻いていて、自分はそれを次から次へと渡り歩いて何かをしようとするのだけど、どうしてもうまく行かず、結局はその分からない外界が、なにか自分の知らない不思議と秘密に満ち満ちた世界に感じられるというわけだ。

秋葉原から京浜東北線(国鉄の、ね 笑)に乗って、型番通りのバーアンテナを袋から何度も出して、そのちっぽけな部品を、痺れるような快感をもって見ていた子供の自分を、遠い思い出の反映ではあっても、今でもかなりはっきり思い出せる。
 
大人になって、何かがうまく行かない時、その原因の大半は自分にある、ということが分かってしまうと、そういうことは起こりにくくなる。仮に、原因が自分じゃないということが分かったときでも、大人の場合、その外の原因に対してはっきり対決するか無視するか、ということになってしまい、やはりそこに不思議は現れない。
 
大人はかくのごとく、大変に退屈な種族なので、仕方なしに人工的な不思議を作り出してそれで一時的に遊戯して、当面の満足を得て、また元の現実に戻る、ということを繰り返して生きていたりする。
 
それにしても、子供というのは、まったくのところ「分からないもの」に常に囲まれて生きているわけだけど、そういうものが心に及ぼす快感というのは果てしないような気がするな。大人になっても、そういう「分からないもの」を自分の周りにしっかり配置できる人は、おそらく少ない。たぶん、この事情は、いろんな解釈の仕方があるんで、一概にどうの、と言えないが、僕個人の感覚で言うと、こういう「法外な大人」の代表は、まず、カフカ、ということになりそうだ。
 
それにしても、ああいう子供時代の快感は忘れないようにしたいもんだ。最後にはそこへ戻って行くような気もするし。

(Facebookに投稿した文)

侘び寂び

自分には侘び寂びの心はわかると思う。自慢じゃないが、というかこんなの何の自慢にもならないが、侘び寂びほど分かりやすい感覚もない。日本人なら誰でもわかるとは決して言わない。というか、昭和から平成になって侘び寂びは表面上はあまり取り沙汰されなくなった覚えがあるので、おそらく若年層はそんなもの学校で出てきたかな、ていどで、その心が分かる若者がそう多いとは思えない。

あと、はっきりしているのが、昭和であろうが平成であろうが、まあ、恐らくそれ以前もそうであろうが、侘び寂びの心は日本にある感覚のほんの一部に過ぎないし、そんなに大それた大きいものであったことは無いように思う。

だいたいが、侘び寂びなんていう言葉自体が、大それたものになることを自ら拒否しているようなもんだ。たとえば、グローバルな侘び寂びとか、地球規模の侘び寂びとか、侘び寂び帝国とか、口に出してみればただのギャグにしかならず、まったくの形容矛盾になるのは見ての通りだ。

というわけで、侘び寂びというのは、ホントにつつましやかなものだ。

たしかに、自分には侘び寂びの心は分かるし、感じるし、なにがありがたいかも分かるし、およそ何でも分かってしまう。しかし、これは個人的にだが、自分は侘び寂びを積極的に賛美したことはないし、正直に言うとあまり好きじゃない。

僕が尊敬し憧れる日本人に兼好法師がおり、彼の徒然草は僕の最大の愛読書である。その彼が、徒然草の中で、この侘び寂びの実例をいくつか引いて賛美しているのを知っているが、兼好のそういう文はあまり好きじゃない。僕が兼好で好きなのは、猫まただ!って腰抜かしたり、しろうるりだったり、芋頭だったり、鬼が出たって右往左往したり、そういう文である。どうも、あの侘び寂びのくだりはインテリ臭くて、すかしてて、洒落者を気取ってて、鼻につく。

というわけで、侘び寂びは分かるけれど、好きじゃない、と。

いや、ちょっと待てよ。じゃあ芭蕉はどうだろうね。

自分は、奥の細道はずいぶんと好きで、古文がたいして分からないくせに、わりと何度も目を通している。特にそこに載る数々の芭蕉の句は、それほど古文の形式に拘ったものは多くなく、現代から見ても平易なので分かりやすく、そんなこともあり、ほとんど、及び難いとまで感じる好きな句がいくつもある。しかし僕には、それらに、侘び寂びの感覚はぜんぜん感じられない。乱暴に一言でいうと、芭蕉のそれらの句は、強さと、大きさ、を現していて、侘び寂びの感覚と逆を向いているように感じる。

まあ、結局、やっぱり、侘び寂びは好きじゃないわけだ。その感覚が分かるだけに、好きじゃない。侘び寂びを有難がってる現代日本人がいると、心の中で、フン! と言ってしまう。かといって、嫌悪したり、馬鹿にしたり、というのは全然違う。第一が、そんなに大それたものか、と言いたくなるのと、あとは、そんなのは心の中にしまっておいてくれよ、という感じかもしれない。

そうか、なんらかの羞恥を伴う感じがあるのかもしれない、いま気付いたが。

しかし、なんの羞恥だろう。侘び寂びは意外とエロチシズムと関係しているかもしれない。あまり深入りする気はないが、そんな気もしてきた。

ところで今日初めてWikipediaで侘び寂びの意味を調べた。で、改めて調べると、侘びは粗末で簡素な様子を、寂びは古びて寂しい様子を表すそうだ。それ以外にごちゃごちゃといろんな人や例を引きながらあれこれ説明しているが、ほぼすべて予想通りのことが書いてある。自分が侘び寂びが分かる、というのは、その心が分かるということなので、そのコアとなる概念を会得していれば、それについての説明は全部自分の予想したものになるのは当然のことだ。つまり、これは特段にタイソウなことではなく、たとえば、誰だって「悲しい」って何? 「嬉しい」って何? と聞かれればその心が分かっているので、特段の説明を要しないし、辞書を調べても、ああ分かり切ったことばかり書いてあるな、と反応するわけで、それと同じようなもんだ。

そういう当たり前な心が形成されるためには、それらの言葉で表されるところのものを、繰り返し感じる環境が必要だが、きっと僕の若い頃に自分の周りにそれがあったんだろう。死んだ親父あたりがオレに侘び寂びを仕込んだのかもしれない。喜怒哀楽と共に。

冒頭に書いたように侘び寂びの心は昭和ぐらいで終わっていて、すでにそれはもう日本人の共通の感覚ではなくなったように思える。それどころか、2015年になって、思い返すとどうだろう。この侘び寂びという、およそ、強さや大きさと正反対を向く感覚から遠く離れて、逆の方向へ向かおうとする光景の方が目に付くようになった。

こうして見ると、やはり自分が思っていたように、侘び寂びには「力」がなかったのだな、と妙に納得する。しかし、その順当な成り行きは、まさに侘び寂びの正当な運命を現しているわけで、実は、その侘び寂びの衰退こそが、その心が本物であったということを示しているともいえる。いくら僕が侘び寂びは気に入らない、と言っても、やはりそれはホンモノだったのだろうね。勇ましいくて騒々しい言動ばかりでいい気になっている昨今の日本人は、少しはそれを思い出した方がいいんじゃないかね。

定食屋のおっちゃん

今日、二子玉川の界隈で夕飯を食べようと思ったのだけど、なかなか適当な店がなく、けっこうしばらくさまよった。昨日飲み過ぎて、もうビールとかアルコールは見たくもなかったので、夕飯だけ食おうと思って歩いたのだ。それにしても改めて、飲まずに食うだけのところというのが無い。飲み屋ばかりである。しかし、これは意外だった。ふだん、夕飯を食いに入るときは基本、ビール付きなので今までこの事態に気づかなかった。酒を飲まない人というのは、実は一人で飯食うの大変だったんだ。
 
というわけで、飲み屋ばかりが並ぶ飲食街の外れまでずっと歩いて行ったら、ようやく古臭い飯屋を見つけた。「つばめ」というのれんがかかっていたけど、こんな店、二子玉川界隈に長年住みながら、今の今まで気が付かなかった。こんな店あったっけ? みたいな感じである。店の前の地面に置かれた古びた黒板に、かすれた白いチョークで定食メニューがぎっしりと書かれていた。ま、ここでいいか、と店に入った。
 
入口に「不況に負けず、営業中」と書いた札がかかっていた。
 
ガラっと、入ると、店内はガラガラで、若者が一人で黙々と飯を食っている以外、客は誰もいない。典型的な昔の定食屋の内装で、粗末なテーブルに粗末な椅子、そして、端っこにある棚の上でテレビがかかっていて、相撲をやっている。威勢のいい給仕のおばちゃんが「いらっしゃいませ!」と言う。

この店、入ってすぐ、かなり参ったのだが、店内が、もの凄く、臭い。最初は、古い店によくあるネズミの糞の臭いかな、と思ったけど、しばらくいて思い至ったのだが、これは浮浪者の臭いだ。よく、電車とかに、ふいにボロボロの浮浪者が乗ってくることがあるので、わりとよく知っている臭いだ。
 
臭いなとは思ったけど、まあ、仕方ない。客席から厨房は見通しになっていて、中でおじちゃんが二人働いている。おじちゃん二人とおばちゃん一人でやっているようで、昔の定食屋らしく三人はよく無駄話をするのだが、その会話がけっこう大衆店っぽくて面白いな、と思って聞いていた。ゴーヤチャンプルとアジフライの定食を頼んだ。
 
ほどなくして飯が出てきた。山盛りのゴーヤチャンプルと、揚げたてのアジフライに、キャベツにトマトにポテトサラダ、味噌汁にお新香にどんぶり飯、という感じで、ボリュームたっぷりでかなりお得だ。これで750円なのである。店内は臭いが、食いものはまずくはない。もちろん、コテコテの大衆飯なので、お味がどうのと食うタイプの飯ではなく、とにかく食うこと優先の代物だ。それにしても、まさに昭和の味だ。
 
相撲を見ながら、食った。相撲を見るなんて、何年ぶりだろう。ところで、いまどき、横綱がみんなモンゴル出身だなんて知らなかった。しばらく見ていると、日本人の大関が出てきて、歓声がすごくて人気があるみたいだったけど、モンゴルの横綱にわりとあっさりと負けてしまった。
 
そうこうしていたら、おばちゃんが入口を見て、「あら、ジンさん来たわよ」と言うので、入口を見たら、ガラガラっと扉が開いて、どこから見ても土方の仕事帰りのおっちゃんが入ってきた。
 
「おいっしょーっ」みたいな声を出して椅子に座って身体を投げ出した。間髪を入れずにおばちゃんが「生ビールですね」と言うと、おっちゃん、「うん」と言って首を縦に振った。
 
「生ビールお待ちどうさま!」とビールを置く。ここで、そのへんのサラリーマンみたいに、すぐにジョッキに手をかけて、グビグビグビっと飲んで、はあー、うまい! みたいなテレビのCMみたいな飲み方をしないところがさすが土方のおっちゃんだ。おっちゃん、すぐに手を出さず、しばらくジョッキを眺めてから、おもむろにつかむと、ズズッと少しだけ飲んで、また椅子に寄り掛かった。
 
オレはアジフライを食いながら、一部始終を見ている。相撲は日本人が負けて、すでに終わってニュースになっている。
 
しばらくすると、おっちゃん、財布を出して、千円札をひっぱり出して、しばらくごそごそしていたが、おもむろに、「俺、金ねえや。千円しかない」と大声で言った。おばちゃんがすぐに、「千円あれば大丈夫よ、気にすることないって」と言うと、おっちゃん、「でも、これじゃ飯、食えないな」、おばちゃん、「なによ、いいのよ、明日にでも持ってきてよ」と言う。おっちゃんしばらく黙った後、「うん、明日、持ってくるよ」と言うと、厨房のおっちゃんが「なに、いつでもいいからさ」と言う。
 
ということで、おっちゃんはツケで飲食だ。僕はそのやり取りを感心して聞いていたが、食い終わったんで、お勘定してもらい、店を出た。
 
暗い夜道を歩きながら、その店のおばちゃんとおじちゃんと、いかにも土方な、抑揚のない唐突な感じのしゃべり方をするおっちゃんの会話をいちいち思い出しているうちに、なんだか泣けてきた。まあ、別に、昭和だ、人情だ、なんだとか言いたいわけではなくて、これは、なんというか、一種の音楽だな、と思った。店が浮浪者の臭いだったのは、その手の人がけっこう来る店だったんだな、きっと。そんなこんなもすべて含めて、一連の出来事や、風景や、会話などが、不思議な音楽を聞いたみたいでね、それで感動したんだな。

永遠の0

永遠の0という映画を見た。3月に出張で東京に一時帰国し、あれよあれよの忙しく楽しくも短い東京ライフが終わり、スウェーデンへ帰る飛行機の中で見たのである。この映画、そして、この映画の原作については元同僚のFacebook投稿で知った。元来、娯楽映画にはほとんど興味がなく、特に最近の日本映画になんの関心もない自分としては、どこか別のところで話題になることを通してでしか、そういうものに触れることはないのである。

元同僚のFacebookエントリーについては、僕もコメントでいくらか参加したと思う。この永遠の0という映画そして原作に関し、見なくても読まなくても、想像で、もっともらしいことは簡単に言えるわけで、呑気にコメントを返していたのだと思う。当の元同僚は、やはりコメントのいろいろな反応を見るに至り、さすがにその当の原作と映画を自身で当たらないことには応えようがないと判断したようで、結局、原作の書籍を買って読んだそうだ。その、彼の、長めの感想文も、僕は読んだ。

僕は、というと、この手の戦争映画には意識的に近寄らないようにしている。その理由はそうはっきりはしないのだが、ただ、ある感覚に基づいて「近寄らない」という反応は、かなり尊重していい行動の指針である。何かの危険を、第六感で察知している、と考えてよいと思う。ひいては、人間の社会生活というのは、その「勘」によって成り立っていると言ってもよいと思うし、その勘があればこそ社会はほどほどに平和に推移するのである、と考えて構わないと思う。

さて、それで僕の今回の永遠の0鑑賞だけど、やはり止めた方が無難だったかもしれない。成田からヘルシンキまではおよそ10時間だ。機内ムービーをブラウズして、この映画があったので、Facebookの投稿で知っていたので、見てみようかな、という気になった。それで、どうだったかというと、自分でも呆れるほど、泣けて泣けてしかたなく、どうにもならないほどであった。

僕は機内アルコールを飲みながらほろ酔いで見ていたので、そのせいもあるのかもしれないが、映画が終わり、席を立ち化粧室へ行き、その狭い部屋の中で号泣してしまったほどだ。どうにも自分を制御できないので、化粧室を出て、乗務員のところへ行き、仕方なしにさらにビールをもらい、自分のシートに戻った。ほぼ呆然として、缶ビールを飲みながら反芻したが、やはり、何度も何度も号泣に近い感情に襲われて、まことに参った。ちょうど、そのときに機内は擬似夜間に入り、照明が暗くなったので助かった。あそこまで泣いていると、さすがに恥ずかしい。

冷静に考えれば、この映画はまさに泣かせるために作られていたわけで、僕は単にそれに乗せられただったとも言う。映画や小説などの物語につき、この手の泣かせ方で泣いてしまうことにつき、自分はほとんど重きを置かないようにしている。こういうものを自分は感動とは呼びたくないのであって、むしろ花粉症で鼻水をたらしているに近い、と考えるようにしているのだが、それにしても、今回は泣きすぎである。

それですぐに思ったのは、原作を書いた、あのスキンヘッドの百田尚樹とかいうやつにここまで泣かされたのは、誠に忌々しいということだった。もっとも先に書いたように、むしろ監督と脚本の方がお涙演出を多く入れたからだろうから、原作者のせいにするのは変なのだが、しかし忌々しいことは変わらない。なぜなら、先日の都知事選で、田母神俊雄の応援演説に立った彼の発言を読み、それが非常に嫌だったからだ。さらに、NHKの経営委員でもあるわけで、ああいう男が、戦時中の国を思う日本人を、「現代風に」美化した発言をするたびに、本当に嫌になる。

などなど、悔しいから、いろいろ言ってはみるのだが、やはりどこか自分の琴線に触れる部分があったのは確かなのである。演出による泣き、というのはカタルシスであって、思い切り泣いて感情を発散して、映画から出てきた後はすっきり、というメカニズムなはずなのだが、自分は、今回の場合、見た後もすっきりせず得体の知れない心の疼きみたいなものが続いたからである。

では、それは何か。

実は、それは、わりとはっきりとしている。僕が思ったのは死んだ親父にまつわることだった。親父は今から25年ちょっと前、親父がまだまだ若い58歳の時、僕が28歳ぐらいのときに癌で死んだ。親父が病気になる前まで、親父と自分はそれほどの交流は無く、僕は親父をどちらかというと敬遠していた。人間、癌にかかり死と隣り合わせになると、自然にシリアスになるもののようで、親父が病床にあったとき、僕と親父の間に何度かの忘れがたい交渉があった。普段は決してしない手紙のやり取りもあったし、ごくたまに見舞いに行ったときの、夢の中のような思い出もあった。

最後に、親父が死んで、結局、俺になにを残していったかというと、それは、「お前は士族の嫡男だ」という言葉だった。親父いわく、林家は武家の血を引いているそうなのだ。僕は長男なので、武家の嫡男として生まれた以上、その血に恥じぬように生きろ、ということを、親父は僕に言いたかったらしい。自分はと言うと、そういう重いものを元来嫌っているので、その考えには、表では反発していた。しかし、血の誇り、という概念は、僕の心に深く突き刺さるものであったことは間違いなさそうだ。

今この現代で、士族の嫡男などということがどれほどの意味を持つか、とは思う。第一、林などという姓はありふれたもので、親父は武家の血を引いていると言っているが、これは親父の単なる勘違いかもしれず、実はそのへんの水呑み百姓の血を引いているだけかもしれない。ましてや、親父はその証拠をほとんど残さなかったので、なおさらである。家系図の一つも持たない自分が士族の血を引いていると自負するなど、ほぼ馬鹿げたことだ。

以上の通りなのだが、やはり、僕にはこの親父の言葉は深く自分に影響を及ぼしたようなのだ。いかなることがあっても、決して誇りを捨てるな、卑怯なことは死んでもするな、真実のためとあれば自らを犠牲にしてもそれを貫け、ということだったのだが、なぜ俺はそれが嫌だったのかと言うと、俺は、そういう生まれの宿命から自由になりうる、ということを信じたかったのだ。俺たちには「知性」という、誰にでも等しく与えられている能力によって、その宿命から開放される道が絶対に開けているはずだ、と考えていた。そう考える自分にとって、士族的な責任観念は邪魔以外の何者でもなかった。

理性では以上の通りなのだが、しかしながら、ひょっとすると、俺がこれまで生きてきた、その要所々々での重要な決断は、その士族的責任観念の影響下でなされたものだと思えることは、確かなのだった。これは、自分の理性でうまくコントロールできないだけに、自分には忌々しいものだった。一種の「弱み」と言ってもいいような感覚を持ってしまう。自由になりたいのに、どうしても自由になれない「足枷」のようなものと言ってもいい。

さて、映画の方に戻ると、この映画は、これら自分の弱みという弱みを刺激するように作られていた。今回のような映画を見させられると、否応無く心が反応してしまうのだ。そういう意味で、あの映画の主人公と主要なプロットは、士族の心というものがあるなら、それを、そのままに体現するようにできていた。したがって、自分は、どうあっても心が自動的に反応してしまうのだった。

さて、そういう意味合いにおいてだけど、自分にとってあの映画に、唯一、傷があるといえば、最後の最後のラストシーンで、敵艦に突っ込む直前に、主人公の顔のアップが続き、彼が唇を歪めて瞬間、にやりと笑ったこと、それと、突っ込まれる空母のアメリカ兵たちが英語で、またあのZeroが来たぞ、クソ、なんとかしろ!と絶叫した声が入ったところだと思った。その瞬間に、主人公の日本人としての士族の血はすべて、敵を倒すことに急転直下に転化されたからだ。無垢な誇りが社会的行動に転化する瞬間だ。

この瞬間の出来事は、映画上でもまさに瞬間の出来事であって、合わせて数秒のことだ。しかし、ここに明らかな「美化」がある。あるいは、血の誇りというものが最初から「美」であるのなら、美が行動へ転落する様子がある。単なる「美」が、実質的な「力」を得る瞬間だ。これをもってして、日本人の血に流れるいわば抽象的な武士道的精神が、具象的な日本の政治の力に転化されることが実際に、起こる。

さて、もうこのへんにするが、号泣するほど感動した映画ということになってしまうわけだが、見終わった後、しばらく呆然と考えながら、はっきり思ったことがあった。それは、自分は、ヨーロッパの哲学を知っていて、本当によかった、ということだった。

人間というのは、民族も、血族も、身内も、何もなく、ただ唯一ある神の元に、放り出されたたった一人の絶対的に孤独な存在に過ぎない、ということを前提にして、そこを出発点にして、ひたすら神から与えられた知性に従って思考することで、この世界を構築しようとしたのが、西欧哲学の伝統だ。俺はそれを、身をもって知っている。それこそが、この日本の特攻隊で終わる戦争における一悲劇を描いたこの映画に強烈に現われている、生まれに基づく誇りの観念に対する、唯一の、正反対な、大きなカウンターとしての力に感じられたからだ。ヨーロッパ哲学は、このような胸をえぐる日本的情緒に幻惑された精神に対する、正当な、力強い、カンフル剤なのだ。

少なくとも、自分にはそうだ。何かのために命を捨てるという行為は尊く、神聖なものだ。それは、それで、いい。しかし、決して、それを元に社会を組み立ててはいけない。ヨーロッパ哲学は、その内部に、ほとんど本能的に、そういう洞察を抱いている。それは、ひょっとするとギリシャのソクラテスより、ナザレのイエスをその起源としているのかもしれない。その起源ははっきり分からないが、これは確かなことだと思う。

ところで、僕に士族の誇りを植えつけた親父も、やはりその教養の半分はヨーロッパの哲学と文学から来ている、と自分で言っていた。親父は、苦労の多い幼少時代を送り、自分が本当になりたかった職には付けず、結局、ローカルな会社の重役で終わったが、元来は文学青年であり、その志は死ぬ最後まで捨てなかった。日本とヨーロッパの相克は常に彼の中にあったのであり、その息子の俺は、ほぼそれをなぞるように生きてきた。僕は、心情的にずいぶん親父に反抗したが、やはり血は争えない。そして、この俺には、母方の血も同時に流れていて、そっちはそっちで、また全然違う心が流れている。それについては、また別途書くかもしれないが、ここでは話すのは止めておく。

この永遠の0の原作を書いたのは百田尚樹という作家である。ついこの前の都知事選で、彼は、その応援演説でずいぶんと、日本礼賛な、戦争やむなしな、日本人の誇りを取り戻す時期だ的な発言をしたと聞いている。昨今の日本の右傾化の先端を行っているようだ。知っての通り、都知事選で落選した田母神俊雄は現在の最右翼であり、20代の若年層からもっとも多い票を獲得したとも聞く。そして、百田は、小説家を超え、この映画の原作者として、そして、NHKの経営委員にも任命され、確実に社会に影響を与え、それを操作する側に回っている。

万世一系の天皇を賛美し、愛国心を鼓舞し、他国から日本国を守るためには戦争も辞さず、日本人であることに誇りを持ち、最終的には特攻隊として戦地に散っていった若者たちを究極の愛国者として賛美し、今一度、戦後に混乱してしまった日本人の心を愛国心によって統一しよう、という動きがあることは知っている。この永遠の0という映画は、それを直接な言葉では言わず、見た後に、見た者の心にそういう心を植えつけることに成功していると思う。そして、その原作者は、世の表舞台に出てきて、映画では直接に言わなかったことをはっきりと口にし、日本人たち、とりわけ若者たちにそれを語りかけている。

僕は、今の若者たちがこの構図に対して、そのまま取り込まれ、抵抗せず、共感し、信じ、その思い通りになってしまうことにつき、何も不思議だと思わない。日本の若年層の右傾化はこれからさらに進むだろう。そして、彼ら若者たちに「戦争の悲惨さ」をいくら訴えても無駄だと思う。それは火に油を注ぐだけだ。この永遠の0という映画自体がそう作られていたではないか。戦争の悲惨さは、なんの抵抗もなく、戦争の賛美と肯定に転化しうるのだ。

だから、西欧哲学なのだ。明治維新は実はまだ始まったばかりなのだ。少しも終わってはいないのだ。僕らは、今に至っても、本当に、ヨーロッパの過去のエリート達に学ばないといけない。ヨーロッパは知っての通り、戦争に次ぐ戦争、血で血を洗う長い歴史を経ている。その中で、哲学者たちがいったい、この世をどう考えて、どう結論付けたか、それを学ぶのだ。そういう教養こそが世の中を救うのだと思う。もちろん、ヨーロッパも、この僕らの貴重な日本文化を学ぶべきだ。そういう地道な活動しか、本当の本当は、わかりあう道もないし、平和というものも、無いのだと思う。

以上、映画を見て、機内で考えたことを書いておいた。

共時性と因果律

ここしばらく、ハイエンドオーディオの教祖のような先生とメール上で議論している。その先生は宮原誠北陸先端大名誉教授。実は僕は宮原先生の裏方の手伝いをずっとしてきたのだが、最近になって先生のやっていることに納得がいかなくなり、議論を仕掛けたのである。もっと正直に言うと、納得できなくなったというより、ハイエンドオーディオという自分のネイチャーと反する仕事に関わっていることが、だんだん嫌になってきたのである。

先生の説は、学会ではほとんど認められていない。ほぼ無視されている、と言っていい。若干の論文は通ってはいるが、大半の論文は出しても出してもリジェクトされる。先生もすでに70歳を過ぎ、高齢なのだが、少数の賛同者を集めていまだにアクティブに活動している。しかし、アカデミック関係の方はさっぱりで、先生の説を聞く者はほとんどおらず、したがって、その根本的な部分を徹底的に議論して明るみに出そうなどという人は皆無である。

そこで、この僕がいま、それをやっているのだ。いったいなぜ、先生の説は学会から無視されるのか。どこが学会の方向性と決定的にずれているのか。そして先生の説は果たして正しい方向を向いているのか、などなどということを、行ける所まで議論しようとしている。

さっき、もう関わるのが嫌になった、と書いたが、それは当の先生というより、「ハイエンドオーディオ」の方なのだ。このあたり、僕のどこに心理的な引っかかりがあって、こういう風に感じるかについては、また別途考えようと思う。そこには「なにか」がある。しかし、容易に取り出すことができず、今のところ放置されている。なので、この「ハイエンドオーディオが気に入らない」という話は、先生との議論には出て来ておらず、僕も触れていない。

僕がいま先生と議論している、その道筋は、僕自身の身を「学会側」に置いて、先生の説を真っ向から攻撃することである。

このブログの題に、共時性と因果律と書いたが、僕は、先生の仕事を「共時性」のたまものだ、と考えてきた。非常に率直かつ乱暴に言うと、僕は先生のハイエンドオーディオを「オカルト」と考えてきた。宮原誠はそのオカルトの「教祖」である。オカルトを扱う教祖のくせして、因果律を絶対視する「学会」という世界をいまだに重く見るなど馬鹿げたことだ。そもそもオカルトは科学にはなりえないのだ。それなのに、先生は自身のことを、純粋に、工学的かつ科学的だと称している。自身につき、なにも分かっていないではないか。

と、まあ、こういう風に思ったので、今度はこの僕が「因果律」を絶対視する人間に成り代わり、先生に思い知らせてやろうとしているわけだ。非常に生意気に聞こえると思うが、先生は工学者ではなくアーティストなんだ、ということを自覚してもらいたいということなのだ。先生はその最初は確かに工学者だったが、もう今ではアーティストの域に入り込んでしまい、もう戻る道は無いのだ、と分かって欲しいのだ。

それにしても、自分は共時性側の人間なので、かなり無理をしてこの役を演じており、途中でこれもまた嫌になるかもしれない。

とかとかいうことを、最近しているときに、4年ほど前に自分がブログに書いた共時性に関する文章を見つけ、なるほど、ここに素描されている共時性と因果律の関係が、ほぼ先生に対する自分の考えをきれいに表しているな、と感心したので、この新しい方のブログに転載しておくことにした。それでは、どうぞ。

(2010年 1月11日 Yahooブログより)

昨年末から3冊ほどユングに関する本を読んでいる。特段の理由はないのだけど、少し前に会社が移転し、そうしたら近くに図書館があったので、昼休みなどにふらっと出かけたりして、それで何とはなしに哲学・心理学コーナーへ寄ってみたらユングが目に付いて借りた、というだけである。しかし読んでみたらとても面白く、さらに共感できるところがとても多く、引き続き借りて読んでいる、というわけだ。

しかし、なんだかユングを読んでいるとうちの奥さんの評判が微妙によくない。彼女だって昔は読んだはずだけど、僕が、なんであまりいい顔をしないのか聞いてみると、今の心理学界ではユングはどうやら少数派で、下手をすると異端扱いされている、みたいなことを言う。それで、ネットであれこれ調べてみたら、たしかに、そんな感じのことがいろいろ見つかった。

僕は2冊目に借りた、彼独特の論である「共時性」についての本に決定的に共感し、とても面白く読んだ。

しかし、この当の共時性で当時ユングはずいぶんと評判を落としたらしい。共時性というのは、誰にでも経験がある、いわばありふれた現象を指して名付けたもので、それは、いわゆる「意味のある偶然の一致」のことである。たとえば、ある日の朝、いつもの電車に乗り遅れたせいで、たまたま車中である人に出会って、そのおかげで新しい仕事につながった、とかいうものである。たしかに、こんな話というのは、色々なところで頻繁に聞くような気がしないであろか。

ユングは、こういう、一般的にいわれるところの「因果律」とは無関係に起こる現象が人の運命を変えたり作って行ったりすることに着目し、それを「共時性」と名付けて心理学の研究対象にしようとしたのである。共時性は、その性質上、因果律で説明できない。まったく無関係な二つの因果(前の例なら、自分が電車に遅れた原因、と、出会ったその人がその電車に居合わせた原因)によって、ある時間に同時に生起した出来事(同じく前例では、車中の出会い)によって、生命の上に新しい「創造」が生まれる(前例では、新しい仕事が生まれた)、という、いわば「どこにでもあること」を科学の上に乗せて論じようとしたのである。

そして、ユングの試みの結果どうだったかというと、かんばしくなかったらしいのだ。まず、共時性の科学的分析はあまり大きく育って行かなかったようだ。たぶん、問題設定が科学的分析に向かなかったのだろう。加えて、常識がただの「偶然」として処理していることを、それとは違った角度から説明しようとするその態度はいきおい、「迷信的」「神秘的」に傾かざるを得ず、さらに悪いことに、ユングは共時性の題材として「易学」や「占星術」などを持ち出したものだから、結局、予想されるどおり「非科学的」のレッテルを貼られてしまったようなのだ。

現代の常識では、易学などは「統計手法」の応用として理解することで処理するのが一般的である。しかし、ユングはこの解釈法については真っ向から反対していて、まったく違った解釈と理解をしようと試みる。その言葉が、当の易学を専門としている人たちの神秘的言動に近くなるのは、むしろ当然のことなのだが、そういった言葉は、現代人が常識として寄って立つ科学の道と著しく反目してしまう。

さもありなんの成り行きである。ユングがこの共時性を言い出したのは後半生でのことで、彼自身、世間に発表するのをずいぶんためらっていたようだ。恐らく、世間の反応がくまなく予想できていたからだと思われる。しかし、彼はこの考え方が遠い未来に重要になるはずだ、と信じてあえて発表したようだ。ユングは、自分が生きている間にこの共時性の学問が花開くなどとは、まったく期待していなかったように見える。傍から見ると、途中で放り出してしまったようにも見える。

さて、自分は、というと共時性的出来事の神秘性については、ほぼ言葉どおりに信じている。

たとえば、卑近なところで言えば、ひところ流行った血液型占いというのがある。僕は決して血液型がどうのという言動はしなかったし、今でもしないが、実は、否定もしていない。ときどき血液型占いの無意味さを口を極めて攻撃している人がいたり、あるいは、あれはただの日本人の血液型と性格に関する統計を利用しただけだ、という人がいたり、あるいはあれは罪の無い遊びの一種で特段の意味はない、という人がいたり、いろいろである。しかし、ひそかに僕は、それらとは全然違う考え方をしていたのである。

なぜ、「密か」かというと、この辺、自分はずるいのだが、攻撃派とまったく違うことを考えていたからといって、血液型占いを信じて使っている人たちに自らがなるわけでもないし、攻撃派が目の前で攻撃しているのを見て擁護派に回るわけでもなく、黙って他人のふりをして静観しているだけで、実際、あまり潔い態度とは言いがたい。

ただ、僕には、攻撃している人たちの攻撃しているモノが、ことごとく例外なく的外れに感じるだけである。

その理由はユングその人の言っていることと同じで、どの攻撃も、すべて「因果律」を元になされているが、その攻撃対象は因果律とは根本的に違う次元にあるものだからである。攻撃している人たちは、結局、「因果律が設定できないことはバカげている」と言っているだけなのである。なんでバカげているかというと、因果律の発見とその適用こそが人に繰り返し利益を呼ぶ、と考えているからである。そして、因果律が発見できないと利益の保証がされず困ったことになると考えているからである。そして、これらは、みな、正しい。しかし、その論理の最終目的が「利益の保証の確保」にあることは間違いない。

人生において、保証された利益は重要だが、それとはまったくタイプの異なる利益も重要なのだ。その利益は保証されはしないが、人に生きられ、新たに作られる性質のもので、結局のところ「創造の喜び」に相当する。保証された創造、というのはあり得ないはずで、本当に生命的な創造というのは因果律からは出て来ない。

そして、この「創造」がなければ社会の進歩もなく、進歩がなければ最終的には保証された利益だって得られない、ということはほとんど常識に属する。したがって、因果律と同じかあるいはそれ以上に大事なものが現に「ある」わけだ。ただ、人は、これに共時性などという名前を付けて、こともあろうに易学を持ち出し、それを科学の一分野である心理学で扱うなどということは許さないのがふつうだ、というだけだ。

そうなると、たぶん、もっとも穏当で、常識的で、バランスのとれた、そしておそらく妥当でもある態度は、人生は「因果律」と「共時性」のハイブリッドで渡ってゆくもので、どちらも大切で、そして、そのバランスの取れた配分を会得することが重要である、という風に対処することであろう。

でもね、こんなところで自分はひねくれてもいて、上記のハイブリッド案は妥当と認めながら、自分自身によくよく訊ねてみると、こういう「いいとこ取り風」の、皮肉っぽく言えば「乙に澄ました綺麗ごと的」な考え方が、「嫌い」なのである。実は、この辺りに自分の無意識に頑固に居座る「なにか」を感じるのだけど、その正体はまだ、分からない。

長くなり過ぎたし、この辺で止めるけど、しかし、まあ、ここまで書いてしまうと、またうちの奥さんの評判、悪くなるだろうな~(笑)

カポーティ―の「冷血」

5年前ぐらいにヤフーブログに書いた文だが、たまたま読んだら面白かったので、ここに載せておく。

では、どうぞ。

最近、このブログ、相当に間が空いてしまった。

Mixiの方で書き散らしているかと言うとそういうこともなく、要するに何も書いていない状態がずいぶんと続いてしまった、ということ。この前の16日に50歳になったのだけれどそのせいかな、なんていうことも、まあ、ない。思ってみると、心が、そこはかとなくシリアス志向になっているように感じないこともないのだが、これもまた、あまりはっきりしない。ということで、実際、悩むようなこともないし、結局は気楽に生活している、と言えないこともない。などという、空疎な文章を前置きに書いて、さて、と。

先週ぐらいから、アメリカのカポーティーという作家の「冷血」という本を読んでいた。自分は過去に読んだ好きな本の再読を思い出したようにするぐらいで、まず新しいものを読まないので、実に久しぶりである。結果、夢中になって読んでしまった。久しぶりに本に夢中になって下車駅を乗り過ごす、などということもあった。改めて小説というのは面白いものだ。もっとも、これは映画も、漫画も、テレビも同じ。受け手を惹きつけておけないものは残りはしないはずだから、当たり前なことだ。

二人組みの男がとある田舎の屋敷に忍び込み、そこに住む地元の名士のような誠実で立派な家族4人を惨殺して逃げ、さんざん逃げたあげく捕まり、刑務所に入り裁判にかけられ死刑を宣告され、そして最後に刑が執行される、というだけの物語である。この二人は、いわゆる社会の底辺にうごめく大量の人間たちの中の一員で、めいめいさまざまな形で社会に対して不満を持ち、信頼感を欠き、社会での自分の位置を見失って、そのほとんどの時間を我執と欲望に従い行動し、最下層に向かって抗し難く落ちて行き、それを止めることができない、そんな人たちだ。

この小説には、この二人の男の周りの実に多種多様な人間たちが描写されている。彼ら二人とその家族のめいめい、そしてその周辺の下層を生きる人たちなど、そしてその丁度反対に位置する、惨殺された何不自由ない立派な一家、地域社会に誠実に生きる人たち、事件の捜査官たち、裁判官たち、群知事など偉い人たち、など。結局、最後まで読み進むと、この二つの陣営の人々の対照はかなりくっきりとしていて、永久に分かり合えない、混じり合うこともない、水と油の層を形作っているように見えてくる。

舞台はアメリカなのでキリスト教徒は至る所に出てきて、この水と油の橋渡しをしようとするように見えることもあるのだけれど、その効果のほどは説教の言葉とともにむなしく消えてゆく、という印象がある。永続を約束するそれら宗教の言葉は実に無力だ。しかし、それに対して、進行する物語の中で、それぞれの陣営に属する人の、相手の陣営の人に対する個人的な共感のようなものが、ある瞬間きらりとひらめくような場面がばらまかれている。光った次の瞬間にはすぐに消えて元に戻ってしまうのだが、でも、この長続きしない短命な光だけがこの両者を結びつける唯一の道のように見えたりする。こういうまるで法外とも見える「共感」は、理屈や、生活観や、習慣や、規範といった、およそ理性的なものと無関係に現れては消えてゆく。まるで前世に何らかの関係なり血縁なりがあって、その遠く忘れられた記憶が本人の意思と無関係に現れては消えてゆくようだ。

さて、それとは別に、読んでいて思ったのは、上層に生きる人たちの、社会に対する義務と権利に裏付けられた生活の単調さである。それに対して、下層に生きる人たちの苦しみと不幸とつかの間の喜びなどがごっちゃになった生活の多様さは呆れるほどだ。生活の単調さだけではない、心の動きも同じだ。苦しみや喜びに安定しない心、高揚し、失望し、やけになり、怠惰になり、また高揚し、ということを果てしなく繰り返している中で、およそ上層に安定する人たちには思いもつかない、大切なものをつかむことがある。もっとも、つかんだ後にそれを育てて大きくするすべを知らず、すぐに手放して無くなってしまうのだが。

さてと、そろそろ阿佐ヶ谷に歌を歌いに行かないといけないので、中途半端でここで止める。

これを書いたカポーティは、二人組みの殺人者の特にペリーの方に異常な感情移入をしたとのことだが、僕も同じだ。心のどこかで「こいつはこの俺だ、俺のことだ」という気持ちを感じる。もちろん僕は、彼のような不幸な生い立ちでは決してないのであるが、しかし、やはり、血縁なのだ。

2009年2月1日

東京五輪決定のこと

(Facebookに投稿した文)

東京五輪決定、みなにならって、まずは、おめでとうと言っておこう。

スウェーデンにいるんで皆より反応が遅いんだが、今朝起きて、東京に決定のニュース見て、へえー、と思った。僕のネット環境ではネガティブ意見の方が目に付いたので、蓋を開けて日本ポジティブに転んだのが少しだけ驚き。ただ、最後に残った3国を見ると、これって東京しか選べなくないかな、と思っていたので順当といえば順当だったのかもしれない。

ところで、「僕のネット環境」と「あなたのネット環境」って、これは激しく違うよね。特にSNSを日常的にやっていると、情報ソースがそれぞれの環境ではなはだしく異なるからね。オモシロい、ヘンな世の中になったもんだ。

あともう一つ意外だったのは、東京への放射能影響はそれほど重大視されなかったかったんだな、ということ。東京の放射能汚染についてはほとんど実態が判然としない状態で、各国の代表たちは本当に東京に来るのかな、と思っていた。代表が来るのを辞退したらオリンピックは成り立たないので、東京はダメなんじゃないかな、と思っていた。でも、250キロ離れてるから、まあ、大丈夫でしょう、という判断だったんだね。

個人的に、僕はスポーツが好きじゃない超インドア野郎なので、オリンピックにもあまり興味はない。もっとも、テレビの無い我が家でも、オリンピックとワールドカップについては、壁の共聴コネクタに鰐口クリップで長いビニール線をつなぎ、延々と引っ張って使ってないVHSレコーダのアンテナ入力につなぎ、プロジェクターで見る、みたいなことは、やってた(あ、こんなこと書くとNHKが集金に来るかな 笑)

スポーツも、見れば、面白いんだよね、見ないから無視してるだけで。あと、スポーツもやれば面白いんだよね、やらないだけで。当たり前だ、だってスポーツって娯楽だもん。

経済効果は多大ということで、あと7年の間にあれこれのいろんな仕事が生み出されて、結果、社会に活気は出るだろうね。反面、さまざまな、小さくて、吹けば飛ぶような、でもこれまで日陰の文化として永続してきた、そんなようなものは邪魔であれば一掃されてしまい、翌日からは無かったものとみなされるようなことが進行するだろうね。

前々回の北京オリンピックでも、北京の古い街並みはかなり一掃されたからね。フートン(胡同)と呼ばれる古きよき北京の面影を伝える古びた街並みは、かなりのエリアで更地になったと聞いた。オリンピック前に北京へ初めて遊びに行ったとき、このフートンを散歩して、古い中国の変わらぬ情緒に浸ったのを思い出す。上半身裸の男が行き来して、老人が道端に座ってぼんやりしていたり、子供たちが走り回っていたり、とても気持ちがいい空気だった。

中国政府は強引が許されているから、とあるフートンの立ち退きの時は、2週間前通告ののち有無を言わせずブルドーザーで取り壊しというのも、聞いた。

東京は中国みたいに乱暴なやり方はできないだろうが、結果的に同じことが起こるのは確実だろう。

元来、僕は、「みなで同じことをする」のが子供時代から苦手だった。そんな自分は、たとえば合唱とか恥ずかしくて仕方なく、やむなくやるときは声は出さず歌う真似をしてしのいでいた。そんな自分もバンドでワントップで弾いて歌うのは少しも恥ずかしくない。「合唱で人前で歌うの恥ずかしい」「えー、だって林君バンドで歌ってるじゃん」「一人は恥ずかしくないけど、みんなで同じことするのは恥ずかしい!」「それって逆だよ!」という会話を何度かした覚えがある。

あ、あと、アイドルのコンサートかなんかで会場でいっせいに「おう!」とか「へい!」とか言ってこぶし突き出すのも、恥ずかしくて見ているだけで穴があったら入りたくなる(笑) ましてやそのアイドルがバーチャルだったりすると、もう訳が分からず反射的に目をそらしてしまう。だって、このバーチャルキャラを裏で動かしてるのってすね毛が生えた腋臭な野郎どもだぜ?って言いたくなる(失礼)

そういうひねくれものなので、まあ、東京五輪で浮かれるのは無理。これはネガティブとかそういうんじゃなくて、個人的な性格そのものだ。

そういう性格なので、おのずと、名も無く、変哲も無く、およそ力というものを持たず、吹けば飛ぶような、しかし、長い長い時代に渡ってしっかりと持続し、自立してきた、そんな「文化の形」というものに、過度に愛着を感じる、ということに、相成るわけである。

「失われ行くもの」、という言葉は、常にその失われようとしているものについての生命の微妙さとかけがえの無さと永続性とを表している。また、はかないからこそ貴重なのである、というところも命と同じだ。何度でも自動的に生き返るような代物は命とは言わない。

僕は、宮崎駿の作品をなんと一つも見ていない、という非国民なのだが(すいません、アニメが苦手なんです 笑)、彼が最近引退表明した。最後の作品の評やそれについての彼自身の言葉をいくらか読んだけど、彼自身、そういう、悪い目線だけで壊れてしまうような、しかし持続する変哲ない民族の心のような、そんなものをただ大切にしたかった、みたいな記述を見かけたところを見ると、きっと僕の感覚に近いんだろうな、たぶん。

というわけで、持続する目立たない文化の方が自分には重要なのだ。作り出されては消えて、また、さらにでかくなって作り出されて、また壊して作って、ということを平然と延々と繰り返し、世の中をおそろしく乱暴な手つきで平らにならして行くような、都会の上層で行われている喧騒とはほぼまるで無縁な、持続する小さな文化である。

オリンピックそのものは、まさに永続する世界文化の形なのは間違いないので、それに嘆息するいわれは無い。しかし、オリンピックを、経済活性化を伴うイベントとして見ると、やはり自分はあまり近寄りたくない代物になってしまうな。本当に貧しかった50年前の日本とは事情はずいぶんと異なる。逆に今回も、もっと適任な国もあったのかもしれないね。ただ、昨今のオリンピックはイベント規模がエスカレートしているので、世界が納得するオリンピックを開催するのは貧乏な国では難しいだろうしね。

正直言うと、そういうイベントのあり方がアメリカ的に見えてしまい、これが世界文化の主流であらざるを得ないわけで、その方向性に逆らえる文化は今のところ無さそうだな、という風に見えるんだけど、そんなことを言い出すと不穏なので、これ以上は言わない。

まあ、とにかく、あと7年間、日本は威信にかけてがんばります、っていうことになったわけで、事態を好転させざるを得ないし、たくさんのおこぼれもあるだろうし、悪いことではない。

ただ、その影で音もなく消えて行く貴重な日本の文化というものを、五輪誘致決定のニュースを見て真っ先に思ったので書いておいた。

テクノロジーピープルとアートの素養

「それにしてもテクノロジーピープルはいい加減きちんとアートの古典を勉強するべきだと思うよ、マジで」

なんていうきいた風な口をきいてツイートしたんだけど、あまりにあいまいで、あと、このツイートの後

「これからのテクノロジーにはアートの素養が必要だとかクソ真面目な意味というよりは、テクノロジーピープルと称される人々はアートを学んで自衛しないとますます食いものにされるだけだよ、というぐらいの意味。」

などと補足したが、これじゃ余計にわけが分からないので、ちょっとここで補足しておこうか。

実は、この手の警句じみたあんまり意味の取れない文句は、書いている自分もあんまりはっきりした意味なしに書いているのである。というか、なんとなく思いつきのカンで書いているのであり、この文句につき、自分にはっきりと主張できる意見というものがあった上で書いてるのではないのである。

ただ、いずれ自身のカンから出た言葉なので、カンが間違っていなければ、あとから自分の言葉を補足したり、解説したりはできるはずで、もしそれが出来なかったとしたら、単に口から出まかせを言うやつということになってしまうわけだ。もっとも、それもいいのかもしれない。ひょっとすると世の中のかなりの「目立つ人間」は、そういう一種無責任なノリで発言をしているかもしれない。いや、たぶん、そうだろう。しかし、それはまた別の問題だ。

ただ、この言葉、知り合いの若い子が少し反応してくれたんで、やっぱりいわゆる「解題」を書いておこうかな、と思ったのである。

ただ、本音を言うと、書きにくい。自分は仕事がらテクノロジーピープルの一員なのであり、僕のいわゆる仕事仲間もテクノロジーピープルが多いわけなのである。その人たちは自分の知り合いなので、なんだか、この「少しはアートの勉強しろや」ってのが、その人の中の誰かを指して言っているように思われかねないからである。でも、そんなことを言っていたら、なんにも言えなくなるし、面白くもないので、この個人ブログにでも書くか、ってところである。むろん、誰それを名指しで批判したりしているつもりもなければ、悪意もまるで無いのだ、と前置きしておこう。この先、読むんだったら他人事だと思って読んでほしい。あるいはもし思い当たるふしがあるのなら僕のような年配からよくある苦言かなんかだと思ってもらってもいい。

実は、なんで冒頭で紹介したツイートみたいなことを言いたくなったかというと、先日、学会から放送のインタラクティブコンテンツについて書いてくれと頼まれて原稿を書いたのだが、その最後の方に、こんなようなことを書いたのである。

「テクノロジーがアートで終わってしまってもいいじゃないか。それにしても、これからのテクノロジーはますますアートの素養が必要になって来るだろう。ただ、そのテクノロジーアートが本当に開花するのは、テクノロジーピープルがアートの素養を身に付けたあかつきの、そのまた後になるだろう」

これを書いたとき、僕の頭の中に、かのスティーブ・ジョブズがあったのは確かだ。彼はテクノロジーピープルではなく、基本、クリエイターでありアーティスト系の人間だろう。その彼が、テクノロジーの最先端を率いて自身のアート的理想を注ぎ込んで、かの世界の賞賛の的になった発明を生み出したわけだ。僕は、ジョブズのファンではない。むしろ、テクノロジーピープルの一員として、ジョブズみたいな傍若無人な人間と働くのは、はっきり言ってごめんだ。

まず、一つ言えるのが、ジョブズが自身のアート的理想をきっちり具現化できるところまでテクノロジーが進歩した、そんな現代の世の中になったということだ。すでに現代ではテクノロジーとアートは切り離すことのできない代物になっている。そんなときに、テクノロジーピープルが昔のまんまのナイーブな「技術者」に終始していた場合、単にわけも分からずクリエイターたちに利用され、それで終わっちゃうだろう、と思うわけだ。

特に心配になるのが、堅物の技術屋ならまだいいんだが、自分がテクノロジーを提供してアートの理想の実現に一体となって参入している、という一種のロマンチシズムを持っている人だ。ジョブズが分かりやすいので、まだジョブズを引き合いに出すが、ジョブズの抱くクリエイター的理想の実現にテクノロジーを提供して全力を尽くし、偉大なアーティストを信奉して貢献する、という光景はうるわしくはあるのだが、もし、そのテクノロジー人間が当のアート自体をはっきり認識し理解しておらず、単にアートという言葉の響きにロマンを感じる程度の場合、なんだか見ていて気持ちがよくない。

これは自分の憶測だけど、そういうアートに対するロマンを抱いたエンジニアって、けっこう存在しているんじゃないかと思っている。それで、そういう人が情熱的で、いい人で、素朴だったりすると、ますます救えない感を自分は抱いてしまう。

だって、アートって、エゴなんだぜ。実はアートって恐ろしいもので、通常、有害なものなんだぜ。

この基本をテクノロジーピープルが理解していない場合、いいようにアーティストのエゴの犠牲になる図式が見えてやりきれなくなる。まあ、本人、それでいいのだろうし、他人の俺が介入する余地はないだろうし、理想に向かって身を粉にして働いているのだから、本人幸せだし、達成感もすばらしいだろうし、文句は無いはずなのだけど、エンジニアのひとりとして自分が見ると、どうにも嫌な光景に映ることがある。

アートを高尚だと思い込むのも、ナイーブなエンジニアの悪い癖で、高尚なものに奉じているのだから、それで幸せなんだか、あるいは、その高尚さで貧弱な自我を隠して見えないようにしたいんだか知らないが、心理学的に問題を感じることもある。

ということで、エンジニアにはぜひ、アートの古典を勉強して、エゴなアーティストにタダでいいように使われないようになって欲しい、と思うのである。あるいは、別に使役されていてもいいが、自分が本当には一体何に、どのような経緯で、使われているか、自身で正確に把握して、仕事してほしいのである。それならいい。生きるためだもの。

さて、僕のツイートで言うところの「アートの古典」の「古典」という言葉についてだが、古典といっても、ルネサンスからレンブラント、バッハからモーツァルトとかの古いことを言っているわけじゃなくて、近代以降のことである。絵画だったら印象派以降、特に、フォーヴィズム、表現主義、ダダ、キュビズム、シュールレアリスム、ポップアート、などなどのモダンアートが出たところから後である。歴史で言えば近代史ということになると思う。ただ、その、伝統に基づくアカデミズムに反逆するモダンアートというものが、どんな背景で生まれたかについて正確に理解するにはルネサンス、あるいはもっと前からひも解く必要があるわけだが、そんなことしてたら美学生みたいになっちゃうわけで、そこまではやることはないと思う。

僕の頭の中にあるのは、やはり、昨今のテクノロジーアートなのである。このテクノロジーアートは、昨今、なんだかホントに食えない代物になりつつあるような気がする。アートっていうのは、単に新しいことやればいいわけじゃなく、単に面白いことやればいいわけじゃなく、単にテクノロジーをアートっぽく移し替えればいいわけじゃなく、それだけではダメなんだが、実際に氾濫するテクノロジーアートの大半は、それである。

そりゃあ、数うちゃ当たるわけで、中にはいいものもあるし、そういう混沌とした世界から次世代の新しさ、というものが生まれる、と言ったっていいけれど、僕はあまり賛成しない。ただ、むやみに楽しいからってテクノロジーをいじって珍奇なものを大量生産している光景は、見ているとげんなりする。特にテクノロジーの一般人たちに、少しの新規アイデアさえあれば作品まで持って行ける環境とスキルがかなり簡単に付与されているせいで、この光景は拡大している。

とある古株の先生が、いつだったか、NHKで、ダビンチの最後の晩餐をフォトショップでレタッチして、元の画像を復元した、というのをやっているのを見て、それこそ頭から湯気を出して怒っていたことがある。芸術に対する冒涜だ、というのである。ここでは、当の行為が冒涜か否かはそれほど大事じゃなくて、問題は、「冒涜だと怒る人間の感覚」の方であり、「フォトショップレタッチでダビンチの真相を再現したいと思う人間の感覚」の方なのだ。すなわち、その人の日常感覚が、アートにかかわる行為を見たとき、それに対して「心理的に、無意識的にどう反応するか」ということである。

すなわち、ダビンチの作品を巡って「行動する人たち」の感覚の問題なのだ。僕は、ここで、即座に反射的に、冒涜だ、と怒る感覚を大切にしたいのである。本当に冒涜かどうかは後で考えればいい。そういう心が、大切だというのだ。

それにしても、別に何をレタッチしても構わないが、ただもう無邪気に、ダビンチという古典の大芸術家の真相に近づくために、フォトショップというテクノロジーを使って、それを解明したい、という、その「無邪気さ」は、本当に救えない印象を与える。無邪気なのだ。素朴なのだ。善意なのだ。何にしても、「いい人」がそういうことをするのが一番救えない感じを持つ。悪いやつは何をしてもいいが、いい人がただもう無邪気に下らないことをする、というのは何という害悪だろう。

たとえば、そういう善意の人たちって、モナリザにヒゲのいたずら書きをしたマルセル・デュシャンとか、ちゃんと知っていて、それでその行為をちゃんと理解しているだろうか。アンディ・ウォーホルがキャンベルのスープ缶のシルクスクリーンを刷ってアートだと言って量産したときの、そこに群がった人々の喧騒とウォーホルの孤独をちゃんと感じ取っているだろうか。そんなはずはないと思う。

テクノロジーピープルって、ピープル呼ばわりしたのは、一般人のことを言っているからだ。エンジニアの中にも抜群のセンスの持ち主は一定数必ずいる。そういう飛び抜けたエンジニアは、アートの古典は理解しているし、仮になんにも勉強したことがなく、古典など知りもしなくとも、そういうことはカンで理解しているものなのだ。だから、そういう少数の優秀者は放っておけばいいのである。問題は一般人の方だ。さっき、そういうエンジニアピープルがアーティストにいいように使われるのが忍びないと言ったけど、今度は、そのエンジニア自身がアーティストになりテクノロジーアートを作り出している場合は、忍びない、だけじゃ済まなくなる。

もうこれ以上は言わないが、頼むから、そういう人々に、モダンアートの歴史を勉強して欲しい。そして、そのモダンアートの作品の意味を理解できるようになって欲しい。今の現代の僕らが、無邪気にテクノロジーでめちゃくちゃなものを作って遊んでいられるのも、過去のモダンアートの黎明期に、多くの才気あふれる芸術家たちが、伝統を受け継ぎながら、それと戦い、そして苦々しくも厳しい実践を経て、それで勝ち取った歴史があるがゆえだ、ということを認識してほしい。彼らの多大な知的努力の上に、これらのほほんとしたテクノロジーアートが許されているのだということを知ってほしい。そして、無邪気な僕らのアートとて、そういう過去の芸術家たちの筋金入りの理性と理論が、今でもその裏を支えているのだ、ということを認識してほしい。

以上が、自分がテクノロジーの人たちもモダンアートを勉強した方がいい、という言葉のだいたいの意味なんだが、まあ、ここまで書いてみると、もうどうでもいいかもしれない。こんなに一生懸命に言ったところで何が始まるわけでもない。というか、古い世代の人間の言うことであり、俺も若い世代に説教をする年頃になったか、というだけかもしれない。自分は説教は得意じゃないし、好きじゃない。ただただ、見ていていらつくことがあるので、その意趣返しに書いているだけだ。

僕の仕事は、実は、まさにテクノロジーアートなのだけど、自分は、正統派として、現代の趨勢の否定と、伝統からの脱出、をかかげて仕事するよ。それをテクノロジー界で自らがきちんと示すことが大切だ。愚痴を言っている場合じゃないし、啓蒙はがらじゃない。このへんにしておこう。

三島由紀夫のこと

(Facebookに投稿した文)

お袋が三島由紀夫についてツイートしていたので、ついついまた思い出して、少し過去をあさってしまった。

そのツイートも、三島由紀夫が大大大嫌い、というもので、お袋らしい(笑) 一方、もと文学青年だった死んだ親父は、三島由紀夫の初版本を持っていたり、もちろん相当の敬意をいだいていたはず。息子の俺はというと、三島本人と、三島の小説と、三島の言う日本については、実はどうしても生理的に受け付けないのだが、理性では受け付ける。三島の文学の凄さは少し読めばすぐに分かる。ああいうのを天才、そして異彩というのだ、と言いたくなる。三島の日本論も理屈は分かるし、賛同するところも多い。

しかしながら、生理的にダメなのはいかんともしがたく、俺は三島が好きだ、とはとても言いがたい。この父母にしてこの子あり、といったところだろう。

そういえば昔だれかが、三島由紀夫って名前、なんか青春っぽいよね、あれじゃ40歳とか過ぎたら恥ずかしいよね、って言ってたっけ。

そうだ。東京の僕のうちには、三島由紀夫と東大全共闘の討論を記した本がある。対話がそのまま書き起こされていて、最後に、討論を終えた後に、三島と全共闘がそれぞれ書いた文章が並んでいる、そんな本だ。この本、よく、寝る前に寝床で読んだっけ。何だか、これが好きなんだ。

この討論会は三島自決の1年前のものなんだ。YouTubeでは討論を撮ったフィルムも見られる。動いている三島だけど、さっき書いたように自分は生理的にダメなんで、うへえ、って感じで見るんだが、自分の前ふり演説が終わって、次に学生がしゃべっている演壇の片隅に座って、うまそうに煙草を吸いながら、学生と一緒に笑うその姿は、やはり惚れ惚れとしてしまうし、今見るとどうしても泣けてくる。

三島由紀夫が演壇に立ったとき、「灰皿はないんですか? ここは煙草ものめないの?」「床にどうぞ」「ああ、そう、床ね」という会話があったようで、このさりげない会話が何だかこのあとに続く相当に混乱した対話に先立つ、ピアノの最初の一音みたいで、それが大好きだった。

さっき、名前が青春してる、って書いたけど、こういう討論を見ると、三島も学生も若い。物理年齢のことを言ってるのでも、個人の精神年齢のことを言ってるんでもなく、彼らと、彼らをそのとき収容した東大の教室の空間と、空気と、すべてをひっくるめて、その時代そのものが若い。

ノスタルジーなんだろう、たぶん。だから間抜けにも泣けてくるんだろうが、今どきの日本に、こんなピュアな人間がどこかにいるんだろうか、と、見ていると言いたくなる。どこを向いても金と私欲と正義と偽善ばかりで息が詰まる、と言えば言いすぎだろうが、しかしやはり過去は戻らないんだ。

まあ、だから懐古趣味ってわけだ。

でも、ひょっとして、もし、それがただの懐古趣味じゃなかったとしたら? 実は、日本が本来、いまこそ取り戻さないといけない「精神」だったとしたら? その日本精神を蘇らせることこそが未来の俺たちが正しく再生する道だとしたら?

そして、もし、その精神が「絶望的に失われつつあり、蘇生が完全に不可能なもの」だということが動かしよう無く、厳然たる事実だったら? そのときは、いったい、どうすればいいのか。

これは俺の自分勝手な三島自決解釈なんだけど、以上のことを三島はその中に持っていて、それで自決したのだと思う。そのせいで、自分は昔、三島の自決は「日本との心中だ」と書いたんだ。すでに当時、ずたずただった日本を見て、こんな日本を楽に死なせるのに人手はいらん、俺一人で十分だ、と思ったのではないか。一見、当時の堕落した日本と刺し違えて散ったように見えるけど、その実は、愛するからこそ殺した、つまり心中に近い行為だったんじゃないのか。そう思ったのである。

そして、その自分の考え方は今も変わらず、三島の割腹自殺は、それこそ江戸時代の心中もののように、ただただ、痛ましくて、悲しい出来事に見える。

彼ほどの人間が、その当時の日本の趨勢と、向かおうとしている方向を見誤るなど、俺はあり得ないと思う。誰よりも正確に把握していたと思う。だから、当然、自衛隊駐屯地に閉じこもり、広場に自衛隊員を集めさせて、檄文を撒いて、バルコニーで一人演説したときも、彼の言うことに賛同する自衛隊員など、まず皆無であろうことは、彼が一番よく知っていたはずのことだ。

したがって、最初からの覚悟の自決なのは間違いない。自ら作ったストーリーに沿って死んだわけだ。そういう意味では、この行為は三島の創作の一つであり、文学的な、個人的なものである、という風に片付けるのが、まずは、順当ということになる。

時の首相は、狂ったか、とコメントしたわけで、たしかに、それが順当な解釈だ。

でも、もし、気違いじゃなかったら? 狂ってなかったら? 

そうしたら、今この現在に、私は正気でござい、とのほほんと暮らしている自分は、三島に涙したりして、いったいどうしようと言うのか。こういうものは、まるで棘のように、心のどこかに刺さったままになっているんだろう。まあ、死ぬまでの間、人生逃げ切れば、それで結構だろう、と日々忙しく上の空で生きているわけだけど、そんな自分にも、こんなような棘がたくさん刺さっていて、突然何かの拍子で痛みが走るのだ。

それで、改めて気付くんだよ。俺たちの過去に、こんな人がいたんだということを。痛ましいじゃないか、悲しいじゃないか。そして、切実に思う。三島さん、なんで、いまこの現代の日本にいないんですか、なんで死んじゃったんですか、と。

以上、死んだ親父譲りのノリで考えるとこんな感じ。

で、今も元気なお袋のノリで考えると、三島って、生理的に、大大大嫌い!(笑

三島由紀夫vs東大全共闘:http://youtu.be/Eo6o2WDl88k

幽霊について

夏は幽霊、ってことで幽霊についてつらつらと。

実は、Facebookかどこかで幽霊についてコメントしたら、ある人から、林さんの言うことはなんとなく文学的でよくわかりません、林さんにとって幽霊って何ですか、と端的に聞かれたので、たしかに、と思ったのである。それ以来、ああ、幽霊について書いておこうかな、と思っていたのだけど、そのままになっていた。

自分は重い腰を上げてしか書かないので、今回もそうなんだけど、まあ、書いている。本当は自分はもの書きで生計を立てたいと思っているのだけど、これでは明らかに難しい。だから、きっと、いまだに文章で生活して行くことができていないんだろう。ま、それはいいとして。

Facebookにも書いたし、ことあるごとに言ってはいるんだけど、自分は幽霊は信じる側である。ただ、文学的に信じている傾向は確かにあって、「幽霊というのはこうこうこういうもので、その存在を信じています」と、端的な言い方で言えない感じがある。なので、自分は幽霊を信じますよ、と言って、人に、どういう風に? と聞かれてしまうと、どうしても話が長くなってしまう。なぜなら文学的に、なかば観念的に信じている傾向があるからだ。

そんなのは信じてる、っていえるのか? そんな回りくどい説明じゃなくて、そのものずばり、幽霊という「実体」をお前は信じているのか否か? と詰め寄られたときどう答えるか考えてみると、自分は、それでも、「信じている」と答えると思う。

ここで「実体」に関する、果てしない文学的、あるいは哲学的な考察に入っていってしまうのは話が違っちゃうし、止める。と、いうか大変すぎてできない。自分としては、だいたい2000年に入ってからだと思うのだけど、「実体」とか「事実」とかいうものが、見る見る間に解体されて行くように感じ始めるようになったことは確かで、これについては以前、このブログの「事実とは何だろう」にくどくど書いておいた。

実体や事実が解体されてしまえば、もう、幽霊を信じる信じないも、ない。現実そのものが幽霊みたいなもんだ。最近ときどき、2000年から10年以上経ったけど、このままどうなってしまうんだろう、と思う。もっとも、困ることはない、むしろ解体が本当に終わったらすっきりすると思う。

さて、幽霊の実体についてだけど、自分には、幽霊を「見た」という経験が皆無ではないけれど、とても少ない。人の形をした幽霊は見たことが無い。見たことがあるのは、今思い出せる限りでは2回で、いずれも「渦巻き」だった。幽霊とは呼べないかもしれない。

一つは、昔住んでいた家の近くにあったうらびれた神社で婆さんがお祈りしている光景に偶然遭遇し、そのとき周りの木々が婆さんを中心にざわざわと渦巻いて見えたこと。もう一つは、恐山の宿坊に泊まったとき、夜、独りで野外の風呂小屋に風呂に入りに行ったとき、脱衣場の天井の隅っこに渦巻きが見えたこと。この2回である。いずれも時間にして数秒の出来事で、いずれも気味が悪くなり、逃げ出した。

と、ここまで書いてなぜだか感じるのだけど、なんだか、自分は何度も幽霊を見ているような気がしてきた。どうしても思い出せないけれど、何度もどこかで見ていて、しかし、でも、自分が、それを、故意に覆い隠して、忘れているような気がしてきた。

何で、こんなことを思うんだろう。

やはり、それというのも、死んでしまった「なにか」が、今でも生きている、と感じることが多いせいかもしれない。

一番簡単に解決する考え方は、たぶん、現に今生きている人の中に死んだ人の思い出が残っているということ、そして、死んだ人の残したものが、現に今物理的に残っているということ。そういう、過ぎ去った過去の残存物が、現在生きている人をして、あるタイミングで、幽霊という心的実体としてその姿を現す、という考え方だろう。つまり、死んだ人は既に完全に「無」なのだけど、この世に残った残存物が、現在の人の心象風景に現れる、ということ。すなわち、幽霊は徹底的に現に生きている人の心が作り出した単なる心理現象である、という風に考えることが、一番、ありそうな、そして、一番科学的に感じられる解決なように思う。

でも、本当に、そうか。

この考え方で説明できないのは、まったく関係の無い複数の人々が、同じ幽霊の実体を見ることがあるという現象だろう。もっとも、この場合は、ある物理現象が現実に発生した、として、それをめいめいが目撃し、そこに自分の心象を重ねてそれを幽霊と解釈しているのである、という説明の仕方になるだろうね。たとえば、墓場の人魂を何かの燃焼現象で説明するような、そんなやり方になる。ある人は、この炎を見て、自分の婆さんの幽霊と思うかもしれないし、ある日とは死んだ友人と思うかもしれないし、ある人は驚いて腰を抜かすかもしれない。

そんな風に考えて行くと、結局、幽霊の、いわゆる科学的な物理的な説明の仕方というものと、心理的な説明の仕方というものと、そのものずばり超常現象としての説明の仕方という複数の説明の仕方は、遠い将来のどこかで一致するのかもしれない、という風に考えることが、もっとも素直な流れのようにも思える。

たとえば、近代になってからの科学では、この世で起こる不可思議を許容することができるような理論がいくつも出てきた。不確定性原理と量子力学、不完全性定理、複雑系とカオスなどなどである。これらが意味するところのものがさらに解明されて行けば、いわゆる超常現象的なものも、科学が対象とする「現実」の枠組みの中で解明されるときが来るのではないか。そして、そのときには、物理科学と精神科学は一致し、大団円を迎えるのではないか、という予想である。

自分はもともとは理科系で、大学以降に、文学そして哲学に興味を持ち、ときに耽溺し、今に至るので、上述の大団円を一番信じてもよさそうな人間なのだけど、実は、こういう風景をあまり信じる気になれない。要は、そういう結末がイヤなのである。

なぜイヤだと思うか、というと、これはほぼくだらない理由だ。つまり、幽霊の居場所がなくなっちゃいそうで、つまらないのである。

もっとも、その大団円が来たとしても、生命や、精神や、運命の、不可思議がなくなるわけでは毛頭なく、単に、物理現象と心霊現象の原因に関する不毛な戦いに決着がつくだけであろうから、別にかまわないはずだ。だから、結局、イヤだという感想も、たいした意味はなく、さっき下らない理由と書いたのである。

それにしても、こうやってあれこれ書いていると、やはり何となく哲学系に走ったりする。もう少し本題に戻そうか。

いま思い出したが、この幽霊話のそもそものきっかけは、幽霊を信じるか信じないかの調査をしたら、半数以上の日本人が幽霊を信じる、という結果が出たというニュースだった。これを見て、ああ、順当な結果だろうな、と思った。僕の周りの友人などを思っても、まあ、半分以上の人が、幽霊は信じる、って答えているように思うからだ。

いわゆる超常現象については、そもそも科学を持ってしても、それが錯誤か否か決定できないのだから、幽霊は結局分からないものに終始する。それならば、否定しちゃうんじゃなくて、一種の人生の楽しみや刺激の一種として幽霊は信じますよ、という態度でいた方がいい、ということもずいぶんあるだろう。僕がさっき、物理と精神の科学の大団円を望んでない、と言ったのも、結局はそんな理由である。

幽霊を信じていた方が、人生が楽しく、さらに豊かにもなるとしたら、信じた方が得だろう、と、こうなるわけだ。

それにしても幽霊もなめられたもんだ。ホントはすごく怖いのが幽霊なはずなのにね(笑

実は、自分は、たいそうな怖がりで、以前、映画の「リング」を見たときも、およそ一ヶ月は怖くて電気を消して寝られなかった。だから、幽霊は信じますよ、とかあっさり答えてはいるものの、本当に幽霊が出てきたら怖くて参ってしまうに違いない。

未完

死と幸福

スウェーデンのゴットランド島に住みはじめて半年以上がたった。僕のいるウィスビーという街は、古い城壁に囲まれた街並みがまるごと世界遺産という場所で、あちこちに遺跡や廃墟があり、長い歳月を経てなかば朽ち果てたような大小のモニュメントが、まわりに広がる自然と調和して、極めて美しいところである。

さて、僕が移り住んだのは昨年の秋。ここは北欧なので寒さは厳しく、秋になるとすでに冬の気配が入り込んでくる。そのころも、確かに寒さに強いバラなどの花は咲いていて、自然は美しかったが、すぐに紅葉したと思ったら、あっという間に冬になり、寒くなり、雪が降り、白一色に覆われ、草は枯れ、木々は葉を落とし、あたりは白黒の世界になった。

もっともゴットランドは南北に長いスウェーデンの南端に近く、しかも周りをぐるりとバルト海に囲まれているので、北欧とはいえかなり暖かいおだやかな気候なのである。冬の寒さもほどほどで、それで春になると急速に暖かくなり、あるタイミングになると土地の花という花がいっせいに咲き乱れるのだ、と聞いている。5月になり、そんな春がやってきた感じである。連日きれいに晴れていて、昼がすごく長く、朝の4時にはすでに明るくなり、夜の9時を過ぎても空が明るい状態である。

さて、今日もやはりきれいに晴れている。

午後を回ったぐらいまで仕事をし、そのあと、書類手続きのために自転車で納税局まで行ってきた。その帰り、なんとなくあてもなくぶらぶらとそのへんを走ったときに感じたことがあったので、その話である。

これは自分のホームページのいろいろなところに書いたのだけど、僕は今から25年ちょっと前に、かのオランダの画家のヴィンセント・ヴァン・ゴッホに夢中だったことがあった。ここでそのストーリーを繰り返しはしないが、当時の自分の夢中度は、おそらく完全に常軌を逸していて、我ながらなぜあそこまで夢中になったのか分からないぐらいに重症だった。

当時、20代の後半だった自分は、来る日も来る日も、ゴッホの画集を見てすごした。彼の絵に常に囲まれて生きていた、と言ってもいい。もちろん、日本の特別展で実物を見た後も、海外へも出かけ、アムステルダムのヴァン・ゴッホ美術館とオッテルローのクレラー・ミュラー美術館で大量のゴッホの画布を見て、その他の国の、たとえばオルセー美術館でも、ニューヨークでも、さんざんと見て回った。

ゴッホは晩年の二年半ぐらいの間、南仏のアルル、サン・レミ、そして最後の土地になった北フランスのオーヴェールと、三箇所を渡り歩いている。彼に夢中になっていたとき、僕の意識は、その晩年の三箇所での画業にほぼ均等に向けられていたのだが、僕の奥底の感覚では、どうやら、南仏のアルルが一番大きな影響を及ぼしたようで、アルルのヴァン・ゴッホという感覚が、心のどこかに染み付いたまま取れなくなっているらしいのだ。

ゴッホが後世を驚かすことになる画布を生み出したのはこの最後の二年半のことだ。それは南仏のアルルで幕を開ける。疲労困憊の極みだったらしいパリでの二年間の生活のあと、彼は突然、冬の終わりに単身アルルにやってきた。到着したアルルは雪に閉ざされた寒くてわびしい土地であったが、南国の春は急速にやってきて、雪は溶け、太陽は輝き、草木は生い茂り、花は咲き乱れた。その溢れかえる南国の光に視覚を直撃されたゴッホは、あの素晴らしい画布を次々と生み出してゆく。まさに爆発という言葉が適当な、画布の上は溢れかえる色彩の洪水、そして彼の精神も溢れかえるエネルギーで燃え上がったような状態になる。

そのときゴッホの置かれた状態というのは、一種の躁状態だったようにも思える。それで、僕が20代後半にその画布に夢中になったときも一種の躁病のような状態だったようなのだ。その、溢れかえる光、というものが、自分の心に直接縫い付けられてしまったようなのだ。僕は、20代後半に彼に夢中になってから10年ほどでゴッホに関する本を書き上げ、それで僕のゴッホ中毒はいちおうひと段落する。そして、ひと段落してからすでに15年ほどが経って今に至る。

しかし、そのひと段落してから後のことだが、その「アルルのゴッホ」に起因する「あるイメージ」がときどき脈絡もなく自分に蘇り、怪しい感覚に襲われるようになった。実は、今日、ここゴットランドの春に自転車でぶらぶらしているときにも、それが蘇ってきた。この実に実に奇妙な感覚は、これまたブログやらホームページにも書いてきたので、詳細は繰り返さないが、とにかく非常に怪しい感覚なのである。

まるで、20年前にゴッホに夢中になっていたときの感覚の只中に、そのまま戻って、自分の過去を正確にトレースしているような感じに捕らわれるのである。いや、トレースというのはおかしくて、そのまま過去に生きているように感じるのである。ただ、その感覚が続くのは、とても短い時間で、長くても2,3秒だと思う。しかし、少なくともその2,3秒の間は、僕は文字通りの意味で過去に生きている。さらに、その時に感じる幸福感は実に常軌を逸していて、途方もない法悦の只中にいるような状態になるのである。ただし、繰り返すが、時間的にはかなり短い。

今日、ゴットランドの光の中、その状態になって、またまた本当に怪しい気分になった。

ところで、昨日は、ウィスビーの町の南側の遠方まで自転車で遠出し、広大な平原と延々とうち続く崖、その向こうに広がる大海と、輝く太陽の中を散歩していたのだが、そこでは上述の怪しい感覚はなかったけど、その自然の風景があまりに美しく、ほとんど常軌を逸したほど美しく、陶然となった。そして、陽が傾き始めたとき、海の上に浮かぶ赤みがかった太陽からほとんど真横に近く差し込む光が、背の低い常緑樹の群れを照らし出しているのを見た。

薄い青色の空をバックに、濃い緑色の葉を赤い光が照らし、捩れた枝は茶色に縁取られている。独特の色合いだったのだが、この風景が、ゴッホがサン・レミで描いた画布にそっくりだとすぐに思った。彼はその書簡集の中で、南仏のオリーブの木の光による色合いの無限の変化とニュアンスについて語っているのだが、僕のそのとき見た木々はまさに彼が塗った画布の色そのものだった。経験から知っているが、こういう色は写真には絶対に写らない。画家の描く画布の上でしか表現できない。

それにしても、ゴッホはその書簡集で繰り返し、自然の色の美しさについて語っているが、ここウィスビーの自然の中にいると、まさに彼は「見たものを描いた」のであって、あの彼の画布の独特な色合いは彼の創意によるものではなく、本当に現実に自然の中にある色彩だったのだ、ということがはっきり分かる。ここはゴッホがいた南国ではなく北国なのだが、やはりヨーロッパの光というのは日本と違うのだろうか。

さて、そんなことを考えながら散歩をした昨日から、今日になった。そして今度は、アルルのヴァン・ゴッホに関わる怪しい感覚に襲われたのである。

そうやって自転車を走らせながら、ぼんやりと漠然と考えた。2、3秒の短い間とはいえ自分はその間、過去にそのまま生きている。それで、その気持ちよさと幸福感は常軌を逸していて、あまりに幸福ゆえに長時間は続きようがない感じが強く漂っている。あの状態が長く続いてしまったら、僕は文字通り何もできず単に条件反射で生きているだけになってしまうだろう。面白いことに、文字通り夢の中のようになっているのに、自転車を道に沿って運転して障害物をよけたりすることはできるのだ。そういうオートマチックな運動を阻害はしない。

というわけで、単純に考えれば「過去にそのまま生きる、ということは常軌を逸して幸福なことである」、と言えると思う。過去にそのまま生きるというのは不可解だろうか。別の言い方をすると「過去に同化する」とも言える。ただ、もちろんその時間の中にいる自分は、現在ではほぼ不在となり、自らの力で何かを生み出すような活動は一切できなくなる。できるのは本能に従って自動的に行動することだけだ。

さて、ところで、僕らは「現在」に縛られて生きている。

物理や数学を真面目に信じている人は、過去、現在、未来の関係をこう思い描くに違いない。無限に伸びる「時間軸」という線の上に「現在」を点でプロットし、その現在が線上を一定の速度で右に移動している。その点より左側が過去、右側が未来である、と。実は僕は、このアナロジーは完全な思い込みの結果だと思っている。物理学における時間の概念をそのまま人間の生活の場に適用するから、こうなる。さらに言えば、時計のアナロジーに縛られている、ともいえる。深入りはしないが、上述の物理から来た時間概念は、どう考えても惑星の運行から始まった天文学から来ている。つまり無機物の運動の観察結果から来ている。

実際に僕らに起きている状況はこれとは異なる。僕らは「現在」に縛られているが、それは点ではなく、あるあいまいな幅を持っている。そしてそれが「過去」と交じり合っている。たしかに僕らは「現在」の切っ先にいるかもしれないが、少なくとも現在と過去は断絶はしておらず、滑らかにつながっていて、オーバーラップしている。そして「未来」は、依然として、まだ、無い。

こう考えると、実際には現在と過去しかなく、現在が「生」を、過去が「死」を表している、そして未来というのはそもそも無い、と言えそうだ。それで、現在と過去が滑らかにつながっていて断絶が無いのなら、生と死もそのように断絶の無いものだ、と考えるべきだ。

そして、今回の、あの数秒の間「過去と同化」する件なのだけど、あれは、まさに生きながら死んでいる瞬間なのではなかろうか。それで、過去に同化するのがあそこまで幸福で気持ちいいということは、死ぬということは恐ろしく幸福で気持ちよく感じる「なにものか」なのかもしれない。

ひところ流行った臨死体験にも、死から生還した人が語る、死の寸前の法悦の境地の描写がずいぶんある。それらの幸福感は、脳が死ぬ寸前に人の死の苦しみを和らげるために用意してくれている一種の麻薬的なモルヒネ的な快楽だ、という考え方がいちばん「ありそう」なことだ、と考える人は多いかもしれない。特にさっき書いた物理や数学を真面目に信じている人にはそう考える人が多いはず。

それは別に反対しないが、ただ一点、「死の苦しみを和らげるため」という理由付けは、おそらく間違っていると思う。生きている今であっても、過去に同化する、すなわち死の感覚はやはり幸福感と法悦を伴っている。とすると、死を間近にした苦しみとは関係ない、ふつうに生を送っている時間であっても、やはり死はそういう格好で現れるのだ。となると、死というのはやはり何らかの幸福感を伴った状態なのだ、と考えるべきなんじゃなかろうか。

この幸福感は、脳が神経細胞のコンピュータ的計算の果てに作り出した結果であろうと、形而上的エネルギーが作用して作り出した結果であろうと、それはどちらでもいいことだし、本質的には同じことだ。要は、死は幸福か否か、という答えが、然り、ということだからだ。

そして、おそらく「幸福感」と反対の「緊張感」は「現在」の方に属している。そして、「緊張感」は「現在の充実感」を不断に生み出している。それは「現在」の活動が不断に「過去」を生み出していることとちょうど平行する。そして「現在の充実感」は「過去という幸福」を生み出すために必要なことで、これを失うと、そもそも幸福自体を作り出せなくなる。

そんなところまで考えてみると、最後に一つ残るのが「苦しみ」だ。では、苦しみとは?

もっとも、僕はこんなややこしいことを考えながら自転車を走らせていたのではない。以上の理屈は、いま文を書きながら成り行きとして考えたまでだ。

僕は、おだやかな春の陽の光に照らされる中、自転車をのんびりと走らせて、アルルのヴァン・ゴッホの「感覚」を蘇らせ、怪しい気分に浸っていただけだ。しかし、確かに、その時間には苦しみはきれいさっぱりなかった。

あたりは、緑色の草、つぼみをつけた木々、遠くに古い城壁、ゴシック教会の尖塔、さらにその向こうは青々としたバルト海、ぎらぎら輝く太陽。そんな風景が広がっていただけだった。

エントロピー増大の法則など

Cinderというアート科学系のプログラム環境で少し遊んでいる。

そこで練習用にここにつけたムービーをプログラムしてみた。別にむずかしいことはぜんぜんなくて、粒を100個真ん中に集めて、その次に、それぞれの粒にランダムな速度と方向を与えてから、せーの、でリリースするってだけである。

当然、100個の粒はブワーンと爆発して飛び散り、壁で反射してすべてバラバラになる。しばらく見ていても単に100個の粒がでたらめに空間を飛んでいるだけだ。考えてみるとこういう結果になるのは目に見えていて、当たり前すぎる。

それで、こんなことをして遊んでいるときにふと思ったことがあり、その話。

エントロピー増大の法則という有名な物理法則がある。この法則は決して破られない鉄壁の法則といわれたりしているらしく、非常に確かなものだそうだ。で、どういうことかというと、整然と並んでいるものも時間が経つとバラバラになる、という法則だ。

もっともこんなバカっぽい定義なわけはなく、元々は熱力学第二法則というもので、熱は熱いものから冷たいほうに移動し時間が経てば温度は均一になる、というものから来ていて、法則を表す難しげな数式もある。

エントロピー増大則は、見ようによっては、その内容がとっても悲観的に感じられるので、これまでいろいろ拡大解釈されてきたそうだ。なにせ、何にもしないと全ては結局はバラバラになり無意味な乱雑さの中に埋没してしまうのだ、そしてそれは避けることはできないのだ、と、法則が言っているのだから。

そんなこともあり、よくエントロピー増大則について言われるのが、人が行う「創造的行為」や、生命の「進化」はエントロピーの法則に反している、という物言いである。ただ、これらは当の法則の適用範囲を間違えているだけで、不当な批判だ、とするのが順当な科学的態度のようである。

まあ、それはいいんだけど、この自分の作ったプログラムなんだが、これって見た目はまさにエントロピー増大の光景なのである。

真ん中に固まった100個の粒がしばらくすると乱雑な運動になってしまう。しかもしばらく見ていると分かるけど、この四角のウィンドウの中のどのエリアを取っても他のエリアと差別化できない。ほとんど同じような乱雑な光景になっている。いつまで見ていても決してこの100個の粒は最初のように真ん中に一つにかたまりはしない。あるいはそこまで行かなくても、一箇所だけ真っ暗なエリアができるとか、そんなこともない。

試しに一晩、動かしっぱなしにしてみたが、朝起きても乱雑のままだった。俺が寝ている間にかたまりに戻ってまたバラけただろうか。しかしそんなことはありそうもない。

なんでだろう?

しかしだ、これについては「なんで?」と問うまでもなく、思い切り「自明」なことじゃないだろうか。だって、複数の粒がランダムな速度と方向を持っていれば、それらが空間を広がって行くのは、どう考えても当たり前のことじゃないだろうか。不思議でもなんでもない、自明なことだ。同じ長さの直線がぴったり重なるのと同じぐらい自明なことじゃないか?

たとえば、100個じゃなくて2個だとしよう。空間に点が2個並んでいて、この二つの「速度」と「方向」のどちらか、あるいは両方がほんの少しでも違っていれば、こいつらは最初は同じような方向に動いていることもあるだろうが、時間が経てばどんどん離れて行き、しまいにははるか遠くに離れ離れになってしまう。これは当たり前のことだ。

ところで「エントロピー増大の法則」というのは、自分は基本は物理法則だと思っていた。なので、この法則は物質の観察によって得られたものということになる。というわけだから、なんだか知らないけど「宇宙の宿命」みたいなものがどこかにあって、そいつのせいでエントロピーはどうしたって増大する方向に行くのだ、それが「定め」なのだ、と、実は自分はこれまでそんな風に思っていた。

でもこのたかだか100行ぐらいの小さなプログラムでやってみて、初めて気が付いたのだけど、もしこれがエントロピーの増大を表しているなら、これは宿命でもなんでもない、ただの自明なことだったんだ。

ただし、同じ長さの直線がぴったり重なるのを見て「なんたる逃れられぬ宿命か」、などと感じる人はこの限りではない。いや、たしかにこれだって宿命だ。でもこの宿命は、「人間というものに生まれたとは何たる逃られぬ宿命だ」と言うのと同じなので、そういう意味ではエントロピー増大が自明なことだとしても、たしかにこれだって宿命だ。

というわけで、「速度や方向が違えば離れ離れになる」という自明なことが、「たくさんの粒」とか「最初にひとところに集められた粒」とかそういう条件を経て、回りまわって「秩序あるものは時間が経つとバラバラになる」という極めて心情的に運命的な命題として「人間の心に感じられる」ようになる、ということは、これは不思議なことではあるまいか。

いま遊んでいるこのcinderだけど、極めて単純な規則の繰り返しから、極めて複雑で変幻自在な世界を作り出すのに向いたプログラム環境だそうで、これをCreative codingと言うそうで、最終的にはアートを作り出すツールだそうだ。

科学側で言うと、この分野では、フラクタル、カオス、複雑系、というあたりが関係する。単純な一片の数式が扱いようによって永遠に手に負えない複雑さを表す、というものなのだけど、とても面白く、不思議で、これ自体は自明でもなんでもない。

例をあげよう。ほんの1行で書けるニュートンの万有引力の法則に従う3つの物体があったとき、これらが時間を経てどのような動きになるのか予測することは本質的に不可能だ、というのがある。これは三体問題と言われているけど、数学的に解けないのに加えて、3つの物体が最初にどこにどのように存在しているか、という、いわゆる初期値がほんの僅か狂うと、未来の違いはとんでもなく大きな違いになって発散してしまう、ということが、数学的に証明されているのである。

でも、実はこれも本当は自明なことなのかもしれない。僕らが感じる「単純」と「複雑」というものの由来そのものに問題がありそうだ。ただ、この二つを眺めて同じものと感覚的に納得するには、あまりに僕らの脳は知性的すぎる。

東洋ではよく、悟り、といって、瞑想によって真実を知るという方法が言われるけれど、そのときの「悟り」という方法が、この、生物や物体のまとった手に負えない複雑さを、見方をまったく変えることで、単純な悟りに還元するのかもしれない。

実はときどきそんなことをよく漠然と思ったりする。

ちなみに、この東洋の悟りだけど、こういうことを思うとき僕はいつも、かの「空海上人」の悟りを連想する。というのは、昔読んだ澁澤龍彦の高丘親王航海記の中に出てくるシーンを連想するからだ。ひょっとすると間違って覚えているかもしれないけど、こんな感じだった。

親王は飛行機のようなものに乗って果てしない砂漠の上を飛んでいる。砂漠の砂にはできそこないの怪物の屍のようなものが点々と埋まっているのだけど、その上を風を切って軽々と飛んでいる。そして最後に巨大な岩場のようなところに到着すると、親王はその岩の窪みに一人の隠者が瞑想にふけっているのを見る。近寄ってみると、それは空海であった。親王は跪き、お懐かしゅうございます、と言うと、無言の空海の目から涙が流れた。

というものだ。たぶん、上記、ぜったいどこかがおかしいと思う。涙を流すのは空海じゃなくて親王だったかもしれない。いま、その当の本を持っていないので確かめようがない。でも今となってはどっちでもいい。死んだ澁澤さんだって、あの世でどっちでもいいよ、って言うだろう。

とにかくこの、空海の目から涙が流れる、という光景が頭から離れず、常にこのイメージが頭の中にある。そして、これが悟りというものの自分にとっての象徴になってしまっているようだ。

ところでコンピュータプログラムは数学だ。それで、それに基づいて絵を描かせると、かなり簡単にフラクタルやカオスや複雑を作り出せる。「単純」から「複雑」へ。これはエントロピー増大の法則でいう、「秩序」から「無秩序」へ、という関係と平行しているように見える。それで、さっき言ったようにこれが自明なのだったら、このような関係はすべて自明なことなのかもしれない。

そして、その逆の道、つまり「複雑」から「単純」、「無秩序」から「秩序」という道は、なにもしなければ、無い。

でも、きっと人間の知性を注入することで、「無秩序」から「秩序」へ、そして「複雑」から「単純」へ至る道はあるのだろう。エントロピー増大則は閉じた系での法則で、何か別のものが流入した場合は法則と別の現象が起こりえるのだ。だから「知性」が流入することで、「複雑」から「単純」へ移行する、と考えてもいいような気がする。

でも、自分は複雑から単純へ移行させることにそれほどの情熱は持てない。言い換えれば「知性」にそれほど執着がない。むしろ、単純から複雑へ移行する道を自分も辿ってみたい。ベルグソン流に言えば、単純から複雑へ移行するオートマチックな動きは「本能」という。そっちの方がずっと魅力的に写る。

まあ、これらは空想の次元で、哲学にもなってしまい、収拾もつかないので止めておくが、いつかは解明されるだろうね。

などなどと考えながら、北欧の雪と寒さに閉ざされた中を過ごすのも、まあ、悪くない。

ゴットランドにて

いま、自分はスウェーデンのゴットランドという島に住んでいる。バルト海に浮かぶバイキングの島である。

今日は週末の土曜、夜になる前に買い物をしようと思って家を出て、なんと言うこともなく、ついでに、少し海の方に歩いて散歩へ行った。僕の住んでいるアパートはちょっと歩くとすぐに建物もなにもない自然の中に入れる。草原に小道があって、ごくたまに犬の散歩をしている人に出会うていどで人影はない。草原には点々と過去の廃墟があって、遠くには中世の城壁、そして教会の尖塔、目の前の下方にはバルト海が広がっている。

この、すばらしい自然の中を夕暮れ時に散歩しながら、二週間まえに日本を発つまでのことを思い出していた。

あのときは、出国直前のごたごたやなにやら、毎晩酒を飲み、騒いで、体調を崩し、おとなしくじっとし、少し治ったらまた出かけ、大騒ぎし、また具合が悪くなり、というのを短期間に繰り返し、そのうち時間切れになり、出発の日の早朝に日本を出た。

今日、ゴットランドの自然の中を歩きながら、そのころのことを、こんな風に感じていた。

東京のどこかで事故に会って、瀕死の重傷を負い、救急車で搬送され、夜更けでもネオンと雑踏と騒ぎが続く東京の街をぬって飛ばしに飛ばし、死につつある自分の頭の中は飛び去ってゆく明かりとけたたましい警報音の中、走馬灯のようにぐるぐると、事故に会うまでのあらゆるごたごたを思い出しながら、朦朧とした状態で緊急病院へ到着、そこで意識が途絶えて無意識。ふと気がついてみると、真っ白の壁と完全な静寂、そしてトランキライザーのせいで強制的に平穏にされた意識をもって、とりあえず何も考えずじっとしている自分がいる。

実は、そんなことをしきりに思いながら、目の前に広がる黒いバルト海、日が沈んだあとの赤く染まった空、崩れ果てた廃墟のシルエット、草原の中ところどころに生える潅木などを、ぼんやり眺めながら呆然と小道を歩いていた。

なんだか、すごく不思議な気がした。

なぜ俺はここにいるんだろう、少し前まで俺がいたところはどこだったんだろう、そしてこれからどこへ行くんだろう。

そうか、なんだか笑ってしまうのだけど、前述の病院に到着した後の無意識期間というのは、たぶん、日本からスウェーデンへ向かう十時間ほどの飛行機の中だと思うのだけど、そこで僕はKindleで夏目漱石の我輩は猫であるをずっと読んでいたのだ。

なんだろう、あれはなんだっけ、瀕死の状態の無意識で見た夢が、なんだか荒唐無稽で、まったく取るに足らないほど下らなく、日常といえばあまりに日常な、どうでもいい風景だった、というあの話は、俺はどこで読んだのだっけ。

それにしてもくしゃみ先生が鏡の前で百面相したり、我輩が餅を食ってねこじゃねこじゃ踊りしたり、実業家の金田家へ探検へ出かけたり、その他いろいろ。

とにかく、東京の生活とここスウェーデンの生活の落差があまりに大きすぎて、まるでタイムスリップかなんかしてここにきたように感じてしまうのである。それでも今のネット社会だとネットを通じて東京と十分につながっているし、あと仕事という一貫性のある代物もある。でも、週末に自由になって、ネットを離れて外へ出て、それであんなものすごい自然の中を歩いていると、やはり意識が勝手にトリップしてしまうみたいだ。

あ、そうだ、思い出した。悪夢と悪夢の間に現れる、人を馬鹿にしたような取るに足らない日常風景、という意味ではデヴィッド・リンチのイレイザー・ヘッドの中に一シーンがあったな。なんだかシーンが急に普通の風景になってその中を郵便配達の若者が走ってなんか届けるんじゃなかったっけ、忘れた。

ところで、歩きながら、また、こうも考えた。これは強制的な転地療法なのかもしれない。なにかが自分をあのごちゃごちゃでどろどろの東京から無理やり引き離してこの土地に放り投げて、それで俺はここにいるのかもしれない。

そうは考えたものの、じゃあ、それまでの自分にはきわめて似つかわしくないこの自然がいっぱいの土地にいて、自分がなにかしら良い方向に向かったり、元気で健康になったり、転機が現れたり、とかとかいう感触はまったく無い。

ただただ、自分の前になにもなくて、どこへ行くかのかわからない、という感じだった。

そんな風にほぼトリップに近い状態で小道を歩いてゆくと、少しの平屋が見えて、たくさんの外灯の立ったヘンなところに来た。平屋のひとつにRACINGという文字が見えるので、なにかでレーシングする、なにかなんだろう。

向こうから一台の車が自分に向かってのろのろと走ってくる。すれ違ったときに見たらおじいさんが前を向いてぼんやり運転していた。

そのまま小道を抜けると大通りに出た。大通りといってもこっちは通りの左右を見て車が同時に二台走っていればいい方ていどの交通量だ。通りのまわりはすぐに自然で、何にもない。

大通りをアパートの方角に向かってしばらく歩いていると、ずっと向こうに人なつこい感じの灯りが見える。ああ、あれはうちの近くのスーパーの看板じゃないか、もうすぐだ。

アパートに入ってしまえば、これで正真正銘の日常に戻る。飯を食ったあと、こんなことを書き飛ばしている。

 

大麻

大麻すなわちマリファナは日本では違法である。よくオランダではマリファナ合法と言われるけど、調べてみると完全に合法なわけではなくいろいろ制限がついている。アメリカは洲によって違うらしいけど基本は違法、でも運用がルーズのようである。一方、シンガポールなどいくつかのアジアの国では逆に厳罰が科せられる。というわけで世界的に見てもマリファナはおしなべて問題のある代物という扱いになっていることは分かる。酒やタバコはほぼ完全に合法なので、事情に大きな開きがある。

ここで僕が、この大麻の合法違法問題について主張したり論じたりする気はない。第一、社会問題として考察して、こうすべきだ、と主張すること自体が自分の性にも合わない。しかしネットをしばらく見ていると、けっこうな知名度な人が大麻を違法とする日本の法律に疑問を持った発言をしているようである。たとえば池田信夫は、大麻は合法にして規制すべきだ、と端的に発言していた。

日本は言論が自由な国のように見えて、実際にそうとはとうてい思えないのは、自分の心に照らし合わせると分かる。特にいわゆる日本のサラリーマンは、たとえばこの大麻の問題などについて自由な言論を公で行うことはほぼ不可能と言ってもいいかもしれない。サラリーマンには、暗黙の前提となっている社会の決まりに対して疑問を投げかけ議論をしようとすること自体が、暗黙に禁止されている、と言って過言でないように思う。理由はすこぶる単純で、そういう社会の異分子を自ら名乗ることで職のコースを外れるかもしれないという恐怖心を植えつけられているからだと思う。

ちなみに先の池田信夫はサラリーマンでないのでもちろんOKである。

しかしサラリーマンとはいえ、自分の家に帰ってくれば一人の人間に戻るわけだが、そうなったときに社会に対してラディカルなことを考えるだろうか。これはすこぶる疑問だ。人間はそうそう二つの顔を同時に持っていることはできないはずで、知らず知らず時間がたてば、結局は、社会が押し付ける暗黙の価値観を一個の人間としても肯定しはじめ、疑問を抱かなくなり、最後には飼い慣らされた国民に成り果ててしまうだろう。

ずいぶんひどいことを言っているようだが、自分もサラリーマンをずっとやっていたし、今でも半ばはそうなのだし、自分のこととして切実にそう感じるのである。加えて、飼い慣らされた国民になって人生を送ることにつき、そんなに悪いことは無い。いや、ぜんぜん無い、と言ってもいい。きっちりと国民としての義務を果たして生活しているのだから十分に社会の役に立っているわけで、その見返りとして生活の安定を得て、ときどき酒でも飲んで罪の無い愚痴を言う生活の、なにが悪いことがあろうか。

ところで、そういうサラリーマンでも、社会が議論することを許した命題については、華々しく自説を述べたり議論をしたりできる。最近で一番大きかった例に原発の是非の命題がある。そのほか、実際、いくらでもあるのだが、この「議論してもいい命題」をいったい誰が提出するかというと、これまでは、基本、大手新聞やNHKがその役を担っていたと思う。たとえば朝日新聞が議論の俎上に上げたものは、一介のサラリーマンでも公の場で賛成したり反対したり意見を言える。ここ最近、インターネットが現れ、様相は変わったように見えるが、以上の日本人サラリーマン根性はほとんど変わっていないように見える。日本のインターネットの匿名の多さもそれを物語っている。

さて、脱線したが、大麻の話である。実は、先日、僕の古い知り合いに大麻のことを聞いたので、その話をしようというわけだ。ネットで大麻について調べても、大麻を吸うといったいどんな風になるのかについて、はっきり書かれておらず、掲示板などでおもしろおかしく嘘も交えて話されているだけで、本当のところが分からないのである。ということで、体験者の友人の言葉を紹介しようと言うわけだ。

その彼も今はまったくやっておらず、マリファナをやっていたのは期間にして一月ほど、さらに何十年も前の話である。彼いわく自分が経験した限りではマリファナに悪いところは何一つ見つからなかったとのこと。

それでは以下に紹介する。

「とある友達から、すごくいい品が入ったから買わない?と薦められて、特に考えなしに1万円で買ったんだ。ビニール袋に入ったタバコの葉っぱみたいな代物でね、変哲ない。ただ、その匂いは独特で、マリファナを知っている人なら、すぐに必ず分かる臭いだよ。1万円で一ヶ月はもったな。毎日はやらなかったけど、一日おきぐらいかな、もちろんもっぱら夜の寝る前ぐらいにやってた。最初はたしかアルミホイルで小さなパイプのようなものを作ってさ、それで先のところに、タバコをほぐした葉っぱとマリファナを混合して置いて火をつけるわけ。すーっと吸い込んで、そのまましばらく息を止めて十分に成分を取り入れてから吐き出すの。だいたい、そうだな、ティースプーンに半分ぐらいが一回分かな。吸っている時間はほんの5分か10分ぐらいだと思う。吸い始めてから1,2分で効きはじめて、結局、効いた状態から完全に覚めるのに1時間ぐらいという感じ。一時間ずっと吸ってるわけじゃないんだわ。5分ちょっと吸うだけで、そのまま飛んだ状態がかなりしばらく続く、っていう感じ。

で、1時間、飛んでぼんやりしているわけだけど、それが終わった後、もっと吸いたくなる、とかいうことはほとんど無い。一度にたくさんやっても効果はあまり変わらないし、1時間じゃ足りなくてもっともっと、たとえば一晩じゅう飛んでいたい、なんていう気は起こらないし、第一、吸い続けていてもそれは無理。だいたい1時間ていどで満足して、そのまま眠ってしまうことが多かったな。

さて、吸うとどうなるか、なんだけど、これは、それなりに人それぞれなのと、あと、吸っているマリファナの種類でずいぶん違うそうだ、ということは後から知ったな。俺がやったのは、そのディーラーみたいなヤツのお墨付きの良品だったので、いい経験だったんだろうね。

あ、ここで急に思い出したけど、Steppenwolfっていう60年代のロックバンドの曲にThe Pusherっていう曲があったな。かの有名な映画のイージーライダーのテーマ曲のBorn to be wildのバンドでさ、それであの映画のファーストシーンのバックでかかるのがこのThe Pusherだ。「Pusherは麻薬でおまえの身を滅ぼすが、Dealerはお前に幸せを運んでくる」、っていうクダリがあったけな。

俺のマリファナ体験をさせてくれた何とかいう友人はDealer、だったんだな。

さて,葉っぱの種類によって効果が違うってのは、後に、オランダのマリファナショップの話を読んで知ったよ。まさに、ピンキリみたいだね。俺のが、どの種類だったかは知らないけど、一ヶ月ほどずいぶん楽しんで、リラックスさせてもらったよ。これから話す体験も俺が経験したことで、マリファナ一般ではない、というのは知っていていいかもしれない。

火をつけて吸い込んで、そうだな、2,3分すると何が起こるかというと、まず、耳に聞こえている音が変わってくる。マリファナは静かな室内でじっとして吸っていたんだけど、周りにある音が変な感じで聞こえるようになってくる。たとえば、左側の窓の外で木々の葉っぱが風で触れ合う音、斜め後ろの時計の音、右斜め前の扇風機の音、階下の住民がときどきたてるコツコツという音、隣の家がときどき水道を使う音、などなど、すべていつもなら気にも留めずにいる音があるだろ?

これらひとつひとつが生き生きと「音源」として、鳴り始めるの。自分がその中心にいて、そこからいろいろな方向に音源があって、それらが同時に音を奏でているように感じ始めるんだよ。音源の数がたとえば5つあったとして、意識がその5つすべてに均等に注意を向けることができるようになるわけ。きっとオーケストラの指揮者みたいな感じなんだろうね。

それで、それら偶然の産物である音源が、たまたまあるリズムを形作っている場合、それがたしかに音楽的なリズムを持った「楽曲」に聞こえることもあるよ。マリファナと音楽というのは特によく結び付けられることが多いけど、このせいだろうね。メロディーより、リズムだったな、俺が経験したのは。

この状態は非常に気持ちがよく、非常にリラックスしていて、まんじりともせずにそれらの音に囲まれてずっとじっとしていて飽きることがない。いや、飽きるというのは変だ、「飽きる」なんていう言葉自体がなくなってしまってるんだ。「行動するなにか目的」があって「それをやって」それで「次の目的に移る」という人間行動と、ぜんぜんまったく金輪際違う原理で存在している感じなんだ。「飽きる」とか「疲れる」とか「嬉しい」とかそういう人間的な反応と別次元にいて、静かに存在しているみたいな感じ。

とても表現しにくいけど、はたから見るとたぶん、単に呆然としているだけ、という風に映るだろうね。

以上のようにまず耳の感覚がおかしくなる。続いて、これは毎回起こるわけじゃないけど、たまに幻聴みたいなものが起こることもある。ただ、幻聴というより、実際にそこで鳴っている音がエフェクターを通って変な音に変化させられて聞こえる、と言った方がいい。この状態では、それぞれの音源の音量が、耳に入ってくる音圧で決まるのではなく、意識の度合いで変化するので、たまに意識がある音源に集中するとそのとたんに音が過激に変化したりする。

たとえば、隣の部屋で何か物音がしたとすると、それが、ものすごくはっきりした輪郭で、たとえば「クワッ!」とかいう妙な大きな音ですごくクリアに聞こえたりする。まるで音が視覚的な塊になってそこに出現したみたいなイメージがあわられる。それで、一瞬、なんだなんだ! と驚くんだけど、すぐにまたコンスタントな音のリズムに埋没してゆく。

以上、音の変化は一番先に現れるけど、そのあと、視覚の感じが変わってくる。ただ、この視覚の方はそれほど明確な変貌はせず、たとえばモノがグニャグニャ曲がるとか、そういう幻覚的なことは起こらない。それより、目の前にある変哲ないモノに意識がやけに集中してしまい離れなくなってしまうことがある。

たとえば、100円ライターの炎に見入ったまま、ずっと意識が炎から離れなくなったりする。ゆらゆらゆれる炎を見入っているだけですごい満足感に包まれる。あるいは、時計の針が回るのにずっと見入ったりする。

こんなこともあったよ。吸っている横にベッドがあったんだけど、そこに布団がぐちゃっとして置いてあったのね。それで、それが、どうしてもどうしても布団の中に人がいるように見えるわけ。そんなはずはないことを理性では分かってるんだけど、それがどうしても人に見えて目が離せられなくて、しかも、ときどきピクっと動くもんだから余計に人に見える。もっとも動いたのは錯覚だと思う。あるいは、部屋の隅にあるスーパーのビニール袋の中に小動物がいるように見えて仕方なく、こっちの場合、たぶん風かなんかで「カサカサ」と音をたてたりするので、余計にそう信じ込んでしまい、離れたところから固唾を呑んでずっと見てる。けっこう怖くてね。

以上が、マリファナをやり始めてしばらくの間続く状態なのだけど、マリファナの効能でひとつすごくはっきりしているのが「時間が延びる」ということ。感覚的に言って時間が5倍から10倍ぐらい長く感じられる。たった1分のできごとが10分ぐらい続いているように感じたりするんだよ。マリファナやってるときにも、いわゆる理性はなくならないので、ちゃんと時計も見れるし、時間も読める。それでときどき時間を見てびっくりするんだ。え? まだこれしかたってないの? と毎回驚くわけよ。

一度なんか、マリファナを吸った後、もよりの駅まで歩いて行ったことがあってね、そのときはすごかったね。駅まで歩いて10分ほどなはずなんだけど、意識の上ではたっぷり1時間はかかった。歩いても歩いても駅に着かないの。歩いている通りの周りで起こっていることにいちいち意識を向けているせいで、ただの商店街が「目くるめくワンダーランド」みたいに感じたりしてね。きっと、子供のころって、ちょうどそんな感じだったんだろうね。

以上、聴覚にしても視覚にしても、始まりもなければ終わりもない集中の中に、ただ、たんに意識が存在している、という、それだけの状態になるせいだと思うのだけど、「時間」というものが一時的に意味をなさなくなるんだろうね。

いや、「時間」というのは不思議な概念じゃないか。マリファナをやってわかるのが、「時間」はなくなりはしない。しかし、世間で言う時分秒で測られるところの「時間」がなくなってしまう、ということなんだ。常々思うけど、時間という概念には、そういう二重性があって僕らはみなこれを混同して生きていると思うんだ。

生物が元来持っている「時間」というのは、均一には決して流れないし、意識の度合いによって変化する代物なはずだろう。むしろ、時間というのは意識と同じと言ったっていいはずだ。意識の無いときには時間は無い、意識が集中したときに時間が表れる。「時間」は確実に「行動」と結びついていて、行動は意識と結びついている。時間が無ければ行動も意識もない。だから時間が錯覚だとは決して言わない。しかし、「均一に終末に向かって流れる時間」というのは現代人の錯覚だと思う。時計の針が「分」を指すようになったころから不幸が始まったのかもよ。

マリファナの体験で分かるのが、「時間」というのは実はとても優しくて親しい代物だっていうこと。「非情で容赦ない時間」という現代の発明物が、葉っぱの力で一時的になくなってしまうんだよ。

ミュージシャンにマリファナって、昔はつきものだったよね。今の世の中、特に日本ではまったく無理になっているけど、依然としてミュージシャンはマリファナで時々捕まってるよね。この音楽っていうのが、「優しくて親しい時間」を使った芸術なんだよね。コンスタントなリズムを使った音楽は現代に多いけど、「非情で容赦ない時間」は使ってないよ、均一な時間では音楽は作れないからね。

さて、ここでマリファナをやって聞いた音楽の話をしておこうか。なかなかすごい体験だったんでね。

マイルス・デイビスの昔のアルバムに、モード奏法を完成させたと言われる「カインド・オブ・ブルー」ってのがあって、その一曲目にSO WHATという有名な曲があるじゃん。ミディアムテンポの長い曲で、コードの起承転結のない、ほとんどワンコードに近い曲だよね。これをね、マリファナ吸ったあと、ヘッドフォンをして、目をつぶって聞いたんだよ。

カインド・オブ・ブルーでは、マイルス・デイビスがトランペット、ジョン・コルトレーンがテナーサックス、キャノンボール・アダレイがアルトサックスを吹く。SO WHATは、テーマの後、マイルスのトランペット、コルトレーンのテナー、キャノンボールのアルトと三人が順にソロを取るんだよ。

目をつぶってその3人のソロを聞いているときに現れた夢の中のようなイメージがすごくてさ、その話。

まず、マイルスのソロだけど、聞いている間じゅう、延々と伸びたガラスのチューブの中を高速で移動する乗り物に乗って、ジェットコースターのように移動するイリュージョンを見続けた。ガラスチューブの外には面発光体のようなものが貼り付けてあって、それらが後ろに向かってものすごい速度で飛び去ってゆく、そ んな光景だった。

それが終わると、次はコルトレーンのソロ。こちらには今度は動くものは何も出てこなくて、静止した映像が1,2秒の間隔でフラッシュバックのように 次から次へと目の裏に浮かぶの。その映像が、なぜか、日本の五重塔などの寺院建築の屋根の下についている複雑に入り組んだ「裳階」のイメージと、 岩石が割れたときにできる複雑な断面のイメージの混合で、とにかく静止した複雑な形状のイリュージョンが連続してた。

この、二つのまったく異なるイリュージョンがそれぞれ延々と続いて、呆然としつつも自分の脳的には疲れきってしまったんだ。どう考えても、どちらも異常極まり ない感じだったから。しかし、一見、ロングトーンが多く単純に言えばスピードの遅いフレーズを繰り出すマイルスが高速移動で、一方、超高速で繰り出される音のジェットコースターのようなコルトレーンが静止イメージだ、というのも面白いよね。

さて、そして最後にキャノンボールのソロになった。この人のときは、前の二人のときみたいな奇妙なイリュージョンはまったく現れず、「ああ、ようやく、ようやく、人間的で、血も涙もある暖かい人に出会えた・・」みたいな感謝の気持ちでいっぱいになった。最初の二人のマイルスとコルトレーンは、しかし、どう考えてもまともな人間とは思えない、ほとんど狂人に近い。そんな狂人たちの演奏で金縛りにあっていた自分を助けてくれて本当にありがとうキャノンボールさん、みたいな、そんな感じがしたんだよ。

本当に面白いイリュージョンだったよ。まさに、音楽の魂を見ているみたいな感じだったんだろうな、って思ったよ。

さて、まだいろいろ話はあるんだけど、これぐらいにしておこうか。

自分として言うとマリファナには悪いところはひとつもなかったな。結局のところ習慣性もないし、吸った後のダメージもない。習慣性とダメージで言えば「酒」の方が最悪にひどいよね、おそらく煙草も。マリファナは平和だよ。いまだに合法な酒と煙草と比較して、たった一点悪いところがあるといえば、それは「マリファナ吸いながら仕事ができない」ということかな。酒と煙草って面白いのが、両方とも仕事しながらOKなどころか、仕事を促進したりもするんだよね。マリファナはその点、まったくの逆を向いていて、やっている間は、勤労意欲は見事なほど完全に失われるね。

日本政府がマリファナに過度にうるさいのは、敗戦後のアメリカの影響とか聞いているけど、勤労というものから意識を開放されてしまうと政治が困るからなのかな、と思わないでもない。以前の日本は、マリファナつまり大麻は神社の祭事にはつきものな、伝統的な日本には無くてはならないものだったはずなのにね」

以上、友人の言葉を要約して紹介した。

ところで彼だが、その後、一ヶ月で葉っぱがなくなったので、もう一度、友だちに頼んだそうだけど、最近はいい品が入らなくてずいぶん落ちるけどこっちでいい? といわれ、やっぱり1万円で買ったそうだ。見た目も臭いも変わらなかったそうだけど、吸っても一向に何も感じず、ただのタバコを吸ってるのと変わらない。しばらくやってたけど意味がないので止めて、もったいないけど残りぜんぶトイレに流して終わり。その後、マリファナを吸いたいという気も起きず、止めてしまったそうだ。すなわち習慣性はない、という結論なわけ。

彼を見ていると、まったくのノーマルな人間で、話を聞いていても面白そうだし、マリファナぐらいはいいんじゃないかと思えてくる。ただ、逆にマリファナ以外の麻薬は全部、ダメみたいだ。それだけは注意が必要ってことだろうね。

考えてみると、彼の言葉では、マリファナに比べるに「酒」と「煙草」を出していたけど、人間社会での同じようなアディクション(中毒)でいうと、なんと言っても「セックス」があるね。セックスも仕事しながらできないのでマリファナと同じ系列だね。それが証拠にマリファナと同じく国はあの手この手で制限して取り締まるしね。ただ、決定的にマリファナと違うのはセックスは子供を作るのに必須な生産的行為だ。そうなると、やはりマリファナはひとつだけ余計なもの、ということになるのだろうか。

さて、以上、世の中にはさまざまな中毒があるけど、そこには実際、目くるめく快楽や興味深い事実が待っていたりする。社会生活が無傷なまま中毒できる人は幸福な人で、この友人もそうだが、そんな風に生きたいものだと思ったよ。

草津

どうも海外赴任を前にして心が落ち着かないので少し文でも書いて気を紛らせようと思う。このまえ草津へ旅行へ行って来たので、そのときのことと、そのとき思いついたことでも、書くことにしよう。

草津へ行ったのは初めてではなく、たぶん二回目。とはいえ最初に行ったのがたしか家族旅行のときだったはずなので、40年は前だと思う。恐ろしく久しぶりに来たことになる。今回、改めて行ってみて、草津の温泉地の町がとても大きくてびっくりした。僕らは草津ホテルという創業100年のわりとよい旅館に泊まり、純和風の角部屋も、かけ流しのお湯も、純和風の食事も、何もかも快適だった。

ホテルに着いて、すぐそばにある西の河原へ向かう。湧き出た源泉が作るいくつもの池が点在する、火山岩が一面にごろごろ転がる斜面がある。強烈な硫黄の臭いと、あちこちから噴き出す水蒸気、ペンキで塗ったような鮮やかな緑色に染まった水溜りや、小川、といった中を、ゆっくりぶらついて斜面を登ってゆく。僕は以前、恐山へ行ったことがあるけれど、あそこをちょっとコンパクトにしたような感じだった。

その先には大きな露天風呂があるのである。露天風呂はひとつしかないが、ほとんどプールのように広い。晴れた空、そして山に囲まれた広々とした湯は実に気持ちがいい。

西の河原はその先に続く遊歩道の入り口でもあるので、ハイキングの装いで歩く人が多いけど、僕らは草津ホテルがすぐそばなので、浴衣に丹前をはおりセッタ履きでのんびり散策である。

お湯の後には冷えたビール、ほどなくして部屋出しの食事、さらにビール、と、くつろぎの極地だね、日本の老舗旅館。

むかし、日本住まいの長い韓国人の友人が言っていたが、日本の温泉旅館ほどすばらしい場所は世界中どこを探してもない、って。門をくぐるともう後は王様だ。よそ行きの洋服なんか脱ぎ捨てて、着物姿に下駄で至れり尽くせりの施設の中を王様気分で闊歩できるというのはすごい、と言っていたよ。たしかに、そうだね。

実は僕はこうして温泉旅館に来ると、飯を食ったあとは、ざっと風呂を浴びて部屋に戻り、テレビを見ながらだらだらとさらにビールを飲むのを常としている。僕の自宅にはテレビが無いので、久々に見るテレビがすごく面白いのである。

その日もそうしてテレビをつけてみた。ところが、しばらく見ないうちに番組にえらく見るものが無くなっていたらしく、チャンネルを変えても見るものがない。加えて今ではどのチャンネルでもハイビジョン画質の番組をやっているわけだけど、画質と解像度が高すぎて目に痛い。創業100年の宿の和風の極地みたいな部屋の中のハイビジョンがぜんぜん釣り合わないのである。古い旅館はやっぱり画質が悪い古いテレビで電波も悪く粒粒ノイズの乗ったみたいな絵の方がなんだかうまくフィットするな。特にNHKは同じハイビジョンでも他の民法よりさらに画質がよく、古旅館で瓶ビール飲みながら見るには「眩し」すぎて見るに耐えない。

僕はイヤになってスイッチを消し、ぼんやり外の夜の山を眺めながらビールをちびちび飲んでいた。

ほどなくして奥さんがお湯から帰ってきて、ちょっと夜の街を散歩しようよ、って言うのですぐに同意して出かけることにした。実は、これは、けっこう珍しいことで、だいたい夜は僕は床敷きの布団にねっころがってテレビとビールが多いのである。

彼女はカメラが趣味なので、歩きながら立ち止まってはあちこち写真を撮っている。さらに彼女はどっちかというとアート系なのでカメラを向ける被写体がいちいち変で、それでなんか見つけると、いつまでも被写体の周りを移動しながらああでもないこうでもないとシャッターを切っている。そんな調子なので、歩みがぜんぜん進まず、ものすごく遅い。

一方、僕は、元来が歩みはのろい方なので、それはぜんぜん気にならず、やはりぶらぶらしながら路上で見つけたどうでもいいものなどに見入りながら歩いている。その点、利害がそこそこ一致していてよかった。

しばらくして夜の湯畑に着いた。

湯畑は、草津町の中心にあって、ここから出る源泉を木でできた畑みたいなところに通して温度を下げ、それを各温泉風呂へ供給するのだそうだ。しかし、湯畑はこんなに広くてにぎやかだったんだね。きれいにライトアップもされ、なかなかの見ものだった。周りにはお店がひしめき合っていて、けっこう栄えている。ただし、昔の風情のようなものはきれいに無くなっているようだった。

40年ほど前に行った草津はほとんど覚えてはいないけど、おぼろげながらはっきりとした感じは今でもあって、それは当時子供ながらに見た光景としても、けっこう強烈な温泉情緒があったことだった。湯畑にも行っただろうし、温泉町も歩いただろう。覚えているのは、あたりに漂う湯の煙、ごつごつした岩、そして斜面、強烈な硫黄臭、といった風なのだけど、そんなひなびた情緒は少しもなく、あっけらかんとした観光地だった。もで、まあ、別に悪いことじゃない。ひょっとすると僕は湯畑と西の河原を混同していたのかもしれないし。

湯畑から戻るともうずいぶん遅い時間で、そのまま寝た。

翌日、これまた珍しく早朝の6時すぎに起き、西の河原の露天風呂へ朝風呂を浴びに行く。あいかわらず広大な風呂に2,3人が点々としているだけだ。不思議と若者が多い。草津には老人の湯治客風もいるにはいるんだろうが、おしなべて少なく、大半は若者な感じだ。

その後、これまた部屋出しの純和風な朝飯を食ってくつろぐ。それにしてもどの料理を食べても繊細で、工夫があって、美味しい。僕はここ何回かスウェーデンへ行っており、あちらへ行くと痛感するが、こんないちいち繊細な料理は西洋には皆無と言っていいかもしれない。日本の格上の温泉旅館はこの食事のよさがあるからいい。

10時に旅館を出て、バスの時間までずいぶん間がある。どこへ行こうかと思ったけど、結局、草津熱帯園というところへ行くことにした。そっちへ向けてのろのろ歩き始めた。

草津熱帯園は、古かった。人はまばらに入っているけれど、係の人は園内の広さに比べておそろしく少なかったと思う。後で知ったが、昨年、親会社が倒産し、加えて震災で客が来なくなり、潰れかかったが何とか持ちこたえて今に至るそうだ。でも老舗の動物園で、けっこう名が通っているそうだ。

入り口を入ってひとしきりいろんな昆虫の標本を見た後、いったん外へ出ると少し離れたところに巨大な半球状のドームが見え、これがまた外から見ると、まるで100年前に不時着した宇宙船みたいなルックスと色合いでなかなか見ものである。階段を下りた左手にはサル山。

サル山には相当数の日本ザルがいたと思う。近くに猿えさというものが売っている。粗末な小屋の前に板が渡してあり、そこに角切りの野菜が入った小さなザルが並んでいる。小さな箱があって100円玉を入れてセルフサービスでザルごと持ってゆく。小屋の中をのぞくと台所のようなところがあって、まな板と包丁が置いてあり、切りかけのニンジンやナス、キュウリ、カボチャがごろごろと散らばっていた。

客は相変わらず若者のグループが多くて、猿えさを買ってサル山へ行き、外から中にいるサルに野菜のかけらを投げ始めた。野菜のかけらを投げるとサルたちがそれを上手にキャッチして食べる、サルたちはみなこの趣向を知っているので、若者が投げ始めると寄って来て、なかには後ろ足で立ち上がり、両手を合わせて「ちょうだいちょうだい」みたいなジェスチャーをするのもいる。というわけで、彼ら無邪気にキャーキャー騒いでいる。しかし、山のサルみなが来るわけではなく、ほんの数匹が集まるだけで、他のサルはあまり気に留めていなかったりするので、まあ、なんというかサルたちも客サービスの一環としてやっているだけかもしれない。

僕は少し離れたところにいて、コンクリートのへりに寄りかかってその光景をずっと見ていた。

このサル山と小道を挟んだ向かいが例の巨大ドームで、そこに熱帯動物が山ほどいるのである。しかし、その前に、目に付いたのが、ドームの外の少し外れたところに見えた小さな檻であった。看板が出ていて、そこには「この猿は人間に飼われていたせいで仲間になれなくなってしまった猿です」みたいに書かれている。整備されていない雑草の生えた小道みたいなところを下ってゆくとその檻のところへいける。誰も行く者はいない。

行ってみたら、コンクリートで作られた狭い独房が4つ並んでいる。高さ1メートル、奥行き2メートル、横幅が2メートルぐらいでえらく狭い。正面には鉄網が貼ってあり、中が見える。そのときには独房のひとつにはたして日本猿が一匹だけいた。

人間に飼われていた猿が成長し大人になると手に負えなくなり飼えなくなり、結局、処分してしまう、ということをときどき聞いていたが、この猿もそのうちの一匹で、飼い主が動物園に押し付けた形だったのだろう。人間が育てた猿は、サル山には入れない。猿社会に戻れないのだ。

独房の猿は、これは、見るに耐えないほど惨めで可哀想な存在だった。がらんと狭い剥き出しのコンクリートの向こう側の壁に、体の右一面を押し付けて、しゃがんでうつむいて下を見たままびくともしないのである。寝ているわけではない、目は開いているのである。でも下を見たまま微動だにせずうずくまっている。

見れば誰でもすぐに分かると思うが、人間でいえば、完全な精神病患者だった。人間と暮らした自由で幸せな日々は頭のどこかにまだその記憶はあるのだろう。そしてその当の人間に永久に裏切られて、こうして独房の一室で死ぬのを待つ身になったのだ。その心の痛みが剥き出しのまま目に見えているようで、見るに耐えない光景だった。

その日はまだ夏の暑さが残る9月の初旬で、あたりを直射日光が照りつけていた。

僕はなんだかその場にぼんやりと立って、こんな風に思った。こんなことは言っちゃいけないかもしれないが、サル山で投げつけられるえさにちょうだいちょうだいしているサルも、見捨てられ独房で独り死ぬのを待っている猿も、特に人間社会と変わるところは無いのかもしれない、と。ただ、猿たちの方が事情が先鋭化していて、剥き出しで、救いが無いだけで、人間社会の方はそれほど辛くならないように何かしらの息抜きが用意されている、という違いだけだ。本質的な事情はそれほど変わってはいない気もする。

だいぶ悲観的なことを書いているけど、実はオレはだから猿にあまり近寄らないんだ。まるで剥き出しの自分を見ているようでイヤになるんだ。

サル山を抜けて巨大ドームの中へ。これまた古い柵や、檻や、水槽や、池などなどに、あらゆる熱帯の動物がひしめき合っていた。ドームの中は蒸し暑くて、ひととおり順路に沿ってそのまま歩いて外へ出てしまったが、じっくり見る気があれば、かなりの見ものがたくさんあったと思う。

ドームから再び夏の空の下へ出た。草津熱帯園はなかなかに濃い場所だった。でも、外見は幸せそうに見える動物園よりもお勧めかもしれない。

さて、再び湯畑へ戻り、昼飯を食いに老舗っぽい蕎麦屋に入り、鴨汁付け蕎麦を注文した。これがまた絶品で、瓶ビールを飲みながらいい気分だった。かくのごとく、人間社会には息抜きがたくさんあるのだ(笑)

草津一泊旅行はとても楽しかった。草津よいとこ一度はおいで、と言うが、なんど行っても楽しそうなところなので、特にまだの人には草津は、お勧めである。