雑文」カテゴリーアーカイブ

能面

たいしたことじゃないけど妙だったんで書いておく。京都滞在の最終日、京都国立博物館へ行った。改修中だとかで、特別展のみしか見られず、まあその展示は良かったので、いいのだけど、他が見れず、実はがっかり。

展示は畠山記念館コレクションというもので、能面、茶器、絵、日常品その他、さまざまな日本の物が展示されていた。で、館内は暗く、人も少なく、みなマスクしてるし、静かで沈んだ感じだった。僕はそれまで飲み続けで疲れていたのもあって、特段の感慨もなく、何も考えず順路通り歩いて、展示品をぼんやり見ていただけだった。

そうしたら、三つの能面が並べて展示してあるところにきた。最初にあったのが、「翁」の面で、解説を読むと、この翁というのは能の演劇で特別の意味を持たせるというよりは、民族的に古くからある天下泰平を祈るシンボルで各地域での礼拝の対象であった、などと書いてある。

それを読んで、なるほどな、と思い、次の面を見ると、これは「小面」で、おなじみのあの若い女の顔である。

そしてそれと並んでいたのが、あやかしの面であった。これは「怪士」と書いて、戦いに負けた武将の怨霊である、とある。

なぜだか分からないのだけど、この小面(こおもて)と怪子(あやかし)が並んだのを見て、突然、気持ちが怪しくなり、そのまま号泣に近い状態になった。幸い、マスクしていて外から分からないし、人も少ないし、誰にも気づかれなかったけど、しばらく止まらず参った。

おそらくだけど、この怪子は俺だ、と感じたらしいけど、もちろん定かではない。

その展示では、それ以外に心が動くようなものはなく、ただ、たとえば琳派の絵に素晴らしいのがあったり、ふつうに感心して見ただけだ。会場を出て、係員の人に、改修中で展示はこれだけです、と言われ失望して、それで館を出て、三十三間堂があまりに真ん前にあったんで、入り、なんの感慨もなく出て、飯食って、京都駅から新幹線に乗って名古屋で降りた。

友人と会うためだったが、その夜一緒に飲んでいて、僕に付いている守護霊の話になった。それは、頭の禿げた老齢の武士で、きちんとした装束で無表情でいるそうなのだ。昔からそう言われていたので、その時は、まだ同じ霊がいるのを確認した形だった。

それで、さっきの能面のことを思い出し、なんでいきなりあのような堰を切ったような感情に襲われるのだろう、と考えると、それはなにかの過去の関係性が、霊界でつながっている、とするととても納得がゆく。

若い女、堕ちた武将、老武士、それから太平の象徴の翁、といったいくつかのキャラクタが、どうやらどこかで何かを演じているらしく、そのあの世で演じられているドラマが、現世界に「僕」という人間を投影して、それで動かしているらしい。

遠い過去になにかがあったらしいが、それがなにかは分からない。以上、まったくのたわごとなのはわかっているけれど、そうとしか思えないことが起こるのだから仕方ない。

プロのコピーライター

オレね、今また、自分の発案のサービスをやろうとしてて、それにサービス名を付けようとしてるの。で、今回は、オレはネーミングの決定には一切かかわらないことに決めてるの。

オレ、一回、これについて大きな失敗をしてるんだよね。もう時効に近いんで言っちゃうけど、かつてプロのコピーライターに頼んで、サービス名を作ってもらったことがあって、彼が5つぐらいの案を持ってきたのね。で、彼、これは自信作ですよ、って言って、ハイ!って見せたのが

「打っテレ」

だったの(ダメですよ、これ使っちゃ 笑)オレ、そのときの責任者で、決定はオレに一任されており、それで、これを却下しちゃったの。あまりに日テレみたいなのと、あまりにおふざけなのと、あまりにただのダジャレに見えたせいなの。で、結局、オレが選んだのは

「Zibang」

だった。これは、おそらくコピーライターの彼も、まあ、予備ていどに入れといた名前だったと思うんだけど、それを選んでそれに決めちゃったの。

それで、その後サービスをローンチして、で、まあ、1年弱ぐらいで頓挫したわけだが、もちろんその名前のせいでダメだったとは思わないけど、いま現在の大人になった自分(笑)から見ると、打っテレってネーミングは最高だった。心底、打っテレにするべきであった。

それ以来、プロのコピーライターというのは、やはり、すごい、って思うようになった。まったくのところもったいないことをした。オレの転職後1年半での頓挫人生には、これに類する後悔が山ほどある。

で、だいぶ賢くは、なった。なので、今回は、オレは絶対にネーミングに関わらないって決めたの。

何もしていないとき

だいぶ前から、僕らって何もしないとき何してるんだろう、って思ってた。何もしないってのは意識が飛んでるときのこと。
 
うちから学校まで自転車で10分弱なんだけど、かなり長い坂を下りて行く。車もほとんど通らず快適なのだけど、坂を下っている5分間のうち、意識があるのって合計1分ぐらいな気がする。何回か意識的に、自分がどれぐらい意識的か意識してみたことがあるんだけど(言ってること訳わからんな 笑)、やっぱりせいぜい2分ぐらいだった。あとの時間は、何にも見てない。いや、眼には見えているけど何にも処理されてない。
 
もっとも脳科学的に言えば、その何もしてないときには、なんか脳が外界や内界の状況につき自動思考をしてる、ってことになるんだろう。でも、そうだとしても、自分にとって「なにかの変化」が起きない限り、視覚は戻って来ない。
 
なにかの変化というのは、坂下りなら、もうすぐ路地がある、とか車の音が後ろから聞こえたとか、そういう変化である。これらの変化が無いときは、自分には何にも起こっておらず、眼が開いているだけの状態になっている。
 
やっぱり、それは見てない、ということじゃないだろうか。
 
一度、自転車で坂降りてるとき、無意識状態をなるべく保って降りようと試みたけど、すぐ怖くなって、つまり「怖くなる」という変化が心に浮かんで、そのせいですぐに意識が働いて、眼が見えるようになってしまう。
 
でも、もし、これが自転車じゃなくて、坂道に沿ったモノレールの上に乗ってるなら、自分の中に、怖くなる、っていう変化が起こらないから、そのまま無意識で支障ないし、現に、多くの人は電車で居眠りしてる。
 
大森荘蔵が言ってたけど、私たちは、盲目の人は真っ暗な暗闇を生きていると想像しがちだが、それは間違いで、彼らは私たちが前を向いているとき後ろが見えないのと同じ意味で見えないのである、とのこと、なるほど、と思ったが、その坂を下る5分間のうち、3分間は、オレは盲目の人とまったく同じ状況になっているはずだ。
 
そんなことを考えて、こうやって部屋でぼんやりしてると、自分ってのはホントに細切れで生きてて、大半の時間は無意識で何にもしてない。
 
ところで、コロナのせいでずっと引き籠り。

エラい人

日本の政治家が異常なほど偉い、という話をしてたんだけど、これはホントのこと。僕がむかしNHKの研究所にいたとき、たまに政治家の先生が来ることがあったのだけど、はたで見ていて、完全に異様なほどの接待をしていた。その上下の距離たるや、果てしない。完全に将軍様で、そういう意味で、北朝鮮の将軍様の振舞いとなんら変わらない扱いだった。

もう20年ほど前のことだけれど、それを見てて、自分は、ああ、これは日本の政治家は一回やったら止められないだろうなあ、って思った。
 
で、自分のことだが、自分はこれまで、 人材的に偉い方向へ取り立てられることがあまりなかった人間だった。そういう器ではないというのもあるけれど、自らも「偉い身分」を避けて通ってきた、という面があった。しかし、過去に一度だけ、そういう機会があった。
 
それは、もう、先の政治家に比べると鼻クソみたいなものだが、学会の論文委員会の委員長だった。僕よりちょっとだけ年上の先輩で、このまえ早くして死んでしまった人なんだけど、その人が委員長だったとき、自分の後釜として、林君ならできる、と推薦されたのである。
 
で、委員長になり、最初の数か月はどう振舞っていいか右往左往で冷や汗ものだったのだけど、半年ほど経つと慣れてきた。そうしたら、人の上、それも一番上に立つ、っていうのは、こんなにも気持ちの良いものなのか、というのが実感できた。
 
委員会はたかだか20人ていどで、その委員の下にさらに下々のものが大勢いる、という構成だったけれど、その委員会で、一番いい席に座って、それで自分が、何かについて、極めていい加減なことを言っても、並み居る人々が、それを尊重して、斟酌して、忖度までしてくれる。こんな快感はそうそうあるもんじゃない、と、冗談抜きで思った。
 
覚えているが、いい加減な見解なのよ、僕の言ってることって。思い付きだったり、単に口からついて出てきたことだったり、誤魔化しだったり、自分は、自分が言ったことの底の浅さをまあまあ自覚している。それなのに、そのたわごとひとつで、みなが動いてくれるわけ。良きに計らってくれる、というか。
 
この経験はたった一年の任期で終わったけれど(二年だったかな?)自分的にはそれなりに貴重な体験だった。先も言ったように、日本で「偉い人」になるというのがどれほど、ほとんど麻薬なみに気持ちのいいものか、というのが分かったから。
 
僕はそれ以来、そういう立場についたことが無い。というか、ひととき、実はあったのだけど、その権利をまったく行使しなかった。そのせいで失敗したんだけどね、見事に。
 
結局、オレは政治家的なふるまいにはまったく向かなかった、というのが結論なのだけど、いまの日本の政治家がなぜ、あのように傲慢に振舞い、そして権力にすがり付くか、それは、そういう意味では理解できるんだ。
 
一種の麻薬だよ。というかある種の人性にとっては麻薬以上。

宇宙とロマンチシズム

この前、イケダ君が僕のこの覚書集を思い出させてくれて、100個作ってすべてに解題を付ける、という構想だったので、ヒマなときに続けようと思う。
 
http://hayashimasaki.net/oboe/index.html
 
で、この中の第30段に「太陽系に大巨人が現れて月をスコンとたたき出したら日食の予言は外れる」っていうのがあって、これには思い出がある。
 
むかしまだ若いころ、研究所にいたとき、そこで、週二回の夜、社食で酒が呑めるっていう企画をやってた。そこでオレも仕事後、よくビール飲んでた。あるとき、その中の先輩と宇宙の話になった。で、その先輩が
 
「この広大な宇宙の、果ての果てに星があって星雲があって、そういうものを今この地上にいる僕らがそれを知っているというのはすごいことだな」
 
みたいに言うので、当時はまだ若く、食えなかったオレは、いきなり
 
「それは、宇宙の単なる一つの見方に過ぎず、ただのロマンチシズムです」
 
と発言し、その先輩、怒ってえらく熱くなって、なにい? 林、お前そう思ってるのか、なんて奴だ、云々となって、しばらく論争になった。
 
で、その食堂呑みに、別の先輩(その先輩より先輩)がいて、その人はパワハラで有名な食えない人だったのだが(まだパワハラという言葉が無い頃だけど)、その人に、口論してる先輩が
 
「Xさん! 聞いてくださいよ。こいつ、科学が明らかにしたこの宇宙に広がる物質の世界をつかまえて、ロマンチシズムだ、って言うんですよ」
 
と言った。そしたら、その先輩の先輩が、予想に反して、うーん、としばらく考えたのち
 
「それは、林君の言う通りかもなあ」
 
と言ったのである。その先輩の先輩は、論理的に説明することに超うるさく、それがゆえに部下にパワハラしていたわけで、部下が論理的に正しく説明するまでは一切許さない人だったので、ガチガチの理屈屋だったと言っていい。
 
なんとその人が、物質科学は一種のロマンチシズムだ、というオレの暴論に賛成してしまったのである。
 
それを聞いた、当の先輩は、一瞬で閉口して、二の句が継げなくなってしまい、なんかぶつぶつと文句を言ったあと、黙ってしまった。
 
こんなことがあった若いころだけれど、その後、自分は、冒頭であげた覚書のように、宇宙のことが科学で分かるようになった、って言ったって、もし、たとえば突然、太陽系に大巨人が現れて月をスコンとたたき出せば日食予想などあっさり外れるじゃないか、と考えるようになった。

もし、あのときその先輩にそんなこと言ったら、お前オレをバカにしてんのかって余計怒っただろうな。でも、大巨人なんていうから荒唐無稽扱いされるけど、人類が核弾頭を月に打ち込んで軌道を変えれば、やっぱり日食予想は外れる。その月へ飛んで行く核爆弾を大巨人、と名付けても何の問題もなく思える。
 
そして、さらに年月が経って、最近では、物質科学信奉者を捕まえて、あなたのそれは宗教の一種で、あなたは科学教の信者だ。自分が信者だと気づいていないところが、よけいに科学教の信者だということを証明している、などと、だいぶ過激なことを言ったりする。

でも、考えてみると、自分の若いころの初心に戻って、あなたのそれは一種のロマンチシズムですね? と言った方が良さそうだね。そしたら、その人はロマンチスト、ということになり、なんか、いいじゃん。僕はロマンチストは大好き。

コンテンツやアートとアカデミア

ここしばらく科学者が科学を批判、あるいは告発することが、けっこう目に付くようになった。その真偽はめいめいが決めればいいことだけど、ここでちょっと害のあまりないことをひとつ。
 
僕の研究分野は、コンテンツ制作技術なのだけど、この分野はアカデミックな論文を通すのが難しい。たとえば、CGを使ってどんな魅力的な映像(コンテンツ)を作るか、ということをやっているわけだけど、その結果をそのまま論文に書いて投稿してもまず、リジェクト(返戻)される。というのは、コンテンツ制作は実は「アート」の一分野なのだが、ところが、その結果を「コンピュータ・サイエンス」など理科系の学会に投稿するからである。工学技術者の多くはふつうアート作品を評価できない。
 
ところが論文が通らないと研究者のステータスが上がらず、昇進できないし、それよりなにより今では多くを占める期限付き研究者にとっては死活問題で、論文が通らないと職を失って路頭に迷う。なので、まずは論文は通らないと困る。
 
で、どうするかというと、工学技術者でも評価できるようなおぜん立てを論文の中に入れて投稿する。それは何かというと、主観評価実験である。主観評価実験っていうのは、無作為に被験者を20人以上集めて、その人たちにコンテンツを見せて、たとえば5段階で評価してもらい、過去のコンテンツと比較して、自分のコンテンツの方がいい、ってやるわけだ。
 
20人の人間の感覚はまちまちだけれど、20人ぐらい集めればそこそこに平均化して、主観に基づく判断も「客観的な評価」とみなすことができる、という統計手法を使うわけだ。
 
まあ、これ以上はえらく専門的になるので説明しないけど、こと「コンテンツ」すなわち「アート」に対する評価としてこれほどいい加減なものはない。アートを知っている良識ある人ならば、いかにこれがいい加減なものか知っているはずだ。でも、アートの評価ができない人々に納得してもらうには、この方法しかないので、仕方なしにやるわけだ。
 
実はこれ以外にも結果のコンテンツを評価する方法はある。たとえば、結果に対してcritical thinking(批判的考察)を加えるという方法もある(アート業界ではこれはreflectionと呼ばれたりする) しかし、工学者はアートの素養そのものが欠けている場合が大半なので、彼らはその批判文を見てもただの「屁理屈」とみなして、却下する。で、客観的な理由を示せ、と迫って来る。で、しかたなしに評価実験をやってグラフを描いて、数値を見せるわけだ。
 
先に書いた理由で、論文は通さないと意味がないので、この実験をくっつけるのだが、僕はここで白状するが、いままで実験計画がかなりいい加減なことを分かっていて、それを論文に書いて出したことが何度もある。詳細はここでは言わないが、やった本人(僕)は何がいい加減かちゃんとわかっている(このいい加減は雑という意味ではなく、きちんと実験しているが、実験の目的が、アート的良心のためでなく、論文を通すためになっている、という意味である)
 
もちろん、査読する工学者もきちんとした人たちなので、その「いい加減さ」は突いてくる。でも、しょせん工学者がアートの本質に達することは、まず、滅多に無く、底が浅いので、僕の方はその予測できる反証が起こらないように、実験を塩梅するわけだ。
 
ただし、さすがにデータの捏造はしなかった。データを捏造すると、これはもう犯罪行為とみなされるのは、小保方さん騒動で周知のことになった。ところが、実験そのものをコントロールしたり、条件をコントロールすることで、望みの結果が出やすいように誘導することは、それほど難しいことではなく、これは悪い事でもない。
 
詳細に見て行けば、いったいこの実験をやった人がどこを誤魔化したかは、本当は判明するのだが、ことアートの件になると、査読する方にそのカンが働かないので、追及されずに済むようにコントロールできる。
 
と同時に、これを追求し過ぎると、逆に査読している人のアートの素養の無さが暴かれることになるので、ふつうはそんな馬脚を現して恥をかきそうなことはやらず、論文執筆者と査読者の間の阿吽の呼吸で、追及はあまり深入りしないていどで止めるのが普通だ。じゃあ、結局、どこで採録か返戻か決めるかっていうと、論文全体の総合的な信頼性を持って決めたりする。
 
ただ、偏屈な工学者ってのは、けっこうな数いるもので、ひたすら返戻を出しまくる困った人も一定数いる。僕がかつて論文委員長だったときも、「困った査読者ですねえ」とか言って、適度にその人へ論文査読が回るのを避けるようにしていたものだが、それもあまりやり過ぎると社会的信用を失う恐れがある。かくのごとく社会の趨勢に乗りながら、かつ、自身の良心と折り合いをつける、という非常に厄介な綱渡りをするはめになったりもする。
 
さてさて、いったいこれで何が言いたいかというと、まあ、それほどひどい批判や非難をする気は無いのだが、テクノロジー系コンテンツやアートについて、世に出ているアカデミックな内容やそれをベースにした定説などは、話半分にそこそこに受け取ればいいもので、そんなに正しいものは無いと思っていい。コンテンツとかアートとか、そもそも平和なもので、人も死なないし、世の中への影響も大してない分野なので、そのていどのいい加減さでもいいんじゃないか、と思う。
 
ところが、これがコンテンツやアートだから呑気にいい加減なことを言っているが、今回の伝染病のように、感染症だ、医学だ、環境問題だ、ってことになると事は深刻である。
 
しかし、かろうじてアカデミアの内情をいくらか知っている僕が思うに、本当のことを言うと、それらシリアスな分野においても、先に紹介したコンテンツやアートのときと事情は似通っていたりする。そんな状態なので、言いたいことは、「みなさん、世の中には、正しいか間違っているか、良いか悪いか、という明快な区別判断は無いんです。科学で証明されれば正しいと感じてしまう人はぜひ思い直してもらって、科学を過度に信頼しないように心がけてください」ぐらいですかね。

Dアップ

そういえば思い出したが、僕が初めて秘密組織というものを、実際に経験したのは、今からおよそ20年前にN研究所で働いてる時だった。僕は陰謀論者でも秘密主義でもなんでも無いのだけど、あの経験はなんか印象的だったので今も覚えている。

あ、期待しないで。つまらない話だから(笑

当時(いまでも?)N研究所では、管理職への昇進を、俗にDアップと呼んで異動時期に辞令が下りる仕組みになっていた。Dグレード以上は管理職なんで、Dアップって言うんだろう。あの頃の職員制度はシンプルで、管理職と一般職の二種類しかなく、ある年齢に達して、ある査定が下ると、一般職を管理職へと昇進させるってわけだ。

あるとき、異動時期に、僕がそのDアップになった。職場にいると、誰だかに呼ばれて、所長だかの部屋へ入って、そこで辞令を受け取るってわけだ。オレは当時、世俗にきわめて疎かったので、辞令受け取っても、へえー、管理職ねえ、って思っただけで、特段の感慨もなかった。

で、翌日(かな?)には、オレは管理職になったわけだが、別に仕事の様子が変わるわけでもなく、そのまま出勤してふつうに仕事してた。

そしたら、別の個室にいる部長と副部長の部屋へ行くように言われ、行ってみたら

「林くん、あのね、今日の夜、ちょっと会合があるんだけどね、それに出てくれる? 場所は成城学園のマ・メゾン、あそこね。予約してるから、来てね」

と言われた。僕もその時は、それ何かの宴会ですか? とかなんとか聞いたけど、来れば分かるよ、としか教えてくれない。

で、夜になってその成城のフレンチレストランへ行ったら、大きめの個室が予約されていて、そこに通された。で、その部屋に入ったら、なんと、僕の部の管理職の全員がすでに大テーブルに座っているではないか。

オレが入って来るのを見て

「林くん、おめでとう、今日から君もわれわれの仲間だね!」

とか言うのである。で、聞いたら、管理職会という会があって、これは一般職にはその存在を知らされておらず、定期的に会合を開いては、管理職だけで、仕事に関する密会をしてる、ってのが分かった。

まー、政治家で言うところの料亭の会合みたいなもんだ。

新米管理職のオレは

「へええ! こんなことやってたんですか!」

とか反応したが、まあ、十人弱はいたと思うんだけど、みな、笑顔でオレの肩叩いたりして、やけにフレンドリーなの。そのときの特権的感覚の快感、っていうか、そういうのを何となく覚えていて、その秘密な感じがとっても印象的だった。

もっとも、世間知らずの自分は、管理職の仲間入りをしても、特段に嬉しくもないし、責任感を感じてなんか自覚するわけでもなかった。あの特権的秘密団体への、なんというか帰属意識みたいなものをオレがあのとき持てたら、ずいぶん変わってただろうな。

ところがオレは、そのまま管理職業務をテキトウにこなしながら、自分勝手にやりたい放題やって、あげくの果てに、上が止めるのもあっさり無視して、辞表出してN研究所を辞めちゃうんだが、オレも、もうちょっと世俗が分かるのが早ければ、今ごろもっと楽に生きてたのになあ、とは思う。

カセットプレイヤー

オーディオ談義。

オレのオーディオのメインギアは、自分で作った2A3シングルの真空管アンプと、フルレンジスピーカをインストールしたトールボックスで、大変良い音がする。

オレ、かつて、アパートで一人暮らしをしてたことがあって、もちろん、このギアを部屋にどかんとセットして、CDかけて、ええ音やなあ、と悦に入っていた。

ある日、友人が部屋に遊びに来た。もちろん、そのオーディオセットであれこれBGMして、酒飲んでた。そしたら、彼が部屋の隅っこにあるブツを指さして、それ、なに? という。ああ、それはオレがヒマつぶしに作ったカセットプレイヤー、って答えた。

そう。それは、適当な板の上に立体配線で作った真空管カセットプレイヤーだったのである。ウォークマンをスペーサで板に固定し、そのヘッドフォン出力を2球のモノラル真空管アンプで増幅し、それを、8cmぐらいのスピーカを100円ショップで買った木箱に入れたヤツで鳴らす、ってシロモノだった。

オレ、聞いてみる? って言って、部屋の隅のカセットテープ箱をがさごそして、大昔にダビングした、Muddy WatersのSale Onというラベルのついたテープを持ってきて、電源入れてセットして再生ボタンを押した。B面をかけたんだな、オレ。曲は、I Can’t Be Satisfiedだった。Muddyのエレキ弾き語り。

そしたら、それを聞いたその友人、即座に

林さん、こっちのほうがぜんぜんいいよ! あっちの化け物みたいなのより、ずっといいよ!

と言うのである。で、オレはというと、うーむ。たしかにこっちのほうがはるかに音がいい。不思議だなあ、って思ったけど、きっと1948年に録音したMuddyの音は、圧倒的にこの糞チープなカセットテーププレイヤーに軍配が上がるのだ、と思い知った

その後は、ずっとこの糞カセットプレイヤーでブルースを聞き、いい気分で酒を飲んだ。

オーディオってね、そういうもんだよ。

日本版シリコンバレー

日本版シリコンバレーを作るという政府の計画があるそうだ。これは別に初めてのことではなく、これまでも政府や産業界は、シリコンバレーだけでなく、日本版Googleを開発する、とか和製ジョブズを養成するとかいろいろやって来た。今回のは、その再燃のようなものだ。

それで、それを報道した記事に大量についているコメントのほとんどすべてが、どうせ失敗する、というネガティブ意見というのが、すごい。皆で失敗オーラを送り込んでる感じで、これはそのオーラのせいできっと本当に失敗するね。かくいうこの自分も失敗オーラ派かもしれない。やはり日本そのもののマインドセットの問題かな。

カタカナ英語を使っちゃったけど、マインドセットとは「これまでの経験や教育、先入観から作られる思考パターンや固定化された考え方」のこと。で、スピリチュアル的に言うと、このマインドセットが物事の方向や成否を決めている、ということになる。

アメリカのシリコンバレーは元を辿るとヒッピー文化あたりのスピリチュアル的思想に端を欲している。マインドセットさえ変えることに成功すれば、あとはプロセスが勝手に付いてくると思い込むことをスピリチュアルというのだが、そう簡単なことじゃない(啓発系ビデオではみな簡単簡単言ってるけど、大半の人は不可)

この日本版シリコンバレーの記事も、「政府がエコシステムの形成を目指すのは、日本が世界各国に追いつけなくなる、との危機感のため」と発言させるマインドセットが、すでにスピリチュアルと正反対を向いているので、この計画を実施するにせよ、その結果は別のものになるだろうね。

しかし、以上、自分も、一生懸命失敗オーラを避けて発言するのも大変だな。

自分は、スタートアップのようなことをやって2度失敗しているが、その経験から言うと、最低でも2度失敗しないと学習できなかった。僕の場合、3度目は諦めてアカデミアへ逃避した。というのもその時点ですでに53歳だったしね。これが20年若ければだいぶ違っていただろうと思う。

3度目の正直を、障壁なく保証するには、制度だけを変えてもだめで、人間のマインドセット自体を変える必要があると思うけどな。かといって失敗に烙印を押す日本人のマインドは、世の中を見ての通り、極めて根強いもので、変わりそうもない。そんな中でやってゆく方法の一つは、自らが変人になって世間の有言無言のバッシングの届かないところに身を置くことかな。日本世間は「おもしろそうな変人」には逆に極めて寛容なので、それを利用するといい。

記事の最後にあるように、さらにこれにかける全体金額が少なすぎなのも問題だね。100無駄して1成功、というやり方はカネのない日本には難しいのだろうね。日本の30倍以上の無駄を突っ込んでいる中国やアメリカと同じようになるはずがないのは、残念ながら見えている。となると戦略を変えないといけない。

スピリチュアルな人々でも集めてみる? 最近、日本でかなり増えてるみたいに見えるけど。ただこれまた多くはニセモノだろうから難しいところ。

結局は「自由」が与えられる場所にすることかな。ここでいう自由はLiberty(責任の伴う自由)ではなくFreedom(単なる物理的自由)の方。ヒッピー文化はFreedomの上にLove & Peaceを描いてやっていたんだしね。ただ、これも封建社会な日本にはほとんどそぐわず、絵柄が違い過ぎ。

かくいう自分は3度目の正直を実行中で、新しいWebサービスを始めた。バーチャルミュージアムのプロジェクトで、2020年の8月3日にオープンした。

https://hachikei.com/

やっぱりオレって、スピリチュアル的な意味でも、そういうことをやりたくてやりたくて仕方ない人間なんだな。今回も、こんな風になるなんて、あまり思っていなかったけど結局そうなった。

いずれにせよ、政府は政府、世間は世間で、マインドセットがスピリチュアルな人々は、それらを横目に可能な限り自由にやるといいよ。

ロックンロールバンド

急に思い出した昔ばなし
 
オレは高校生のころからギターを弾いて歌ってバンドをやっていたが、中学の3年のときに不良(当時はツッパリって言ってた。いまではヤンキーかな)にギターを教えてもらった、そのつながりで高校時代、多くの不良とつるんでバンド活動とかもしてた。
 
あるとき、その不良の一人に自分のバンドのギターをやってくれないか、って頼まれて、ツッパリバンドでリードギタリストになったことがある。練習は、そいつの古い家の屋根裏部屋。ドラムもアンプもあって、まあ、近隣はうるさかっただろうなあ。
 
で、そのバンドはロックンロールバンドで、当時なので、みんなリーゼントっていうの? 髪の毛にポマードつけてとさかみたいなの作って、いつも櫛持ってて梳き梳き(すきすき)して、革ジャンにスリムのジーンズに短靴な人たちで、アイドルはもちろんキャロル。なのに、そこに、ふつうの軟弱なカッコしたマッシュルーム頭のオレだけ完全に違和感。
 
で、コンサートの当日になった。あれは大井町のシブヤ楽器(だっけ?)のホールだった。
 
オレは当時より偏屈で、そのころサンダルしか履かなかったのだが、それがまず仲間で問題になった。というのは、メンバーは全員コーディネートされた衣装で出ることになっていて、特に白いスニーカーは全員同じものを履く、って決まってたの。でも、オレは強行にスニーカーは絶対履かない、って拒否した。そしたら、僕を呼んだ彼が、まあ、いいじゃん、林はそれでいいよ、って言ってくれ、仲間たちはホント、しぶしぶ承知した。
 
ギターはテスコの糞ギターで、オレはコンサート前日に弦を張り替えたが、当時はギターも弦も品質が悪く、チューニングがボロボロ以下で、しかも、いちばん細い弦を張ったせいで、もう、ビヨーンビヨーン言っちゃって音楽にならない。
 
バンドのパフォーマンスは演出がきちっとされてて、手順が全部決まってて、踊りとかも全部きっちり練習して決まってた。やつら不良って、勉強はぜんぜんしないけど、そういうことは物凄く真面目にやるんだよね。
 
そのときの演出は、最初、演奏隊だけがスローブルースを演奏して、そこに、リーゼント、サングラス、革ジャン、ジーンズ、白いスニーカーのボーカル隊が駆け足で入って来て、いっせいにロックンロールに移行する、ってやつ。
 
で、ライブ始まって、オレがビヨーンビヨーンってスローブルース弾いてて、その時点で、我ながらもう糞演奏で、そこに、白スニーカーたちがカッコつけながら駆け足で入ってきた光景を今でも覚えてる。
 
で、そのロックロールの途中にギターソロがあるんだが、その時、オレだけにスポットが当たって、ボーカル隊の4人がオレの右に二人、左に二人来て、一人は立って、一人は膝まづいて、ソロの間じゅう両手で、ヒラヒラヒラヒラ、ってやるの。
 
これは超恥ずかしくて、その時は、オレ、なんでかわかんないけど、自分だけスニーカーじゃなくて、サンダルを履いてるのが特に恥ずかしかった。しかし、こんな演出、オレ、聞いてねーよー、ってマジで思い、下向いて弾いてた。
 
その後、コンサートが終わってたむろしてたとき、メンバーのやつらが、林のギターがビヨーンビヨーンいっちゃってうるさかったよな、みたいにオレにわざと聞こえるように文句言ってた。で、友人がそれをなだめてたの、覚えてる。
 
それで、あっさりクビになった。
 
オレの若い頃って、なーんにも考えてなかったから、感情のディテールが無くて、クビになっても、悪口言われても、陰口たたかれても、なんとも思わなかったんだよね。メンタル最強。
 
ああ、あのころの強メンタルのオレに戻りたい。

ブルジョア・ブルース

自分には人種差別感情がたぶんほとんど無いと思っているのだけど、なぜなのかはよく分からない。差別される側としては、大昔、ヨーロッパで英語がロクにしゃべれない東洋人としてバカにされた経験はあるが、悔しい思いはしたものの、差別されたという感覚は無かった。
 
差別をすることも、されることも、どちらもほとんど経験が無いので、結局、自分には人種差別についての感覚はほとんど持ち合わせが無い、ということになると思う。
 
そんな自分は黒人ブルースにハマった。知っての通り、ブルースはアメリカの黒人差別のただなかで生まれた音楽である。なぜ、それに、それほど惹かれたものか、これまたよく分からない。人種差別の感覚が無いのだから、それが直接の原因になったとは思えない。
 
ところで、このまえ、スウェーデンの僕の所属するバラライカ・オーケストラのコンサートで200人の前でブルースを歌って喝采されたのだが、そこで歌ったのはブルジョア・ブルースという歌で、これはアメリカの古い黒人シンガーのレッドベリーの歌だ。
 
この歌を選んだのは僕じゃない。オーケストラのリーダーのオーヴェさんがこの歌を持ってきて、僕に歌ってくれ、って頼んだのだ。
 
しかし、この曲の内容は、もろに黒人差別の経験を歌ったものなのである。レッドベリーがカミさんとワシントンDCへ行ったら、白人の皆に見下され、蔑まれ、こんなところは来るもんじゃない、こりゃブルジョアの街だ、最悪だ、みんなに知らせてやらなくちゃ、って歌っているのである。
 
この歌を、黄色人種のオレに歌わせるなんて、しかし、オーヴェさんも人が悪い(笑 
 
オーヴェさんは白人だが、彼は民族音楽のプロミュージシャンで、ジプシーミュージックみたいなのを演奏している。そういう意味では、日本人のオレがブルースを演奏するのに近いとも言える。たぶん、そんな類似があったんで、僕にこの曲を持ってきたのかな、とも思った。
 
しかしながら、このまえ、20人の白人のオーケストラをバックにして、ステージ中央にギターを抱えて座って、200人のほぼ全員白人の客の前で、大音量で
 
Hey! I tell all the colored folks!
Listen to me!
Don’t try to find your home in Washington DC
 
(おい! 有色人種のみんな! オレの言うことをよく聞け! 間違ってもワシントンDCを棲み処にするもんじゃねえぞ!)
 
って、シャウトして歌ってて、なんというか、内心、すごく微妙な気持ちになったよ。僕自身の中には、先に書いたように人種差別は最初から無いんだが、なんだか、黒人差別をプロテストする歌を、オレ、大勢の白人を前にアジテートしてるなあ、とか思って。
 
ご存じの通り、スウェーデンは人種差別を始め、あらゆる差別がもっとも少ない国の一つで、すでに、ここにいる白人のみなも、自分が「白人」だなどという意識はなく、単に「人」としか思っていないと思う。そもそも、僕が上に書いているように、スウェーデンの人々を「白人」呼ばわりすることは、おそらくここでは問題発言だろう。
 
そういうわけで、偏見がほとんど無いので、そもそも「白人の前で黄色人が黒人差別のプロテストソングを歌う」というシチュエーションの捻じれにはみな、不感症になっているはずで、なんだか変じゃないか、なんて感じる人はほとんど皆無だと思う。
 
実は、僕も、ほぼそうなのだが、ただ、ひとりのミュージシャンとして、このBourgeois Bluesをオレ、歌ってるとね、このスウェーデンのステージで起こっているような、きれいに整備され、守られた、人工的な理解の場が、なんだか夢のようにリアリティが失われて感じる瞬間が、あるんだ。不思議な感覚だよ。
 
というわけで、来週またBourgeois Bluesを歌う。あと、Kindhearted Woman BluesとKey To The Highwayも。オレの出番、楽しみだなあ。

若者と哲学

少し前、神戸へ行ったとき、甲南大学で20人ぐらいの学生を相手に、日本ビジュアルカルチャーの講義をした。縄文から江戸までの日本のビジュアル中心に紹介するお話で、スウェーデンでやってるのを日本語に直したものである。
 
学生たち、興味を持って聞いてくれたのだけど、そのスライドの最後の最後に哲学の話が少しだけ入れてある。それは「主観と客観」の捉え方についての、西洋と日本の違いについてである。講義でさんざん日本ビジュアルに接した後に、それを分かってもらいたい、という意図で入れている。
 
もちろん、唐突にそんな哲学的なことを言い出しても、ふつう、分かるものではない。講義のあと、学生たちとお茶を飲みながら、しばらく話をした。驚くことに、学生たちの何人かから、自分は哲学に興味がある、と言ってきたことである。
 
思えば、スウェーデンにしばらく滞在したK君も哲学を知りたい、と僕に直接言ってきたっけ。僕もそれを受けて少し話しかけたが、準備なしにするのは難し過ぎて、途中であきらめてしまった。
 
若者が哲学という言葉を出すことにつき、僕はわりと懐疑的で、ひょっとしてどこかの雑誌か何かでそんなことが言われていて、それで一種の流行として哲学という言葉を出しているだけだろうな、と大半は勘ぐって受け流してしまうのだけれど、どうもそうでも無いようなのである。
 
で、甲南大の2、3人の哲学を知りたいと言ってきた学生と、みなと一緒にしばらく哲学の話をした。僕が講義後の質疑のときに出した例は
 
「君たちは、空に輝いているあの太陽は何だと思いますか? 地球の何百倍も大きくて、中では核融合が起こっていて、恐ろしく熱くて、人間などちょっと近寄っただけですぐに死んで蒸発してしまう、そういう物体だと思ってますよね? でも、それは違うんです」
 
と、乱暴なことを言ったのだけど、やはり大人にこれを言うのと、若者に言うのとでは、その反応が異なるのである。
 
その後、そういうことを巡ってお茶を飲みながら若者と話したときにも、その若者の方から、先生、僕はときどきこう感じるんです、という話が出てきて、それは
 
「僕らが住んでいるこの世界というのは、誰かが作り出したものかもしれず、ひょっとすると全部作り物かもしれないし、でも、自分たちにはそれが本当はどうなのか、知る方法がない。そう感じるんです。先生の太陽の話だって、そうで、あの太陽も作り物かもしれない」
 
という話で、彼の心は、やはり現実とイメージの間を揺れているわけだ。「現実」というのは「客観」、「イメージ」というのは「主観」で、その関係の危うさを心で感じ取って、それに一種の危機を感じている、というのがよく伝わってくる。
 
一方、昨晩、僕は「告白」という10年前ぐらいの松たか子が主演の映画を見たが、実に残酷な映画でよくこんな暗いストーリーを作るなあと感心したが、あの中でも若い子たちが現実とイメージの間の危うさの上を揺れている。それから、僕は漫画をほとんど読まないが、ごくたまに読んでみると、その中でも、やはりその同じ危うさがテーマになっているのを見ることがある。
 
きっと、そんな中で、日本の若者は、現実とイメージの間に思いをはせるようになるんだろうな、と想像する。
 
それで、彼らと話していて、大人と違うな、と思ったのが、そんな話をしていると、若者たちの目が輝くというか、一生懸命理解しようとする、というか、そんな率直な目をすることだ。そういうところは、若いって、本当にいいなあ、って思う。
 
大人的に言えば、それは若者がまだたいして何も知らないからで、単に雰囲気で一生懸命に見えるだけだよ、ということになるかもしれないし、それは、まあ、そうだろう。
 
でも、日本の彼ら学生は、大学生活の後半になると、例の真っ黒な就活スーツを着て、髪を切って黒くして、マニュアル通りの面接をやって、社畜の振りをして働きはじめる。その状況は、それはもう完全に虚構の世界の中を生きている感覚になるんじゃないだろうか。現実とイメージの境は、自分という独立した人間の心の中で怪しく揺れ動き、現実を生きているのか、イメージを生きているのか、虚構を強制されているのか、虚構を演じているのか、分からなくなるのではないだろうか。
 
そんなところを突いて、日本の映画や小説や漫画のストーリーが作られるのだが、それは一種、強烈な「哲学的な問い」であることは間違いなく、彼ら若者が哲学という言葉を口にするのは、ひょっとすると何か切実なものがその心の裏にあるのではないか、と僕などは、買いかぶりかもしれないが、感じることがある。
 
願わくば、そういう若者たちに、哲学をちゃんと教えてみたいものだと思う。

タイムアウトと村さん

目黒タイムアウトに初めて行ったのはいつだろう、と調べてみたけれど、はっきりした日にちが分からない。メールをさかのぼってみると、2009年の10月半ばに、職場が新宿から目黒に移っているので、そのころということになる。ということは、ほとんどちょうど10年前で、僕が50歳のときだったんだな。

オフィスは目黒の権之助坂を降り切ったあたりにあったのだが、移転して最初に出勤したその帰りの夜、さっそくタイムアウトを見つけた。店へ降りる階段の入り口にポンコツギターが掛けてあったので、あ、こんな店がある、って思い、よほど入ろうと思ったけど、狭い入り口から中を覗くと奥の方に階下へ降りる階段が見えたが、だいぶ入りにくく、うーん、と思ってそのまま入らず、駅へ向かってしまった。

翌日、こんどは絶対に行こう、と決めて、夜オフィスを出て、権之助坂を上って、それで迷わず入り口を入った。ぎしぎしと狭い木の階段を降りて扉を開けると、狭いスナックのようなバーで、店内は雑然としていて、ギターや楽器が見えて、奥の方に小さなステージが見えた。客はおらず僕だけだった。

そのときオレは初めて村さんに会った。

いらっしゃいませ、って言っただろうなあ、村さん(当たり前か 笑) ビールください、って言っただろうな、オレ(これも当たり前 笑) 村さんの第一印象は、バーのマスター稼業はまだだいぶ慣れてないのかなあ、って感じで、なんだか客の前で身を持て余してるみたいに見えたっけ。

僕は、どんなシチュエーションでも、そういうふるまいをする人って、無条件ですぐに信用するので、なんだかほっとしたっけ。で、いつものように、ギター弾いてブルースとか演奏するんですよー、みたいに話して、ちょっと弾いてみていいですか、みたいにギターを取って、ステージで、たぶん、Robert Johnsonの、きっと、Kindhearted Woman Bluesを歌っただろう。

村さん、すごく褒めてくれて、もう、そのとたんに常連扱いになった感じ。村さんの推薦で、それから、タイムアウトでバタバタっとライブが決まった気がする。

あれから10年だったんだな。オレの50代の人生は、目黒タイムアウトとともにあったな。たくさんの人に会って、たくさんの人を連れて行った。行くといつも優しい目をした村さんがいた。

村さん、いままでありがとう。そして、さようなら。

素養

これは何度か書いているけど、さっき、思うところがあったので、再び。

だいぶ前だけど、僕がいた会社で本を出すことになり、皆が自分の仕事についてエッセイを寄稿した。上がって来た原稿は、みなが共有していたので、人の書いたのが読める。

その中に、一人、自分の仕事にいつも全力で打ち込むわりと熱い人がいて、2、3ページ分の彼の原稿も上がってきて、僕はそれを読んだのだけど、彼は、文章を書くのは大の苦手だったらしく、その文章は、はっきり言ってかなり下手だった。

ところが、読んでみると、まるで彼が仕事の現場で悪戦苦闘しながら働いているのをそのまま見ているような、その情熱が文からそのまま伝わって来るのである。文が下手なのは本人も分かっているようで、でも、とにかく「オレはこれが言いたい」という情熱がものすごく強く、書いた文をあれこれいじくりまわして、あっちを直してこっちを直して、そのうちにわけが分からなくなり、みたいに、作文の上でも悪戦苦闘している様子が、文体から分かるぐらい、変な形容だが、壮絶な文章だった。

でも、その文章の全体から、彼の一本気で熱い人格がそのまま浮かび上がってくるような、見事な文だったと思う。それを僕は、ひとり読んで、驚嘆したのである。

そして、その原稿は編集部の校正に回され、ほどなくして校正済みの文が上がってきた。ご想像通り、文章はほぼ全面的に直されて、元の文は跡形もなくなっていた。きれいに整頓された無個性な文体で、仕事の様子が整然と説明されている、それだけの文章になっていた。その文はそのまま印刷され、書籍になった。

で、これを思い出して何を思ったかと言うと、僕は長年の文学野郎なので、文学の素養は相応に身に付けている。それに照らして判断すると、彼の元の文は文学作品として価値があり、極端な言い方をすると、完成されていた。それが自分にはよく分かったので、もし僕が校正をしたとすると、文学的な意味での魅力を削ぐことなく注意をしながら、文法上の誤りとか、そういう機械的な要素だけを直しただろう。自分とて、完璧にその校正ができるとは思わないが、極力、文に現れた個性を残す努力をしただろう。

編集部で校正をした人に文学の素養があるかどうかは、知らない。文学素養はあっても、単なる職業と割り切って、機械的に仕事をしただけかもしれない。でも、もしその職業が板につき過ぎて、文学をすでに忘れ果てていたのだとすると、それは悲しいことで、実際に、その人は、一つの文学作品を葬ったということになる。

文学の素養などというものは、とりとめのないもので、そんなものを持ってたって世の中の役には立たない。その文学教養を組織的に論理的に適用してベストセラー小説が書けるか、というとそんなのは無理だ。教養は、決して「方法論」として組織されていないので、そのまま役には立たない。機械に文学教養を教えても、素晴らしい小説を生成してくれるわけではない。

でも、人がその教養を持っていることで、せっかくの価値あるものが埋もれてしまうことは防ぐことができる。この例ならば、あの校正人がおざなりな校正をせず、文学素養のある人が校正していれば、筆者の心は文になって生き残ったのだ。

教養というのは、そういう過程を経て世の中を豊かにするわけだ。そういう意味では役に立つんだ。

この前、自分は、神戸の学会で、21世紀は哲学とアートの素養が絶対に必要です、としゃべってきたが、やはり説得力に欠けるんだ。哲学とアートが直接に何の役に立つか分からないからだ。でも、この文の顛末記のような、そんな形を取って役に立つのである。21世紀は、きっと、そういう素養によって、その結果に決定的な差がつくはずだと思う。

しかし、これをどうやって説得したらいいものか。冒頭の彼の文の顛末の話を例にして説明したって、「役に立つって、たったそれだけかい」で終わってしまいそうだしね。

難しいなあ、って思ってね。

露天風呂にて

新潟の貝掛温泉というところへ行ってきた。山奥の一軒家で、いちおう秘湯扱いらしいが、ひなびた山の宿とかじゃなく、わりと立派な、いわゆる温泉旅館である。けっこう大きな露天風呂があり、とても快適な、由緒ある古い旅館だった。

貝掛温泉は目に効く温泉として有名だそうで、お湯にホウ酸だかが含まれてて、昔は湧出した水を、そのままパッケージして目薬にして売っていたそうだ。温泉は37度のぬる湯で、ほとんど体温と同じぐらいである。目に効く、っていうんで、みな、湯が湧出しているところへ行って、目をつけてパチパチする。それで、湯はぜんぜん熱くないので、30分とか、下手すると1時間とか、ひたすら露天に浸かっている、という感じになる。そして、それが済んだら、隣接した熱い湯に移動して、十分に温まって、湯場を出るのである。

そんな風に長湯になるので、湯に浸かって、周りの自然を見ながら、ひたすらぼんやりすることになる。

僕もそうして浸かっていたら、最初、巨大なオニヤンマが露天の湯の周りをひたすら輪を書いて低空飛行をしており、ずっとそれを目で追っていたけど、なんだか、あまりに巨大で怖い。こっちに目掛けて飛んで来ると、思わず、顔をそらしちゃう。まあ、先方も体当たりをするはずもないのだが、自分の目の前の50センチぐらいのところでしばらくホーバーされると、なんかだいぶ怖い。僕は、虫が苦手なのである。

十分ぐらいしてようやく巨大トンボがいなくなって、やれやれって思って、水面を見ると、3メートルぐらい先のところに、小さな虫が誤って落ちたらしく、ひたすらもがいている。5ミリぐらいだろうか。すくって外へ出してやってもよかったけど、ま、いいや、って見てた。見ると、いちおう水流があるらしく、1秒に1センチぐらいの速度で移動している。ひょっとすると、もがいてるんじゃなくて、泳いでるのかもしれない。

3メートルぐらい先にある大きな石に向かってゆっくり移動しているので、ずっと見てた。5分ほどたったら、とうとう岸まで到達した。どうするだろう、って見てたら、あ、岸に着いた、と思ったとたん、石の上をタタタタタと大きなアリが登って行くのが、見えた。そうか、あいつだったか、巨大アリだったのだ。すごい勢いで走って石の裏へ消えていった。

それにしても、水面はそこそこ波で荒れてて、あの、藻で滑りそうな石に着いたとき、水面でもがいてたアリは、いったいどんな風に石に足をかけて、しかも6本もある足をどう使って態勢を立て直して、すかさず石の上に着地できたんだろう、あいつ、そんなことをいつ習ったんだろう? ってしばらくぼんやり考えてた。

で、ふと気づくと、今度は、1センチから2センチほどある木片みたいなのがやはり前方3メートルぐらいのところに浮いているのが見えた。しばらく見てると、その木片からかすかな細かい同心円状の波が広がるのが見えた。10秒にいっぺんぐらいの頻度である。死物の木片では、これはあり得ないので、これまたやはりなんらかの生き物であろう。でも、ごくたまにしか波が出ないので、たぶん、こいつはすでに瀕死だろう、ってしばらく見てた。

そうこうしていたら、僕の浸かってるぬる湯の向こうにある、熱い湯のところから、おっさんがこっちに移動して来て、じゃぶじゃぶ、って湯をかき分け、僕の前方5、6メートルのところに座った。遭難している大きめの虫は、そのおっさんと僕のちょうど真ん中へんに浮かんで、おっさんの方に向かって、やはり秒速1センチぐらいで移動している。

おっさんは虫に気が付いたかな、って思ったが、共同風呂って、なんだか他人と目を合わせるのを極力避けるようなところがあって、ジロジロ見るわけにいかないが、ちらっと盗み見したら、おっさんがその虫を見ているような気がした。

しばらくしたら、おっさん立ち上がり、虫の方に向かって移動したので、お、ひょっとして虫をすくって、レスキューするつもりなのかな、ってちょっと期待して見てた。小さな四角い顔で角刈りっぽくした強面の小柄なおっさんだったが、へえ、ここで助けるか、って思ってたら、そのまま、虫の横を素通りして、右奥の方へ行って湯を出てしまった。

そりゃそうだよな、そんな虫なんか気にするような感じじゃないしな、とか勝手なことを思って、やはりしばらく虫を見てた。

この虫も、前と同じような移動速度で、同じく、岸の石に向かっているので、ほどなく到達するのである。ずっと見てたら、果たして、岸に着いた。そしたら、ホント、着いたか着かないか、ぐらいの恐ろしい速さで、まるで、そのむかし驚嘆したクルって回るクロールのターンみたいに素早く、その虫は、垂直に一直線にすごいスピードで飛び上がり、あっという間に背の高い木を超えて、向こうへ飛んで行ってしまった。瀕死かと思ったら、すごい勢いでびっくりした。

2匹の虫のサバイバルを見て、もう、いい加減に湯を出るか、と思って、自分の後ろの石の上に置いた白い手ぬぐいを取ろうとしたら、その手ぬぐいのすぐ横に、だいぶ大きな、鮮やかな緑色をしたバッタが横倒しになって死んでいた。虫の苦手な僕は、うわってなったが、さっきはいなかったから、僕が湯に浸かってる間、そこを死に場所に選んだものらしい。

バッタをそのまま放置して、手ぬぐいを持って、そういえば湯で目をパチパチしてなかったっけな、と思い、湯が湧出してるところをざぶざぶと歩いて、湯に目を浸けて、それで風呂を出た。

30分も露天風呂に入ってると、いろいろあるもんだな。

「表現の不自由展」の中止騒動と、芸術について

あいちトリエンナーレで開催された「表現の不自由展」の展示作品の中に、慰安婦像など日本人を不快にさせるものがあるとの理由で、また、脅迫じみた投稿も相次ぎ、結局早々に中止を決定した、というこのニュース、考えがなかなかうまくまとまらないけど、すごくもどかしい思いがいろいろあるので、現時点の感想を書いておく。

慰安婦問題の少女像 きょうかぎりで芸術祭展示中止へ

まず、このニュースを見て真っ先に感じたのは、自分は芸術と表現の自由の側にいるのは、これはもう、長らく芸術至上主義だったことからも明らかなので、そっち陣営として極めて平凡なことだった。つまり、芸術理解の浅い行政の芸術への介入に嫌気がさし、人々の心を豊かにするはずの芸術が人を不快にさせていいのか、とかいう幼稚な芸術理解に嫌気がさし、さらにこれを政治事件と取り違えて脅迫じみた言動をするやつらの馬鹿さ加減に嫌気がさし、といった、もろもろの反応である。一方、僕と逆の側にいる人々は、僕のこの反応を裏返したような反応をしたはずで、今回は、その人たちが行政と相まってイベントを中止に持ち込んだ、という結末だったわけだ。

それで、思うに、自分のこの反応は、単に、たとえば、学校での教師ぐるみのいじめやら、理不尽な校則による人権蹂躙やら、ヘイトスピーチやら、そういうものを見聞きしたときの嫌悪と同じもので、それが特段に「芸術」だから、という特別なものではなかった。というか、自分的に、このニュースを見ても、そこには「芸術」も「表現」も「自由」も関係しているようには、まるっきり思えなかった。

そうなってしまう一つの理由は、僕がこの展示を見ていないこと、それから、ネットで断片的に作品の写真を見ているだけなこと、つまりモノを見ていない、ということもあるだろう。

芸術でなによりも一番大切なことは「見る」ことである、五感を通して触れることである。これはもう、間違いない。だから、五感を通して接した芸術に、言葉にならない「なにか」が、その作品の中に、あるか、無いか、が芸術の価値を、まず最初に決定的に決めるのであって、そこは揺るぎようがない、というのが自分の芸術観だ。作品が表現しようとしている意図などというものは、たいてい俗か、あるいはおまけなのであって、それは二の次なんだ。

だから、芸術においては、作品にはどうしても触れないといけない、見ないといけない。仮にそれがネット上の写真や複製であっても、それは仕方ない、その限られた範囲内で、とにかく作品に触れないといけない。それをせずに、芸術の尊厳を言っても、表現の自由を言っても、それは空言というものだ。それで、この件についての自分のことだが、展示会は中止になったので見ようがないが、ネットで知った断片に触れただけの感想で勝手なことを言うと、僕にはその作品群が、あまり魅力的に思えなかった。簡単に言って、カッコいいように見えなかった。

作品を作るときには、その作家の力量が確実にものを言う。当たり前のことだが、これを他人に伝えるのは難しく、客観的指標などしょせんはどこにも無いので、あとは、一種の「存在感」に頼ることになる。芸術を論じていると、結局は、そういうことになるんだ。

たとえば、思い出すが、数年前、ノルウェイへ旅行して、モダンアート美術館に入ったら、そこに有名なアーティスト(名前を忘れた)の展示があった。それは、巨大な牛一頭を縦に切断して、真っ二つにして、そのまま透明のアクリルで固め、その切断された牛の入った巨大なアクリルのボックスを二つ並べたもので、見る人は内臓を露出させた切断面の中を歩いて見られる、そんな作品だった。おそらく動物愛護の人や牛を愛する人が見たら卒倒しそうな作品だが、これは、まさに、圧巻だった。世界のあらゆることを集めたみたいに見えるその重量感と、存在感は物凄いものだった。これは、明らかに、作家のたぐいまれな力量のせいだ、とすぐに感じた。

あるいは、たとえば、僕はマルセル・デュシャンとアンディー・ウォーホールを信奉していて、事あるごとに彼らを引き合いに出すが、彼らの作品の多くは、ひどく取り留めのないものだ。男性便器に署名を入れて床に放置したり、マリリン・モンローの写真を大きく引き伸ばして赤や緑に塗ってみたり、そんなようなものだ。デュシャンのその便器(Fountainという作品名)だって、今回の中止騒ぎと同じく、当時展示されたときは、スキャンダルを巻き起こし、展示は撤去されたのである。でも、そんな混乱や喧噪や俗な社会反応をはるかに超越した、正真の芸術家としてのデュシャンとウォーホールが、その醜いドタバタ劇の向こうに、ゆるぎない存在感をもって静かに控えているんだ。

以上のような芸術家の「力量」が、あらゆる作品を芸術たらしめているわけで、そういうもののない作品は、それはただの俗な社会装置に留まる。別に作品にする必要すらない。言葉で言っておけば済むようなものだ。それで、以上の芸術の芸術たる部分はまるで理解しない人の方が世の中ではマジョリティなので、そういう人は作品から言葉やメッセージを受け取るだけで、それを判断して、いいだ、悪いだ、と言っているだけだ。結局のところ、今回だって、そういうマジョリティが展示を中止に追い込んだわけで、これは単なる社会現象の一つに過ぎず、少なくとも僕にとっては芸術本体と関わりのないことで、どうでもいいことだ。

今回の表現の不自由展で言えば、作家たちもさることながら、これを企画プロデュースした人の芸術的な力量の大きさで、その価値が測られることになるだろう。それは、この後に自ずと見えて来るだろうと思う。

どんなにまばゆいばかりの芸術作品であっても、それが作品である以上、必ず無理解な俗世間にさらされることになる。そして、その俗世間は、その作品に対し、その芸術家に対し、ピンからキリまで玉石混交さまざまに反応し、年月が経ち、その評価は落ち着くところへ落ち着いてゆく。そして、すぐれた芸術家だけが、歴史に残り、最後には教科書に載って、俗な世間も「大芸術家」として認知して、文句を言うのを止める。それは、特に、何百年も前、芸術が特権階級のためのものだけだった時代が終わり、近代になり、世間に開放されて以来、繰り返し行われてきたことだ。

そして、その芸術の価値は、やはり、芸術が特権だった昔の権威を引きずっている。でも、近代の訪れとともに、幾多の偉大な芸術家たちの努力の積み重ねにより、その芸術の「特権性」は解体されたと思う。その代わり、それは、さっき書いたように、作家とその作品の、存在感や重さというものに姿を変えたのだと思う。

結局、「芸術」や「表現」や「自由」というのは、世俗的なところには存在しておらず、それらの貴重さは独立しており、社会などという俗なものからは演繹できない。でも、特権が排除された今、芸術は特権的には働かない。だから、芸術も表現も自由も、俗な社会に対しては必ず戦いを強いられる。それは、俗社会の中の健全な営みの一つに過ぎない。いつだっていつの時代だって、そうやって戦った来たのだ。本当に価値のあるものは、決してその時代にすんなり受け入れられることはない。それは戦って勝ち取るものだ。そのためには、この現代であっても、僕たち俗衆は、「カリスマ」を必要とする。今回の騒動の中から、そういうカリスマが産まれれば幸いである。

近代になって、芸術の価値の特権が排除され、皆のものになり(民主化)、特権的な芸術価値は芸術家個人のカリスマに形を変えたが、今度は、この21世紀に、そのカリスマが排除される時代になって行くだろうか。僕が今の社会を見ている限り、それは当分、起こりそうもない。むしろ、いま、俗世間はひたすらカリスマを求めて右往左往さまよっているように見える。一刻も早く、自分が無条件で信じられる対象を見つけたいという、矢も楯もたまらぬ欲求が世間に渦巻いて見える。世界的にそうだと言ってもいいが、これは特に日本のような国では顕著に感じられる。

失礼な言い方だが、ネットで見た、この展示会に並べられた作品の数々の、弱々しい様子を見て、実は、そのカリスマの解体、みたいなことも考えた。なんだか、誰にでも作れて、誰にでも寄り添える、無名性の高い作品、そんな芸術のゆくえみたいなものを感じないこともない。たとえば、僕の大嫌いなバンクシーなどはそれを狙っているように見えるので、ひょっとすると芸術界は、無意識的にでも次のフェーズに向かって動き出しているのかもしれない。

バンクシーで思い出したが、これはどっかで書いたが、あの、数年前にあった、オークションで自動仕掛けで切断された作品を見て、僕は、今回よりもはるかに不快に思ったっけ。一連の行為があまりに貧弱で幼稚だったので腹が立ったのだ。でも、それは、僕自身が、芸術史的に言うところの、自然模倣から呪術、特権的価値、そしてカリスマへ、と形を変えながらも、常にその奥底に存在し続ける「なにか」、時代を超えて存在する芸術作品の普遍性みたいなものを、まだ未練がましく信じているからかもしれない。僕は、やはり今でも芸術至上主義なのは間違いないが、そこで言う芸術は解体前の芸術のことで、歴史の向こうの遠い過去から綿々と人類が守り続けて来た価値として理解していて、それがなければ生きていけない、そんな貴重なものなのだ。

でも、現代では、そんなものはもうないんだよ、って言われてみれば、そうかもしれない。世界というのは、つくづく流動しているものだと思う。人は、その中に、何とかして不動のものを見出そうと常に、もがいている。僕もその中のひとりにすぎないが、願わくば、自分の見出した不動のものが、「永遠」の相に届くもので、ありますように。

顧問

思い出ばなし。

社名は出さないで書くけれど、かつて7年前にとある会社をリストラされた自分は、ハローワークに通っていたことがあったのだけれど、偶然が重なって、だいぶ昔に交流のあった会社の社長に拾ってもらい、無職は二か月ほどで終わらせることができ、そこで技術参与という肩書で働きはじめた。

会社にいるとよくあることだが、社長の知り合いの年配の人が顧問と称して会社に来ているのだが、一向になにをしているのか分からない、そういう立場に自分もいたわけだ。そこは純技術会社で、百五十人ぐらいの社員の多くは技術者である。自分は特に、顧問部屋みたいな隔離されたところではなく、現場の中にデスクを与えられて、そこに毎日通っていた。

周りの人で、僕を少しは知っている人はいたことはいたが、大半の人は、あの人、あのデスクに毎日来て、何をしてるんだろう、といぶかしく思っていたと思う。社長からは技術者たちを引っ張ってくれれば、と思われていたようだが、僕はその手のふるまいが苦手で(これが自分の最大の弱点)、特にその会社の仕事などせず、研究の仕事を継続して何となくやってたり、ネットサーフしたり、という具合で、きっと周りからは、お荷物感が強かったと思う。

そうこうして半年か一年か忘れたが、ちょうど4Kが流行り始めたころで、その会社製の4Kモニターが実験室に入り、そこにグラフィックカードを積んだPCが接続されて、PCが4Kモニター上で動く環境ができた。林さん、こんなのがありますよ、と言われ、案内されたので、さっそくそこにUnityゲームエンジンをインストールしてしばらく遊んでいた。

まず、四角い箱を作って、そこに手持ちのゴッホのJPEG画像を貼って、その中をウォークスルーして4Kで絵を見てたりした。そのUnityプロジェクトを自分のPCに入れ、家に持って帰り、デザイナのカミさんにこんなのやってるだけどさ、と見せたら、せっかくならただの箱じゃなくて、美術館にしなよ、絵も額に入れてさ、簡単だから私が作ってあげる、っていうんで作ってもらい、それを会社に持ち込んで、なんとなくCG美術館みたいなのが4K上でできた。

とはいえ、自分はこれを仕事だとはまったく思っておらず、第一、その4KのPCは、超高解像度の二次元データを見せる用途のものだったのである。たまたま空いてたんで、僕が遊んでただけ。

そうこうして、技術展示会にその4KのPCを出す、って言うんで、僕も二次元データ閲覧ソフトを展示する要員になった。ついでなんで自分のCG美術館もおまけとして入れておいた。

で、展示の前々日だかになって、その4K展示の横に立って、Iさんという人に、CG美術館見せて、こんなのも入れといたけどこれは完全オマケね、って言ったら、それを見たIさんが、これいいじゃないですか、せっかく林さんが作ったんだし、こっちをメインで見せましょうよ、というので、最初僕は、えー? これ遊びで作っただけだし、メイン出し物はあるんだし、そんなことしていいの? ってあんまり本気にしなかったんだけど、Iさんが、絶対その方がいいというんで、それを見せることにした。

さて、そうこうして展示前日になった。もうずいぶん長くなったが、これが、実はこの文で言いたかったことなのである。

社員のみへの展示の前日の午後、僕が立ってるそのCG美術館のところに、社員の技術者が次々と見に来たのである。今まで挨拶もしたことない、僕のぜんぜん知らない人が、何人も来て、なんだかすごく嬉しそうに、すごくニコニコして、僕のCG美術館を見ていろいろ質問をしてゆくのである。これは、もう、自分としてはびっくりだった。

さっきも書いたように、みなにとって僕は、なにしてるか分からない顧問の人という認識だったと思うのだが、なんと、その人が自力でCGアプリケーションを作って4Kで美術館やっている、と聞いて意外だったのであろう。そのうちの一人には「林さん、あの席でこんなもの作ってたんですか! ぜんぜん知りませんでした!」ってすごく感心して言われたりした。

やっぱり技術者は、自分でものづくりをしてなんぼな人たちなので、同じ技術者としてこの人は仲間だと思ってくれたのであろう。とても意外で、かつ、嬉しかったのを覚えている。

展示当日になって来場者の受けもわりとよく、それで、これを機に、バーチャルミュージアムの仕事を正式に始めることと、相なったわけである。まあ、とにかく、人生なにがどうなるかって、分からないもんだね。

理念と魅了

また最近、Jordan Petersonの日本語訳とかやったりしているので、彼のことを考えるのと、あと、彼の周りで起こっている騒動を英語のソースで眺めてみたりすることがいくらかあるのだけど、いろいろ思うことがあるな。断っておくけど、僕はなぜだか数年前から、Petersonから距離を置いている。

世界は問題で、はち切れんばかりになっているけれど、平均した人々の生活は改善され続けている。何年か前から、これは日本でも起こったことだけれど、一般の人々が「現実問題にきちんとアクセスしろ」そして「現実の問題を解決しろ」そして「夢物語は止めろ」と言い始め、それがまたたく間に数が増え、日本では、理想を語る、ということが、夢ばかり見ているお花畑、と揶揄されるようになった。

そうなると、学校や大学の教育も「現実的」な方向に舵が切られるようになり、社会人になってすぐに役に立つことを教えろ、ということになり、とにかく理想なんかどうでもいいから、現実問題に対処する具体的能力を養え、ということになる。

実際、その「能力」を一番高度に身に付けているのは政治家という職業人で、その能力は「教え」によっては得られず、数多い実践を積むことと、あとはその人間の持つ適性(遺伝)によるものだと思う。後者はどうしようもないので、前者を教育の場に持ち込んで、いわゆる「アクティブ・ラーニング」(ワークショップを通して学生自らに気付かせる)という方法論がおおいに流行った。

Peterson先生の大学の講義をYouTubeで見ると分かるけど、彼はおおぜいの学生に向かって、とにかく一方的にしゃべりまくっている。質疑はゼロじゃないけどほとんどない。というか、あまりにしゃべりまくりなのでアクティブな学生もさすがに割り込めないみたいだ。そういう意味で、ここ最近推奨されているアクティブ・ラーニングの真逆に見える。

Petersonには信者がたくさんいる。若者が多いはずだ。彼は、要は、説教師なのだ。フォロワーは信者のノリで彼についてくる。

若者たちは、問題解決能力の取得をなかば強制され、それを得た者はそれにより自分に自信を持ち、立派な能力を身に付けた人間として、巣立って行く。というのが大人が描いたストーリーなのだが、そうじゃない若者がまた、大量にいる、ということだ。つくづく、人間というのは弱い生き物だなと思うのだが、彼らは「理論」に飢えている。「理想」に飢えている。「大義名分」に飢えている。

問題解決はできるようになったが、そもそも、その問題をどのような根本的な理由によって自分は解決しようとしているのか、ということがいつの間にか見えなくなってしまった、という風景に見えることが多々ある。

そんなところにPetersonが颯爽と現れたわけだ。彼の理論が正しいか、正しくないか、それは僕も知らない。ただ、彼には根本的な理論の極めてはっきりした「提示」がある。それに狂喜して飛びつく若者が大量に現れても、驚くにはあたらない。

僕の考えでは、大人は、やはり理論や理想を教えるべきだと思うけどね。そういう意味でPetersonに賛成する。多くの大人たちは、口を極めて彼を攻撃するが、若者たちを魅了する、というのはやはり大切だと思うよ。それら大人は、そういう安易な熱狂の虜になる若者に、常に警戒するように言い、自分の力でいいか悪いか判断しなさい、そういう能力こそ養いなさい、とか無責任に若者に忠告するが、それはねえ、ちょっと難しくて言い表しにくいけど「そういう独立心のある人間がいちばん偉いんです」という価値観の表明だよ(たぶん、これは一種のキリスト教のプロテスタント的な価値観だと思う) で、若者たちがもし、それで混乱するのなら、その価値観は、十分な説得力を持たなかったということだよ。

21世紀になって、物事は、理念と理念の戦いの場になったのだと、つくづく思う。前世紀の20世紀には、それらの理念が、大きな世界的な現象を引き起こすことが何度も起こり、それで世界は激動したのだけど(共産主義と資本主義の対立とかとか)、個人個人を動かすには足りなかった。それが21世紀では、個人レベルで起こるようになった。

誰がいちばん強い理念を持っているかによって、世界がリアルタイムで具体的に変わる、そういう世の中になったんだよ。僕には、これがものすごい「相変化」に見えるけれど、一方で、本当に大変な世の中になった、とも見える。引退して、山水の世界へでも、隠居したくなるはずだ(笑)

それはともかく、自分の考えでは、そういう理念の世界になると、大切なのは、どのように理念を構築するか、ということと、いかにしてその理念を世の中に現出させるか、の二つになる。それらが何に相当するかというと、前者が哲学、後者が芸術である。さいきん自分は、20世紀は科学と政治の時代、21世紀は哲学と芸術の時代、とときどき言っているのだけど、その理由は以上のようなものだ。

ただ、はっきり断っておかないといけないが、以上は、欧米のメインストリームのモノの考え方における筋道を示したもので、東洋、そして日本は異なる。欧米が世界の道筋を圧倒的な力で作ってしまったので、それに乗っている限り、彼らの土壌で勝負しないといけない。そのためには哲学と芸術が必須だ、と言っているのだ。

では、東洋、そして日本の独自の道というのは、あるのか。僕はあると思っているが、まだあまりはっきりしない。しかし、現在の中国の急速かつ極度の発展が、その一つの方法論を決定的に示したことは間違いない。そして、日本も、中国のように意識的にではないが、その独特の文化によって世界に、ある一つの道を示したことも間違いない。欧米のメインストリームにどうしても乗ることのできない大量の若者たち、しかも欧米の若者たちですら、日本の漫画アニメゲームが救済している風景は、見ていて不思議に思うほど世界に浸透している。

あまりに単純化しすぎているかもしれないが、そういうわけで、政府が、クールジャパンという、まったくCoolじゃない政策を推進しているのは、外してはいない。ただ、日本の筆頭商品の「コンテンツ」が、欧米価値に呪縛されて身動きできない日本政府の、正確なアンチテーゼから生まれていることは、理解するべきだと思う。では国はその貴重な商品をどう育成すればいいだろうか。それについては、また別途、書くかもしれない。

星座

小学生のころ星座に夢中になっていたことがあって、特に星座を描いた昔のドローイングが多く載っている図鑑が好きで、朝から晩まで見ていたことがあった。

さっき、ふとしたことで星座を調べたら、その小学校のときにまさに自分が見ていた絵図を見つけた。オリオン座とおうし座の絵だった。ただ、これしか見つからなかった。ネットには他の絵もあったけれど、画風が違っていて、当時の僕は、このシリーズじゃないとだめだったのだ。

星座といえば、一等星を持つ星座と、その一等星の名前は、すべて覚えていたが、特に、二つの一等星を持つ星座は、別格な僕のアイドルだった。日本の冬の夜空によく見えるオリオン座は、ベテルギウスとリゲルという二つの一等星がある大好きな星座の一つだった。

僕の見ていたのが日本の図鑑だったからか、南半球でしか見えない星座はあまり載っておらず、その、地平線の下に隠れている星座が、一種、あこがれの的だった。特に、一等星を二つ持つケンタウルス座と南十字星への想いは強くて、夢にまで見るほどあこがれていたっけ。

ケンタウルス座の二つの明るい星は、アルファ・ケンタウリとベータ・ケンタウリという名前だったが、そのネーミングが自分には安易に聞こえて好きじゃなかった。ある日、なぜだか別の図鑑を手に入れたら、そのケンタウルス座が載っていて、そこでは、星の名前が、リギルとアゲナという名前だと知って、とても感動した覚えがある。

いまになってみると、子供の自分がなぜ、星座と、その星座のドローイングと、恒星のギリシャ語っぽい名前に、それほど惹かれていたのか、あまり分からない。夢中になるのには、特段の理由はないのだろう。何かがどこかで引き合っているんだろう。

しかし、不思議なことに、自分には、その過去に感じたその夢中になっていた気持ちを、一瞬、それも0.5秒ぐらいそのままの形で思い出すことができる瞬間がたまにおとずれる。これは、一種の神秘体験で、この感じがたとえば10秒以上続いたら、自分は気が狂ってしまうのではないか、と思わせるほどに、強烈な安堵感的な快感を伴っている。さっきも、その瞬間が一回だけやってきた。

ところで、僕は30歳のときに、初めての海外旅行でスペインのマドリッドへ行ったのだけど、そこで、最終日に電車の中で鞄の中身をすられて、パスポートも財布も航空券もなにもかも盗まれ、滞在を3日伸ばしてようやく帰ってきた、ということがあった。

大変な思いをして、ようやく帰途についた、その飛行機の中でのことである。僕は窓際に座っていた。時間は夜で、飛行機の窓の外にはたくさんの星が輝いていた。そこに、地平線にだいぶ近いところに、いまでもはっきりと思い出せるのだが、くっきりと十字型に光る小さな星の一群があった。

それはなんと、小さいころ夢にまで見た、南十字星だった。

ロックのクラシック化

YouTubeを見ていると、ロックギターにしてもロックドラムにしても、若い子たちが(いや、子供ですら)、ものすごいテクニックで演奏しているのが、次から次へと出てきて、参るよね。

もう、だいぶ前からだけど、ロックミュージックもクラシック音楽化したなあ、と思っている。音楽理論と演奏法と教育法が完全に確立していて、きちんと学習さえすれば、先人たちのレベルに誰でも達することができるようになった。僕のジェネレーションのように、先生も本もなく、自己流で苦心して身につけた人間から見ると、もう、あれよあれよ、という感じで、意外とこういう事態になるの、早かったな、と思う。

実際、たとえば、音楽で仮りに彼らと戦っても、勝てないことの方が多そうだ。プレイヤーの平均レベルがここまで上がってしまうと、戦いのレベルも格段に上がる。そうなると、クラシックと同じで、極めて高度な表現力の部分で切磋して、競い合う話になるだろう。しかし、ロックのそういうの、だれが判断するんだろうね?

それにしても、これもしょっちゅう言われることだけど、ロックって音楽は元来反体制の音楽なのだけど、確立してしまったら体制側になるんで、そもそも矛盾してしまい、変なことになる。そんなのは昔の話で、反体制はロックからラップかなにか(あるいは今はまた別のがあるの?)に移ったってことで、ロックはそういう面倒からすでに解放されているのかもしれない。

最近、こういうこと書いてると、むかし話をどうしても思い出しちゃうのは歳なんだかなんなんだか、まあ、還暦だし許されるか(笑) 

で、思い出したのだが、僕は何であれ、昔から、糞真面目に粛々と何かをやっている場にいると、タイミングが悪い場合、無性に腹が立ってきて、自分が抑えられなくなることが、たまにだけど、ある。

だいぶ昔にやってたバンドだったんだけど、ある時、そこに、メンバー募集かなんかで連絡してきたギタリストが来たことがあった。真面目そうな男で、几帳面なギターを弾くやつだった。スタジオでしばらく一緒にジャムセッションした。

何曲か目にJohnny B Goodeをやったのだが、やっぱり彼、几帳面に糞真面目にうつむき加減にギターを弾いている。僕は何が気に入らなかったのだかわからないのだけど、だんだんそういう演奏をしていることにむらむらと腹が立ってきて、二回目のソロの時に暴走し、音量を全部10にしてピックで弦を無茶苦茶に引っ掻き回し、周りを無視して暴れまわり、ピックはバリバリに割れて跡形もなく、それでも指で弦を無茶苦茶に弾いてたので、右手の指の爪が割れて血が噴き出し、右手血まみれのままギターを床に放り投げ、それでようやく演奏が終わった。僕ははあはあと肩で息をしてるし、周りのメンバー茫然。真面目な若者茫然。ただ、その中に一人だけコーラス要員の女の子がいて、その子がすぐに僕に駆け寄って、僕の右手をとって「だいじょうぶ?」って言って、バッグからバンドエイドかなんか取り出して、手当てしてくれた。

はっきりしているのは、僕はバカそのものだが、その子は本当に優しい、いい娘だった。

もう今はそんな元気はないと思うが、しかしみなさん、ひょっとするといつかステージで突然発狂するかもしれないので、気を付けた方がいいですよ。でも、歳のせいで、そんときは途端に心臓マヒでバタっと倒れてあの世ゆき、というハッピーエンドで終わるかもしれんが。もしそうなったら、それは憤死というんだな。かのイヴ・クラインのように。

相性

だいぶ昔、とある街に住んでたころ、とある呑み屋つながりの人々とあれこれ遊んでいたことがあり、そのときの話。その呑み仲間のなかに、明るくて元気でよくしゃべるおばちゃんがいて、あるとき、そのおばちゃんに誘われて、家に皆で遊びに行ったことがあった。おばちゃんはバツイチかなんかで、そのころ彼氏ができて、その彼氏がむかし飲食店で板さんやってたから、料理を作ってくれるというのである。

で、台所から次々と料理が出てきて、たしかにどれもおいしかったのだけど、その料理が見事なぐらい、中流以下ぐらいの「ある層」をターゲットにした料理で、高級店では出て来ない味だけど、安めし屋とかの味でもない。食べてて、あまりにその「層」がはっきり感じられて、なんだか感心してしまった。不思議なもんだなあ、って思って。

ちなみに、その彼の歳はたぶん40半ばで、おばちゃんと付き合う前は仕事をしてたけど、おばちゃんの家で一緒に住み始めたとたん仕事を辞め、毎日プラプラしていたそうだ。要はヒモを決め込んだわけだ。おばちゃんはわりといいところで仕事してて、実入りもいい。その彼、ホームパーティーでエプロンして料理作っちゃいるけど、話を聞くとわりとろくでなしっぽい。でもちょっと男前で愉快な楽しい人だった。

それで、そのおばちゃんだけど、ものすごく人の世話を焼くのが好きな人で、いろいろ男と関係も多いらしかったが、まいどまいど、そういう、世話しないといけない男とくっついちゃうそうだ。本人、なんでいつも私が面倒見なきゃなんないのかしらねえ、早くラクしたいわ、とかけっこう愚痴を言ってた。で、それから一年ほどして、風の便りで、おばちゃんが彼氏と別れたらしいっていう噂を聞いた。

料理人とその料理、世話焼きおばちゃんとろくでなし男、などなど、世の中って相性って、あるんだなあ。っていうか、世の中、相性だけでできあがってるのかもね。

ストックホルムの移民街

ストックホルムで移民がいちばん多く住んでいる街Tenstaと、その隣のRinkebyへ行ってきた。セントラルから地下鉄で20分ほど。この地域は移民の人口が70%以上で、治安的にもスウェーデンで一番悪いそうだ。ちなみに2番手はMalmöで、ストックホルムでは無くてコペンハーゲンに近い国境で人種混合しており、治安悪化は、まあ、うなずける。
 
今回行ったTenstaは、昔、住居が不足したとき国の政策でたくさん作った、いわゆる団地に、その後、移民が多く住むようになり、今では大半が移民の地区になってしまった、という経緯だそうだ。この地域に隣接したHusbyでは、3年前に暴動が起こって街に炎が上がり、スウェーデンでこんなことが起こるのかとみな驚いたところである。要は、Tensta・Rinkeby・Husbyの一帯は移民だらけな地域なわけだ。
 
Tenstaの駅を降りて地上に上がると、別に何ということはない閑散とした街だった。駅の上にショップが並んだ建物があり、結局、それだけでほかに何もない。駅前には街並みもなく、すぐに団地がひたすら並んでいる状態だった。きわめて退屈なところで、そういう意味では殺伐としていると言えなくもない。ただ、団地を見るとそれほど老朽化しておらず、メンテナンスはされているので、スラム化とかいうのとはぜんぜん違う。つまり、ふつうの居住地区だった。唯一の違いは、歩いている人にスウェーデンらしき人がいないこと。ごくたまにスウェーデン人かな、と思う人もいたが、だいぶ貧しそうな感じだった。

Tenstaの駅前。左手の赤い枠が室内ショップの入った建物、右手はすぐ団地が続いている。奥の方に悪趣味な高層ビルが一つだけぽつんと建っている。

さて、Tenstaに降りても、何も見るものがなかったので、隣のRinkeby駅まで歩いてみることにした。団地を抜けると、ちょっとした草原になり、向こうに教会が見えた。行ってみると、教会の周りはだいぶ広い墓地になっていて、たくさんの墓石が並んでいる。ヨーロッパの墓石はいろんな形をしていてそれぞれユニークで見ていて面白い。ふと、墓地越しに立つ北欧の教会に黒い衣服の修道女が入って行くのが目に入った。この光景は美しかった。

TenstaとRikebyのちょうど真ん中あたりにある教会。周りは広い墓地になっている。

自分はスウェーデンに住んで5年目になるが、もうだいぶ食傷していて、スウェーデンの美しい風景がまったく心に響かなくなってしまっているのである。今日は、本当に、久しぶりに、僕が30年前に北欧古典絵画を通して知って、そのまま十年近く陶然として夢中だった北欧の美をここそこで見ることができて、それはとても良かった。

なんとなくゾンビが出て来そう(笑) それぞれにかなり趣向を凝らしていて、面白い。

この教会と墓地と周囲の美しい自然は、ちょうどTenstaとRinkebyの真ん中へんにあり、そこを越えてRikebyの街に入ると、また同じような団地が並ぶ。ほどなくして駅に着いた。こっちはTenstaよりは少しは活気のある所で、駅の上の広場をショップが取り囲んでいて、少しは街らしくなっている。ただ、そこを出ると、やはり同じようにすぐに団地だ。ただ、団地の一階部分にショップがいくらか伸びていて、本当に少しだけだけど、他ではあまり見られない異国情緒な店舗もあった。

Rikebyの駅上のショッピング広場。少しは活気があるが、道路とか全体がとてもきれいでゴミ一つない。

僕が行ったのが12月26日のクリスマス休暇中だったからかもしれないけど、移民が7割以上いるのに、なぜ彼らは自分の国では全開状態で繰り広げる中東アジア的カオスを、ここスウェーデンではやらないのだろう。街を歩いても、ゴミ一つ落ちていないのは、普通のスウェーデンの街とまったく同じで、中東アジアでは普通な、散らかって汚らしく放置されたところが見当たらない。

スウェーデンでは珍しい若干の異国情緒のある店。このように外にせり出して商品を並べているのを見るのは、まれなこと。

一つ気付いたことと言えば、ヘアサロンがすごく多くて、しかも、中をのぞくとお客さんもけっこういること。しかし、食い物飲酒より、ヘアサロンなんだね。僕は経済にも政治にも明るくないからわからないのだけど、スウェーデンでは移民が気軽に商売して儲けられる構造になっていないんだろうか。全世界にチャイナタウンを持つかの中国人ですら、スウェーデンではロクな街を持っていないのである。
 
知っての通り、スウェーデンは移民と難民の受け入れには非常に寛大な国の一つで、政策的にも完備していると言っていい。それができるのも、政治も、国民も、困った人を助ける慈善、異文化の許容、そして多様な人々の人権についての意識が高いからこそだ。僕もスウェーデンに住んでいて、その意識の高さは感じる。彼らにとってすごく重要な社会の要件なのだ。
 
しかしながら、こんな抜け殻のような移民地区を歩いていると、どうしても別のことを考えてしまう。
 
慈善と人権というもの自体が元来はヨーロッパのもので、それらの概念にはやはり西洋らしさが染み付いている、というか、西洋が基礎になって出来上がった概念だ。だから、それらを適用した結果できあがる社会が、西洋の枠組みと西洋文化の色をしているのは、言ってみれば当たり前のことだ。
 
街にはたくさんの異国人が歩いていて、人間だけ見ると、ここはスウェーデンか、と思うような風景なのだが、街自体は何の特徴もないつまらない場所だった。それで、どうしても思ってしまう。みな、故郷が恋しくないのだろうか。いや、ここにも仲間はたくさんいる。それは分かる。でも、異国の血は騒がないのか、こんな殺風景な街に毎日暮らして、老いて、死んで行くのか。
 
結局のところ、街自体に生気もなく、面白くないのでたいして放浪せずに、早々に電車に乗って帰ってきた。ストックホルムセントラルに戻って街を歩いていると、何の疑問もない。ここを見ている限りは、充実した古い美しい街だ。しかし、歩いていても何となく浮かない気分だった。
 
妙なことだけど、さっきまでいた周辺の移民街がもっとごみごみして汚なくて生活感満載だったら、きれいなヨーロピアンな街に帰ってきて、ほっとしてすがすがしく歩いたかもしれないな、と思った。

ナポリタン

昔、喫茶店のマスターをやってた知り合いがいて、その人から聞いた話。昼下がりの、客の少ないある日、ちょっとむさい感じの変なやつが店に入ってきて、ナポリタンをたのんだそうだ。で、ナポリタンを作って、その人のテーブルにタバスコと粉チーズと一緒に置いた。そしたら、その人、まず粉チーズをかけ始めたのだけど、それがいつまでもかけてて、とうとう空になるまで全部かけてしまい、ナポリタンの上に白いチーズがうず高く乗っかってる状態になった。マスター、カウンターの中で面白いからそのままどうするか見ていたそうだ。そうしたら、粉チーズを全部かけてしまうと、こんどはタバスコをかけるわけだけど、これがまた、いつまでもいつまでもかけてて、とうとうひと瓶ぜんぶかけてしまった。で、どうするか見てたら、おもむろに食べ始めたのだけど、2、3口食べたら変な顔して、それ以上食べず、そのうち「すいません」と呼ぶのでその人のところへ行ったら「これ持ち帰りたいんですけど」と言ったそうだ。で、マスター、そのタバスコで真っ赤になったチーズとナポリタンをビニール袋にドサドサってあけて口を縛って、お勘定したあと、はい、って渡したら、「ありがとうございます」ってお礼を言って出て行ったそうだ。ヘンな人もいるもんだ。

地獄谷のロシナンテ

大森駅の線路沿いの地獄谷の思い出を伝承している人はいるだろうか。お袋が大森に住んでいるから、遊びに行くときは、いつも地獄谷をチェックしてから行く。この前も行ってみたら、入り口近くの超老舗のラーメン屋の長崎屋がとうとう閉店していた。結局、入らずじまいだったな、残念。
 
で、これまでずっと気になっていたお店があってね、地獄谷の真ん中へんにあるロシナンテというスナック。およそ40年前、あそこは大森界隈の文学者とか芸術家とかのたまり場だった。かなり有名どころも通っていたはず、誰だか忘れてしまったけど。
 
ロシナンテのママは美人で知的で、昔の言葉でいえばマドンナ的存在だった。文化人の通う店のママとして彼女以上の人はいないみたいな、いい感じの女性だった。そういう知的な人の集まるところのママというのは、ママそのものがあまりに知的にふるまってしまうと、客だかママだか分からなくなるし、そもそも知的な芸術家系の人たちというのは、相応に我が強いもので、ママとぶつかっちゃったら洒落にならないし、客同士がぶつかったときママがどっちかに加勢しちゃったらうまくないし、っていう風に、ママっていうのは、なかなか難しいポジションだと思うんだ。

僕は常連ではなかったけれど、人に連れられて数回は行って、その様子を見ていたのである。店の常連客とかがなんか論争的な雰囲気になるときも、ママは、柳に風だったり、あるいは天然風にとぼけてみたり、はたで見ていても、本当に上手に受け流していた。ママ本人が本当はどういう人なのかは容易に分からないけれど、そのやり方が本当に素敵だった。わがままな常連客も、ママにはかなわんな、で収まってしまうのである。そんな、ママには、なんだか憧れがあったなあ。
   
で、その後、十数年たち、地獄谷とはすっかり疎遠になり、ほとんど足も運ばない状態が何十年か続いた。そしてここ十年ぐらいになるけれど、お袋のうちへ行くついでに地獄谷チェックをするようになったわけだ。

それで、年に一、二回地獄谷偵察に行き、そのたびにロシナンテの前を通るわけだけど、店の周りの敷地には、いつも大量の植物が置かれていて、店の入り口はその植物にずっと覆われたみたいになっていた。植物はきれいに手入れされているから、誰かしらが育てているのだろうけど、店が開いているようには到底思えなかった。
 
ロシナンテのママ、どうしただろう。死んでしまったかな、などと思っていた。
 
それで、ついこの前のこと、地獄谷の階段を降りたら、ロシナンテの前で、小柄なお婆さんが植物の手入れをしているのが遠目に見えた。え、ひょっとして、ママか? と思ったけど、遠くて分からず、とにかく店の方向に歩いて行った。実は、僕が店の前に来るまでのあいだに、扉から中に入ってしまったのだけど、5メートルぐらいだったかなあ、一瞬、そのお婆さんの顔がはっきり見えた。
 
たぶん、間違いなく、あれはロシナンテのママだ。面影がはっきりあった。すごく上品な感じの、いまどきは滅多にいない感じのお婆さんだったっけ。
 
僕の性格がこんなじゃなかったら、きっと声をかけただろうけど、勇気がなくてできなかった。でも、ママ、元気でよかった。