焼肉屋にて

今夜は目黒の演奏バーへ行くことに決めていた。特にイベントも無いのだが、ちょっとした用事のせいである。休みの日にあの店に行くときは、だいたい夕方の早めに出て、目黒界隈で一人で飲んで、食べて、それから行くのが習慣になっている。ひところは、駅前のすき家で中瓶を一本ゆっくり飲んで、最後に牛丼食って、しめて千円以下に抑えてバーへ出勤が定番だった。ただ、それはバーで演奏目的がある場合である。

さて、今日は特段の用事もないからなのか、なんなのか、焼肉屋に行ってみようと思った。何件かあるのは知っているが、その中で、一番、老舗っぽい昭和な感じの店があったのを思い出し、そこにしようと決めた。それにしても、あの店、まだあるんだろうか。

権之助坂を下った中腹ぐらいの、たしか二階だったよな、と歩いていると、まだちゃんとあった。階段を上がって店に入る。

時間が早いので店内にはほとんど客がおらず、いちばん奥のテーブルに5、6人の老人団体がいるのみであった。僕は、老人団体テーブルから少し離れた、鏡の近くの席に座った。

それにしても昭和そのものな内装である。店内はだいぶ広く、照明は暗く、壁の半分は鏡で、茶色が基調になっていて、ここそこにある置物はいちいち重厚で悪趣味である。巨大な壺に派手な造花だったり、へんちくりんな大きな木彫りの像が鼈甲色に光っていたり、中国趣味な木製の屏風が立ててあったり、などなど。給仕はいかにも百戦錬磨なおばあちゃんに近いおばちゃんだ。きっと余裕で三十年以上はこの焼き肉屋で来る日も働いているに違いない。

この手の店では、ビニールに入った黄色いおしぼりが出てくる。生ビールを注文。ビールが来たとき、中落カルビとハラミ、そして白菜キムチを注文した。出てきた、焼いた、食った、別に特別うまくもなんともないが、安心の昭和焼肉だ。

爺さん団体は、入った時からずっと奇声を上げてたりして大騒ぎしている。見たところ、どうやら、みな70過ぎで、全員リタイヤしてだいぶ経った、会社かなんかの元同僚っぽかった。大声でしゃべりまくり、ときどき店のおばちゃんが参加する。それにしても、引退したジジイというのは元気だ。

僕は、自分の先輩たちがすでにリタイアし始める歳であり、そういう先輩をだいぶ見たが、引退するとパワーが3倍以上にアップする。そういうのを見るたびに「社会に縛られて仕事をする」ということに、人がどれだけエネルギーを消費しているかが目に見えるようで、いまだ社会に縛られている自分はそれを思い知らされてげんなりする。それまで消費していたエネルギーの出口がリタイヤでなくなり、それがいろんなところで噴出するのだ。

今日のリタイヤ爺さん団体もそれだった。「おいおいおい、それならなにか、コースじゃなくてアラカルトがいいってことかい」「メニューのそこに並んでるの、上からぜんぶ頼んじゃえばええ、ええ」みたいな大声と笑い声がしきりに聞こえてくる。広い店内には、その団体と、そこから7メートルほど離れた席に座る自分しかおらず、あとはがらんどうなスペースだ。そこに騒ぎ声が響き渡る。

ときどきおじいちゃんが便所に立ち、何度も僕の前を通った。団体は僕の右側で、便所は左側なのだ。おじいちゃんと言ってもまだまだカクシャクとした老人だ。一人などはブリーチアウトのジーンズとチェックのネルシャツを着て、ガタイもよく、便所から帰って、僕の目の前3メートルぐらいのところで、何を思ったか立ち止まってにやにやしている。あ、まずい、オレに声かけそうだな、と警戒したが、幸い「おーい、おい、なーにやってんだあ」とか言われたせいかそのまま席へ戻っていった。

二杯目の生ビールを頼んだころに、ようやく次の客が来た。今度は、サラリーマンの男6人だった。黒や灰色のヨレヨレっぽいズボンに、年季の入った黒い靴、そして白いワイシャツにネクタイなし、といういで立ちの人々である。予約してあったようで、おばちゃんに案内され、僕の正面の5メートル先ぐらいの横長の席に入った。

みな相応に太っていて、ズボンに締めたベルトの上に腹の脂肪がはみ出て、裾を入れた白いワイシャツが脂肪でパンパンになっている。その脂肪の垂れ下がり方に加えて、おしなべて土気色の顔色や、ペタッと少ない髪の毛、夏ということもあって、だいぶ汗臭く汚れた様子が、その全体のルックスから伝わってくる。

自分も社会が長いので、サラリーマン団体のルックスの特徴だけで、だいたいどこの層に属しているかが想像できる。おそらく、どこかの地元の中小企業の、営業の人々であろう。ズボンや靴がよれているのは、きっと、ずいぶんと歩くからだろう、と想像した。あと、脂肪と顔色から見て、仕事し過ぎと飲み過ぎの両方であろう。

最初にビールで乾杯するときに、「今日は、タチナカさんが役員になられた、そのお祝いの会ですので」と聞こえてきたので、あらためてよくよく見てみたら、一番右端の上座っぽいところに座ったタチナカさんと思われる人が見えて、なるほど、彼一人、他の五人となんとはなしにルックスと、まとっているオーラが違う。

こっちはさっき頼んだホルモンを焼きながら、目の前でもあるし、彼ら団体をずっと眺めていた。

左端の人が「今日ねえ、ほんとは声かけたかった人いたんだけどさあ、ナントカさんも、ナニソレさんも、みんな死んじゃったしなあ、だから今日はこぢんまりと6人なのよね」と言っている。まあ、とにかく会社の同僚たちもある年齢になると病気でバタバタと倒れて、そのうち幾人かは死ぬんだろう。なんといっても、過労と暴飲暴食のせいだろうな。今でいうブラックとかじゃなくて、こういう昭和な会社では、もう、人と過労と飲酒は切り離しがたく一体化して会社という箱に収まっているのであって、労働環境とか健康状態とかそういうものを客観視できないように出来上がってしまっているのだ。

そんな箱の中に生き、そして長年の無理がたたって、だいたいが60歳になるまでに、体はボロボロになり、あるときそのまま死んでしまったり、よくて半身不随、最悪、寝たきりになったりする。いかにも不健康そうな左端の人も、そんな人の予備軍に見えるので、一種の予感なんだろうか、と思ったりする。

一方、右7メートルのところにいるジジイ軍団は、そんな昭和な会社生活をからくも生きのびて、定年を迎えて、かつての不健康と不摂生を振り切って、元気なリタイアライフに突入したものらしい。見ていても不健康なところや疲れたところがぜんぜん無い。比べて、サラリーマン中年軍団は、偉くなったタチナカさんがしゃんとしているのを除いて、みな、いわば疲れ切っている。

いや、疲れ切ってはいて、顔色も悪いんだが、同時に、みなギラギラと脂ぎっていて、間違いなく精力は絶倫に見えるのが(本当は知らん)この手の会社の営業系サラリーマンの特徴なのである。おそらく風俗も行くだろうし、いまだにきれいなおねえちゃんが現れれば色目を使いそうだ。そういう意味では、精力というエネルギーはちゃんと保持していて、このエネルギーがひょっとすると、生きのびてリタイアしたあかつきに、元気の素になるのかもしれない。

などなどという、下らないことを思いながら、相変わらず、客の少ない暗い店内で、今度は豚カルビを焼いてビールを飲んでいる。

いつものことだが、やがて、自分にとってこんなに気持ちの良い時間は無いような気になる。この刹那はまさに刹那で、長続きはしないし、するはずもないのだが、これは自分にはたまらない贅沢だ。それにしても、なぜ、オレはこういうシチュエーションで恍惚とするのか、毎度のことだが、今回は少し考えてみた。

こうして、元気な爺さんたちと疲れたサラリーマンをあれこれ客観的に観察しているのを読むと、きっと、自分という人間はずいぶんとそういう人々に辛口で、下手するとバカにしているように、人は思うかもしれない。でも、彼らから離れた今この場所で描写するとそうなるが、実際の彼らは、まさにそのネイチャーと本能にしたがってふるまっているわけで、何一つとして曖昧なところがない、いわば堂々たる人々の群れに見えるのである。僕はいま言葉を弄しているが、そのただなかにいるときは、単に恍惚としているだけで、実をいうと、彼らの魂の横に自分も座って、すっかり仲間になって、成り切っているように感じるのである。そのネイチャーのままふるまう感じが、とても気持ちよく感じるみたいなのだ。

さっき「などなどという下らないことを思いながら」と書いたけれど、その瞬間に自分は言葉は一切使っていない。単に漠然と何かを感じているだけだ。それが終わった後、それを思い起こして言葉にするとなにやら辛辣な表現になるというだけで、そのときの自分はピュアな、一種、憧れに近いような気持ちのかたまりなのである。

まあ、こうして分析すると、まるで言い訳を並べているように聞こえるので、こういうのはまた後日、別に書くことにしよう。

さて、老人軍団とサラリーマン中年軍団を見ながら、焼いて、食って、飲んで、だいぶ気持ちよくなってしまい、結局生ビールを三杯も飲んでしまったが、いい加減にいい時間になったので席を立った。なんと一人で6000円を超えた。えらく高いが、まあ、仕方ない。好きで入っているのだから。

その後、目黒の演奏バーに着き、マスターに「いままで、老舗の焼肉屋にいてさあ」と言ったら「どこ?」っていうんで「某々苑だよ」って言ったら「あそこは老舗じゃない」って言うんだよね。「えー、だって、あそこすごく昔からあるじゃん、老舗でしょ?」というと「目黒で老舗の焼肉屋って言ったら、なんとかとなんとかとか幾つもあるよ。あんな高いだけでバカみたいな店老舗じゃないよ」って言われた。ああ、たしかに、マスターが正しいわ。あの昭和の店を「老舗」などというたいそうな名前で呼ぶのは、おかしいよな。

でも、もしあれが、そんな立派な老舗だったら、今日みたいな光景にはぜったいに出くわさないだろうし、やっぱり自分にとっては、ああいう店が一番だな、と思う。しかも、そういう店、減っているだろうしね、いまのうちにせいぜい通わないと。

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