日記と親父の話

子供のころの自分は従順だったので、中学生になって、親父に日記帳を渡され、日記を付けろ、と言われたので日記を書き始めた。思えば、あれが自分の文章修行の始まりであった。日記といっても、最初のころは、判で押したようにおなじことしか書かなかった。その日にあった出来事を書き並べただけで、何時に起きた、朝ごはんを食べた、何時に学校へ行った、何と何と何を勉強した、誰と遊んだ、何時に帰った、という記述を毎日欠かさず続けていた。

そうこうして、2年も経ったころだったか、出来事をひたすら書き綴ることもだんだん間隔が開いてきて、その代わり、どうでもいい雑文をときどき書きつけるようになった時のこと、とある文を親父に褒められたことがあった。これは親父にしては極めて珍しいことで、自分は叱られたことこそ多数だが、褒められたことなどめったになかったのである。ともかく元文学青年の親父はこれを読んで感心し、ひょっとすると正樹には文才があるかもしれんな、と親馬鹿ぶりを発揮し、お袋にそう言っているのを、僕は聞いていた。褒められて嬉しくないこともなかったが、中学生の自分は文才などというものに興味はなかったので、あっさり受け流した。

ところで、その文はこういうものだった。

ある晩、家族でぼんやりテレビを見ているときのこと、そのへんに昔ながらのガラス棒の体温計があったので、それを取り上げ、その温度をあれこれして上げようと試みた。最初、指でつまんでしばらく待ったが、体温より少し下ぐらいしか上がらない。もっと密着しそうな手の平やら、腕の間やらで挟んだりしたけどそこそこ。そのうち、そっか、と思って指でつまんでぐりぐりしたら少し上がった。こすって摩擦で温度を上げればいいのだ。で、服の上や、床や、いろんなところでごしごしこするものの、ほどほどしか上がらない。で、最後に、親指と人差し指の間の付け根の柔らかいところで包むようにしてごしごしこすると面白いように上がって行くことを発見し、しばらくこすって、とうとういちばん上の42度まで上がった。上がってしまうともうすることもないので、体温計を放り出し、テレビを見ていた。しばらくすると、親指の付け根あたりが痛いんで、ふと見たら、さっきこすったところの皮が剥けて赤くなってヒリヒリする。あ、夢中でこすったせいだ、と気づいたが、それにしても、これを書いている今でも痛い。

と、まあ、そういう内容だった(つまんなくて失礼 笑)。この文はそこそこに長い文で、それにしても、単に描写を延々とつなげただけのものだったが、何かしらの文才がひらめいていたのであろう。

ところで、その後、中三になって不良仲間と付き合ってギターを始め、すべてはストップする。日記ももちろん止めた。思えば、それ以来、大学まで僕の文章はまったく進歩が止まっていた。今思い起こしても、自分がそのころ書いた文章は、内容も文体もかなり稚拙だった。よく、小さいころイマジネーション豊かな文才を発揮した子が、学校で国語を習うようになって混乱し、あっという間にかのビビッドな文才を失って、以降、混乱した稚拙な文しか書けなくなる、ということはごく普通に起こっていることなのだが、僕もそんなようなものだったのだろう。

再び自主的に日記というものを書いてみようと、始めたのが30歳前ぐらいのとき。最初は硬かったが、書き始めて一年ほどして、そこそこに文が書けるようになり、そこが自分の文章修行の本当の始まりであった。それから1、2年たち、残念ながら親父は早くして死に、僕のマジメ文も、その後に完成するアホ文体もほとんど知ることなく、逝ってしまった。それからさらに数年経ち、35歳ぐらいのときに「ゴッホ─崩れ去った修道院と太陽と讃歌」という本を自費出版し、自分のマジメ文体は完成したと言っていい。僕は、この本の冒頭に「父の霊に捧ぐ」と書いたが、これは率直な本心だった。この本は親父に読んでもらいたかったな、残念だ。親父は若いころさんざん苦労したが、最後まで物書きになる夢を捨てたことはなかったらしい。もし、僕に文才のようなものがあるとすれば、間違いなく、それは親父から受け継いだものだろう。

ところで、この本で思い出したが、お袋に聞いた話。むかし、親父が死んでずいぶん経ったある日のことだったらしいが、かつて親父を尊敬していた知り合いが、突然、家にお線香をあげに来たことがあったそうだ。どうやらしばらく親父の死を知らなかったらしい。その人は、お袋に挨拶もほとんどせず、そのまま玄関を上がり仏壇のところへ直行すると、そこでおいおいと声を上げて泣いたそうだ。しばらく経って、お袋とよもやま話をしているとき、お袋が思い出し、そういえば、長男の正樹がこんな本を書いたんですよ、と僕のゴッホの本を渡して、血は争えないですね、とでも言ったであろうか。その人は、本を手にして、ページをめくり、冒頭の、父の霊に捧ぐ、という一文を見て、その場でまたはらはらと涙を流したそうだ。

僕のゴッホの本は、出版しても何も起こらなかったが、親父の供養にはなったと思う。

 

(2017年1月10日、Facebookに投稿)

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