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2015

大阪天満にて

仕事で大阪の天満に来ている。夕飯を食おうと一人で出歩いて、しばらくぶらぶらしたけど、相変わらずの関西のノリだなあ、と思いつつ、やはり同じ仕事の用事で二年前にもここに来たっけ、と思い出した。
 
飲み屋と飲食店と雑多な店でごったがえった迷路のような路地は、少しも変わっていなかった。オレは、いちいち飲み屋をのぞいちゃあ歩いたが、昔と少し違った事といえば、ほぼ満員な店の若者率が高かったことぐらいか。
 
かと思うと、ものすごく古風な、蛍光灯が煌々と点いた、明る過ぎて逃げ場がないような無骨な居酒屋が、こんどはオヤジやジジイで満席になっていたりする。面白いものだ。
 
昨晩さんざん飲んだせいで、今日は、まあビール一杯で飯を食うぐらいにしたいもんだ、と思いつつも、体調は既にリカバーしているので、今日も飲んだって構わない。
 
ごちゃごちゃした路地をぶらついてさんざん見物したあげく、路地街から、その外のふつうの街に通じる通りがあった。遠目に眺めると、店舗が切れはじめた向こうの方に、黄色い地に赤い文字の中華料理屋の看板が見えたので、そっちへ向かった。
 
店の前に来てすぐに分かったが、いちおう古くからある中華屋のようだが、それなりに寂びれた感じで、まあロクな店ではない。分かっていながら、のれんをくぐって入ってしまう。
 
中に入ると思ったとおり、わりと広い店内にもかかわらず、客が一人もいない。一番奥の隅のテーブルで、すでにお爺さんとお婆さんに近くなった二人が、テーブルの上の新聞紙を挟んで向かい合って何やらしゃべっている。
 
入って来た僕を見て、まるで少しびっくりしたような感じで、おばちゃんが、いらっしゃいませ! と元気よく叫んで、雑談をすぐに終了して立ち上がった。見ると確かにお婆さん。でも、髪を茶色く染めて、大きな真珠っぽいイアリングをしてるせいで、遠目にはおばちゃんだ。
 
取りあえず、生ビールを注文した。
 
赤い椅子に黄色いテーブル、広めの店内に、壁にべたべたと隙間なく貼られたメニューや、料理の写真や、あと有名人の描いた色紙など。左の棚の上にはテレビが乗っていて、大音量でプロ野球をやっている。天井の蛍光灯で店内は明るい。要は、本当に古臭い、昔からある中華料理屋である。
 
おばちゃんが「ビールのアテはどうしましょ」みたいに言う。アテか、飲みに来たんじゃないけどな、と壁に貼られたメニューを見ると「かしわ炒め」というのが目に入った。大阪では鶏は「かしわ」なのは、かつて3年間大阪に住んだ経験のある自分はもちろん知っていた。実は自分はこの「かしわ」という響きが当時から好きだったのだ。ということで、かしわ炒め下さい、と注文した。
 
ビールを飲みながら店内を眺めてぼんやりとしていると、お待ちどうさま、と、かしわ炒めが出た。鶏肉と筍と小松菜のあんかけのような料理が来た。あんは少しの醤油の入った薄いベージュ色で量が多く、この調理法は東京にはほとんどない。これは古い関西の廣東料理の典型的な調理法なのだ。かつて大阪に住んでいた自分はよく知っている、懐かしい姿だ。
 
食ってみると、おいしくない。筍などいつのものか分からない様子で、すえたようなヘンな味がする。調理が下手とは言わないが、端的に料理が古臭くて、今の人が満足するとは到底思えない味だ。客が一人もいないのがうなずける。
 
しかし、俺はそんなことは全然気にしない。自分は、自身で長年料理も作っているし、世界をさんざん食べ歩いてもいるし、料理が出ればたいていすぐにその素性が分かるのだが、実はオレはこのタイプのまずい料理に極めて寛大で、むしろ食っていて、まず過ぎてかえって感動したりするぐらいなのだ。
 
したがって、知らない土地で、わざわざ変な店を選んで入ってしまい、出てくる料理が糞まずい経験はしょっちゅうなのだ。しばらくビールを飲みながら食っていて、この今のシチュエーションが、何かに似ていることに気付いた。それは、果たして、一年前に学会で行ったスペインのサンタンデールという街でのことだった。
 
そのとき、退屈な学会を抜け出して、一人でサンタンデールの街を当てもなく歩いた。やはり、享楽的な国のスペインだけあって、いろいろ楽しそうなレストランやバーはあったのだが、結局、オレは、国鉄のターミナル駅に戻ってきて、その駅前にあった、ひどく変哲のない、客がまばらにしかいない、やはり蛍光灯で明るい店内の駅前食堂に入ったのだった。
 
給仕のおばちゃんは、百戦錬磨な感じのスペインのおばちゃんで、愛想よく観光客然したオレを迎えてくれたが、なんだかその様子が今日の中華屋のおばちゃんと似ていないこともない。加えて、そのスペイン食堂もガラガラで、客は冴えないオヤジが二、三人しかおらず、棚の上にテレビがあり、大音量でサッカーをやっていた。オレは今日と同じく、鶏肉のセットメニューを注文した。スペインのセットメニューはワイン込みだ。ハーフボトルの赤ワインが付いて来る。だいぶお得だ。
 
殺風景な店内の安物テーブルの上に料理がドカンと乗ったが、まあ、量は多いがうまくもなんともない。赤ワインはすでに封の空いたフルボトルがどんと置かれた。どうやら、ハーフでもフルでもどうでもよくて、好きなだけ飲んでいいよ、ということのようだった。
 
その時も、オレは大音量のテレビを聞きながら、小汚い地元食堂で、食って飲んで放心していた。今日は今日で、小汚い天満の中華食堂でプロ野球の大音量を聞きながら、食って飲んで放心している。やっていることが、まるで変わらないのだ。
 
店内のおばちゃんとおじちゃんは仕事が無いのでいつしか、再び、同じ隅っこのテーブルに戻って、大阪弁でずっとなにやら話し込んでいる。「いうてんやんか」とか「いっしょやろ」とか「あかんやろ」とかいう言葉がしきりに聞こえてくる。
 
そうこうして、ビールも半分ほど飲んだころ、例によってオレは、わけもわからない強烈な多幸感に包まれた。オレの多幸感は、だいたいがこういうシチュエーションでしか現れないのである。
 
それにしてもオレは、やはり「何か」から逃げ出したい、と常に思っているのだろう。しかし、こんな場末のシチュエーションで、場違いな多幸感を感じながら、実際には、オレは、妙に糞真面目なことを考えている。
 
そのときは、空間と時間について考えたんだっけ。人間は空間を克服する術を今までたくさん開発してきた。今朝東京にいたオレがその日の夜には大阪にいる、しかも、パソコンを覗けばいま渋谷にいる知人がリアルタイムでメッセージを送って来ている。空間についてはそんな調子なのに、考えてみると、空間の対となる「時間」の方は少しも克服されていない。相変わらず時は同じように流れ続け、変えようがない。
 
で、この、人間がオフィシャルに開発してきた術ではどうにもならない「時間」から自由になる方法は、実は昔から、ある。それの最たるものは麻薬だ。しかし麻薬は禁止されている。ということになると、この俺の多幸感などはまさに、それだ。この感覚は空間からの解放とはまったく無縁で、ひたすらオレの時間感覚を狂わせ、俺をそこから解放するように働くのだ。
 
オレが逃げ出したい、と思っているのは何だろう。何から逃げたいのだろう。なぜ、俺は、こういう、反知性的な、白痴的なもののただ中でしか、その多幸感を得られないのだろう。
 
そうこうしているうちに多幸感は去って行った。いつも、どんなに長くても五分ぐらいで終わってしまうのだ。

仕方ないんでオレは、少し生暖かくなった残りのビールをチビチビ飲みながら、テレビを見始めた。巨人とディーエヌエイの試合だった。すでにテレビをまったく見なくなっているオレは、物珍しいので、そのプロ野球中継をずっと見ていた。
 
でも、俺は野球などどうでもいいのだ。それにしても、安中華屋で、まずい食い物を食って、ぬるいビールを飲んで、プロ野球を見る、という構図は、実はオレの生涯の憧れの的だった。自分には、そういう生活は出来るはずがない、ということが分かっているので、それゆえに憧れだったのだ。
 
おばちゃんが外の暖簾を下ろして、店内のテーブルの上に置いた。まだ八時ちょっとだが、そろそろ閉店らしい。残りのビールを流し込むと、お勘定してもらった。ありがとう、おおきに、と標準語と大阪弁を交互に数回繰り返して、おばちゃんがオレを送り出してくれた。
 
外へ出ると、夏の大阪の夜は生暖かく、まだまだたくさんの酔っ払いが、飲み、騒ぎ、たむろしていた。

(Facebookに投稿した文)

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