ドービニーの庭

広島に出張で来ている。午前中の仕事を終えて、午後からの仕事はすっ飛ばし、かねての予定どおりひろしま美術館へゴッホの作品「ドービニーの庭」を見に行った。来月から異国に住むことになるので、これが最後、というわけではないにしてもやはり名残惜しく、僕が一番好きな絵に対面して来ようと思ったのだ。

というわけで、このブログでは、このたった一枚の絵になぜそこまで僕がこだわるかについて、周辺的なことを書いておこうと思う。加えて、この絵を知らない人の方が多いだろうから、絵画に関する客観的なこともいくらか紹介しておこう。

思えば、広島へは仕事で何度も来ているが、ひろしま美術館へ寄ってこの絵を見ずに帰ったことは一回もなかったと思う。それほどこの絵は僕にとって大切な画布なのである。

今回、夏の終わりの猛暑の中、ひろしま美術館へ向かった。この絵だけが目当てである。なので、他の絵はほとんど見ていない。ちょっとクールダウンするのに館内散歩をするついでに眺めたていどである。ただ、ひろしま美術館のために言っておくが、ここは印象派以降のけっこういい絵を取り揃えているので、小さな箱だが、見学という意味では充実感があると思う。

しかし僕にとってはドービニーの庭だけが重要だ。

さて、再び、絵の前にやってきた。いったい何回見たら気が済むんだろう、この俺は、と思う。見ているときは、まあいいとして、それでもこうやって美術館を出て娑婆に戻ってくると、なぜかまたまた見たくなるから不思議だ。そういう意味では、あの絵には「娑婆」なところがまったく、これっぽっちも、かけらも、無い。

相変わらず、ものすごく美しい色彩である。絵というのはこうやって文章で感想を書くのは実際はほぼナンセンスで、何を伝えられるわけもない。純粋な視覚経験なのだから、文章への翻訳はまったく無理なのだ。しかしながら、それでも、何回も言うが、本当に美しい絵だ。

かつて僕はこの美しさを文章で表現しようとして、本を書いてその中で、その特殊な美しさを言葉で解明しようとしたことがある。成功したかどうかは分からないが、その文章は今でも残っている。たぶん、あの文章が一番うまく自分の感じていることを表現できていたと思う。「ゴッホ」という本の中の最終章の「オーヴェール・シュール・オワーズ」の一連の短文である。あの中で僕は、この絵の美しさを「教会の漆喰の壁が朽ち果てて長い間太陽の光の下に晒されて色褪せたフレスコ画」に例えたのだった。これについてはpdfで読めるのでもし興味があれば、どうぞ。

さて、ここではそれを繰り返してもしょうがないので、きわめて展覧会カタログ的な事実を、知らない人のために少し書いておこう。

ヴィンセント・ヴァン・ゴッホはいわずと知れたオランダ人の画家で、精神病を患いながらも嵐のように多くの画布を塗り、最後はピストル自殺で死んだ人である。後世を驚かせる画布を描いたのは、1888年から1890年に亡くなるまでのほんの3年たらず、南フランスのアルルからサンレミ、そして最後にフランス北部のオーヴェール・シュール・オワーズにやってきて、三ヶ月ぐらいして亡くなっている。

彼はオーヴェールで80点ほどの画布を残しているが、世間的に有名なのはおそらく「烏のいる麦畑」と「オーヴェールの教会」であろう。どちらも一種鬼気迫る感じが画布を支配していてわりとショックな絵である。特に前者は、その昔、かの小林秀雄を、絵の前のその場でへなへなと座り込ませ動けなくしてしまった、という逸話もある。この前者の「烏のいる麦畑」に表れているあまりに緊迫した感じのせいでこれをゴッホの絶筆とみなす説は数多いが、いろいろ調べてみるとどうやらそうではないようで、実はいま書いているこの「ドービニーの庭」がどうやら彼の絶筆であった、という説が有力だそうだ。

ということで、このドービニーの庭は、絶筆かどうかの真偽を置いておいても、彼がその最晩年に塗った画布だということは間違いないようである。

ゴッホは弟のテオにこまめに手紙を書いていて、自作についてペンによる素描を交えながら事細かに説明している。このドービニーの庭についても、素描とともにわりと細かく説明する手紙を書いている。特にこの作についてのゴッホの言葉ははっきりしていて、「ここに来てからずっと構想していたものだ」とか、「もっとも慎重に計画された画布のひとつだ」という風に書いている。特に後者の言葉は自殺の4日前の手紙にある。

ドービニーの庭の筆致が非常に静かで穏やかなものなので、とてもこれから自殺する人の絵に見えない、と言う人がよくいるがそれはどうか。絵画の中に「苦しみ、痛み、そして叫び」を表現することは、ゴッホの時代には実はまだほとんど無かった。僕らは現代の叫びに満ちた騒々しいビジュアル表現に慣れすぎているので、悩んだ人の絵に見えない、という感想が出てくるのだと思うのだが、それはほとんど当たっていないと思う。たとえば、時々、会ったときはあんなに元気だったのにその翌日自殺するとは、という文句を聞くが、そっちの方が近い事情かもしれない。

それよりも、なによりも、僕には、この絵を前にしてはっきり感じることがあって、それは言葉にするのはほとんど不可能なのだが、あえて言うと、絵の中にある「過剰な静かさ」に常に驚くのである。こんな静かな絵は、後にも先にもないように思えてしまう。世の中のあらゆる雑事から完全に切り離された過剰な静けさなのだ。

それを感じるとともに、もう一つ驚くのが、この絵の「明るさ」である。この明るさは感情の明るさという意味ではなくて、純粋に視覚的な「明るさ」である。なんという形容しがたい明るさなことか。ゴッホの絵には、そういう明るい絵が多い。しかし、僕の感覚では、彼の並み居る明るい絵の中でも、特にこのドービニーの庭は極端に明るいのである。まるでそのまま昇天してしまいそうな明るさだ。

こうして美術館の展示室に並ぶ彼の絵を見ると、いつも僕は、ずっと離れた距離から彼の画布と一緒に並んでいるほぼ同時代なたくさんの画家の絵と、合わせて眺めてみるのだが、どうしてもゴッホの絵だけ飛び抜けて明るく見えるのである。そのせいでほとんど孤立して見えてしまい、もう少し言うと、そこになんらかの異常性をやはりどうしても感じる。彼が患った精神病という単純な一個人のメンタルな話というよりは、限りなく芸術的な高みな意味での異常性である。こればっかりは、どうにもこうにも毎回対面するたびに感じるので仕方ない。

どちらも過剰な、「静けさ」と「明るさ」なのだけど、実は、過剰な明るさの方を聴覚的なアナロジーで言うとそれは静かではなく、何度見ても、過剰に明るいがゆえに聴覚的にホワイトノイズ系の音が聞こえる。しかもかなりの音量で。そのせいで静かでないのに静か、と矛盾しており、それも自分を驚かせる。

だんだん訳が分からない話になってきたので、これはこのへんで止めよう。

話を戻すと、このドービニーの庭は、彼が、画家としての自らの持てる能力を理性的に最大限に発揮して製作した画布であった、ということだ。なので、僕らは彼の言葉を素直に信じていいのである。この絵は彼の絵画芸術の絶頂のひとつなのである。

さて、ゴッホはこのドービニーの庭を2枚描いていることはよく知られている。一枚はバーゼル美術館にあり、もう一枚がここ、ひろしま美術館にある。いろいろな調査の結果、バーゼル美術館のものが一枚目に描かれたもので、ひろしま美術館のものは後から、アトリエでゴッホ自らが一枚目の画布を写して描いたもののようである。僕は残念ながら一枚目のバーゼル美術館のものの実物は見ていないのだが、写真で見ると、一枚目と二枚目はわりといろいろなところで異なっている。僕の目から見ると、ひろしま美術館の二枚目の方が、ずっと整理され、堅実で、より多くの調和を持っているように見える。ただ、こればかりは一枚目の実物を見ないことには断言しがたい。

ところで、このブログにも一応写真を載せたが、僕が実物を目の前にして驚いている色彩の美しさ、静けさ、明るさなどの視覚的なことについては、写真はほとんどまったく役に立たない。というのは、特にその「色」をまったく写し得ていないのである。こればかりは実物を見るしか方法が無いのである。こういうことについては、この視覚技術の進んだ現代においても、本当に貧しいと思う。今後改善されることを望むが、昨今の技術界を見ていると、絵画の美しさを正確に伝える映像システムなどというマイノリティな技術は今後もほとんど現れることは無いかもしれない。まあ、これは仕方ないことなので、ほぼ諦めているが。

話を戻すが、この2枚についてはこれまで長い間、いろいろ紆余曲折があり、特に贋作問題がうるさく言われて来た。あるときはひろしま美術館の作が贋作と言われ、バーゼル美術館の方が贋作とされた時期もあったそうだ。現在では調査の結果、2枚とも真作ということで落ち着いたそうである。

それから、ドービニーの庭には「黒猫問題」というものが長くつきまとっている。それは、バーゼル美術館の画布、そしてゴッホの手紙の中の素描でも、本人の言葉でも言われている、画布の左下を横切る黒猫の姿が、ひろしま美術館の作には無いのである。代わりに黒猫のあるべきところの一帯が、まるで誰か別の人が塗ったように色調の違う絵の具が盛られているのだ。

これは実は、このひろしま美術館のドービニーの庭においてたった一つの残念なことで、その部分だけ色調が不自然に異なっているせいで、目障りなのだ。これは、最近の調査で、ゴッホが黒猫を描いた部分の上に、後年、他の誰かが黒猫を消すために絵の具を盛ったことがはっきりしたそうだ。これまでゴッホその人が黒猫を消したのかもしれない、という説もあったのだが、それは科学的調査により完全に否定されたそうである。

後年の誰かが、この絵を売るにあたって、この黒猫の存在を画家の失敗とみなして消したのだろう、と推測されている。調査によれば、この他人の絵の具の下にはゴッホが描いた黒猫がいるそうなので、絵の具をうまく削れば出てくるのだろうが、それはおそらく危険すぎてやらないだろうから、我々はこのまま見るしかないのである。

この部分は実物で見ても、まるで「汚れ」のように見えるので残念である。加えて、この「汚れ」がなく、黒猫がそのまま描かれていたら、またどんな印象になるのだろう、と想像するのだけど、なかなかうまく想像できない。本当はこんなときこそ再現技術の出番なのだが、先に書いたように現在の技術の色再現が悪すぎて、それをやってもほとんど何の役にも立たないのである。残念だ。

僕は、この黒猫を汚く塗り潰したドービニーの庭を長年ずっと見てきたので、逆にオリジナルのように黒猫がいる状態がうまく想像できないのである。今までこの部分はずっと意識的に「無いもの」とみなして、見てきたのである。

今回、逆に、実物を前にして、ちょっと一生懸命、ここに黒猫がいる図を想像してみた。うまくいかないながらも、まず、「汚れ」がない「良さ」がすごく素晴らしく映るだろうと思う。それに加えて、ここに横切る黒猫がいる、その当の黒猫についても想像するに、なんだか自分が今までこの絵に「色彩の美しさ、静けさ、明るさ」だけを求めてきたのとは少し違う「何か」を感じるかもしれない、と思えてきた。

ひょっとすると僕は、ある意味、この絵について、いくらかの誤解をしてきたのかもしれない。僕がゴッホの最晩年の芸術から受け取った、「過剰な静けさ」と「過剰な光」、そしてそれゆえの「恍惚と昇天」という感覚だけで彼の最終形を語ることは、できないのかもしれない。

よく知られたように、彼は、死んでから、ほどなくして他の画家たちに多大な影響を与え始め、特にそれは「表現主義」や「フォービズム」といった方向に受け継がれるものが多かった。これらの芸術は、「静止」より「動き」の方に重点がある。僕がゴッホの最後の芸術から受け取ったものは「静止」しかも「完全なる静止」だったので、その反対のものである。ただ、僕だってゴッホの「動き」の部分は十分に理解はしているつもりである。ただ、僕の個人的体験としてゴッホの「静止」の方がより自分にとって「事件」だったのだ。

思い返せば、僕が最初に画集などでゴッホに触れたとき、若かった自分を魅了したのはゴッホの「動き」の方だった。その後、ゴッホの実物の絵画に上野の展覧会で出会い、そのとき僕は彼の持っている「静止」を初めて全身で感じ、それが僕を絵画芸術に開眼させたのだった。ちなみに、このへんの事情はここに書いておいた。

そういうわけなので、ゴッホの「動き」の部分が後世の画家たちへ受け継がれた、ということは僕にとっても、自然にうなづけるものだった。したがってそれは、芸術と歴史の必然に見えた。「動き」が伝承され、「完全に静止したもの」は、もうそこで死んで昇天するしかないのだ。そして、僕は、ゴッホその人を、芸術史において完全に孤立した「静止」の人とみなし、自殺した彼の魂の昇天とともに、彼の到達した極限の「静かさ」は、同じく昇天してこの世から消えてなくなったのだ、そしてそれは完全な無名性の中に埋没したのだ、と結論していた。少なくとも、僕がかつて書いた本にはそのことが書いてある。

しかし、どうだろう。そうじゃないのかもしれない。

少なくともゴッホは、この驚異的に「静止」したドービニーの庭を完成させたとき、その最前景にプルシアンブルーの筆で左から右に向かって「動く」黒猫を描いていたのである。この黒猫が横長の画布の前を横切って左から右に抜けて行った後には、この画布は、ブラマンクや、スーチンや、ムンクや、マチスや、そしてフランシス・ベーコンの画布にまで姿を変えるのかもしれないではないか。ゴッホは、この完全に静止した明るい色彩の静けさの完全無欠な調和の、一種の天国的な、開かれた牢獄から抜け出し、また地上的なものに舞い戻ることを可能にする、なにか小さな「出口」を持っていたのかもしれない。それが、この横切る黒猫の意味なのかもしれない。

そんな風に空想すると、芸術というのは、まことに果てしないものだな、と思う。

さて、結局ずいぶん長々と書いた。客観的な話にしようと思ったけど、やはり主観的な話をずいぶん書いた。このへんにしておこう。

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