ソーシャルネットワークとその周辺

自分はこうしていまブログを書いているが、実はそのほかにも色々ごちゃごちゃとネット活動をしている。MixiとFacebookで知り合いと交流し、Twitterに書き飛ばし、COOKPADでは人気レシピ投稿人として活躍し、ホームページには、またやたらと文章、そして演奏動画に音源にタブ譜を公開し、真空管アンプ製作関係ではコミュニティ的なものも持っているし、われながら相当にアクティブなネットワーク野郎である。

しかしながら、そのくせして、自分はいわゆる昨今の「ソーシャルネットワーク」というのがどうにも好きになれない。なぜだか深く考えたことがないのだけど、どうも気に入らない。しかし、なぜだろう。

ところで今日は土曜日。奥さんが用事で実家へ一泊で出かけてしまったので空き時間がたくさんあり、たまには外へ出て陽の光にでも当たるか、と思い自転車でずっとぶらぶら散歩してきた。さいわい今日は梅雨のなか日でそれほど暑くもなくいい陽気だった。世田谷から海の方角へ向かい、ほどなくして蒲田へ、そして多摩川沿いの六郷あたりをうろうろしながら、漫然とこのソーシャルネットワークのことを考えていた。

さて、どうだろう、なぜ自分はソーシャルネットワークを嫌いだと思うんだろう。実は、ある日ツイッターで「ソーシャルネットワークが嫌いだ」とか発言し、その後しばらくしてFacebookのタイムラインでSさんの発言を発見し、それで自分のソーシャルネットワーク嫌いの理由が分かったように思った。Sさんによれば、個人、近親、そしてごく近しい関係の人、友人、知人という自分のすぐ周辺の人々の、それより向こうにいる人々をソーシャルというのだ、とのこと。少しだけ知っていて、向こうも少しだけ自分を知っている、そんな淡い絆こそソーシャルの真髄、と言う。

これには、なるほど、と思った。それで、自分がソーシャルネットワークがどうも気に入らない理由が分かるような気がした。自分はこれまで、物事をやたらと自分に近づけて考える癖があり、結局は合いまみえるほどに関わり合い、果ては混乱に向かう傾向があった。自分に切実に迫って来るものだけと関わり、それ以外の中途半端なものはまったくどうでもいいこととして顧みることもしなかった。最も切実なものについては関わりが激しすぎ、その結果、適度な着地点というのが見つけられず、どんどん上へ昇るか、あるいはどんどん下へ降りるかであり、果ては、思想や哲学や、個人の理念やらそんな大仰なところへ突き進んでしまう。

この性格は、生まれつきもあったとは思うが、僕が大学生のときに多大な影響を受けたドストエフスキーに拠るところが大きいと自分では思っている。もっとも、自分の性格がドストエフスキー的だから彼に惹かれたのか、彼に夢中になったせいでドストエフスキー的性格になったか、どっちなのだかいまだに分からない。あと、ここで言っているドストエフスキー的なものとは、多分に個人的なものである。彼のような大作家、大思想家になるとその姿とその影響力は多岐に渡るもので、僕のドストエフスキー観はそのひとつに過ぎないことを断っておく。

自分が考えるに、僕が夢中になった彼の後年の長編群の中に出てくるたくさんの人間たちは、みな、自身の天性に恐ろしく正直であり、その天性に沿って脇目も振らず全力で行動しており、それゆえの衝突が至る所で起こり、しばしばそこらじゅうで度を越すせいで、ほとんど幻想的に感じられるほどに紛糾した世界が形造られている。小説では、いわゆる淡い絆の元に行動している人間がいるように思えない。実際、あんなにひどい直接交渉だけで社会が出来上がっているはずはないのだけど、彼の小説の世界ではその爆発に告ぐ爆発、破裂に告ぐ破裂がそこらじゅうで起こっていて、それが世界を成立させているように自分には感じられるのである。

こういう世界観に若い自分は完全にやられてしまい、今に至る、である。ついでに言うと、黒人ブルースに夢中だったのも同じような理由だったかもしれない。いきおい、若い自分はずいぶんと食えないヤツであり、むやみにシリアスであり、半端なことを言う連中を捕まえてはしょっちゅう食ってかかっていたのである。今思うときわめて傍迷惑だったと思う。

そんな自分が、いわゆる社会の「淡い絆」というのを軽視するのはごく自然なことで、そのせいでその淡い絆を表すソーシャルネットワークというものを毛嫌いしていたのかもしれないな、と気づいたのである。

しかしながら、SさんのFacebookのコメントに、Sさんの知り合いのMさんという方が、こんなことを書いていた。

「ドストエフスキーの「罪と罰」のエピローグには、主人公が「ソーシャル(他者に対する信頼ネットワーク)」が失われた未来社会の悪夢を見るシーンがあります。私は逆にドストエフスキーは、共産化前のロシアの外に拡がる新しい「ソーシャル」を想像はしたものの、見えないまま、求め続けた予見者じゃないのかと思っています」

これには、なるほど、と思わず唸った。そうだったか、ラスコーリニコフがあの罪と罰という長い小説で戦っていたのは目に見えぬソーシャルであったか。彼は自分を水のように支えてくれるソーシャルをどうしても認めようとしないのである。そのくせしてそのソーシャルに自分の全感覚が有無を言わすせず従わざるを得ないことを至るところで思い知らされる。しかし彼は、自身の総力を挙げて、一徹に頑固に、いかなることがあってもそれを、「理解しない」ことを決め込んでいる。なぜ作者はあそこまでして、ラスコーリニコフをソーシャルと戦わせないといけなかったんだろう。

社会の人々を水のように支えるソーシャルが成立する、その成立史には数多くの悲惨な犠牲と、長い長い苦悩の連続があった、ということを描写しているようにも思える。ラスコーリニコフという若者は、その血塗られた歴史をなぞって、自ら歩き直さないと気がすまないように見える。奇妙なことに、彼の本能はことごとく彼をソーシャルに沿って行動させるのである。しかし、彼の理性はそれを決して認めようとしない。

ラスコーリニコフは、結局、最後のエピローグでソーニャに対して自分の罪を悟るのであるが、その描写もとても微妙だ。まるで、反射的に発作的に転向したように書かれていて、本当に理解したように見えない。というか、作者も、「ラスコーリニコフはいま初めて彼が拒み続けていたものを理解したのだが、彼の長い更生の物語はこれから始まるのだ」、として小説を終わっている。

小林秀雄によれば、この更生したラスコーリニコフがシベリアから返って来たのが「白痴」のムイシュキン公爵だ、ということになる。これは、卓見だと思う。

さて、ドストエフスキーはこれぐらいにして元に戻るけれど、ソーシャルネットワークが嫌いな自分は、そういう人との「淡い関係」というものを嫌っていたようである。

いま自分は53歳だが、実は現在の自分を省みてみると、前述のような他人とあまりに距離を近くに取り、その直接交渉だけを重要視する態度は、今ではぜんぜん無いことを自覚している。年月がたち、いつの間にか自分は変わってしまったのである。人に食ってかかることはほとんど無くなった。それどころか、他人と極力適度な距離を置き、傍若無人な行いは自分もしないし、他人にも許さないような、そういう風な人づきあいに変化したのである。

なので、今の自分は、「淡い絆」を嫌う理由は実はどこにもない。いわば、今では自分は、自分の周りじゅうのほとんどの人を、先のSさんの定義で言うところのソーシャル的なものとして扱っている。ソーシャルが嫌いだなんて言いながら、冒頭に書いたようにあらゆるソーシャル的活動をしている自分は、今や自分がすでにソーシャル的な活動しかやっていないことを知っている。それにしても、いったい、これで、いいのだろうか。

さて、以上のようなことを漠然と考えながら、六郷をさらに海の方角に向かって適当に走っていたら、いつの間にか羽田まで来ていた。少し行ったらもうそこは羽田空港だ。すぐに視界が開け、空港の広大な空間が目の前に現れた。空港の入り口の道に見覚えがある。むかしタクシーで空港へ向かったときに通ったんだっけ。

道の入り口の右横に大きな赤い鳥居がぽつんと立っていて、暇そうな人たちが何となく漠然とたむろしている。この鳥居には今まで気がつかなかったな。周りにはいろいろポスターやらなにやら貼ってあり、平和祈念がどうのといろいろ書いてある。鳥居の回りの空き地の向こうはすぐに海だ。空き地の海側のところに、車椅子に座った相当に歳な婆さんがじっと放心したように海を見ている。車椅子の横にいるのはたぶん息子さんだろう。この婆さん、なんだか生きる苦しみの途上でそのまま固まってしまったような辛い表情をして微動だにせず、痛々しくて見るに耐えない。

周りに貼ってあるポスターを少し読んでみると、この鳥居は、どうやらその昔、羽田空港を建設したときに立ち退いた村を記念するもののようである。いま調べてみたら羽田空港が開港してから80年以上が経っている。あの婆さんが元の村民とは考えられないけれど、ちらりと見たあの婆さんの顔は、なんだか海の向こうにまだ若かった自分が生活した古き良き土地を見ているように感じられた。いたたまれなくなり、すぐにその場を離れた。

ふたたび自転車であてもなくうろうろしながらあれこれ考えた。

あの殺伐とした羽田空港入り口の鳥居にたどり着くまではソーシャルネットワークについて考えていたのだが、空港を離れてからは、しきりに成功者と敗者、そしてその舞台となる社会について考えた。

自分の歳は、どうなのだろう、いわゆる団塊の世代より少し前、戦中世代よりだいぶ若い。団塊や戦中派の年寄りは、自分が言うのはなんだけど、本当に元気だと思う。なんだかんだで彼らは戦いを経て生き延びて来た人々なのだ。社会で成功した人もいれば、敗者も、いる。成功した人は自らの成功体験の元に、さらに先の成功を求める人が多いように見える。逆に敗者というのは言いすぎだとしても、社会的成功まで行かなかった人は歳を取って一人になり、今度は一種の敗者の矜持をもって堂々と生きている。さいきん、自分には、成功者であろうと失敗者であろうと、そういう彼らのプライドがときに発揮されると、それが鬱陶しくて仕方ないように思うようになった。勝つか負けるか、成功者になるか敗者で終わるか、悠々自適でゴールするか生活に汲々としながら死を待つか、という二択を思わせるような年寄りの言動を見聞きするのが嫌になってきたのである。

とはいえ、自分は世代的に言っても性格的に言っても、それら二択な根性の持ち主なのである。嫌になった、というのは、ほとんど自分のそういう根性が嫌になったということでもある。今のところ、自分はかろうじて社会から脱落しないように生きることが出来ているが、それはやはり自分の元来の負けず嫌いの根性が何とかして自分を支えているからである。

しかし、自分ではそんな厄介な努力をしながらも、そんな二択じゃない社会生活の形がどこかに、あるはずだ、とずっと思っている。そして、きっと、成功と失敗という戦いに支えられた社会に限界がやってきて、層変化を起こすはずだと信じている。未来の社会はきっとそんな弱肉強食な食い合いの世界ではなくなるはずだ。何か別の世界が広がっているはずだ。そんなことを、21世紀に入ってここ10年の間、めまぐるしい情報社会の一員として生きていると、そこはかとなく、根拠なく、しかしほとんど肌感覚で感じるのである。

信頼に支えられた、決して多数ではない、少人数の村のようなものを単位として、その中で生活できるようになる気もするし、そうじゃないかもしれないし、分からないのだけど、未来に何かが待っているように思える。そんなときに、ソーシャルネットワークという考え方は、やはり主流な存在になることは間違いなさそうだ。僕たちを水のように支えるソーシャルの存在、戦わなくても生きることができる賢さを備えた強靭なネットワークが、形成される日がいつか来るんじゃないだろうか。

自分が、いつの間にか、嫌いだなんだと言いながらもソーシャルネットワークの世界にきっちり関わって、飽きずに活動しているというのは、どうやら自分の本能的な要請のような気がしている。自分の本能はそっちを向いているみたいなのだ。しかしながら、古い自分の根性の方があまりそれを認めたがらないようで、いまだにソーシャル嫌いとか言っている。もっとも僕が嫌いなのは、ソーシャルネットワークを分析して、その結果を使って闘争に勝って無駄な大儲けをしようとしている輩たちのことなのかもしれない。ソーシャルは、現在の勝ち負けの社会を脱却するキーになる考え方であって、そういう理念はおそらくインターネットが発明されたときにすでに種子として持っていた核となる思想なのだと思っている。

すでにずいぶん長くなったので、その手の批判についてはまた別の機会ということにしよう。

さて、以上のごとくのことを、羽田空港を離れてから考えていたのだが、そうこうしているうちに、多摩川の土手にたどり着いた。あとは川沿いの一直線なサイクリングロードをひたすら飛ばすだけだ。そのときには、すでにそれら面倒な考え事はすべて忘れ去り、多摩川の自然や、広い空、そして点々とあるホームレス小屋などを呆然と眺めながら、家路についた。

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