ハイブリッドが嫌い

オレが嫌いな解決法、ハイブリッド。

半端でいやだ。長所と短所がある何かと、これまた長所と短所がある別の何かがあったとき、その2つの短所だけ捨てて長所だけ残して混合して元の2つよりいいものを作ってしまおう、という考え方自体がいやだ。それに、できあがったものを見たとき、そこに元の何かと何かが丸見えになっているのは、やはりぶざまだ。

でも逆に、何かと何かのちょうど真ん中を作ることはよいことだ。そして、混合ではなく真ん中を作ることを、中庸の精神と言うのだ、孔子の言うところの。何かと何かの混合を作るには、当の何かと何かが揃っていればあとは混ぜてちょっと調整すればできるが、真ん中を作るときはそうは行かない。作る前は真ん中には何も無いから、その真ん中を見極めて、新たに作らないといけないからだ。

こういう事情を、中庸を得るのは難しい、というのだ。実は日本は歴史的に言ってこの中庸の方法論が抜群に上手な国だった。しかし、さいきんはどうだろう。白か黒かをやたらはっきり断罪することこそ現代的な人間の姿だと勘違いしているようすが目につくのは、これはかつての西洋コンプレックスが庶民にまで降りてきた、その成れの果てだろうか。

そういう、つまらない人間たちはたいていこの「中庸」というものを逆に中途半端だとバカにする。つまらない人間が中庸を得るときは、それはたいていが単なる混合だ。孔子は、君子の中庸は「時ニ中ス」、小人の中庸は「忌憚ナシ」、と言ったけれど、小人たちはまさに、あれこれのものを節操なく混合しては右往左往して、そのせいで言葉だけがやたら氾濫する。

インターネットのせいもあって、特に、現代は、「忌憚のない人」たち、つまりあたりはばからず騒々しい人たちが氾濫しているでしょう?

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