能面

たいしたことじゃないけど妙だったんで書いておく。京都滞在の最終日、京都国立博物館へ行った。改修中だとかで、特別展のみしか見られず、まあその展示は良かったので、いいのだけど、他が見れず、実はがっかり。

展示は畠山記念館コレクションというもので、能面、茶器、絵、日常品その他、さまざまな日本の物が展示されていた。で、館内は暗く、人も少なく、みなマスクしてるし、静かで沈んだ感じだった。僕はそれまで飲み続けで疲れていたのもあって、特段の感慨もなく、何も考えず順路通り歩いて、展示品をぼんやり見ていただけだった。

そうしたら、三つの能面が並べて展示してあるところにきた。最初にあったのが、「翁」の面で、解説を読むと、この翁というのは能の演劇で特別の意味を持たせるというよりは、民族的に古くからある天下泰平を祈るシンボルで各地域での礼拝の対象であった、などと書いてある。

それを読んで、なるほどな、と思い、次の面を見ると、これは「小面」で、おなじみのあの若い女の顔である。

そしてそれと並んでいたのが、あやかしの面であった。これは「怪士」と書いて、戦いに負けた武将の怨霊である、とある。

なぜだか分からないのだけど、この小面(こおもて)と怪子(あやかし)が並んだのを見て、突然、気持ちが怪しくなり、そのまま号泣に近い状態になった。幸い、マスクしていて外から分からないし、人も少ないし、誰にも気づかれなかったけど、しばらく止まらず参った。

おそらくだけど、この怪子は俺だ、と感じたらしいけど、もちろん定かではない。

その展示では、それ以外に心が動くようなものはなく、ただ、たとえば琳派の絵に素晴らしいのがあったり、ふつうに感心して見ただけだ。会場を出て、係員の人に、改修中で展示はこれだけです、と言われ失望して、それで館を出て、三十三間堂があまりに真ん前にあったんで、入り、なんの感慨もなく出て、飯食って、京都駅から新幹線に乗って名古屋で降りた。

友人と会うためだったが、その夜一緒に飲んでいて、僕に付いている守護霊の話になった。それは、頭の禿げた老齢の武士で、きちんとした装束で無表情でいるそうなのだ。昔からそう言われていたので、その時は、まだ同じ霊がいるのを確認した形だった。

それで、さっきの能面のことを思い出し、なんでいきなりあのような堰を切ったような感情に襲われるのだろう、と考えると、それはなにかの過去の関係性が、霊界でつながっている、とするととても納得がゆく。

若い女、堕ちた武将、老武士、それから太平の象徴の翁、といったいくつかのキャラクタが、どうやらどこかで何かを演じているらしく、そのあの世で演じられているドラマが、現世界に「僕」という人間を投影して、それで動かしているらしい。

遠い過去になにかがあったらしいが、それがなにかは分からない。以上、まったくのたわごとなのはわかっているけれど、そうとしか思えないことが起こるのだから仕方ない。

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